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今度封切られる映画「トロイ」を観ようとおもいますが、
トロイ戦争は、史実なのですか?
いろいろ、調べてみても神話なのか?史実なのか?わかりません。
おしえてください。

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A 回答 (6件)

 


>トロイ戦争は、史実なのですか?

「史実」ではありません。「神話的伝説」または「伝説的英雄譚・叙事詩」です。

伝説の詩人ホメーロスが造ったとされる、『イーリアス』や『オデュッセイア』などに歌われている戦争の主舞台である「トロイエーの都市」が実際に過去に小アジアに存在したことは、ハインリッヒ・シュリーマンの発掘等で確認されましたが、トロイエーの都城が存在したということは、つまり、「トロイエー戦争」が史実であったとはならないのです。

「トロイエー戦争」は、叙事詩が歌っているのが本当だとすると、大体、紀元前14世紀頃に起こったと考えられますが、そのような戦争が、古代ギリシア連合軍と、トロイエー都城のあいだであったという歴史的記録や証拠が残っていません。

これに対し、同じ紀元前14世紀には、エジプトの大王ラムセス2世が、ハッティ(ヒッタイト)帝国と戦争し、そのなかでも「カデシュの戦い」という決定戦があったという記録がエジプトにありました。

しかし、エジプトの記録にある、「ハッティ帝国」の存在が確認されていませんでした。本当にそういう国や勢力があったのか、歴史的証拠が見つかっていなかったのです。しかし、20世紀初頭になり、小アジアのボガズキョイの遺跡を発掘すると、そこがハッティの首都であり、更に、「カデシュの戦い」の記録が発見され、エジプト側の記録と比べて、内容がほぼ合致するので、「カデシュの戦い」は、「歴史的事実=史実」だと確認されました。

そこで、史実であることが判明した「カデシュの戦い」に比較して、時代は同じ頃の紀元前14世紀頃ですが、「トロイエー戦争」は、ホメーロスの叙事詩で雄壮に歌われていますが、この時代の古代ギリシア人(アカイア人)の連合軍が、小アジア東端のトロイエーの都城に大挙して戦争を仕掛けて、十年に及ぶ攻防戦の果てに、「木馬の奇計」を使って、トロイエーの都城を陥落させたというような「歴史的記録」は、アカイア族の遺跡記録にもありませんし、発見されたトロイエー都城側の記録にもありません。

アカイア族(古代ギリシア人)が、各地に勢力を拡大し、略奪行為などを行ったという発掘的証拠はあり、トロイエー都城側でも、小アジアの商業的軍事的要衝にあったこの都市に、幾度も争乱があり、侵略者が出現し、戦いがあったという発掘的事実は見つかっていますが、アカイア族の連合軍が大挙してトロイエーに侵攻し、十年に及ぶ戦争が行われたなどという記録・証拠はありません。

シュリーマンが発掘したトロイエーの都城は、明らかに年代の異なる幾つもの地層に分かれており、それぞれの地層において、異なる建造物の遺跡などが見つかりました。これからすると、トロイエーは、千年かそれ以上の期間、幾度も都城が築かれ、崩れ、その崩壊した遺跡の上に、また新しい都城が築かれたのだということが分かります。

都城が火災によって滅びたと考えられる遺跡地層もあるので、これが、「トロイエー戦争」のトロイエーの遺跡だとの説もありますが、時代が合わないようです。

トロイエーの王子パリス(アレクサンドロス)が、メネラオス王の妻である絶世の美女ヘレネーを奪い去った結果、アカイア族の諸国が連合軍を造り、アガメムノーンを盟主として、トロイエーに侵攻し、十年にわたる戦争のあと、奇計をもってトロイエーの都城を陥落させたという「トロイエー戦争」の話は、ホメーロスの英雄叙事詩等に歌われているだけで、そのような事件が実際にあったという歴史的資料や記録がないのです。

従って、「トロイエー戦争」が史実であったという証拠や記録は、現在、存在しないのであり、「史実」とは言えないのです。
 
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この回答へのお礼

とても詳しく教えていただいて、ありがとうございました。
ウェブサイトで、読んでも「神」「女神」の話で、これが史実なら、映画をどんなふうに観ていいのか?とまどっていました。
史実でないとしたら、どんなメロドラマになっても書き換えられても安心して観ることができます。

お礼日時:2004/04/18 07:38

最初はタダの神話と思われていましたが、


ドイツのシュリーマンの調査でトロイは実在した都市で、戦争も実際にあったことがわかりました。

シュリーマンについては下のリンクを見て下さい。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4% …
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前12世紀に起こったといわれる史実が伝説化した物語とのことです。



長い間、伝説上、またはホメロスのフィクションの都市として考えられ、実在の都市とは信じられていなかった所が、1873年にトロイは実在すると信じてやまなかったドイツ人シュリーマンによって発掘されたことにより、俄かに脚光を浴びることになりました。

参考URL:http://www.asahi-net.or.jp/~QI3M-OONK/tosyokan/f …
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>いろいろ、調べてみて


どの文献をしらべても
それまで神話の物語だと思われていたトロイの木馬で有名なトロイア戦争は、その物語に魅せられてあるに違いないと思い込みでw 発掘にあたったシュリーマンが発見してしまい、史実だったということが判明したというエピソードしか載っていないかと思われますが。

どういった文献から神話かもしれないと思われたのでしょうか?
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「伝説ではあるが、おそらくは歴史的根拠による」というのが、一般的見解のようです。



http://www.asahi-net.or.jp/~QI3M-OONK/tosyokan/f …

にも同様に記述されています。トロイのほか、トロヤ、トロイア、トロイヤなどで検索してみてください。

参考URL:http://www.asahi-net.or.jp/~QI3M-OONK/tosyokan/f …
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史実ですよ。

それをホメロスが叙事詩にしたのです。

近代に、シュリーマンという人が、トロイア(トロイア戦争、という方が多いようです)という都市を発掘しています。

シュリーマンの伝記がいくつか出ているので、読んでみてはいかがでしょう?(自伝もあります)

シュリーマン―トロイア発掘者の生涯
[原書名:SCHLIEMANN : Geschichte eines Goldsuchers〈Ludwig, Emil〉 ]
ISBN:4560028850
白水社 (1995-10-10出版)
などがあります。
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Qトロイの木馬は歴史的事実ですか?

映画「トロイ」を観ました。
最後にトロイの木馬が出てくるのですが、これは歴史的事実なのでしょうか?
それとも伝承にすぎませんか?

映画で見る限り、とても巨大な木馬で、あんなものが作れるとは思えないし、作ったとしても重くて動かないのではと思いました。
兵士は何人くらい入り込んでいたことになっているのでしょうか?

Aベストアンサー

トロヤ戦争自体は実際にあったのではないかと考えられています。

トロヤという古代都市は紀元前2600年頃から存在し、断続はあるもののローマ時代まで同名の都市は存在していました。
発掘によって第七市Aという発掘場所が戦争当時のトロヤ市とされています(全市的な火災跡や人為的な家屋の破壊、人骨の散乱が見られましたので)。
この第七市Aの年代が紀元前1200年ごろです。

ギリシアでは紀元前1600年頃から、ミケーネと言う都市が勃興してきます。
このミケーネを中心とするギリシアの連合国とトロヤが戦争したとされています(「イリアス」と言う叙事詩の「船軍のカタログ」という箇所に30ヶ国くらいの名が出ています)。
ところがミケーネも紀元前1200年代にドーリア人と言う民族の侵攻を受けて滅びてしまいます。
これはトロヤ戦争で疲弊し、王不在の各都市国家で内乱に近い状態が生じた為、それに乗じられたのではないかと考えられています。

また、トロヤ戦争の原因は黒海経由の錫(すず、青銅を作る原料)貿易の権限をめぐるものだったと言う説が有力みたいです。

本題の「木馬」ですが、後世では有名になりすぎて使えなくなった大仰な作戦のひとつとして実際にあった可能性はあります。
現代人が思うほど古代の人たちの技術は低くありませんし、ギリシア人の詐術好きは伝統ですからあってもおかしくはないのでは?

中に入っていた人数は・・・パッと思い浮かびませんので「イリアス」あたりを読んで見てください。

トロヤ戦争自体は実際にあったのではないかと考えられています。

トロヤという古代都市は紀元前2600年頃から存在し、断続はあるもののローマ時代まで同名の都市は存在していました。
発掘によって第七市Aという発掘場所が戦争当時のトロヤ市とされています(全市的な火災跡や人為的な家屋の破壊、人骨の散乱が見られましたので)。
この第七市Aの年代が紀元前1200年ごろです。

ギリシアでは紀元前1600年頃から、ミケーネと言う都市が勃興してきます。
このミケーネを中心とするギリシアの連合国とトロ...続きを読む

Qエルサレムに、なぜ3宗教の聖地が在るのですか?

エルサレムでは、紛争が延々続いていますね。
あんなに狭い所に、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教という3宗教が聖地を持っているから、トラブルが起きるのは当たり前だとは、とは思います。その3つの宗教は、ユダヤ教、それから発生したキリスト教、そしてそれらと影響のあるイスラム教、という関連のある宗教ですね。
世俗的には、エレサレムの街自体は、たとえば交通の要所とかではなく、たいして重要な街とは思えません。
それなのに、、なぜ3宗教は、エルサレムに聖地を持っているのですか?
たまたまエルサレムに3聖地が混在するだけなのですか? あるいは、歴史上や宗教上で、何か慨依性を持っているのですか?

Aベストアンサー

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ(イスラエル)の地にやってきて、神様は「よーしお前ら、ここをお前たちに与える」と畏れ多くもありがたくおっしゃいました。しかしそこは当然先住民がおりまして、「なんか、先に住んでる人がいますけどこれはどうすればいいですか?」と伺いましたところ、「お前たちに与えたから殺しちゃってオッケーよ」とおっしゃいました(本当)。かくして彼らはそこにユダヤ人国家を作りました。ユダヤ人がイスラエルを「約束の地」と呼ぶのはそういうことです。
そんなこんなの経緯は旧約聖書に書かれています。

さて、ユダヤ教徒はエルサレムに神様を祭る壮大な神殿を作りました。その頃がユダヤ教とユダヤ王国の絶頂だったといえるでしょう。その後神殿は破壊されてしまい、その一部が残るのみとなりました。その遺跡が「嘆きの壁」と呼ばれるところで、そこでは常に敬虔なユダヤ教徒が祈りをささげていますが、そのお祈りの内容は、「神様、あの栄光の日々がまた訪れますように」というものです。その「また訪れてほしい栄光の日々」とは3000年くらい前の話なんですけどね。

ユダヤ人の国は、あんなこんながイロイロとありまして分裂したりして、やがてローマ帝国の属州となりました。ローマ帝国ってところは実は非常に寛大な帝国で、帝国に従うなら信教の自由も認められていました。日本人レベルでいえば、「それならいいじゃん」というものですが、「この世で神様とお呼びしていいのはおひとりだけ」と信じる彼らにとって異教徒がウロウロしているのが非常に気に障って障ってしょうがないのです。イスラエルでは、ローマ帝国に対するテロ活動が盛んでした。
ユダヤ教徒の歴史では、そういう「ユダヤ人受難のとき」にはエリヤとか神様の言葉を預かる「預言者」が登場して人々を導きました。ユダヤ教徒たちは、そういう「救世主」が出てくることを待ち望んでいたのです。

そういったタイミングに登場したのが、ナザレ生まれのイエスでした。イエスはユダヤ教史上、というか宗教史上において革命的な言葉を発しました。「ベイベー、愛だぜ」と。彼は、あの神様のことを「父ちゃん(アバ)」と呼びました。後になんだかんだでイエスは神の子となりました。マリア様が処女のまま神の子を受胎したお話はご存知でしょ?
それがどれだけ革命的であったのはまた別の機会に譲るとして、「憎みあうより、愛し合おうぜ」と言い出したイエスは人々からローマ帝国を排除する指導者となることを熱望されましたが、「だから俺は憎みあうのは嫌なんだよ。愛し合おうぜ」といって人々を失望させ、エルサレムからすぐ外に出たところのゴルゴタの丘で十字架にかけられてしまいました。
その後、実は一度もイエスと会ったことがないパウロが「イエスは救世主(キリスト)だったー!」と言い出してキリスト教が誕生します。なお、旧約聖書では「救世主はベツレヘムに生まれるよ」と書いてあったので、イエスはベツレヘムで生まれたことになりました。
当然のことながら、キリスト教にとってエルサレムは「イエスが十字架にかけられた場所」ですので極めて重要な聖地であります。

そのイエスが十字架にかけられて50年くらい経ったとき、「もう我慢ならねえ、ローマ人は出ていけ!」とユダヤ人は反乱を起こしました。それ以上にブチ切れたのはローマ人です。「人が下手にでてりゃあ属州のくせにでけえ態度をしやがって。ローマ帝国の恐ろしさを骨の髄まで教えたるわ」と本気で怒り、反乱を鎮めただけではなく、何かとややこしい神殿を破壊し、「ややこしい神を信じてるお前らはこの辺りに住むんじゃねえ」とユダヤ人をパレスチナから追放しました。
これがディアスポラです。以来約2000年、ユダヤ人はイスラエルの地に再びユダヤ人の国を再興することを願いながら世界中でお金を稼ぐこととなります。

時代はずーっと下りまして、メッカの洞窟で、青年ムハンマド(マホメット)の前に大天使ガブリエルが現れて「君が預言者だよーん」と告げました。イスラム教の誕生です。ムハンマドの元にガブリエルを派遣したのはあの、例の、何かとややこしい「神様」でいらっしゃいます。そういや、マリア様の前に「あなたは神様の子を宿したよ。おめでとう」と告げに来たのもガブリエルでした。ガブリエルさんはどうもややこしいお仕事を何度もされているようです。
ムハンマドのあまりに偉大な足跡に関していちゃもんをつけると冗談抜きでアルカイダから死刑宣告されてしまいますので、それについては割愛します。
イスラム教にとって最も重要な聖地は、ムハンマドが神の啓示をうけたメッカです。しかしムハンマドは一神教教徒なわけですから、「死ぬまでに偉大な神殿があったエルサレムで死にたいなあ」と当然といえば当然で、ややっこしくなることを願います。
そして、そのエルサレムの地で天に旅立ってしまったのです。エルサレムはイスラム教にとっても「教祖様が入滅された場所」となってしまったのです。

かくして、エルサレムの地はユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒が俺の場所だ、いいや俺の場所だと大変にややこしい場所となってしまいました。

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ...続きを読む

Q「トロイの木馬」は実話ですか?

昔、大きな木馬の中から敵軍が出てきたという「トロイの木馬」の話は、歴史上本当にあった話ですか。それとも作り話ですか。

Aベストアンサー

それが難しい問題なんですよ。

多分「シュリーマンという人が発掘したので本当です」という回答が来るものと思われますが、
シュリーマンの発掘で判明したのは「トロイという町があったこと」だけで、
ギリシャとの戦争や木馬が実際のものかどうかは「まだ不明」な状況です。

Qギリシャ神話のアキレスは、どんな事をしたのでしょう?

ギリシャ神話のアキレス(アキレス腱)は、どんな事をしたのでしょう?アキレスの最後の姿勢は、どんなものだったのでしょうか?

Aベストアンサー

こんばんは。#1の方の補足的なことですが。
アキレス、またはアキレウスは、トロイア戦争―有名な『トロイの木馬』でケリが付いた―で活躍した、ギリシア軍最高の戦士であり、随一の美男であったと言われます。父は英雄ペーレウス、母は海神の娘・テティス。テティスが女神であったから、その子のアキレスを不死にしようという企てもできたわけです。同時に、アキレスがトロイア戦争に参加すれば、若くして戦死するという定めも、女神たる母には分かっていました(ゆえに、息子を人目から隠そうとした時もあった)。生まれながらの英雄ゆえの悲運、のようなドラマティックな匂いがしますね。
彼はトロイア戦争で目ざましい活躍をした後、その悲運によって、最後はトロイア軍のパリス―ギリシアから世界一の美女ヘレネーを誘拐して、トロイア戦争の原因を作った張本人―に弱点の踵を射られて倒れます。まず右の踵を射られ、次いで胸を射られて死んだ、とも言います。パリスには、トロイアを贔屓するアポローン神―弓矢の神―の加護があった、とも言われますが、要するに、人間には抗いがたい運命によって打ち倒されたのです。彼の亡骸をめぐってのギリシア軍とトロイア軍との鬩ぎ合いは、地獄をさながらのすさまじさだったと言われます―当時の戦争では、ひとかどの大将が戦死した時、その武具も含めて、遺体を奪うのが功名のひとつだったので。
異伝には、アキレスは敵方のトロイアの王女・ポリュクセネーと恋に落ち、密会している所をパリス(ポリュクセネーの兄に当たる)に見つかって射られた、ともあります。
何にしろ、射られた時は、まったくの不意打ち、という形だったのでしょう。だから、体勢も、いたって普通のもの―進撃している時か、密会の時か―だったとは思われます。
レッド・ツェッペリンの歌にあるのですか。『天国への階段』しか知らなかったもので・・・(汗)。が、ヨーロッパ圏では、非常に名高い伝説だから、ロックにも歌われたのでしょうね。
新潮文庫の『ギリシア神話』下巻(呉茂一・著)に詳しいですよ。 

こんばんは。#1の方の補足的なことですが。
アキレス、またはアキレウスは、トロイア戦争―有名な『トロイの木馬』でケリが付いた―で活躍した、ギリシア軍最高の戦士であり、随一の美男であったと言われます。父は英雄ペーレウス、母は海神の娘・テティス。テティスが女神であったから、その子のアキレスを不死にしようという企てもできたわけです。同時に、アキレスがトロイア戦争に参加すれば、若くして戦死するという定めも、女神たる母には分かっていました(ゆえに、息子を人目から隠そうとした時もあった...続きを読む

Qギリシアとローマの関係について

高校レベルの世界史もよく把握していないのですが…
古代ギリシアとローマの関係がよくわからないのです。

・ギリシアとローマは戦争していたこともあり、別個の支配体制ですよね?
・それなのに同じ12神を信奉していますし、使用するアルファベットも似ています
・ローマは土木工事等の実学には長けていたが、ギリシアのような哲学や数学は発達しなかったと聞きます。文化面でもだいぶ隔たりがあるように見えます。

結局この2つはどんな関係で、お互いにどんな相手だと見ていたのでしょうか?

Aベストアンサー

 古代ギリシアは都市国家の集まりです。何度か、都市国家連合としての統一国家になろうとしましたが成功しませんでした。その理由は、おそらくは文明・文化の発達でしょう。自立と自由があって、初めて文明・文化が発達します。そして、それを手放してまで、国力だけのために統一国家となることは受け入れにくいのです。

 古代ローマは、文明・文化の発達が遅かったので、早くから統一国家、しかも都市国家連合という緩い結びつきの国ではなく、全域を中央政権が支配する領土国家にまりました。そして、文明・文化は近隣で発展していたギリシア(とりわけ学問先進国のアテネ)に学んだわけです。

 ギリシアの文明に学び、しかも全域が統一されているローマの国力は急速に伸びて行きました。やがて、国力としては劣り、しかも統一できていないギリシアの都市国家を次々と従わせ、ローマの地方都市として、やがてギリシア全域をローマの領土に組み入れることとなります。

 しかし、ローマはギリシアの文明・文化を超えるような独自なことはできませんでした。巨大な建築はできたけど、基本はギリシアのものです。それだけ、ギリシアの文明・文化は発達していたわけです。宗教も、ローマ独自のものはあったのでしょうが、ギリシアの神々と同じものだとしてしまいました。

 キリスト教が広まり、公認されるようになると、ようやくキリスト教由来を加えて、ローマ独自文明・文化が発達し始めました。ローマ帝国が東西に分裂し、西ローマ帝国が滅びても、東ローマ帝国は長く保ち、首都コンスタンティノープルではヨーロッパ有数の文明・文化先進地域であり続けました。

 そういう例は、古代中国にもありました。殷や周は都市国家連合です。一番国力があり、他の都市国家のリーダーととして取りまとめていたのが、殷や周という大きい都市国家でした。その地域を中原(ちゅうげん)と呼んでいて、そこでは早くから文明・文化が発達しました。

 その周の力が衰えていく一方、地方では楚といった文明・文化は遅れていて、中原の都市国家に学んだ国が、早くから領土的にも統一した国家として台頭して行きました。

 周が衰えて、他の国家が力を得て行った春秋時代は、中原ではまだ都市国家連合がひとまとまりとなった国家が多く、非常に多数の小国が乱立していました。小国とはいえ、文明・文化が発達しているので、その周辺地域の領土的に統一された国家から尊敬を受けていました。

 しかし、続く戦国時代となると、ほとんど国家が領土的に統一された国家となります。都市国家は単なる都市となりました。それでも、小国となっても周とその近辺の小国は、秦が中国全土を領土的に統一するまで、長く尊敬を受け続けていました。

 古代ギリシアは都市国家の集まりです。何度か、都市国家連合としての統一国家になろうとしましたが成功しませんでした。その理由は、おそらくは文明・文化の発達でしょう。自立と自由があって、初めて文明・文化が発達します。そして、それを手放してまで、国力だけのために統一国家となることは受け入れにくいのです。

 古代ローマは、文明・文化の発達が遅かったので、早くから統一国家、しかも都市国家連合という緩い結びつきの国ではなく、全域を中央政権が支配する領土国家にまりました。そして、文明・...続きを読む

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Qゲルマン民族の大移動となったフン族はなぜ・・

歴史の勉強していくと何故?何故?と疑問がわいてきます。またそれを知った時
すっきりします。ゲルマン民族が移動することによって、ヨーロッパに変化が起きましたが、ではそのフン族がいきなり西方へ移動してきたのは何故でしょうか?
いろいろ調べてみましたが・・ゲルマン民族大移動の原因で出てくる程度、しかも
それまでおとなしくしていたのに、いきなり移動したようなニュアンスです・・
どなたか、ご存知のかた教えてください。

Aベストアンサー

フン族についてはアジア系遊牧騎馬民族という位の情報しか正確なものが乏しい民族です。

「きょう奴」が分裂して一部が西進し中央アジアキルギス高原に達して定着した部族の子孫という説があり彼らは多数の家畜を抱え遊牧し、乗馬に巧みで当然騎射に長けていました。
農耕を知らなかったので自然に生える草を家畜の餌にし殆ど生の獣肉などを食べていたといいます。
従って草がなくなれば当然移動して新しい草原を探さねばなりません。
東方は彼らが既に同様な生活習慣で暮らしてきたので草はないことを知っていますから西進するしかなかったのです。  こうしてヴォルガ川にたっし、さらに西進しました。  これには気候の変化説、疫病説など諸説もありますが正確なところは不明です。  この時代の移動速度は緩やかなものでした。

そこには既に東ゴート族が居住していましたから彼らを略奪、抵抗する者を殺しました。
この情報はすぐに東、西ゴート族に伝わり、かれらフン族の残酷さ、騎馬戦術の脅威が過大に誇張されて伝わったため、パニックが起こりゴート族の西方への大移動が起こって次々とゲルマン民族などの大移動が伝播したのです。  この頃は草原の確保より略奪が目的に変化していてフン族の移動は迅速で警報が間に合わない事もよく起こりました。

アッチラというフン族の王が出現し部族をまとめてから、その攻撃力はすさまじいものとなり現在のフランス、イタリアまで侵略された位です。

フン族についてはアジア系遊牧騎馬民族という位の情報しか正確なものが乏しい民族です。

「きょう奴」が分裂して一部が西進し中央アジアキルギス高原に達して定着した部族の子孫という説があり彼らは多数の家畜を抱え遊牧し、乗馬に巧みで当然騎射に長けていました。
農耕を知らなかったので自然に生える草を家畜の餌にし殆ど生の獣肉などを食べていたといいます。
従って草がなくなれば当然移動して新しい草原を探さねばなりません。
東方は彼らが既に同様な生活習慣で暮らしてきたので草はないことを知っ...続きを読む

Qローマ帝国が崩壊した理由。

ローマ帝国が崩壊した政治・経済・宗教上の理由ってなんですか??

教えて下さい。。。

Aベストアンサー

まず言っておきたいのは、領土(図体)が大きくなりすぎた事を念頭に入れておいて下さい。

政治的には領土が広すぎた為に軍司令官や属州総督を派遣するといったシステムが多かった様です。と言うのも東西だけで言うと最盛期にはスペインのジブラルタル海峡からロシアの黒海沿岸やイラク北部に跨っていました。今でこそ飛行機で何時間といった距離ですが当時は風任せ・人力便りのガレー船と徒歩や馬で街道を進むしか方法が無かった時代です。そんな交通事情では例えば蛮族(周辺住民)の組織的な侵略や略奪。或いは自然災害や飢餓等で一々首都ローマの皇帝に指示を貰って動いていたら今の日本のお役所仕事よりも状況は悪化します。なので担当者を派遣して急場は彼らが処理して根本的な対処(立法や公的資金の注入。軍の配置等)は事後報告を受けた皇帝が担当することになりました。
しかし皇帝が後継者を残さずに死んだりネロ等の様に住民や元老院に見放された皇帝が出てきたらついムラムラっと支配欲に燃える人も多かったりします。それが上り坂の時代ならば多少は許容されるのですが下り坂で蛮族の侵入が重なったりしたら内乱に乗じられたりする訳です。

経済的には政治的な内容と重なりますが内乱と蛮族の侵入が重なるとどうなると思いますか?
ここでは北アフリカを挙げたいと思います。内乱等で軍隊が指揮官の皇帝即位の為に他のライバルを武力討伐する為に他の地域へ移動すると周辺民族が侵入してきます。彼らは簡単に言うと銀行強盗の群れだったので街や村を略奪して回ります。そうすると住民は暴力を嫌って難民となり他所へ流れて行くことになります。基本的に経済は農作物や鉱山からの収益或いは貿易で成り立ちますし農業はそれらの基本です。そして農地は常に人が手入れしないと荒れる物です。信じられないかもしれませんが当時の北アフリカは砂漠では無く穀倉地帯だったんです。で荒れるに任せて砂漠化しました。これは他の地域では荒地になったり森林になったりして収穫は激減していったのです。
しかも強盗は略奪する物が無ければ支配して搾り取る方法にして居座り続ける事を始めたので二重の意味でダメージになりました。

宗教的には色々ありますが政治的・経済的行き詰りとキリスト教の普及が重なった事が大きいでしょう。ローマ古来の神々は我々を見捨ててしまった。そんな思いに駆られたローマ人の心のスキマにキリスト教は漬け込んだんです。曰く、今の状況は真の神を蔑ろにしたローマ人の所業のツケである。曰く、しかし真の神に帰依すれば救済されるとでも言ったのでしょう。ここで最後の審判で救われると言うのがミソです。来るかどうかも分からない最後があると言って置きながらそんなものは20世紀が終わってもありはしなかったのですからね。まぁこれは今だから言える事ですし当事者はパニックで冷静に考える余地が無かったのですけど。
それからカトリック教会とローマ法王という形で国家内にもう一つの国家を作り上げて寄生されたのも痛かったですね。飢饉で神父やシスターが難民にパンを配る・・・美しい光景ですが何の解決にもなっていません。解決するには行政サイドが動くしか無いのですがガタガタの帝国にはそんな力は残されていなかった。これでは教会に入る人が増えるし帝国に見切りをつける人が増えるのは止め様がありません。


最後に追加ですが戦争のやり方が変ったのも重要です。かつては重装歩兵が主力を担っていたのが騎兵に取って代わりました。単純に考えて甲冑と槍で済んでいたのが追加で馬が加わります。これがクセモノでして俗に牛飲馬食と言う言葉がありますがこれは飲み食い意が激しいのを牛馬に例えた言葉ですが馬を飼うには餌場を順々に回る遊牧生活か金で買って入手するしか方法がありません。しかも手綱や鞍を付けないと乗れませんし牧場や厩舎を作ったり練習の為の馬場も必要です。
これは何故かと言うと大陸の東のモンゴルとかの遊牧民が食い詰めてヨーロッパ方面に移動しました。と書くと穏やかですが戦争しながら原住民を土地から追い出して居座ると言う形で成されました。それでゲルマン人も食い詰めてローマに・・・と言うわけです。なので力関係では負けてるので弱ってるローマで略奪や居座りして新生活を始めよう・・・とそういう次第なんです。



纏まりが無く内容が重複した文章ですがそう私には見受けました。

まず言っておきたいのは、領土(図体)が大きくなりすぎた事を念頭に入れておいて下さい。

政治的には領土が広すぎた為に軍司令官や属州総督を派遣するといったシステムが多かった様です。と言うのも東西だけで言うと最盛期にはスペインのジブラルタル海峡からロシアの黒海沿岸やイラク北部に跨っていました。今でこそ飛行機で何時間といった距離ですが当時は風任せ・人力便りのガレー船と徒歩や馬で街道を進むしか方法が無かった時代です。そんな交通事情では例えば蛮族(周辺住民)の組織的な侵略や略奪。或...続きを読む

Q神話って実話!?

神話って実話なのでしょうか・・・?

今宮崎県の神話について色々読んでます。
でも、神話で作り話かと思いきや
家系図が、実際の神武天皇につながったので、
本当の話なのかな。。。どうなのかなと
思ってしまったのです。

半分は神秘の世界・・・つまり
作り話なのですよね?!

Aベストアンサー

「作り話」=誰かが頭の中で作ったウソ
という風に思ってらっしゃるといけないので補足いたします。長くてウザイかもしれませんがちょっとだけ。

神話にはおおざっぱに2つの系統があります。
・「科学や文字が発達していない時代に、実際の出来事を当時理解できる言葉で例えて言い伝えたもの」。
・「権力者が[権威付け]や[邪魔者を退治されて当然の悪者にする]ために、昔の言い伝えを組み合わせて都合のよい話に作り変えたもの」。

ですから、あり得ない超能力をふるう神や妖怪が出てきても、それが実在の古代の権力者や敵国の王を例えたものであった可能性があります。
また、制度が確立する以前には族長は代々同じ名を継ぐという「襲名制」であったところもあります。語り継ぎや記録で同じ名前の人が何百年も生きたようになってしまう原因のひとつです。

神話=「古代の出来事を、聞く者が面白がる脚色をつけたり、都合に応じて説得力のある形に変えたりして語り継ぐうちに、あり得ないおとぎ話のようになったもの」
とお考え下さい。

Q映画「トロイ」のストーリーを教えてください!!

今更なのですが、映画「トロイ」のストーリーを教えてください。
前に観に行ったのですが・・・あまり覚えていません(汗)
というより、他の映画と混ざってしまっていて・・・

昔あったお話を映画化したのですよね?!
隣国と戦争になってしまって・・・っていう内容だったと思うのですが?!

できれば、詳しくおしえてください。
あと、この映画を通して言いたい事って、みなさんは何だと思いますか?!

どうぞよろしくお願いします☆★ 

Aベストアンサー

ホメロスの叙事詩「イーリアスの歌」を原版に映画化したものです。
トロイの王子パリスは3人の女神の内誰がもっとも美しいかを決める役を押し付けられ、アフロディーティ(ビーナス)を選び、その報酬としてスパルタ王メネラウスの妃ヘレネを得ます。
人妻ですから当然夫のメネラウスは激怒します。
メネラウス兄のアガメムノンは以前からトロイに野心を持ち、絶好の機会とアキレスやオデュセウスなどを率いて遠征に旅立ちます。
ギリシア一の英雄アキレスはアガメムノンを嫌っており、配下に加わるのをよしとしなかったのですが、オデュセウスにこの戦に加われば戦士としての名声が残ると誘われ参加し、真っ先にトロイの海岸に下り立ちます。
原作では、最初にトロイの海岸に立った物は真っ先に殺されるという予言があり、プロテシラオスという男が上陸してトロイの皇太子ヘクトルにやられますが、映画ではアキレスが上陸して、アポロ神殿を略奪します。
ここで戦利品として巫女のブリセイスを得ますが、アガメムノンに奪われ、これで両者は決裂、アキレスは戦線を離脱します。
この後パリスとメネラウスの決闘があり、メネラウスは勝ったのにヘクトルの手出しで逆にやられてしまいます。
その後ギリシア軍は窮地に至りますが、アキレスの従弟(原作では親友・・ホモダチ?)のパトロクロスが手柄を欲してアキレスの甲冑をこっそり借りて部下のミュルミドンと共に救援し、トロイの軍を追いますが、最後の場面でヘクトルに殺されます。
これを知ったアキレスはブリセイスを返して貰ってから戦線に復帰し、トロイのスカイヤーの城門前でヘクトルと一騎打ちを挑み勝利し、ヘクトルのかかとを縛って引きずります。
父王プリアモスは一部始終を目撃し、その後自ら息子ヘクトルの遺体を返して貰うように、アキレスの陣に足を運び、アキレスはブリセイスの取り成しもあって遺体を返します。
原作ではその後アキレスはパリスの矢で命を落とし、パリスもまた戦死します。
そしてオディセウスの奇策「木馬」によりトロイは陥落し、地上から消えます。

ホメロスの叙事詩「イーリアスの歌」を原版に映画化したものです。
トロイの王子パリスは3人の女神の内誰がもっとも美しいかを決める役を押し付けられ、アフロディーティ(ビーナス)を選び、その報酬としてスパルタ王メネラウスの妃ヘレネを得ます。
人妻ですから当然夫のメネラウスは激怒します。
メネラウス兄のアガメムノンは以前からトロイに野心を持ち、絶好の機会とアキレスやオデュセウスなどを率いて遠征に旅立ちます。
ギリシア一の英雄アキレスはアガメムノンを嫌っており、配下に加わるのをよし...続きを読む


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