メモのコツを教えてください!

理科や数学が全然不得意な私ですが、以前にEテレの100分で名著「相対性理論」をみてアインシュタインに興味を持ちました。

興味を持ったといってもネットで調べる程度ですが、アインシュタインが言ったという「宗教のない科学は不完全であり、科学のない宗教は盲目である」という言葉を読みました。
私には、よく意味がわからないのですが、科学と宗教は対立するものではないのかなと思いました。

それで「科学と宗教」をキーワードのネットで調べると以下のような記事を見つけました。

ライス大学が米国の主要大学の研究者に対して行った調査の結果、「宗教と科学は常に衝突している」と答えた科学者は 15 % であったとのこと (NETWORK WORLD 記事、本家 /. 記事より) 。

調査の対象となった大学 21 校の自然科学者及び社会科学者 275 名に対しインタビューが行われたが、「宗教と科学は常に衝突している」と答えたのは 15 %、「全く衝突しない」と答えたのが 15 %、そして大半の 70 % が「時々衝突する」と答えたという。

宗教と科学は矛盾するという論争がこれまで多くなされてきたが、今回の調査から科学者らが宗教と科学の両方を、重要な答えを導くための「まっとうな知の技法」と捉えていることが明らかとなった。

理科と数学は本当に苦手な私ですが、最近たまにですがEテレの高校講座で物理や化学を見たりしています。
また、宗教についても少し興味を持っていて、漫画で描いた聖書や仏教の本を読んだりしています。

まだ、私はよくわからないことが多いのですが、宗教と科学は対立するものなのでしょうか?
すみませんが、お教えいただけましたら助かります。
よろしくお願いいたします。

A 回答 (12件中1~10件)

これ、すべて西洋の話ですよね。

西洋人と東洋人では宗教に対する考え方がぜんぜん違うのです。ですから、日本人的な答えはまったく当てはまりません。

実をいうと私も、質問者様と同じ疑問を持ったことがあります。
東洋人である私たち日本人には、そもそも科学に対する宗教的タブーがほとんどありません。これはかなり東洋人的な特徴で日本から大体インドぐらいまでは仏教などの多神教的な価値観と儒教などの道徳的価値観とで科学を判断するからです。

それに対して西洋人は「この世界は神が作った」という価値観から出発します。つまり「科学」ですら、神が人間に与えた能力であるのです。

ということは、アインシュタインなどの高度な知性と知能を持った個人の能力は「神からのギフト」であり、そのギフト=能力を使って科学を発展させるのは「神の御心に沿う」行為になります。

また、そもそも西洋の数学者や物理学者などには敬虔なクリスチャンが多いのも特徴です。なぜなら彼らはこう考えているからです。
「これほど複雑で高度な世界(宇宙)は誰かがデザインしたものに違いない」
「もちろんデザインしたのは全知全能の神であられる」
「では神を証明するために、(敬虔な信者である)わたしになにができる」
「私に与えられたギフトを使って数学的に(物理学的に)この世界の完全さを証明しよう」
(というより、神の証明のために私にギフトがあたえられたはず!)
「そうすれば、神がおられるということを証明できるはずだ」

つまり、日本を含めた東洋的な考え(神様と科学は別)とはまったく違い、むしろ神の存在証明のために科学を追及する人が多いのが特徴なのです。

そうなると、ガリレオなどの宗教裁判と矛盾するように感じると思いますが、そこには「カソリック」の問題があるのです。
ガリレオは現代の科学者と同様に「これほど複雑でしかし緻密に動く世界は神しか作れない」と考え、神に近づくために科学を極めようとします。
ところが、宇宙のことを調べれば調べるほど、カソリック教団の言っていることと合わなくなってきたのです。

カソリックは世界で始めてキリスト教を広めた宗教で、今でもローマ法王がいるように当時の西洋諸国では各国の政府や王よりも権力があり、宗教的な規範を人々に押し付けていたのです。
またそれを嫌って「宗教は個人のものである」と抵抗をした人々がいて、ルターの宗教改革とかプロテスタント(英語で抗議者)などを聞いたことがあると思います。

ですのでガリレオは「神の御心」に沿うように科学的探究をした結果、宗教権力者の都合が悪くなったので排除された、というのが本当のところなのです。

また、万有引力の発見で有名なニュートンは科学者であると同時に哲学者であり、また神学者としても有名なひとでした。彼も「神の存在」を証明するために物理学的な手法を使ったのであり、結果として万有引力を発見したのです。

このような西洋人的な考え方からすれば、科学と神は矛盾するものではなく、むしろ「これほど美しい世界を作れるのは神しかいない」からこそ、科学を極め宇宙の真理を見極めることで「神に近づける」と考えているのです。
彼らの言う「重要な答え」とは宇宙の真理のことですが、その真理には「神が存在する」ということが含まれているのです。

こういう視点で、映画「2001年宇宙の旅」などを見てみると、また違った面白さがあると思いますよ。

あ、そうそう、この場合の西洋人の言う「神」は、救世主イエス・キリストのことではなく、主=一般的にエホバとして知られる創造主のことです。彼が使わした救世主がイエス様です。
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この回答へのお礼

私たち東洋人と西洋人では科学の判断の仕方が違うのですね。
考えると、私はこの世界は神が創ったという価値観から出発していません。この世界は誰が創ったのだろうとか、なんであるのだろうとか考えます。
科学者が持っている知性や知能は、神から与えられたギフトだと考えているのですね。科学も神が与えた能力なのですね。
その能力をつかって科学を発展させることは、神様の御心にそうこということ、タイトルは忘れてしまったのですが、映画のセリフで「天から与えられた才能を天にお返ししなければ・・・」あったのを思い出しました。
このセリフの意味がよくわからなかたのですが、今少しわかったような気がします。神から与えられたギフトである才能を生かすことが神様の御心にそうことという意味なんでしょうか。
西洋の科学者や数学者には敬虔なキリスト教信者が多く、神の存在証明のため科学を追及する人が多いのとのご説明、とてもわかりやすいです。
ガリレオは宗教を否定したわけでも対立したわけでもなく、当時のカトリック教団と対立したのですね。
キリスト教と対立したものと思っていました。
ガリレオもこれほど複雑で緻密な世界は神しか作れないと考え、神に近づくために科学を究めようとしたということは、ガリレオは熱心なキリスト教信者だったのですね。
宗教権力者に都合が悪くなったから排除されたのですね。私は科学と宗教の対立だと思っていました。
それと、ニュートンが神学者としても有名なひとというのは意外でした。
私には、知らないことが多すぎると思いました。
これほど美しい世界をつくれるのは神しかいないという考えがさきにあれば、宗教と科学は対立しないと思います。
宇宙の真理には神が存在するということが含まれるのですね。
ぜひ、2001年宇宙の旅をみてみたいです。
いろいろお教えいただきありがとうございました。
心から感謝いたします。

お礼日時:2013/09/27 12:37

【必ず対立する】



宗教は不確定要素の塊なんで。
その証拠に “何一つ具体的に立証”←ココ重要! されたものがない。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。

お礼日時:2013/09/27 11:39

宗教は思想部分と生活しやすいように部分、方便として嘘だけど納得、分かりやすくしてる部分とかあると思う。

(なかには権力者の知恵部分とかもある:ダーク部分)

科学は世界を探っていく手法 考え方  嘘はダメです、勝手に作っちゃいけません

なら、対立しやすいですよね
考え方の頭が違うし
スタート部分は似てると思うんですよ。「世界とは何か」「人とは何か」
そこに生き方のモデルを作ったのが宗教
どこまでも突き止めようとするのが科学で それが発展して科学技術が出来て生きやすくしてる


でも一方でサムシンググレートという言葉がある。
世界を探っていくとその精密さに なんか凄いもの を感じる事がある。正しくは 何か偉大なるもの だけど・・・ 何かしらの作為や意思を感じるのかな?よく分からないけど
そうすると 神の存在 問題が出てくる

特に今の科学が出来たキリスト教圏は絶対の全知全能の神。
どう捉えるかの問題が大きそうですよね


宗教と科学
日本人に分かりやすくいうなら・・・「畏れ」を忘れるな かな?
ぶっちゃけ技術や調べる事に行きすぎ、ただそれだけを追い求めると 暴走の危険がある。
極論に行っちゃうと それは勝手な思想になっちゃう
倫理観がねー。何のために調べようとしてんの?よ。

世界を敬いながら、行った方がいいよ
科学で解ると なーんだ とバカにしがち 解る事と下にみる事は違うんだけどね
解き明かそうとすることは越えていく事だけど、そこにあったハズの「畏れ」忘れちゃダメでしょ? なんで知りたいと思ったの 知りたいと思った発端は何
って考え方
同じで時々対立するって考え方かな、これ。 でもそれぞれの「アクセルとブレーキ役」をしてるよね、お互い。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
いつも対立しているというより、時々対立しているという考え方ですね。わかるような気がします。
いろいろお教えいただき、ありがとうございます。
心から感謝いたします。

お礼日時:2013/09/27 11:38

「利己的な遺伝子」の著者で、最近「神は妄想である」


を著したアメリカ人のR・ドーキンス博士は無神論者で、宗教は不要だと仰っておられますが、アメリカではそういう知識人はむしろ少数派らしいです。つまり、科学者など大学教授でも信心している人が多いということです。
>、「宗教と科学は常に衝突している」と答えた科学者は 15 %

彼らが、たぶんドーキンス派なのでしょう。

>今回の調査から科学者らが宗教と科学の両方を、重要な答えを導くための「まっとうな知の技法」と捉えている

多分、ここでもありますが、宗教≒倫理 とすればこれに近いことはいえそうですが、宗教は宗教、倫理とは異なっています。

>宗教と科学は対立するものなのでしょうか?

常識的にはそうだと思います。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
アメリカでは、科学者など大学教授でも信心している人が多いのですね。
お教えいただきありがとうございます。
心から感謝いたします。

お礼日時:2013/09/26 21:01

宗教と科学は対立するものなのでしょうか?


対立するものではなく、並立するものです。

科学は合理の世界を扱い宗教は非合理の世界を扱います。(不合理ではありませんので注意して下さい)

彫刻、絵画、音楽、文学(詩・和歌・俳句)の世界は科学にとってもっとも苦手な分野です。

アイシュタインを初めノーベル賞を受賞された科学者は異口同音に研究すれば研究するほど解らなくなると言っています。
普遍性を持たせたまま理論的合理性を求めていくと、どこかで行き詰ってしまう。ということを意味しています。
科学研究というのは、それを打破するために次々と新しい理論や仮説を考えて、その裏付けとなる実験結果を求めていきます。
有名なのがアインシュタインが確率論に基づいた理論で問い詰められた際に「神はサイコロを振らない」と言ったとされています。(友人宛の書簡に書かれていたようです)

宇宙には果てがあるのか?宇宙に始まりはあるのか?
という問題についても、沢山の理論はありますが実際には確認されていません。
観測結果と実験結果から推論しているだけです。
有名なビッグバンについても、最近の理論物理学者の世界では疑問が提出されています。

逆に申し上げますと、聖書や仏典の世界に科学的な思考に基づいた理論的整合性を求めると支離滅裂になってしまいます。
絵画や音楽の解説書を読んでも、肝心のその絵や音楽を知らないとさっぱり解らないということは御経験済ではありませんでしょうか?
よく宗教が引き合いに出されるのは、神学論や仏教理論が精緻を極めている為に、科学的手法を用いているのではないのかと誤解されるためです。

科学者が新しい理論や仮説を考える場合には、宗教学者の手を借りることはよくあります。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
宗教と科学は対立するものではなく、並立するものだという、お考え、なぜかとても「そういう考えもあるのか」と感心してしまいました。
科学は合理の世界を扱い、宗教は非合理の世界を扱うのですから、最初からスタート地点が違うのかな?と思いました。
ノーベル賞まで受賞した科学者のみなさんが、異口同音に研究すれば研究するほど分からなくなると言っているということは、いつか遠い将来あらゆることが解明されるのではなくて、今よりもっともっとわからないことが増えるかもしれないということでしょうか。私は、いつしか遠い未来にすべてのことが解明されるのかと思っていたところがあります。
「神はサイコロを振らない」という言葉、初めてききました。とても興味深い言葉です。
聖書の世界に科学的な思考に基づいた理論的な整合性を求めると支離滅裂になってしまいますということですが、私が聖書(マンガ)でいろいろな奇蹟を読んだとき、なんで奇蹟は昔は起こって、今は起こらないのだろうとか思いました。
いろいろお教えいただきまして、ありがとうございます。
心から感謝いたします。

お礼日時:2013/09/26 20:58

私は思う。



科学は宗教と無関係の知的好奇心、実用技術から発展した歴史があり、また、キリスト教の教義の正しさの証拠を発見するため世界を観察することからも科学が始まり現代の科学ができた。科学は現実の物的証拠と客観である。宗教は空想(死の恐怖にどうのような納得のできる回答を与えるのか)である。両者の論理がかみ合わないことで対立を生むことにつながる。対立する理由はどちらも権威であるから論争に負けることは存在理由が問われるだろう。

キリスト教的には科学的に正しいことでも教義に反すれば異端とし迫害して来た歴史がある。現在でも宗教原理主義者は科学に反対して時には暴力的手段に訴える。宗教と科学が対立しているのはキリスト教である。教義に反する数々の証拠が出てくるのはマズイ(教義の正当性が疑われるか、そもそもデタラメ)のである。最終的には欲得の話である。

科学で解決できないことも多々ある(生命倫理もそのひとつ)のは科学者は認めており、だからと科学の信任を疑うものではない。科学は手段であり、誰でも参加できる開かれた世界である。宗教は空想を基にした閉鎖的独占権力構造(宗教利権)である。まったく立場が違うのである。科学は一個一個の事象を解明し多くの事実から全体像の解明を目指している。宗教は最初から神がありそれがすべてである。独占権力構造を守るため教義と現象の説明は後付けこじつけ、こじつけマヤカシの邪魔になる者(科学)の排除を画策する。対立の芽は常に宗教から生じている。科学では神は研究対象にならないので埒外である。

日本の神道や仏教は科学を否定することなく共存している。この世を創造した絶対神(ゴッド=アッラー)がいないから科学とも共存できるのである。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
私には難しかったですが、科学は現実の物的証拠と客観である。宗教は空想(死の恐怖にどのような納得できる回答を与えるか)である、というのは少しわかるような気がしました。私も死んでしまったらどうなるんだろうという気持ちもあって、宗教のマンガを様んでいるような気がします。自分にもよくわかりませんが・・・
いろいろお教えいただきありがとうございます。
心から感謝いたします。

お礼日時:2013/09/26 20:29

アインシュタインの話の方はこういう事だと思います


海外の宗教というのは、日本で言う道徳というのも兼ね備えています
そこで、こう書きなおしてみると分かりやすいんではないかと思います
「道徳のない科学は不完全であり、科学のない道徳は盲目である」
まあ、倫理という言葉を使ってもいいかもしれませんね
そういう事ではないかな、と思っています

宗教と科学は対立する場合もあれば、無関係にある場合もあります
基本は無関係ですね
宗教というか信心というのは信じる事なのに対し
科学は客観的と思われる状態で存在する事を立証するため
ですから、基本的には無関係です

信じてる事が客観的から見て大丈夫か?というのは事実関係についての部分で
そこでは対立してると思いますが
何を比べるのか意味わからん と思います
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
海外では宗教は、日本でいう道徳というのも兼ね備えているのですね。
アインシュタインの言葉は、私には難しかったのですが、倫理に置き換えると少しだけわかるような気がしま。
宗教と科学は対立する場合もあれば、無関係な場合もあるということ。
どちらかひとつには決められないものかもしれないと思いました。
いろいろお教えいただき、ありがとうございました。
心から感謝いたします。

お礼日時:2013/09/26 13:10

>>まだ、私はよくわからないことが多いのですが、宗教と科学は対立するものなのでしょうか?



中世ヨーロッパでは、科学と宗教が対立していました。実験や観察を元に、宗教(キリスト教)の主張とは違うことをいうと殺されたりしましたね。
その結果、ヨーロッパ社会は停滞し、社会は暗く長い時代が続いたみたいです。逆に、その時代には、イスラムは科学を重視していたので発展したようです。
そういう暗いヨーロッパに、古代ギリシャ・ローマの文明の優れた科学技術をもちろんだのが、富豪のメディチ家だったといいます。
(マンガのテルマエ・ロマエで描かれたように、ローマ社会は下水が整備され、水洗トイレもありました。でも、昔のフランスでは、窓から汚物を道路に投げ捨てていたとか)
それがルネッサンスにつながって、キリスト教文明がイスラム教文明を追い越し、逆転することになりました。

ですので、宗教を理由に科学を否定したら、その社会は暗く、発展しないことになります。
ただ、そういうときの宗教は、社会統治機構・権力機構として働いていることが多いようです。
言い換えると国家を維持するための統治組織に成り下がっているといえるでしょうね。

まともな宗教であれば、科学と対立せず、逆に科学の発展を促し、人類の幸福度をアップさせる作用となるはずです。
とはいえ、実際問題として、「古いほど良い」的な考えになりがちな宗教と、日進月歩の科学とは相容れない面があるのも事実です。
これからの時代は、DNA、遺伝子の研究も進んでいますし、たぶんクローン人間も非合法ながらも、どこかで作られていると思います。
「人間を人間が創造してよいのか?」「普通に生まれた人間とクローン人間の人権・法的権利は同じか?」といった問題が問いただされ、ほんとに「科学と宗教の対立」が一部の宗教学者や科学者だけでなく、一般の人を巻き込んでの議論になってくると思います。
また、世界でUFO目撃事件が増えています。「人間とクローン人間の対立」だけでなく「地球人と手足が8本ある宇宙人とは対等に扱うべきか?彼らの権利はどうなる?」なんて問題も出てくると思います。

科学の歴史をみても、エジソンは霊界通信機を研究していましたし、ニュートンも彼の評判を落とすから後世の人たちは隠していますが、心霊現象など研究していましたし、彼は、フリーメーソンのグランドマスターだったといわれています。
そして、4次元以上の世界は、ほんとに霊界の法則に似てくるといいます。スタートレックに登場するワープ航法は、霊界研究をすればいいなんて話もあります。まあ、突然、目の前から消えて、違う場所に、壁をもすり抜けて現れるってのは、幽霊そのものですからね。

30年以上前に読んだ哲学書には、「科学の最前線にあるのが「哲学」であり、研究で解明されて、安全地帯となったのが「科学」である」なんて意味のことが書かれていました。現在の哲学は、どうも、最前線の役割を果たしていないようにおもえます。宗教がその哲学の役割を果たすようになればいいと思いますね。

ちなみに、幸福の科学は、エジソン、ニュートンなどの霊言を出しています。ただ、科学の最先端の話題となると、新エネルギー、UFO動力、原子変換などの話題となり、それは新兵器開発に直結する研究になるので、たとえ、それが私たちの暮らしに役にたつとはいえ、まだまだ知らせてはいけない情報みたいです。
地球人が戦争をやめて、平和共存できるようになり、そういう情報を堂々と知らせてもいいように早くなればいいですね。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
宗教を理由に科学をを否定したら、その時代は暗く発展しなくなってしまうのですね。
中世のヨーロッパは社会統治機構、権力機構として働いていたから暗かったのですね。
ルネサンスは、古代のギリシャやローマの文明は科学技術も持ち込んだのですね。
テルマエ・ロマエ、好きです。今まで、あまり深く考えて読んでいませんでしたが・・・
学校で習ったルネッサンスという言葉の響きは、とても明るい感じがします。
スタートレックは先月映画で見ました。ワープするのを観て将来はあんなことができるようになるのかなあと思っていました。霊界ということを私はまだよくわからないのですが、4次元以上の世界がどんなものなのか興味があります。
色々お教えいただき、ありがとうございます。
心から感謝いたします。

お礼日時:2013/09/26 11:29

 有名なのはガリレオガリレイの話ですね。

 宗教的に神の存在を否定するような形だと対立します。

 カール・セイガン博士のコンタクトという小説でも宗教と科学についても書かれています。映画もあるので、こちらのほうがわかりやすいかな。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
今度、DVDをレンタルして、ぜひコンタクトという映画を観てみたいと思います。

お礼日時:2013/09/26 11:11

 食事を作るときに「美味しいのがいい」が宗教で「栄養第一」が科学という感じかな。

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この回答へのお礼

ご回答、あろいがとうございます。
たとえが面白いと思いました。

お礼日時:2013/09/26 11:09

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