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どこに質問すればいいのか分からずこちらに質問します。
適切じゃなかったらすいません…m(__)m

少し前に、養老孟司さんの 「どん底に落ちたら掘れ」 というような発言を新聞で見ました。 面白い視点だな~と思っていたのですが、これって詰まるところどうゆう意味なんでしょうか?

自分なりの考えでは、低迷 低調から「急がば回れ」的に復活しろ…ということが言いたいのかなと思ったりしていますが、イマイチ漠然としています…。 真意としてはどうゆうことを言おうとしている言葉なのか、分かる方いますでしょうか…?

「自分はこう解釈する」というようなものでも構いませんので、教えて頂けたらうれしいです。

A 回答 (8件)

参考程度に


どん底の状態というのは、精神的に「内向き」の状態にあります。どん底という環境は人生の途中で何度もあるわけではありません。人生の大半を占める普通の状態では、精神的には外向きの状態にあり、自らの本当の人生の目的などを自分自身の視点で考えてみることはないでしょう。多くは周りの人々、つまり第三者の考え(常識)や意見などに影響されて自らの考えや自分自身が何者であるかを決めているのが事実でしょう。これを偽りの自分(偽我)といいます。
そこで、どん底の環境にいるならば、内向きの自己観照の状態であるからさらに自己を見つめること、つまり底を掘ることで本当の自分(真我)を見出すことができる。
という意味で底を掘るとか底を割るという表現をします。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。お礼が遅くなりましてすみません。

「偽我」「真我」ですか…初めて知りました。
そうですね、どん底の環境にいるようになってしまうのは
それなりの要因があるでしょうから、そのことを見つめず、
闇雲に「どん底以前」へと戻ろうとしても、
どこかその場しのぎのような結果になってしまいそうですね…。

ところでご回答の中に 『…という意味で底を掘るとか底を割るという表現をします』 
とありますが、これは何か専門的な学問(?)の言葉・表現なのでしょうか?
興味があるので(更なる質問になってしまいますが)教えて頂けないでしょうか…?

お礼日時:2004/03/10 01:12

哲学のカテゴリーらしい答えを考えてみました。



「底に落ちたら・・」とある「底に落ちる」という事態はまず自分の意思ではありえませんね。何かの突発的、外発的事由によってそういう状況に陥ってしまったわけです。
勿論、その原因は自分の中に内包されていたのかも知れませんが、それは自覚的なものではなく・・わかっているなら当然回避しようとしたはず・・当人にとっては「アンラッキーな」事態を指していると思います。
そして「掘れ」と言う命令形になっていますが、もしその状況下でその通りにするのだとしたら、それは自主的、主体的な行為ですよね。それはある種の「アガキ」かも知れませんが、少なくとも事態に向き合った行為であると言えるでしょう。
よって、そんな感じに解釈してみました。

訳:人生の中には自分の努力ではどうしようもないような事態や結果に運命的に陥ってしまうことはあるものであるが、そういう状況の中でも人はどのようにそれを経験するかは自分の意思によって選びとることができる。

意味:つまり、雨が降ったからと言って、必ず人が不幸に」なるわけではなく、それはただの自然現象。良いも悪いも自分の解釈次第だということ。「でかけようと思った自分にだけ雨が降りやがって!」と思って嘆く人もいれば、その同じ雨に「今日は家でゆっくりと安めという天の思し召しかなあ~」と感謝するような人もいる。
どん底というのは、状況の必然的帰結として当人の意思に関係なく出来上がった状況。そこでどのように振舞うかによって自分の価値や意義を自ら知ら示すことができる・・どうです?哲学的でしょう・・!

ちなみに私は養老孟司さんは二流の科学者だと思う。その理由は神を人間(の脳)が作った、と言って憚らない態度。まあ、私には特定の宗教があるわけではないのですが、あまりにも非科学的態度に思えるのです。私は今の科学がもう限界にまで発達しているとはとても思えない。だから立証不可能なものも今はそうであるだけかも知れない、という謙虚で開明的な視点が今後ますます必要だと思ったりします。
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この回答へのお礼

大変遅くなりました。すみません(-_-;)
お礼をする時間が都合がつかず、間が空いてしまったら
どうも気まずいような感じがしてしまい、ズルズルと先送りしてしまいました。
ですので、もし何か意図してお礼がされなかったと思われましたら申し訳ありません。
決して他意あってのことではないです。

本当にすみませんでした。
そして、ご回答ありがとうございました。

ご回答を読み
「いかなる状況に置かれたとしても、そこには限られた見方しかできないわけではなく、
自分の判断に基づく行動を選択することができる余地は十分にある…」
そんな感想を持ちました。

大変参考になるご回答、感謝していますm(__)m

お礼日時:2004/05/12 02:43

追伸


「ところでご回答の中に 『…という意味で底を掘るとか底を割るという表現をします』 
とありますが、これは何か専門的な学問(?)の言葉・表現なのでしょうか? 」

仏教の教えです。養老孟司さんの 「どん底に落ちたら掘れ」 は仏教の考え方、教えを使われているのです。
仏教的な悟りへの道は山にこもる修行だけではないのです。平凡のなかにもあるのです。特に大病をしたりどん底の状態にあるときは悟りを得るときでもあるということです。
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この回答へのお礼

遅くなりましたが、さらなる質問に答えて頂きありがとうございます。

なるほど、仏教に関係する言葉だったんですね。ちょっと興味が湧いてきました。
大変参考になりました。

お礼日時:2004/03/13 01:49

こんにちは。



どん底から復活するために、
そこから這い上がるというような事を、想像すると、
落ちてきた経路を、逆に辿る事でしかない。
(「どん底に落ちる」という言い方は、もちろん比喩ですよね)
落ちたのが、他人に落とされたとか、自分の不注意とか、原因は、人によっていろいろかもしれないが、どん底に居る状態には、「落ちる」という事を裏付けるだけの運動法則(とか重力)みたいなものが必然として、関係している。
落ちてきた逆をそのままやる事は、必然的に働きかけているものに逆らう事に等しい。

重力というものを理解しなくとも、これらのことを、充分知る事ができる。

困難は目に見えているでしょ。頭を切り替えた方が、もっと楽に抜けだせるかも知れない。
…温泉を掘り当てるかもしれない。
水脈に当たって溺れかけるかもしれない。
よじ登った方が、たやすかった、ということも、充分ありうる。
しかし、(よじ登る事で)重力に逆らう困難のほうが、より確実に(ほぼ間違いなく)落ちた人の身に、起こりうる。

…って事かしら?
(最後、書き過ぎたかな?)
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この回答へのお礼

時間がなくてお礼が遅くなりました。すみません。

>しかし、(よじ登る事で)重力に逆らう困難のほうが、
  より確実に(ほぼ間違いなく)落ちた人の身に、起こりうる。

そうですね。何がどうなっても、転がるように登っていき(?)
復活を果たすとはならないでしょうからね。
道のりをいろいろ変えても、かかるエネルギーは相当なものでしょうし…。
ただ、戻る地点を以前とは別の新しいところにすれば、
そうではないかもしれませんが…。

こういった捉え方も確かにありますね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2004/03/13 01:43

単なるギャグでしょう。


まあ、どん底でそんなギャグを言う事自体、
教訓といえますけどね。

いつも心にギャグを!
の精神ではないでしょうか?

言い方がわるいですね。
心にギャグ分の余裕を持とうと言えばいいかな。

日本人は真面目だから、
おちゃらけた感じを良く思わない。
でも、その余裕は大切なことだと思いますよ。

ま、そしたら今度は、
ユーモアとかウィットに富んだとか、
真面目に考えだすんですけどね、
日本人は。

養老さん、何とかしてください!!
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。お礼が遅くなりましてすみません。

先の回答にもありましたように、「こう行動しろ」という言葉ではなく
「気持ちの持ち方・姿勢」についての言葉と捉えられるところは確かにありますね。

ギャグ、じゃなくて余裕…大切ですからね。
ただ真っ当に正攻法で対処していくことだけが効果的という
わけではないでしょうから。でもいざ意識をしてしまうと、
今度は「余裕」で手一杯になってしまいがちだったり…。
気持ちの幅というか視野を大転換できるかが
「余裕」のポイントなのかな…って気がなんとなくしました。

お礼日時:2004/03/10 02:07

 底が掘れるということは、まだそこは底ではないと解釈しました。

視点を変えろという意味でいけば、本当にそこはどん底なのか?と自らに問うことかとも・・・。
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この回答へのお礼

>底が掘れるということは、まだそこは底ではない…

そうですね。「絶望だと言えているうちは、まだ絶望ではない」みたいな考えと
同様のことかもしれませんね。ただ一人勝手に「どん底だ~」なんて騒ぎ立てて、
思い込みにハマり込んではやっている気持ちを、まず冷静にさせよう…
そうゆうことかもしれませんね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2004/03/06 01:24

養老孟司さんの発言というよりは、


元々はイタリアの諺とかじゃなかったかと。

日本的な感覚だと、
「どん底に落ちたら、もうそれ以上は落ちることはなくて後は上るだけなんだから、...」
とか言ってしんみりとなぐさめたりするのに対して、

イタリアなんかだと、
「どん底に落ちたんなら、丁度いいから底をもう少し掘ってみたらどうだい。何か出てきたりとか、それともどこか別のところにポッカリと抜け出るかも知れないし。」
というようなカラッとした感じじゃないんでしょうか。

--
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この回答へのお礼

>元々はイタリアの諺とかじゃなかったかと。

そうなんですか…知りませんでした。
何か具体的な「教訓」というよりは、困難な状況に対する「姿勢」みたいなものを
言わんとしている言葉なのかな、という気がしてきました。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2004/03/06 01:16

這い上がれないほど、どん底まで落ちている状況で、


できることと言えば、さらに下に向かって土中を掘ることくらいでしょうか。

現在、自分が置かれた状況で、やれる範囲のことをやるしか、現状を変える手立てはないということではないでしょうか。
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この回答へのお礼

なるほど、「やれる範囲のことをやる」というのは確かにそのとおりですね。
窮状に陥ると焦ってしまって、やたらと大きい努力をする必要があるように
難しく考えてしまいがちですからね…。

自分では気付かなかった視点のお答え、ありがとうございました。

お礼日時:2004/03/06 01:04

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