太平洋戦争はやはり自衛戦争だったと最近確信するようになりました。


あらかじめお断りしておきますが、僕は歴史に関してはド素人です。初めは学校で習った通り日本は悪の帝国で侵略戦争を仕でかしたと普通に思ってました。


しかし、元はと言えば、アメリカが国際連盟設立時に人種差別を目論んだり、その後排日移民法を制定して日本に敵意を剥き出しにしたり、更に経済封鎖をしたりして日本を追い詰めていった事を考えると、完全にアメリカが仕掛けた戦争だったとしか思えなくなりました。


マッカーサーも戦後、米議会で「あれは日本の自衛戦争だった」と証言したくらいですから、議論の余地はないと思います。僕のこの結論に間違いはありませんか?

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A 回答 (16件中1~10件)

まず、個別の事例(人種差別や排日政策や敗戦やどちらから始めたか、避けられなかったのか)を否定しても、大東亜戦争が自衛戦争であったことの否定にはなりません。


(それらと全く関係がない自衛戦争であったという可能性もありえます。)

この問題では、↓のような意見がよくでますが、それらは今回の質問とは関係のない事だと思います。

避けられなかったか?という意見については、何故か同様にアメリカにも言っている意見を聞いたことがありません。(そういう意見の方は、相手がどのような横暴であっても、日本だけは可能な限り誠実に対応するのが当たり前だと思っているようです)

「勝てば官軍」とか嘯いている人は、国際法に無知であり戦争に言及する資格がないと思います。

自分と違うアメリカの行為への評価を「陰謀論」として、それを否定してみせることで対日政策自体を正当化する意見もよく見られますが、陰謀以前に中立国としての義務を逸脱している事を語った意見はないようです。
(事実にあからさまな嘘を混ぜることで、全てを嘘だと誤認させるのは詐欺師の常套手段です)


>僕のこの結論に間違いはありませんか?

質問者の「結論」と質問の焦点が「大東亜戦争は自衛の為の戦争だった」ということだとしたら、総論としてはそうだと思います。

しかし、「大東亜戦争は自衛の為の戦争だった」というのは、「日本は無罪である」と言うのと同じであるので、証明は不可能に近いと思います。(ヒント:悪魔の証明)
そもそも、「大東亜戦争は自衛の為の戦争だった」という主張自体が、連合国の「侵略戦争だった」という主張への反論です。

なので、自衛戦争であることの証明ではなく、(不可能ですし)侵略戦争であることを否定すればOKです。
そして、本来は「侵略戦争である」と主張する側がその証拠を出す義務があるのですが、この質問は立場が逆になっているので、よくある主張(他国の領内に行って戦闘をした=侵略である)について説明します。

私の考えは、
【当時は、日本軍の行為を侵略と断定できる国際法の条文はありません】
ということです。

この場合、侵略の定義(=どのような行為か)が問題になります。
私は、時代と人の数だけある正義感とやらでそれを考えたり、全てを知っている(と思っている)現代人の立場から、過去の暗中模索で苦悩していた当事者の行為を評価して愚かと嗤って、ごりっぱな人間 を気取る趣味はありません。

当時の国際法では侵略の定義は明確ではありませんでした。

侵略戦争が国際法で違法とされたのは、WW1後のパリ条約によるものですが、
その条約では加盟国の様々な事情で、侵略か否かの決定が

【当事国の裁量権に任せる】

となっており、これでは当事国が 「私は侵略をしました」 と言わない限り侵略にはなりません。

しかし、それでも侵略が違法となった以上、正当な戦争の条件である「自衛権」も問題になりましたが、
当時のアメリカは、↓のように言っています。

【この条約は自衛権を制限するものではなく、その内容と範囲は各国が判定できる】
【当事国が決定するものであり、その自衛の範囲は海外への軍隊の配備まで含む】

↑は、他国に軍隊を出して戦闘を行っても、侵略の十分条件にはならないということで、
侵略の定義など存在しないのと同じであり、事実上ザル法です。



当時の北東アジアの情勢ですが、
よく勘違いしている方がいますが、↓のような状態で当時の満州の領有権は確立していません。

日清戦争で日本は遼東半島を獲得しましたが、その後三国干渉によって返還させられています。
その後、ロシアは義和団事件に乗じて満州を占領したため、日露戦争がおこります。

日本は日露戦争の勝利により、ロシアから満州鉄道を譲り受け、旅順、大連の租借権を得ました。
同時に、これらの防衛や現地邦人保護のため、満州へ軍隊を置く権利も得ています。
(当時の満州は、清国の政策に拠って住人のいない空白地帯で、更にモンゴルの領有権は中国ソ連も主張しており、日本は国防上の理由から満州を放置できませんでした。)

↑のように日本は、南満州の特殊権益は国際的に認められていました。
アメリカも1917年の「石井・ランシング協定」により、これを認めています。

満州鉄道に関しては、行き違いからアメリカが経営に参加できず、それが反日の一因となっていることは事実ですが、その後の反日政策(中国への支援や資源の禁輸)自体は、後述するように戦争行為であり、それに対抗した日本の行為は自衛であると思います。

一方で、当時の中国は清が滅亡し複数の政権(馬賊や地方軍閥など)が争っている内乱状態で、彼等にはまともな行政・司法・警察等の能力は無く、国際条約の知識や理解も薄く、それらの遵守は期待できませんでした。(実際何度も一方的に破棄されています。)
当時の中国領には多くの国が投資しており、在中外国人(日本人も含む)も多かった為に、日本政府は彼等の保護を中国に要請してもいました。

中国の軍閥政権は大陸の日本領内にも侵入して、破壊活動やテロなどの挑発を行っており、現場の緊張は極限状態に達していました。
当然治安も悪く、テロも多発しており、日本人の大尉が中国兵に惨殺される事件も起きています。
これらの結果、現地の部隊が暴発し、独断行動による戦闘が発生してしまい、それが満州事変に発展します。

これを侵略とするなら、その原因となった中国軍の行為も侵略であるはずです。

満州の領土化は、以上のように国防上の為のものでありましたが、
同時に南満州鉄道を守る為でもありました。
満州事変以前の国境線のまま中国と接した場合、テロや破壊活動を阻止できませんでした。

その後、満州国は日本が治安を維持した為に各地から人口が流入し繁栄した為に、再びそれを狙った中国によるテロ活動が起りました。
日本軍は前回と同様、領土内で対応していましたが、そうすると彼らは中国内に逃げて、その後また侵入して同じ事を繰り返しました。
日本は中国奥地にある彼等の本拠地(南京、重慶)を叩かなければ、根本的な解決にならないと判断し、中国領内に攻めていきました。
これが日中戦争に発展します。

アメリカは、中国の市場を日本から奪う為に、日中戦争では国民党(蒋介石)を支援しました。
【義勇軍】という名目で兵士も派遣し、大陸で日本と戦闘もしています。

国際法では、この時点でアメリカは中立ではなく、日本と戦争状態にあると見做されます。
ということは、真珠湾以前から日米は戦争状態であり、(宣戦布告もなく)先に仕掛けたのはアメリカということになります。

「日中戦争」について日本が「戦争」としなかったという意見もあるようですが、どちらかが宣戦布告さえすれば「戦争」にはなります。
中国が宣戦布告しなかった理由ですが、
アメリカには「中立法」というものがあり、「戦争」になった場合アメリカの中国支援はこれに違反している事になるからです。
(「戦争」になったのは真珠湾攻撃の後(1941年12月9日)に中国から宣戦布告をしたからです)

中立法:戦争状態や重大な内乱状態にある外国に対して武器・弾薬類を輸出することを禁止するアメリカの法律。


その後のABCD包囲網とハルノートが日本に開戦を決意させました。

この経済制裁についても、東京裁判で日本の弁護についたローガン弁護人が↓のように言っています。

【自衛権は経済封鎖にまで及ぶ。一国の生存に必要な物資を奪う行為は、国民の士気・福祉の破壊を目的としている分、武力による殺人以上に激烈な 戦争行為 といえる。】


以上から、人種差別や排日政策などとは関係なく、
日中戦争の原因が中国のテロ(侵略)であり、
大東亜戦争の原因が日中戦争への、アメリカやその他の連合国の介入に対するものである以上、日本の戦争は侵略目的のものではないと思います。


日本がアジア諸国を植民地にしようとしたという意見もありますが、そう言っている人が根拠を出したのを見たことがありません。
そのアジア諸国ですが、「アレは侵略ではない」という認識から連合国が認めた賠償請求権を放棄してくれています。(しかし、日本はそれに対しても「準賠償」という名目で経済援助をしています)

【日本が支払った戦争賠償金】(動画)


戦中に開かれた「大東亜会議」では、アジア諸国の独立を認めています。(動画も参照)
(日本は占領後のフィリピンを「フィリピン共和国」として独立させています)

http://www.youtube.com/watch?v=LgmCsWEq_bk
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この回答へのお礼

詳しい回答ありがとうございました。長かったですが、大変参考になりました。勉強になることばかりでした。

お礼日時:2013/11/26 16:34

<マッカーサーも戦後、米議会で「あれは日本の自衛戦争だった」と証言したくらいですから、議論の余地はないと思います。



 アメリカでは、裁判・ディベートなど意見集約の技術が一般化しており、マッカーサーは、「日本弁護側」・「日本の開戦理由は正当である」という発言をする役割を持って、議会証言を行いました。
 
 当時のアメリカ議会では、各議員の選挙区で多数の戦死者が出ており、議院は遺族の声に耳を傾ける立場であり、「どのような戦争であったのかという総括」を議会でする際には、「日本の立場から見た戦争像」も吟味しないと、アメリカ側の意見だけになってしまって、「戦争の全体像」が掴めなくなってしまう状況でした。

 従って、日本軍事統治の責任者で、日本の状況が一番わかっていると思われるマッカーサーが「日本側に立った見方」から証言をしたわけです。
 もっとも、事実上の責任放棄を行って、「弁護側として反論はない」・「正当な開戦理由はない」と証言する可能性もあったわけですが。


 簡単に言えば、
 多くの人が集まって
「追い込まれたとはいえ、あいつは話し合いの途中で切れて、殴りかかるという間違ったことをした。」と言っているときに
「あいつの立場なら、切れてしまうということも、それなりの理由がある。」と庇ってくれた人が居たという形です。
 それに対して、
「切羽詰まっていたとはいえ、切れてしまって、ご迷惑をおかけしました。」
 と頭を下げたわけです。

 後になって、子供が生まれ、
「親父は、切れて殴りかかったが、それは間違っていない。」
「庇ってくれる人がいるから正しい」と言っているような状況でしょうか。


<参考>
『学校で習った通り日本は悪の帝国で侵略戦争を仕でかしたと普通に思ってました。』
 日本が悪の帝国だというような誤った授業をしている学校があるのですか?
 そのような授業を本当にしている先生がいるなら、首ですね。

『完全にアメリカが仕掛けた戦争だった』
 歴史にのめり込んで、主観的に見ている気がします。
 当時の日本やアメリカ・ヨーロッパ列強・中国それぞれと距離を置いて、大きく世界的に客観的に眺めてみてください。

※歴史を大きく見ると・・・
 巨大経済市場「中国」の支配権をめぐって、経済大国アメリカと新興経済発展国日本との駆け引きが見えてきます。
 その駆け引きにおいて、日本政府が、中国大陸の軍をコントロール出来ていない(内閣総理大臣には、軍の指揮権限がない。)悪影響が現れます。


<余談>
 第2次世界大戦時、イギリスの首相チャーチルは、「戦争は武力を用いた外交であり、外交は武力を用いない戦争である。」と言っています。
 ですから、外国と交渉する場合、政府は軍と外交を共にコントロール下に置かないと交渉の実が上がりません。
 しかし、戦前の日本の政治組織においては、軍事権は内閣総理大臣の権限外でした。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。なるほど、マッカーサーの証言にはそのような背景があったのですか。勉強になりました。

お礼日時:2013/11/28 16:54

 自爆戦争と言うのが正しいかと思います。



 アメリカは、開戦すれば敗北必至の日本が、外交的に屈服すると見ていたでしょう。
 日本は、屈服する代わりに自爆戦争を開始しました。

 戦争に至るまでの経緯を見れば、
 アメリカの対日石油禁輸が続けば、インドネシアの石油が手に入らない限り、対中戦争継続が難しくなり、最終的に対中戦争敗北に至ることが確実視される状態でした。
(当時の日本産業のエネルギー源は石炭でした。日本の石油の消費の50%は、軍による消費でした。)

 石油備蓄が減っていくので、1942年1月以降では、対米開戦能力が維持できなくなると見積もられ、「1941年12月が対米開戦開始」が軍事的タイムリミットとして決定されました。
 本来、軍事的タイムリミットは政治的判断条件でしかありませんが、政治的開戦決断の希薄なまま、開戦に至りました。

<詳細>
 当時、日本の国力(生産力)はアメリカの10分の1と言われており、その上、1937年に始まった中国との戦いが泥沼化し、若手労働力を兵士として送り出したことと、長期に軍需産業に偏った資本消費によって、国内生産力は停滞し始めました。(戦前の日本の生産力のピークは1937年。)
 更に、1938年には国家総動員法・1940年には食料の配給制が国内で始まります。
(満州事変当時の日本軍兵力は45万、対米開戦時は190万)

 アメリカとの戦い(1941年12月開戦)を始める以前に、中国との泥沼の戦争で、国力の大きな消耗が起き、顕著に国民生活を圧迫しているのです。

 従って、日本はアメリカ相手に戦争出来るような経済状態からはほど遠く、更に、軍事上最も避けるべき二正面作戦を中国とアメリカ相手に行い、敗戦必至の選択をするはずがないという、常識的なアメリカ人の軍事的発想がありました。

 日本政府・陸海軍の認識も、アメリカと同じで、日本の敗戦は必至というものでした。


※この『敗戦は必至』と言う状況を変えるわずかな可能性を引き出すために、日本は『人間的常識を捨てる。』と決めて、「国民の命は戦争に勝つための道具として使う」という選択を行い、日本古来の美意識を捨てて、なりふり構わない戦いに突入し、汚名を着たわけです。


 自国民の命や人権を戦争遂行の道具として使いながら、敵対する国の国民の命や人権は、きちんと守って戦争遂行の道具として使わないでいることは、極めて困難で、事実上不可能な状況も起こります。
(前線への食糧供給が出来ず、日本軍兵士が栄養失調になる状態で、捕虜にきちんと食事を与えることが可能か?など)
 ですから、アメリカの常識では降伏するはずなのに、日本軍は生存を無視して降伏せず、戦いを続けたのです。


<参考>
 長期間に渡る軍事作戦は、その国の経済・社会を大きく変えてしまいます。
1、人口3億人で第二次世界大戦当時よりはるかに国力が大きくなった現在のアメリカが、イラク・アフガニスタンで長期戦(全面戦争ではない)をやっただけで、経済システムが破綻しかけて、リーマンショックに至りました。

2、ソ連崩壊も、長期的には社会主義の限界による経済の伸びなやみと言えますが、短期的・直接的な原因は、アフガニスタンに10年間出兵して戦闘を続けたことによって、経済が疲弊し、前線に軍需物資が滞る事態が発生するようになり、軍がソ連政府を見放す決定をした結果です。


<参考>
・第一次世界大戦時の日本の戦時捕虜管理の実態
 日本は、短期の戦闘を行うだけで済み、敗者をいたわる武士道精神を基礎に、紳士的な扱いをした。

 第一次世界大戦では、中国で捕虜としたドイツ・オーストラリア兵を、長期に渡って捕虜収容所に収容しましたが、人権問題はほとんど起きず、捕虜となったドイツ人が、戦後に捕虜生活から解放された時、日本に帰化するというケースもありました。

 青野ヶ原俘虜収容所
http://www.city.kasai.hyogo.jp/02kank/08sisi/hur …


 坂東俘虜収容所
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BF%E6%9D%B1% …
 
 捕虜でも遠足があり、給料が支給され、お酒も購入できた。捕虜に市価よりも高額に物を売り付けた日本人業者が、処罰された例もあるそうです。


 岡村寧次大将資料によれば
http://www.geocities.jp/yu77799/okamura.html

 嘗て聞いたところによれば、北京附近の中国古老は、団匪事変のとき、欧米各国兵が掠奪強姦の限りを尽くしたのに、ただ独り日本兵のみが、軍、風紀森厳にして寸毫も冒すことなかったことを回想し、どうして今の日本兵がかくも変わったのかと痛嘆したという。

 注:団匪事変=義和団事件(1900年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E5%92%8C% …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。当時の首脳も勝ち目がない戦争だという事は当然分かっていたと思います。だからこそ、とてつもない苦悩があったのだと思います。

お礼日時:2013/11/28 13:13

自衛というより自慰に近い。


勝ち目のない戦争で、自国民の命を大量に浪費したんだから。愚か者がノリでやらかしただけやな。

そして、結果的には自衛できていない。自衛のためならば、特攻なんかやらない。
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この回答へのお礼

特攻だけは美化できないと僕も思います。

お礼日時:2013/11/28 13:22

No.8で回答した者ですが・・・気になった点があったので追加で回答します。




>でも、現在「正史」として認められていない説を何でもかんでも「デタラメな陰謀論」と切って捨てることまではできないと思います。

 私は正史以外の説をすべて陰謀論で片付けるつもりはありませんし、それらをむやみに陰謀論と断じてもいません。
 例えば欧米では第二次大戦の全ての責任をヒトラー個人に帰結させる傾向があり、それが欧米では「正史」となっています。しかし、私はヒトラーがいなくても第二次大戦は史実と同様に生起したと思いますし、そうした説を支持しています。
 また、ルーズベルトが米国を戦争へと導いたとする説は正しいと思います。ただし、それはアメリカが日本を攻撃するために様々な陰謀をめぐらしたという類の、あなたの質問文にあるような説とは明確に異なります。少なくとも、米国は国家戦略として・・・一貫した国家の統一意思として日本への侵略を意図したことはありません。
 たしかに日本は米国にとって太平洋方面における最大の仮想敵国であったので、当然戦争計画自体はありましたし、米海軍の軍備計画は日本海軍を明確に意識しています。
 しかし、これはどこの国でも同じことです。日露戦争後の日本海軍の最大の仮想敵国は米国であり、その軍備計画は常に米海軍との軍事衝突を念頭に練られています。でもそれは、それが即「日本帝国には米国への侵略の意図があった」という証拠になるようなものではありません。
 戦争計画があったとしても、それが仮想敵国への侵略の意図を意味するものではないように、いくつかの無関係な史実や物証が、さも「侵略の意図があった」という主張を裏付けるために利用されているにすぎません。
 日本に対してそうした工作がなされたように、「米国によって仕掛けられた戦争」という主張を補強するために無関係な証拠が都合よく利用されている事例は極めて多いのです。

 あなたの質問文に掲示された根拠もそうしたものです。すべての物事は「こう見よう」という意識が働いている時にはそのように見えてしまうものなのです。
 それにあなたは自分の主張に反する主張の根拠となりうる要素・事例等についてまともに調べることすらしていませんね?そもそも米国が何を目的に「日本に戦争を仕掛けた」のか考えてみましたか?それは立証可能な根拠を伴うような動機ですか?
 提示された主張は、そしてその根拠は、いちいち確認しなければ本当にその主張は正しいのかどうかは判断できるものではありませんし、判断してはいけません。この点、あなたは明らかに調査不足・勉強不足です。


 また、ほとんどの戦争について「自衛戦争だった」と主張することは容易にできます。ナチスドイツによる戦争も、ソ連による冬戦争や対日侵攻も、米国によるグラナダ侵攻やパナマへの軍事介入も「自衛だった」と主張することは可能なのです。というより、「自衛」という要素を含まない戦争など無いのです。
 そもそも安倍首相が発言したように「侵略」という言葉は明確に定義されていません。いわんや「自衛戦争」をどう定義づけ、どう区別するのか?国際的な判断基準など存在していません。
 「自衛戦争だった」と主張することは容易ですが、それが正しいかどうかは全く別問題なのです。


 戦争とは、自国の都合を相手国に押し付けることを目的とする軍事行動であり、外交の一手段にすぎません。そして「自分の都合を他者に押し付ける」という行為は、すなわちあらゆる「悪」の根源を成す要素(というより「悪」の本質)です。なので、戦争という行為そのもの、そしてそれを行う者は決して「悪」という評価を免れ得ません。戦争における正義とは、そうした本質的悪を正当化する(もっと言うなら「ごまかす」)ための道具にすぎないのです。だから、戦争を行う国は、国民に戦争をさせようとする政治家たちは、国民の目を「悪」に向けさせないために誰よりも多くの「正義」を必要とします。より多くの、より巨大な「悪」を働く国ほど巨大な「正義」を必要とします。
 世界一の超大国である米国がそうであるように、今やたらと周辺国への影響力を強めようとしている中国がそうであるように、パレスチナの植民地化を進めるイスラエルがそうであるように、大東亜共栄圏樹立を叫んだ日本帝国がそうであったように。

 歴史の専門家たちですら結論を出せずに(個人の見解としての結論は出しても統一見解としての結論は出ていない)議論と研究を繰り返している第二次世界大戦の顛末について、調査も勉強も明らかに不足しているあなたが「議論の余地はない」などと言うのはお笑い草にしかなりません。そうまでして主張する「正義」は、他者に押し付けたいあなたの都合は、一体全体だれのための、何のための、どんな都合ですか?そんなに誤魔化したい「悪」は何ですか?一度、歴史をではなく、歴史について何事かを主張しようとしている自分自身を客観的に分析してみるべきです。これは歴史を客観的に評価するために必要なことですから必ずやってください(私も資料や書籍に接するときは必ずそうするように努力しています)。
 あなたがロクに勉強もしないで出した結論について「間違いはありませんか?」というのがあなたの質問ですから、最後に今一度明確に誤解のないようにお答えしておきましょう。

 間違いだらけです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。大変参考になりました。虚心坦懐に歴史と向き合う姿勢を肝に命じていきたいと思います。父祖の名誉を守るのは人間として当然ではないかという気持ちから、質問文のような独断的な表現になってしまいました。ご意見ありがとうございました。

お礼日時:2013/11/27 12:44

まぁ自衛っちゃ自衛だけど


アジアを欧米の植民地から開放するための聖戦ですね
東南アジア諸国は戦後 日本のおかげで独立できた と感謝しています
恩を仇で返しているのが韓国と中国ですがね
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。ご意見は参考になりました。そういう見方もできると思います。

お礼日時:2013/11/26 16:38

大平洋戦争って米の呼称ね、日本の正式呼称は大東亜戦争ですよ、授業で大平洋使ってたら日教組等と教科書検定が操作してる事に成りますね、この呼び名は外せませんから。



米軍とは主に太平洋上の島々.大洋上の戦闘ですが日本陸軍の戦場は主に東南アジアが主戦場ですからで幸か不幸か周辺の殆ど植民地解放のキッカケ作りましたからこれが搾取で良い思いしてた欧米は当然気に食わないです拠徳権益がゼロに成ってしまったんですから蘭なんてインドネシアでどれだけ良い思いして来たかそれを日本軍が叩き出すわけですから350年も搾取して来てたのがゼロで今は西欧の小国に逆戻りでクヤシクテ如何しようも無いと推測します等他の国々も似た様なものです、で飛び火してアフリカ植民地の独立機運にも成ったですしで殆ど植民地が消えてしまいました、日本軍が油と戦略物資に取りに行った副産物として。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。ご意見は参考になりました。

お礼日時:2013/11/26 16:36

戦争に至った事情については、やむを得ない状況だったのかもしれません。



ただ、「やむを得ない」ということと「自衛」だったということはイコールではないと思いますが…。
「自衛」だとしても、結局は敗戦…ですので、自衛できていないですしね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。確かに、完全にイコールとまでは言えないと思います。

お礼日時:2013/11/26 16:20

 アメリカが仕掛けた・・・と断言している時点であなたは勉強が全然足りてません。



 アメリカが仕掛けたという見方はすることもできますし、そういう説はたしかにあります。しかし、それは一つの説であって、それがすべてというわけではありません。アメリカが仕掛けた・・・というだけでは説明のしきれないことが多々あります。
 これは「○○が仕掛けた」の○○をどの国に置き換えても同じことが言えます。

>アメリカが国際連盟設立時に人種差別を目論んだ

 これは当時有力な列強諸国が日本を除きすべて白人国家であり、彼らにとっては疑問の余地のない常識的な考えを反映したもので日本を攻撃するための方策と考えるのは無理があります。


>排日移民法を制定して日本に敵意を剥き出しに・・

 日本人移民が増えすぎたことによって生起した米国内の社会問題への対応であり、それは日本という国に対しての攻撃とみなすことはやはり無理があります。


>経済封鎖をしたりして日本を追い詰めていった

 日中戦争に対する対応であって、これは日中戦争が生起する前から米国は「もし戦争をしている国があれば自分たちはこう対応する」と事前に宣言していた通りに行動していたにすぎません。(日本が「日中戦争」と現在呼ばれている状況を「戦争ではなくて事件である」と強弁していた理由を調べてみればすぐに確認できることです)
 これは米国が意図して行動していたというよりは、中国によるプロパガンダによって米政府(米国世論)がそのような行動をおこすようになっていったという方が自然です。


 第一、「元はと言えば・・・」を言い出すなら国際連盟設立は全然「元」ではありません。
 第一次大戦への日本参戦は、当時同盟国だった英国にさえ日本の野心に対する警戒心を抱かせるものでした。
 また、日露戦争の講和に仲立ちをした米国に対して、米国が期待していた満州権益の分け前を日本が独占し、あまつさえ賠償金0に怒った日本国民による在日米領事館襲撃という常識的にありえない逆恨み(というより八つ当たり)は、当時の国際常識から考えても今の常識から考えても、諸外国に日本を危険視させるには十分な出来事です。

 国際政治や戦争といった国際情勢は、一国の意思によって動くわけではありません。複数の国の利害関係や歴史的感情が複雑に入り組んで流動的に変化していくものであり、当事者たちは予想や対応はできても制御することができるわけではありせん。
 たとえそれが世界最強の超大国であったとしてもです。

 基本的に「○○の陰謀」という類の話は、ある程度の知識のある人が「そんな馬鹿な」と言って楽しむためにあるものです。十分な知識のある人はその手の話を楽しみはしても本気で信じたりはしません。どれだけのエピソードをこじつけて、どれだけ面白くするか・・・が陰謀論の醍醐味です。ツッコミどころをわざと残すのも楽しみどころの一つです。トンマが真に受けて騙される様を眺めるのは最大の笑いどころです。
 ですが、あまりにも同じネタに引っかかる人が長く出続けると、マンネリ化した芸能人のネタのように飽き飽きとしてきます。
 ネタを提供している人の中には、それで飯を食っている人もいるのでネタはどれだけ古かろうが飽きられようが、騙されるトンマが居る限りずっと出続けます。

 太平洋戦争は欧州の対独戦に参戦するためにアメリカが仕掛けた。日本の暗号は全て解読されていて日本の通信は全て筒抜けになっていたのに日本はそのことに気づいてもいなかった。ルーズベルトは日本に最初の攻撃させるためにハル・ノートを突きつけた。ルーズベルトは真珠湾攻撃を事前に知っていた。チャーチルは暗号の秘密を守るためにドイツ軍の空襲をわざと成功させた。スターリンはドイツ軍の対ソ侵攻を知っていた。アメリカはゼロ戦に対抗するためにゼロ戦を分析してF6Fヘルキャットを作り出した。フェルディナンド・ポルシェは戦車兵である息子を殺されたので超重戦車マウスを作り上げた。日本の戦艦大和に対抗するためにアイオワ級戦艦を作った。その他ナチスの秘密兵器にまつわる多くの話。未完成で終戦を迎えた日本の高性能な新兵器・・・みんな、典型的な「作り話」です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。戦争や国際情勢は様々な国の利害と思惑が交錯しているため、一国で制御できるものではないという御意見は僕も正しいと思います。

でも、現在「正史」として認められていない説を何でもかんでも「デタラメな陰謀論」と切って捨てることまではできないと思います。

お礼日時:2013/11/26 16:19

>太平洋戦争はやはり自衛戦争だったと最近確信するようになりました。



そういう見方も出来ると私も思いますが、日本人としてその見方にバイアスがかかっては居ないかという気分は依然あります。大事なことは、その時代の気分としてどうだったのか?避ける選択肢はまったくなかったのか?ということでしょう。時代と国民の気分がその方向に動いていれば、戦争は国益の如何に関わらず、成り行きとして起る場合があるという実例かもしれません(中枢が勝てないと分かっていても起った(踏み切った)のですから)。まあ、なんとかなるという楽観論だったのでしょうが。
今の状況と比較するのも興味がありますよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。ご意見はもっともであり大変参考になりました。国益に結びつかないにも拘わらず、時代の空気と国民の気分に流されて止められなくなってしまう政策とか、まさに今現代にもありますよね。

お礼日時:2013/11/26 16:06

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Q日本がハルノートをを受け入れ戦争しなかったら?

歴史で”たら、れば”は持ち出す事は駄目なんですが、もし、太平洋戦争に突入しなかったら日本はどうなっていたでしょう? 戦争で余りにも多くの方がなくなりましたが、戦争しなかった方が日本の将来は明るくなる事が期待できたのでしょうか?

Aベストアンサー

戦争をしなかった、という選択肢は
無かったと思われます。
日本が例えハルノートを呑んでも、米国は
必ずや、日本を戦争に引きずり込んだと
思われます。
あのイラク戦争のようにです。
フセインは、米国相手に戦争などしても
勝てる道理がないことぐらい、百も承知していました。
それでも米国に無実の罪を着せられて戦争に
持ち込まれ、処刑されてしまいました。
米国とはああいう国なのです。

当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、1200万の失業者が
街に溢れ、あちこちで暴動が発生していました。
ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は
さっぱりです。
それでどうしても戦争をやる必要があったのです。
戦争は最大の公共事業ですから。その証拠に戦後、米国
経済は見事な復活を遂げています。
その現れがハルノートです。

これは私の偏見ではありません。
米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は
公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きづり込んだ
過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分
にされてしまいました。

31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に
引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。
彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。


米西戦争では、 1898年 2/15 ハバナ湾で、
米国戦艦メイン号が謎の爆発沈没しています。
これで米兵266名が死亡し、スペインの仕業だ、
ということになり戦争が始まっています。

ベトナム戦争では有名なトンキン湾事件が発生しています。
1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の
哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射した
とされる事件です。
これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入しましたが、
その後、ニューヨークタイムズが、米国のやらせであることを暴露し
真実が明らかにされました。

湾岸戦争 1990年 では
アメリカの駐イラク特命全権大使のエイプリル・グラスピーが
イラクのクエート攻撃に対して
「介入するつもりはない」と発言しており
これを信じたフセインがクエートを侵略しましたが、
米国軍等により撃退されています。
米国は約束の存在を否定していますが、当の大使は、それ以後、公式の場には
一切姿を見せなくなりました。

その他にも怪しいのはいくらでもあります。
以上が、日本が戦争を拒んでも、ダメだったろうと思われる理由です。

戦争をしなかった、という選択肢は
無かったと思われます。
日本が例えハルノートを呑んでも、米国は
必ずや、日本を戦争に引きずり込んだと
思われます。
あのイラク戦争のようにです。
フセインは、米国相手に戦争などしても
勝てる道理がないことぐらい、百も承知していました。
それでも米国に無実の罪を着せられて戦争に
持ち込まれ、処刑されてしまいました。
米国とはああいう国なのです。

当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、1200万の...続きを読む

Qリベラルとは?

・左派、革新、社会主義
・右派、保守
という分類ができると思うのですが、
リベラルや自由主義は、どう考えたらいいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義(右派リバタリアン)で、それ以後を新保守主義(ネオコン)といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン(左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法(戦争など過激な改革を許容する)を執ると言う主義)です。

 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで(高福祉政策)」などが有ります。

 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。そして変える方向(変えない方向)が自由か統制かで分類できます。

 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。
 (自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。)

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共...続きを読む

Qなぜ今の天皇陛下は靖国神社を参拝しないのでしょうか

なぜ今の天皇陛下は靖国神社を参拝しないのでしょうか?

今の天皇陛下は右翼や自民党が言う反日国民なのでしょうか?いつから天皇家は韓国人や中国人に乗っとられてしまったのでしょう?

今の天皇陛下は日本国首相総理大臣の安倍晋三が言う反日国民なのでしょうか?

Aベストアンサー

 だってあそこは天皇宗家を祀った神社ではないでしょ。天皇家は神道の流れを汲みますから、明治以後に創始された「国家神道」とは関係のない存在です。
 ましてや靖国の祭神は軍人や兵士ですから、八百萬の神を祖先の一つとして信仰する天皇家にとっては何の意味も持たない存在です。
 周りが思い込みで宗教法人である神社に国会議員や閣僚が公式参拝すべしだの、国営化すべきだのと勝手に騒いでいるだけの話で、それこそがまさしく「天皇の政治利用」ともいえる発想や行為でしかありません。
 それにしても、自分達の意見とは異なるからといって直ちに「反日」だの「非国民」や「不敬」だのと言っているのでは、自らの首を絞めることと同じであることすら解らないのですかね。
 本当の保守の立場は「相手の意見を封じることなく最後まで耳を傾け、同調できる部分は同調し批判すべき部分は批判する」との懐の深い考え方を指します。
 今巷に溢れつつあるのは偏狭で浅学なナショナリズムの域を出ない性質のものでしかありません。天皇家の祖先といえども、純粋な日本人であるとの確証はどこにもありません。天皇家との縁戚関係にある蘇我本宗家をはじめ、高野新笠などは渡来系の血筋を継いでもいます。その意味ではコスモポリタンですね。ドメスティックなばかりが尊いや優れているとの根拠にはなりもしません。逆説とはよくいったものです。

 だってあそこは天皇宗家を祀った神社ではないでしょ。天皇家は神道の流れを汲みますから、明治以後に創始された「国家神道」とは関係のない存在です。
 ましてや靖国の祭神は軍人や兵士ですから、八百萬の神を祖先の一つとして信仰する天皇家にとっては何の意味も持たない存在です。
 周りが思い込みで宗教法人である神社に国会議員や閣僚が公式参拝すべしだの、国営化すべきだのと勝手に騒いでいるだけの話で、それこそがまさしく「天皇の政治利用」ともいえる発想や行為でしかありません。
 それにしても、...続きを読む

Qなぜ真珠湾に米軍空母がいなかったのですか?

なぜ真珠湾に米軍空母がいなかったのですか?

僕は死ぬほど歴史が苦手で、ろくに勉強してこなかったことを後悔しています。

最近知ったのですが、真珠湾攻撃に参加した零戦パイロットの原田要(はらだかなめ)氏(97)は、真珠湾に米軍空母はいなかったと証言しています。

なぜ真珠湾に米軍空母がいなかったのですか?偶然にしては出来すぎではありませんか?

Aベストアンサー

太平洋には3隻しか航空母艦がいませんでした。これはドイツの海軍が大西洋で活動を激化させたのと、英国への武器援助法などのほうが重要だったので、大西洋に重点的に空母を配置したからです。

太平洋にいた空母ですが、サラトガは、サンディエゴで整備をしていました。攻撃後、あわてて真珠湾に進出しましたが1月12日に真珠湾の近くで日本の潜水艦から魚雷を撃ち込まれて大損害をだし、またもや本土のブレマートンで修理する羽目となりました。

同じ型式のレキシントンは、ミッドウェイに飛行機運んでいました。

エンタープライズは、ウェーク島に飛行機を運んでいた帰りに母港の真珠湾が襲われたので、日本艦隊を1隻で探していましたが空振りであります。6隻もいる空母機動部隊に一隻で立ち向かうのですから、温存どころか無謀に近い勇気があるものだと感心します。

航空母艦は英語でCarrier 単なるキャリアーです。文字通り飛行機運びをしていたわけですね。で、戦艦は大事に要塞地帯である真珠湾に温存されていました。

空母が温存、どころか、飛行機運びと修理していただけでです。運んでいただけですから攻撃能力もありません。

空母しか残らなかったので、空母でしか初期の戦争行動ができなかったのが真相で、珊瑚海ではレキシントンまで沈められてしまうし、ミッドウェイでは1隻が半分こわれた状態で使われています。

情勢はガダルカナルが終わるまでアメリカにとって決して楽ではありません。

陰謀とか空母を温存しておいたというウソがこの時代になっても大手をふって出てくるということこそ、歴史を学ぶ上でひっかかってはいけないホラ、都市伝説でしかないことを、見抜けるようになってください。

その証拠に、陰謀を言い立てる人は、証拠を出すことができません。ネタとしても、もう賞味期限切れでしょう。

太平洋には3隻しか航空母艦がいませんでした。これはドイツの海軍が大西洋で活動を激化させたのと、英国への武器援助法などのほうが重要だったので、大西洋に重点的に空母を配置したからです。

太平洋にいた空母ですが、サラトガは、サンディエゴで整備をしていました。攻撃後、あわてて真珠湾に進出しましたが1月12日に真珠湾の近くで日本の潜水艦から魚雷を撃ち込まれて大損害をだし、またもや本土のブレマートンで修理する羽目となりました。

同じ型式のレキシントンは、ミッドウェイに飛行機運んでいました...続きを読む

Q太平洋戦争は政治力で回避できましたか?

先の戦争で亡くなった方は日本人で330万人と聞いております。なんと言う惨状でしょうか?今更なにも始まりませんが、避けられたのでしょうか? 回避はできたとしても理不尽な要求を呑んで日本人としてのプライドも無くなっていたのでしょうか?歴史に”もし”は禁句ですが、色々想像しています。

Aベストアンサー

どこまで歴史を振り返るのかで変わってくると思います。

NHKの番組やその取材班の日米開戦の本などでは「南仏印進駐」を戦争不可避の分岐点としています。
私もその考えに賛成です。

そもそも、日本の大陸進出が先鋭化しなければアメリカと戦争になる事は回避できたと考えます。

1932年の満州事変ではアメリカを含め国連が日本の行動に反対しましたが、決定的になるところまではいきませんでした。

1937年に日支事変が起きた時も、アメリカ政府はすぐには中国に味方しませんでした。
日支事変発生を受けての九カ国条約会議の開催で、中国側が日本への経済制裁を提案した時、アメリカは反対に回りました。
なぜなら、日支事変発生によって、日本も中国もアメリカから購入する戦略物資の量が増えたからです。
つまり、戦争する両者に物を売ってぼろ儲けする立場にアメリカはいたのです。
だからアメリカは一方的に中国に味方する事はありませんでした。

その状況が変化したのは、中国大陸で日本が中国を負かすため戦略爆撃を開始したからです。
当時、アメリカは中国に多大な投資を行っていました。
それが日本の空爆で被害を受けます。
アメリカは日本に中国での空爆を止めるよう何度も抗議しますが、日本は受け入れません。
怒ったアメリカは日本へ徐々に経済制裁を開始します。
始めは空爆を止めさせるための飛行機関連の輸出停止でした。
しかし、日本の空爆は止みません。
しかも、日本は空爆での民間被害の補償は行わない方針を打ち出します。
さらに、爆撃を強化すると通告し中国にいる外国人の安全も保障しない方針を打ち出します。
アメリカの苛立ちはつのり経済制裁を日本に段階的に行いますが、日本の行動は止まりません。
しかも大東亜共栄圏構想という日本の植民地拡大政策と判断される政策を打ち出してきました。
そこでアメリカは中国への支援に乗り出しました。

アメリカが中国への資金援助を開始したのは1938年12月という日支事変開始より1年5カ月も経った時点からでした。

その後も日本はアメリカを怒らせ続けます。
1940年9月にアメリカがイギリスと防衛協定を結んでドイツを潜在的敵と見なせば、その二週間後に日本はドイツとイタリアと日独伊三国同盟を結びます。
アメリカが敵と見なしている国と同盟を結ぶのですから喧嘩売ってるのと変わりません。
怒ったアメリカは鋼鉄の対日輸出を停止します。

最終的には南仏印に日本軍が進駐してアメリカを決定的に怒らせ、アメリカの対日石油禁輸となりました。
この南仏印進駐についてはアメリカは日本に対して警告までしています。
当時の日本の外相は南仏印進駐はアメリカとの戦争になるから止めた方がよいと主張しますが他の閣僚が甘い見通しで押し切ってしまいました。
そしてアメリカは石油を止め、日本は戦争の決断を。

アメリカによる段階的経済制裁の始まりの原因は日本の行動にあります。
アメリカの抗議を受け入れ日支事変での戦略爆撃を止めていたら。
また、日支事変の戦略爆撃においてアメリカに与えた損害について補償をすぐに行っていたら。
大東亜共栄圏構想という他国に日本の植民地拡大政策と捉えられる発表をしなかったら。
アメリカが中国を支援する事は無かったかもしれませんし、その後の日米開戦も避けられたかもしれません。
その後も
日独伊三国同盟を結ばなければ。
北仏印に進駐しなければ。
南仏印に進駐しなければ。
恐らくアメリカと戦争になる事は無かったでしょう。

アメリカのチャールズ・A・ビアードという歴史家の「ルーズベルトの責任」という本の中で、ハーバード大学のデートレフ教授がこの本の紹介文を寄せていますが、そこには
「日本がアジア大陸で膨張主義的な目的を追求した事からルーズベルト大統領は懸念を覚え、日本を押さえ込むために圧力をかけ始めた」と記しています。
この本を読めばルーズベルト大統領が表向きは不戦の姿勢を見せながらもハル・ノートという過度な要求を日本につき付け、日本を戦争へ追いやった事がわかりますが、その前に日本のアジアの膨張政策が問題であった事もわかります。

1941年8月1日、アメリカが日本に対し石油の全面禁輸を禁止を行いました。
その2日後、ニューヨークタイムズにギャラップのある世論調査の結果が載りました。
それは「アメリカは戦争の危険を犯してでも日本の膨張に歯止めをかけるべきか」というアンケートに対するものです。51%の人がYESと回答していました。
この時点でアメリカ国民も半数が日本のアジア進出に危機感を抱いていたのです。

そもそも当時のアメリカの好景気でした。

「ニューディール政策」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E6%94%BF%E7%AD%96

この上に貼ったウィキの「ニューディール政策」のところにあるアメリカのGDPのグラフと失業率のグラフを見ていただければわかりますが、戦争が開始される1941年12月よりも前の1940年以前において、既に世界恐慌前のGDPの水準に回復している事がわかりますし、戦争開始前に失業率が低下していっているのがわかります。
これはヨーロッパにおいて第二次世界大戦が始まったからであり、イギリス、フランス、カナダ等、連合国から大量の武器や物資の受注があったからです。
それだけではありません。イギリスはアメリカの軍需産業に投資を行い工場の拡大や設備の増強を求め、生産の拡大に動いています。
つまり戦争特需が発生していたのです。
自国が戦争を起こし戦争で経済を回復させるなどという必要はありません。
そもそも第二次世界大戦におけるアメリカの戦費は戦時国債です。つまり国の借金でしかありません。
それに一時的に景気が回復しても戦争が終われば軍需生産は萎みます。
その後は不況が来るだけです。実際、アメリカは戦後に戦後不況に陥っています。
上に貼った「ニューディール政策」のGDPや失業率のグラフにおいて、第二次世界大戦後に悪化を示しているのは戦後不況が起きたからです。
もし世界恐慌からの経済回復を目指して戦争を仕掛けさせる謀略を行うというのなら、そんな回りくどい事をしなくても1937年12月に発生した日本軍機によるアメリカ軍艦攻撃事件「パネー号事件」を利用していた筈です。
何せ、この時はアメリカ政府内から日本に宣戦布告するべきだという声が上がっていたのですから。

ともかく、日本がアメリカの敵視する独伊と日独伊三国同盟を結んだり、南仏印に進駐するなどの膨張政策を見せなければ、アメリカも日本に過度な要求を突き付け戦争に追い込んで来る事はなかったでしょう。

これらの事を考えれば、日本とアメリカの戦争を回避する可能性は南仏印進駐前までなら、その時、その時でありました。
日支事変での戦略爆撃の停止。
日支事変における戦略爆撃被害の補償。
大東亜共栄圏構想の公表を控える。
日独伊三国同盟の締結中止。
北仏印、南仏印進駐の停止。
そうした事が為されていたら、アメリカとは戦争にならず朝鮮も満州もそのまま日本の支配下で暫くは歴史も進んだのではないかと思います。

天皇陛下は日独伊三国同盟に反対していました。
また南仏印進駐にも反対で東条陸相に言いましたが受け入れられませんでした。
もっと天皇陛下の御意思を政府の閣僚が尊重していれば日本とアメリカの戦争は避けられたと思います。

どこまで歴史を振り返るのかで変わってくると思います。

NHKの番組やその取材班の日米開戦の本などでは「南仏印進駐」を戦争不可避の分岐点としています。
私もその考えに賛成です。

そもそも、日本の大陸進出が先鋭化しなければアメリカと戦争になる事は回避できたと考えます。

1932年の満州事変ではアメリカを含め国連が日本の行動に反対しましたが、決定的になるところまではいきませんでした。

1937年に日支事変が起きた時も、アメリカ政府はすぐには中国に味方しませんでした。
日支事変発生を受けての九...続きを読む

Qなぜ日本は植民地にされなかったのですか?

19世紀、他のアジア諸国は欧米列強の植民地にされたのに
なぜ日本は植民地にされなかったのですか?
日本の教育水準が高かったからですか?
それとも単に運がよかったからですか?

Aベストアンサー

日本は鎖国していたとはいえ、オランダを通じて最新の科学、軍事技術もわづかに取り入れていました。
アヘン戦争の時、中国側の大砲は1600年代のヨーロッパ製だったという…
江戸幕府も同じなのですが。
ところが長崎に高島しゅうはん、という人が役人でいて、脇荷貿易の権限もっていて新式大砲を研究していました。それは出島にくるオランダ船が礼砲を撃つと威力、性能が進化しているのをしっていて、です。
幕府も国防上、江戸へ呼んで演習。一日でその平地は「高島平」(たかしまだいら)になりました。今もそう呼ばれてます。伊豆代官江川が引き継いで、青銅砲でない鋼鉄砲をつくる高熱の製鉄炉(反射炉)をつくろうとしたり(大砲、兵学などはなんとかヨーロッパの技術においつこうというカンジ)、日本人は形式・格式でガチガチのバカな武士社会の中でも一部の有能な、志ある人たちに助けられてなんとか西洋とわたりあえる学術・軍事・文化・行政制度をもっていたのです。
(ほとんどの藩はド貧乏、借金まみれ。一部の外様大名とかだけです。意識あったのは)

ペリーが来航した時も(一年前くるっていったのに来ないと思って内緒にしちゃったバカな幕府上層部のせいで大慌てしたが)、一年後返事をもらいにくる、といったあと年明け10ヶ月にきた時には、無防備だった江戸湾に砲台島を築かせて防衛体制つくった(江川が指揮)
これが砲台場、今の「お台場」です。
これにはペリーも驚いた。
あと吉田松陰みたいに単身(2人だったけど)黒船に乗り込んで
「我アメリカに行かんと欲す」と叫びまくって返ってきた若者とか。
こんな人他のアジアの国にはいなかった。

日本は天文、数学、測量でもヨーロッパの文献研究したり、和算でも微分積分できたらしい。水準高かったンですよ。富豪商人は学問する人たちが多いとか、そういうこともあったらしいし、町民文化も小説、演劇、レベル高かったです。

アメリカと国土交渉する際もペリーが小笠原はアメリカ人住んでる、国際的に通じる文書で証明しない限りアメリカ国土だ、といった時、フランス語版・林子平著三国通覧図説をだして、出版年からも日本領土だと証明。
松平定信が迫害した林子平の著作が、大黒屋光太夫一行のうちロシア日本語学校教師にのこった一人とドイツ人言語学者の手で訳されて、小笠原諸島をまもったわけですね^^

ま、そんなこんなで、日本は他のアジアの国より運がよかった。
・一応、統一国家でまとまってた。いくつか勢力が争ってるとかじゃなかった
・文化水準がヨーロッパと同程度だった(これは不思議なものである)
・一部の蘭学者のおかげで、外国の情勢なども在る程度はつかんでいた?!ジョン万次郎がいたといなかったじゃ、また違ったろうなぁ
江川さんがいなかったら大変だったと思うよ
・穏健バランス派の阿部が老中(筆頭?)だったのもよかった。水野忠邦だったらボロボロだったんじゃないかなぁ
最後は大分大胆に物事運んだけど。
・武士階級、常時帯刀武装してる階級が行政してる、というのはなかなかすごいかも^^
・シーボルトが日本の文化レベルを紹介する書物を発表してくれていた
(ペリーもちゃんと読んでた)→日本は交渉するレベルの国だと思ってもらえた。おそらく礼砲をちゃんと返せる国なんてアジアで日本ぐらいだったでしょう。

兵力でいえば、この前NHKでもやってましたが薩摩とイギリスの争い、中国のイギリス艦隊きた時は薩摩ボロ負けですよ。海戦は特に。
最初、不平等条約だったのもしゃーない。
しかし、交渉のテーブルがある、というのは在る程度、相手を認めてのことだし、全面開戦しなかった、というのはお互いのメリット、リスクも含めて必然だったのかも。
まぁ頑張りましたね、当時の日本^^

日本は鎖国していたとはいえ、オランダを通じて最新の科学、軍事技術もわづかに取り入れていました。
アヘン戦争の時、中国側の大砲は1600年代のヨーロッパ製だったという…
江戸幕府も同じなのですが。
ところが長崎に高島しゅうはん、という人が役人でいて、脇荷貿易の権限もっていて新式大砲を研究していました。それは出島にくるオランダ船が礼砲を撃つと威力、性能が進化しているのをしっていて、です。
幕府も国防上、江戸へ呼んで演習。一日でその平地は「高島平」(たかしまだいら)になりました。...続きを読む

Qミッドウェー海戦の敗因を教えて下さい

ミッドウェー海戦の敗因を教えて下さい。なぜあんなに強かった日本軍が負けてしまったのですか?理由を教えて下さい。ちなみに僕は戦史に関してはド素人ですので、その辺はご了承ください。

余談ですけど、先日新聞を読んでいたら「アベノミクス第三の矢はミッドウェー」とかいう記事が載っていて、要するに第一、第二の矢(経済政策)はうまくいったが問題は第三の矢で、これが日本の今後の経済趨勢を決するという内容でした。

それで僕は、緒戦の快進撃から一転、大敗北を喫したミッドウェー海戦の敗因とやらをどうしても知りたくなった次第です。

Aベストアンサー

○日本には防衛研修所戦史室 (現在の防衛省防衛研究所戦史部の前身)が編纂した「戦史叢書」という全102巻にも及ぶ太平洋戦争について書かれた公刊戦史がありまして、ミッドウェー海戦について書かれたものは、その第43巻が「ミッドウェー海戦」として出されています。
「戦史叢書ミッドウェー海戦」・・・市立や県立図書館でも置いてるところは結構あります。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E6%B5%B7%E6%88%A6-1971%E5%B9%B4-%E6%88%A6%E5%8F%B2%E5%8F%A2%E6%9B%B8-%E9%98%B2%E8%A1%9B%E5%BA%81%E9%98%B2%E8%A1%9B%E7%A0%94%E4%BF%AE%E6%89%80%E6%88%A6%E5%8F%B2%E5%AE%A4/dp/B000J9GX1M

この本によると次の6項目が大きな日本軍の敗因として取り上げられています。

(1)情報戦の大敗。日本海軍の暗号が解読され、米軍は日本軍の計画を察知していたのに、日本軍は敵情がよくわかっていなかった。

(2)心のゆるみ。開戦以来の戦果から心にゆるみが生じ、作戦の計画と実行に慎重さを欠いた。

(3)山本長官の出撃。山本長官が戦艦に座乗して出撃したので、その位置を秘匿するため、無線の使用が制限され、作戦指導に支障を生じた。

(4)航空戦様相の事前研究、訓練の不足。索敵、偵察、報告などの地道な訓練及び、空母の被害局限対策の研究が足りなかった。

(5)5日の航空決戦の指導の誤り。二度の兵装転換によって弱点を作った。

(6)戦艦主兵思想の転換の不十分。戦艦部隊が後方遠く離れて航空決戦に寄与できなかった。


○ちなみに当時、敵であったニミッツ太平洋艦隊司令長官は戦後に出した著書の中で、「勝利は主として情報による。・・・日本軍は奇襲を試みようとして日本軍自体が奇襲された」と述べています。また日本軍が空母戦力を分散してアリューシャン作戦を行った事を批判し、その戦力分散が無ければ米艦隊が敗北していた可能性があると述べています。

○なお、アメリカ海軍公刊戦史を編纂したサミュエル・エリオット・モリソン少将はミッドウェー海戦について、日本の空母が最も脆弱な状態の時に、米爆撃隊が偶然に日本の空母を発見し攻撃できたという、幸運に恵まれた事から「100秒足らずの時間に起こった事実の相違で、日本軍はミッドウェイに勝ち、太平洋戦争にも勝利をおさめたかもしれない」と日本軍にも勝利の可能性が十分あったことを述べています。

○英国の著名な戦史家リデルハートはその著書で日本の敗因について、十分な数の索敵機を出さなかったこと、戦闘機の援護不足、空母の防火対策が不十分、空母での兵装転換時に敵に向かって航行したこと等、他にも色々指摘していますが、最後は「・・・これらの過失は自信過剰から生じたと言っても過言ではない」と述べており、日本軍の「自信過剰」を問題視しています。

○日本には防衛研修所戦史室 (現在の防衛省防衛研究所戦史部の前身)が編纂した「戦史叢書」という全102巻にも及ぶ太平洋戦争について書かれた公刊戦史がありまして、ミッドウェー海戦について書かれたものは、その第43巻が「ミッドウェー海戦」として出されています。
「戦史叢書ミッドウェー海戦」・・・市立や県立図書館でも置いてるところは結構あります。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E6%B5%B7%E6%88%A6-1971%E5%B9%B4-%E6%88%A6%E5%8F%B2%E5%8F%A2%E6%9...続きを読む

Q原爆・長崎・広島の被害者数は一体どれくらいなんでしょうか。

鳥インフルエンザ、新型(鳥)インフルエンザが流行してしまった場合、最悪の事態の予想を、新型インフルエンザ対策検討小委員会が明らかにしたという数値をみて、死者、患者共にその数の多さに驚きました。あくまで最悪の場合の予想とはいえ、ものすごい惨事であると思いました。そこで、生物兵器という言葉を思い出しました。兵器には核兵器もあると。そこで気になりました。原爆・長崎広島の被害者数はどれくらいなんでしょうか。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

広島は当時人口42万人、死者、行方不明合わせて
12万2338人、長崎は、人口24万人、
死者、行方不明合わせて7万3884人と言われています。

被爆後5年間の間に広島で20万人、長崎で14万人
です。

Qなぜ日本は第二次世界対戦に参戦したのか。

一応検索したのですが見つからなかったので質問させていただきます。
どうか教えてください。

タイトルの通り、なぜ日本は第二次世界対戦に参戦したのでしょうか。
その背景には五・一五事件や二・二六事件も関係していると聞いたことがあるのですが、どういうことでしょうか。
そもそも、日本は第一次世界大戦に参戦し、戦争はたくさんの人の命を奪うということが分かったはずなのに、どうして戦争を止められなかったのでしょうか。
レベルの低い質問で申し訳ございません。
よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

 歴史の流れによるものです。

 鎖国からの開国時、アジアの極東の一島国でその他大勢の国の一つであった日本は、日清・日露・韓国併合・第一次世界大戦と軍事・外交的成功を収め、欧米から列強の一つとして認められるまでになりました。

 ただ、列強トップのイギリス・アメリカとは大きく水をあけられており、イタリアやロシア革命の混乱を脱しはじめたソ連、第一次大戦の敗戦国ドイツなどと同列でした。

 しかし、多くの列強が国境を接ししのぎを削りあっているヨーロッパ・アメリカから最も遠い極東アジアには、列強の利権が最後まで未確定であった中国がありました。
 衰退した清朝の倒れた後の中国は、軍閥が群雄割拠する政治的に混乱した社会があり、中国と隣り合う日本はもっとも有利な地理的位置におり、中国の利権を手に入れれば一躍、アメリカ・イギリス(広大な植民地の中でも、インドという人口の多いアジアの重要地域を手に入れたことが、イギリスの繁栄の原動力でした。)と並ぶ列強トップになれるように見えました。

 第一次世界大戦の破壊からヨーロッパが回復するにつれ、世界の列強間の経済戦争が激化し、お互いの勢力圏から他国を締め出すブロック経済が進展、利権の確定していない中国が各国の経済戦争の主戦場となりました。
 
 経済戦争だけでは、国力のあるアメリカ・イギリスに勝てない日本は、その地の利を生かして軍事的に中国の利権を確保すればよいという考えが、軍内部に生まれました。

 皇道派(現場指揮官が多く、天皇に対する忠誠心など精神論を信奉。)と統制派(陸軍大学卒業者の参謀などが多く、論理を重視。)に分かれていた軍内部は、五・一五事件や二・二六事件によって、統制派がコントロールするようになり、暴力機関である軍の力を恐れた文官・政治家が増えたこともあり、軍内部で独自の政治的意図を持って行動する素地が生まれます。

 この時点で日本の選択肢は、日本がアメリカの覇権を認めるか(第二次大戦後、現在も続いている状況です。)、日本がアメリカと並び立つかという選択になりました。(当時、あめりかのGDPは日本の10倍と言われていました。)そして日本は日本がアメリカと並び立つ可能性にかけたわけです。
(ですから、日本とアメリカの間の戦争は侵略戦争ではありません。)

 日本がアメリカと並び立つには、その経済力の差を少しでも埋めなければなりませんが、その可能性は列強の権益の確定していない中国にしかありません。
 まともに正面から経済戦争をしたのでは、アメリカに勝てません。そこで軍事占領による市場・資源の確保を目指したのです。
(ですから、中国に対しては侵略戦争となります。)

 アメリカに対抗する以上、満州事変から日華事変(=支那事変・日中戦争)太平洋戦争と続くこととなりました。
 
<<個別エピソード>>
・満州事変と支那事変の開始
 戦前の日本の政治システムにおいては、日本軍は皇軍=天皇の軍隊として存在しており、内閣と軍(陸軍=参謀本部、海軍=海軍軍令部)は、天皇のもとで並立する立場でした。
 明治時代においては、明治維新の重鎮(政治家だが、明治維新では軍指揮官としても活動。)が生存しており、内閣・軍双方に対して強い影響力を持っており、天皇を補佐する枢密院のメンバーとして内閣と軍をコントロールし、日本の政治力の根源となっていました。
 昭和になると、この枢密院に軍・行政双方に強い力を持つ人物がいなくなり(政治体制が確立して年数がたったため、軍・行政いずれかの出身者となり、どちらにも強い発言力を持つ人物がいなくなったのです。)、軍事・行政を統括した視点で政治力を発揮出来なくなったのです。

 そのような状況の中で、政府・参謀本部ともに「満州では、極力事を構えない。」方針であった(=満州の軍閥、張学良の兵力は、日本軍の10倍あるといわれていた。)のに、満州派遣日本軍(=関東軍)の参謀であった石原莞爾・板垣征四郎が、この方針を無視して軍事行動を起こし、張学良軍を電撃作戦で圧倒、軍事作戦としては大成功をおさめました。参謀本部・日本政府ともに関東軍の軍事行動を追認し、満州国建国に至ったのです。ここまでは、石原莞爾の戦略通りの展開となったのです。

 その結果、石原は陸軍同期の中で最も早く大佐となり、陸軍内部で「軍参謀は中央の方針に反しても、作戦で戦果を挙げれば、出世する。」という認識が生まれることとなりました。

 石原莞爾は、満州を取って「日本・朝鮮・台湾・満州を日本の経済圏として開発することに専念すれば、アメリカに対抗できる。」との見方を持っており、そのための戦略は、『満州を勢力下に置いた後は、他国との軍事衝突は外交力を総動員して回避し、軍事費を抑え経済開発に専念する』というものでした。

ところが・・・・
Wikipedia抜粋 
 石原莞爾は、1937年の日中戦争開始時には参謀本部作戦部長となり、内蒙古での戦線拡大に作戦本部長として、中央の統制に服するよう説得に出かけたが、かえって現地参謀であった武藤章に「石原閣下が満州事変当時にされた行動を見習っている」と嘲笑される。戦線が泥沼化することを予見して不拡大方針を唱えたが、当時関東軍司令長官東條英機ら陸軍中枢と対立し、1937年9月には参謀本部から関東軍に左遷された。

 日中戦争を開始した中国派遣軍参謀を評して、石原は「鵜の真似をする烏」と言ったらしいが、過去の自分の行動が影響を与え、石原の戦略は崩壊することとなって行きます。

<<日米開戦>> 
 開戦直前に昭和天皇は「本当にアメリカと戦争して大丈夫か」とかなりしつこく聞いています。御前会議(天皇出席の会議)で昭和天皇は「発言する」と言い出して周囲を慌てさせています。当時、既に御前会議は形骸化していて「陛下、このようになります」という申し出に天皇がケチをつけるというのはありえないこととなっていたのです。会議において天皇自らが発言すること自体が異例となっていたのです。
 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3146246.html

 歴史の流れによるものです。

 鎖国からの開国時、アジアの極東の一島国でその他大勢の国の一つであった日本は、日清・日露・韓国併合・第一次世界大戦と軍事・外交的成功を収め、欧米から列強の一つとして認められるまでになりました。

 ただ、列強トップのイギリス・アメリカとは大きく水をあけられており、イタリアやロシア革命の混乱を脱しはじめたソ連、第一次大戦の敗戦国ドイツなどと同列でした。

 しかし、多くの列強が国境を接ししのぎを削りあっているヨーロッパ・アメリカから最も遠い極...続きを読む

Q第二次大戦中に現代の自衛隊を投入したら

くだらない質問ですが、気になったので書いてみます。

第二次世界大戦末期の1945年1月1日時点に、現在の最新鋭の自衛隊(航空・海上・陸上)の全戦力を日本本土に投入したら、日本軍は勝てるのでしょうか?兵器の生産設備などは投入しないものとします。

いくら最新鋭の戦力を持っていても核と資源がないのでアメリカが多大な犠牲を出しながらも勝つだろうという見方もできるし、当時の日本はインドネシアを占領していたので資源不足を克服し日本の勝利という考え方もあると思います。

Aベストアンサー

戦争に「絶対」は無いですから必ず勝てるとは言いませんが、面白い勝負にはなるでしょう。

近代軍では補給が重要な要素を占めるので、どれだけの弾薬や燃料、整備、補給品を保持しているかで、戦い方も変わってきます。自衛隊のそうした物資の正確な保有量が不明なので、推測するのは困難なのですが、とりあえず・・・

1945年1月の時点なら、できるかどうかは分かりませんが、まずは自衛隊の戦力を秘匿します。
2月の米軍による硫黄島攻略あたりで航空自衛隊の全力出撃です。
この次期、米艦隊は正規空母12隻、護衛空母17隻を含む大艦隊を出撃させてきており、このうちの正規空母12隻、護衛空母4隻が日本近海に現れ本土空襲を行っています。これを狙います。ちなみに、この当時の米艦隊の正規空母の数は14隻ですから全部撃沈できれば、後がかなり楽になります。
F2攻撃機、約80機を中心とする対艦ミサイル攻撃で、空母を撃破します。現代の対艦ミサイルを当時の米軍艦艇がそれほど迎撃できるとは思えないので、うまくいけばかなりの空母を撃破できるのではないかと・・・
また、B29への迎撃にもF15を出撃させます。最大で4発のミサイルを別々の目標に連続発射できるF15の戦闘力に、B29の部隊は大打撃を受けるのではないかと・・・
さらに海上自衛隊の潜水艦部隊によるハワイの真珠湾攻撃を行います。ハープーン対艦ミサイルは対地攻撃にも転用可能とという事なので、ハープーンで真珠湾の燃料施設や艦艇補修設備などに攻撃を行い、打撃を加えます。
要は自衛隊の進んでいる兵器を一挙に出して大打撃を加えるとともに、米軍にショックを与えます。
これでうまくいけば、アメリカは空母艦隊とB29の部隊とハワイの後方施設に大打撃を受け、直ぐには大きな作戦をできなくなるのではないかと思います。

その後は、まずシーレーンの確保です。九州から中国沿岸、そして台湾海峡を通ってシンガポールへの海上交通路の守備に海上自衛隊のP3C対潜哨戒機の部隊や、一部航空自衛隊の戦闘機部隊を派遣します。輸送船団には海上自衛隊の護衛艦隊も付けます。航空部隊の根拠地の設営は大変でしょうが、部隊が稼動すれば米潜水艦隊の脅威へ大きな力になると思います。日本の輸送船の撃沈された半数は、米潜水艦隊の通商破壊戦によるものだそうですが、当時の旧式な潜水艦なら現代の対潜哨戒機と護衛艦でかなりの確率で防ぎ、逆に戦果をあげられるのではないかと思います。
日本本土の防空は航空自衛隊の戦闘機とPAC3ミサイル部隊と、陸上自衛隊の高射特科団(改良ホーク地対空ミサイル部隊)が守ります。
攻撃には海上自衛隊の16隻の潜水艦部隊を使います。潜水艦隊で通商破壊戦を行います。第二次大戦末期のドイツで建造されたUボート21型は連合軍の対戦哨戒部隊にも察知されにくかったそうです。それよりさらに技術の発展している現代の潜水艦なら数は少なくとも大きな戦果を期待できると思います。
未だフィリピンの日本軍の抵抗は続いており、米陸軍20万人が投入されている時点で、米空母艦隊が大打撃を受け、さらに通商破壊戦を仕掛けられたら・・・米軍は楽勝とはいかなくなるでしょう。

米軍としてはこうした進んだ技術の兵器対策に苦慮する筈です。簡単には有効な対抗策は出てこないのではないかと思います。まずは打撃を受けた艦隊の再編と、戦略爆撃部隊の戦術の見直し、フィリピンへの海上補給路の守備を固め、真珠湾の設備の再建をしなければなりません。
建造中のエセックス級空母の建造を急いでも、半年以内に戦闘に参加させる事ができるのは5隻です。
大西洋から部隊を回す必要も出てくるかもしれません。

一方、自衛隊を除く日本の連合艦隊の状態はよくありません。
戦闘可能な空母は小型の鳳翔1隻ですし、戦艦は2隻、巡洋艦も数隻、駆逐艦も二十数隻というありさまです。
南方から資源が入ってきたら、まずは艦隊の増強が急務でしょう。まずは空母で建造途中の伊吹、天城や損傷状態の龍鳳、準鷹、葛城を戦闘可能な状態にしなければなりません。
他にも損傷を受けている戦闘艦艇があるので、大至急修理が必要です。
また、輸送艦の建造も急務です。1945年1月から終戦時までに約180隻の輸送船が建造されています。
しかし、同じ期間に実に700隻が沈められているのです。
まあ、自衛隊の参戦で、その数は減るでしょうが、しかし、1944年だけでも約970隻の輸送船が撃沈されています。
日本の造船所はとにかくフル稼働しなくてはならないでしょう。
また、航空機パイロットの育成や、戦闘機などの生産も必要でしょう。
時間は幾らあっても足りないくらいです。

こうした中で、日本の潜水艦隊がどれだけアメリカに打撃を加えられるかが重要だと思います。
そしてフィリピンの米軍を孤立させ、ハワイを孤立させる事ができれば、新たな展望が開けるかもしれません。
時間が立てば、連合艦隊の戦力もある程度は回復してきます。そうなれば、新たな作戦を立てる事も可能となるでしょう。

なお、そのうち満州にソ連軍が侵攻してくるでしょうが、これについては航空自衛隊の支援を受け、東満山地で持久戦を行えば、かなりの機間、持ち堪える事ができるのではないかと思います。

戦争に「絶対」は無いですから必ず勝てるとは言いませんが、面白い勝負にはなるでしょう。

近代軍では補給が重要な要素を占めるので、どれだけの弾薬や燃料、整備、補給品を保持しているかで、戦い方も変わってきます。自衛隊のそうした物資の正確な保有量が不明なので、推測するのは困難なのですが、とりあえず・・・

1945年1月の時点なら、できるかどうかは分かりませんが、まずは自衛隊の戦力を秘匿します。
2月の米軍による硫黄島攻略あたりで航空自衛隊の全力出撃です。
この次期、米艦隊は正規空母12隻、...続きを読む


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