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源平合戦のころの大鎧の重量について話を聞くと大体25kg以上あり
太刀や兜など合わせると40kg近いと言われます。

ところが大山祗神社 宝物館に奉納されている大鎧を分解した展示を見ると
ほとんどのパーツは皮を漆で固めたもので、大きさも当時の武者の体形に合わて
かなり小振りです。どう見ても25kgもあるとは思えません。

鉄板を漆で固めた小札を使う重い甲冑は槍のように
貫通力のある武器が普及した後のことではないかと思います。

源平合戦の頃の実戦向き大鎧の重量を実測データで知りたいのですが
データをご存じの方、ご教示よろしくお願いいたします。

A 回答 (1件)

 補修が完了したというニュースで、春日大社の国宝「赤糸威大鎧(梅鶯飾)」は26kgほどと紹介されていました。



 また武蔵御嶽神社所蔵の国宝「赤糸威鎧」(畠山重忠が奉納)だと
   兜    3.8kg
   胴   13.5kg 
   脇楯  2.4kg
   袖    2.2kg
   栴檀板 0.5kg
   鳩尾板 0.3kg

>鉄板を漆で固めた小札を使う重い甲冑は槍のように
>貫通力のある武器が普及した後のことではないかと思います。

 槍が主体と成る室町以降の鎧は、大鎧よりも大分軽くなります。(10数キロ程度)
 まあ、槍を持って走り回らなければ成らない事(戦国時代は徒歩での戦闘が主体だった)を考えるとあまり重く出来ません。
 
 大鎧の重量は馬に乗って弓を主要武器にして戦う事を想定しているから許される重さです。←鎧の重さの大分は鞍を通して馬に負担させる。

 それに、貫通力で言うなら矢の方が圧倒的に厄介です。
 (フライパン程度の厚さならスパスパ貫通する。←だから盾や大鎧の大袖など胴体から離れた場所で矢を受け、威力を減衰させる。)

 鹿児島の古流弓術などには、左肩から下げられる大袖と兜で自身を防御しながら弓を射る為の独特の射形が残されています。

 ヨーロッパなどは槍や刀の刺突対策では、鎧の胴体部を四角形でなく中央部を突出させて曲面をつくり脇へ受け流す構造にしています。まあ単純に刺さらなくする為に鎧を分厚くしても、衝撃で中の人間が怪我をしてしまいますしね…。
 (ドイツ製の高級鎧とかになると溝を掘って軽量化と受け流し効果の増大を図っていたりする。)

 まあ、ヨーロッパの鎧が大重量化したのは鉄砲が大量に使われる時代に成ってからですが…。
 (とは言え鉄砲に対する強度を期待すると胸甲部分だけで15kg越えとかに成ってしまいますが…。)

 なお井伊直政が関ヶ原で使用した鉄砲の弾すら跳ね返すと言われた鎧の重さは60Kg(現物が存在しないので疑いの声も多いのですが…。)とも言われます。
 
 まあ直政は、関ヶ原で受けた鉄砲傷が癒えないまま、破傷風が元で死去したとされますから、ご自慢の鎧(60Kgも無くても相当重い物であったのは事実でしょう。)でも、致命傷を防げただけかも知れませんが…。
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この回答へのお礼

私の予想では兜を除いた重量が15kg程度、兜を入れて20kg以下と思っていましたので
国宝「赤糸威鎧」(畠山重忠奉納)が兜を込みで22.7kg
兜を除いて18.9kgというのは予想を少々上回りますが、ありうる数字だと納得しました。

熊谷直実が平敦盛を打ち取った組打ちの場面など、源平合戦の描写を見ますと
当時の武士は結構徒歩で戦っています。40kgもの甲冑を身に着けていたのでは
そうそう徒歩では戦えないはずだが、、、と不思議に思っていました。

大山祇神社の宝物館で分解した大鎧を拝観して、これならもっと軽いだろうと思い
質問させていただきました。

的確なご回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/06/30 19:17

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