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皆さんは死刑制度についてどのように思っていますか?自分は廃止した方が良いと思います。
確かに、自分は世間知らずのあまちゃんです。しかし、賛成するにしろ、反対するにしろ結局どちらにもメリットというものがあるはずです。
自分の先生の知り合いの息子さんが事故でなくなったそうです。その事故は車2台と、自転車に乗った息子さん。何も変なことはありませんよね?しかし、この組み合わせでも事故はおきます。車を道路の脇で駐車しましょう。その車の横に自転車が走ります。サイドミラーを見ていない(道路の脇に止めた車の)運転手がドアを開けます。すると、自転車は避けるかまっすぐ進んで横からなぎ倒されるか・・・どちらかです。もちろん避けますよね?でも避けきることはできません。なぜなら急に開くからです。そうしてぶつかったら道路に出される・・・。そうして携帯電話を使いながら走る車が来ます。
そうしたら、道路に出された人はどうなりますか?
確実に轢(ひ)かれますよね?実際に轢かれました。腕が轢かれたりする分にはまだいいでしょう。
しかし、頭を轢かれてしまった。そうして携帯電話車は止まり、自分がやってしまった事に気づく・・・。
息子さんの親が来る。大号泣と怒りがこみ上げる奥さんと黙って見ているお父さん。一度は死刑になりそうになったその携帯電話運転手は死刑にはなりませんでした。その理由は、息子さんのおとうさんでした。「死刑はいけない」といった結果。無期懲役となった携帯電話運転手・・・。
皆さん、現実にはこんなことが起きています。そう、一般的なのです。それで人がいなくなっているのにも拘らず。さらに死刑によって人を「殺す」などしたら少子化としか考えられません。僕は反対意見のものですが、賛成の意見も分かった上で説明しています。たとえ家族が殺されても、友達が殺されても犯人を恨む必要性はないと思います。そして、反論する人は、その逆
(死刑制度に賛成→反対制度の人の意見)を分かろうとしないんだと思います。毅さんは言っていましたね?「話せば分かる。」本当にそのとおりだと自分は思います。皆さんの意見を聞かせてください。

A 回答 (17件中1~10件)

「話せば分かる。

」という相手なら、あなたの道理は納得できます。
でも、そうで無い場合の方が多いでしょう。
あなたの言う事は、いわば偶発的な事故ですよね?
では、故意の殺人でも同じ事が言えますか?

自分の私利私欲のために、計画的に何の罪も無い人々、さらには幼児まで殺されても正気でいられる親は、ほとんどいないでしょう。

死刑制度の是非は、ここで語っても不毛なだけです。

私自身は、死刑制度を廃止するなら、外国のように懲役300年とか1000年とかの実刑にして、どんなに模範服役囚でも一生出られなくさせるべきだと思います。
生きて罪を償うという意味で。
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ご質問は死刑に反対か賛成かですよね?



私は反対です。
理由は冤罪が有るからです。
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 死刑存続の立場です。

 私は常に書いていますが、命の大切さがあるからこそ生きている制度だと思って居ます。単なる排除的な死刑は反対します。つまり、死刑が相当である残忍な罪を犯していること。
 死にたいだけで死刑を求めている場合は執行を先延ばし。生きたいと感じたときに執行すべきだと。
 犠牲に成った人の恐怖を感じて頂かないと死刑の意味を成さないと。命を失うほどの大罪をしたという。

 そういった刑があるという事から犯罪の抑制になると。安易に死刑は意味が無いからね。


 ただ、執行する人達がかわいそうなので、死刑を予定してる人がボタンを押すなりすればと。
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死刑制度の是非ということであれば、私は賛成です。



もちろん冤罪の問題もあるので安易な運用は問題があるでしょう。(この問題は死刑制度と言うより警察・検察・裁判所の問題)

でも死刑の代わりに終身刑を用意したとして、その受刑者が死ぬまで税金で養っていかなくちゃいけない訳ですよね。
更正の見込みが無い人を隔離して、生涯養っていくために税金を払うことに私は違和感があります。
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まずは日本に武士道を復活することが重要です。



そして、公務員には武士としての使命感と責任の取り方を実行してもらいます。

具体的には、切腹の名誉をあたえます。

こうすることで、武士=公務員が「命がけの仕事」をするようになり、現代日本の問題の多くが解消に向かいます。

公務員以外(=農・工・商)には、切腹の名誉は無いので、罪人は死刑にするしかありません。
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 作り話ですよね?それ(^_^;


 交通事故で死刑や無期懲役になることなんてないです。

 反対派の人は忘れているんでしょうけど、死刑になる人は最低でも一人を「故意に」殺しているんですよ。
 人を殺さず死刑になるのは国家転覆を行おうとした時ぐらいで、それ以外では必ず人を殺しています。
 しかも死刑になるためには、社会への影響や残虐性・執拗性など、いろんな条件に当てはまる必要があるんですよ。
 だから例え一人殺したとしても、よほど残虐でない限り死刑になることは少なく、3人殺してやっと死刑を考えるというのが現状です。

 そんな奴らに社会に出てきて欲しくないし、無期で無駄な税金なんて使って欲しくもない。
 だからワシは死刑賛成です。

 たいてい反対派が持ち出すのが冤罪のことですが、それは捜査の問題であって、刑法の問題ではありません。
 刑法に問題があるとすれば、死刑以外に償わせる方法がないこと。
 懲役って、あれ、償いじゃなくて更正するための期間ですからね。
 償いもしていないのに更正なんて、アホかと思います。
 日本の刑法って実質、死刑にさえならなければ罪を許されたようなもんなんですよ。

 死刑をなくすという事は、オーバーに言えばすべての罪を許すことになる。
 あーあー、過ぎたことは忘れて、早く更正してハッピーな生活を送りましょうねと言ってるようなもんです。
 はっきり言って死刑反対なんて、安全が当たり前だと勘違いしている平和ボケした人の意見だと思いますね。

 まあ本当に死刑を廃止するとしたら、懲役を終えて出てきた本来「死刑になるべきだった元犯罪者」を、死刑反対を掲げる人の家の隣近所に住まわせることが条件ですね。
 「話せば分かる」んでしょ?
 だったら、それくらい受け入れてくれますよね?

 安全圏からどんなに綺麗事抜かしても、誰も納得しませんよ。
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私は死刑制度は反対ではありません。


あなたの言われてる当事者は犯罪者ではないですよね。しかもひき逃げではありませんし、当然状況によっては交通刑務所に入ることはあるでしょうが、例え交通事故の加害者であって被害者が死んでも死刑になることはありえません。反省し刑期を終えれば普通の生活に戻れます。

違うのは強盗殺人や放火殺人はほぼ確実に死刑または無期懲役となります。しかも無期は模範囚であれば数年で出てこれます。こんなの被害者の家族親戚にすればどんな思いでしょうか。しかし余程の理由がない限り死刑は確実でしょうね。

あなたはもし自分の家族や愛する人が残忍な殺人事件に巻き込まれてもそれを許すことができますか。それができる人は神またはそれ以上の方だと思います。例え許すことができたとしても相当な時間は掛かります。普通なら一生許せることはできないでしょう。
殺人とは喧嘩の上でとか、謝って殺してしまったと言うのとわけが違います。
残忍、惨さ、卑劣、または猟奇的あるいは強姦の上での殺人。これらは裁判で死刑判定の基準となります。
被害者の家族や愛する人が恨みを晴らすかわりにこの制度があるといってもおかしくないと思います。 また被害者のわだかまりを解くためと言っても良いでしょう。被害者にとって一つの終止符となりえるのでしょうね。

執行を待つまでの死刑囚の思いは気が気ではありませんが、それは己が撒いた種です。それらはすべて反省を込めた被害者へのわずかな罪滅ぼしと言ってよいでしょう。執行の時は手を合わせ罪人に戻るものもいるそうです。刑務所内で毎日お経を読む者、被害者へ謝罪の手紙を書くものなどいろいろです。
死刑囚の最後の罪滅ぼしは自らがその死刑を受け入れることではないでしょうか。それが被害者への償いです。
人間は虫けらではありません。「話せばわかる」で許してもらえる簡単な世の中なら、人は誰でも簡単に殺人を犯すでしょう。
それは国が法にのっとり厳粛にその人の運命を死刑という形で決めることにより、儀式として生まれ変われば罪人になるという神または仏への許しによりすべてが終わることになるのです。
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「そう、一般的なのです。

それで人がいなくなっているのにも拘らず。さらに死刑によって人を「殺す」などしたら少子化としか考えられません。僕は反対意見のものですが、賛成の意見も分かった上で説明しています。たとえ家族が殺されても、友達が殺されても犯人を恨む必要性はないと思います。そして、反論する人は、その逆(死刑制度に賛成→反対制度の人の意見)を分かろうとしないんだと」
すみません、あなたの言っている論理がさっぱり解りません。
"それで人がいなくなっているのにも拘らず"の"それで"ってどれで?

"そう、一般的なのです"って、それは被害者の親族が死刑にしないでくれと訴えればその意見は(ある程度)聞き入れられるということですよね。でも、罪を犯せば償う必要がある、悪いことをして他人に迷惑をかければそれ相応のペナルティーが課せられる。社会の中で生きていく上で当然のことでしょ?1000円取って捕まったら1000円返せば許されると言うわけでもないでしょ?

あなたの論理だと、命なんて大した価値のないものなのだから、間違って人を殺してしまってもわざわざ死んで償う必要なんてないんだ、ってことにもなりますよ。少子化とか意味不明のことを言う前に亡くなられた方の命の重さについてはどう思われているのですか?「命は重さいからこそ、人を殺めてしまった場合には、死んでお詫びする(死んでも亡くなられた方は生き返らないけれど)」という論理の方がよっぽど理に適っていませんか?

私は賛成論者でも反対論者でもありません。それは命というのもが尊いものだと思うから一概に賛成も反対も出来ないのです。罪のない人の尊い命をいくつも奪って(何人も殺して)刑務所の中で税金で悠々自適に暮しているなんて何かおかしいと思いませんか?犯人を憎むとか憎まないとかの次元の話ではないと思います。
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>たとえ家族が殺されても、友達が殺されても犯人を恨む必要性はないと思います。



ここがちょっと分からないな。
なぜその必要がないのか?
人間はそこまで感情を捨てて生きられるのか?
そもそもそこは「必要性」でカタがつく問題なのか?

この結論部分にちゃんとした説明がないと質問文の内容に同意できない。
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ちょっとお聞きしたいのですが、具体的に裁かれた人は何の罪で裁かれたのでしょうか?



道路交通法で悪質な事例には危険運転致死傷罪が適応されますが、人を死亡させても1年以上の懲役で死刑はない筈ですし、「自動車運転過失致死傷罪」でも7年以下の懲役で、「業務上過失致死」でも5年以下の懲役でやはり、死刑はありませんが、どんな罪が適応されたのでしょう。
「危険運転致死傷罪」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%B1%E9%99%BA% …
「業務上過失致死傷罪」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%AD%E5%8B%99% …

以前、2003年の事ですが、中学生が2人、酔っ払い運転の車に轢き逃げされ2人とも死亡するという悪質な事件がありましたが、それでも犯人は懲役5年半という判決でした。これは危険運転致死傷罪ができる前の話ですが、日本の法律は非常に甘いです。被害者が死亡したからと言って必ず死刑になるわけではありません。
質問者さんの書かれている事例はどんな罪が適応されたのか不勉強な私のためにお教え下さい。お願いします。

ところで、道路交通法違反以外でも被害者が死亡したからと言って必ず死刑になるとは限りません。
例えば2005年における殺人事件の判決数は825件でした。このうち第一審で死刑判決が出されたのは、わずか11件です。
これは殺人事件全体の1.3%にしか過ぎません。
このように犯罪で人を殺したからと言って必ず死刑になるわけではないどころか、死刑になるのは極めて少数例でしかないと言えるのが日本の現状です。

つまり日本の現状では、事故、過失等では死刑になりませんし、殺人事件でも大抵は何かしらの情状酌量の余地などが考慮され、死刑になる事は稀です。
そうした中で死刑にされる人というのは余程の酷い凶悪犯罪を犯した人に限られます。

以前、日本の死刑制度は憲法上、合憲かどうか最高裁で判決が出されましたが、その判決文には死刑について次のように書かれています。
「死刑の威嚇力によって一般予防をなし、死刑の執行によって特殊な社会悪の根元を絶ち、これをもって社会防衛せんとしたもの・・・」
つまり、死刑にされる人というのは極少数の「特殊な社会悪」であり、赦される事情が殆ど無い人でしかありません。
死刑になるような罪を犯さないでくれれば死刑などしなくてすむのですけどね。
死刑制度を廃止するより、こうした死刑になるような凶悪犯罪が無くなってくれた方が被害者も出ずにすむし、みんな安心して暮らせるのですけどね。
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