歯ブラシ選びの大事なポイントとは?

巨大古墳を築造するには、10年以上かかると思います。
そこで疑問に思うのは、「大王」は在位中に自分の墓を造り始めるのですか。
それとも大王の死後、後継者が造ったのですか。
もし、大王の死後、造ったのであれば、被葬者の権力はともかく、後継者が絶大な権力をもっていた、ということですか。
よろしくお願いします。

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墓誌」に関するQ&A: 墓誌は必要ですか

A 回答 (5件)

 5世紀に特徴的に見られる巨大古墳およびその後の古墳ですが、日本ではその被葬者が誰であるかを特定できる史料が極めて少なく、天皇陵と称される古墳も実態はその例に漏れません。


 実際に墓誌が出土した事例は日本国内では79年に発見された太安万侶の墓誌のみです。被葬者が誰であるかを物的に特定できなければ、それが大王の墓であるとは言及できません。
 中国には「寿陵」といって皇帝が生前にあらかじめ陵墓を造営する考え方がありますが、日本の墓制でこの考え方があったかどうかとの問題に関しては、墓誌銘の問題が解決されていないことから合理的に答える術はありませんん。
 ただ考えられる可能性として「巨大古墳=天皇陵」であるならば、寿陵事業が行われていたと考えても不自然ではありません。逆に「殯(もがり)」という葬送儀礼が「死者を本葬するまでの期間、棺に仮安置する」との考えに基づくなら、死後に墓を作ったと考えることもできます。
 陵墓の規模か大きいことは「支配者としての権威の正当性」を誇示する一つの象徴とも考えられ、仮に先代の王が没した後の王位を相続するにはそのための正当性を示すことも必要であり、それを示すための行為と考えることもできるでしょう。何れにせよ、被葬者が誰であるかを確定させる作業のためには証拠としてのモノが必要である事だけは共通しています。
 実際に奈良県の丸山古墳や藤ノ木古墳で新たな発見のあった時も宮内庁は慌てて「陵墓指定の見直し」に言及し、これらが皇室に関係のある古墳の可能性があると言い出した経緯もあります。
 
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
「寿陵」は知りませんでした。
ヤマト政権の大王たちもおそらくこの制度を見習ったのでしょう。
いつの日か陵墓や陵墓参考地が発掘されると、墓誌名が出るかも知れません。
古代史ファンにとっては楽しみです。

お礼日時:2012/03/15 20:00

No.2さんの回答に関連して、「日本書記」の陵墓築造についての記事をご紹介します。



「日本書記」巻十一
《仁徳天皇六七年(己卯三七九)十月甲申(五)》六十七年冬十月庚辰朔甲申。幸河内石津原。以定陵地。
《仁徳天皇六七年(己卯三七九)十月丁酉(十八)》丁酉始築陵。是日。有鹿、忽起野中。走之入役民之中而仆死。時異其忽死。以探其痍。即百舌鳥自耳出之飛去。因視耳中、悉咋割剥。故号其処。曰百舌鳥耳原者。其是之縁也。
      (略)
《仁徳天皇八七年(己亥三九九)正月癸卯(十六)》八十七年春正月戊子朔癸卯。天皇崩。
《仁徳天皇八七年(己亥三九九)十月己丑(七)》冬十月癸未朔己丑。葬于百舌鳥野陵。

このように、仁徳天皇は亡くなる20年前に、自ら河内の石津原というところに出向いて陵墓をつくる場所を定め、13日後に着工したとされています。

同じような記事は他には見当たりませんでしたが、ほとんどの天皇は亡くなって1年以内に葬られているので、巨大古墳に葬られたのだとすれば、死後造ったとは考えにくいといえます。

<参考>六国史の電子テキスト http://www013.upp.so-net.ne.jp/wata/rikkokusi/in …
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この回答へのお礼

態々調べて下さってありがとうございます。
すっきりしました。
これをヒントに手元の本を読み返してみますと、
<この時、草原から鹿が現れて死に、鹿の耳から百舌鳥が飛び立った。それでこの地を「百舌鳥耳原」と名付けた> と書いてありました。

お礼日時:2012/03/15 19:45

墓を『死者を埋葬して、追善し菩提をともらう(死者の冥福を祈って供養する)』ところと考えると、後継者や遺族が造営するのが当然のように思います。


 
しかしながら、古墳を造った当時はどう考えていたのでしょう。
 
古墳時代は3世紀半ば過ぎから7世紀末頃までの約400年間を指すことが多く。古墳時代と大和時代はほぼ同時期で、推古朝以降の古墳時代後期末葉以降から終末期の時期は、広義の飛鳥時代に所属する。中でも3世紀半ば過ぎから6世紀末までは、前方後円墳が北は東北地方から南は九州地方の南部まで造り続けられた時代であり、前方後円墳の時代と呼ばれる古墳が造られます。特に5世紀では、各地に巨大古墳が出現するようになり、副葬品に、馬具・甲冑・刀などの軍事的なものが多くなったそうです。
これって、死後も権力や勢力、パワー、軍事力を保持し続ける気持ちを持っていたのではないでしょうか。エジプトや中国でも、権力者はその勢力をもって(この世ではない、別世界で)権力・勢力を振るう気持ちを持っていて、そのための準備を自分が元気な時から、現世での勢力拡大と、やがて冥府で活躍するための体制整備(=墓の造営)をやったのではないでしょうか。
規模やレベルは比べものになりませんが、始皇帝陵の造営と同じように考えても良いのではないでしょうか。
http://www.excite.co.jp/News/china/20090105/Reco …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6%E5%A7%8B% …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

EXCITE ニュース「秦の始皇帝陵に眠る地下宮殿」
これは全く知りませんでしたので夢中で読みました。
面白いサイトを教えて下さってありがとうございました。

>やがて冥府で活躍するための体制整備(=墓の造営)をやったのではないでしょうか。

私もそのように思って質問しました。

お礼日時:2012/03/15 19:41

一般的には「生前から作り始める」とされています。


「古墳」は単なる墓ではなく、権威の象徴でもあり、権力移譲の舞台でもあったと考えられています。
日本書紀や中国の文献では生前から作っているという記述がみられます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
日本書紀には、生前から作っているという記述があるのですね。
どの「巻」にあるのか、ご存知でしたら教えていただけませんか。
どのような内容なのか、自分の目で確かめたいと思います。

お礼日時:2012/03/14 20:49

無い物ねだりです。

誰にも答えられない質問です。古墳時代には日本には文字がありません。すなわち当時の様子を記した文書など一切存在しないのです。
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