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「富」と「冨」の使い方に混乱が見られます
当用漢字では「富」ですが実際には古くから「冨」はあり
特に中世史 古代史の解明には「冨」は不可欠です
古代史に『意冨比垝』等があります たとえば富士山も古くは冨士山であったように思えます 江戸三冨(えどさんどめ)などの使い方もありました 地名 苗字にも多くの『冨』があります 高校の漢文の教科書にも『富』『冨』両方の記憶があります
何となく 『冨』は富を欲ばらない柔らかい匂いがして好きなのですが どなたか明快な区別と同一 歴史をお分かりになりますか

A 回答 (3件)

篆書、隷書にもどちらとも取れる字形がありますのでかなり早い時期からあったと言えるのでは。


隷書にははっきり冖に見えるのがあります。
http://sf.zdic.net/shufa/0610/4b804ec4f1b2245405 …
字統には金文の字形として上のリンクの篆書の右(呉大澄)と同様の字形があげられていますのでそれによるならば紀元前221年以前ということになりそうです。
康煕字典にはどちらもあるようです。(富を正字としている)
http://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE5Zdic86ZdicA8.htm
http://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE5ZdicAFZdic8C.htm

字統では「畐」と元は同じ字(酒樽の形の象形)としていて、福と意味が近いとしています。「畐」と同じとするならば冨という楷書体の字形にも充分合理性があると私は思いました。

宀と冖をもつ字を調べてみると、やはり区別がはっきりしていない場合も多く「冗」などは正字は宀と字統ではなっていました。
http://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE5ZdicAEZdic82.htm
写の旧字体「寫」は宀で、寫の略字体を元に現用字体を作った時に冖になってしまっています。古い例を見るとかなり以前からどちらもあるのではないかと思いますが篆隷には宀だけです。
http://sf.zdic.net/shufa/0917/d0b4255ef0441353bc …
これを字統では廟で履を履き替えるのに由来するからだとしています。
冤罪の「寃」の字もどちらの字形もある字です。
http://sf.zdic.net/shufa/0919/9afb7555196afef1f7 …
字統は本来「冖」で網をかけられた兎が屈んでいるとしています。

本来の区別を言うなら、
冖は音はベキ    布幕の端が下垂した形から「上から覆う」意味。
宀は音はベン・メン、 屋根が左右に垂れている形から廟屋が原義、建物に関わる意味。

富は財物を貯めている建物とも、酒を醸している蔵とも、神にお祀りしている酒とも解釈できますし、冨は酒を醸している→たくわえて豊かなものを創るとも解釈できます。
http://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE7ZdicA6Zdic8F.htm

形の印象として冨の字体が好きというのは尊重いたしたいのですが、字体の違いで意味が違うとまでは言えないのではないかと私は思います。
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ANo.2です。

追加です。

日本で「富」が正字と思われている背景(当用漢字の字体となった背景)としては、康煕字典が「富」を正字としているから、ということは外せないと思います。
康煕字典をどう解釈すべきかはいろいろ考えがあると思いますが、清の皇帝が作らせた官製であることから、たくさんある漢字を整理して統一的に登録した物、漢字のオリジナルの国が基準として定めた物、というような解釈が日本でされたことは事実であろうと思われます。
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どちらも同じ漢字です。

読みも意味も全く同じで何の違いもない。昔は漢和辞典もコンピュータもワープロも印刷も出版も活字も新聞も何も無いのです。原本を借りて手書きで書き写して写本を作る。その写本を借りて同じように写本を作る。こういう仕組みで漢字が広まった訳で、途中で転記ミスをしても気づかないまま、いつの間にか微妙に字体が異なる文字が生まれてしまう。もっとも転記ミスに気づいたところでどうしようもないのです。筆で巻物などに書き写した草書体ですから。その苦労が想像つきますかね。
漢字には2種類あります。万葉仮名のように、音声言語のやまとことばが先に存在し、そのやまとことばを表現する為に当て字のように漢字を割り当てたといった使われ方をした文字と、そうではなくて経典や四書五経のように先に文書が存在して、後でそれを読むために読みを割り当てた文字の2種類です。
漢字の歴史は現代人の想像力をはるかに超えています。使い方に混乱があるわけではないのです。同じ文字が複数の字体を持って長い歴史を生き抜いて、今となってはどちらが正しくてどちらが間違いともいえなくて、どちらにも統一できなくなっているというだけです。

「富」は当用漢字に採択された字体で、「冨」は当用漢字に採択されなかった字体です。つまり戦後になって「富」の方が正式の字体だと一応は定められたといったことなのです。しかし一応は定めたといったところで何も強制力はないんです。違う字体を使ったから罰金を取るとか、刑務所にぶち込むといったことが行われたわけでもないのです。実際、「冨」は人名・地名に使われて生き残っていました。そこで「冨」は別枠で人名用漢字として採用されたのです。

そういう現代人の都合で「富」は2つの字体に整理されたともいえます。その流れでパソコンも2つの文字の文字コードがあって、2つのフォントが登録されて、IMEなどの辞書にも別々な文字として収録されている。しかし元々は同じ読み、同じ意味の文字だったのです。

古代史に『意冨比垝』等がありますというけど、古代の文字は、現代のパソコンに登録されているフォントを見ながら文字を書いたり彫ったりしたわけではない。いうまでもないことだが。古代においては「富」と「冨」を使い分けていたわけではないのです。

金錯銘鉄剣
http://members.jcom.home.ne.jp/okamoto.n/machi/s …

こういうアナログの字体をデジタルの字体に読み解き、活字で表現しようとする現代人が「意富比垝」と「意冨比垝」と2通りで表現してしまっている。当用漢字に採択された字体だから「意富比垝」が正しいと考える人と、「意富比垝」は人名だから、人名用漢字の「意冨比垝」が正しいと考える人の2種類存在することになってしまったわけです。

といった具合に非常に話はややこしくて複雑怪奇なので、混乱するのは当たり前の話です。

これで回答になっているのかしらと思いつつ、いったん筆を置きます。
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