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A 回答 (25件中1~10件)

最近は自由を実行するとは「笑かすこと、笑えること」という結論になってきました。



ベリクソンだったかに笑いの哲学があったんですが、あれはクスっともなりません。
ベリクソンは観察のみで、実践力に欠けた哲学だったから。

笑いはムーブメントでありブーメランである。
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この回答へのお礼

miko-desi様、ご回答ありがとうございます。


>「最近は自由を実行するとは「笑かすこと、笑えること」という結論になってきました」

そうでしょうか?。そうだとすれば、ちょっと心外かもしれません。
「自由を実行」が他者に評価されることを念頭に置いたら、笑ってもらうのが健全かもしれませんが、
そうでないものも、あると思いますよ。(実用・実益的に評価される、とか)


>「笑いはムーブメントでありブーメランである」

ムーブメントでありブーメランである
・・・つまるところ、個々人が何をどのように評価するか、というところに行き着くのかな、とも思うんですね。

お礼日時:2013/02/26 23:59

>「ハエがたかるくらいだから、まだ大丈夫だ」と言って食する」、そういう環境も、世界にはあるようです。



「大場より急場」しのぎ?的な。
長期的に間接的に大場を見据えるとなれば、
臭いモノさえ必要にするモノに譲り、それを又利用するものに譲り
巡り巡って自分の糧だったり嗜好品になって帰ってくる。

孤高(仲間はずれ、控え程度)な私は、自分のために繕ってばかり。
大場の連環から脱するべきなのか?

自由には無用の用もあって、
何のための用かというと、忙しかったり不健康だと新たな事が始められない。
精神的な振り幅も狭くなる。

kurinal様のおっしゃるように「他者の納得」が得られて自由を行使してる人は
堕落しているのではないでしょうね。

自分免許で堕落することも自由であれることも出来ないのが人間の性かも。
このご時世時間とお金があれば別ですが!
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この回答へのお礼

miko-desi様、こんばんは。


>「「他者の納得」が得られて自由を行使してる人は堕落しているのではないでしょうね」

いや、大変に素晴らしいご回答に、感謝致します。
「他者の納得が得られて(尚?)自由を行使してる人」は、「演技をするでもなく、自由を行使することでまさに他者の納得が得られる」という、、、それを「堕落しているのではない」というのは、たぶん、「己を活かし切っている」というような、happyな境遇にあるのではないでしょうか。


>「自分免許で堕落することも自由であれることも出来ないのが人間の性かも。
このご時世時間とお金があれば別ですが!」

「コレコレから自由である」というのが、自由ではないですか。
(人権としての自由も、大概は「100%、自由だ!」ということではなく、それは「内心の自由」といったものに限られる。)
「経済的な(何をしてもいい?みたいな)自由」は、仮に自由であっても、場合によっては軽蔑の対象となるようなソレでしょうね。

お礼日時:2013/02/16 03:36

>(稚拙な?)判断によって、生じると思われる「要らぬ苦労」を、どうにかならないのか?



高いところに生っていたブドウをみつけた狐は「あのブドウは酸っぱいんだ」と決め込んだ。
高いところに行くには自分を使わないといけない。
プライドだけは高い狐なので自分を納得させるためですよね。

こう決め付けて確かめもしなかった狐が愚かと思う人もいれば、
実際高いところのブドウの生る地点まで登って
掴んで食し身をもって知ることを選ぶ人もいれば、
後悔したくないために、プライドを捨て、酸っぱいのに「甘い甘い」
と美味しそうに食べ続ける人もいる。

酸っぱいぐらいだったら養分は摂れるでしょうが、
腐ってるのを「甘くて美味しい」なんて演技してたらもう病んでますね。

科学の研究には「諦めない」ことが肝心なのでしょう。
しかし、宗教とか哲学は「判断の中止」という見識も持っています。
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この回答へのお礼

miko-desi様、こんばんは、ご回答ありがとうございます。


>「演技」

それは「自分を納得させるため」でなく、他者を納得させるためにするもの、ですね。
それを始めたら、もう病んでいる、と。
(しかし、世の中、「「他者の納得」が無ければ進められない」というようなことも、いろいろあるのかなと思いますけれど)


>「宗教とか哲学は「判断の中止」という見識も持っています」

「判断の中止」ですか。恥ずかしながら、初めて遭遇する表現でした。ありがとうございます。


「孤高」などという境地には程遠い自分であるためか、仰られたことを「まさに、その通り!」というようには受け取ることが出来ませんでした。
「「ハエがたかるくらいだから、まだ大丈夫だ」と言って食する」、そういう環境も、世界にはあるようです。

お礼日時:2013/02/13 23:22

おはようございますkurinal様。



苦労するのは心ではなく身体です。
色んな立ち位置の方向を検討中の私が複数居ても、
それを採用決定して現実に実行するのはたった一人の私ですね。

判断を極小化するには「演技力」が必要です。


思い込みに乗る


イケメン
http://www.youtube.com/watch?annotation_id=annot …
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この回答へのお礼

miko-desi様、こんばんは。


(稚拙な?)判断によって、生じると思われる「要らぬ苦労」を、どうにかならないのか?(極小化?)と申しあげたのであって、「判断を極小化」とは申して居りません。

例えば、採用において「有「資格」者を不採用としてはならない(という資格がある)」とする国もあるとか。

お礼日時:2013/02/06 23:25

しつこくすみません。



一般的に芸能人は羨望の対象にされますよね。
自由を体現している人で、個性的とか平均以上の品があるとか綺麗とか。

そうではなくて個性と演技力(事務所の力もあるでしょうが)で売ってる人たちで、
個性をシンボル化した存在ですね。

知人の超美人は自由奔放なのでもなく
強気でもなくごくごく普通の庶民感覚で過ごされてます。
でも見た目で判断され要らぬ苦労もするそうですよ。

堕落してるしてないは「偏見がなせる業」でもあるでしょう。
現象学は偏見によって(のみ)成立しますから。
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この回答へのお礼

miko-desi様、こんばんは。


>「知人の超美人は自由奔放なのでもなく
強気でもなくごくごく普通の庶民感覚で過ごされてます。
でも見た目で判断され要らぬ苦労もするそうですよ。

堕落してるしてないは「偏見がなせる業」でもあるでしょう。
現象学は偏見によって(のみ)成立しますから。」

ご回答ありがとうございます。


「~で判断され要らぬ苦労もする」

こんなのは、「経済学」的には、どうなんですかね。
「「要らぬ苦労」を極小化するための判断」とは?

お礼日時:2013/02/05 23:40

電車やバスで椅子に座ってたら


乗り込んできた女性が超美人で白人で自分の前に立った場合
日本男児の反応ってどうなるものやと思います。

日本人は下心も差別なしに
最善の調和?を模索するだけで身体は二の次、
既に頭の中は面倒なことが起こってしまってるかもしれない。

自由意志の対は面倒意志(造語)で。

面倒の対は身体。
身体ほどいくら面倒な処理でもやりたかったらやるし、
正直にしか生きられない哀れなものはない。
身体が「もういいよ」と云ったら帰すがごとし。

自然は身体の設計を全体の統計に入れてましたが、
自然はお金の価値まで予想してなかった。
これは人間の発明というか越権行為ですね。

私の経験則では、
日本男児は(に限らないけど)居眠り(放置プレイ)が多数決議案みたいです。
なのでなるべく年上の女性の前に立つかドアの横に立ちますね。
そうすれば期待せずに済むし、足腰の鍛錬になって我に感謝できるし。

この回答への補足

・・・まさに「息を呑む」というくらいでしたね。。。

補足日時:2013/02/02 23:34
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この回答へのお礼

いやはや、ご回答ありがとうございます。


「手を握って離さず、次の降車場で一緒に降りる」
日本じゃないけど、何処かの男子ではそれが「デフォ」だとか?。


>「私の経験則では、
日本男児は(に限らないけど)居眠り(放置プレイ)が多数決議案みたいです。
なのでなるべく年上の女性の前に立つかドアの横に立ちますね。
そうすれば期待せずに済むし、足腰の鍛錬になって我に感謝できるし。」

(自称)仏教徒と致しましては、「期待」も「感謝」も格別にはしないもの、でしょうか。


(超美人の白人に対する、日本男児の反応)
少なくとも私は、超美人の日本人を(間近に)見て、その現象の事実に驚嘆の思いを禁じえなかったことは、ありますよ(居眠りどころではありませんですた)。。。でも、それ以上は経験不足なのか、知りません。特に白人だからと言って、特別に興味を持つというようなこともありません。

お礼日時:2013/02/02 23:10

ヒカルちゃんのPVで



くせになるんだ
やめないで
会いたくて
どうすればいいの
抱きしめて
大人になりたくて

という台詞のところで黒のジャケットの胸元が開いてピンクのインナーが見えますね。
これが本心なら最初からそう言えばいいのに。

医療関係従事者を目指すことがなかったものですから、推測に過ぎませんが、
医者は尊敬されたい、人気者になりたい人なのだと思います。
尊敬の認識が患者とズレててお互いに理不尽を味わうのです。

患者から医師に与えられるもの、
初診料とか保険料とか、医師の懐に入る報酬とは金額だけでしょうか?

お金こそが知識や技術の対価であるとう呪縛を受けているんでしょう。
何のために切磋琢磨されてきたのでしょう?
支援者からの報酬をどれだけ予測しうる能力(感謝力?)があるかどうか

自由は実行の制約されませんから自由です。
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この回答へのお礼

>「自由は実行の制約されませんから自由です。」

自由なご回答、ありがとうございます。


>「これが本心なら最初からそう言えばいいのに。」

そうですねえ。女性は実に面倒というか、「女よりも軽いものは無である」という表現も見たことがあります。


>「医者は尊敬されたい、人気者になりたい人なのだと思います。
尊敬の認識が患者とズレててお互いに理不尽を味わうのです。

患者から医師に与えられるもの、
初診料とか保険料とか、医師の懐に入る報酬とは金額だけでしょうか?

お金こそが知識や技術の対価であるとう呪縛を受けているんでしょう。
何のために切磋琢磨されてきたのでしょう?
支援者からの報酬をどれだけ予測しうる能力(感謝力?)があるかどうか」

ふむふむ。
仰る通り、医療によってまさに助けられて、涙ながらに感謝されるということがあっても、
される側は、そんなのちっとも嬉しくない、ということも、あるんでしょうね。
・・・一方で、こんなはずじゃなかった!みたいに恨まれるということも、あるんじゃないでしょうか

お礼日時:2013/01/31 23:08

>「美魔女」とお呼びしては、失礼でしょうか



揶揄されるかも知れませんが、それで結構です。
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この回答へのお礼

こんばんは。


「患者」と医者とでは、医者のほうが「自由」・・・というのは、医者は疾患に対する術を知っているから、
知らずに困っている患者よりも自由なわけで、患者さんに対して「コレコレこういうわけですけど、どうしますか?」とも言えるわけです。
でも患者にも自由はあるわけで、「そうだったのか」と判った上で、それではどうするかというのは、医者が一存で決めるようなことではないわけです。

そうした「患者の自由」について、さらに介入出来るとすれば、
Ano.6さんへのお礼で述べた
「放置することが、「本人にとって、重大な、取り返しのつかない結果を招く」のであれば、放置すべきでない(介入する正当な理由がある)」という考え方」によるでしょうか。
しかし、それさえ本人の自己決定ということの前には、「医者の自由」などありえない、というべきか

お礼日時:2013/01/30 23:50

患者との区別がはっきりしない分野だったり?笑



お前がいう自由とは「~ことか?」安い自由だな。


どうぞお大事に。香港より。
http://www.youtube.com/watch?v=V_In-3UlkEk&list= …
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この回答へのお礼

miko-desi様、ありがとうございます。


>「患者」

素晴らしい切り口ですね。


「美魔女」とお呼びしては、失礼でしょうか

お礼日時:2013/01/29 23:01

好きになることが「欲望」を持つことで、


欲望に取り込まれていくと「自由の才能」を得たことになっていき
欲望に拘束されるまでになると「不自由」になったと不満をためて嘆くことになる。

では、小欲であれば不自由しないのかというと、
小欲ゆえに自由の根拠たる「好き」の実行力が乏しく安らぎが得がたい。
自分がもっと知りたい良いと思うものより
楽で便利だったら「自由」になったと判断する←堕落

諸学問は自分以外の事柄に魅了され、魅力の感知力が高まったことの成果ですよね。
それに比べて哲学ときたら…自由とか自分のことばっかで堕落した学問だなあ。
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この回答へのお礼

miko-desi様、ご回答ありがとうございます。


ところが、「研究者自身のニーズに出発する心理学」といったものも、あるんですね。

お礼日時:2013/01/25 00:40

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