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 §1. 《無明》をすべてのものごとの下敷きにした。

 (1) その無明(=煩悩=渇愛=無知)を みづからのトレードマークなるブッダとは 別の世界だとした。自分はシガラミから足を洗っているというわけである。

 (2) あるいはつまり 世の中のものごとをすべて《苦》に還元する見方を――ブッダであるからこそそのように見るのだという言い方で――打ち出した。

 (3) なぜ人びとは このイカサマにやられてしまったのか? 《人間の根本的生存欲》としての無明およびそれから自由になれないことの苦 これを押し出されて人びとは そのペテンについて行くまでに どうしてあたまがイカレてしまったのか?


 §2. ブラフマニズムにおけるアートマンに対して 《アン‐アートマン》(アン‐は 語源として アン‐インストールのアン‐と同じ)と言って否定したが これの意味があいまいであり あいまいなままに終えてしまった。

 (4) 好意的に解釈することはできる。ブラフマン神との一体性としてのアートマンつまり梵我一如を否定し 言わば《無梵無我一如》としてのけっきょく信仰を言ったのだとすれば それは 《無い神(無梵))》を信じる《非思考の庭》のことである。

 (5) あるいはまた アートマンを他に拠らずみづからにのみ拠って存在する霊なる実体と捉えてこれを否定し アン‐アートマン(無我)と言ったとすれば これは――やはり前項の無神論に通じるとともに―― けっきょくのところモノゴトはみなその《実体》がないととなえた。すなわち 色即是空としての《空》観である。

 (6) ところが §1の《無明》観がブッダでない人間(凡夫)には一生にも二生にもあてはまるというのであれば (4)の信仰は持ち得ないと見たし (5)の空観も きわめてあいまいであり あいまいのままに終わった。

 (7) 空観についての誤解は 色即是空としてこの経験世界は 何一つ確かなものはないと見たそのあと 反転して空即是色というように それでも世界は仮象としては現象しているのだという見方を伴なわなくなっているそのことだ。

 (8) だから 人びとは《煩悩を消す・無くす》とか《私利私欲を離れ 無私になるのだよ》だとか 《ただの精神論》に片向き そこにブディズム研究という《観念の大伽藍》をきづいて来ている。


 §3. けれども 称号=商号なる《ブッダ》にけっきょく中身がなかった。

  (9) 観念の大伽藍が築かれて行くのと 玉ねぎの皮むきが延々とつづけられるのとは 同じひとつのコトである。
   【Q:ゴータマ・ブッダは何をさとったのでしょう】
   http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8314264.html

 (10) 《無明》が下敷きになっているからには ものごとを善(広義のプラス)と悪とに分けて おおきくは善因善果か悪因悪果かのどちらか一本線でのみ 人びとの歴史的ないとなみを捉えることしか出来ない。

 (11) そういう解釈をこそみちびいた。無明の一元論(または 明知との二元論)ゆえ。または 世界の《苦》視ゆえ。
  【Q:《因果の道理》は 道理ではない。】
   http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8329251.html

 (11) 無明・煩悩が インチキなのである。だから われわれの意志行為は つねに こうである。

  ○ われらが因果論:

    人間因(善悪・仏性煩悩をふくむ)⇒ 人間果(善と悪をふくむ)

 ここに無明をも《わたし》が 活用するのだ。善用するにまで到れば 鬼に金棒 孫悟空に如意棒である。
  
 (12) あるいは それとも

   【Q:われわれ一人ひとりが ブッダであると何故言わないか】
   http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7526932.html

A 回答 (35件中1~10件)

こんばんは。





☆ この場合は おのれ独りが 目覚めてすくわれたクラスを形成し ほかの人間はみな凡夫の階級に属すという人間差別だと考えられます。
◇ええ、仏教は、《クラス》理論です。

《スーパークラス》として《自性清浄心クラス》があって、
それに属性が色々くっついて、
《仏陀クラス》、
《菩薩クラス》、《声聞・独覚クラス》、
《凡夫クラス》
という《サブクラス》が生まれる。

《仏陀クラス》と《菩薩クラス》は、《継承・インヘリタンスの関係》にはなく、《排他的》な関係です。
《凡夫クラス》と《菩薩クラス》も《継承関係》にはなく、《排他的》です。

ただし、
《仏陀クラス》と《菩薩クラス》と《凡夫クラス》は、
《自性清浄心クラス》と《継承関係》の関係にあります。

そして、
《仏陀クラス》と《菩薩クラス》、《凡夫クラス》は横並びの関係になります。
本来、これに上下の関係はありません。

いやまぁ~、無理やり、
継承関係にしようと思えば、出来なくはないですけれど、
それは自然ではない。

コンピュータのプログラム的に書くと、

class 自性清浄心 {
 キレイキレイなココロ
}

class 仏陀 {
 キレイキレイなココロ
 仏智
}

class 凡夫 {
 キレイキレイなココロ
 六識
 煩悩
}

みたいな感じ・・・。


☆さとりの知恵は得ていると言ったはずです。
◇これは、知識ではなく、
《こころのハタラキ》です。
《こころの自在性》を得たと言っている、
と、
わたくしは理解しています。

《得た》というのは慣用的な表現であって、
 実際は、《こころの自在性》を邪魔していたものが落ちた
だけのことです。
このことを《得た》と表現しているだけです。


☆☆ というように 無明の一元論 または 明知との二元論として 打ち出しているところにあります。それが インチキです。
◇明知と無明は、クラスが異なるので、二元論にはなりません。
わたしが思うに、
明知に《客塵》がくっつき、無明になる。
スーパークラスとして明知があり、それに、《客塵》という属性がつき、そのサブクラスとして無用が派生する。
なので、二元論にはならない、と思います。
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。

  ○ 凡夫にも自性清浄心があるとしても――ブッダターがやどるとしても―― ゴータマは自分の得たさとりをいくら説いてもその凡夫が理解することはないであろうと踏んだ。

 こういうわけです。そういう意味でのクラス分けは 人間の差別になります。



 ◇ 《こころの自在性》を得たと言っている、
 ☆ いづれにしても 凡夫クラスの理解しえない何かを得たと言っているわけです。これは インチキでしょう。

 ◇ 実際は、《こころの自在性》を邪魔していたものが落ちた
 ☆ という状態になることを 凡夫クラスは 理解しえないし 成就しえないと思ったわけです。その思いは変わらなかったということでしょう。



 ◇ 明知と無明は、クラスが異なるので、二元論にはなりません。
 ☆ この意味は おそらく世界が違うといったことではないかと解釈します。ふたつの別の世界があると言ったなら そして明知の世界は 凡夫には到達することは無理だと思ったしそう思っていたなら 問題です。 

 ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 わたしが思うに、
 明知に《客塵》がくっつき、無明になる。
 スーパークラスとして明知があり、それに、《客塵》という属性がつき、そのサブクラスとして無用が派生する。
 なので、二元論にはならない、と思います。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 《二元論》という用語は やっかいなのでなるべく使わないですすめようと思うのですが
 おそらく善因楽果や悪因苦果といった縁起説をいうときには それは大きく《無明》の世界における出来事を言っているのだと考えられます。ブッダなる人間には あてはまらない。つまり《明知》の状態にある場合は 世界が違うのであり そこでは因果関係は当てはまらない。

 こういう区別は 人間の差別であるという物言いです。

 それに ややあやふやなまま発言しますが
 ◇ 明知に《客塵》がくっつき、無明になる。
 ☆ というのとは別の定義があるように思われます。

 すなわち 世界は《苦》であるのですし 《無明》は 人間の根本的生存欲と解釈した事例もあって これは ブッダのみがよくそこから解脱することのできる何らかの根元を言っているのではないかという推測です。

 つまり言いたいことは もし仮りに 
 ◇ 明知に《客塵》がくっつき、無明になる。
 ☆ といった単純な成り立ちだとしても この《客塵》が取り除かれるのは ブッダただ独りだと言っていると考えられるのです。この人間差別は インチキです。

お礼日時:2013/11/04 21:03

こんばんは。




>「善用するにまで到れば 鬼に金棒 孫悟空に如意棒である。」

「宗教」って、「善」と言いながら途方も無いことを出来たりするもので。
(「信教の自由」の限界)
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この回答へのお礼

 くりなるさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。


 ★ 「宗教」って、「善」と言いながら途方も無いことを出来たりするもので。
 ☆ これは ひとつにここ〔つまりこの(11)の項目)〕では 集団としての宗教は言っていません。次のように あくまで個人にとっての 信仰をもふくんだ主観のもんだいです。
 ひとつに 《活用する。また 善用する》というのは 悪なる無明(≒煩悩)のことです。

 ☆☆(趣旨説明欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~
(11) ・・・

  ○ われらが因果論:

    人間因(善悪・仏性煩悩をふくむ)⇒ 人間果(善と悪をふくむ)

 ここに無明をも《わたし》が 活用するのだ。善用するにまで到れば 鬼に金棒 孫悟空に如意棒である。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 ☆ すなわち 人間因の中に悪なる煩悩をも《わたし》がおさめ入れて これを活用する。です。宗教はお呼びではありません。

 ★ (「信教の自由」の限界)
 ☆ この点も話の筋がちがいますが そもそも個人の内面にとっての信仰には 信教の自由に限界はありません。限界の引きようがありません。主観の中に手を突っ込んで 信じるのをさまたげることも強要することも出来ません。


 わたしは 組織宗教が 信教・良心の自由を侵しているのではないかというその理由は くわしくは搦め手からの妨害です。
 いまでは昔のこととなっていますが 破門という処置によってその人の社会的生命を消し去ろうとする宗教組織の行為があります。社会的生命を抹消してしまうことによって その人の持つ信仰を社会的にないがしろにしてしまう。こういうふうに外からですがその枠組みを操作して 中の人間の主観を貶めることがありがちであることを咎めています。

お礼日時:2013/11/10 06:27

他の人のところに投稿したものですが


ブラジュロンヌさんのところでも話題にしてみます。
これをどう考えるかです。

ゴータマ・ブッダが空を説いていたら
法華経は、なんなのか。
法華経を批判したら、ゴータマ・ブッダはどうなるのか?

こういうのを僧侶とかが話題にしてくれると
興味深いのですが。

もっとも法華経に何が書いてあってもどうでもいいのですけれどもね。

たぶん、空っぽとか、空しいとか
それくらいは、ゴータマ・ブッダも言ったと思いますよ。

コップが空だ。とか。

~~~~~~~~~~~~~~~~


第三章:譬喩(譬喩品第三)

それらの邪見に関することを完全に解き放してから、
私はあらゆるものごと(諸法)が空であることを覚知したので、
そこで『私は安らぎを得たのである』と思いました。
しかし、これは〔真の〕安らぎであるとは認められません。(12)

梵漢和対照・現代語訳 法華経 上
植木雅俊 訳

177ページ

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

vimucya tā dṛṣṭikṛtāni sarvaśaḥ

śūnyāṁśca dharmānahu sparśayitvā|

tato vijānāmyahu nirvṛto'smi

na cāpi nirvāṇamidaṁ pravucyati||12||

http://www.dsbcproject.org/node/4257

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

T0262_.09.0011a12:     我悉除邪見 於空法得證    
T0262_.09.0011a13:     爾時心自謂 得至於滅度    
T0262_.09.0011a14:     而今乃自覺 非是實滅度

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。



 ▼ (法華経) ~~~~~~~~~~~~~~
  私はあらゆるものごと(諸法)が空であることを覚知したので
   śūnyāṁśca dharmānahu sparśayitvā

 ▲ (スッタニパータ) ~~~~~~~~~~~
 ・(中村元:1119) 世界が空なりと観ぜよ。
 
 ・ 1119:《空っぽ(ゼロ)なるさま〔と〕( Suññato ) 世界‐を( loka-ṃ )見なさい( avekkhassu )。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ これが どう同じでどう違うか でしょうか。


 まづ
 ★ コップが空だ。とか。
 ☆ これは 例が別だと思います。なぜなら空観は コップそのものが――つまり かたち〔あるもの〕(ルーパ)が――空っぽなるさまだと見てみなさいということのようですから。



 しょうじきに言って
 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ゴータマ・ブッダが空を説いていたら
 法華経は、なんなのか。
 法華経を批判したら、ゴータマ・ブッダはどうなるのか?
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ これの意味するところがよくまだ分からないでいます。



 《世の中は空っぽであると見てみなさい》というのは:

 △ (聖徳太子) ~~~~~~~~~~~~~
 http://kotobank.jp/word/%E4%B8%96%E9%96%93%E8%99 …

 世間(せけん)虚仮(こけ)唯仏是真(ゆいぶつぜしん)

 この世にある物事はすべて仮の物であり、仏の教えのみが真実であるということ。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ というときの初めの一句のみを表わしているのかも知れません。
 オシエが ほんとうは何であるかが 誰も知らない。のですから 別の例を出しますが:

 つまりあるいは 色即是空 空即是色のやはり 前半分のみを指して言っているのではダメだということで そのときには 次のうたのように語れば 《空なるものも 仮りの現象としての色でありうる》ことを表現し得ていると思われます。

 ▽ (万葉集 五・893 番) ~~~~~~~
 (貧窮問答歌一首[并短歌])

 訓読
 世間(よのなか)を憂(う)しとやさしと思へども
 飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば

 [訳] 世の中を、つらい、身も細るほどだと思うけれども、
  飛び立ってどこかへ行ってしまうこともできない。
  鳥ではないのだから。
  http://kobun.weblio.jp/content/%E3%82%88%E3%81%A …
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 《やさし》が《身も細る(つまり 痩せる)ほどだ》という意味らしいです。やさし と やす(やせる) とは同じ語根らしいです。

 すべてが空であると言っても 《飛び立ってどこかへ行ってしまうこともできない》と言っているようです。つまり 色即是空だが 空即是色でもあると。つまりは 聖徳太子の命題は ダメです。行きっ放しなので。



 こういったふうに聖徳太子のような部分的なわるい事例だという意味でしょうか? つまり
 ★ たぶん、空っぽとか、空しいとか / それくらいは、ゴータマ・ブッダも言ったと思いますよ。
 ☆ というのは?


 ★ こういうのを僧侶とかが話題にしてくれると / 興味深いのですが。
 ☆ お坊さんにかぎらず みなさんにも参加してもらいましょうか。

お礼日時:2013/11/07 13:56

個人的には



スッタニパータの空の詩句に
創作の可能性が出てきただけで十分です。

あとは、好きなように探求していけばいいと思います。

もうこれ以上、仏教に時間を費やすのも無駄な気がします。

あとは実証的で、護教もしないような
それでいて、しっかりとした宗教性もある

本物?と出会うかくらいでしょう。

できればスッタニパータのどこが古いのかといった話も
自分で探求するのではなく、

教わりたかったんですけどね。
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。

 いづれにしましても
 ★ 本物?と出会うか
 ☆ に つねに・どこでも なるのでしょうね。


 シューナター(空ないし空性)が ゴータマの口から出たものかどうか? これは 微妙でしょうか。

お礼日時:2013/11/07 11:12

《モーガラージャ》で検索をかけてみたところ、真宗さんのWikiArcで


─────────
面王
めんのう

 梵語モーガラージャ (Mogharāja) の漢訳。 摩(ま)訶羅(から)倪(げい)などと音写する。 バーヴァリというバラモンの弟子であったが、十五人の同輩とともに釈尊に問答を試み、その場で釈尊の弟子になったという。

http://labo.wikidharma.org/index.php/%E9%9D%A2%E …
─────────

漢訳の増壱阿含経では、
理由はわかりませんが、
《モーガラージャ》を
《面王》と訳しているらしいです。



─────────
「著弊惡衣無所羞恥。所謂《面王》比丘是不毀禁戒誦讀不懈。」
「我今教誡汝等當如面王比丘。所以然者。面王比丘著弊壞之衣。」

増壱阿含経
─────────

漢訳の『増壱阿含経』によりますと、
《面王》さんは、どうやら、ボロボロの衣を着ていたようです。
で、
禁戒を毀(やぶら)ず、お経なんかを読み、懈(おこた)らない、
立派な人だったようです。
だから、
「見習うように」と、
ゴータマさんは他のお弟子さんたちに言ったようです。

《mogha》は《貧乏》とか、《虚栄心》が《無い》の意味???

にしても、
何で《面王》なんだろうか。
謎は深まるばかりです。



☆さらにいえば、
ゴータマはリシの名前で、
いったいどうなっているの?
◇タダの尊称、《リシ・RSi》は聖人くらいの意味です。
ゴータマさんを呼ぶときは、
だいたい、
《神仙》とか《大仙人》(スッタニパータ82)等とか、仙人の前に何かついていると思うけれど・・・。
1025でアジタが一度だけゴータマさんを《仙人》と呼んでいるだけのようです。

ゴータマさんに対して、《バラモン》と呼びかける人もいます。
《牟尼・muni》もある。

ブッダや《世尊・bhagavat》、如来という用語で統一されていないということは、
それだけ、お経が古いということの証明になるのではないでしょうか。



☆出家者は 基本的に自由だったのでしょうか?
◇ゴータマさんを何と呼ぶか、どんな尊称で呼ぶか、決めかねていただけじゃないでしょうか。
お経の作者がですよ(ニコニコ)。
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この回答へのお礼

 お早うございます。ご回答をありがとうございます。


 ▲ 面王:バーヴァリというバラモンの弟子であったが、十五人の同輩とともに釈尊に問答を試み、その場で釈尊の弟子になったという。
 ☆ なるほど。
 ▲ 増壱阿含経
 ☆ の記事と言い 伝承は ちゃんとあるんですね。スッタニパータの第五章・《学生何なにの質問》のその学生たちなんでしょうか。



 ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~
 ブッダや《世尊・bhagavat》、如来という用語で統一されていないということは、
 それだけ、お経が古いということの証明になるのではないでしょうか。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ なるほど。それは うなづけますね。

 しかも
 ◇ ゴータマさんを何と呼ぶか、どんな尊称で呼ぶか、決めかねていただけじゃないでしょうか。 / お経の作者がですよ(ニコニコ)。
 ☆ ということは その作者・編集者の時代より前の時代でも・そして実際のゴータマ氏の時代であっても 呼び方は決まっていなかった。となりますね。


 リシもいれば バラモンの人びとも寄って来る。・・・その自由は あったみたいですね。




 モーガラージャは 伝承が分かったのに なぜ面王というのか ひと謎去ってまた謎なりですね。

お礼日時:2013/11/07 07:09

>互いに批判しあい そのような対立するそれぞれの考えから一段高いところへと互いの認識を持っていければ そういう議論は 《必要》であり《無駄ではない》と言えましょう



それは唯の一つの段階です。

仮にこの世に貴方一人でしたら、誰と議論するのですか?

最後の生き残りになれば全てを諦めますか?
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。



 ★ それは唯の一つの段階です。 
 ☆ いえ。それしかありません。われわれはみながそれを目指します。


 ★ 仮にこの世に貴方一人でしたら、誰と議論するのですか?
 ☆ 議論がしたいわけではありません。自由でいたいためです。

 そうですね。たぶん あなたは まだいると思いますから そのあなたと議論します。

 ★ 最後の生き残りになれば全てを諦めますか?
 ☆ そのじんるい全滅計画を実行しようとする人間をころして死にます。

お礼日時:2013/11/07 06:51

気になること。



モーガラージャは、マーナヴァ(若いバラモン)という言葉によると
バラモンのはず?なのに、ラージャなんでしょうか?

さらにいえば、
ゴータマはリシの名前で、

いったいどうなっているの?
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。


 出家者は 基本的に自由だったのでしょうか?


 あっ そう言えば いま思い出したことには バラモンは一般に階級として落ちぶれたと言いますか ぎゃくにクシャトリア階級が勢力を得たと言いますかした時代もあったとか。


 確かに バラモンとラージャとは 別であると受け留めていますよね。

お礼日時:2013/11/06 23:22

ふーるです。



最初に戻し仕切りなおしで行きます。

実は私は貴方の今までの質問文をほぼ読んでいませんw(流し読みはしてますよ)

貴方は真実を得る為には、世界中の全ての知識を読破・理解するつもりですか?

私が釈尊がどうでも良いと言うのは、そもそも何処までを正しく、何処までを間違っていると議論すること自体が不毛だからです。

時間の無駄です。

議論は無駄とはいいませんが、無駄です。

考察は必要でしょうが、不要です。


釈尊のインチキを訴える前に貴方が本質を伝えられる人物だと気付く方が先です。

死んだ人間に頼るより先に、する事をするべきでしょう。
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~
 議論は無駄とはいいませんが、無駄です。

 考察は必要でしょうが、不要です。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ ですから たとえば《さとり》というのは いつまで問答をつづけても 芯のない玉ねぎの皮むきのようにけっきょく 答えにたどりつけない。こういうばあいは 《むなしく むだ》です。

 互いに批判しあい そのような対立するそれぞれの考えから一段高いところへと互いの認識を持っていければ そういう議論は 《必要》であり《無駄ではない》と言えましょう。



 

お礼日時:2013/11/06 23:16

こんばんは。




☆ ☆ これは 自分で名乗っているのか? (親による名づけなのか?) あるいは 編集者が 何かのあそびかいぢわるかで ちょっと変えてみたものか? でしょうか。
◇この《mogha》って、
旧約聖書の伝道の書に出てくる
「hăḇēl hăḇālîm」
(「はべーる はばーりーむ」とか読むんだろうか。)
ってやつじゃないですか?
http://www.sacred-texts.com/bib/tan/ecc001.htm#001
http://www.sacred-texts.com/bib/poly/ecc001.htm

「空(むな)しい」の意味。
 meaningless, useless, unprofitable, fruitless ect.

これは《バカ》という意味ではないと思いますよ。
サンスクリットの辞書には、
《mogha》に《バカ》という意味はない!!。
《バカ》は、サンスクリットでは《moha》ですんで・・・。

《はべーる はばーりーむ》の王さまじゃないんですかね。
ゴータマさんの出家した理由も、
「この世は、《はべーる はばーりーむ》」ですので。


で、
わたしは、この名前は創作だと思います。
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。

 ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 この《mogha》って、
 旧約聖書の伝道の書に出てくる
 「hăḇēl hăḇālîm」
 (「はべーる はばーりーむ」とか読むんだろうか。)
 ってやつじゃないですか?
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ ハベルは カインの弟のアベルと たしか同じ言葉だったと思います。
 《むなしい》という意味合いを 《果敢無い》という意味に近づけたかたちではないかと思うところもあります。

 

 パーリ語では 《むなしい》も《ばか》もあるようなのです。

 ▲ (Pali dictionary : mogha ) ~~~~~~~~~~~
 http://palidictionary.appspot.com/browse/m/mogha

 ▽ 水野弘元:mogha:
  a.[skt. 〃] 空虚の,無用の,愚鈍の.
 ・・・・ acc.moghaṃ 徒らに,空虚に.
・・・ -jiṇṇa 徒らに老いたる.-dhamma 愚痴法.-purisa 愚人.-vāra 空時分.-suttaka 空糸.



 ▽ Concise Pali-English Dictionary by A.P. Buddhadatta Mahathera

   mogha:[adj.] empty; vain; useless.



 ▽ PTS Pali-English dictionary The Pali Text Society's Pali-English dictionary

   Mogha,(adj.) [the Vedic mogha for the later Sk.moha,which is the P.noun moha; fr.muh.BuddhistSkt. mohapuruṣa e.g.at AvŚ II.177; MVastu III,440]

empty,vain,useless,stupid,foolish
D.I,187 (opp.to sacca),199; Sn.354; Dh.260 (°jiṇṇa grown old in vain; C.expls as tuccha-jiṇṇa DhA.III,388); DhA.I,110 (patthanā a futile wish); PvA.194.-- Opp.amogha S.I,232; J.VI,26; DhA.II,34 (°ṁ tassa jīvitaṁ:not in vain).

--purisa: a stupid or dense fellow Vin.IV,126,144.(Page 542)

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 ◇ わたしは、この名前は創作だと思います。
 ☆ そうだと面白いと思います。つまり いま何とも分かりません。

お礼日時:2013/11/06 22:22

おっと、いけねぇ~、


NO26で、
一ヶ所、
サンスクリットの表記を間違えている(ポリポリ)。

 【誤】panca=skhandAs
 【正】paJca=skhandAs

paJca : num. adj. five

ね。
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この回答へのお礼

 了解しました。

お礼日時:2013/11/06 19:45
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