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今の小学校ではあるのかないのかなんていうのかわからないのですが、
私が小学生の頃、「道徳」という時間がありました。
その教科書にのってた話で、授業では飛ばされ先生にも聞きそびれたのでずっと気になってた質問です。
(当時は自動改札もなかったし、野球帽をかぶるのが当たり前という古きよき昭和時代…。)


小学6年生の男の子が主人公。
彼は大柄だったのでよく中学生に間違えられた。
あるとき、初めてひとりで電車に乗ったら改札で駅員さんに
「君は中学生ではないのかね?小人用でなく大人用の切符を買いなさい。」と言われた。
「いえ、小学生です。ほら、この帽子の内側に6年○組と書いてあるでしょう?」と少年は野球帽を脱いで見せた。
駅員「そんなものは証明にならないね。」
立ち尽くす少年。
いぶかしげに彼を見、次々と通り過ぎていく人々。

少年はこのとき、どうすればよかったと思いますか?


という問題です。記憶に頼って書いてるので少々違うかもしれませんが。
それで、正解はなんだったかが知りたいのです。
上記の話を読んで授業でやったことがある人がいることを祈ります。
(ああ、0件のまま削除されるかも…。)

A 回答 (2件)

 中学校で教員をしています。

せっかく質問されているので、私が回答しましょう。それで、「正解はなんだったかが知りたいのです」ということですが、そもそも道徳に「正解」はありません。このケースだと、いかようにも考えられます。

 たとえば、「『じゃあ、どうすれば証明されることになりますか』と駅員に尋ねる」と答えてもいいですし、「『私は○○小学校に通っていて、担任の先生は△△先生です。電話をかけて確かめてください』とお願いする」と答えてもいいと思います。

 この道徳の質問の意図は、反社会的態度をとらず、困難な状況に前向きに対処していこうとする姿勢が求められているように思います。したがって、その範疇であれば、どれもが正解になると思います。few24さんはどのように考えましたか?

この回答への補足

非常によく問題の意図が納得できました。さすがは先生ですね。
私は、といえば「もし自分がその立場になったらどうしたらいいんだぁー。」とパニクってただけでして、「でも中学生になっちゃったから大人料金だからもう関係ないや。」で、深く考えないまま放置してしまってたのでした。(ぜんぜん授業目的に適ってません。)
なるほど「反社会的態度をとらずに」ですか。考えさせられますね。
遅きに失した感はありますが、ご教示が受けられて良かったです。

補足日時:2003/12/25 12:26
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izumokunさんの言うとおりだと思います。

(先生だからもちろんそうですが・・・)

私の記憶でも、道徳に答えは無かったです。みんなであの人のココがいい・ココが悪い、自分ならこうする・こうしてほしい、この人はこうするべきだ。などの話し合いが道徳の授業でした。

だから、当時のfew24 さんが疑問に思って考えた。ということで道徳の授業の目的は果たされていたのではないでしょうか。それにしても疑問が残ったままというのはなんとも気持ちが悪いですね。

izumokunさんの回答で答えがわかってよかったですね。ちなみに私は質問を読んで、「学校・先生」とは思いつきませんでした。回答を読んですごく納得しました。

この回答への補足

そうなんですよ。このエピソードについては授業で取り上げなかったので皆で話し合うこともなく、ただもうわかんない状態だったのです。
何十年来の気持ち悪さが解消されてよかったです。

補足日時:2003/12/25 12:31
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