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 (あ) すでに考えられた結果を暗記しおこなうことしか望めないか?

 (い) われら考える日本人は 少数であるゆえに 悪貨は良貨を駆逐するの慣わしの前に望みは薄いとあきらめねばならないか?

 (う) 哲学以前あるいはさらにへたをすると人間以前という実際を目の前にして どうすればよいか?

 (え) 足の引っ張り合いなるたたかいに まだしばらくは 対処していかねばならない情況であろうか?

 (お) (あ)の見方によれば 外国人をまづ説得しその外国の人間が考えた《日本人よ 考えることをせよ》なる結論であるなら 日本人は受け容れるのだろうか?

 (か) なぜこれほどまでに日本人は あほばか状態が好きなのか? 心の奥底でそうなのではないだろうに。

 (き) なぞの隠れた愚民化政策が どこかその筋から ほどこされているのだろうか?
  (特に 神・絶対ということについての理解が あの聖徳なるぼんくら太子の水準でありつづけている。《世間虚仮 唯仏是真》なるおのれのみの観念の世界の中にくすぶりつづけるしかも高ぶり状態。タコツボ地獄)。

 (く) あるいは あほばかヰルスが ひょっとしたら ばら撒かれているのだろうか?

 (け) ・・・

 どうでしょう?

A 回答 (45件中11~20件)

要領を得ないのはお互い様でしたね。

では。
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この回答へのお礼

 それは たいへん失礼をいたしました。

 こんどのときによくお迎えできるかどうかも分かりませんが 貴重な時間を割いてご投稿を寄せていただきありがとうございました。

お礼日時:2013/07/03 18:43

何か混乱してきましたが、白黒つけたいのであればそうされるのが良いでしょう。

要するに前向きとか後向きという話でなく、苦があるのでやさしさが顕れるのではないかという旨のことを言っています。
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この回答へのお礼

 ということは 質問の趣旨説明とは関係なく ちょっと《世間虚仮》という文句をいじってみたとか ちょっと《仏》だとかいう用語を持ち出してみたとか そういうたぐいの議論もしくは雑談だったということでしょうか?


 いづれにしても 要領を得ませんので わたしは降ります。

 ご投稿をありがとうございました。

お礼日時:2013/07/03 17:12

こんにちはです。



ビットは、数を二進法表示した際の桁数だと考えていただいて、結構です。
たとえば、
(110)2ならば3ビット、(1101)2なら4ビットという感じです。
───(abc)2の2は、二進法で表わした、という意味───
二進法表示になれていないから、難しく感じられるだけで、普段、私たちが使っている十進法と原理は同じですよ。十進法は桁が1つあがると、10倍になる。二進法だと、2倍になる、というところが違うだけです。

(110)2は、
1×4+1×2+0×1=6

十進法の(110)10は
1×100+1×10+0×1

二進法の桁数、つまり、ビット数が大きくなると、それだけ大きな数を扱える。扱うことのできる《情報》が多くなる、といったところでしょうか。

この回答への補足

 お礼欄をおぎないます。

 二進法の数え方は 左手ではなく 右手から始めてもよいわけですね。右手の親指から始める。

 なんで左手からだと思ったのだろう。

 指を折ったり立てたりするごとに 十進法の一二三四・・・と数えて行けばよい。

 右手の小指だけを折った状態は (10000)2=十進法の16 になりました。
 右手の指ぜんぶを折った状態は (11111)2=31。

補足日時:2013/07/03 13:38
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この回答へのお礼

 すみません。ご説明をありがとうございます。

 ビット数って 二進法で言うのですね。
 バイトとかも言いますよね。どうも覚える気がないものですから。

 あぁ 思い出しました。左の手で 小指から折って 次の指を折って小指を立てて (1)2=(十進法の)1 (10)2=2 (11)2=3・・・として数えることをおそわったことがあったっけ。三つ子のたましい百までですね。

 ありがとうございます。

お礼日時:2013/07/03 13:21

世間虚仮は後向きでも前向きでもなく、ただそうであるゆえに、人はやさしくなるのだとおもいます。

それが仏という性質ではないでしょうか。
ですから、思想というものを越えて、本質的にやさしいということなのだとおもいます。
それが私には後向きとは思えません。
あえて批判的態度をとるというのはわかりますし、前向きに生きたいというのもわかるのですが、。
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。

 ぎゃくではないのですか?
 

  ○ 一切衆生 悉有仏性  あるいは 自性清浄心

 なるブッダターが――要するに神の霊が――この身と心にやどると言ってから・そして聞いてからの問題ではないのですか?
 
 ▲ 世間虚仮
 ☆ で
 ★ ただそうであるゆえに、人はやさしくなるのだとおもいます。それが仏という性質ではないでしょうか。
 ☆ という意味が分かりません。

 つまり
 ▲ 唯仏是真
 ☆ ともそのあとに言っています。どういうことか?
 この場合の《真理だと捉えられたブッダ(ないしブッダター)》は もはやこの虚仮なる世間にはない。人も自分も信頼できない。うんぬん。というふうになるのではないですか?

 もしそうではなく《人はやさしくなる》というのなら それは初めにブッダターが分かっているからではないのですか? 少しでも小耳にはさんでいて あぁ 世間は虚仮だが しかもそれにもかかわらず・なおかつ われらの《自性》としては《清浄心》なのだと思いかえす。――ということではないのですか?


 ★ ですから、思想というものを越えて、本質的にやさしいということなのだとおもいます。
 ☆ 小耳にはさむこともなく 何も聞いていないが 世間の虚仮なることや無常に接して そう捉えたあとに人は やさしくなる。――こういうことでしょうか?

 つまり ブッダターということを言うのは あくまで後付けであって そもそもの《にんげん》が初めに《後ろ向きではない》姿ですっくと立っている。――こういうことでしょうか?

 もしそうなら
 ★ あえて批判的態度をとるというのはわかりますし、前向きに生きたいというのもわかるのですが、。
 ☆ というのは おかしいですよ。分かる必要はないどころか それは マチガイだと言わなければなりません。

 つまり あなたのご見解は

   ○ ひとはいちいちわざわざブッダターだとか自性清浄心だとか神の霊がやどるだとか言う前に・そんな思想とは関係なく すでに《わたしがわたしである》前向きのやさしい心の状態にある。

 となります。それが 聖徳太子の命題であると言ったことになります。だから それを批判する見解は マチガイだと言っています。

 そう言わなければおかしいです。


 要するにこちらの見解としては 聖徳太子の命題としての《世間虚仮 唯仏是真》は せっかくブッダターのやどることが《世間》で言われそれが人びとに迎え入れられているところへ わざわざ水を差すことになる。ただただ世間から遠ざかれとか 世間は真っ暗闇なのだから ただただ仏にすがれなどという観念のタコツボ世界に入るだけである。――こう言っています。

 情報交換というからには これらのあいだの哲学的止揚を互いに目指す。――これが 問い求めとしてわれらがなすべき作業ではないですか?

 そうでなければ それは《考える》の死である。こう考えます。

お礼日時:2013/07/03 10:34

よく考える人とそうでない人と、色々おられるとおもいますが、。


一括りに日本人は、と断言することは出来ないでしょう。
ところで、私は世間虚仮の意味を何と無くわかったようなことがあります。それは、深い苦悩を見た時に、或いは重い不幸に触れた時に、日常の事や世間的な幸せは、泡沫のように儚いのだと思う感覚です。共感できますでしょうか。そういう見方もあるという程度に受け取ってください。

ソクラテスに習って、ただ考えるのでなく、善く考えることが大事なのではないかと、或いは良寛から文字を借りて、良く考えるとか、。
同じ思考習慣で堂々巡りをしているのは、質問者自身も気をつけなければならない点ではないかと思いました。もちろん、そうだと言い切るわけではないですが、、
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。


 ★ ~~~~
 よく考える人とそうでない人と、色々おられるとおもいますが、。
 一括りに日本人は、と断言することは出来ないでしょう。
 ~~~~~~
 ☆ これは
 ☆☆(趣旨説明欄) (い) われら考える日本人は 少数であるゆえに・・・
 ☆ と言っているように 《考える日本人》をもふくめた《日本人》のことです。よ。


 ★ ところで、私は世間虚仮の意味を何と無くわかったようなことがあります。それは、深い苦悩を見た時に、或いは重い不幸に触れた時に、日常の事や世間的な幸せは、泡沫のように儚いのだと思う感覚です。共感できますでしょうか。そういう見方もあるという程度に受け取ってください。
 ☆ 問題はそのあとです。《世間虚仮》と見たあと――つまり一般的には 諸行無常と見たあと―― だから何を打ち出すかではないですか? 《唯仏是真》では ダメなんです。

 《真理は真理だ》と同語反復をしたに過ぎないからです。
 言いかえると いわゆる《厭離穢土》に通じて行きます。隠遁したいのならすればいいぢゃないですかという問題におさまります。

 これでは ダメなんです。何の前向きの建設的な気持ちも思いもないということです。そういう蛸壺地獄です。
 いやしくも《さとり》をかかげるのなら どうして後ろ向きの暗い世界しか見えないのか? 世間を目の前にして そこは壁だと言って もう後ずさりしている。そんな思想は 思想ですらありません。

 つまり《考える》ことをまったくおこなわない。――このことを問題にして それに対処するにはどうすればよいか? これを問う質問です。



 ☆☆(趣旨説明欄) (え) 足の引っ張り合いなるたたかいに まだしばらくは 対処していかねばならない情況であろうか?
 ☆ この問題を乗り越えたい。ゆえに むしろあからさまに露骨にわざと《考える人と考えない人》とを対立させるようにして問うています。おのれと日本のためです。

 わざといま現在対立するかたちになっていると言っているわけです。これを互いに同じ方向を向くようにすること そうなればそれだけでも大きな前進だと考えます。

 これが質問者のいだく魂胆です。

 こういう趣旨でわたしも問いを重ねて来ています。つまりまさに
 ★ 同じ思考習慣で堂々巡りをしているのは、質問者自身も気をつけなければならない点ではないかと思いました。

 

お礼日時:2013/07/03 03:43

おひさしぶりです。


死亡したfrwicatです。このIDも、記憶されてるでしょ。
ストーカーと中傷が激しいので、泣く泣く捨てました。
噂とネタはやめて欲しいと、あれほど繰り返しても、無理なようですね。
特別扱いされず、放っておいて欲しいのに。

話の流れからわかるとおり、質問の「日本人」は、特定の人を暗喩してますね。
人権侵害が甚だしいと感じています。
哲学云々以前に、人としての一線を越えてます。
他人の誹謗中傷を、公開討論しているとしか感じれません。
感覚が麻痺してます。

この質問を締め切っていただけませんか?
OKwaveに、以下の通報メールを今朝送りました。
事務局から、連絡ありませんでしたか?
(ちなみに、今回、通報メールしたのは、「この質問」だけ。言論の自由は、人権を侵害しない限り自由であるべきという考えなので極力しません。今までで3回)

《通報したメール内容》
日本人=特定の個人に対する誹謗中傷で、不愉快です。
質問全体の削除は望みません。締切を望みます。
できれば、本人自身で、締切っていただきたいです。
自ら締切するかと思いきや、いつまでも続けてますので。

タコツボとか言ってますけど、あなたのルールでしょ。
私には、このカテで閉じこもっているあなたが、タコに見えます。
傷つきますか?
でしたら、このスレの回答者さんたちの発言をご覧ください。
暗喩しているかぎり、個人に投げかけた言葉たちですよ。

正直なところ、無駄な時間を費やしたくないのです。
関わっていると、哲学に興味が持てなくなりそうです。
話が拡散して収集がつかなくなり、疲れてしまうのです。
相性が悪いのでしょう。
きつい言葉かもしれませんが、私自身が感じていることです。

ストレートに言わないと、いつまでも気づかないようなので、
こちらに書かせてもらいました。

繰り返しますが、
特定の個人の暗喩は、今後おやめください。
内容が、議題を純粋に哲学するものでしたら、別質問を立てて深めるべきです。
ここの質問が、最初から、個人を暗喩しているのですから。
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この回答へのお礼

 平仮名にしようと思うと困った名前さん あらためまして こんばんは。ご回答をありがとうございます。


 ん?

 この質問の少し前に挙げた質問では じっさいにコミュニケーションで問題があった事例を踏まえていますが この質問では 何ら事例を特定して問うてはいないですよ。

 そう言えばかつて アラシに遭っていたとき 問いを一般的なかたちにしつつも 特定の参加者を問題にしているとそれまでの経緯をふまえれば分かるように書いたことはありました。これは きちんと一般性を持たせていますので 何ら規約上も問題はなかったのでした。


 さてこの質問は どうでしょうか。


 さきほど触れましたはっきりとした事例を踏まえたという質問ですが それは

 【Q:悪の共同自治にあたってわれわれは 協力しうるか】

 です。そしてじっさいにそのやり取りの中で これこれこういう事例だったと簡単にですが明らかにしています。
 けれども問い求めは きちんと一般的な主題として立てています。

 そしてむしろ もしその踏まえた事例にかかわるとすれば――つまりその事例における相手方であった人びとが これはおれのことだ・わたしのことだと分かったとすれば―― 〔むしろ〕それによって意志疎通がさらになお新たに復活するかも知れない。そういう問題があるというものです。つまり 困ったことは 何もないはずです。

 さて この質問は どうでしょうか?

 具体的に批判がなされているのは
 ★ ~~~~
 タコツボとか言ってますけど、あなたのルールでしょ。
 私には、このカテで閉じこもっているあなたが、タコに見えます。
 傷つきますか?
 でしたら、このスレの回答者さんたちの発言をご覧ください。
 暗喩しているかぎり、個人に投げかけた言葉たちですよ。
 ~~~~~~
 ☆ このあたりですね。

 たとえば
 ☆☆(趣旨説明欄) (き) ・・・《世間虚仮 唯仏是真》なるおのれのみの観念の世界の中にくすぶりつづけるしかも高ぶり状態。タコツボ地獄)。
 ☆ というのは 

  【Q:世間虚仮 唯仏是真とは 世迷いごとではないか?】

 といったかたちですでに問うています。聖徳太子の思想を批判していますが 特に誰それがどうだという特定の人物を踏まえるということはありません。
 それと同じく 今回の質問も 一般性をもった主題としてのタコツボ地獄です。よ。


 ★ 暗喩しているかぎり、個人に投げかけた言葉たちですよ。
 ☆ 主題を一般性のある内容として含むものとしてその主題をめぐる問題を問う。このことが《暗喩している》ことになって その結果《個人に投げかけた言葉》になるというのなら それは およそどの質問でも 哲学カテのものとしてなら あてはまるものです。

 いやしくも質問をかかげるのなら 《個人に投げかけた言葉》を持っていなければウソです。

 そうではないですか?


 ★ 言論の自由は、人権を侵害しない限り自由であるべきという考えなので極力〔通報は〕しません。
 ☆ もしどうしてもということでしたら どの部分が《人権を侵害している》とお考えになるのか。それを明らかにしてくださいませんか?

お礼日時:2013/07/03 03:25

こんばんはです。



そうですね、
《幾何学の精神》を《論理〔学〕の精神》ととらえた方が筋がよいと思います。
すると、
排中律はp∨¬pになりますね。   (「∨」は「または」、「¬」は「ではない」を表わす記号)
そして、矛盾律:p∧¬pを認めればいいことになりますね。  (「∧」は「かつ」の意味)

排中律は、「p、あるいは、pでない」
矛盾律は、「pと同時にpでないことはありえない」
となります。
ようするに、
「pであるかpでないかの、どちらか一方」。

例の料理の話ですと、
「〔あなたは〕料理研究家である」
「〔わたしは〕料理研究家でない」
この二つが両立することを認めないという立場。
《シロ・クロ》をはっきりさせる立場ということになりますでしょうか。

この立場を《論理の精神》とかりに呼ぶことにします。
《シロクロ・二分法の精神》といった方がいいのかな。
欧米は、この《シロクロ・二分法の精神》に支配されている。

対して、日本人は、《察し》の世界・文化に生きているから、《シロクロ》の両極端の分類を嫌う。必然、色んな階調をもった、曖昧な《セピア色》にならざるをえない。

白・黒の世界は1ビットの世界。
《セピア色》の世界を表わすには、1ビットでは足りない。ビット数を増やす、つまり、細かくしなければならない。

ここから、《精細な精神》がでてきますね。

な~んてね。
シャレですよ、洒落(笑)。
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。

 分かりやすいですね。
 どうも《精神》という表現も あいまいにしていると言いますか 広すぎるのかも知れません。

 ◇ ~~~~~~~~
 この立場を《論理の精神》とかりに呼ぶことにします。
 《シロクロ・二分法の精神》といった方がいいのかな。
 欧米は、この《シロクロ・二分法の精神》に支配されている。

 対して、日本人は、《察し》の世界・文化に生きているから、《シロクロ》の両極端の分類を嫌う。必然、色んな階調をもった、曖昧な《セピア色》にならざるをえない。
 ~~~~~~~~~~
 ☆ 《線形》と《非線形》とは どうですか?
 知らないと ちょっと覚えると使いたくなるものです。

 もしそうであるとして 《非線形》は 《線形》をふくむ と言ってよいのでしょうか?
 これは 知りたいです。
 あるいは 非線形は 線形以前なのでしょうか?

 ビットはよく分からなかったものですから。

お礼日時:2013/07/03 02:48

こんばんはです。



パスカルが頭の中で思い描く《幾何学》とは、ユークリッド幾何学ですよね。
自明とされる真実、公理から出発し、論証によって定理を導く。その定理からまた新たな定理を。。。
現代でいうところの、一種の公理主義。
公理とは自明の真実だから、誰にでもそれが正しいことは分かる、理解できる。
ただ論証という非日常的な手段に慣れていないから、それが難しく感じられる、理解しがたく感じられる。
しかし、
論証とは一種の機械的な操作だから、原理的には誰にも理解しうるものである。
「その推測をあやまることはない」。。。
現代的にいうと、
パスカルのいう《幾何学の精神》というのは、こんなふうになるのでしょうか。

ただ、公理を自明の真実と考えるのは、現代の数学的な観点からすると、否定されますね。
「平行な直線は混じっても構わない」
この仮定はまったく恣意的なものだ、となるので。。。
ユークリッドの公理ですら、《自明》のものではなく、その《明証性》などありはしない。。。

であるとするならば、
《幾何学の精神》すら、《粒の粗い原理》とは呼べないのではないか。
もしこれを呼ぶとするのであれば、
《理性の原理》、《理性を統べる原理》とかになるのではないか。
そんな感じがします。
飛躍がありますけれど。。。

《繊細な精神》というのは、難しいですね。
人々と《共感》しうる能力や、
神を《感応》できる能力、
論理的思考・理性的な思考を経ることなく、真実や真理といったものを直接見抜く能力である《直観》のことをいっているのでしょうか。
そして、こうした能力を我々は生まれながらに有しており、ただそれを向ければ、何も見逃さない。。。

しかし、こう考えると、
《よい目を持つことであり》、《それこそはよくなければならない》ということと矛盾するように感じられます。
《客塵煩悩》のような《偶有》的な汚れが、真実の目に付着しており、その汚れを落とせということになるのでしょうか。
あたかも、パウロの目から《ウロコ》が落ちたように。。。
そのことを《よい目を持つ》と表現しているのでしょうか。

まさか、
《幾何学の精神》の目より、《繊細な精神》の目の方がよい、という意味ではないですよね~。
そんな単純なことを、超~天才パスカルが言うはずがない!!

難しいです、この文章。
重要なのは、《幾何学の精神》ではなく、《繊細な精神》の方であることだけはわかりますが。。。
パスカルは超~天才だから、言葉が足んないです。
その過程をはしょって、いきなり結論を出すんだもの、困ったもんだ(笑)。
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この回答へのお礼

 ううーん。何だかむつかしそうですね。

 まづは ご回答をありがとうございます。

 そうですね。
 たとえば排中律。 A ≠ B 。ここから推論を伸ばす。のみ。ではないのでしょうか? つまり幾何学の精神です。


 繊細の精神は 
 ◇ 人々と《共感》しうる能力
 ☆ にしぼってよいと思っています。日本人ふうに言えば 情感の共同性。

 言葉にすることもなく すでに目の前にそういう状態はありますから。《よい目をもたなくてはならない》。
 つまり これは よいわるいの以前の問題であり
 ◇ 《客塵煩悩》のような《偶有》的な汚れが、真実の目に付着しており、その汚れを落とせということになるのでしょうか。
 ☆ といった精神の向上を問う以前の世の中の情況を問題としており 倫理の気遣いとも微妙に違うように思われます。

 まづ人びとそれぞれの気分や気持ちやあるいは怒りや不快感やを 事実認識するということ。これを 言語外の雰囲気によって捉えるということ。これが 繊細の精神であると思いますが。・・・



 あるいは 幾何学の精神を ただ単に A ≠ B なる固定事実ないしその固定論理をどこまでも展開してしまう場合もありましょうから そういうふうに良し悪しを問う前の人びとの思惟や行動をめぐる振る舞い方 これを言っていると思うんです。《精神》と言っていますけれど。



 あるいはもっと簡単に いわゆる欧米は 一般に論理的な文章を書きそのように話をするといった通念 これは 幾何学の精神を言っており しばしばそれの一辺倒でありがちだということ。

 それにくらべたとえば日本人は あまり論理的な表現をしない。それは 繊細の精神として――情感の共同性において―― 或る意味でコミュニケーションをおこなっている。

 こういった単純な事態のことを言っていると思っていたんですが?

お礼日時:2013/07/02 22:03

こんばんわーぶらじゅろんぬさん。


ちらかってるねー。
って おいらもいつもズレたことしゃべって
ちらかしちゃってるんだけど。




31番ネコ様の
>その高い ※プライドが時として理解を阻む。
:ここ、同感です。
おこがましいんですが言葉を少し変えると、
ネコ様のおっしゃる「※プライド」というのは
「慢心・自惚れ」のようなもので、さらに別の言葉では
「おごり高ぶること」のようなもので、その結果、



「石頭・受信拒否・蛸壺」状態になり、
ネコ様のおっしゃるような
>そして、《よりよく考える》ことへの放棄へと結びつく。。。
のではないかしらん、と思いました。
ちがったらすみませんネコ様。


ここからはおいらの繰言になりますが、
これがエスカレートして
さらなる「おごり高ぶり」になって行った姿こそ
「見下し・侮辱・軽蔑・攻撃」のばかりを愉しむ
マチガイっぱなし、死、死、死、死、死・・・、
なんぢゃないかと思ってます。
(↑前にも話したことがあると思います。)



※プライドについてですが、
たとえば「己が己をしているという自信」
のような「活き活きしたプライド」は、
そんなに悪くないんぢゃないかと思います。

「慢心」「自惚れ」「自己偏愛」
「自己執着」「万能感」などとは違い、

「自尊心」「自己肯定感」「自己愛」は、
とても大切なものだと思います。


___________


>厳かな《オソレ》を抱くことが大切
:こっちも同感です。
厳かなオソレを抱く人は己の弱さを誇る人と同じで、
よく対話をし、じっくり対話をし、積極的に、たくさん
訊いたり聞いたり聞いたりできると思います。

口から泡を噴いて
一方的にしゃべりまくって
説得してやりこめようとするよりも、

のんびり話を聴いた方が話が早い、
ということも彼らは知っていると思います。



___________




ずっと前からところかまわずしゃべってますが、
おいらはSSRI系の薬を20年前から飲んでます。
心療内科で月に1度、処方してもらってます。

何番のご回答だったか、
「楽しみを感じにくい人がいる」
とネコ様がおっしゃっていましたが、
まさにおいらがそんな日本人です。

生まれつきではありません。
小学生のころは近所の男の子たちと
秘密基地を作ったり、木に登ったり、
登ったついでに藤棚の上を歩いたり、
鬼ごっこをしたり、梨畑の梨でキャッチボールしたり、
2mのドブを飛び越えようとしててドブに落ちたり、
落ちたついでにザリガニを10匹捕まえたり、
それはそれは楽しくて楽しい毎日でしたが、



13歳のころ、脳のどこが(前頭葉?)、
どのようにしてこうなったのか分かりませんが、
どこかがアホバカになりました。
機械のやふに考えないオツムになりました。



今はずいぶん能天気で がらっぱちですが、
13歳のころから長い間、
おいらが【無自覚に】ずっと持ち歩いていたのは

罪悪感・自責・自己呵責・不安・絶望・
後悔・自己否定感・怒り・恨み、
※そんなものたちでした。


___________


少し前のどこかの回答欄でしゃべったのは、
他人を否定したり恨んだり攻撃したりして
愉快がるほどになった状態の人は、

実は自分の中の「※そんなものたち」
に苦しんでいるのではないか?
ただし「考える」ことなく「投影」し、
本来自分で考えて処理すべきゴミを
他人に投げつけているのではないか、
ということでした。



なんか途中のような気がするんだけど、
またしゃべりたくなったらしゃべりますわ。
いつになるか分からんし、
もうしゃべらんかもしらんけど。




ほぢゃ。
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この回答へのお礼

 ★ ちらかってるねー。
 ☆ ええ。初めの緊張感が 質問者にもようやく薄まったかに思われますが それにつれてとは見たくないにもかかわらず ちらかっています。

 こんばんは にゅうとらるさん。ご回答をありがとうございます。

 あとは わたしが安易にお応えしてもうまく応えられないおそれがあります。

 妹が ときどき動悸がはげしくなるとうったえます。ただし 最近は 気分がわるくなるわけではないと言い出しました。それで おやつをパクパク食べます。食事も さすがどんぶりのご飯は半分残すと言っていますが おかずはうまいそうです。
 


 ★ 「自尊心」
 ☆ というのは わたしの周りでは 高校生のころからですが 自分の弱みを他人に見せないことといった意味合いで皆がつかっていたので じぶんは違うなと思ったことがあります。プライドも同じようなことでした。

 これは 経験が狭いのかも分かりません。




 二三年前では ここで来る日も来る日もアラシに対して何とか言葉がつうじるようにと苦心していたことが思い出されます。哲学は けんかだと思ってやり取りをしていました。

 ただしこれは案外いまも そうなんですけれど。・・・

お礼日時:2013/07/02 21:29

こんにちはです。



Flareonさんの質問
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8156876.html
に投稿した回答のいくつか───たぶん、三つ───が削除されてしまいました(ポリポリ)。

質問ごと、わたしが寄せた回答が削除されたことはあったのですが、
送信した私の回答が削除されたのは、初めての経験です。
質問に直接関係しないことをくっちゃべっていましたから、削除されて当然といえば当然なのですが、
初めての経験なので、結構、精神的なダメージを負っています。

何で消されたのだろう。。。
ひょっとして、寄せた回答の中に書いた、ある番組の今後の話の展開予想がドンピシャだったとか(笑)。
結構、《考えて》、その番組の話の進展を予想したのですが。。。

わたしが投稿した、他者への非難・中傷を一切含まない、無害な回答が削除されるのであれば、回答の中には「馬鹿」「死ね」「病院にいけ」といわんばかりのものももありますしねぇ~。。。
Okwaveさんの「教えて」───わたしは、gooから入っていますが───は極めて恣意的な運用がなされているのではないか、
なんて不信感がわいてしまいました。

以前、住んでいた《数学カテ》なんぞは、結構、激しい言葉が飛んでいますよ。
「数学以前に、国語の問題です。日本語の勉強をなさった方がよろしい」
「小学校からやりなおせ」
などなど。
私なんぞは、数学カテで、質問者(たぶん高校性。高校生としたら、かなり数学ができる)から、一度「馬鹿扱い」されましたよ。
『てめぇが間違っているんだろうが。 写像や微分・偏微分が全然分かっていないじゃないか、お前!! 新しい定理だ~、馬鹿か、お前!! その定理とかの内容を使って、その定理を証明しようとしているじゃないか。 そもそも、そんなものは、なりたたんだろうが!!』
と思いつつ、グッとこらえた《眠り猫》。
それでも、
『あなたの考え方は間違っているよ』
と、手を変え品を変えて、その高いプライドを傷つけないように、間違いに気づかせようとしたのですが、無駄でした。
この彼は、その後も同じようなことを繰り返し、数学カテの住人───ある一人の方です。私ではないですよ(笑)。私、「あっ、この人とは話が通じない。通じ合えない」と見切りをつけちゃいましたので───から火のような猛攻を何度も受け、やがて数学カテからその姿を消しました。

人に教えを乞うときは、高いプライドは禁物ですね~。
その高いプライドが時として理解を阻む。そして、《よりよく考える》ことへの放棄へと結びつく。。。
「オレ、ひょっとしたら馬鹿かもしれない」という厳かな《オソレ》を抱くことが大切だと思うんですよ。

はたして、どれだけの人が、この《オソレ》を抱いているんだろう。。。

なんてね。

ちなみに、
私のバカの基準は自分自身です。
正確には、自分が考える自分自身、自分自身の姿、わたしが予想する、あるいは期待する、こうあって欲しいと思う自分〔の能力〕です。
なので、
「えっ、オレってこんなにバカだったの!!」
と思う毎日です。

そして、この基準は、基本的に他者には適用されません。

他人(ひと)と自分を比較して、自分のことを考えないんですよね~、わたし。
関係性は重視するけれど、他人を自分と比較して考えない。
だから、他人のことをバカだとは思わない。
そんなこと、まず思わない。
売り言葉に買い言葉で、「馬鹿」という言葉が出ることはありますが。。。
いや~、実は、
他人(ヒト)に興味・関心を持っていないだけなのかもしれない、わ・た・し!!
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この回答へのお礼

 ねむりねこさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 運営サポートの人たちは けっこうきちんと読んでおられるようです。
 ちらっと見ただけですので そしてアニメはからっきしうといので 何ともなぐさめの言葉もはげましの言葉も出て来なくてよわっていますが。・・・

 あぁ たしかに回答だけが削除されると 衝撃が大きいですよね。ただ お仲間(?)がいたように思うんですが。そして いま思い出してみると 質問趣旨のアニメと回答内容としてのアニメとに関係はあるのか ないのか? と考えると  ちょっと残念なんでしょうね。

 たまに 復活する場合もありますよ。わたしは 質問の全部が削除されたあと メールで問い合わせて 二度ほど復活したことがあります。ですから ひとつは もう一度同じ質問を掲げたので 復活したあと 同じ質問がふたつになったことがあります。

 あぁ さらに思い出しました。たしか 質問者をそっちのけで 回答者どうしで雑談しているとか何とか そういった意味合いのことを書いていませんでしたか? これは 実質的にどうかではなくて そういう言葉づかいは いやがられるのかも知れません。形式的にはねるといったかたちで。


 ◇ 私なんぞは、数学カテで、質問者(たぶん高校性。高校生としたら、かなり数学ができる)から、一度「馬鹿扱い」されましたよ。
 ☆ もし回答者が アラシではなくて 何ら挑発などをしていないとすれば そのような質問者は めづらしいですね。――と言っても 哲学カテのほかは 常習のかたちでは見てはいませんが。




 ところで もしよければ 例の料理の質問で パスカルの《幾何学の精神と繊細の精神》を引用したのですが 質問者氏は 《繊細の精神》の説明が 分かりづらいとのことでした。そうか そうだったのかと思いつつ こういう単純なことに案外よわいですね 人間は。
 あっ つまり《もしよければ》というのは ご意見をよろしければお聞かせください。

お礼日時:2013/07/02 20:21

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