学校の卒業式では「日の丸」を掲揚し「君が代」を流すことがいつも問題になっていますが、スポーツの表彰式のような場でそれらを使用することは、国内外を問わず問題になったとは寡聞にして聞いたことがありません。
教育の場で問題になるものが、ある意味で教育の一部とも言えるスポーツの場で問題にならないのはなぜなのでしょうか。

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A 回答 (9件)

質問者の方へ


 丁寧なお返事ありがとうございました。再質問をうけましたので、お答えさせていただきます。まず、左翼はそれほど鈍感ではないという質問ですが、私は日本の左派の人達の思想というものを少し研究したことがあるのですが、彼らの議論の中心は「理想の社会主義とは何か」ということが中心でいかに権力を握るか、権力を握って現実の社会をいかに変革するかという視点が欠けているのです。ですから、自分達が権力の側にたった場合のことを考えていない、あるいはかんがえようとしていなかったのです。ここに日本の左翼が権力を握れなかった原因があります。
 偏狭な思想にもかかわらず、なぜ反対派が世論の支持を得ているかということですが、日教組が「教え子を戦場に送るな」と決議した1950年代は憲法改正や徴兵制復活の危険が実際にあり、革新派は保守陣営がすすめる政策に戦前への回帰の危険性を見出し、それを告発すれば、憲法改正を恐れる人々の支持を集めることが出来ました。しかし、1960年代になると保守側も一応憲法の維持を認めるようになり、戦前への回帰への心配はなくなりました。それでも、戦争を経験した世代には保守側への警戒感が残り、彼らの支持を集める事によって「日の丸」「君が代」の運動を惰性的にすすめることができたのです。ただ、戦争を知らない世代が今では多数派となっており、反対運動に対する支持はもうほとんど残っていないと思います。大方の反応は「あんたら何やっているの」といったところじゃないでしょうか。反対運動が世論の支持を得ているというのは過大評価だと思います。
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この回答へのお礼

再度の回答有難うございました。
現代史はあまり詳しく勉強したことがないので、とても勉強になりました。確かに仰るような歴史的な背景があればこそ、私が疑問に思った現状があるのかと思いました。私流に解釈させて頂きますと、教育の現場では歴史的な背景があって問題視されつづけたが、スポーツにはそこまで反映されなかった、とういことですね。
有難うございました。

お礼日時:2001/05/12 02:48

 貴方の信じるものを冒涜するコメントをしてしまったことをお詫びします。


私の主張は大筋御理解頂けたようで、その事をまず御礼申し上げます。
尚、貴方の主張も大筋理解できました。

> それに反対する人たちはその血を正当な方法で洗い流そうとする
> (=日の丸の名誉を回復する)努力をされたのか、ということです。
 日の丸反対派にとっては日の丸の名誉を回復する気はありません。
日の丸を廃することこそが一番(他国民にとっても)解りやすい
過去の清算の一つだと考えるからです。
私も伺いますが、肯定派はその努力を行っているのですか?
それとも、血塗られたままで良いと思われているのか、
あるいは、血塗られていない清い旗だと思われているのか...、
言うまでもなく後者なのでしょうが、アジアの中の日本の立場としては、
自分達だけが「この旗は清く誇らしいものだ」と思っていても仕方ないと思うのです。

> または日の丸に代るものを考えているならそれは何か、その明快な回答を
 否定派の人々は新たな国旗を公募し制定したいと考えています。
しかし、実際には否定派、肯定派よりも、
どちらでもない人達、意見のない人達の方が多いんですよね。
彼らは流されるままに国旗を掲げ国歌を歌います。
ですから、否定派の動きは支持を得られず、
非常に小さなムーブメントで終わってしまいます。
否定派は少数派なんです。

> なぜ過去の清算が他の国々にも必要であるなら、
> 該当する諸外国にもそれをするよう働きかけなかったのでしょうか。
 市民レベルではその様な動きは存在します。
国家レベルではお互いに痛い所なのでどの国も言いづらいでしょうね。
アメリカは厚顔無恥なので自分の汚点を棚に上げて他国を叩きますけど、

> 右翼と同一視されることを恐れて天皇家に対して好意的な発言ができない、
 左派の場合とは逆の意味でもやはり信教の自由が侵されているんですね。
まぁ、左派にも人に迷惑かける馬鹿共(古い大学等を根城にしてる)が居るので、
左派としてもあまり大きな事は言えんのですが...(^^;
ともかく、右左問わず暴力で言論を封殺したり、
自分以外の意見を「くだらない」と切り捨てる乱暴な人達は
今世紀始めのウチに絶滅して欲しいですね。


天皇家民営化論って御存知ですか?(^^;
改憲論の一つで、天皇には公務を退いていただき、
支持者の出資により天皇家を維持していけば良い、と言う主張です。
まぁ、そーゆー考え方もあるって話ですが...。
スタート地点からだいぶ離れてしまったのでそろそろ私の主張は打ち切ります。
長らくお付き合いいただきありがとうございました。
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この回答へのお礼

再度の回答有難うございました。
やはりどうしても考え方の溝は埋め難いものがあるようですが、ご意見は刺激的で興味深く伺いました。

まず「日の丸肯定派」の認識ですが、ある種の人々(太平洋戦争即聖戦派)は、血塗られたなどという認識はまったくないでしょう。そこまで行かない、いわば(私の勝手な命名ですが)日の丸親近感派はサイレント・マジョリティを形成しながら、なにも名誉回復なんてことまでは・・・と考えているのではないかと思います。
私自身は、日の丸は一旦は戦争に利用され、名誉を汚されたと考えています。そしてその名誉の回復もすべきだし、それは政府が公式ルートで世界に貢献する際に、日の丸を掲揚してプレゼンスを示すべきだと考えています。こうした地道な努力こそが、最後に実を結ぶのだと思います。
もちろん、民間団体などが同様な活躍をする際に、日の丸を掲揚することを制限するものではありません。

それと、肯定でも否定でもない人たちの「流されぐあい」ですが、逆にいうとそれだけ心情的に大多数の支持を得ているのではないかと思いました。
こむずかしい理屈や主張(これらはしばしば独善的であります)より、長いこと守られてきた権威に沿いたいと思うのは、ある意味で人間の自然な欲求で、それ自体を責めることはできないのではないかと考えています。

新たな国旗ですが、公募なんかする前に、自分たちはどのような思いを国旗のデザインに託したいのかを明確にすべきではないでしょうか。
旧ソ連の国旗は、ご存知のとおり鎌とハンマーで、労働者の国であることをアピールしていました。星条旗やユニオン・ジャックも、国の成り立ちをシンプルなデザインの中に織りこんでいます。
誰かが良いデザインを考えてくれることを期待する前に、まず自分たちの主張をどのように表現するかを考えてみるべきではないかと思うのですが。

私が今までに知り合った友人や同僚の中に、右翼と見られることでプライドを傷つけられると感じた人が何人かいたので、おそらく世の中にはもっといるんだろうと想像しました。
しかし、左翼的な人への風当たりは、時として白い目で見られるなんてなまやさしいものではないことは理解しています。

天皇家民営化論には、正直言ってぶっとびました。
よくもまあこんなこと思いつく人がいたもんだと。
今の私には心情的に到底受け入れ難い論ですが、発想が非常にユニークであることは認めます。
しかし“常識”のあやうさを思えば、そんな論も300年くらい後にはまじめに論じられているかもしれませんね。

最後に、こちらこそ長いこと有難うございました。
バーチャルな意見交換でしたが、現実に存在する人間相手の議論で面白かったです。

お礼日時:2001/05/17 23:42

 真っ向から論を競えることを感謝します。



> 時の政府が強引にシンボルに祭り上げてしまっただけで、
> 日の丸にしてもいい迷惑だったのではないでしょうか。

 日の丸にとって迷惑ということはないでしょう。
物の性質や意味を定義するのは人間です。
「帝国」の人間達は「血塗られた」意味を日の丸に与えてしまった。
我々がこの意味を拭い去る新たな意味を与えられるなら、
日の丸を掲げ続けることに異議は無いでしょう。(教育現場の人達も)
日の丸を支持する人達は血塗られたまま掲げたがってる様に見受けられます。
私はそんな血生臭い旗はヤダ、戦争と無関係の世代だし。
本当に「迷惑」を受けているのは我々ですよ。
過去の人間がぐずぐずしているから無関係の戦争を未だに背負わされているのですから、

> これらの国々は日本が求められているような
> “過去の清算”をする必要がないのでしょうか。
 もちろんあるでしょう。
それぞれの国に精算を望む人々とそれを良く思わない国粋主義者が存在します。
私は先進国日本の国民として、
「あの国もやってないから俺達もやらなくていいんだ」
と言う悪いところを見習う情けない姿勢でなく、
「あの国がやってるから我々もやろう」
と言う良いところを見習う姿勢を望みます。

> 日本とドイツばかりが槍玉に上がるのは
とのことですが、ドイツは精算を急いだ為にほとんど槍玉には上がりません。
日本は精算どころか未だに一部議員が戦争を肯定する物騒極まりない
幻想を振り回すので、周辺諸国から危険視されています。
槍玉に上がっているのではなく、恐れられているのです。

> いくら天皇家の永遠の繁栄を望んだとしても、
> それは天皇制の復活のようなことを望むこととは
> まったく別問題であるからです。
 貴方は天皇家の永遠の繁栄を望みますか?
私は望みません。天皇家の皆様には
金の無駄なのでさっさと途絶えて欲しいと思ってます。
天皇は憲法で定義される国民の象徴である以前に、道教等で定義される宗教的存在です。

私は、国歌を歌うというのは
祖国日本に対する愛や誇りを表現することでもあると思っています。
その時に、愛情など微塵も感じないある家系の繁栄を願うなんて
馬鹿らしくてやってられません。
私達は国歌を歌いたくないわけじゃないんです。
一刻も早く、歌える国歌に変わることを期待しています。

> 天皇の繁栄をうたっても、政治的になんの影響もない、
しかし、「天皇の繁栄を歌わない」と言う行為には大きな影響があります。
右翼団体の圧力は決して小さなものではありません。
その圧力の影で、たくさんの人々が己のプライドを踏みにじられています。
この国ではまだ、信教の自由が保障されてないんですよ。(現実には)
貴方が歌うことの正統性を信じるならばこそ、
歌わない自由を守ることに協力していただきたいです。
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この回答へのお礼

 考え方にはだいぶ隔たりがあるようですが、真摯に反論下さったことに感謝します。

 しかし、
> 日の丸にとって迷惑ということはないでしょう。
>物の性質や意味を定義するのは人間です。
 これはまじめにレスポンスのし過ぎ。もののたとえです。

 さてその下のくだりですが、私が疑問に思っていたのは、そのような日の丸が“血塗られた”ままの状態であるなら、それに反対する人たちはその血を正当な方法で洗い流そうとする(=日の丸の名誉を回復する)努力をされたのか、ということです。
 日の丸に反対するのも一つの考え方ですが、では国旗というものをどう考えるのか、日本に国旗なんてなくてもいいと考えているのか、または日の丸に代るものを考えているならそれは何か、その明快な回答をいわゆる「日の丸反対派」の方から聞いたことがないのです。
 その一方で、最初の質問に挙げたようなスポーツの場では、何事もなかったように日の丸の掲揚を許している、それが理解できないのです。
 スポーツの場で掲揚される日の丸は、そのときだけ“血塗られて”いないのでしょうか。(Ataliaさんはスポーツの場での掲揚も問題視されていますが、そうでない方が絶対多数であるために掲揚されているわけですから。)

 過去の精算に関しては、
>「あの国がやってるから我々もやろう」
>と言う良いところを見習う姿勢を望みます。
という態度はそのとおりだと思います。
 しかし私の記憶する限り、精算を実行したのはドイツと、戦時中に強制隔離した日系人に補償した米国だけですね。
 なぜ過去の清算が他の国々にも必要であるなら、該当する諸外国にもそれをするよう働きかけなかったのでしょうか。

>ドイツは精算を急いだ為にほとんど槍玉には上がりません。
 槍玉という表現は不適切だったかもしれませんが、ドイツは不当に不利な状況に置かれていると思います。
 以前カナダかどこかの学者が、連合国の収容所で死亡したドイツ人捕虜の数は、ドイツの収容所で死亡した連合国の捕虜の数より多かった、という研究成果を出版して大変な圧力がかかったことが新聞に載っていました。
 ドイツ国内では、連合国の収容所の環境が劣悪だったことも広く知られているが、それを持ち出すとホロコーストを持ち出されて反撃されるので、捕虜の待遇のようなことを客観的に評価したりすることが困難になっている、という話も読んだことがあります。
 槍玉そのものではないにしても、実質的には似たようなものと思いませんか。

 天皇家についても、
>天皇家の皆様には
>金の無駄なのでさっさと途絶えて欲しいと思ってます。
 こんな言い方はあまりに失礼ではありませんか。
 自ら選んでなったわけではありませんし、前にも書きましたように、日本人が今ある日本人であるようになったのには、天皇家の影響が少なからずあったわけですから。
 不愉快になられるかもしれませんが、Ataliaさんが今そのように考えるのも、ご両親、友人やその他周囲の方々という、まぎれもない日本人からの影響なのですしね。
 それに、
>天皇は憲法で定義される国民の象徴である以前に、道教等で定義される宗教的存在です。
という論が正しいとしても、そうしたことをすべて受け入れた上で、どう判断するかの問題ですね。

>私は、国歌を歌うというのは
>祖国日本に対する愛や誇りを表現することでもあると思っています。
>その時に、愛情など微塵も感じないある家系の繁栄を願うなんて
>馬鹿らしくてやってられません。
 そのお気持ちは理解できます。で、
>一刻も早く、歌える国歌に変わることを期待しています。
という期待はいいとして、どんな国歌ならいいと思っていますか。
 というのも、過去には新しい国歌を制定する運動もあったようですが、ことごとく挫折したと聞いているからです。
 まあしかし、現状のままにするにしろ新しいのに取替えるにしろ、一億人以上いる国民のすべてが納得できる国歌なんて、一つにきめるのはまず不可能でしょうけれど。

 最後の一節には全面的に共感しています。
 個人的には、絶滅するなら天皇家より先に右翼の連中にさっさと絶滅して欲しいと思っているのです。Ataliaさんの挙げておられたケースとは逆に、右翼と同一視されることを恐れて天皇家に対して好意的な発言ができない、という方々も潜在的には少なからずいると思うからです。むしろ、国体護持などと大層なことを主張しながら、国民が真に伝統的な精神性を維持発展させていく上で何らの貢献もできないばかりか、暴力団と見分けがつかない行為の繰り返しによって、天皇家の名誉を汚しているのは右翼に他ならないと私は確信しているのです。
 私も君が代に拘泥するつもりはありません。
 しかし繰り返しますが、私自身にとって君が代の歌詞にはなんの政治性もありませんし、そのメロディは私が今までに聞いたことのあるいかなる国歌より荘厳であるため、好き嫌いを越えて敬意を表しています。

お礼日時:2001/05/15 00:42

一番最初に回答した者です。

質問されたのでお答えします。
実は私自身未だにA紙が全国紙として支持を得ている事に疑問をもっていました。ダブルスタンダードを使って平気でいられる記者と、そんな記事を読むことをなんとも思わない読者が大勢いるからこそ成り立っているのでしょう。そういう欺瞞的なA紙の態度に気付いてから、私は他紙購読に変更しましたが、その時のすったもんだを思い出しただけで今でも腹が立ってきます。
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この回答へのお礼

回答有難うございました。
どうでもいいことかもしれませんが、私もwhiteholeさんと同様、かつてはA紙の読者でした。

お礼日時:2001/05/15 00:48

御礼コメント中の疑問にお答えします。



> たまたま作られたときが「帝国」であったというだけの話ではないでしょうか。
仰る通りです。
しかし、国旗というのは国のシンボルです。
「帝国のシンボル」であったものを、
「そのまま」平和を愛する我々の国のシンボルとして掲げるのは、
我々が過去の過ちを過ちとして認めていないと受けとめられる危険性があります。
(実際、公式にはほとんど謝罪していないわけですし)

新憲法まで制定して、全く違う国に生まれ変わったのに、
国歌・国旗の定義は極最近まで(法的には)曖昧なままにされてきました。
(未だに曖昧なままだと言う主張もあります。)
疑問に思われるならば、
国旗と国歌を定義した法律がいつ出来たのか探して見て下さい。
たぶん、このサイトを見ているほとんどの方は、
「日本」の国旗と国歌が定義される前の、
「帝国の遺物」が使用されている時期に生まれた世代のハズです。

> 「むしろスポーツの場で問題にすべきだ」ということですが、
> これが今一つよくわかりません。
スポーツの場は国際的に露出が高いためです。
たとえばオリンピックの表彰式に流れている国歌を聴けば、
多少はその歌詞の意味に対し興味が湧くのではないでしょうか?
(特に日本はメロディが特徴的ですから)
そして、興味を持った人が意味を調べて知ったらどう思うでしょうね?
「日本はまだ帝政だったのか?」と驚くかもしれません。
そう思われる事は民主主義国家の国民にとっては恥ずべき事です。

ルール違反かも知れませんが下のokarinsenpai氏へ、

左派=社会主義、と言うのは幾ら何でも大き過ぎる勘違いではありませんか?
それとも貴方の認識では左派政党は共産党だけなのでしょうか?
私はどちらかと言えば左派だと自負していますが、
左派の中で社会主義が主流だとはとても思えないのですが...。

> 自分達が権力の側にたった場合のことを考えていない
これは左派の私も概ね認めざるをえません。
「左派」は過去・現在よりも「理想的な」未来を作りたいと考えているだけです。
理想主義者は権力など握れません。
権力を得なければ現状を変えれないとしても、
権力を得ることより、現状の問題点を考えるでしょう。
人間は理想だけでは生きていけませんが、理想を追求しないのは人間ではありません。
(私はバランスの問題として右派=与党、左派=野党の構図は仕方ないと思っています。)

> 反対運動が世論の支持を得ているというのは過大評価だと思います。
これも認めます。反対派は少数派です。(現状も、過去も)
少数派だからこそ、往々にして無視され、強制されるのです。
少数派だからこそ、「日教組がやらせているのだ」と言う、
子供の人格権を全く無視した失礼千万な批評がなされるのです。
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この回答へのお礼

非常に丁寧な回答を頂き、有難うございました。
また疑問が生じてきてしまいましたので、お尋ねします。
まず国旗が国家のシンボルであるということですが、それはそのとおりと認めます。しかし「帝国のシンボル」であったというのは、時の政府が強引にシンボルに祭り上げてしまっただけで、日の丸にしてもいい迷惑だったのではないでしょうか。むしろ国家のシンボルであるからこそ、その名誉の回復のために、国家として日の丸の下に良識ある行動を積み重ねて、諸外国の理解を得る、というのがあるべき姿ではないでしょうか。
また“過去の清算”の件にしても、常々疑問に思っていたのですが、イギリス、フランス、イタリア、オランダ、スペイン、ポルトガル、ベルギー、といった国々は、日本がやっと19世紀末に始めたことを、16世紀ころから20世紀後半まで延々と続けてきたわけですが、これらの国々は日本が求められているような“過去の清算”をする必要がないのでしょうか。この問題に関しては、日本とドイツばかりが槍玉に上がるのは、単に戦敗国というだけの理由によるのでしょうか。
最後に君が代の歌詞の問題ですが、頂いた回答とは逆に、私は日本がれっきとした民主国家であるからこそ、あのような歌詞が可能なのではないかと思うのです。以前なにかで、昔は王国というとアフリカに多かったが、今国王はヨーロッパに多い、それはアフリカでは下手に国王がいると本当に国王然として君臨してしまうが、ヨーロッパでは民主主義が国王の暴走を許さないという前提があるからこそ、国王が存在できる、ということを読んだことがあるのです。同じように、君が代の歌詞にしても、あくまで歴史的に政治のみならず文化など国民の精神史の形成に大きな影響を与えた天皇の歴史的な意味に対して、それを尊重するという文脈で解釈すれば、問題の起こる余地は無いものと考えます。いくら天皇家の永遠の繁栄を望んだとしても、それは天皇制の復活のようなことを望むこととはまったく別問題であるからです。現代の日本に民主主義が根付いているからこそ、天皇の繁栄をうたっても、政治的になんの影響もない、それが暗黙の了解になっているのがあるべき姿ではないでしょうか。"God save the Queen"とうたっても、余程偏狭な国家主義者ででもないかぎり、女王陛下の親政を望むものではないことと同じではないでしょうか。

お礼日時:2001/05/12 03:16

某サッカー選手の様に、個人的な信念として国歌を否定されている方も居ますよ。


まぁ、そーゆーものと真っ向から対立してしまうと右翼団体にバッシングされてスポーツどころじゃなくなるから敢えて問題にしないんでしょう。
入学式と違ってグラウンドに立っている選手達が国歌斉唱を強制されているわけではないですからね。
(もしも強制ならプライドの問題として反国歌を明示する関係者は増えると思います。)
教育の場で問題になるのは、戦後の惰性で法的に充分定義されていない旧帝国の遺物を「強要」することは非教育的であるという(日教組であるか否かに関わらない)良識ある教育者達の教育の結果だと思います。

教育の場よりもスポーツの場の方が国際的な露出が高いので、むしろスポーツの場で問題にすべきだとは思います。
(あんな歌詞では他国の人に対し誇ることが出来ませんから)

最初の方の仰る某A新聞の話はごもっとも(私も購読者ですが)

国旗が否定的評価を受けるのは、この国旗の元で行われた行為を、
この国旗の元に清算していないからだと私は思います。
もしもこの国旗の元に過去の清算が行われたならば、
教育現場の人間も胸を張って国旗を掲揚できるでしょうし、
アジア各国の人々もこの国旗に対する憎悪が和らぐのでは?
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この回答へのお礼

回答有難うございました。
スポーツ選手についての解釈は現実的で納得できました。
ただやはり教育に関する部分では疑問が残りました。
「旧帝国の遺物」ということですが、日の丸が戦争遂行のために作られたものであればその解釈も無理がないかと思いましたが、たまたま作られたときが「帝国」であったというだけの話ではないでしょうか。現実には、国家と国民の統合の象徴が戦争に利用された、ということではないかと思いますが、いかがでしょうか。
それと「むしろスポーツの場で問題にすべきだ」ということですが、これが今一つよくわかりません。

お礼日時:2001/05/11 23:25

スポーツの大会で日の丸が問題になったことはあります。

沖縄県で国体が開かれた時に、地元の人が日の丸を引きずり降ろしてしまったことがあります。しかし、私もこれ以外にスポーツの場で「日の丸」「君が代」が問題になったという話はききません。なぜ、このような違いが生まれるのか、私もはっきりしたことは言えませんが、左翼の方々とは少しお話ししたりしたことはあるので、その時の印象から類推すると、おそらく、反対する人達にはスポーツが国民を教化する大きな役割を持っているということまで頭がまわっていないのではないかと思います。えてして、左翼あるいは反体制を気取っておられる方々は視野が狭い人達が多いようです。「日の丸」「君が代」に反対しておられる人達の頭の中では、「日の丸」「君が代」=入学・卒業式となっていて、それ以外の場でも反対していくという発想がないのでしょう。また、そういった人達は抵抗することに意義を感じる人が多く、入学・卒業式のシーズンになるとまるで年中行事のように反対せねばと惰性的に抵抗するパフォーマンスを見せているようにも思えます。本当に「日の丸」「君が代」に反対するなら代替案を出せば良いのですが、彼らがそんな提案を行ったとはついぞ聞いたことがありません。なお、社民党は村山内閣以後、「日の丸」を国旗、「君が代」を国歌として認め、それに反対する人に無理強いすることのみに反対しています。
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この回答へのお礼

回答有難うございました。
非常に説得力のある回答と思いましたが、また疑問が出てきました。
挙げておられた団体が、「スポーツが国民を教化する大きな役割を持っているということまで頭がまわっていないのではないか」ということには「?」と思いました。といのも、件の団体が当局側の立場に立った際には、必ず直面する問題であるので、いくらなんでもそれに気がつかないほど鈍感ではないだろう、ということです。当局側に立ったときに合理的な解釈ができるような理論武装くらいは、在野勢力であるうちからしていなければおかしいだろう、と思うのです。
また、入学・卒業シーズン以外場でも反対していくという発想がない、という点でも、もしそんな偏狭な発想しか持ち合わせていなければ、国民的な支持を失ってしまうことは明らかなはずなのに、実際にそれを続け、それを続けることが許されている(=多くの人たちからの支持を受けている)、というのが現実のような気がします。
この点についてはどうでしょうか。

お礼日時:2001/05/11 23:11

それは、日本教職員組合(日教組)が「社民党」を支持しているからです。


先生が悪いとは言いませんが、「日の丸」や「君が代」を使うことは、戦時中の日本ではないか!ということらしいです。
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この回答へのお礼

回答有難うございました。
また疑問が沸いてきました。
そもそも「社民党」がどういう発想なのか、ということもあります。(党に直接聞いた方がいいかな?)
それと、最初の質問とずれてしまうのですが、イギリスやフランスなど、世界中を荒しまわっていた頃(荒された国とはいわば戦争状態でしたよね)と同じ国旗をいまだに使っていますが、tooffさんの挙げていた団体の発想でイギリスやフランスの発想を解釈すると、どういうことになるのでしょうか。
彼らは戦争に負けたわけでも戦争裁判で負けたわけでもないから、国旗を変えたり否定したりする必要なんて夢にも考えない-ということなのでしょうか。

お礼日時:2001/05/11 22:58

それは国旗・国歌に反対する勢力が、自分に都合の良い部分だけつまみ食いしているからです。

全国紙の某A新聞などは高校野球を教育効果の高いイベントとして後援していますが、もし普段の主張を押し通すのであれば、甲子園球場に掲げられている国旗に真っ先に反対すべきですよね。
ダブルスタンダードというのがマスコミにとって恥ずかしいものだという認識がないように思われます。
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この回答へのお礼

回答有難うございました。
非常にわかりやすい回答と思いましたが、またちょっと疑問が起こりました。
マスコミがダブルスタンダードを使っているということでA紙を例に挙げておられますが、もしそうであるとするとこの新聞は信用を失って読者が減り、また良識ある記者が流出して新聞として成り立たなくなり、という事態に陥ってしまうのではないか、と思いました。つまるところ、ダブルスタンダードを使って平気でいられる記者と、そんな記事を読むことをなんとも思わない読者しかいなくなってしまうと思うのですが。現実としてA紙は全国紙として成り立っているので、それだけでは説明がつかないような気がするのですが、いかがでしょうか。

お礼日時:2001/05/11 22:45

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