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商人が田畑をもっていた?

江戸時代、我が家のご先祖さまは商人をしていました。ある宿の問屋御用掛、肝煎役を歴任した家柄でした。

そのご先祖が江戸末期か明治初期に3000坪の土地を寄付したそうです。(どこにかは不明)

その土地は田畑であると推測できますが、なぜ商人である我が家のご先祖が3000坪の田畑をもっていたか疑問をもちました。

江戸時代、農家以外も田畑を持つことが出来たのでしょうか。

本業の商売以外に農家も営んでいたと推測できますでしょうか。

どなたかご教授のほど。

A 回答 (5件)

>江戸時代、農家以外も田畑を持つことが出来たのでしょうか。



可能でした。
有力商人は、武士になる事も出来ましたからね。
江戸では、御家人株の売買が行なわれていましたからね。
土佐の坂本家でも、郷士(下士)株を購入していますよね。(坂本龍馬)
農地なんか、武士の所領で無い限り比較的に自由に売買しています。
今では、(利権を手放したくない農協の反対で)商人は農地の所有が出来ませんがね。
※法改正前にサントリーは農地を持っていたので、今でもサントリーは農地を持っています。

>本業の商売以外に農家も営んでいたと推測できますでしょうか。

推測は、出来ますね。
他にも回答がありますが、「借金の担保で、奪う」「新田開発で、所有」の二通りがあります。
多くの場合は、幕府・藩・商人が農地開発を行っています。
幕府・藩は「開発許可を出す」。商人は「費用を出す」。政治家と企業の関係です。
開発が成功すれば、幕府・藩は米の収穫(収入)が増える。商人は、農地を入手できます。
ただ、農業を営むと言うよりは「(農地を貸す)地主的存在」だと思いますね。
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不動産業ですな。

新田開発に出資したり、百姓に融資して担保として取り上げたり、いくらでも土地を持つことはできます。そうして取り上げた土地は元の所有者を小作人に雇って、そのまま耕作させます。江戸時代には高層マンションなんてありませんから、それが不動産業の仕事です。一般に地主と呼ばれますが、地主は農家ではありません。不動産を運用して収益をあげるのが仕事なんです。田畑永代売買禁止令が幕府から発令されていて、表向きは売買はできなかったけど、借金の担保にすることは禁止されていなかった。実質的には土地の売買取引なんだけど、形式的にそういう形をとっていました。江戸時代には株式とか債券とかありませんから資産運用の手段が、そんなことしかなかったのです。年貢さえ上がってくれば、殿様は文句もいいません。せいぜい政治献金のお願いがあるくらいで。
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ご先祖が田畑を所有していた可能性は高いですね。


江戸時代は士農工商の身分制度といわれますが実際は士と農だけです。商は農が兼業していました。
農地を持っていても自身で耕作するのではなくほとんどを小作に出していました。つまり地主でした。本業が米穀商であろうと、醤油醸造業であろうと地主業もしていたのです。
大商人は広大な農地(貸地)を持つというのが一般的でした。ひょっとすると地主業の方が実入りが良かったかもしれません。
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1町歩と言えば丁度百姓1人の土地ですから担保で取り上げたんんでしょうね。

(>_<;)

>江戸時代、農家以外も田畑を持つことが出来たのでしょうか。

らしいうです。
商家でも田畑を持つ事が出来、百姓でも商売も出来たらしいです。

但し、上級武士には決してなれない。
これで支配層は安泰だったのです。


>本業の商売以外に農家も営んでいたと推測できますでしょうか。

比較的自由であり、百姓で「商工」を営んで成功する人間もいました。( 実際の身分体系)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%AB%E8%BE%B2% …

この例で百姓から豪商。名字帯刀へ。
http://hoppou-bunka.com/history.html
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商人が田畑を持つ事例は幾つか考えられます。



1,金貸しの担保として取り上げた。

2,新田開発で、開発費用を商人が出した。


特に、2,は良くやられていたようですよ。

「本間様には及びもせぬが、せめてなりたやお殿様」

で、有名な酒田本間氏は、儲けた金で土地を買い
田畑を拡大して、巨万の富を築きました。

これを題材にした小説もあります。
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