大日本帝国の人について興味あります。
司馬遼太郎の坂之上の雲は呼んだことある方いますかね?教科書にしてもいいくらいだという人もいるくらいで、どんなことが書かれていますか?当時の人の暮らしぶり、考え方など知りたいです。
戦前、戦争とは関係ない人々の普通の暮らしぶりはどんなでしたかね?何を考えどう生きていたのですかね?特に教育勅語を学んだ世代の人生観、今の若者をどう思うかを知りたいです。
戦後、メーデー、安保闘争など日本人は今のように去勢されておらず元気いっぱいでした。当時の人の考え方、暮らしぶり、将来への不安と期待など知りたいです。あ、米国の奴隷になったり、米ソ冷戦に巻き込まれて再び戦地となる不安はなかったのですかね?
各地に海外移住された方もいるときいてます。どのような思いで日本を離れたのですか?
よろしくお願いします
No.1
- 回答日時:
>教科書にしてもいいくらいだという人もいるくらいで、どんなことが書かれていますか?
あくまで「小説」であるので、歴史的事実と食い違う点も多々あります。
ただ、大きな流れを掴むのには適しています。
また、自虐的歴史観の世代?の人が読むと、「日本人てすごい!」と、それまでの価値観が覆ります。日本の歴史に自身を持つという意味ではいいかも。
No.2
- 回答日時:
以前、亡くなったお祖母ちゃんに戦前何を着て何を食べてたのかを聞いたことがあります
答え
中折れ帽子に背広、お洒落ハットにワンピースに決まってるじゃない
(モダンボーイ、モダンガール)
食べ物はコロッケとか今とそんなには変わらないよ
坂之上の雲に書いてあること
史実には存在しない嘘や司馬の捏造、妄想がいっぱい書いてあります
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
戦前生まれの後期高齢者です。
まず、司馬遼太郎の著書は作者の思い込みや作り事、独特の推察などを網羅している一つの作文だとしてお読みになったほうが良いと思いますよ。
歴史は作られるって本当。
いつの間にか老舗になっていたり、何代も続いた家柄ですや、此処は勤皇の志士が隠れたところですだとか、まあ念入りに地図まで掲げて。現在はまやかしが多いけれど戦前はあくどい商売人と言えどもそう云う誇張はしなかったように思います。
戦前とは言え大正時代の人たちの生活は非常に楽天的なものだったと思います。(従兄弟大正生まれ90歳余曰く)
昭和の初期でも都会では幼稚園はスクールバス。映画もダンスホールも、フランス料理も今あるものは全て溢れ返ってました。
水洗はごく一部で近郊の百姓が肥を汲みに来て御礼の大根なりを置いていくのが都会でも普通の事でした。
また、戦前はそこそこ金を持っている連中でも借家が普通で、余程の事業家や成金、爵位のある家系以外は全て借家。
土地の有力者・・・例えば豪農や代々の庄屋などは家屋敷がありましたが。
家を買うという発想はほぼありませんでしたね。
腰弁(サラリーマン)の出社は歩くのが原則で交通費を貰って電車に乗るというような事は大正の初期までは無かったと従兄弟は申しております。
一家団欒、一家そろって食事と云うのも精々戦後の事です。
商家なら手の空いた人から食事をしますから。
一家の主のお膳は(おかずもご飯も)全て妻子とは別、同じ膳では食べません。主の食事が終わってから妻子の食事。(今ならよめはんに殺されるかも)
子供と大人の世界は完全に区別。
ネットは当然、普通の家に電話もありません。(うちの電話探ってみると最初に置かれたのは大正7年でした。)
戦後初めて白黒TVが発売された時TV一台の値段で当時40坪くらいの家が一軒買えました。
戦後宝くじは一等10万円。一枚10円。小さな家なら買えた。
終戦の年、すぐにアイスキャンデーを作って売ってました。一本1円。
不味いガムやチョコレートは昭和23年頃だったかに。
当時、バスやタクシーは電気自動車が多かった。充電はどうしていたのか??ですが。
従兄弟の戦前の中学校の教科書を見ると(電気技術書)きちんとテレビの写真と技術解説が載っています。
私たちがよく読んでいたのはヘッセ、Tマン、メリメ、シュトルム。
哲学をやっている連中はこんなの読みません。
明治の文学はほぼ濫読、南総里見八犬伝まで手を出した奴も居ます。
映画は手当たり次第。戦前の名画も戦後公開されましたから。
最初のアメリカ映画は確かユーコンの叫びだったかと。
普通の人にとっては戦前の、支那事変や日露戦争の結果に一喜一憂していたのは今と人たちの野次馬的な処と変わりはありませんし、人間の常として考えが楽なほうへと傾いていたのも事実です。
今と違って身分社会(出自によって社会的地位が決まる)ですから、例外はあるとしても(例えば爵位のある人や軍需産業などで大金を得て社会に還元したいと地方の優秀な男子や子女を養子として、或いは書生として住まわせて立身の道をつけてやるなど)、ほぼ人は生まれた時に取るべき道は決まっていた社会です。
で、各自それなりに、政治や軍事は・・・そんな難しい事は誰か偉い人がすることであって私たちには関係の無い事、其れよりも毎日の生活や楽しみが先決・・と云うのが本音だったでしょう。
メーデーや安保闘争など・・私の考えですが今の団塊の世代の初期の人たち(昭和22年生まれ以降)は肝心の小学校の教室も教員も足らず、抑留から引き上げてきた共産主義に洗脳されたような代用教員に習った結果が、戦前の身分社会の不条理に気づき労働者とブルジョワジーの対立と云う形で爆発したものだと思っています。
団塊の世代が愛用した歌声喫茶で歌われている歌って労働歌やロシア民謡などソ連に関係したものばかりですよね。
確かに農村部では(戦前は長男が後を取り、次男以下は出て行くか良くても他の農家の婿養子になるかで、軍隊が出来ると米の飯が腹いっぱい食えるとばかり召集どころか争って志願した人が多いのが現実で、後に赤紙で召集される頃は兵役忌避の脱走者も多かったようですね。
でもねぇ、戦時中食べるものが無かったとは云いますが金さえ出せば何でも買えたのです。(結局は金があるかどうかで決まるのかも)
徳川無声の戦時日記を読めば東京空襲時でも牛肉の配給(食糧は物価統制令で自由に売買が出来無い、主食の米などは各戸に割り当てで配るのを配給制と云います。違反者は投獄。外食は外食券が無いと出来なかったけれど、店は知り合いには出来る限り物を提供していた。)があったと記述されていて驚きます。
海外へ移住された方は明治以前から沢山居ますので戦前の暮らしのごく一部の現象に過ぎないと思っていてください。
これに関しては色々本が出版されているので図書館でお読み下さい。
明治中期生まれだった私の母親など若い頃毎晩ダンスホールで踊っていたと。(写真が残ってますわ)
慶応生まれの祖母なんか刺身が好きで良く無理難題を。でも結構手に入ったのですよ。
果物も、ケーキも、菓子も巷に溢れ返ってましたし戦争が始まっても暫くはまだフランス映画など上映してましたしね。
学童疎開はしてましたが食べ物に不自由だった事は有りません。
(場所によるのでしょうけれど)
戦争が始まっても一般の人の生活が急に変わる事は有りませんでした。
東京や大阪名古屋の空襲にあった人たちは大変だったでしょうけれどね。
一般の庶民にとって将来の事などは戦争の行方は心配しても身の振り方までは考えられなかったと思います。
進駐したアメリカ兵が抵抗されゲリラにでもやられるかると緊張していたのに拍子抜けと、戦後隣に住んでいた大佐が笑いながら話してくれました。
昭和20年代は内憂外憂が一般の人には全く感じられなかった時代。
20年代終わりにはアメリカ文化がど~~っと。
圧巻はジャズ。ベニーグッドマン、JATP、サッチモ、ハリージェームス、ライオネルハンプトンetc。飯を惜しんで東京へだら(普通)の夜行で14時間かけ学区をサボって聞きに行った。
新宿あたり焼け跡がまだ板囲いしてありまだ戦争浮浪児も居た時代。
昭和34年まだ国道一号線は舗装なし。トヨタのクラウンの前身トヨペットスーパーがこなれてきて試乗に行きました。
クッションは板バネ。遠出でしてバネが折れて挙母市(今の豊田市)で修理をするはめに。
閑話休題
今時ああだこうだと大げさに言われている面は何事に付けても大いにあると思います。
大正、昭和の話を書いた本は沢山出ていますが、その前に矢田捜雲の江戸から東京へや生方敏郎の明治大正見聞史の一読をお勧めします。
もう少し前の幕末の世人の暮らしや出来事などは鹿島萬兵衛の江戸の夕映をぜひお読み下さい。
教育勅語の内容は素晴らしいものですから私たちは否定しません。
まだ同級生は200人以上が健在ですし、何時もわいわい集まっていますが1年先、3年先の心配をする輩はいませんねぇ。
其れより100年先どうなっているかの議論に口角泡を飛ばすほうです。
戦前、戦中、戦後を冷ややかな目で見てきた世代ですのでなるようにしかならんと物事を割り切ってます・・が多い。(^^)/
取り留めの無い文、乱文で失礼しました。
ありがとうございます。大先輩がいたから今の若者がある。若者は年配の努力とそれへの感謝を忘れてはいけないかもしれませんね。最近の若者はバカ化しています。顔が明らかにバカっぽいし、何を言っても聞きません。天皇陛下の誕生日は皆無視して、クリスマスを平気で祝う。日の丸持ったことすらない、民族意識がなく、基本がなってないのに個人の自由ばかり掲げる。日本人の多くはだらしました。ただ、良くぞ高度経済成長を遂げていただいたと深く感謝しております。個人的に。
No.4
- 回答日時:
幕末百話 篠田鉱造著 岩波文庫
明治百話(上・下) 篠田鉱造著 岩波文庫
東京風俗志(上・下) 平出鏗二郎著 ちくま学芸文庫
断腸亭日乗(上・下) 永井荷風著 岩波文庫
誰か「戦前」を知らないか―夏彦迷惑問答 山本夏彦著 文春新書
おせい&カモカの昭和愛惜 田辺聖子著 文春新書
以上の九冊を順に読んでいただければ、幕末から第二次世界大戦前までの雰囲気は大まかに御理解いただけるかと思います。
いずれもAmazonで入手可
司馬遼太郎の作品とは相当雰囲気が違うのでガッカリしないで下さい。(庶民というのはこんなものです)
司馬遼太郎も晩年反省していました。
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