浄土教は仏教と言えるのか?ということは誰もが一度は頭に浮かぶ疑問だと思うのですけど、ここで知識をお借りしたいと思います。
やはり釈尊が説いた元祖仏教とは異質な物であることは否めないと思うのですが、私自身が釈尊が好き、法然・親鸞が好きですので、どうしても浄土教は仏教であって欲しいと思っています。
加えて、少し前に読んだ本に「浄土教はキリスト教と似ている」という文言があったのでショックを受けてしまいました(仏教は非科学的な聖書に頼らず合理的であるという点でキリスト教に優越していると思い、誇りに思っていたので)。
そこで、釈尊の元祖仏教と浄土教との間にこういう思想的・行動的共通点があるよというような例がありましたら教えていただきたいと思います。
文献的・学問的な面からの具体的共通点が欲しいと思っていますので、「救われるならいいじゃないか」くらいの回答は申し訳ありませんが御遠慮ください。
よろしくお願い致します。
No.5
- 回答日時:
仏教か、仏教でないかは、指差している所がどこかで決まります。
仮にパーリ聖典や阿含経を学び、用いている教団があったとしても、釈迦世尊と全く同じ所を指差し、導こうとしていないなら、それは仏教教団とは言えません。しかし、釈迦世尊と何らかの形で縁があり、同じ所を指差し、導く事が出来るなら、経典の言葉を全く用いなくても、それは立派に仏教です。
文献的・学問的な面からの具体的共通点を求めれば、親鸞、法然には失望せざるを得ないと思います。でも、彼らは彼らなりのオリジナルな方法で、釈迦世尊と全く同じ所を指差しています。
分け登る ふもとの道は 多けれど
同じ高嶺の 月をこそ見れ
これは一休宗純禅師の道歌ですが、仏教というものを見事に表現しており、親鸞が歎異抄で「法然上人にだまされ、地獄に落ちても構わない」と言い切った理由と答えも、ここにあります。
要するに、どの道行きが正しいか、誰の教えが正しいのかという事より、釈迦世尊と全く同じ所を指差しているか、その道に心があるか、その道を歩む事に悔いは無いかが大切だという事です。
残念ながら、浄土教が仏教である「証拠」は出せませんけど、こんな話もあるという事で・・・。
一休禅師が、おそらくは釈迦仏教に極めて近いであろう禅で大悟してからは親鸞思想に共鳴し、改宗まで考えたほどという事実は私にとってとても勇気付けられるエピソードです。
「襟巻の温かそうな黒坊主 こやつが法は天下一なり」と親鸞聖人のことを詠んだ一休禅師の歌がありますね。
No.4
- 回答日時:
こんばんは。
文字どおりの教理に従う場合には それとしての――正式のと言いましょうか――学的見解が出されるものと思います。
ただ 何が問題か 何を問題とするのか といった観点からきわめて飛躍もした議論によることができるとすれば そうだとすれば 問題は
○ 如来蔵・仏性・自性清浄心
をめぐってではないかと考えます。これらを ゴータマ・ブッダが説いたかどうかです。
細かい話を端折りますが もし文字どおりには説いていなくても 実質的な内容として説いたと言えるようでしたら いかに他力本願という看板をかかげていても 浄土系のオシエも ブディズムであると見るべきだと考えます。
言いかえると 自性清浄心を実際に自己表現するその方法に 自力と他力とのふたつの方法がある。こう考えられて来るからです。
自力は 無神論という信仰のもとに経験的な行為として努力することによって目指す境地に到るというかたちを取っており 他力は 有神論としての信仰のもとにすでに仏性の元に帰依しつつやはり経験的な行為をおこなう。こういう違いにしか過ぎないと考えられるとしたら 同じブディズムであると見なされるのではないでしょうか?
けれどもブディズムは マハーヤーナーもテーラワーダも みなけっきょくゴータマだけのオシエではなく言ってみれば合作なのではないでしょうか?
うれしいお答えをありがとうございます。
>こういう違いにしか過ぎないと考えられるとしたら 同じブディズムであると見なされるのではないでしょうか?
この部分には非常に勇気付けられました。
No.3
- 回答日時:
初めまして。
そして、こんばんはです。☆☆☆
~~~~~~~~~
加えて、少し前に読んだ本に「浄土教はキリスト教と似ている」という文言があったのでショックを受けてしまいました。
~~~~~~~~~
仏教学者・岩本裕のさらに衝撃的な記述をご紹介します。
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さらに、従来問題としてきた阿弥陀如来に関して、他力本願の思想は明らかにキリスト教の影響があると考えられる。他力本願とは前に述べたように、一切の衆生が阿弥陀佛の本願の力によって救われることを意味し、ここに佛の本願とはキリスト教の恩寵説における「神の恩寵的な恩寵」と同一思想である。すでに本書でも述べたように、佛教の本質は自力であり、大乗佛教の成佛思想も自力を基礎としている。それにもかかわらず、阿弥陀佛に関してのみ他力本願の説かれる理由は、佛教の内部では説明がつかない。キリスト教はすでに西暦2世紀にはインドの西北辺に達していたのであり、その後の数世紀にわたって佛教とキリスト教の交流はパルティア王国を中心に行われていたのであって、キリスト教の外典における佛教の影響は実に大きい。
このように考えると、浄土教というものは、インドに古くからある楽土思想とキリスト教の影響による他力本願思想とを、特別な風味のある大乗佛教で混ぜ合わせ、さらに大乗佛教の中に大きく展開していた光明思想をその上にかけたものといえよう。
(岩本裕 『仏教入門』 中公新書)
===========
似ているもなにも。。。。
阿弥陀信仰・浄土信仰はキリスト教の。。。。
阿弥陀浄土・極楽浄土が西にある理由も説明がついてしまう。。。。
このほかにも
阿弥陀如来の起源をゾロアスター教の光明の神アフラ・マズダーとする学説などもあります。
阿弥陀仏は別名・無量光仏。しかし、インドには、本来、神仏を光で表現するという発想がない。この発想はゾロアスター教から得たのであろう。そして、阿弥陀仏はペルシア・ゾロアスター教の光明の神アフラー・マズダーが仏教に取り入れられたのであろう。。。
なんていうのもあります。
キリスト教の聖人、頭の上に天使の輪、光の輪みたいのがついているでしょ。あれ、ゾロアスター教の影響なんですよ。ガンダーラで最初期に製作された仏像、光背を持っていないんですよ。なのに、光背を背負うようになった。おそらく、ゾロアスター教の影響であろうと言われているんです。仏教美術的にも、直接的にではないかも知れないが、阿弥陀仏にゾロアスター教の何らかの影響があったことが裏づけられてしまうですよね。。。。
☆☆☆
~~~~~~
そこで、釈尊の元祖仏教と浄土教との間にこういう思想的・行動的共通点があるよというような例がありましたら教えていただきたいと思います。
文献的・学問的な面からの具体的共通点が欲しいと思っています
~~~~~~
自力原則の仏教の論理から、阿弥陀・浄土信仰を導き出すのは、難しいんですよ。できないことはないのですが…。かなり苦しい論理になってしまいます。
そのキーワードは、廻向(えこう)、つまり、自分の福徳や善行の功徳を他者に振り向けるという考え方です。
阿弥陀仏(法蔵菩薩)の功徳を念仏者に振り向け、それで、極楽往生が可能になるというわけです。
この廻向の思想の起源は、パーリ語仏典にまでたどれるので、まぁ、ゴータマ・ブッダの教えといえないことはないのですが、すこし違うんですよね、オリジナルの考え方と。オリジナルの考え方は、自らの福徳・功徳を質的に変換し、自らのために使うというものなので。。。。
それに、このパーリ語仏典、ゴータマ・ブッダ滅後、かなり時間が経過した後に作成されたものなので。。。。
パーリ語仏典に出てくる《過去七仏》。。。。
この娑婆世界にはゴータマ・ブッダを含めて過去に七仏がいた。そして、未来仏として弥勒仏がいる。。。。
ならば、娑婆世界の他の世界にも、仏がいても不思議はない。。。。
あればだが。。。。
パーリ語仏典に娑婆世界以外に世界があると書いてあるのがあるのかなぁ~。。。。
あるなんて話を聞いたことがない。。。。
さらに都合が悪いことに、
親鸞の思想形成に最も影響を与えたとされる、『大無量寿経』で有名な三毒五悪段、サンスクリット原典にないんです。おそらく、中国で製作された《偽経》の可能性が。。。。
はっきり言って、僕には、無理です。
すいません、ご期待にそえなくて。
ゾロアスター教のことは知っていました。ただ、仏教で説く『法界』を擬人化するのにヤハウェやアフラマズダの概念が便利だからそれにヒントを得て阿弥陀仏にしたという解釈なら私も受け入れることができます。
キリスト教の神はイエスではなくヤハウェ、イスラム教の神はムハンマドではなくアラー。仏教の神(という言い方は不適切なので『帰依対象』とでも言い換えます)は釈迦でなく〇〇…としたら、その〇〇はおそらく法界、悟りの世界であって、ヤハウェのようにパーソナリティーを持った神格ではない。(余談ですが、そのため一部の宗派が浄土教を非難する時に「釈迦如来を礼拝しない」ということを理由にするのはとんちんかんであると考えます。祖師礼拝が宗教ではないでしょう。)
でも後の仏教徒が礼拝対象としてパーソナリティーが欲しくなり、法界というものを擬人化する試みの時に、かつて話に聞いたヤハウェやアフラマズダを参考にしてみた結果が阿弥陀仏。
……とこのように私は解釈しています。
No.2
- 回答日時:
観相念仏は釈迦仏教にあったんですか?
瞑想修行はあったに違いないと思いますが、仏・如来という存在を意識しての瞑想は行われていたのでしょうか?
○「観無量寿経」というのは釈尊の時代の実話に基づいたお経です。
釈尊晩年に起きた、悲劇がもとですね。仏弟子のダイバダッタがマガダ国の太子のアジャセと組んで国王のビンビサラ王を幽閉し、殺そうとするのですね。それを知った王妃のイダイケ夫人が牢屋にひそかに差し入れに行き、そこで悲しんで釈尊に助けを求めるのですね。その時、釈尊が現れ、このとき釈尊は霊鷲山にいたのですが、霊的にイダイケ夫人の前に現れたということなのです。そこでイダイケ夫人が望む浄土に生まれる方法などを説くのですね。「ちなみにダイバダッタはアジャセと組んで釈迦教団を乗っ取ろうとしていたのですね。ビンビサラ王は自殺し、アジャセは王となりますが後に改心して釈尊の弟子になるのは有名な話です。」
この話から推察できるように、イダイケ夫人は釈尊のイメージを描き、助けを求めているのですね。それにこたえて釈尊が霊的に来て説法しているのですね。これは、イダイケ夫人が釈尊に帰依した在家だったからですね。
つまり、釈迦如来に帰依した僧、在家は、釈迦如来のイメージを描き、教えを乞うたのですね。あるいは釈尊の指し示す浄土のイメージを描いて、そこに住する瞑想をし、日々そのような自分になるように修行したのですね。これが観相念仏の始まりですね。
念仏とはいっても鎌倉の念仏とは全く違うものですね。
その事件の記述は涅槃経にもありますので史実でしょうけど、観経を論拠にするのは如何なものでしょうか?
観経は釈尊没後何百年も経ってから編纂されたもので、ウイグル語版はあってもサンスクリット語版やパーリ語版は無いという経典で、原始仏教の有様を推し量るには不適当な経典だと思うのですが。
さらに観経には称名念仏に関する記述もちゃんとあります。
せっかくお答えいただいているのに反論してしまってすみません。もしご不快でなければ意義のある議論と思ってお付き合いいただけたらと思います。
No.1
- 回答日時:
そこで、釈尊の元祖仏教と浄土教との間にこういう思想的・行動的共通点があるよというような例がありましたら教えていただきたいと思います。
○残念ながら法然・親鸞の「称名念仏」は釈迦仏教ではありません。釈迦仏教とは異なる新しい宗教ですね。
これは、法然が明らかに「観相念仏」を否定し「称名念仏」のみを認めたからですね。
浄土三部経の『観無量寿経疏』(『観経疏』)での「観想念仏」に対して、
まず、釈迦仏教の「観相念仏」とは、瞑想修行において、仏の念いに自身の念を重ね合わせていく瞑想修行のことですね。これは、正当な仏教修行の一つですが、これを否定した時点で法然は釈迦仏教の異端者ということになるのですね。修行の放棄は、釈迦仏教では外道になりますね。
法然・親鸞、日蓮のお題目も外道ですね。彼らは天台宗系の優秀な僧でしたから無知な衆生は仏教の教えと考えたかもしれませんが、当時のまっとうな仏教僧は非難したと思いますよ。でも数は力ですから、仏教詐称のまま生き残ったということですね。
観相念仏は釈迦仏教にあったんですか?
瞑想修行はあったに違いないと思いますが、仏・如来という存在を意識しての瞑想は行われていたのでしょうか?
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