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ある番組で田嶋曜子さんが
「イジメはイジメられる方よりイジメる側の方が可愛そう」と発言していました。
イジメる側は家庭に問題があって恵まれてないから人に当たるのであって、救済の手を差し伸べるべきはイジメてる側だそうです。

これってその通りだと思いませんか?

私もイジメる側を強要されてしかたなくイジメてた事があったので良くわかります。

関わりたくない相手に無理やり関わらせられるのだから、私の方がイジメられてたと言っても過言ではありません。

イジメてる側こそ保護されるべきだと思いませんか?

みなさんはどうお考えでしょうか?

A 回答 (23件中1~10件)

「私は不幸だから犯罪者になりました。


本当に悪いのは社会です。」ってやつですね。

こんなのは、実社会ではまったく言い訳にならないもので、
せいぜい裁判の時に、ちょっとだけ刑を軽くしてもらえる
ぐらいの理屈です。

イジメなんかするやつは人間のクズです。
一切甘い顔を見せてはなりません。

イジメにあって自殺した人に申し訳ないと
思わないのでしょうか?
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逆説的に考えるのはいいことなんですが、


可哀想という憐憫の感情は、あくまで相手より上位に立って当事者を見下していて、感情的に偏重した情けをかけているのであって、
可哀想という感情は、イジメる側、イジメられる側の公平中立には立っていない審判だと気づかなければ、
自分の考えが正しいかどうかを、自分で判断することはできません。

社会から脱落したらいじめられるのは自然の摂理で、
いじめる側が強者としていじめないことで、いじめのない社会が成り立つのに、
自分が弱いから虐めてしまういじめっこは、いじめられっこと同様にイジメの主犯です。
いじめっこを保護したからといって、代わりの人間がいじめるので、問題解決には近づきません。
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いじめる側は 一人ではやらない。


必ず数人でやる。そこが卑怯。

あなたがいじめる側に強要されてしかたなく・・・と思ってるなら
いじめられる側に味方になるべき。
それが出来ますか?

いじめた事がある人は、同じ事を自分がされてみればいい。
されるべき。

「イジメてる側こそ保護されるべきだと思いませんか?」

まっったく思いません。
何言ってんだ!?って感じ。
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極端過ぎます。



確かに虐めるほうの人間は、心が病んでいます。

特に主犯格の人間は病んでいますね。
相手が一人になって抵抗しないのをいいことに、虐めを続ける。病気です。
ある意味気の毒な子。

主犯の子分は弱く、哀れですね。
「自分もやらなきゃ虐められる」と脅迫されてるようなものですから。

だからと言って、いじめを正当化する理由にはならないんですよ。

どんなに家庭で辛い思いをしていても、人に優しい子はたくさんいます。
幸せな家庭に育っても、いじめに加担する人もいます。

学校内でのいじめ問題が発覚した時点で、
主犯格たちには強制的にカウンセリングでも受けさせるほうが良いと私は思いますよ。
(それが、保護ということです)

決して、いじめをするのは仕方ないという意味ではないですよ。
要するに、いじめをする人間は、「良識を持たず、人間関係をまともに築けない、社会不適格者」ということ。
だから、「保護」されないといけないってことね。

まああなたの場合は、
自分も仲間に入らないと今度は自分が虐められる、
と脅迫されたようなものです。
だから、気の毒な立場かもしれません。
しかし、可哀想だからと許されることではないよね?
あなたも誰かに辛い思いをさせたのだから。

もしあなたが過去のことを後悔し苦しみ、
この「イジメはイジメられる方よりイジメる側の方が可愛そう」という言葉に救われたのなら、
意味を取り違えています。
全く違う。
あなたは社会不適格者なんですか?
だったら可哀想だよ。いじめに加担した事は誰も許さないけれど、境遇には同情してくれると思うよ。
あー、あの子は「可哀想な人なんだ」。嬉しいですか?
哀れみってさ、一歩間違えたら軽蔑と紙一重ですよ。

後ろめたさから逃れたいのなら、自分自身で悔い改めるしかないよ。
自分がしてしまったこと、自分の弱さ、相手の苦しみに向かい合い、
反省するしかない。

そして、あなたに本当の許しを与えるのは、あなたが辛い思いをさせた相手だけです。
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間違ってはいけないのは、事前と事後では話が正反対になるということだと思います。


田嶋さんが言う「救済の手を差し伸べる」というのは、いじめが始まる前なら、という前提があるべきじゃないでしょうか。

いじめというのは、越えてはいけない一線という、境界的な側面があります。
事前にそれを越えないためには、被害者になる人よりも加害者になる人に救済の手を差し伸べるべきでしょう。

ただしこれが事後となると話は逆・・・というか、事前防止の観点とは分けて考えるべきだと思います。

現在までしてしまった「いじめ」の部分が、社会でどういう行為にあたるのか。
精査した上でそれが「犯罪」にあたるようなことなら、そこに罰が存在するのは当然のことです。
人を殴ったり誹謗中傷を言ったりって、「いじめ」じゃなかったら犯罪ですからね。暴行罪だったり名誉毀損罪だったり。


これは質問者さんを糾弾したかったわけではないのですが、
いじめに加担した人が「私の方がいじめられてた」なんて言ってしまったら、実際にあなたがいじめてた人はどうなるんでしょうか。
そういう意味では、今の時代はむしろ「加害者が守られてる」時代じゃないでしょうか。
メディアには名前も顔も伏せられ、裁判では弁護士が臆面もなく「精神衰弱状態だった」だの何だのいって、とにかく刑が軽くすることに執心する。
まあ加害者はそれでいいかもしれませんが、そこに被害者の気持ちは存在しているのか、と疑問になります。



ただ、「まだいじめが起こってない状態」なら、たしかに質問者さんに同意です。
道徳教養を盛んにして、もっと「人と人の結びつき」について真剣に子供達に学ばせないといけません。
社会全体がコミュニケーションに対して希薄になってるから、子供達にもその影響が出てるんです。
本当にいじめをなくすなら、たしかに踏み込まないといけない部分は凄く大規模だと思います。そのなかに「いじめる側の人が生まれないための対策」という観点で考えないといけないでしょうね。
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ブルーハーツの歌じゃないですが、弱い者たちが夕暮れに更に弱い者を叩くって感じでしょ。


結局、いじめる奴は貧しいんですよ。
何かがどこかが。
それは環境だったり、経済状態だったり、心だったりするんですが、それが満たされないから虐めで憂さを晴らす。
虐めを強制されて虐めるのもいいですが(良くはないけど)立ち向かっての結果ですか?
何もせずに流されて強制されたから自分も可哀そう?
ふざけんじゃないよ。
虐める側を保護したらノーガードで打たれ続ける虐められる側はそれこそ死を選ぶしかないじゃないか。
家庭環境が虐めの温床だなんて大間違い、それは甘えすぎ。
家庭環境が悪くても歯を食いしばって生きてる人はたくさんいる。
人生をまじめに生きてる人に失礼。
田嶋さんの意見は個人の意見であり、考えさえられる意見ではあるけれど必ずしも正論ではない。
結局、あなたはその意見を持って自分が虐めた事実の免罪符を得て、それでも足りないからだれかに認めてほしいと思ってるだけじゃないですか?
仰向けに寝転がって唾を吐いて御覧、自分に降りかかるさ。
因果応報、時間差で不幸は舞い降りてくるよ。
どうしょうもねぇなぁ~本当に。
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mikimikixx123さんは、自分がイジメに加担させられていたツライ経験から自分中心の物の考え方になってしまっていると感じました。



貴方にイジメを強要していた人間は、勿論イジメをしている側ですよね?
その人はイジメられていた子より可哀想で守られるべき対象だと思われますか?

確かにmikimikixx123さんは、したくないイジメをさせられてつらかったのかも知れません。しかし、それはイジメられていた子よりもツライ経験だったと言えますか?

想像してみて下さい……
もし自分が自殺をしたいと思うほどの陰湿なイジメを受けていたとして、イジメている対象が「自分は好きでイジメている訳ではないから、イジメられているコイツよりも可哀想なのは自分だ!」と主張したら許せますか?

ネット上で実名や住所などがさらされてしまったり、イジメている側の人間にも最低限守ってあげなければいけない部分はあると思いますが、それは犯罪者保護と同じ考えに基づいたものであって、絶対的に保護が必要なのはイジメられている側だと私は考えます。
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自分のストレスを弱いものにぶつけるのには家庭環境が完璧でも本人のおかれた境遇とタイミングであり得ます。

弱さを吐露してしまう形での、感情の爆発など。

しかし、爆発をネチネチ続けるのは普通ではありません。続けることを選んだのは他人を傷つけることを楽しんでいるからです。

度を超えた暴力や拷問を好む人たちがいます。生まれつきの性格で自分は安全な位置にいて対象を破壊するのです。ヘリコプターから走る子供を撃つような快感があるのでしょう。いつまでも他の国に駐留して市民を恐怖に陥れるのも同じだと思っています。

見た目は同じでも中身は性格破壊者。そういう意味で育てた親も被害者になっている場合があります。

加害者の保護と治療、社会からの隔離が必要と思われます。
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いじめている側の_方が_かわいそうというのはおかしいと思います。

いじめられている側のほうがかわいそうですよ。そして、いじめている側にもなにか理由や心理的な問題があったんだろうと考えてあげるのは優しさだと思います。

あなたはさだまさしの「償い」という曲を知っていますか?一度聞いてみると良いと思います。加害者にも加害者なりの理由はあるでしょう。でも、犯してしまった罪は相手が許してくれるまで償わなくてはならないのです。

> 私もイジメる側を強要されてしかたなくイジメてた事があったので良くわかります。

いくら強要されていたとしても、いじめた相手にとっては同じ事です。自分の身の保身のために人を傷つけていた卑しさ、醜さを自分の十字架として一生背負うしか道はありません。裁判だったらあなたに情状酌量の余地はあると思いますが、あなたは紛れも無い実行犯ですから、行為そのものは到底許されることではありませんよ。

自分は悪くなかったと思うのは楽ですが、自分がその時に何ができたか、今後同じ状況になったらどうするかを真摯に考えてみてはいかがでしょうか。
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【イジメてる側こそ保護されるべきだと思いませんか?


みなさんはどうお考えでしょうか?】

皆さんの一人だとおもってください。

私は、いじめというのはとても非生産的だとは思いますが、ある目的があって、
どうしても、’群’の中ではなくならない一種の制度のようなものだと思ってます。

その、わけというか、理由というか、合目的いじめの存在理由が、
いじめるほうも、いじめられるほうも、一緒に、’群’からいずれは排除されるために
いじめ行動があるということです。

つまりは、両方の存在が、群にとっては無駄ということ。
数減らしのために、要らないもの同志がいわば叩き合うということで、非生産的な行為が
合目的になるということです。

いじめるほうは常にいじめの対象を求める。
いじめられるほうは、いじめられないように何らかの能力を備えることで、自分のニッチを構築する。

いわば、いじめる人=ルンバ・掃除機?のようなもの。
ルンバされるほうは、ルンバ以上(ビック)になるか、ルンバ対象にならないような価値を備えるか。

これは、ダレもがどちらの立場になりうることでもあるけどね。

限定された人だけの話ではなく、どうしても、群として、排除の論理が常にあるということを前提にしないと
真理には届かない。

学校でいじめ続けて、双方に社会的価値がなければ、学校という範囲を出ると、一緒に排除です。

リストラだってそうでしょう?
いじめ=ニッチがないということに過ぎない、どちらも、結果的にということ。

気がつかない人は、そこでつぶしあうだけの存在という。

元から群には、’余分’がキープされる、2割説というのがあります。
その後は、どうやって常に無駄を排除するかという話です。
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