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実は宇宙の外側に誰か(子供?神?)がいて(観賞用の水槽のように)宇宙を覗き込んでいる、なんてことありえるのでしょうか?宇宙の外側の人(?)がすべてを握っていて、観賞に飽きたら宇宙ごと潰されるみたいなちっぽけな存在だったら…

A 回答 (12件中1~10件)

まずは宇宙をどのように理解するかでのぞき込めるものかどうかが決まるでしょうね。


例えば、宇宙空間を考えてみましょう。
自分の感覚の中で果てというのを想像できますか。
時間も考えてみてください。
大昔って一体始まりはいつなのでしょう。
未来って一体いつまで続くのでしょう。
どうしても行き着くところと言うものを想像できません。
その中に限りない原子が存在します。
これもいくつ有るかなんて、想像もつかないでしょう。
考えられるのは何もないと言うことだけです。
何もないことだけは我々にも判りますよね。
さて、ここで自分たちが果てというものを想像できない時間と空間の中で、限りない原子の組み合わせを考えたとき、そこには無限の組み合わせが考えられます。
これを大きな固まりと考えたとき、我々の生きているこの瞬間は、その一断面にしか過ぎないものと言えます。
しかし紛れもなくその固まりを構成している。
話は的から大きくはずれているように思えますが、実はこの固まりそのものが、”大いなる意志”神だと言えるのです。
ですから、我々を見ている存在はあると言えるでしょう。
その意志によって動きが左右されるのかどうか、それは無限の組み合わせの可能性のどこに意識が振られるかで決まるのでしょうね。
ですから自分の意識がどの選択肢を通るか、あみだくじのようなものだと考えて良いと思います。
そこに大いなる意志が働くかどうか、それはわからないでしょうね。
自分たちをどうこうしようと言う意志(を持ったもの)は、全てを握っている誰かではなくて、全てそのものなのです。
兎に角我々が知っている宇宙なんてものは、ほんのちっぽけなものだということです。
ですから我々が知っている宇宙ごと潰れてしまうこともあり得ます。
答えになったかどうか判りませんが、感覚としてはそう言うことです。
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回答ではありませんが、ウワーッ、同じことを考えていた人がいたんだ! という驚きから。



下の回答にもありましたが、私の場合は中学校の頃だったような……。原子云々のことを習い、ビックバーンセオリーを先生から聞き、ふと思ったのです。宇宙がどうしてできたのかがわかっているなら、どこかの研究室の小さな箱のなかでも、宇宙がつくれるんでないかい? と。そして、さらに時代が進み、研究が進めば、学研の「小学生・夏休み実験シリーズ」みたいなもので、宇宙づくりキットみたいなものもできるかもしらんぞ。
ウムム、ウムム、ひょっとしたら、私たちが存在していると思っている地球、そして宇宙は、小学生が夏休みの宿題実験としてつくった、「つくってみよう」シリーズのキットなのかもしれない。学習机の横に、ポンと置かれている水槽みたいなものかもしれないぞ。とすれば、夏休みが終わってしまえば、ああ、なんたること、私たちが存在していると思っている宇宙の入った水槽は、哀れ、壊されてしまうかもしらん。
ちょっと待てよ。その「つくってみよう」シリーズで私たちが存在していると思っている宇宙をつくった小学生も、実はどこかの星のどこかの国の小学生が「つくってみよう」シリーズでつくった宇宙に存在している者かもしらんぞ。ああ、無限に続くその繰り返し、また繰り返し……。

私の場合は、そこで「観賞に飽きたら宇宙ごと潰されるようなチッポケな存在だったら」ということは思わずに、無限に続くその繰り返しに、「有限」と「無限」ということを考えてしまいましたが。無限と有限、どちらが先に生まれたのか、てなことを。
最近もウンチをしながら、その考えに耽り込んでおりました。時間にして1時間20分も……。

回答ではなくて、ごめんなさいね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。大変勉強になりました。

お礼日時:2001/06/17 00:09

「ディアボロス悪魔の扉」と言う映画でこんなセリフが出てきます。

{・・人間が右往左往しているのを見て・・雲の上で腹を抱えて笑ってるんだ・・} これでも貴方は造物主を崇拝、尊敬できますか?
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光瀬龍の「百億の昼と千億の夜」はご存知ですか?


(kokotanさんの問いかけの1つの可能性がラスト近くの転輪王の夢です。)
私は学生のころ、この無常感がたまらなく好きでした。

参考URL:http://haru9.hoops.livedoor.com/Book01.htm
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SFな感性いいですね。

 私達が原子を潰せないのと同じで仮にそうした大きな存在があっても潰せないんじゃないですかね。きっと大きなものはゆっくりダイナミックに時間が流れて動いていて彼らの一瞬のうちに、私たちの時間が一瞬があるのかも知れませんね。時間も空間もスケールが途方も無くちがうと、お互い見えないし、感じないものなのかも知れません。町工場で一分一円の時間レートで稼ぐパートオバチャンの感性で一泊28万円が想像できないようなもんですね 爆
僕らはそこへは行けませんが、その場所を意識、想像することはできますからね。
物理的に手が届かない世界より、自在に動ける意識の世界は自由でいいですね。
人間の脳が宇宙でニューロンが連鎖するみたいに、いろいろな情報が行き交ってる
世界ってまるで映画のマトリクスですね 笑 現在が誰かの夢の産物であれば
オイオイもっとしっかりやれよと言ってあげたいですよね。 笑
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Nickeeさんと似ていますが、極大と極小はイコールだと考えてはいかがでしょうか?つまり宇宙も原子核になっていて、それを見ている私達がいる。


そう考えてみると宇宙の外側にいるのは私達であると。
物質の中にはすべからく同じ宇宙が存在して、その全ての宇宙に私達がいる。
そしてその私達の中にも私達がいる。宇宙は壮大なリフレインであると。
Get Backersと云うマンガにそんなカンジの事が載っていました。
聖闘士☆聖矢の(あってるかな?)コスモ(小宇宙)もそんなカンジなんですかねぇ
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まず第一に、kokotanさんの考えるように外の世界があってもいいと思います。


「飽きたらつぶされる」、そんな世界に住んでいると考えるのも悪くはないと思います。否定はしません。

次に、我々の宇宙を外から見ている「観察者」にも、その人なりの世界があると思います。
だとしたら、その外側(我々からすると2つ外側)はどうなっているのでしょうか?
やはり、別の世界が有って誰か(観察者その2)がいて、「観察者」の世界を観察していて、おもしろくなければ、つぶしてしまうのでしょうか?
そうすると、「観察者その2」の世界を見つめる「観察者その3」もいるのかもしれませんね。

最後に、たとえ宇宙の外の人につぶされる可能性があっても、今この時間、この場所で、一生懸命生きていくことが人間として大事なのではないでしょうか?
人を愛し、人に愛され、いい人生だったなぁと思いながら死ねれば、宇宙の外に人がいようがいまいが、関係ないと思います。

ちなみに、マンガでもいいので「百億の昼と千億の夜」を読んでみてはいかがでしょうか?

もっとも、宇宙の外の人につぶされる方が、電車内で「詰めてください」と言っただけで危ない目に遭うより、平和かもしれません・・・。
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同じことを小学生の時に思いました。


周囲の友達に話したら「えぇ~? 何言ってるのぉ?」と言われました。(笑)

今でも同じように思っています。
ということで・・・難しいことはわかりませんが、「それはありえる。」と思います。

バカみたいな回答でごめんなさい。
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面白い考えですね。

あり得ると思います。
ただ、宇宙は無限に広がる3次元空間。
宇宙は存在しない、という考えもあるほどです。

では、こう考えてはどうでしょう。
その外側というのは、もっと高次元な世界。
これならば、私たち3次元空間の住人は認識できなくて
当然です。

どういうことかというと、
2次元の住人(例えば漫画)は、3次元の私たちを見ることが
出来ないのに対し、3次元の私たちはそれを見ることが出来ます。
つまり、自分よりも下の次元しか見ることが出来ないと考えれば、
宇宙の外側に誰かいる、という考えも出来ますね。

しかも下の次元を操作できるのも
上の次元の住人の特権ですから。
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原子の回りが電子が回っている。

これを太陽系のようになっている。その階層型思想だと、この太陽系が別次元での原子、電子のような存在かもしれないって考えられ、無限大に上下に広がっているってかんがえると(たしか、こういう考え方をガイア思想っていったような?)、もしかしたら、大きいほうの存在で見られているかもしれないですねぇ。見方によって、この宇宙はちっぽけで、壮大な存在であるといえますねぇ。上記の考え方だと、人間のひとりひとりの体も1つの宇宙ってかんがえられますね。

質問の内容が明確ではないので、補足程度のものしか書けませんが、参考程度に
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