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25歳大関で7勝8敗、カド番になって14勝1敗で初優勝し、さらに翌場所から2場所連続全勝優勝した力士がいたとします。(3場所連続優勝、通算でも3回の優勝)

その力士は相撲が大好きで40歳まで現役を続けたいと考えています。
ですが横綱は負けが多くなると引退(休場)しなければいけないと思いますが、いつ負けが混むか分らないため横綱になりたくありません。

辞退はできるのでしょうか?千代の山雅信という人が一度辞退したあと横綱になった例はあるようですが、その後年間全場所優勝含む20回くらい優勝しても横綱にならないことは可能でしょうか。

A 回答 (1件)

事実上、推挙されたら辞退は無理でしょう。


横綱に推挙されれば、横審や協会からは当然横綱として土俵を務めあげ大相撲の屋台骨を支える役割を期待されることになりますので、そこから逃れようとすれば無責任との謗りは免れないでしょう。
何より昇進拒否なんかしたら師匠や後援会の顔に泥を塗ることになりかねません。

>25歳大関で7勝8敗、カド番になって14勝1敗で初優勝し、さらに翌場所から2場所連続全勝優勝した力士がいたとします。

大関でそういう星勘定になれば、通常は14勝1敗の後の15戦全勝で横綱昇進です。
実際、大関琴欧洲がカド番で14勝1敗の優勝をしたとき、次場所15戦全勝なら横綱だと言われてました。

>千代の山雅信という人が一度辞退したあと横綱になった例はあるようですが、

これはちょっと違うと思います。
千代の山といえば横綱昇進後、不振に陥った時に横綱返上を申し出た逸話が有名ですが、横綱昇進を自ら辞退したという話は聞きません。
実際、大関の地位で昭和24年10月と昭和25年1月の2場所連続優勝しながら横綱昇進を見送られていますが、これはその当時の特殊事情があります。

昭和24年10月場所は横綱が羽黒山、照国、前田山、東富士の4人いましたが、そのうち前田山が怪我により途中休場しておきながらプロ野球を観戦しに行っていたのが新聞で大々的に報道されてしまい、責任を取る形で引退に追い込まれます。
そして大関千代の山が優勝するぐらいですから、当然残り3人の成績は横綱としてはいま一つです。

翌昭和25年1月場所、その3横綱は、なんと全員が相次いで途中休場してしまいます。
この体たらくに、巷では横綱といえども不成績なら降格すべきという「横綱降格論」さえ巻き起こります。
そんな中で大関千代の山は12勝3敗の成績で連覇を果たしますが、世間では横綱という地位への風当たりが強くとても横綱昇進というムードにはなりませんでした。

そういう状況で横綱昇進にきっぱりと待ったをかけたのは、他ならぬ千代の山の師匠である出羽海(元横綱常ノ花)でした。
出羽海は現役時代の昭和4年9月場所に8勝3敗の成績で優勝していながら、天皇賜杯を抱くのに3敗もしていたのでは天皇陛下に対して不敬であるという理由で賜杯を授与されなかったという経験があります。
千代の山はこの時の常ノ花以来の3敗を喫した優勝力士となってしまいました。
そういうこともあって師匠出羽海はこの12勝3敗という結果が不満だったようで、少なくとも横綱昇進に値する成績ではないと考えていたようです。

そんなこんなで、千代の山本人は横綱に昇進したがっていたようなのですが、このときは昇進を見送られるということになってしまいました。

>年間全場所優勝含む20回くらい優勝しても横綱にならないことは可能でしょうか。

現代では無理でしょう。
ただ、江戸時代には優勝に相当する成績を優に20回以上あげていながら何故か横綱になっていない力士がいました。
雷電為右衛門という力士です。
雷電があれほどの成績を上げていながらなぜ横綱になれなかったのかは諸説紛々あるようですが、どの説も信憑性に乏しく、本当のところは誰もその理由がわからないというのが現状です。
もっとも、そういう謎めいたところがむしろ古今無双の強豪力士だった雷電の魅力をさらに高めているという側面もあります。
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この回答へのお礼

お礼が遅れましてすみません。
もう回答が付かないと諦めていただけにありがたいです。
貴重な話まで聞けました^^
やっぱり無理ですかね。さすがに協会や横審にTELして聞くのも何だかなぁと思いましてね。
そういえばイチローが国民栄誉賞を辞退したなんてのがありましたね(現役引退後の受賞には含みを持たしていましたが)。
ご回答有難うございました。

お礼日時:2013/01/15 18:49

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