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 (あ) すでに考えられた結果を暗記しおこなうことしか望めないか?

 (い) われら考える日本人は 少数であるゆえに 悪貨は良貨を駆逐するの慣わしの前に望みは薄いとあきらめねばならないか?

 (う) 哲学以前あるいはさらにへたをすると人間以前という実際を目の前にして どうすればよいか?

 (え) 足の引っ張り合いなるたたかいに まだしばらくは 対処していかねばならない情況であろうか?

 (お) (あ)の見方によれば 外国人をまづ説得しその外国の人間が考えた《日本人よ 考えることをせよ》なる結論であるなら 日本人は受け容れるのだろうか?

 (か) なぜこれほどまでに日本人は あほばか状態が好きなのか? 心の奥底でそうなのではないだろうに。

 (き) なぞの隠れた愚民化政策が どこかその筋から ほどこされているのだろうか?
  (特に 神・絶対ということについての理解が あの聖徳なるぼんくら太子の水準でありつづけている。《世間虚仮 唯仏是真》なるおのれのみの観念の世界の中にくすぶりつづけるしかも高ぶり状態。タコツボ地獄)。

 (く) あるいは あほばかヰルスが ひょっとしたら ばら撒かれているのだろうか?

 (け) ・・・

 どうでしょう?

A 回答 (45件中31~40件)

こんばんわ、ぶらじゅろんぬさん。


ご返事ありがとう。


おいらは、「失敗や間違いの何が悪い?」
ということをわりと強調してるんですが
伝わってるかしらん。(・・?


___________

> ★ 多くの人が、「失敗」を極度に恐れているように感じます。
 ☆ そのことと《考える》こととの関係が いまひとつ分かりにくいんですが。

:これは14番のネコ様が説明してくれてます。
>日本人、失敗を恐れるあまり、基本的にリスクをとりたがらない。
石橋を叩いてからでないと、渡ろうとしない。
一か八かの博打を打ちたがらない。

おいらが さらに少し付け加えるなら、
操作された通りに動くラヂコンカーのやふに
積極的に、なっている、なりたくて!なってる、
という印象も受けます、

ごく幼い頃にそのやふに教えられ(殺され?)、
命令や指示を与えられると喜んで機械的に行い、

することを与えられないとひどく困惑し混乱し、

「ボス様、どうしたらよいですか?」と訊きに行き、
ボス様が「床でも磨いておけ!」と言えば
「ボス様、道具は何を使い、どこからどこまで磨くのですか?」
と訊きに行く、というやふな状態が長く続き、

生まれる(目覚める?我に還る?)のが
とても遅くなっちゃうんぢゃないかと思います。
あ、思いついたまんましゃべってます。
16番様のようにまとまった文、書けません。


___________



13番は、道徳の話をしたのぢゃなくて、
感性や自然本性や生命力の話をしてみたんだけど、
例によって しゃべりかたがまずかったかなー。



>過剰保護でしょうか。
:おいらのことは脇に置いといてしゃべります。(^_^;)

親には「子どもを自立させる」
という大切な役割があるんですが、

◇1.我が子には絶対 失敗をさせたくない
◇2.我が子が何をしようが無関心

という考えない大人が多いような気がします。

◇1.は、自分と子どもは別の人なのに、
自分のことや子どものことを考える労力を惜しんで
甘え(と言ってもぶらさがり合って)いる状態です。

◇2.は、自分のこと以外はどうでもよい、
タコツボな大人なのだと思います。


おばちゃんになったおいらは、
前世代の大人がそうだったから
現世代の大人もそうなったのかも、
そんで次世代の人もそうなるのかも、とも思います、


とかまた悲観的なこと言っちゃって。
現世代の大人、子どもが
「おかしくねえ?」とボソっとつぶやけばいいんぢゃ?
誰にも聴いてもらえなくても、
おかしいと思ったら自分だけでも
考え始めて実行してみて
試行錯誤して右往左往して悪戦苦闘して
間違えたらまた考えたらいいんぢゃないの?
ラクぢゃないけど、つまらなくもないと思ふよ。


おいらは親としては、
「絶対に失敗しない子」ではなくて、
「失敗して恥をかいて1日絶望しても大丈夫、
次の日には自分が自分をしている子」
になってほしいなあと思いまつ。


___________


>道徳による説教ないしいわゆる精神論は もう廃れているのではなかったでしょうか。
:ゴミだと思ひます。
人は誰から教わるか?誰?誰?誰?

『教育とは、炎を燃え上がらせることであって、
入れ物を満たすことではない。』 byそくらてす。

けどゴミを飛ばす人も
どこにゴミを捨てたらいいか困ってると思ひまつ。


数週間前の質問だったかな、
たしかに お2階さんも1階さんの声にビビッて、
考えなくなってるような気がします。
教師もモンスターペアレントにビビッて
(おいらはモンスターぢゃないです、たぶん)
ずいぶん しゃべらなくなっているようです。
(↑こっちが心配になるくらいです。)



___________


ネコ様のサナダムシのご回答と
「過剰保護」で思いついたんですが、

1歳になって歩けるようになったころから、
砂遊びしながら指をしゃぶる子の方が、
ばい菌に強い子になりますよ、マジ。







PS.おいらが間違ってるかもしれないんだけど、
話し合いには武器も準備もいらないと思います。


またズレまくりかもですが、ほぢゃ。


 

あ、明日はサッカー少年団の引率だから
何もしゃべりませんが
とりあえず眺めてます。   





 
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この回答へのお礼

 にゅうとらるさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 ★ ~~~~
 おいらは、「失敗や間違いの何が悪い?」
 ということをわりと強調してるんですが
 伝わってるかしらん。(・・?
 ~~~~~~~
 ☆ いえ。伝わっていませんでした。

 ★ ~~~
 これは14番のネコ様が説明してくれてます。
  >日本人、失敗を恐れるあまり、基本的にリスクをとりたがらない。
  石橋を叩いてからでないと、渡ろうとしない。
  一か八かの博打を打ちたがらない。

 おいらが さらに少し付け加えるなら、
 操作された通りに動くラヂコンカーのやふに
 積極的に、なっている、なりたくて!なってる、
 という印象も受けます、
 ~~~~~~
 ☆ まづたとえば《石橋を叩いて渡る》というのは 多少とも《考える》ことをしているのではないですか?

 《操作された通りに動く》というのは おそらく幼児のころからそのようにしつけられたということでしょうね。 
 そのあと ものごころはすでに着いていたとすればふたたび我れに立ち帰るときが来るでしょうね。青少年期に。

 そしてそのことが つまり:
 ★ ~~~
 生まれる(目覚める?我に還る?)のが
 とても遅くなっちゃうんぢゃないかと思います。
 ~~~~~~
 ☆ とは言っても 目覚めるんでしょ? ぢゃあ《考える》ようになるんぢゃないですか? それを発表し得たどうかは ひとまづ別として。

 ですから そのあとのことを取り上げておかないと 問題に迫れないように思いますが。・・・




 ★ ~~~~
 13番は、道徳の話をしたのぢゃなくて、
 感性や自然本性や生命力の話をしてみたんだけど、
 ~~~~~
 ☆ これは 通じています。
 つまり 杓子定規でしか考えられない人間類型が 出来上がる場合が 日本人にはある。一般に《道徳規範》によって固められた類型ではないかと。
 つまり 《感性や自然本性や生命力》が抑えられてしまうと。




 ★ ~~~~
 ◇1.我が子には絶対 失敗をさせたくない

 という考えない大人が多いような気がします。

 ◇1.は、自分と子どもは別の人なのに、
 自分のことや子どものことを考える労力を惜しんで
 甘え(と言ってもぶらさがり合って)いる状態です。
 ~~~~~~~
 ☆ そうですね。頭だけで考えての応答ですが 《わが子に失敗させたくない》と思う親なら 何かと考えるのではないか? と単純に思うのですが どうでしょう。


 ★ ◇2.我が子が何をしようが無関心
 ☆ という親であっても 自分のことなら《考える》こともあるのではないか? こういう隙間をねらった問い返しもありうるんですが どうでしょう。



 ★ ~~~~~
  現世代の大人、子どもが
 「おかしくねえ?」とボソっとつぶやけばいいんぢゃ?
 誰にも聴いてもらえなくても、
 おかしいと思ったら自分だけでも
 考え始めて実行してみて
 試行錯誤して右往左往して悪戦苦闘して
 間違えたらまた考えたらいいんぢゃないの?
 ラクぢゃないけど、つまらなくもないと思ふよ。
 ~~~~~~~~
 ☆ これは 120% 同感です。次も同じくです。

 ★ ~~~~~
 おいらは親としては、
 「絶対に失敗しない子」ではなくて、
 「失敗して恥をかいて1日絶望しても大丈夫、
 次の日には自分が自分をしている子」
 になってほしいなあと思いまつ。
 ~~~~~~~~~
 


 ★ モンスターペアレント
 ☆ これは テレビドラマで見たことがあります。きちんとした捉え方・対処の仕方が出来上がるとよいと思います。




 ★ ~~~~
 PS.おいらが間違ってるかもしれないんだけど、
 話し合いには武器も準備もいらないと思います。
 ~~~~~~~
 ☆ これは たぶん質問者に限れば それ相応の準備が必要ではないかという考え方であるようです。それとしてあり得ると思います。
 ただしぶっつけ本番であってもよいとわたしは思います。

お礼日時:2013/06/29 20:57

誤解を生むような、危ない話をしたかもしれないので、


すこし付け足します。

NO14で、日本にいたサナダムシとは、《日本海裂頭条虫》と呼ばれるものです。
西洋のサナダムシは、《広節裂頭条虫》。
北海道のキタキツネのサナダムシは、エキノコクッスといって、人がこれに感染すると、大変な目に遭います。非常に危険です。

日本のサナダムシは、ほとんど絶滅状態です。
花粉症、アレルギー対策として、サナダムシを寄生させようと考えてはいけない。体に悪いです。

参考までに、
http://www.mitene.or.jp/~ryuzo/chotto/22fujita.htm

「寄生虫体からアレルギー反応を抑える物質を分離」、
「動物の寄生虫・ウイルスは宿主を大事にする」

「抗菌社会はビョウキ」、
さらに、
「キレイ社会は排除の社会」
には、非常に示唆に富む、興味深い内容が書かれています。


西洋のサナダムシは、ヒトという自然と共生できるのか?
自然と社会から独立し、対立する西洋的な《自我》と《理性》。
これは結構、危険で厄介な存在だと思うのですが。。。
栄養を宿主から一方的に搾取し、宿主を殺し、結果、自分も死んでしまうなんてことになったりしないのですかね~。

EU圏の労働者の約40%が精神的な病に苦しんでいるといわれています。
たとえば、こちら。
http://blog.livedoor.jp/drazuli/archives/4346346 …

米NBCなどもこのことを報じているので、この記事の内容は、一応、正しいようですね。
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この回答へのお礼

 ねむりねこさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。

 ◇ EU 圏の労働者の約40%が精神的な病に苦しんでいるといわれています。
 ☆ ニュースで何のかんのと聞いていても じっさいどうなのであるか。これは なかなか分からないもんだなぁと思いました。この統計は知りませんでしたし。

 むかし・そのまた昔 やはり社会のナラワシとしてのクリスチアニズムから来る閉塞感のようなもの――倫理規範を朝から晩まで聞かされて 現実に見たり聞いたりするのは 特に偉い人たちのあいだで 規範の破壊・崩壊がすすんでいるという実態 この現実を見ることから来るやりきれなさ――に悩むヨーロッパ人が少なくないと聞いたことがありますが 昨今は 若い人たちのあいだで失業が増えているという状態にあるのでしょうか。


 ◇ ~~~~~
 西洋のサナダムシは、ヒトという自然と共生できるのか?
 自然と社会から独立し、対立する西洋的な《自我》と《理性》。
 これは結構、危険で厄介な存在だと思うのですが。。。
 栄養を宿主から一方的に搾取し、宿主を殺し、結果、自分も死んでしまうなんてことになったりしないのですかね~。
 ~~~~~~~
 ☆ 生活体験無しゆえの生活感覚の無さを棚に上げて 今回は 欧米の価値観をぼろくそにけなしました。
 
 《西洋的な〈自我〉と〈理性〉》 これはわたしも《危険で厄介な存在だと思》います。
 掘り下げた思索があらわれるとよいと思います。






 サナダムシにかんする注意事項 分かりました。



 ◇ ~~~~
 「抗菌社会はビョウキ」、
 さらに、
 「キレイ社会は排除の社会」
 ~~~~~~
 ☆ この問題は 逆説であり皮肉みたいですね。出来るだけ関心をもって行こうとは思うのですが。・・・

お礼日時:2013/06/29 15:24

一つの回答案としての返答です。



何人かでどこに旅行に行くか(合意形成)を話し合っても埒が明かない。

そのような場合には誰かリーダーが生まれるか、各々個人が議長と
して結論に至ろうとする操舵者の自覚を持つかが必要になります。

例えば、単にある政治家の発言について私見を披露しあう、ただの
暇つぶし(無目的)の場合とでは個々の参加者は同じでも、結果も
プロセスも議論になっていない場合が大半になると思います。

集団での合意形成は、具体的に集団としての行動指針を決定する
目的でなされますから、多数決であれ、メリットとデメリット、実現性の
多寡など、明確な物差しを当てながらの複数案創出、その取捨選択で
結論へと誘われるのです。 最終的に、旅行の行き先が決まる訳です。

処が、集団としての企図が無い場合は、集団内での互いの評価の
バトルだ、とも言えるので有機的な集合体としての集団ではなく、
スタジアムに集まった競技者の群れに過ぎない、ということになります。

考える、ということを単にシンプルなA=B、B=CならA=Cというような
意図を持たないロジックのみに規定した場合、その発案者以外の
他者、若しくは集団にとっては価値が無いという判断を下されてしまい
ます。

単純に言ってしまえば、議論する目的も理由も互いに共有されていない
場合は、向こう側から見える「見え方」を表明されるだけ、しかも異なる
意味合いを持つ異なる言葉で、という落とし穴付です。

同じ日本語でも立場・目的・背景などの共有が無い場合は、迷走するのが
普通です。

女の子が、ストーカーに対して「大嫌いっ!」と言うのと、好きな男の子が
自分の気持ちに気付いてくれなくて鈍感な態度をとった時の「大嫌いっ!」の
違い、例えば、その位意味するものが変わってしまいます。
これではそもそも話が噛み合う訳がありません。

だから、他人と議論する場合には、発議者自身が何のために、何を目的に、
誰に向かって、何を求めて、議論するのかを相当シビアに準備して、その
ルール下で、互いの解釈の共有点を探り、確かめながらエッチラオッチラ
焦らずに進んでいく必要が生じます。

まるで、恋愛を通じて結婚に至ろうとするプロセスにも、友人の絆を深める
時間の共有にも、すべてに通じるものです。

と、ここまでがごくごく一般論としての「考える」方法論の基礎の入口です。

これをきちんと自分で十分客観的に考え抜いてルール化していなければ、
思い付きで組み立てた飛行機もどきが空中分解するようなシーンばかりに
なってしまいます。

きちんと構築された議論とは、言わばシナリオライティングですが、台本なしに
舞台に上ってもセリフはかみ合わずテーマはコロコロ変わり、論理も目的も
話の繋がりさえも失われ、
そのくせ、高尚であろうとして何もかもに共通する普遍的な議論、なんぞに
しようと大上段に構えた日には、もはやシェークスピアなのか歌舞伎なのか
水戸黄門なのか冬のソナタなのか、訳が分からない闇鍋みたいなごった煮に
なってしまい、発議者が「世界は自分を理解する能力のないバカばっかり!」と

世界の隅っこで虚空に向かって叫ぶような可哀想なことになりがちです。

そして、基本的に全ての人間が個体としての存在は巨大な社会の中では
無に等しい。 その思考の概要も思考のエレメントである様々な記憶や学習
内容も、すべて外部からインプットされた(自分でしたのではありません。
何に関心を持ち、どうインプットするかと言うこと自体が外部から得られた
視点であり、遺伝子に組み込まれた形質でしかないのですから。)

有名な人や有力な人というのは、個体ではなくて、その人を核とする集団
そのものです。

従って、人間も含めてすべての思考構造体は、有機的な組織の中に何らかの
ポジションに組み込まれて初めて意味が生まれる存在にすぎません。
だから、社会や集団とのコミュニケーションにごった煮を持ち込むことで
浮いてしまう人々は、有機的な目的・理由思考である組織構造から
切り離されてしまいがちになります。

実際の社会から乖離しても、そもそもが集合組織体の中に組み込まれて
ナンボの存在としてこの世に生を受けているので、自分の中に収められた
僅かばかりの記憶を「本当の世界」として社会と同一視しようとします。
でも、他人の考え方や感じ方は全然異なるので、融合できる共通点を
見いだせないまま、外部とのアクセスチャネルが劣化していきます。

引きこもりは、カップラーメンばかり食べるようになってしまいがちだと
聞いたことがありますが、人間の心理や思考も簡単に作り方と食べ方を
なぞるだけでいいカップ思考メンばかり食べるようになりがち・・・当然、
健康な栄養バランスを著しく欠いて、精神的な脚気や精神的心筋梗塞を
起こしてしまいがちになるのではないかとも考えます。

こうなると、日常的な息苦しさから逃れたいと思うあまり、全能感・万能感を
求める状態になりがち・・・慢性の中毒性患者が、自分は異常じゃない、と
言うのと同じように、自分の思考をきちんと整合性のとれた状態に保つ
バランス機能が損なわれている状態にもなってしまうのではないかと
思います。

さて、総括ですが、これらのことを踏まえて言うと、社会の中で認められる
位置を確保し続けるという、至って個人的な理由で思考し、議論するのだと
自覚したうえで、TPOを弁えて、ルールを確立して、テーマも限定して、
シナリオまできちんと書いたうえで「ゲーム」に望まないと、社会と言う
巨大な人体組織の中で有益な細胞として存在できるのではなく、無論、
iPSセルになれる訳もなく、異物として阻害されて外部との新陳代謝が
損なわれ、腐敗=アポトーシスに向かって壊れていくことになるのでは
ないかと思います。

全能感を求めて神の視点から世界を見降ろそうとして、臨終の床で漸く
自らが瞼さえ開くことなく生涯を終えることに気づいた老人の嘆きや、
いかばかりかと・・・

全てを洞察できる知性が自らに備わっていると思い込みがちな遺伝子の
奸計に嵌ることなく、純粋に理性的であることを求めながら、心と頭の
風通しを良く生きていくには、どのようなルールを自らに課すべきか?

多分、哲学というものの入口付近に入園切符として、このルールや
スタンスを求められるものだろう、と思うんです。

ダメだ、やっぱりダラダラ長文になってしまった。

死ぬまでこりゃ、修業だな~

読んでくれてありがとう。
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この回答へのお礼

 らせんかいだんさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。


 ★ 何人かでどこに旅行に行くか(合意形成)を話し合っても埒が明かない。
 ☆ これは 分かりません。非常に少ない確率でですが 数人の仲間が全員一致する場合もありましょう。

 あるいはつまり 《合意形成》には全員がひとつの意見に成ることは必要としないはずです。最終的にひとつの意見にまとまればいいわけです。

 まとまらなければ仲間での旅行くらいの計画ごとなら おぢゃんにしてしまっても構わないわけだと思います。

 そして 合意形成に向けて《話し合う》というとき それぞれの意見がすべて互いに分かれていても何の問題もないはずです。思っているところとは違うが 今回はぢゃあどこどこに決めようかと言って 互いに歩み寄ることはじゅうぶん考えられます。

 この最初の出だしには・その条件の設定には すっきりしない要素をはらんでいます。

 ★ ~~~~
 そのような場合には誰かリーダーが生まれるか、各々個人が議長と
 して結論に至ろうとする操舵者の自覚を持つかが必要になります。
 ~~~~~~
 ☆ わたしが上記に述べた内容に応じた同じような条件を明らかにしようということだと思いますが あえてなお反論調子で述べるとすれば 《リーダーが生まれる》と言いますが それくらいの融通を利かすことはいちいちリーダーを生むというほどの条件ではないと考えます。

 《議長》も《操舵者》も そんな大げさなことなのでしょうか? 
 それよりも 旅先のよさを それぞれ自分の行きたいところとして 説明しあえばよいわけです。おのづとというわけには行かないでしょうが 時間要因ということもあって 今回はどこどこにしようとか あるいは今回は意見が分かれ過ぎているので中止にしようとか 何とでも結論には達することでしょう。



 ★ ~~~~~
 単純に言ってしまえば、議論する目的も理由も互いに共有されていない
 場合は、向こう側から見える「見え方」を表明されるだけ、しかも異なる
 意味合いを持つ異なる言葉で、という落とし穴付です。
 ~~~~~~~
 ☆ そうですが・そういう事態は起こり得るでしょうが でもそれは《議論する目的も理由も互いに共有されていない場合》なんでしょう? だったら けっきょくここに取り上げることもないように思いますが どうでしょう。


 ただし
 ★ 同じ日本語でも立場・目的・背景などの共有が無い場合は、迷走するのが / 普通です。
 ☆ となると また別です。
 《迷走するのが 普通》である場合と言ってしまわないほうがよいのでは?
 
 まぁ 《目的》の共有もない場合なら 話がどう転んでもそれはあり得ると考えられますが それにしても人と人とが話し合うというとき たとえば見ず知らずの人に道をたずねるとき 決して迷走するのがふつうだとは言えないと思います。


 ★ ~~~~
 女の子が、ストーカーに対して「大嫌いっ!」と言うのと、好きな男の子が
 自分の気持ちに気付いてくれなくて鈍感な態度をとった時の「大嫌いっ!」の
 違い、例えば、その位意味するものが変わってしまいます。
 これではそもそも話が噛み合う訳がありません。
 ~~~~~ 
 ☆ これらの場合いづれも 話はかみ合っているのではないですか? 思うように行かないということは 人と人とのあいだで当たり前のことです。ストーカーを演じる男にしてさえもが それとして――良し悪しは別として――互いの話をかみ合わそうとして 言わば対話しているわけです。

 途中の段階で 相互理解がまだ得られていないということを指摘したまでだと思います。




 あとは そうですね。
 けっきょく
 ☆☆ 日本人に《考える》を望むのは無理なのか?
 ☆ に対する回答としては
 おまえ(=質問者)は それを問うにあたって用意周到ではないようだから そもそもほかの人たちに望むことはおろか 自分自身に望むこと自体がむつかしい状態だと察せられる。――こういうことでしょうか?

 そう感じたのであれば それとしてそうなのでしょう。――とお応えしてお礼に代えることしか出来かねますが。・・・

お礼日時:2013/06/29 15:10

こんばんは。




>「神・絶対ということについての理解」

どうぞ、御開陳ください。

この回答への補足

 1. 神は 非経験の場である。これが 第一の条件であり説明です。

 2. 《無限》は《絶対》のことですが それを二で割っても三で割っても商は やはり無限です。付け足しても掛けても引いても 答えは同じ無限です。――これは 経験世界に見当たりません。よって 非経験の場(それとしてのチカラないしハタラキ)なる神の説明になります。

 3. さわりを書こうと思いましたが もうこの第一条件にここではしぼります。


 あとは 参照質問での趣旨説明ややり取りを吟味検証してみてください。

補足日時:2013/06/29 11:46
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この回答へのお礼

 くりなるさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。


 補足欄で いくらか文章を書きます。その資料としては つぎのような質問でのやり取りがあります。

 Q:神について何故ひとは哲学しないのか?
 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa8037616.html

 Q:フルボッコのご批判をどうぞ。――神とは何か?
 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa8074286.html

 Q:なぜ神を勘違いしたままでいるのか?
 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6951345.html

 Q:何故なお神を勘違いしたままでいるのか?
 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa7456539.html

 Q:神は 何でないか?
 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa7295152.html
 

お礼日時:2013/06/29 08:24

☆☆☆☆☆☆


~~~~~~
 ◇ ~~~~ 
 日本人の多くは、自己を日本・ウサギ村の関係性においてとらえるからです。
 この関係性を逸脱すると、日本人の多くは、安心感を得られません。
 ~~~~~~
 ☆ というところまで《考える》ことを行なえば すでにその理論上《安心感》が得られているのではありませんか?
~~~~~~~
YESです。


~~~~~~
 ◇ 日本・ウサギムラの関係性を逸脱する
 ☆ ということをすでに想像において描いてしまっているし そこまでのことを考えたことになると思います。
~~~~~~
はい、そのことまで考えています。
でなければ、逸脱をしないようにする、ということはできませんので。


~~~~~~
 ☆☆(趣旨説明欄) (き) なぞの隠れた愚民化政策が どこかその筋から ほどこされているのだろうか?
 ☆ というところまで――そのことの正否は別としても―― 行き着くのも 必然的なことです。
~~~~~~
誰かがウィルスをまいたのではなく、擬似的な愚民になろうとする寄生虫を、日本人はずっと持ち続けている、といったイメージでしょうか。あくまで擬似的な愚民であって、愚民ではないです。フェイク、擬態です。「日本人が謙遜する、自己を必要以上に低く評価するのは、その方が自分にとって利益が大きいから。損であるとと考えたとき、日本人はけっして自らを低くしない」とする説もあるくらいですから。
また、寄生虫だからって、悪いことをするとは限りません。
今や日本で絶滅したといわれる日本に古くからいたサナダムシと日本人は、長いお付き合いの過程の中で、ウィンウィン・WinWinの共生関係にあったといわれています。とっても日本人の体には良かったんです。このサナダムシがいると、花粉症になりにくい。アレルギー体質になりにくい、などなど、体にはとっても良かったんです。

─────────
花粉症の原因を寄生虫を撲滅しすぎたためとする説を広めたことでも知られる。自身の研究の一環として、自らの腸内で15年間6代にわたり条虫(サナダムシ)と共生していたことがある(“きよみちゃん”と名付けたサナダムシは、3代目)。

藤田紘一郎・wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E7%94%B0% …
─────────

西洋の海にいるサナダムシはダメですよ。
アレは体に悪い。
このサナダムシが体内に入ると、ひどい下痢をおこし、激痩せします。
場合によっては、宿主を殺しちゃうこともあるかもしれない。
サナダムシも凶暴なんです、西洋の奴は。
ヒトとの共生は、なかなか、む・ず・か・し・い!!

これは、あくまで、サナダムシの話ですよ(ニコニコ)。



☆☆☆☆☆☆
☆ねこさんは 人びとがウサギ村のウサギさんだということを何故か故意に強調しようとしていませんか?
◇YES!!


☆考えることはほんとうにはあるという人たち この人たちになおさらに威嚇をしようとしていませんか?
◇威嚇ではなく、あえて《挑発》、もしくは、アジテートしています。


☆の世であくせくとはたらく世界とはかけ離れたところにあって暮らす人たちの代弁をしているのではありませんか?
◇自戒の念を含めて、感情論理に流れないで欲しい、とは思っています。
と同時に、《あいつは○○だ》、《お前は○○だ》というラベル貼りを議論だと思う人を極めて冷やかな目で見ています。

感情論理
http://d.hatena.ne.jp/mush_k/20121218/1355843869



☆☆☆☆☆☆
~~~~~~
 ◇ SS型の人は、自分〔の考え〕に自信を持ちにくいとされていますので。
 ☆ 何を言ってんですか。たぶんクリスチアニズムによると思われますが自分たちは えらばれた人間であると思い込んだ人間がどうして人間にふさわしいふつうの《自信》を持てると言うのでしょうか? 思い込みの上の思い込みではないでしょうか。
~~~~~~
日本人や韓国人などの〔東〕アジアの人間は、概して「自己評価のバイアスが低い」という意味です。実際以上に、必要以上に自己を過小評価しています。それに比べて、欧米人は、自己評価のバイアスが高く、自己を過大評価しています。
例えば、数学。
数学の平均点は、日本、中国、韓国の方が欧米諸国よりも高い。そして、平均点以上の点数をとっている人でも、「自分は数学が苦手」と答える人の割合が高い。日中韓の三ヶ国中で、日本人が一番その割合が高い。
欧米人、特にアメリカ人は、平均点以下でも、「自分は数学が得意である」と答える割合が高い。このアメリカ人に見られる根拠のない自信、自分はできるのだ、という思い込み、わたしには理解できませんが、欧米人にはあるんですよ。統計のデータとして現われています。

セロトニントランスポータ遺伝子の違いというのは、あくまで、一つの仮説です。
アジア人にS型が多く、そして、自己バイアスが低い。
統計的にこの両者に相関関係があるので、S型遺伝子を持つ人は、自分に自信を持ちにくい傾向があるであろう、といわれているだけで、本当にこの両者に関係があるのかどうかは、わかりません。たまたまの一致、偶然の一致かもしれないので。
───統計で大嘘をつくのは、案外、簡単なんですよ。人間は数字を見せられると、「なるほど」と納得する傾向があるので。議論で数字が出てきたときには、特に注意が必要!!
───



~~~~~
 ◇ 「日本人の自尊心の低さは世界一だ」といわれています。
 ☆ これほどとうとい事実はないのではありませんか?
~~~~~
自身に対して常にネガティブな評価を与えつづけているので。
下手をすると、ネガティブシンキングの悪い連鎖に陥る危険性がある。
日本人、失敗を恐れるあまり、基本的にリスクをとりたがらない。
石橋を叩いてからでないと、渡ろうとしない。
一か八かの博打を打ちたがらない。
日本人は、もっと意識的にポジティヴに物事を考えるようにしないといけないんじゃないか、と思ったりします。



~~~~~~
 ☆ 相手が・つまり思い込みによって他の民族に対して優越感を持ちその蜃気楼の上に乗っかっている人間である相手
が おそかれ早かれウツになることさえ出て来るのでしょう それをこちらが先取りしてやっているのではないでしょうか?
~~~~~~
「それがなりにくい」らしいんですよ。
ネアカで能天気、基本的にポジティヴ・シンキングだから、うつ病にはなりにくい。
自分は正しいと心底思っているからでしょうか(笑)。
それとも、欧米人は、狩猟民族を祖先に持つからかしら(ハテナ)。
───倹約(節約)遺伝子の観点から、欧米人は狩猟民族であるとする説があります───



☆☆☆☆☆☆
わたし、日本人、議論が下手だとは思っていません。
日本人は、十分に理性的で、論理的ですから。
しかし、《説得》はヘタですね。
説得には、何より、自分の考えは絶対間違っていない、という強い思い込みが必要です。

鯨を食べてはいけない!! そんなことをするのは、野蛮人のすることだ!!

国際舞台で、今以上に日本が活躍するためには、せめて説得工作に当たる場面だけでも、欧米流のこうした強い思い込み、信念が必要なのかもしれません。

http://critical-thinking.cocolog-nifty.com/blog/ …
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この回答へのお礼

 お早うございます。ご回答をありがとうございます。

 先に次の議論について見てまいります。末尾に紹介されたサイトです。
 ▲ (異端的考察――世の中に蔓延する偽善に抗する!!!) ~~~~
  http://critical-thinking.cocolog-nifty.com/blog/ …

 § 論理と感情は二項対立関係か

 論理と感情はしばしば二項対立的に捉えられる。例えば「人間は論理ではないのだから」などのテーゼには、そうした前提が潜んでいる。だが、論理と感情は二項対立的というよりも、むしろ次元の違う内容を比較してしまっているのではないだろうか。
 ~~~~~~~~~~ 
 ☆ これは あいまいでしょうね。全体として《人間 ないし わたしという存在》という次元は 同じひとつであるという前提を言っておかねばならないからです。

 そしてじっさいに感性は 理性と同じ結論内容を持ち得ます。それを概念として捉え言葉にして表わすのは 理性しか出来ませんが たとえば不倫にかんして感性は すでに人を裏切ることになる――したがって自分の人格を分裂させ傷つけることになる――という結論内容を知覚して知っています。

 言語表現が無いというからには《次元が違う》と見られるかも知れませんが それほどのことではないはずです。しかも実際 そういう結論内容を知っていても おのれにさからって不倫の行為に到るのは――むろん意志ですが  それをあたかも弁明につぐ弁明によって意志をもそそのかしお膳立てをするのは―― むしろ理性です。

 感性は その一次的な知覚にあっては 良いも悪いもなく おおむね素直な自然本性の有り方を示すと思われます。理性は しかしながら その自然本性の(つまり心の)おもむくところに逆らう悪いハタラキをも持つと考えられます。

 ▲ 感情というのは、単純に「~したい」「~は楽しい」「~は嫌だ」といった一つの感覚である。ここにあげた例ほど簡単ではない複雑な感情でも、本質的にはすべてそうである。なので、感情は「人間の行動・判断に対する動機付け(モチベーション)」である。
 ☆ これは すでに感性による知覚――あぁ あのパン うまそうだ――のあと(その知覚を悟性ないし理性が 言葉に置きかえたあと) むしろ意志が欲する内容だと思われます。

 感性による知覚と何をしたいか何を欲するかとを一緒にして議論をしていると思われます。
 あのパンの一切れでも 弟や妹に食べさせてやりたいというのは おもに意志です。いつか仕事に就いておカネをかせぐことが出来たら おわびに来ればよいではないかと理屈づけるのは 理性です。そう決行するのは意志です。
 食べたい でも ひと様のものをぬすむのは良くないというのは すでに感覚として(あるいはイメージとしてでも)感性が知っていることです。

 感性の捉えた知覚内容をそのまま意志が行動への動機づけにするのだと一概に決めつけてよいものか?
 意志のハタラキは 感性に従属するものなのか? 
 理性にしても感性のおもむくところに逆らうことがあるはずだ。

 よって
 ▲ 感情は「人間の行動・判断に対する動機付け(モチベーション)」である。
 ☆ と何の条件もなしに言い切ってよいであろうか?


 ▲ 他方、論理というのは「AだからB」といった、正しい結論を導くための規則である。やや難しくいいかえると、論理とは「「何が正しいか」を決定するための唯一の方法」だということである。いかなる主張も、論理以外の方法では正当化されえない。
 ☆ 感性によっても《正当化》の素地は提供されていますが まぁ このように受け取りましょう。


 ▲ ~~~~~~~
 ここで注意してほしいのは、論理以外の方法では「正当化」は不可能だが、「説得」は十分に可能であるという点である。この区別を明確にするために、

 ・議論:何がより正当なものであるかを探求する作業
 ・説得:自己の主張を相手に同意させる作業

 の二つをきちんと分けておこう。
 ~~~~~~~~
 ☆ ここまで言っちゃっちゃ 《説得》は マチガイをマチガイでないと相手に思わせる技術だと言わんばかりになります。
 マチガイ(つまり より正当性の少ない内容)を相手にマチガイではないと(または たとえマチガイでもおこなう値打ちがあると)理解させることになってしまう。おかしい。
 パン泥棒にかんして《議論》と《説得》とは 《二つをきちんと分けて》しまわねばならないものなのか。

 感性にうったえる場合でも――人質をつれて閉じこもった犯人にその母親をつれて来て母親から人質の解放と自首とを説得させる場合も―― 《正当な》・妥当な内容であり得ます。


 よって
 ◇ 説得には、何より、自分の考えは絶対間違っていない、という強い思い込みが必要です。
 ☆ この命題に異議をとなえます。そのままでは 舌足らずでしょう。





 
 あとは 目指すところが同じで 議論としては互いに歩み寄れたのではないかと思います。

 さらに考えるところがありましたら 補足欄にておぎないたいと思います。

お礼日時:2013/06/29 08:39

ぶらじゅろんぬさん、何度も失敬おす。





ワタクシゴトなんですが、
小学校に通う娘の意見を聴いていると、

◇ こうあるべきと決め付けすぎ
◇ 転ばぬ先の杖をお互い与えすぎ

なんぢゃないかなあと思ひまつ。


___________


娘の話です。
2年か3年前の図画工作の授業で、
「明るい色を挙げてください。」と言われ、
張り切って挙手して「茶色!」と答ると、

「違います!それは暗い色です。」
と教師に言われたのだそうです。

どうして茶色を明るい色だと感じたのか
教師は娘に尋ねることなく、
黄色やらピンクやら水色やら、
そういうのが明るい色だと教えたそうです。


帰宅した娘にその話を聞いたおいらは、
「どうして茶色が明るいと感じたの?」
と訊いてみると、娘は
「だって土は茶色だし木も茶色だし、
 家の床もテーブルも茶色やんか。」
と答えるんですわ。

親バカかもしれませんが、このように
「個人の感覚」を「間違いだ」と「教える」のは
マチガイなんぢゃないかと思ひまつ。


___________



またまたワタクシゴトですが、
小学生をはじめ、多くの人が、
「失敗」を極度に恐れているように感じます。
その結果「最初からやらない」
という選択をしているように思います。

おいらが担当しているサッカー少年団には、
鬼ごっこが得意な人がいたり
鉄棒が得意な人がいたり
ロングシュートが得意な人がいたり
ドリブルが得意な人がいたり
攻めが得意、守りが得意な人がいたり、
利き脚が右の人がいたり左の人がいたり、
いろんな人がいるんですが、


「鬼ごっこしよう!」というと
「いやや!だってオレ走るの遅いもん。」と言って、
まだやってもいないのに絶望する人がいます。
やってみたら楽しいかもしれないのに
もったいないなあと思います。


「恥ずかしい」ことに敏感なんでせうか。
「恥」をかくぐらいなら切腹、
なんて時代はとっくに終わったのに、

「恥」を避けて行動をしないなんて
とてももったいないと思ひまつ。


___________


(あ) 否。
(い) 否。でも悪貨とラベリングされるのはムカつきます。
(う) 脇腹か足の裏をくすぐってやりませう。
(え) 急ぎませう。
(お) 外国に関係なく自分でできるでせう。
(か) 駱駝から。(けどつまらないと思ふ。)


以下、分かりません。ほぢゃ。



                
 
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。


 日本人がと言いますか われわれが《考える》ことをしないのは
 ★ ~~~~
  ◇ こうあるべきと決め付けすぎ
  ◇ 転ばぬ先の杖をお互い与えすぎ

 なんぢゃないかなあと思ひまつ。
 ~~~~~~~
 ☆ という回答ですね。


 倫理規範による締め付けでしょうか。
 そして 過剰保護でしょうか。

 道徳にはよわいようです。道徳を説かれると まづは ごもっともですと言わなければならないし そういう顔をしなければならなくなるようです。クウキに合わさねばならないのでしょうね。

 でも 杖を差し出されても かえってうざこいように思うのですが そうはならないんでしょうかねぇ。

 道徳による説教ないしいわゆる精神論は もう廃れているのではなかったでしょうか。根強いのでしょうか。



 ★ ~~~~
 ・・・
 「違います!それは暗い色です。」
 と教師に言われたのだそうです。
 ~~~~~~
 ☆ そうですか。お箸は右手に持ってご飯を食べましょうという標語が家の壁中に貼ってあるのでしょうね。その教師の家。


 ★ 多くの人が、「失敗」を極度に恐れているように感じます。
 ☆ そのことと《考える》こととの関係が いまひとつ分かりにくいんですが。


 ★ (い) 否。でも悪貨とラベリングされるのはムカつきます。
 ☆ ええ。ムラハチブを覚悟の上での質問です。

 ほかの項目について 分かりました。了解しました。

お礼日時:2013/06/28 22:36

NO10の付け足しです。



NO10やNO5の議論は、すべて、日本人の男についての議論です。
女性は、精神的・肉体的に強いんで。
女性は、少々のことでヘコたれたりはしません。
ヘタレなのは、世界中、どこを見まわしても、男と決まっているので。
これは動物実験などから明らかなんだもの。
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この回答へのお礼

 つづいてです。

 男が問題であると。

 分かりました。

お礼日時:2013/06/28 22:08

おっと、火だるまになってしまった(笑)。


せっかく《セロトニン遺伝子のSS型説》の話をしたのですから、この線にそって答えることにします。

遅れましたが、
お礼、ありがとうございます。



☆☆☆☆☆☆
☆ 羹に懲りてなますを吹くなのでしょうか? もともとは《考える人》であるということですね? 根は。
だったら少なくとも青少年のころには よく考えるということではないのでしょうか?
◇根は《考える人》でしょう。


☆考えるなら 考えるよろこびを知るようになります。
◇セロトニントランスポータ遺伝子がSS型の人は、《楽しみ》を感じにくいのですよ。考えるという作業に楽しさを感じにくい。
なのに、あれこれ考えてしまう。
ここに矛盾と葛藤があるのではないでしょうか。
楽しくないのに、考えこんでしまう。
これは、結構、辛いものがありますよ、きっと。
───わたしは考えるとことが好きですし、楽しいので、これは推測になりますけれど───



☆☆☆☆☆☆
~~~~~~~
 ◇ ~~~~~
 遺伝・環境的要因の両面が揃っているので、
 日本人は、自分や社会に関わることについて、徹底的に物事を考えることには、向いていないのかもしれませんね。
 そのようなことをすると、心が破綻してしまうからです。
 ~~~~~~
 ☆ この意味が分かりません。考えることをなすと 心によくないことが起こるという見方が分かりません。
~~~~~~~
日本人の多くは、自己を日本・ウサギ村の関係性においてとらえるからです。
この関係性を逸脱すると、日本人の多くは、安心感を得られません。
したがって、個人がそのウサギ村をただ独り離れて、その後ろ盾を失って、神のような絶対的一者と向き合うなど到底、心の許すところではないし、心の耐えられるところではない、という意味です。
ひどい孤独に襲われたり、あまりに寂しいと、すぐに死んじゃうんです、《ウサギさん・日本人》は。ウサギさん村、ウサギさん群れの温もりを感じられないと、ダメなんです、日本人は。
なので、
自己の存続に関わる、天変地異などが起きないかぎり、日本人は、日本・ウサギ村を批判することや、そこからの逸脱をひどく嫌います。多くの矛盾を抱えていても、その矛盾に気づきながら、なかなか変えようとはしません。
それはよって立つ基盤を失うことであり、同時に、自己の喪失を意味しますので。

定年とともに、抜け殻のような状態になる人、日本人には多いでしょ。
これは、その一つの現われではないでしょうか。




☆☆☆☆☆☆
~~~~~~~
◇ 西洋的な意味での《自我》の発達が抑制される、《自我》の確立ができない。
☆ こんなよきことは 世界どこを探してもあまりないのではないですか? 
~~~~~~~
わたしも「いいことだ」とは思うのですが、
いわゆる、欧米型のグローバル・スタンダードとやらからすると、
主体性の欠如ということになるのでしょう。
そして、
こうした価値観・世界観を欧米などの異文化の人々に納得させるだけの論理を構築できていない。
現段階では、
ワンガリ・マータイさんという外国人の手を借りて、《もったいない・MOTTAINAI》という価値観を世界に発信した程度に終わっている。
情けねえな~、ホント!!
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%B3% …

これもSS型のなせる業なのか。。。
SS型の人は、自分〔の考え〕に自信を持ちにくいとされていますので。
国際的な意識調査によりますと、
「日本人の自尊心の低さは世界一だ」といわれています。
例えば、こちら。
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-23 …
日本人は基本的に内省的だから、他者との比較のうちにおいて自己の能力を正確に見極めている、ということになるのでしょうか。
「自尊心なんかクソ喰らえ」と言いたいところのですが、
自尊心の低さと《うつ病のなりやすさ》には相関関係があるといわれています。



☆☆☆☆☆☆
~~~~~~
 ☆ ということは お上の意向に沿わないような結論の出る思考は おこなわない。または おこなっても門外不出とする。――というだけのことではないですか?
~~~~~~
SS型ゆえに、お上の意向、あるいは日本ウサギ村の意志に逆らわないのか、
お上の意向、もしくは日本ウサギ村なる組織があったから、結果、SS型の人間が多く残ったのか、
これは分かりません。
「鶏が前か、卵が前か」の議論になるので。

和算、これ凄いんですけれど、
やっぱ、華道やお茶のような、互いに排他的な組織、つまり《流派》になっちゃって、他の流派との交流はないんです。
すぐに群れを作りたがる、ウサギさん日本人の悲しい性なんでしょうかね~。
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この回答へのお礼

 ねこさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 ◇ ~~~~
 セロトニントランスポータ遺伝子がSS型の人は、《楽しみ》を感じにくいのですよ。考えるという作業に楽しさを感じにくい。
 なのに、あれこれ考えてしまう。
 ~~~~~
 ☆ これは 《考える》ではなくて 相手〔の肩書きや身分〕に気を遣うとか 思い悩むとか あれこれ気を回すとかいうたぐいの心理的な動きにしか過ぎないのではないでしょうか?

 考えるにともなうよろこびは 世界におけるワタシの位置関係が分かることがいちばんだと思います。そのことによって わたしがわたしでいることが出来ます。思うように実現していなくても それは 社会という関係構造の問題だと知るはずですから。
 
 船に乗っているときには 嵐に遭えば皆と同じようにこれに耐えます。そこから降りるわけには行かない。
 満員電車で急ブレーキがかかったときに 人から押されてしまうし 自分も隣りの人を押してしまう。このようなカカワリ情況は すでに自分が自分の位置にかんするかぎり引き受けています。そのことで思うようにものごとが行かなくても 自己了解に差し障りはないと言ってよいでしょう。

 考えることに たとえ楽しみがなくても わづらわしさが生じるわけではないでしょう。

 考えるという段階のさらに以前に 問題に直面しない・問題を直視しようとしない そういう段階のことを《考える》と言っていませんか?




 ◇ ~~~~ 
 日本人の多くは、自己を日本・ウサギ村の関係性においてとらえるからです。
 この関係性を逸脱すると、日本人の多くは、安心感を得られません。
 ~~~~~~
 ☆ というところまで《考える》ことを行なえば すでにその理論上《安心感》が得られているのではありませんか?
 ただ 現実は その理論どおりには行かないというだけのことではないですか? そこまで考えたなら 何の問題もないと思いますが。

 ◇ 日本・ウサギムラの関係性を逸脱する
 ☆ ということをすでに想像において描いてしまっているし そこまでのことを考えたことになると思います。

 考えただけで 社会生活上の安心感が得られなくなる。――これは どういうことか? とさらに考えるはずです。
 だったら
 ☆☆(趣旨説明欄) (き) なぞの隠れた愚民化政策が どこかその筋から ほどこされているのだろうか?
 ☆ というところまで――そのことの正否は別としても―― 行き着くのも 必然的なことです。

 ☆☆(同上) (く) あるいは あほばかヰルスが ひょっとしたら ばら撒かれているのだろうか?
 ☆ となります。どういうヰルスかは みんなで考え調べて行くとよいと思います。


 

 ◇ 自己の存続に関わる、天変地異などが起きないかぎり、日本人は、日本・ウサギ村を批判することや、そこからの逸脱をひどく嫌います。多くの矛盾を抱えていても、その矛盾に気づきながら、なかなか変えようとはしません。
 ☆ 《ウサギ村を批判する》ということは 知っていることになります。そういうことを考えることもあるんだなと分かっているという意味になります。
 《多くの矛盾を抱えている》ことについても考えているということですよね。《矛盾に気づき》それについて考えるところまでは すでにおこなっているではないですか? 処方箋までをも持ったとしても《なかなか変えようとはしません》というだけの話ではないでしょうか。

 そこまでのことを確認出来たならば まづは・ひとまづは安心です。


 ◇ ~~~~
 定年とともに、抜け殻のような状態になる人、日本人には多いでしょ。
 これは、その一つの現われではないでしょうか。
 ~~~~~
 ☆ 違うと思います。それこそは 《何も考えない人間》だったということだと考えます。《言われたことだけをやる人間》だったのだと考えます。少しでも考えたことのある人は そうはならないでしょう。


 ねこさんは 人びとがウサギ村のウサギさんだということを何故か故意に強調しようとしていませんか? 考えることはほんとうにはあるという人たち この人たちになおさらに威嚇をしようとしていませんか? この世であくせくとはたらく世界とはかけ離れたところにあって暮らす人たちの代弁をしているのではありませんか? つもりがなくても そうしていることになるのではありませんか?
 マインド・コントロールにかかっているのでしょうか? 催眠術でしょうか?
 《考える人たち》のあたらしい一歩について 踏み出しづらいと思わせるような話をしていませんか?



 ◇ ~~~~
 いわゆる、欧米型のグローバル・スタンダードとやらからすると、
 主体性の欠如ということになるのでしょう。
 ~~~~~~
 ☆ いまだに人殺しをおこなっている人間たちのどこが《主体性》なのでしょうか?

 ◇ こうした価値観・世界観を欧米などの異文化の人々に納得させるだけの論理を構築できていない。
 ☆ 聴く耳を持たない人間のどこが 主体的な行動なのでしょう?
 いまだに 人種差別をしているのではないでしょうか? オモテには出しませんが。
 日本人などというのは ごみくず同様に思っているやも知れません。


 ◇ SS型の人は、自分〔の考え〕に自信を持ちにくいとされていますので。
 ☆ 何を言ってんですか。たぶんクリスチアニズムによると思われますが自分たちは えらばれた人間であると思い込んだ人間がどうして人間にふさわしいふつうの《自信》を持てると言うのでしょうか? 思い込みの上の思い込みではないでしょうか。
 
  ほこるなら わがよわきをほころう。

 と聞いていても また日本人というそのお手本が目の前にあっても やっこさんたちは 反省もしないわ優越感にひたりつづけるわで 目も当てられません。

 《 SS 型》がどうのこうのというのはよく知りませんが 仮りにそのとおりだとしたら そうだとしても
 ◇ SS 型の人は、自分〔の考え〕に自信を持ちにくいとされていますので。
 ☆ というのは だからこそその《自信の無さ》が 人間のほんとうの《自信》につながるのではないでしょうか? この慎み深さをどうして 自分たちで卑下したり相手に対しては蔑むにまかせておくのでしょう?

 ◇ 「日本人の自尊心の低さは世界一だ」といわれています。
 ☆ これほどとうとい事実はないのではありませんか?

 ◇ ~~~~
 日本人は基本的に内省的だから、他者との比較のうちにおいて自己の能力を正確に見極めている、ということになるのでしょうか。
 「自尊心なんかクソ喰らえ」と言いたいところのですが、
 自尊心の低さと《うつ病のなりやすさ》には相関関係があるといわれています。
 ~~~~~~
 ☆ 相手が・つまり思い込みによって他の民族に対して優越感を持ちその蜃気楼の上に乗っかっている人間である相手
が おそかれ早かれウツになることさえ出て来るのでしょう それをこちらが先取りしてやっているのではないでしょうか? これは 無縁慈悲と言うのだと思います。
 やつらは 《人権》ということしか言えないぢゃないですか。思い上がりの自尊心のどこがとうといのでしょう?


 ◇ ~~~~~
 和算、これ凄いんですけれど、
 やっぱ、華道やお茶のような、互いに排他的な組織、つまり《流派》になっちゃって、他の流派との交流はないんです。
 すぐに群れを作りたがる、ウサギさん日本人の悲しい性なんでしょうかね~。
 ~~~~~~~
 ☆ そうなんですか。アマアガリ・シンドロームに罹っているのでしょうか。
 アマテラス予備軍症候群でしょうか。
 真ん中にアマテラシテ象徴をいただくヒエラルキア組織なんでしょうか。真似したがりますから。
 そして ムレたがるのでしょうか。

お礼日時:2013/06/28 22:07

ところでさ、この写真、何なん?


昔は良かったね~♪とか
言わんといてくださいよ。(■.■メ)
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この回答へのお礼

 つづいてです。

 土偶のこと? ハート型だそうです。顔が。


 強いて説明すれば ムラハチブを覚悟しての設問でえすと言っています。

お礼日時:2013/06/28 22:17

こんばんわ、ぶらじゅろんぬさん。


傍観しようと思ってたんだけど
やっぱおじゃまします、ちょろっと。


ネコ様とのやりとり面白い。





平和ボケうんぬんとかぢゃなくて、
宇宙にたったひとりであるおいらが
毎日毎日24時間おいらをする、という

とてつもなく当たり前で大切な発想を
そもそもしなくなったか、それか、
諸事情でできなくなっているのかな。
それ堂々とやったら叱られるのかな。
叱られたら人格否定された気分になるのかな。
そうしたら立ち直れないのかな。


とか悲観的なこと書いちゃって。
そんなわけないわ。(▼・▼メ)


おいらは 積極的に「クウキを読まない人」が
頑張ってるしこれからも頑張ると思います。


ネコ様のご回答で思いついたのは、
不安な人ほど武器を持つのだそうです。
武器を持つと守られた気分になる上、
勝った気分にさえなるそうです。


そうだ、「中立」というID、
そんなにキライかい?
                             













 
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この回答へのお礼

 にゅうとらるさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。


 そうですね。けっきょく

   ふつうにわたしがわたししているなら
  それは《考える》をすでにそのときおこなっている。
  ともなっているはずである。

 こういったご見解でしょうか。それは つねなる姿であり 姿勢であり態度でもあると。

 むつかしいこともなく ただしやさしいというわけでもない。
 《わたし》は 所詮 ひとりであるから。
 ひとりであるゆえにこそ かかわりがありそれが分かり 社会を成しており 社会の人間として生きて行くのだと。



 ★ 「中立」というID
 ☆ これは やや分からなかったのですが。
 生活日常のふつうであること。これが 大事だということでしょうか。

お礼日時:2013/06/28 21:04

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