プロが教えるわが家の防犯対策術!

見てくださった方ありがとうございます。

徳川四天王の井伊直政と本多忠勝には「忠勝は薄手の鎧で傷一つつかないのに直政は厚手の鎧で傷だらけ」と両将を対比したエピソードがありますが、なぜ直政は傷だらけなのに忠勝は傷を負わなかったのでしょうか?

どなたかお詳しい方、ご回答よろしくお願い致します!

A 回答 (3件)

本多家


松平家の古参普代
井伊家
新参

新参は目に見える形で、忠義の程度を見せる必要があったから。

事実として、両者が傷があったりなかったりしたとしても、古参の本多家であれば「傷がないのが武勇の証明」になるが、新参の井伊家では、傷がないことは激戦地に飛び込んでいないと言われかねない。特に、四天王のうち最も若輩である井伊直政は、家康の贔屓で実力以上に評価されている、と言われないように、傷をおおっぴらに喧伝する必要があった。
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ボクサーで例えると、正面から近距離のドツキあいを好むファイタータイプの直政、蝶のように舞い蜂のように刺す華麗なボクサータイプの忠勝、という意味合いだったのではないでしょうかね。

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本多忠勝は槍の名手で、


『蜻蛉切り』という名槍を拝領する程の腕前だったので、
怪我をする事が無かったのでしょう。
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