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労働時間的に、現代人より忙しかったのでしょうか?それとも今よりゆったり暮らしてたのでしょうか?

A 回答 (4件)

電気がなかったから、作業に適した明るさを確保できる時間も短かっただろうし…労働時間短かったのではないかと想像します。

冷暖房もないしね…
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おおっと、禁断の質問に手を出してしまいましたね・笑。



江戸時代と一言でいっても200年くらいありますし、江戸と田舎と、あるいは武士と町人ではそれなりに立場が違うのですが、江戸庶民と武士の多くをご紹介しましょう。

まず江戸の町人は、基本的にみんなフリーターです。お金がなくなったら働く、あったら働かない。割と単純です。大工なんかの職人も金がなくなると働きますが、金が手元にあると働きに来ないので、てんでアテになりません。誰だったかな、幕末に江戸に来た外国人が「職人がどれだけくるかその日にならないと分からないから作業が進まない」とグチった記録があります。
職人じゃない町人は、手配師さんのところに行きます。「どうも旦那ァ、なんか仕事ないですかね?」なんていうと「そうだなァ、夏だから金魚屋やるか?」といわれて、道具一式なんかを借りて金魚屋をやります。んで季節が変わったりしたらまた別のものを売ったりするわけです。
朝は早い(夜明けから)のですが、まあそうはいっても夏は午前4時頃から明るくなりますけど、冬なら午前6時頃まで暗いわけで、そういう意味では自然とサマータイム。時間で区切られるというより、自然のリズムで区切られるわけです。んで、だいたい働くのはお昼頃まで。それで日当をもらったら、風呂屋で汗を流して、あとは落語を聞きに行ったり、芝居(歌舞伎)を見に行ったり、吉原を始めとした歓楽街をのんびり流したり。もちろん、芝居小屋の人やら風呂屋さんやらは働かないといけませんでしたけどね。
芝居小屋は朝から晩までやってたらしいんですよ。てことは、朝からお客さんがいたってことですよね。浮世絵を見ると割とみんなのんきに観ているんですよね。居眠りしてる人なんかが描かれていたりしますから。

では、武士はどうだったのかというと、まあ立場にもよりますけど、基本は一勤一休です。え、よく聞こえなかった?もう一度書いちゃっていいの?はい、一勤一休です。今日出勤したら明日はお休み。なぜそんなに出勤日数が少ないのかというと、ワーキングシェアです。武士の数が多かったんですよ。
んで、武士も朝は早いですが、だいたい勤務も午後2時くらいまでが一般的。ただし、誰もお城にいないとかいうのは困るから、一応江戸城なんかは24時間誰かしらは出勤はしていますけれども。

そんだけの労働時間ですから、春はお花見、初夏に初鰹、夏は花火、などと季節イベントもお盛んで、日本人てのは平安時代から日記好きの筆まめですから、当時の下級武士の日記にも「今日はみんなでお花見に行った」とか「初鰹を食べたけどケチって安いのを買ったら当たってみんなひでー下痢になった」なんてことが書かれています。

人間が長時間労働を強いられるようになったのは、産業革命以降です。
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機械が進歩すれば人は楽になると思いがちですが、実はその逆なんですね。

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武士と町人とでは異なります。


又、武士でも、権力の中枢にいる武士と
平武士では違います。

例えば、一般の武士では仕事をしているのは
全体の1/3ぐらいです。
後は無役と言いまして、仕事がありません。
仕事がある武士でも、出勤するのは一ヶ月に
10日あるかないかです。

しかし、側用人のような人は、それこそ目の回る
ような忙しさでした。

お店者といわれる、商家の奉公人などは、休みは
年に二日が普通です。

百姓は田植えや刈り入れ時は忙しかったですが、
それでも、結構余暇を楽しんでいたことが解って
います。
年貢さえ納めていれば済むんだから、百姓ほど
気楽なものはない、とまで言われていました。
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