
No.5ベストアンサー
- 回答日時:
直参はあくまでも「将軍直属の家臣」ですので、御三家でも御三卿でも家臣は「陪臣」です。
それらの家の当主は将軍の身内ではあっても、将軍ではありませんから。
>水戸藩士で馬廻り役の500石というと、藩内におけるランクはどれくらいになるのでしょうか?
かなり上ですよ。
まず、直参旗本と呼ばれる旗本でもその90%近くは500石未満です。
一口に侍と言っても、現在のサラリーマンのように給料(当時は米)を貰う「蔵米取り」と、領地を与えられる「知行取り」の2種類に分かれ、当然、領地を与えられる後者の「知行取り」の方が格上。
領地を与えられる「知行取り」を現在で言えば、会社の一つの営業所なり支店をまかされてその売り上げを全部お前の好きにして良いってことになります。(但し、売り上げが悪かったら収入は減りますが)
でっ、この「知行取り」は500石からなのですよ。
小藩なら500石は家老クラス。
水戸藩には家老が17,8人いて、一番禄が低い家老が800石。
水戸藩で500石以上の禄を貰っていたのは、家臣全体の中の上位15%前後(30人前後)に過ぎなかったはずです。
ただこの家臣全体と言っても記録に残っている、あるランク以上の家臣であり、下っ端の記録にも残らないような家臣もいますから、比率の少なさはもっと上がるかもしれません。
直参か陪臣かの決め手は、将軍の身内かどうかではなく、
将軍の家臣かどうかなのですね。
>直参旗本と呼ばれる旗本でもその90%近くは500石未満です。
そうだったのですか。なんだか意外です。
それでも、直参というだけで石高がもっと上の藩士より格上になるんですね。
>水戸藩で500石以上の禄を貰っていたのは、家臣全体の中の上位15%前後(30人前後)に過ぎなかったはずです。
そんなに少なかったのですか・・・!
なんだか本当に500石だったのかどうか不安になってきました・・・
根拠がないわけではないのですが。
ご回答ありがとうございました。
No.10
- 回答日時:
陪臣であることは前答通り。
500石取りの身分は下記 URL 参照。
1666~7年の水戸藩の職制なので、時代とともに
変わりますが参考にはなるでしょう。
藩士(士分) 1070名 中
1000石取り以上 28名
500石取り以上 30名 計 58名
ですから高い身分ですね。
1000石取りの割合が異常に多いのは、水戸の家臣と
いうより、家康の時代に御目付役として押し付けられた
「付け家老」などの名家があるためです。
1万石以上 2名
5000石 2名
3000石 3名
参考URL:http://sito.ehoh.net/mitohan.html
500石以上は1070名中58名だったのですね。
500石取りの藩士は本当に少なかったことに驚きました。
と同時に1000石取りの割合が多いことにも驚きです。
これも一つの水戸藩の特徴といえるのでしょうか
水戸藩について色々知ることができて嬉しいです。
ご回答ありがとうございました。
No.8
- 回答日時:
no7です。
資料の写しが手元にありました。紀州徳川家(55万石)の家臣団の役職と石高について転記します。
宝永分限帳(宝永は1704~1710年)によると、
士分以上の1200余名の中で、
1000石以上が68名
500石以上が120名
300石以上が122名
200石以上が193名
100石以上が155名
となっています。
紀州徳川家は、尾張家や水戸家と比較して500石以上の数が多いといわれているそうなので、水戸徳川家(35万石)では500石以上はもっとすくないのでしょう。
馬廻役は、大名家によって呼び方が異なり、将軍家(幕府)や一部の他家で云う書院番または小姓番(←合わせて「両番」とも)と同じです。
役割としては、戦陣で殿様の直近を警護する武官です。
紀州徳川家では、御書院番頭、御小姓組頭が400石格でそれぞれ5名ずつ。
御書院番組頭が60石格、御書院番が25石格。
御小姓組頭が200石格、御小姓組が40石格。
「馬回り役で500石」との記載については、
石高の方を信用すればそれは馬廻番頭(部隊長)ということでしょうし、
馬廻役(番頭でも組頭でもない馬廻役)というほうが本当であれば、・・・・ということです。
そういえば「御三家の家臣は陪臣」についてはみなさんの回答の通りで異論の余地がありません。
「御三卿の家臣が直参」の方ばっかり主張して、御三家の方は書き忘れちゃいました。
比較対象として紀州徳川家の例をあげて下さり
わかりやすかったです。
また、馬廻りといっても、各藩によって呼び方が違ったり、
馬廻り役の中にもランクがあったのですね。
馬廻り役というのは、母が実際に水戸の市立図書館で確認したので
(というより、その時初めて馬廻り役の存在を知った。)事実なのだと思います。
500石というのは、明治生まれの私の祖父が「多分500石くらい」と言ってたようで、
最初は、本当かな?と思いました。
「うちは藤田東湖さんちと姻戚関係にある」という話があるので、
藤田さんちの石高を調べたところ、始め200石で最終的に600石になったらしいので、
祖父の言ってたことはあながち間違いではないのかもと思いました。
姻戚関係云々がそもそも間違ってたら意味ないんですけど(汗)
また、お墓が水戸黄門で有名な格さんや藤田幽谷・東湖父子と同じ墓所にあり、
母曰く、ある程度の家格がないと入れない墓所らしいとのことで、
一応根拠のうちの一つにしてます・・・
今、ご先祖について調べているので、
その点も含めて、もっと調査していきたいと思います。
2度目のご回答ありがとうございました。
No.7
- 回答日時:
御三卿の家臣は直参です。
御三卿は、将軍家の別家である御三家とことなり、「将軍家の家族扱い」なので、その家臣も同じ家に勤めるものとして直参です。
同じように、将軍嫡男付き(二の丸付き)や大奥付き(**院様御付)なども直参です。
直参の名簿である武鑑にももちろん記載されています。
直参旗本の最高格は「江戸城留守居役」と「御三卿家老」です。
現代風にいえば、御三家や諸大名を独立した法人である子会社とすれば、御三卿は親会社の事業本部くらいの位置づけ。
なので御三卿の家臣は、あくまでも親会社の社員。
細かく例えると、御三家・親藩は、親会社のオーナー社長の親族が社長を勤める由緒正しい子会社、譜代はかつて親会社の一部門から独立した子会社、外様はある時期に協定を結んでグループ入りした関係会社。
水戸藩士で馬廻り役の500石・・・
暮らしぶりについてはわかりませんが、上士です。家老級の次のクラスと思われます。役員ではないが部長級。
水戸徳川家の家臣団についてはわかりませんが、たとえばよく知られている赤穂浅野家(5.3万石)でいえば500石は上から5~10番目くらいの禄高です。
後日であれば紀州徳川家の家臣団との対比によるポジショニングなどお知らせできるかもしれません。(いま手元に資料がないもので)
御三卿は家族扱いで、御三家は親戚扱いなのですね。
う~ん、なんだかずるいです(笑)
現代風の例えが大変わかりやすく、
御三卿と御三家の将軍家との位置関係等わかりやすかったです。
>水戸藩士で馬廻り役の500石
家老級のの次のクラスですか・・・
思った以上に上で当惑しております。
ご回答ありがとうございました。
No.6
- 回答日時:
annabeさんおはようございます。
御三家はともかく、御三卿には独自の家臣団はなく、旗本や御家人からの出向が多く、だからほとんど直参ですし、ごく一部を除いてそこで代々勤番している人は少ないです。御三家の御付家老も官位や様々な特権を有していますが、陪臣なのです。
あと500石の水戸藩士ですが、組頭以上に付ける価格のようです。詳しくは下記のURLを参照ください。
御付家老
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E9%99%84% …
御三卿
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E4%B8%89% …
水戸藩士
http://sito.ehoh.net/mitohan.html
ithiさん、こんばんは。
この度はご回答下さりありがとうございます。
御三卿には独自の家臣団がないというのは初耳でした。
やはり、御三家といえど、その家臣は陪臣扱いになるのですね。
参照URLもありがとうございます。
特に水戸藩士のURLが、石高と役職が細かに分類してあって
大変興味深かったです。
No.4
- 回答日時:
陪臣かどうかについて明言した本を読んだ記憶はありませんが、犬山城主成瀬家(3万~3万5千)は、家康の命によって尾張徳川家の付家老になった家柄ですが、途中から、どうにかして幕臣になろうと奮闘努力してました。
そして、明治元年にようやく犬山藩として独立に成功しました。で万歳したのもつかの間、翌年、版籍奉還でした(藩知事就任だが)。
3万石の付家老でも幕臣になりたくてしようがなかったのですから、一般の家臣は、「陪臣」と思って間違いないでしょう。
500石はかなりいい身分です。主君の石高によっては家老クラス、その下あたりの場合もありかな。
お城(跡)の麓に武家屋敷街が残る町が、けっこうな数ありますが、ざっくりいうと200~300石クラスではなかったかなぁと思います。かなり良い家ですよ。
1000石クラスの家だと、まとまった土地になるので、明治以降、つぶされて公共施設になっているケースが多いと思います。
それに、最小の大名(小名)は1万石ですが、500石で割ると20人です。小名といえども直臣として雇わなければならない人数はそんなもんじゃないですし、大名自身の衣食住もあるのですから、500石なんて高禄を家臣に渡せるわけがありません。
江戸町奉行所の与力が200石(200俵)だったと思います。犯罪者を捕まえるので「不浄役人」の身分ながら、その分高禄だと読んだ記憶がありますので、200石でも高禄なのだと思います。
水戸藩ではさすがに家老なんてことはないでしょうが、500石なら立派だと思います。
3万石の付家老といえど、幕臣になりたかったということは、
やはり、御三家の家来は陪臣扱いだったのですね。
>500石はかなりいい身分です。
各藩の家老というと1000石以上が当たり前のイメージがあったので、
500石は中の中くらいの身分だと思ってました・・・。
なんだかびっくりです。
>最小の大名(小名)は1万石ですが、500石で割ると20人です。
そういう考え方をしたことがなかったので、面白くてわかりやすいです。
確かに500石も渡せませんね。
他にも比較対象を紹介して下さり、イメージしやくかったです。
ご回答ありがとうございました。
No.3
- 回答日時:
気づいたら陪臣になっていたので、直臣運動してました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E4%B8%89% …
御三卿の場合、現代的に言えば「子会社出向」ただ、御三家の附家老同様に、いつのまにか陪臣扱いになっていたかもしれません。
歴史の偶然で、御三卿は継続的に存在しませんでしたので。
>気づいたら陪臣になっていたので、直臣運動してました。
なんか表現が面白くてつぼにはまりました。
>御三卿の場合、現代的に言えば「子会社出向」
なるほどわかりやすいです。
リンク先も参考になりました。
ご回答ありがとうございました。
この件と関係ありませんが、猫さんのお写真可愛いですね
猫好きの私としてはたまりません。
No.2
- 回答日時:
>御三家や御三卿の家臣の場合は直参と陪臣どちらになるのでしょうか?
家康の命令で、尾張徳川家の付け家老に成った成瀬氏(犬山城の城主で3.5万石)ですら、江戸時代は陪臣扱い(幕府内に残れば老中にすらなれる家格[2.5万石以上]。)され、明治維新時に同じ待遇だった紀伊や水戸の付け家老と結託して、朝廷側に付く事で初めて大名格[陪臣格から抜け出す]を認められたらいですから…。
(その為に御三家が幕府を見限る様に暗躍した訳ですが…。)
>水戸藩士で馬廻り役の500石というと、藩内におけるランクはどれくらいになるのでしょうか?
水戸藩では、家老級は1万石前後の家禄を持ちますけど、後述する理由で家禄で家臣を評価するのは難しいかと思います。
水戸藩家臣団の特徴として挙げられるものの一つとして、大名家としての譜代家臣が少ないため、一門集の力が強いのと、没落名門家からの新規採用が多く、その後の採用された家臣家の断絶や禄高の没収が多い事があげられます。
まあ、才覚が有れば少録(150石から家老まで成り上がった者も居るので)でも出世できますけど、他者の足の引っ張り合いが多発するという嫌な家風が出来てしまいますけど…。
ちなみに、一般的に禄が200石以上で騎乗が許される為、200石以上は上士扱いです。(上級武士)
1万石級の大名の家臣だと500石取りって家老級ですよ。
(たった一人の家臣が大名の家禄の5%以上を領しているのですから…。)
尾張徳川家の家老という時点でも十分すごいのに、
陪臣格から抜け出したいと思うくらい、直参というのは位が上なんですね。
石高ではなく、将軍からの(家来としての)距離が重要とは聞いたことがありましたが、
まさかそこまでとは思いませんでした。
藩それぞれに特徴があるのですね。
良い点もあれば悪い点もありますね。
>たった一人の家臣が大名の家禄の5%以上を領しているのですから…。
一万石給の大名の家臣と言えど、500石で家老!?と思いましたが、
確かにそういう考え方をすればありえますね・・・
なんかすごいです。
ご回答ありがとうございました。
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