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No.5
- 回答日時:
>これはいったいどうゆうことなのでしょうか??
他にも回答がありますが、旧ソ連に侵略を受けたので旧ソ連と交戦(抵抗)した事が原因です。
余談ですが、枢軸国と言うと。
ドイツ、日本、イタリア、フィンランド、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、タイが有名ですよね。
質問者さまは、気がつきましたか?
「タイが、枢軸国?」
実は大戦後「日本に脅されて枢軸側についた!」というタイ側の主張が認められたので、戦後の処分を免れたのですね。
ですから、案外「タイ=枢軸国」という認識が低いようです。
No.4
- 回答日時:
簡単なことです。
フィンランドはソ連の侵略に抵抗しました。ソ連が連合国になった都合で、ソ連に逆らったフィンランドは枢軸国に分類されました。連合国も枢軸国も連合国の都合で分類されたものなのです。フィンランドはパリ条約 (1947年)でソ連に領土の一部を割譲しました。フィンランドは1944年に日本に宣戦布告していますから、その意味では連合国に含むと解釈している論者もいるかもしれません。しかし、それならフィンランドがパリ条約(1947年)でソ連に領土を割譲している事実をどうやって説明するのでしょうか。フィンランドが国際連合に加盟したのは1955年12月14日です。「主な参戦国 連合軍の中にフィンランドがありました。」というのは全く事実と違います。フィンランドが日本に宣戦布告したのは、それがソ連と講和する為の前提条件だったからに過ぎません。
そもそもフィンランドは第一次世界大戦以前は露西亜に植民地化されて独立を失っていました。それが第一次世界大戦末期の露西亜革命に乗じて独立したのです。それはラトビア、リトアニア、エストニア、ポーランドも同様です。ポーランドはポーランド分割によって露西亜、オーストリア、ドイツに国土を三分割されて植民地化されていました。
第二次世界大戦の直前に結ばれた独ソ不可侵条約には、ラトビア、リトアニア、エストニア、ポーランド、フィンランドを第一次世界大戦前の独ソの植民地に戻そうという密約があったのです。
ソ連がフィンランドに1939年11月30日に軍事侵攻したのは再びフィンランドを植民地化する為でした。冬戦争といいます。1939年9月に東西から独ソに挟撃されたポーランドが一件落着すると、次はフィンランドの番だというのがソ連の論理だったのです。
その間、ソ連だけは敵に回したくない英仏はソ連の侵略には見てみぬふりをして、フィンランドを見殺しにしてドイツだけに宣戦布告していました。
日本の歴史教科書は、第二次世界大戦が日本中心に回っているがごとく出鱈目に歪曲していますが、実際は違うのです。
No.3
- 回答日時:
簡単に言うと、ソ連が侵略した時誰も助けてくれなかったので
ドイツと同盟してソ連に宣戦布告したから枢軸国だけど、
途中で講和して連合国としてドイツに宣戦布告しました。
第2次世界大戦が始まった時、ドイツとソ連は秘密議定書を交わし、
ドイツだけでなくソ連もポーランドを侵略しました。
この時、ソ連はバルト3国やフィンランドに対しても服従を要求し、
バルト3国はそのままソ連に併合されましたが、
フィンランドは拒否したので、ソ連が侵略、抵抗して戦争しました。
これが「冬戦争」です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%AC%E6%88%A6% …
圧倒的な兵力差にもかかわらず健闘しましたが、
スウェーデンやノルウェーが中立を理由に協力を拒否したので、
米英を始めとする連合国側は殆ど支援出来ず、補給が続かないので
結局は負けまい、国土の1割を失いました。
その後、ドイツが北欧を勢力下においたので、密約をしてしまい、
独ソ戦ではドイツがフィンランドからも侵攻したことを契機に、
フィンランドも冬戦争の失地回復のため戦争しました。
これが「継続戦争」です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%99%E7%B6%9A% …
ドイツが不利になり、ソ連の反抗が猛烈だったので、
結局は講和となり、その条件としてドイツとの同盟を放棄し、
連合国の一員としてドイツと戦争しました。
これが「ラップランド戦争」です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%83% …
ドイツに宣戦布告しているので連合国側に分類することもできますが、
パリ講和条約を締結して賠償金(ソ連へ3億ドル)を支払っているので、
枢軸国と考えることが多いようです。
ちなみに、枢軸国が連合国と休戦して、日独に宣戦布告したのは
イタリア、ブルガリア、ルーマニアがあります。
(ハンガリーは政府ではなく占領地の臨時政府がドイツに宣戦布告しました)
No.2
- 回答日時:
フィンランドは冬戦争でソ連軍と互角に戦い局地的には勝利し撃破しました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%AC%E6%88%A6% …
その後、ドイツと同盟します。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%99%E7%B6%9A% …
>1941年6月22日ドイツがソ連攻撃を開始すると、フィンランドは当初中立を表明した。しかし、フィンランド領内からソ連を攻撃したドイツ軍に対し、ソ連はフィンランド領内で空爆を行ったため、6月26日フィンランドはソ連に対して宣戦を布告した。フィンランドはドイツとは同盟関係にないことを再三強調し、この戦争は冬戦争の継続であるとした。このため、この戦争はフィンランドで継続戦争と呼ばれている。しかし、連合国はこのような主張を認めず、同年12月、イギリスはフィンランドを枢軸国とみて宣戦布告し、フィンランドに同情的であったアメリカ合衆国も国交を断絶、フィンランドの第二次対ソ戦が始まった。
ドイツに巻き込まれたんですよ。
結論
フィンランドは一時は旧領を回復したが、ソ連軍の反抗によって再度領土を奪還される。継続戦争への参戦によってフィンランドは第二次世界大戦の枢軸国側であったとされ、現在でも日本やドイツ等と一緒に国際連合の敵国条項に含まれうるとの解釈が可能である。皮肉にも、ソ連の侵略から国土を守るために『敵(ソビエト連邦)の敵(ナチスドイツ)は味方』の理屈で、枢軸国の一員としてナチスドイツと手を組んだフィンランドが敗戦国となり、逆にアメリカとイギリスが『敵(ナチスドイツ)の敵(ソビエト連邦)は味方』の理屈で、侵略行為で国連から追放されたソ連と連合国として手を組み、連合国が戦勝国となったおかげでソ連が国連の常任理事国になり、フィンランドから賠償金を取るという、理不尽な戦争であった。
対ソ講和後。
ソ連との休戦と同時に条件であった駐留ドイツ軍をフィンランドから排除するためにラップランド戦争が戦われた。継続戦争で共に戦った兵士たちであったためドイツ軍はフィンランド軍と戦闘をほとんど行わず穏便に撤退したが、フィンランドの降伏に激怒したヒトラーはフィンランド湾の島々に強襲上陸を敢行。この後もたいした戦闘は無かったが、とろとろ退却を続けるドイツ軍を早期に排除するためフィンランドはドイツ軍を攻撃。さらにラップランドのドイツ軍が戦闘をほとんどしていないことを知って怒ったヒトラーの命令によって、ドイツ軍はラップランド地方で焦土作戦を行い、ラップランドは壊滅に近い被害を受けた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%83% …
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