「一気に最後まで読んだ」本、教えて下さい!

鎌倉・室町、江戸時代の天皇は権力がなく、室町時代や戦国時代は食べるものに困るほど貧窮した暮らしをしていたと思うですが、その時代には天皇の権威はあったのでしょうか?
あったとすれば、それは祭司王としての権威でしょうか?過去に作られた神話をもとにした権威でしょうか?古代の神(同時に鬼としても)信仰があったのでしょうか?ピースメーカーとして機能していたの?
権威があったのならあの時代、貧窮しなかっただろうし、江戸時代も皇位継承を幕府に握られるようなことはなかったと思うのですが。。。
そこらへんを詳しく解説していただけると助かります。

A 回答 (8件)

<参考>


 日本史において、『中世~近世の天皇が、いかなる存在であったか』は、相当重要なテーマでありながら、過去の歴史家に見過ごされてきました。

 最近になって、この点を独自に掘り下げて、続けて論文・著書を発行し、この問題についての歴史的第一人者とみなされているのが、今谷明氏です。
 以下の著書を参考にお読みになればどうでしょうか。

『天皇家はなぜ続いたか 対談集』(新人物往来社 1991.12)
『日本国王と土民』集英社版日本の歴史、1992年)
『戦国大名と天皇 室町幕府の解体と王権の逆襲』(福武書店、1992年/講談社学術文庫、2001年)
『信長と天皇―中世的権威に挑む覇王』講談社現代新書、1992年/学術文庫、2002年)
『武家と天皇―王権をめぐる相剋』岩波新書、1993年)
『天皇と天下人』(新人物往来社、1993年)
『象徴天皇の発見』文春新書、1999年)
『象徴天皇の源流 権威と権力を分離した日本的王制』(新人物往来社、2011年)

 今谷氏は、女性宮家創設の是非について、日本政府から公式に意見を聞かれたりもしています。
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吾妻鏡では、武将が天皇に楯突く事に悩み相談をしたそうです。



天皇を見たら、刀を投げ捨て弓の弦を切れ。
居なければ最後の最後まで戦え。

承久の乱は後鳥羽「上皇」が起こした物であったのでたちまち撃破されます。



根拠に乏しい水掛け論になるので黙っていた方が特を得るのですが、



>室町時代や戦国時代は食べるものに困るほど貧窮した暮らしをしていたと思うですが、

応仁の乱で京都は焼け野原になり、各地の天皇の御領も大名が奪い始めました。
天皇の遺体は1ヶ月間放置されたらしいです。

信長は天皇に7千石の領地を献上します。
江戸時代になると3万石が天皇に献上されます。


>江戸時代も皇位継承を幕府に握られるようなことはなかったと思うのですが

譲位(天皇が位を譲る)と莫大な資金が必要になります。
その他の行事も3万石ではとても足りないのです。

徳川幕府はその資金の面倒見た(足元を見た)のです。
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回答は、天皇は飾り未満です。


いてもいなくても変わらないのなら存在しないほうが世の為人の為。

あの時代、平家、源氏に正統皇位継承権があった訳です。
在日嘘吐き自称天皇なんて不要。

ちなみに正統第一位皇位継承権利でしたら、私に「も」ありますんで宜しくです。
なお、一般人しています。

東京都に住んでいる在日には、皇位継承権利は「無い」ので間違えないで欲しい。
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もうちょっと勉強すべき人々が多いですけど、日本の天皇制は明治までは中途半端な地位でした。


清盛以前は直接統治で天皇、上皇、高位の貴族が政権を争っていました。
清盛あたりに漸く武士の力が強くなり、次第に天皇と高位貴族との政権争いに移り、やがて鎌倉幕府から天皇と武士との関係になり、天皇は象徴天皇へと代わっていきます。

明治に敷かれた天皇制は英国を参考した立憲君主制で、「君臨すれども統治せず」が基本で、直接政治に関与するのは明治維新の東京遷都(これは薩長に脅されて騒乱を回避するために発せられた)と第二次大戦の玉音放送のみです。

権威とか支配という言葉を絶対君主制や独裁権としか理解できない人々には、権威が無いとか全てを天皇の所為にするような発言をしますけど、これは日本の仕組みを理解して居ない(つまり英国やカナダ、王国のことも理解できていない)という事です。
日本は天皇制が出来て以来、天皇を奉ることに終始してきたのであって、だからこそ贋作であっても薩長軍の掲げた御旗に逆らうことをしなかったのです。
つまり日本や英国などの君主制は「君臨すれども統治せず」を守ることであり、その権威は冒すべからざるものなのです。
徳川幕府以前、それまでも武士は時折自分の権威を誇るために天皇制に干渉してきました。そのつど国政は大きく乱れています。結果的に徳川が支持を失ったのも天皇を軽んじたためですが、中枢以外の武士には尊皇意識は残りました。
つまり明治維新は尊皇主義で無い者(皇室を利用しようとしたもの)が尊皇を主張し、尊皇の武士を敗北させたのです。

そして今、再び天皇を政争の具にしようとする輩が暗躍し始めています。その結果日本は国土を滅ぼそうとしているわけです。
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寛政の改革を主導した松平定信は大政委任論を唱えました。

11代征夷大将軍徳川 家斉の時代である。大政委任論とは幕府が預かる統治権は天皇から委任されたものだという政権の正当性を主張した理論です。それは徳川 家斉に将軍としての自覚を持たせようという狙いもあったのでしょうが、衰えつつある幕府の権威を、朝廷の権威を借りて、もう一度復興させようという考えがあったからなのです。もし天皇に権威が無かったら、大政委任論は何の意味を持つことができるでしょうか。徳川幕府は、神君家康公の威光によって権威を保ってきましたが、さすがに150年も経つと賞味期限切れになっていたということが背景にあります。17世紀の水戸光圀の時代までは、徳川の印籠を振りかざせば、庶民はははーと地べたにはいつくばった。しかし、11代征夷大将軍徳川 家斉の時代はもうそうではない。徳川の印籠には、もう効力が残っていない。権威とは、そういうものなのである。恐れを知らぬ現代日本人には権威という概念が何かを理解している人は少ない。中世ヨーロッパではローマ教皇が権威の根源であった。ローマ教皇から戴冠を授かれば、どんな馬鹿でも王様になれた。ローマ教皇が聖地を奪回せよと号令を発すれば、十字軍と称して、有象無象の軍勢が故郷を後にした。ローマ教皇自身は軍隊を保持していない。私兵を抱えてもいない。しかしローマ教皇が黒を白といえば、人々は皆それを信じた。それが権威ということなのだ。

南北朝とはなにか。建武の新政を裏切った足利尊氏が征夷大将軍に就任する為に北朝の光明天皇を擁立した。後醍醐天皇が征夷大将軍に任命してくれないなら、新しい別な天皇に任命してもらえばよいという発想なのだ。しかし後醍醐天皇は光明天皇への譲位を認めなかった。それが南北朝なのだ。現代人には、天皇から任命されないなら、自分で勝手に征夷大将軍を自称すれば良いではないかと考える人もいるかも知れない。しかし、それでは駄目なのだ。朝敵となってしまえば、全国の武士を敵に回してしまう。そうなれば、鎌倉幕府の執権を務めた北条氏のように討たれてしまう。

さらに時代をさかのぼれば、奢る平家が没落したのも、以仁王が源氏に平家を討てと激を飛ばしたことが発端なのだ。以仁王の令旨がなかりせば、源頼朝も世に出ることがなく鎌倉幕府を開けなかったに違いない。

ここまで説明すれば権威とは何か分かってもらえると思うのだが、どうだろうか。
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その時代に限らず 天皇には元々権威などありません



朝廷の権威 とよくいいますが それはイコール天皇個人の権威ではなく 公家や高官の貴族を含めたものの権威です
天皇の実権は古代から 豪族や貴族 摂関家に握られていました

鎌倉から江戸にも当然 実権を握るものが朝廷にはいました

戦国で有名なのは 山科言継 菊亭晴季 近衛前久です

権威がなかったから困窮したわけではなく 単にお金がなかっただけの様です

実際 正親町帝が崩御した時 埋葬する資金がなく3ヶ月も放置されていました
見かねた織田信長が禁裏と御所の修繕費用と天皇の埋葬費を負担しました
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 これはかなりオモシロイ問題ですので、少々お時間をいただいてよろしいのならば「学説」と「典拠」を具体的にお話しさせていただきますが………。

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鎌倉から南北朝を経てのあたりは、時の権力者とよせばいいのに変に権力欲を持っちゃった天皇との間で権力闘争が起きていますが、戦国時代はもう実力(武力)がないので汲々としていて、江戸時代になったら形式上は徳川幕府の上司にあたるわけですが、公家諸法度で天皇の直属の部下である公家の権力がことごとく奪われていましたから、幕末になるまでは細々と暮らしていた、といえるでしょう。


ただし、形式上は幕府は朝廷(天皇)に任命されているという手前があるため、幕府からはそれなりの待遇は与えられてはいました。

戦国時代や江戸時代は実際の権威はほぼないといってもいいほどですが、権威があるということにしておいて存在しているというチトややこしい状態ではあります。

あるんだかないんだかちょっと分からないと思いますが、例えば現代の日本の原発も、実際に大地震や災害にあったら十分な安全対策がされているとはいえないのに、一応安全であるという名目になって存続し続けているわけですよね。この、「実際は安全じゃないのに安全ということにしておく」のと、「権威はないのに権威があることにしておく」のはその精神において、特に日本人同士には通じるけど海外にはまったく通じないという点においても同じものではないかと思います。
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