「科学者は合理的な考え方を行う」などのように、科学者に対して「合理的」という言葉が一般に多用されていると感じます。
質問:
i) ここで用いられている「合理」とは一体なにを指しているのでしょうか。
ii) この考え方は科学主義(科学万能主義、科学教;批判的意味)を含んでいると考えて居ます。みなさんはどう思いますか。
大陸合理主義やイギリス経験主義といった対比からすれば、科学は帰納的な経験的手法によっています。にも関わらず「合理」といった言葉を用いているのは「科学が全て」であり、そこに普遍的な真理(理性)があると信じられているからではないでしょうか。
懐疑主義に陥るつもりでもありませんが、現代において科学が絶対視されすぎているこの風潮に漠然とした違和感を覚えます。
みなさんの意見をお聞かせ下さい。
ちなみに私は物理学専攻の修士課程に所属している学生であり、ここのところ特に科学に対する無情(無常)さに退屈を感じてしまっています。以前の情熱を取り戻したいという思いもどこかあり。。。
No.8ベストアンサー
- 回答日時:
> 「科学者は合理的な考え方を行う」
科学的な研究というものは、合理主義に依拠しておこなわれるものですから、この言い方自身に問題はないと思います(笑)。まあ、反証はいくらでもあげられそうですが。
> 大陸合理主義やイギリス経験主義といった対比からすれば、科学は帰納的な経験的手法によっています。
本来の合理主義というのは、経験による認識を否定し、理性にのみよって得られるもの、という意味です。デカルトは、もっとも確実な学問の方法というのは、複雑な事象を明晰で判明な事実に分解し(分析)、これら明晰な事実を総合することによって、すべての人が理性に照らし合わせて、意見を一致させることができる、というふうに考えたわけです。
つまり、だれもが納得して追体験できることが「科学的」である、と言い換えるならば、そこで「科学的=合理的」と言えると思います。
ところが最近はたとえば「合理化」というと、合理主義的に考えることではなく、たとえば「企業の合理化」というと、「業務の縮小」や「解雇」を意味することも少なくないでしょう。このときの「合理化」というのは、「すべての物事を理性的に判断する」という意味より、「生産効率性」や「収益」という一面的な規準で、ばっさりとぶったぎる、という意味になっているように思えます。はたしてこのようなことが、「だれもが道理や理性に照らし合わせ、追体験して確認することのできる方法」といえるのでしょうか。
むしろ、わたしにはこの状況は
> 科学が絶対視されすぎている
というのとは逆の、分解はすれど、総合することのない、えせ合理主義的な状況のように思えるのですが。
ポパーは「科学的精神とは、自説を傍証する事例ではなく、自説を反証する事例を優先的に探索するような知性のありかたのことである」と言っていると、内田さんが『映画の構造分析』の中で書いています(たぶん『科学的発見の論理』のどこかにあったと思います。変わった本から引っ張ってきたのは、さっき回答した質問で使えるかなあ、と引っ張り出したのだけれど使わなかったので、ここで再利用してみました)。
ポパーは、
> 帰納的な経験的手法
によった知識の集積を「バケツ」に入ったもの、と批判していて、科学者というのはバケツの持ち主ではなくて、世界を探求し、未来を照らし出す「サーチライト」である、と言っています。
バケツの中をのぞきこんでると思うと、飽きてくるかもしれませんが、「サーチライト」と考えると、元気もでてきませんか?
健闘を祈ります。
回答有難う御座います。
>複雑な事象を明晰で判明な事実に分解し(分析)、これら明晰な事実を総合することによって、すべての人が理性に照らし合わせて、意見を一致させることができる、というふうに考えたわけです。
>つまり、だれもが納得して追体験できることが「科学的」である、と言い換えるならば、そこで「科学的=合理的」と言えると思います。
とても納得いたしました。ベストアンサーにさせて頂きます。
No.7
- 回答日時:
i) ここで用いられている「合理」とは一体なにを指しているのでしょうか。
⇒ 「筋が通っている」という日本語と同じ内容でしょう。
ii) この考え方は科学主義(科学万能主義、科学教;批判的意味)を含んでいると考えて居ます。みなさんはどう思いますか。
⇒ 「科学者は合理的な考え方を行う」を「この考え方」で指しているのであれば、その命題は、科学者の思考の単なる説明でしょう。「科学者は合理的でなくても構わない」ということはないでしょう。科学万能主義も、科学教も関係ないでしょう。「芸術家は感覚センスを重視する」や「舞踊家は身体で表現する」と「科学者は合理的な考え方を行う」とを考えあわすといいのではないでしょうか。
大陸合理主義、イギリス経験主義、帰納的な経験的手法どれでも、理性で理解納得できる、筋が通っていると感じられるかどうかを重視しているでしょう。科学が全てであると考えるかどうかは別です。
科学とは「身の回りの出来事、事象が一体どんな仕組みで成り立ち動いているのかを探求する学問や探求する姿勢、そうした理解に基づいて何かをしようとする姿勢や知識やテクニックの体系」なのでしょう。工学や技術、政治的、市場経済活動あるいは心理的、生理学的、社会学的な知見を利用するのも科学と称する場合があると思います。宇宙天体から原子よりもミクロな世界、電気化学的なこと、触媒効果のようなこと、流行や人気者に引きづられる傾向、成長発達の過程で反抗期がでたり、感情にとらわれて引き籠もる行動などもみんな知識経験として筋道立って検討するのに使えるのなら、科学の一部なのでしょう。
「科学が全てであり、そこに普遍的な真理・理性があると信じている」人もいるでしょうが、「人類が見つけ経験してきたことを筋道立てて整理すれば、より有効な知見が得られ、失敗や想定外のこととの遭遇を少なくできる」と思うのがより筋が通るでしょう。ただ、「経験や知識を増やし筋道立てて利用できる人」の方が、「そうではない人」よりも少ないというのも、ほぼ確かなことです。
たぶん、合理性を追求できる、知識体系や思考体系を科学的に利用できる人は少数派であって、相当に心して努力しないと、そのようなことは難しいのでしょう。だから、科学者コースで学ぶことになっている人に対して「科学者は合理的な考え方を行う」ことを強調しないとならない状況があるのです。せっかく、高校、大学、大学院などの中高等教育のコースに在籍し、あるいは研究所などの機関に在籍しそれを仕事にしているはずなのに、自分の現状の感性と惰性による慣性的思考や判断にとどまり、より筋道の通る理解をmol止めようとしない人が増えてしまうのでしょう。
「科学が絶対視されすぎている」というのは、ひょっとして「‘科学者、専門家、大学教授の肩書きを持つ人'のご託宣が絶対視されるだけでなく、合理的理解や筋道だって検討するのを放棄して、権威依存の風潮が蔓延している」ということではないでしょうか。
理解力や疑問発見力、矛盾発見力が衰えると、学問的情熱は失われます。
小学校のときから学問的情熱を失う人、中学校で失う人、高校で失う人、大学専門課程になって失う人、大学院になって失う人、研究者や政策方策の検討を仕事をするようになってから失う人がいます。
本人の頭脳的限界がそこにある場合もあるし、愚直さを怠ったために脱皮出来なくなってしまった場合もあると思います。
平成18年度東京大学学位記授与式総長告辞に次のような部分があります。
http://www.u-tokyo.ac.jp/gen01/b_message18_06_j. …
> 大学に所属しようと企業に所属しようと、研究者であろうと実務家であろうと、文系であろうと理系であろうと、それぞれの活動の場において、勇気と能力と責任感をもって、知の最先端に立ち、未知なるものに挑戦し、困難な課題を解決しようとする人はすべて、知のフロントランナーの有資格者です。皆さんは、知のフロントランナーとなるために必要な能力を、確実にお持ちです。あとは、先頭に立つ勇気と責任感を身につけて、それぞれの活動の場で知のフロントランナーを目指してください。私がこれからお話することは、知のフロントランナーを目指すうえで必要と思われる三つの勧めです。 三つの勧めの第一は「鈍の勧め」です。「鈍」とは鈍感の「鈍」です。 「運・鈍・根」のうちで私が重視するのは「鈍」、つまり愚直です。愚直とは、愚かなほどに正直なことです。より正確に言えば、周囲から愚かに見られるほど、自分の信念に忠実に行動することを指します。優れた能力を持つ人が、周囲の目には愚かに映るというのは、彼、あるいは彼女が、他人の評価や社会の流行を安易に受け入れることをせず、あくまで自らの信念に則って行動するからです。外部からの信号に同調するのではなく、自らの内部にあるジャイロスコープに従って行動する人間が、私のイメージする愚直な人です。 彼、あるいは彼女は、付和雷同しません。しかし同時に、頑なでもありません。彼、あるいは彼女の信念は、確実な根拠に基づいて考え抜かれたものであり、それゆえに単なる流行に付和雷同することはありません。しかし、自分よりも優れた見解に出会ったときは、それまでの見解を潔く変更する決断力を持っています。実は、こうした愚直な人間像こそ、私が長年理想としてきた研究者の在り方なのです。 研究者は登山家に似ています。誰も解いたことのない課題に挑戦し解答を見出すのが研究者の使命ですが、登山家も、誰も登ったことのない山に初登頂し、誰も歩いたことのないルートを初制覇することに、生き甲斐を感じるからです。そして、単に生き甲斐を感じるだけでなく、他の人々に先んじて業績をあげることによって社会から評価を受けるという点でも、研究者と登山家は似ています。 愚直な研究者を登山家に例えれば、彼が目指すのは、彼が登るに値すると確信する山です。周囲に他の登山家の姿はほとんど見かけません。余りに険しい山で、頂上がどこにあるかすら定かではなく、これまでに多くの登山家が挑戦してことごとく退けられ、膨大な時間とエネルギーをかけても登山に失敗する可能性が高いと、他の登山家たちは知っているからです。愚直な登山家も、もちろんそのことは知っています。しかし、この山は登る価値があると確信するがゆえに、ひたすら頂上を目指します。既存の常識に捉われず、思い込みを排して、ありとあらゆるルートを試み、時には迂回することも躊躇せず、一歩一歩着実に頂上を目指します。その試みが成功するとは限りません。しかし、成功したとき、それは世界的業績と称えられることになるのです。 愚直さは、研究者としてもっとも重要な要素であると私は確信しています………
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
誰にでもスランプはあるし、順風満帆・快調に進んでいるときばかりではないです。
愚直に調べ、疑問にはこだわってしっかり調べることを続けなければ、本当の疑問も発見出来ません。
先輩、先人の受け売りや解説者は、科学とはやや縁遠いものでしょう。物理学専攻で数学も、観測も、実験も地道、愚鈍にやることで、おかしさに気付き、自分なりの発見や納得に喜びが生まれて、やがて情熱が高まるのでしょう。
自分の能力や成果に気を回していては、情熱はでてこないでしょう。倦んだことを自己弁護で懐疑主義などと正当化していては科学者にはなれないです。
愚直にもどりましょう。 それが情熱を取り戻す本道でしょう。
回答有難う御座います。
>自己弁護で懐疑主義などと正当化していては科学者にはなれないです。
>愚直にもどりましょう。 それが情熱を取り戻す本道でしょう。
心にしみました。後半の総長告示内容も素晴らしく、引用して頂いて本当に有難う御座いました。
No.6
- 回答日時:
i) ここで用いられている「合理」とは一体なにを指しているのでしょうか。
↑
人間の脳の特色は前頭葉と大脳新皮質が発達している
ところにあります。
そして、大脳新皮質ですが、これは理性を司ります。
大脳旧皮質は感情とか本能を司るもので、動物と大差
ありません。
この大脳新皮質で作用し、適合する思考が合理的という
ことです。
ii) この考え方は科学主義(科学万能主義、科学教;批判的意味)を含んでいると考えて居ます。
みなさんはどう思いますか
↑
・私は、そうは思いません。
自然科学は、合理性がよく適合する分野だ、
という事実を示しているだけだと考えます。
・これに対して、社会学は合理性が自然科学よりも適合
しない分野だと思います。
社会主義の失敗がその例です。
・詩や音楽、芸術、恋愛などは合理性の適合が少ない分野だと
思います。
回答有難う御座います。
>大脳新皮質ですが、これは理性を司ります。
>自然科学は、合理性がよく適合する分野だ、
>という事実を示しているだけだと考えます。
自分には新しい考え方でした。
No.5
- 回答日時:
お疲れになってませんか?
科学者が合理性を追求するのが科学だと思うのですが
無情や無常を感じておられるなら、合理に浸り過ぎているのかもしれません。
人間を科学しても、非常に合理的にできています。
他の動植物でもそうです。
自然は合理性であふれています。
ただ、生き物は合理的な事ばかり追及する中では生きてはいけません。
家族や友達や恋人など、誰かと情を交わす事が必要です。
遊びに行ったり話しをしたり、旅行や合理的ではない楽しみの時間を
もっと作ってあげたらいかがでしょうか。
人は内部のバランスが悪くなる生活をしていると、好きだったはずのものに
退屈さを感じたり懐疑的な疑問や批判性を持ちやすくなります。
研究とは別に、自分を満たすことを探してみてください。
バランスがとれると、研究や仕事は面白くなると思います。
No.4
- 回答日時:
質問がよく理解できない部分があり私なりに理解してお答えします。
ご了承を。i)合理的の意味は論理的に思考するという意味と思います。
ii))論理性が尊重されるとして論理は万能であるという理解は多くの人はしないと思います。
iii)科学の研究手段は帰納法的手段のみで行われており、合理という言葉の使用はおかしい、と質問者は考える。帰納法的手段は無視されることはないが 科学の研究手段は、第一に演繹的手段であり 批評の前提がおかしい。質問は科学は論理的に研究されており 科学の示すところは普遍的な真理である、は正しいか。答えとしては科学は論理の実証であり 科学は真理を追究している一つの分野であることは間違いなく、科学のなかに真理はあると思いますが 多くの人は森羅万象全てを科学で解明できるとは思っていないと思います。
iv)最後の文章の科学に対する無情(無常)さ の意味がわかりません。無情とは思いやりがないということで 無常は常なるものがないという意味とおもいます。科学に対する無情さとは 質問者が科学に対して思いやりをかけれないということでしょうか。無理無理 理解しようとすれば愛情をもって科学に接しられない つまり 興味を失ったということでしょうか。もう一方の科学に対する常なるもの(質問者)がない つまり質問者は多様な問題に対して いろいろこころが奪われ 科学にのみ注目して思考できない と理解します。どうしたらよいでしょうか。
科学研究に興味が無くなったとしても別に問題はないと思います。真理探究は科学だけではありませんから
以上参考までに
回答有難う御座います。言葉足らずのところ、意味を汲んで頂き感謝いたします。
>真理探究は科学だけではありませんから
これは本当にその通りだと思います。科学が人類を幸福にするのか疑問があり、結びの言葉となりました。
No.3
- 回答日時:
>現代において科学が絶対視されすぎているこの風潮
そんなんありまんかいな?
最近の高校生の数学IIIの選択率はどうなっていますか?
最近の原子力事故の後のメディアや世論は科学的ですか?
今から30年ぐらい前には科学を尊重する雰囲気があって、その結果、当時の研究開発でノーベル賞をとる人が出たりしているのですが、昨今の科学ばなれははなはだしいと思いますよ。
回答有難う御座います。
>最近の高校生の数学IIIの選択率はどうなっていますか?
>最近の原子力事故の後のメディアや世論は科学的ですか?
確かに直接興味を持たない人が増えているのは事実でしょう。しかし自分がやらないにせよ誰かが行った「科学」に対しては多大な信頼をおいてる社会のように思えます。
No.1
- 回答日時:
1.多様な相互作用パターンにおける法則性を、できるだけ例外を
含まないよう把握すること。
(結果的に、階層現象性の原理性に遡って分析すること)
2.「科学」は特定の分野ではなく、上記の姿勢を保った方向性の
事です。宗教が“世界についての疑問への答え”として科学で
あった時代もあるし、錬金術が科学と不可分だった時代もあります。
「科学が無情」というのは、学校で教える程度のレベルの話です。
学校で教えるのは、大学といえども普通の教授の知識は20年前の
“先端知識”であって、自ら学ぶ姿勢がなければ「退屈」なものです。
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