太平洋戦争はやはり自衛戦争だったと最近確信するようになりました。


あらかじめお断りしておきますが、僕は歴史に関してはド素人です。初めは学校で習った通り日本は悪の帝国で侵略戦争を仕でかしたと普通に思ってました。


しかし、元はと言えば、アメリカが国際連盟設立時に人種差別を目論んだり、その後排日移民法を制定して日本に敵意を剥き出しにしたり、更に経済封鎖をしたりして日本を追い詰めていった事を考えると、完全にアメリカが仕掛けた戦争だったとしか思えなくなりました。


マッカーサーも戦後、米議会で「あれは日本の自衛戦争だった」と証言したくらいですから、議論の余地はないと思います。僕のこの結論に間違いはありませんか?

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A 回答 (16件中1~10件)

まず、個別の事例(人種差別や排日政策や敗戦やどちらから始めたか、避けられなかったのか)を否定しても、大東亜戦争が自衛戦争であったことの否定にはなりません。


(それらと全く関係がない自衛戦争であったという可能性もありえます。)

この問題では、↓のような意見がよくでますが、それらは今回の質問とは関係のない事だと思います。

避けられなかったか?という意見については、何故か同様にアメリカにも言っている意見を聞いたことがありません。(そういう意見の方は、相手がどのような横暴であっても、日本だけは可能な限り誠実に対応するのが当たり前だと思っているようです)

「勝てば官軍」とか嘯いている人は、国際法に無知であり戦争に言及する資格がないと思います。

自分と違うアメリカの行為への評価を「陰謀論」として、それを否定してみせることで対日政策自体を正当化する意見もよく見られますが、陰謀以前に中立国としての義務を逸脱している事を語った意見はないようです。
(事実にあからさまな嘘を混ぜることで、全てを嘘だと誤認させるのは詐欺師の常套手段です)


>僕のこの結論に間違いはありませんか?

質問者の「結論」と質問の焦点が「大東亜戦争は自衛の為の戦争だった」ということだとしたら、総論としてはそうだと思います。

しかし、「大東亜戦争は自衛の為の戦争だった」というのは、「日本は無罪である」と言うのと同じであるので、証明は不可能に近いと思います。(ヒント:悪魔の証明)
そもそも、「大東亜戦争は自衛の為の戦争だった」という主張自体が、連合国の「侵略戦争だった」という主張への反論です。

なので、自衛戦争であることの証明ではなく、(不可能ですし)侵略戦争であることを否定すればOKです。
そして、本来は「侵略戦争である」と主張する側がその証拠を出す義務があるのですが、この質問は立場が逆になっているので、よくある主張(他国の領内に行って戦闘をした=侵略である)について説明します。

私の考えは、
【当時は、日本軍の行為を侵略と断定できる国際法の条文はありません】
ということです。

この場合、侵略の定義(=どのような行為か)が問題になります。
私は、時代と人の数だけある正義感とやらでそれを考えたり、全てを知っている(と思っている)現代人の立場から、過去の暗中模索で苦悩していた当事者の行為を評価して愚かと嗤って、ごりっぱな人間 を気取る趣味はありません。

当時の国際法では侵略の定義は明確ではありませんでした。

侵略戦争が国際法で違法とされたのは、WW1後のパリ条約によるものですが、
その条約では加盟国の様々な事情で、侵略か否かの決定が

【当事国の裁量権に任せる】

となっており、これでは当事国が 「私は侵略をしました」 と言わない限り侵略にはなりません。

しかし、それでも侵略が違法となった以上、正当な戦争の条件である「自衛権」も問題になりましたが、
当時のアメリカは、↓のように言っています。

【この条約は自衛権を制限するものではなく、その内容と範囲は各国が判定できる】
【当事国が決定するものであり、その自衛の範囲は海外への軍隊の配備まで含む】

↑は、他国に軍隊を出して戦闘を行っても、侵略の十分条件にはならないということで、
侵略の定義など存在しないのと同じであり、事実上ザル法です。



当時の北東アジアの情勢ですが、
よく勘違いしている方がいますが、↓のような状態で当時の満州の領有権は確立していません。

日清戦争で日本は遼東半島を獲得しましたが、その後三国干渉によって返還させられています。
その後、ロシアは義和団事件に乗じて満州を占領したため、日露戦争がおこります。

日本は日露戦争の勝利により、ロシアから満州鉄道を譲り受け、旅順、大連の租借権を得ました。
同時に、これらの防衛や現地邦人保護のため、満州へ軍隊を置く権利も得ています。
(当時の満州は、清国の政策に拠って住人のいない空白地帯で、更にモンゴルの領有権は中国ソ連も主張しており、日本は国防上の理由から満州を放置できませんでした。)

↑のように日本は、南満州の特殊権益は国際的に認められていました。
アメリカも1917年の「石井・ランシング協定」により、これを認めています。

満州鉄道に関しては、行き違いからアメリカが経営に参加できず、それが反日の一因となっていることは事実ですが、その後の反日政策(中国への支援や資源の禁輸)自体は、後述するように戦争行為であり、それに対抗した日本の行為は自衛であると思います。

一方で、当時の中国は清が滅亡し複数の政権(馬賊や地方軍閥など)が争っている内乱状態で、彼等にはまともな行政・司法・警察等の能力は無く、国際条約の知識や理解も薄く、それらの遵守は期待できませんでした。(実際何度も一方的に破棄されています。)
当時の中国領には多くの国が投資しており、在中外国人(日本人も含む)も多かった為に、日本政府は彼等の保護を中国に要請してもいました。

中国の軍閥政権は大陸の日本領内にも侵入して、破壊活動やテロなどの挑発を行っており、現場の緊張は極限状態に達していました。
当然治安も悪く、テロも多発しており、日本人の大尉が中国兵に惨殺される事件も起きています。
これらの結果、現地の部隊が暴発し、独断行動による戦闘が発生してしまい、それが満州事変に発展します。

これを侵略とするなら、その原因となった中国軍の行為も侵略であるはずです。

満州の領土化は、以上のように国防上の為のものでありましたが、
同時に南満州鉄道を守る為でもありました。
満州事変以前の国境線のまま中国と接した場合、テロや破壊活動を阻止できませんでした。

その後、満州国は日本が治安を維持した為に各地から人口が流入し繁栄した為に、再びそれを狙った中国によるテロ活動が起りました。
日本軍は前回と同様、領土内で対応していましたが、そうすると彼らは中国内に逃げて、その後また侵入して同じ事を繰り返しました。
日本は中国奥地にある彼等の本拠地(南京、重慶)を叩かなければ、根本的な解決にならないと判断し、中国領内に攻めていきました。
これが日中戦争に発展します。

アメリカは、中国の市場を日本から奪う為に、日中戦争では国民党(蒋介石)を支援しました。
【義勇軍】という名目で兵士も派遣し、大陸で日本と戦闘もしています。

国際法では、この時点でアメリカは中立ではなく、日本と戦争状態にあると見做されます。
ということは、真珠湾以前から日米は戦争状態であり、(宣戦布告もなく)先に仕掛けたのはアメリカということになります。

「日中戦争」について日本が「戦争」としなかったという意見もあるようですが、どちらかが宣戦布告さえすれば「戦争」にはなります。
中国が宣戦布告しなかった理由ですが、
アメリカには「中立法」というものがあり、「戦争」になった場合アメリカの中国支援はこれに違反している事になるからです。
(「戦争」になったのは真珠湾攻撃の後(1941年12月9日)に中国から宣戦布告をしたからです)

中立法:戦争状態や重大な内乱状態にある外国に対して武器・弾薬類を輸出することを禁止するアメリカの法律。


その後のABCD包囲網とハルノートが日本に開戦を決意させました。

この経済制裁についても、東京裁判で日本の弁護についたローガン弁護人が↓のように言っています。

【自衛権は経済封鎖にまで及ぶ。一国の生存に必要な物資を奪う行為は、国民の士気・福祉の破壊を目的としている分、武力による殺人以上に激烈な 戦争行為 といえる。】


以上から、人種差別や排日政策などとは関係なく、
日中戦争の原因が中国のテロ(侵略)であり、
大東亜戦争の原因が日中戦争への、アメリカやその他の連合国の介入に対するものである以上、日本の戦争は侵略目的のものではないと思います。


日本がアジア諸国を植民地にしようとしたという意見もありますが、そう言っている人が根拠を出したのを見たことがありません。
そのアジア諸国ですが、「アレは侵略ではない」という認識から連合国が認めた賠償請求権を放棄してくれています。(しかし、日本はそれに対しても「準賠償」という名目で経済援助をしています)

【日本が支払った戦争賠償金】(動画)


戦中に開かれた「大東亜会議」では、アジア諸国の独立を認めています。(動画も参照)
(日本は占領後のフィリピンを「フィリピン共和国」として独立させています)

http://www.youtube.com/watch?v=LgmCsWEq_bk
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この回答へのお礼

詳しい回答ありがとうございました。長かったですが、大変参考になりました。勉強になることばかりでした。

お礼日時:2013/11/26 16:34

<マッカーサーも戦後、米議会で「あれは日本の自衛戦争だった」と証言したくらいですから、議論の余地はないと思います。



 アメリカでは、裁判・ディベートなど意見集約の技術が一般化しており、マッカーサーは、「日本弁護側」・「日本の開戦理由は正当である」という発言をする役割を持って、議会証言を行いました。
 
 当時のアメリカ議会では、各議員の選挙区で多数の戦死者が出ており、議院は遺族の声に耳を傾ける立場であり、「どのような戦争であったのかという総括」を議会でする際には、「日本の立場から見た戦争像」も吟味しないと、アメリカ側の意見だけになってしまって、「戦争の全体像」が掴めなくなってしまう状況でした。

 従って、日本軍事統治の責任者で、日本の状況が一番わかっていると思われるマッカーサーが「日本側に立った見方」から証言をしたわけです。
 もっとも、事実上の責任放棄を行って、「弁護側として反論はない」・「正当な開戦理由はない」と証言する可能性もあったわけですが。


 簡単に言えば、
 多くの人が集まって
「追い込まれたとはいえ、あいつは話し合いの途中で切れて、殴りかかるという間違ったことをした。」と言っているときに
「あいつの立場なら、切れてしまうということも、それなりの理由がある。」と庇ってくれた人が居たという形です。
 それに対して、
「切羽詰まっていたとはいえ、切れてしまって、ご迷惑をおかけしました。」
 と頭を下げたわけです。

 後になって、子供が生まれ、
「親父は、切れて殴りかかったが、それは間違っていない。」
「庇ってくれる人がいるから正しい」と言っているような状況でしょうか。


<参考>
『学校で習った通り日本は悪の帝国で侵略戦争を仕でかしたと普通に思ってました。』
 日本が悪の帝国だというような誤った授業をしている学校があるのですか?
 そのような授業を本当にしている先生がいるなら、首ですね。

『完全にアメリカが仕掛けた戦争だった』
 歴史にのめり込んで、主観的に見ている気がします。
 当時の日本やアメリカ・ヨーロッパ列強・中国それぞれと距離を置いて、大きく世界的に客観的に眺めてみてください。

※歴史を大きく見ると・・・
 巨大経済市場「中国」の支配権をめぐって、経済大国アメリカと新興経済発展国日本との駆け引きが見えてきます。
 その駆け引きにおいて、日本政府が、中国大陸の軍をコントロール出来ていない(内閣総理大臣には、軍の指揮権限がない。)悪影響が現れます。


<余談>
 第2次世界大戦時、イギリスの首相チャーチルは、「戦争は武力を用いた外交であり、外交は武力を用いない戦争である。」と言っています。
 ですから、外国と交渉する場合、政府は軍と外交を共にコントロール下に置かないと交渉の実が上がりません。
 しかし、戦前の日本の政治組織においては、軍事権は内閣総理大臣の権限外でした。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。なるほど、マッカーサーの証言にはそのような背景があったのですか。勉強になりました。

お礼日時:2013/11/28 16:54

 自爆戦争と言うのが正しいかと思います。



 アメリカは、開戦すれば敗北必至の日本が、外交的に屈服すると見ていたでしょう。
 日本は、屈服する代わりに自爆戦争を開始しました。

 戦争に至るまでの経緯を見れば、
 アメリカの対日石油禁輸が続けば、インドネシアの石油が手に入らない限り、対中戦争継続が難しくなり、最終的に対中戦争敗北に至ることが確実視される状態でした。
(当時の日本産業のエネルギー源は石炭でした。日本の石油の消費の50%は、軍による消費でした。)

 石油備蓄が減っていくので、1942年1月以降では、対米開戦能力が維持できなくなると見積もられ、「1941年12月が対米開戦開始」が軍事的タイムリミットとして決定されました。
 本来、軍事的タイムリミットは政治的判断条件でしかありませんが、政治的開戦決断の希薄なまま、開戦に至りました。

<詳細>
 当時、日本の国力(生産力)はアメリカの10分の1と言われており、その上、1937年に始まった中国との戦いが泥沼化し、若手労働力を兵士として送り出したことと、長期に軍需産業に偏った資本消費によって、国内生産力は停滞し始めました。(戦前の日本の生産力のピークは1937年。)
 更に、1938年には国家総動員法・1940年には食料の配給制が国内で始まります。
(満州事変当時の日本軍兵力は45万、対米開戦時は190万)

 アメリカとの戦い(1941年12月開戦)を始める以前に、中国との泥沼の戦争で、国力の大きな消耗が起き、顕著に国民生活を圧迫しているのです。

 従って、日本はアメリカ相手に戦争出来るような経済状態からはほど遠く、更に、軍事上最も避けるべき二正面作戦を中国とアメリカ相手に行い、敗戦必至の選択をするはずがないという、常識的なアメリカ人の軍事的発想がありました。

 日本政府・陸海軍の認識も、アメリカと同じで、日本の敗戦は必至というものでした。


※この『敗戦は必至』と言う状況を変えるわずかな可能性を引き出すために、日本は『人間的常識を捨てる。』と決めて、「国民の命は戦争に勝つための道具として使う」という選択を行い、日本古来の美意識を捨てて、なりふり構わない戦いに突入し、汚名を着たわけです。


 自国民の命や人権を戦争遂行の道具として使いながら、敵対する国の国民の命や人権は、きちんと守って戦争遂行の道具として使わないでいることは、極めて困難で、事実上不可能な状況も起こります。
(前線への食糧供給が出来ず、日本軍兵士が栄養失調になる状態で、捕虜にきちんと食事を与えることが可能か?など)
 ですから、アメリカの常識では降伏するはずなのに、日本軍は生存を無視して降伏せず、戦いを続けたのです。


<参考>
 長期間に渡る軍事作戦は、その国の経済・社会を大きく変えてしまいます。
1、人口3億人で第二次世界大戦当時よりはるかに国力が大きくなった現在のアメリカが、イラク・アフガニスタンで長期戦(全面戦争ではない)をやっただけで、経済システムが破綻しかけて、リーマンショックに至りました。

2、ソ連崩壊も、長期的には社会主義の限界による経済の伸びなやみと言えますが、短期的・直接的な原因は、アフガニスタンに10年間出兵して戦闘を続けたことによって、経済が疲弊し、前線に軍需物資が滞る事態が発生するようになり、軍がソ連政府を見放す決定をした結果です。


<参考>
・第一次世界大戦時の日本の戦時捕虜管理の実態
 日本は、短期の戦闘を行うだけで済み、敗者をいたわる武士道精神を基礎に、紳士的な扱いをした。

 第一次世界大戦では、中国で捕虜としたドイツ・オーストラリア兵を、長期に渡って捕虜収容所に収容しましたが、人権問題はほとんど起きず、捕虜となったドイツ人が、戦後に捕虜生活から解放された時、日本に帰化するというケースもありました。

 青野ヶ原俘虜収容所
http://www.city.kasai.hyogo.jp/02kank/08sisi/hur …


 坂東俘虜収容所
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BF%E6%9D%B1% …
 
 捕虜でも遠足があり、給料が支給され、お酒も購入できた。捕虜に市価よりも高額に物を売り付けた日本人業者が、処罰された例もあるそうです。


 岡村寧次大将資料によれば
http://www.geocities.jp/yu77799/okamura.html

 嘗て聞いたところによれば、北京附近の中国古老は、団匪事変のとき、欧米各国兵が掠奪強姦の限りを尽くしたのに、ただ独り日本兵のみが、軍、風紀森厳にして寸毫も冒すことなかったことを回想し、どうして今の日本兵がかくも変わったのかと痛嘆したという。

 注:団匪事変=義和団事件(1900年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E5%92%8C% …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。当時の首脳も勝ち目がない戦争だという事は当然分かっていたと思います。だからこそ、とてつもない苦悩があったのだと思います。

お礼日時:2013/11/28 13:13

自衛というより自慰に近い。


勝ち目のない戦争で、自国民の命を大量に浪費したんだから。愚か者がノリでやらかしただけやな。

そして、結果的には自衛できていない。自衛のためならば、特攻なんかやらない。
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この回答へのお礼

特攻だけは美化できないと僕も思います。

お礼日時:2013/11/28 13:22

No.8で回答した者ですが・・・気になった点があったので追加で回答します。




>でも、現在「正史」として認められていない説を何でもかんでも「デタラメな陰謀論」と切って捨てることまではできないと思います。

 私は正史以外の説をすべて陰謀論で片付けるつもりはありませんし、それらをむやみに陰謀論と断じてもいません。
 例えば欧米では第二次大戦の全ての責任をヒトラー個人に帰結させる傾向があり、それが欧米では「正史」となっています。しかし、私はヒトラーがいなくても第二次大戦は史実と同様に生起したと思いますし、そうした説を支持しています。
 また、ルーズベルトが米国を戦争へと導いたとする説は正しいと思います。ただし、それはアメリカが日本を攻撃するために様々な陰謀をめぐらしたという類の、あなたの質問文にあるような説とは明確に異なります。少なくとも、米国は国家戦略として・・・一貫した国家の統一意思として日本への侵略を意図したことはありません。
 たしかに日本は米国にとって太平洋方面における最大の仮想敵国であったので、当然戦争計画自体はありましたし、米海軍の軍備計画は日本海軍を明確に意識しています。
 しかし、これはどこの国でも同じことです。日露戦争後の日本海軍の最大の仮想敵国は米国であり、その軍備計画は常に米海軍との軍事衝突を念頭に練られています。でもそれは、それが即「日本帝国には米国への侵略の意図があった」という証拠になるようなものではありません。
 戦争計画があったとしても、それが仮想敵国への侵略の意図を意味するものではないように、いくつかの無関係な史実や物証が、さも「侵略の意図があった」という主張を裏付けるために利用されているにすぎません。
 日本に対してそうした工作がなされたように、「米国によって仕掛けられた戦争」という主張を補強するために無関係な証拠が都合よく利用されている事例は極めて多いのです。

 あなたの質問文に掲示された根拠もそうしたものです。すべての物事は「こう見よう」という意識が働いている時にはそのように見えてしまうものなのです。
 それにあなたは自分の主張に反する主張の根拠となりうる要素・事例等についてまともに調べることすらしていませんね?そもそも米国が何を目的に「日本に戦争を仕掛けた」のか考えてみましたか?それは立証可能な根拠を伴うような動機ですか?
 提示された主張は、そしてその根拠は、いちいち確認しなければ本当にその主張は正しいのかどうかは判断できるものではありませんし、判断してはいけません。この点、あなたは明らかに調査不足・勉強不足です。


 また、ほとんどの戦争について「自衛戦争だった」と主張することは容易にできます。ナチスドイツによる戦争も、ソ連による冬戦争や対日侵攻も、米国によるグラナダ侵攻やパナマへの軍事介入も「自衛だった」と主張することは可能なのです。というより、「自衛」という要素を含まない戦争など無いのです。
 そもそも安倍首相が発言したように「侵略」という言葉は明確に定義されていません。いわんや「自衛戦争」をどう定義づけ、どう区別するのか?国際的な判断基準など存在していません。
 「自衛戦争だった」と主張することは容易ですが、それが正しいかどうかは全く別問題なのです。


 戦争とは、自国の都合を相手国に押し付けることを目的とする軍事行動であり、外交の一手段にすぎません。そして「自分の都合を他者に押し付ける」という行為は、すなわちあらゆる「悪」の根源を成す要素(というより「悪」の本質)です。なので、戦争という行為そのもの、そしてそれを行う者は決して「悪」という評価を免れ得ません。戦争における正義とは、そうした本質的悪を正当化する(もっと言うなら「ごまかす」)ための道具にすぎないのです。だから、戦争を行う国は、国民に戦争をさせようとする政治家たちは、国民の目を「悪」に向けさせないために誰よりも多くの「正義」を必要とします。より多くの、より巨大な「悪」を働く国ほど巨大な「正義」を必要とします。
 世界一の超大国である米国がそうであるように、今やたらと周辺国への影響力を強めようとしている中国がそうであるように、パレスチナの植民地化を進めるイスラエルがそうであるように、大東亜共栄圏樹立を叫んだ日本帝国がそうであったように。

 歴史の専門家たちですら結論を出せずに(個人の見解としての結論は出しても統一見解としての結論は出ていない)議論と研究を繰り返している第二次世界大戦の顛末について、調査も勉強も明らかに不足しているあなたが「議論の余地はない」などと言うのはお笑い草にしかなりません。そうまでして主張する「正義」は、他者に押し付けたいあなたの都合は、一体全体だれのための、何のための、どんな都合ですか?そんなに誤魔化したい「悪」は何ですか?一度、歴史をではなく、歴史について何事かを主張しようとしている自分自身を客観的に分析してみるべきです。これは歴史を客観的に評価するために必要なことですから必ずやってください(私も資料や書籍に接するときは必ずそうするように努力しています)。
 あなたがロクに勉強もしないで出した結論について「間違いはありませんか?」というのがあなたの質問ですから、最後に今一度明確に誤解のないようにお答えしておきましょう。

 間違いだらけです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。大変参考になりました。虚心坦懐に歴史と向き合う姿勢を肝に命じていきたいと思います。父祖の名誉を守るのは人間として当然ではないかという気持ちから、質問文のような独断的な表現になってしまいました。ご意見ありがとうございました。

お礼日時:2013/11/27 12:44

まぁ自衛っちゃ自衛だけど


アジアを欧米の植民地から開放するための聖戦ですね
東南アジア諸国は戦後 日本のおかげで独立できた と感謝しています
恩を仇で返しているのが韓国と中国ですがね
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。ご意見は参考になりました。そういう見方もできると思います。

お礼日時:2013/11/26 16:38

大平洋戦争って米の呼称ね、日本の正式呼称は大東亜戦争ですよ、授業で大平洋使ってたら日教組等と教科書検定が操作してる事に成りますね、この呼び名は外せませんから。



米軍とは主に太平洋上の島々.大洋上の戦闘ですが日本陸軍の戦場は主に東南アジアが主戦場ですからで幸か不幸か周辺の殆ど植民地解放のキッカケ作りましたからこれが搾取で良い思いしてた欧米は当然気に食わないです拠徳権益がゼロに成ってしまったんですから蘭なんてインドネシアでどれだけ良い思いして来たかそれを日本軍が叩き出すわけですから350年も搾取して来てたのがゼロで今は西欧の小国に逆戻りでクヤシクテ如何しようも無いと推測します等他の国々も似た様なものです、で飛び火してアフリカ植民地の独立機運にも成ったですしで殆ど植民地が消えてしまいました、日本軍が油と戦略物資に取りに行った副産物として。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。ご意見は参考になりました。

お礼日時:2013/11/26 16:36

戦争に至った事情については、やむを得ない状況だったのかもしれません。



ただ、「やむを得ない」ということと「自衛」だったということはイコールではないと思いますが…。
「自衛」だとしても、結局は敗戦…ですので、自衛できていないですしね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。確かに、完全にイコールとまでは言えないと思います。

お礼日時:2013/11/26 16:20

 アメリカが仕掛けた・・・と断言している時点であなたは勉強が全然足りてません。



 アメリカが仕掛けたという見方はすることもできますし、そういう説はたしかにあります。しかし、それは一つの説であって、それがすべてというわけではありません。アメリカが仕掛けた・・・というだけでは説明のしきれないことが多々あります。
 これは「○○が仕掛けた」の○○をどの国に置き換えても同じことが言えます。

>アメリカが国際連盟設立時に人種差別を目論んだ

 これは当時有力な列強諸国が日本を除きすべて白人国家であり、彼らにとっては疑問の余地のない常識的な考えを反映したもので日本を攻撃するための方策と考えるのは無理があります。


>排日移民法を制定して日本に敵意を剥き出しに・・

 日本人移民が増えすぎたことによって生起した米国内の社会問題への対応であり、それは日本という国に対しての攻撃とみなすことはやはり無理があります。


>経済封鎖をしたりして日本を追い詰めていった

 日中戦争に対する対応であって、これは日中戦争が生起する前から米国は「もし戦争をしている国があれば自分たちはこう対応する」と事前に宣言していた通りに行動していたにすぎません。(日本が「日中戦争」と現在呼ばれている状況を「戦争ではなくて事件である」と強弁していた理由を調べてみればすぐに確認できることです)
 これは米国が意図して行動していたというよりは、中国によるプロパガンダによって米政府(米国世論)がそのような行動をおこすようになっていったという方が自然です。


 第一、「元はと言えば・・・」を言い出すなら国際連盟設立は全然「元」ではありません。
 第一次大戦への日本参戦は、当時同盟国だった英国にさえ日本の野心に対する警戒心を抱かせるものでした。
 また、日露戦争の講和に仲立ちをした米国に対して、米国が期待していた満州権益の分け前を日本が独占し、あまつさえ賠償金0に怒った日本国民による在日米領事館襲撃という常識的にありえない逆恨み(というより八つ当たり)は、当時の国際常識から考えても今の常識から考えても、諸外国に日本を危険視させるには十分な出来事です。

 国際政治や戦争といった国際情勢は、一国の意思によって動くわけではありません。複数の国の利害関係や歴史的感情が複雑に入り組んで流動的に変化していくものであり、当事者たちは予想や対応はできても制御することができるわけではありせん。
 たとえそれが世界最強の超大国であったとしてもです。

 基本的に「○○の陰謀」という類の話は、ある程度の知識のある人が「そんな馬鹿な」と言って楽しむためにあるものです。十分な知識のある人はその手の話を楽しみはしても本気で信じたりはしません。どれだけのエピソードをこじつけて、どれだけ面白くするか・・・が陰謀論の醍醐味です。ツッコミどころをわざと残すのも楽しみどころの一つです。トンマが真に受けて騙される様を眺めるのは最大の笑いどころです。
 ですが、あまりにも同じネタに引っかかる人が長く出続けると、マンネリ化した芸能人のネタのように飽き飽きとしてきます。
 ネタを提供している人の中には、それで飯を食っている人もいるのでネタはどれだけ古かろうが飽きられようが、騙されるトンマが居る限りずっと出続けます。

 太平洋戦争は欧州の対独戦に参戦するためにアメリカが仕掛けた。日本の暗号は全て解読されていて日本の通信は全て筒抜けになっていたのに日本はそのことに気づいてもいなかった。ルーズベルトは日本に最初の攻撃させるためにハル・ノートを突きつけた。ルーズベルトは真珠湾攻撃を事前に知っていた。チャーチルは暗号の秘密を守るためにドイツ軍の空襲をわざと成功させた。スターリンはドイツ軍の対ソ侵攻を知っていた。アメリカはゼロ戦に対抗するためにゼロ戦を分析してF6Fヘルキャットを作り出した。フェルディナンド・ポルシェは戦車兵である息子を殺されたので超重戦車マウスを作り上げた。日本の戦艦大和に対抗するためにアイオワ級戦艦を作った。その他ナチスの秘密兵器にまつわる多くの話。未完成で終戦を迎えた日本の高性能な新兵器・・・みんな、典型的な「作り話」です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。戦争や国際情勢は様々な国の利害と思惑が交錯しているため、一国で制御できるものではないという御意見は僕も正しいと思います。

でも、現在「正史」として認められていない説を何でもかんでも「デタラメな陰謀論」と切って捨てることまではできないと思います。

お礼日時:2013/11/26 16:19

>太平洋戦争はやはり自衛戦争だったと最近確信するようになりました。



そういう見方も出来ると私も思いますが、日本人としてその見方にバイアスがかかっては居ないかという気分は依然あります。大事なことは、その時代の気分としてどうだったのか?避ける選択肢はまったくなかったのか?ということでしょう。時代と国民の気分がその方向に動いていれば、戦争は国益の如何に関わらず、成り行きとして起る場合があるという実例かもしれません(中枢が勝てないと分かっていても起った(踏み切った)のですから)。まあ、なんとかなるという楽観論だったのでしょうが。
今の状況と比較するのも興味がありますよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。ご意見はもっともであり大変参考になりました。国益に結びつかないにも拘わらず、時代の空気と国民の気分に流されて止められなくなってしまう政策とか、まさに今現代にもありますよね。

お礼日時:2013/11/26 16:06

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Aベストアンサー

thisaway さんの言わんとするところは正鵠を得ていると、私も思いますよ。
なぜなら、米国と戦争すれば、日本の自存自衛もあり得なかったからです。実際に1941年夏(真珠湾攻撃前)、日本の若手エリートを結集した「総力戦研究所」(内閣直属の機関)は、「日本必敗、(米国と)戦うべからず」という秘密報告書を出しています。日米の国力差を冷静に考えれば、当時の日本人にとっても明らかでした。
つまり、「自存自衛のため」と称して真珠湾攻撃に踏み切ったのは、自己矛盾にほかならないということです。「やってみなければ分からない」と言ってる場合ではありません。

従って、thisaway さんのおっしゃるように、ハルノートを突きつけられる前に、日本は対外政策を転換するべきでした。「歴史に if はない」とは言いますが、「欧米からの数々の警告を無視しつづけ」、事態がハルノート(日本にとって飲めない条件)に至った後では、遅かったのです。

「自衛戦争か、侵略戦争か」がクリティカルな(決定的な)意味を持つ理由は、第二次大戦当時、すでに(自衛戦争以外の)戦争は違法だったからです。
不戦条約(戦争放棄に関する条約。1928年パリで調印、日本も参加)により、戦争は非合法化されました。同条約と国際連盟規約(1919年締結)により、従来の戦争観(戦争は国家の権利、宣戦布告すれば戦争するのは自由)は制限を受けるようになりました(なお、同条約は期限の定めがなく、今日も効力を有しており、約60の国が当事国となっている)。
しかし、その後の歴史を見るまでもなく、この条約の実効性は疑わしいものでした。条約参加国の多くが自衛戦争の権利を留保したし、違反に対する制裁規定もなかったからです。いわば同条約は「ザル法」でしたが、それでも、それ以後戦争をする国は、周到に「自衛戦争」を自称するのが常でした。

つまり、「すべての戦争は当事国にとって自衛戦争」という、詭弁競争の状況になったのです。そういう経緯がありますから、「日中戦争も日米戦争も、日本にとって自衛戦争」と主張するような輩(やから)と、議論しても無駄でしょう。ややこしいことを言えば、侵略戦争の中にも自衛戦争の要素はありますし。
それよりも、次の冷徹な認識が重要です。
「米国と戦争すれば日本必敗。日本の自存自衛は図れない。つまり、米国相手の自衛戦争はあり得なかった。そこまで追い込まれる前に、対外政策を転換しなければならなかった」

ただし、この論理だけでは、日中戦争を自衛戦争と言い募る余地が残ってしまいます。もちろん私は、中国に対する侵略だったと思っていますが、いまだに反省しない連中と論争するまでもなく、「自存自衛を不可能にしていく自衛戦争は、自己矛盾。日中戦争も日米戦争もそうだった」と述べておきます。


【マッカーサーの上院証言について】
マッカーサー証言をコピペ(コピー&ペースト)しても、その意味が分かってない人がいるようです(No.1回答でしょうか)。どんな質問に対する証言だったのか、確認しておこうとは思わないんでしょうか? 長文ですが引用します。

対訳 マッカーサー証言(1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会)
http://www.chukai.ne.jp/~masago/macar.html
(ヒッケンルーパー上院議員)
5番目の質問です。赤色中国に関する海と空からの封鎖という貴官の提案は、太平洋において米国が日本に勝利を収めた際の戦略と同じではありませんか。
(マッカーサー将軍)
そうです。
太平洋では、米国は日本を迂回しました。そして閉じ込めたのです。
日本が抱える八千万人に近い膨大な人口は、四つの島に詰め込まれていたということをご理解いただく必要があります。そのおよそ半分は農業人口であり、残りの半分は工業に従事していました。潜在的に、日本における予備労働力は、量的にも質的にも、私が知る限りどこにも劣らぬ優れたものです。いつの頃からか、彼らは、労働の尊厳と称すべきものを発見しました。つまり、人間は、何もしないでいるときよりも、働いて何かを作っているときの方が幸せだということを発見したのです。
このように膨大な労働能力が存在するということは、彼らには、何か働くための対象が必要なことを意味しました。彼らは、工場を建設し、労働力を抱えていましたが、基本資材を保有していませんでした。日本には、蚕を除いては、国産の資源はほとんど何もありません。彼らには、綿が無く、羊毛が無く、石油製品が無く、スズが無く、ゴムが無く、その他にも多くの資源が欠乏しています。それらすべてのものは、アジア海域に存在していたのです。
これらの供給が断たれた場合には、日本では、一千万人から一千二百万人の失業者が生まれるという恐怖感がありました。
Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.
したがって、彼らが戦争を始めた目的は、主として安全保障上の必要に迫られてのことだったのです。
(引用終り)

長々とコピペしました。
マッカーサーがこの証言を行った1951年5月は、朝鮮戦争で「中国に原爆を落とせ」と主張し、トルーマンに解任された後のことです。
ヒッケンルーパー上院議員の質問と照らし合わせ、マッカーサーの代弁を勝手にしてみると、次のようになるでしょう。

「中共を封鎖しろ。太平洋戦争前に日本を経済封鎖したように。あの戦略は成功だった。封鎖された日本は、自らの security の必要に迫られ、戦争に打って出た。そこを我々が撃滅したのだ。(中国と日本は資源の有無など状況が異なるにせよ、)中共を封鎖せよ。奴らは(ジリ貧に陥るか、)勝てない戦争に打って出てくるだろう。(日本と同じ罠にはめろ)」

マッカーサーは、一見日本に同情しているようで、実は日本を見下しているんですよ。分かりきった話です。
鬼畜米英が合言葉だった日本人は、敗戦後、掌を返すように占領軍(進駐軍)に擦り寄り、おべっかを使いました。マッカーサー宛に、おびただしい日本語のファンレターが届いたそうです。
そのギブミーチョコレート根性が、いまだに抜けないんでしょうね。「あの元帥様が、自衛戦争と認めてくださった!」と、虫のいい解釈に浸っているわけですか?
麾下の将兵を幾千万と殺されつつ、容赦なき大戦を戦い抜いた闘将マッカーサーが、いくら御役御免になった後でも、「日本が行った戦争は侵略戦争ではなく自衛戦争」と認めるはずがありませんよ。そういう、まともな解釈力が働かないんでしょうか。

付け加えておくと、このマッカーサー証言を「発掘」して世に喧伝したのは、田中正明、渡部昇一、小堀桂一郎という、お決まりの怪紳士の面々です。
http://members.jcom.home.ne.jp/t-masami/zakki-02-7-12/hp-02-08-20.html
> この話は昭和47年発行の『日本無罪論』で田中正明先生が
> 言ってられたのですが、聞くと、原典と突き合せてないということで、
> 渡部昇一さんと話合って原典を突き止めることになり、ニューヨーク・
> タイムズに記事が出ていることが窺え、そこで現物を学生に
> 探してもらうと見付かりました。
> 東京裁判を開くための条例を制定した最高責任者マッカーサー自身が
>「侵略戦争でなく自衛戦争だった」と証言です。どんどん使って
> 宣伝しようと渡部さんと喜び合ったものです。

thisaway さんの言わんとするところは正鵠を得ていると、私も思いますよ。
なぜなら、米国と戦争すれば、日本の自存自衛もあり得なかったからです。実際に1941年夏(真珠湾攻撃前)、日本の若手エリートを結集した「総力戦研究所」(内閣直属の機関)は、「日本必敗、(米国と)戦うべからず」という秘密報告書を出しています。日米の国力差を冷静に考えれば、当時の日本人にとっても明らかでした。
つまり、「自存自衛のため」と称して真珠湾攻撃に踏み切ったのは、自己矛盾にほかならないということです。...続きを読む

Q太平洋戦争でのフィリピンにおける戦死者

最近太平洋戦争での日本兵・軍属の戦死者がほぼ50万人と、中国本土での戦死者45万人と較べても突出して多いことを知りました。 なぜ、フィリピンでこれほど多くの日本兵が亡くなったのでしょうか? 南方での戦死者は、戦闘による死者よりも、病死・餓死が圧倒的に多かったと言う話は聞いたことがありますが、実際50万人も戦死した原因は何か教えてください。

Aベストアンサー

アメリカ軍の進攻の軍事上の価値が高い地域だからです。しらみつぶしに攻撃したわけではありません。
 グアム、サイパンでは、アメリカはグアムは必要とせずグアムの死者が少ないのに、サイパンを必要としたのでサイパンでは多数の日本兵の死者がでています。
「バンザイクリフ」にいってきましたが、崖から飛び降りたのはどんな思いだったのかと暗然たる気持ちになりました。
 南硫黄島では、爆撃と艦砲射撃で守備隊は全滅しています。

Q太平洋戦争中、戦争後、日本中飢餓状態だったそうです。

太平洋戦争中、戦争後、日本中飢餓状態だったそうです。
ふと、当時奈良の鹿は大丈夫だったんでしょうか?飢えた人々によって食べられた事はなかったんでしょうか?犬でさえ食べられたらしいのに?

Aベストアンサー

当然食料になっていましたよ。敗戦濃厚となって日本の神々の権威も地に落ちていましたから、春日大社より胃袋ですよ。現在は1200頭近くいますが、敗戦当時は79頭まで減っていたそうです。もっとも春日山とか奈良公園周辺の山へ逃げたものも多数いたと思いますが。鹿を殺すと重罪になったのは江戸時代の話です。
http://www.kasuga-hotel.co.jp/event/shika/shika.htm

参考URL:http://www.kasuga-hotel.co.jp/event/shika/shika.htm

Q第2次世界大戦のソ連の戦死者が多い理由は?

先日、池上彰さんのテレビ番組で「第2次世界大戦のソ連の戦死者は2000万人を超えている」「その恐怖からスターリンは、隣国を共産国にした」ということを知りました。

日本の太平洋戦争での戦死者は300万人くらいと聞いてますが、日本の戦死者と単純に比較できるのかどうかわからないのですが、日本の7倍の戦死者の数には、とても驚きました。

第2次世界大戦のソ連の戦死者が多い理由をお教えいただけましたら助かります。

よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

まあ、漫談です。

ソヴィエト軍はバルバロッサ作戦当初にその主体が壊滅したので、1941年のタイフーン作戦を乗り切って以降の部隊が、みな新兵、という特徴がありました。
また旧式の機械装備も壊滅したので、結果的に機械装備が新式のものにいれかわりました。
T-34は名高い戦車ですが、他につかえる戦車が当初はなくなってしまっていたから使った、というのが実態です。
最新装備と新兵がまぜこぜになった軍隊が、モスクワ正面の戦いを乗り切った、1942年当初のソ連軍でありました。

もちろん精鋭であり戦略予備といえるシベリアの部隊はありましたが、ノモンハンのときに日本の帝国陸軍と正面衝突を初めてして大損害をうけた経験から、軽々しく欧州戦線に移動させるつもりに、ソ連軍指導部はなれなかったのです。
そのノモンハンのソ連軍総司令官が、スターリン直々に任じられたジューコフでした。

ジューコフは、

1 ソ連軍は弱い

2 だから勝つためには、敵より多くの兵器と兵士を前線に惜しみなく投入し、その重みで押しつぶすしかない

3 だから、兵士も戦車も大砲も、とにかく数をあつめる

ということを、理解していたので、必要なだけの兵力を敵がつぶれるまで投入しました。当然ながら自分より強い相手を数でつぶすのですから、犠牲はふえます。
さらに、この考えをスターリンも支持したので、党、治安組織、軍事思考、動員体制、といったソ連という国家の戦争体制そのものが、勝てるまで人命も装備も前線に突っ込むように構築され、上から下まで人命軽視というより、人命より目的達成、のドクトリンが徹底しました。目的達成が勝利なら、なおよし、です。

そのような体制のもとで運用されたソ連軍の基本的ドクトリンは、

最低でも幅50kmの線に分厚く、最低でも敵の3倍、普通なら5倍、理想は7倍の二陣の部隊を結集させ、

まず砲撃と航空攻撃だけで相手の6割に損害をあたえ、

そして第一陣が弱った敵に突っ込みその第一陣が自分の損害を省みず敵をなぐるだけなぐったら、

味方第一陣の残骸を乗り越えて無傷の第二陣が第一陣と戦ってボロボロになった敵を蹂躙する、というものでした。

装備は更新されたし、戦車・武器も疎開した工場と米英のレンドリースでそろえてはいるが、兵士の教育が低い軍隊にむずかしいことはあまりできません。字の読めない兵士が珍しくないどころか、ロシア語がわからない兵士も珍しくありません。
なので、時には下級将校は選挙で選び出され、そのような将校には反抗するものを軍法会議抜きで「処分」する権利はあたえられました。戦争をしている国家と党に異を唱える者はいらない世界です。
また、女性が前線で銃をとったり、戦車兵をやったり、戦闘機・爆撃機パイロットをしたりしたのも、ソ連軍だけでした。

この残酷な単純化となりふりかまわなさが、精鋭のドイツ軍相手に血を流しつつも、ソ連軍を勝たせたのです。

まあ、漫談です。

ソヴィエト軍はバルバロッサ作戦当初にその主体が壊滅したので、1941年のタイフーン作戦を乗り切って以降の部隊が、みな新兵、という特徴がありました。
また旧式の機械装備も壊滅したので、結果的に機械装備が新式のものにいれかわりました。
T-34は名高い戦車ですが、他につかえる戦車が当初はなくなってしまっていたから使った、というのが実態です。
最新装備と新兵がまぜこぜになった軍隊が、モスクワ正面の戦いを乗り切った、1942年当初のソ連軍でありました。

もちろん精鋭...続きを読む

Q太平洋戦争は本当に「無謀」な戦争だったのか?

太平洋戦争は、無謀な戦争だったというふうに言われることが多いのですが、この考え方に疑問があり質問しました。
 最初から無謀だと思っており、勝てないけど、アメリカのやり方(ABCD包囲陣等)に我慢ができず、やむなく戦争になったと僕は認識していたのですが、実は違うのではないか、十分勝ちに行く予定で戦争したのではないかと考えております。
そのように思ったきっかけは当時の日本の太平洋地域の海軍力は下記のようにアメリカを若干上回っており、航空兵力は完全に日本が上回っていたからです。

海軍戦力の比較(太平洋配備、1941年時点)
戦艦・戦闘巡洋艦 日11米 9英 2
航空母艦 日8米 3英 0
重巡(20cm砲以上) 日18米 13 英1
軽巡(15cm砲以下) 日23 米11英 7
駆逐艦 日129 米80英 13
潜水艦 日67 米56英 0

上記の海軍戦力だけを比較した場合、米英とは十分戦えるし、ドイツの快進撃もあり、アメリカを東西からはさみうちにし、十分に講和にもっていけると判断しても不思議ではありません。しかも、アメリカはドイツとの戦争もあるので大西洋にも戦力をさかざるおえず、太平洋にはこれ以上の戦力増強は当分ないという考えも成り立ちます。
ですので、戦争するという決断自体は間違っておらず、本当の間違いは、戦争のやり方、終わらせ方に問題があったために敗戦したという考えも成り立つと思いますがどうなのでしょうか?

太平洋戦争は、無謀な戦争だったというふうに言われることが多いのですが、この考え方に疑問があり質問しました。
 最初から無謀だと思っており、勝てないけど、アメリカのやり方(ABCD包囲陣等)に我慢ができず、やむなく戦争になったと僕は認識していたのですが、実は違うのではないか、十分勝ちに行く予定で戦争したのではないかと考えております。
そのように思ったきっかけは当時の日本の太平洋地域の海軍力は下記のようにアメリカを若干上回っており、航空兵力は完全に日本が上回っていたからです。

海軍...続きを読む

Aベストアンサー

>太平洋戦争は本当に「無謀」な戦争だったのか?

回答・・・いいえ。
戦争ですから絶対勝てるとは言いませんが、それなりに勝算はあり無謀とまでは言えないと思います。

>最初から無謀だと思っており、勝てないけど、アメリカのやり方(ABCD包囲陣等)に我慢ができず、やむなく戦争になったと僕は認識していたのですが、実は違うのではないか、十分勝ちに行く予定で戦争したのではないかと考えております。

回答・・・十分勝つとは言えませんが、少なくとも日本の上層部には優位に講和に持ち込もうという目算がありました。

>上記の海軍戦力だけを比較した場合、米英とは十分戦えるし、ドイツの快進撃もあり、アメリカを東西からはさみうちにし、十分に講和にもっていけると判断しても不思議ではありません。しかも、アメリカはドイツとの戦争もあるので大西洋にも戦力をさかざるおえず、太平洋にはこれ以上の戦力増強は当分ないという考えも成り立ちます。

回答・・・米海軍にとり大西洋での対ドイツ戦における必要な艦種と、対日本戦における必要な艦種では、かなり違います。対ドイツは対Uボート戦が重点と言ってよく、対日本は艦隊決戦が重点となると言ってよく、そのため必ずしも単純に戦力を太平洋と大西洋に二分する不利について語る事は危険ですが、米海軍が全力を太平洋に傾注できないのは事実です。

>ですので、戦争するという決断自体は間違っておらず、本当の間違いは、戦争のやり方、終わらせ方に問題があったために敗戦したという考えも成り立つと思いますがどうなのでしょうか?

回答・・・成り立ちます。


■日本の戦略としては1941年11月15日の大本営政府連絡会議で承認された「対英米蘭蒋戦争終末促進ニ関スル腹案」という構想案がありまして、全部書くと長文になるので、これを簡単に言うと・・・
速やかに極東の米英蘭の根拠地を占領し重要資源地帯を押さえ海上交通路を確保し長期自給自足の体制を整え、先ずドイツ、イタリアと協力して英国の屈服をさせ、さらに米海軍主力を撃滅し通商破壊戦を強化し米国世論の厭戦を誘致し戦意を喪失させるというものです。
つまり、最初から日本は米国を降伏させようとは考えていませんでした。戦争を諦めさせ講和させる事を狙っていました。

■そして、この戦略では米英不可分という考えから英国の屈服を図る事が重要視されていました。
開戦前の1941年11月4日の軍事参議会で海軍軍令部総長の永野大将が「英米連合軍の弱点は英国にありと考えられる・・英を餓死せしめて屈服せしむること最も捷径なり」と言い、東條首相も「通商破壊戦により英の死命を制し米の態度を変えしむ」と言っています。
そのため「対英米蘭蒋戦争終末促進ニ関スル腹案」にも「英の屈服に際し之と直ちに講和する事なく英国をして米国を誘導せしむる」とあります。
つまり、米英連合軍の弱点は英国であり、その英国をまず先に屈服させて、米国の継戦意志を喪失させようという構想です。
ただ、これは日本単独で行おうというものではなく、ドイツ、イタリアの動きにも期待するものでした。
「対英米蘭蒋戦争終末促進ニ関スル腹案」にはドイツ、イタリアに次の方策をとらせるとあります。
△対英国封鎖強化
△英国本土上陸作戦
△近東、北アフリカ、スエズ進出と対インド施策
また、ドイツを対英国戦に集中させようという思惑から「対英米蘭蒋戦争終末促進ニ関スル腹案」には外交政策として、ドイツ、ソ連の講和を仲介し、ソ連を枢軸側に引き入れるという構想も記されています。
日本としては英国に対しては通商破壊戦によりオーストラリア、インドとの連絡線を断ち、英国から離反させ、英国に打撃を与え、またビルマを攻略して独立させ、その成果を利用してインド独立運動を刺激するというものです。

■対米戦について「対英米蘭蒋戦争終末促進ニ関スル腹案」では、日本、ドイツ、イタリアが協力して米国の世論を厭戦へと誘致し戦意を喪失させるとありまして、日本としては米海軍の主力の撃破と通商破壊戦強化、対米宣伝謀略を強化するとあります。

つまり、何れにしろ日本は米国に対し、その戦意を喪失させ講和に持ち込もうという戦略があり、無計画に何の目算も無しに戦争を始めたわけではありません。
ただし、そこにはドイツが英国に対し勝利するという期待があった事、それを計算に入れていた事は外せません。

■なお、戦争終結の機会としては南方作戦の成功、または蒋介石の屈服時、またはドイツによる英国本土陥落、または独ソ戦の終末時なのが想定されていました。また、講和の斡旋をバチカンやスウェーデン、南米諸国に依頼する予定でした。
この中で南方作戦の成功は実際に成功したわけで、実際に東久邇宮大将が東条首相に緒戦の情勢が有利なので和平交渉を始めるべきだとか、天皇陛下も2月に戦争終結の機会を逃さないようにとお申しつけになりましたが、東条首相は和平交渉どころか戦争継続、拡大に動きました。
まあ、この時点で和平交渉をしても米英が乗るとは思いませんが、少なくとも日本にも早期に戦争終結の考えをしている主要人物がいた事は事実です。


○日本が敗戦したのは質問者さんの言うとおり「戦争のやり方」に問題があったからであり、大本営の作戦指導のミスです。
以前このカテで「日本が太平洋戦争で犯した最大の失策」という質問がありました。

「日本が太平洋戦争で犯した最大の失策」・・・私の回答はNo.14です。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7671998.html

この中で私は日本が勝利するためのポイントを3点指摘しています。
(1)米国本土での人種対立を激化させ国力を発揮させなくする。
(2)ミッドウェー作戦では空母を集中投入する。
(3)潜水艦による通商破壊作戦を全力で行う。

特に(1)については、リンク先のページを読んでいただれば分かりますが、当時、米国は人種対立の嵐が吹き荒れていたので、それをうまく利用し、できれば内乱にまで持っていければ、いかに大きな工業力を持つ米国といえども、それを発揮できなくなったかもしれませんし、内乱を鎮める事を優先し講和という事になったかもしれません。
それに米国は巨大ですが、それでも戦時中は食肉、バター、暖房用燃料、ガソリン等、色々な物が配給制となっており、市民生活を圧迫していました。内乱により市民生活への物資の配給が滞れば、それこそ政府への圧力となって対外戦争を中止するしかなくなったかもしれません。
敵対国の内部を撹乱するのは兵法の常道でもあるにも関わらず、それを怠ったのは日本軍部の大きなミスとしか言いようがありません。
また(3)は「対英米蘭蒋戦争終末促進ニ関スル腹案」の戦略として、英国を屈服させるためにインド洋で通商破壊戦を徹底的に行うべきだったのにそれが行われませんでした。
そもそもインド洋は連合軍にとって北アフリカ戦線、ソ連へのレンドリース(ソ連へのレンドリースの約3割がインド洋ルートを使用)、ビルマ戦線、中国戦線への補給路でもあり、英国への戦略物資の供給ルートでもあります。
史実では1942年の時点で英国はかなり危機的状況にありました。Uボートの活躍により穀物等の輸入量が低下し、消費量が輸入量を上回り、備蓄で何とか凌ぎました。貯蔵していた商船用燃料も3ヶ月分を切りました。
もし、これでインド洋で通商破壊戦が徹底されていたら、英国は持ち堪えられず、前述した各戦線も崩壊していたかもしれません。正しく「英を餓死せしめて屈服せしむる」になったかもしれません。
しかし、通商破壊戦が大々的に行われる事はありませんでした。
これは連合艦隊司令部の判断が問題でした。大本営は通商破壊戦の遂行を連合艦隊に命じますが、連合艦隊はこれに消極的でした。第二次ソロモン海戦で潜水艦が活躍しなかった事について宇垣参謀長が記した言葉は次のようなものです。
「潜水艦は通商破壊戦と諜報機関以外に価値なきものと識者の言も宣なりと感ぜられる。その鼻をあかす為にも一撃をこそ望ましけれ」
潜水艦部隊からは通商破壊戦の要望が何度となく出ていたし、大本営も通商破壊戦を命じていますが、艦隊を実際に動かす連合艦隊司令部は通商破壊戦に無理解でした。

そういうわけで、私は日本が敗北したのは日本軍部のミスによるものと判断しています。


○ところで1941年4月に日本政府が作った組織に「総力戦研究所」があり、ここでは米国との戦争を戦略的(政治、軍事、経済)シミュレーションしました。その結果は敗北です。
ただし、これは当然の事です。何故ならそれまで幾度となく海軍で行われた米国海軍を敵に想定した図上演習において勝てた事がないからです。「総力戦研究所」の軍事作戦もそれまでの枠から出ていないものであり、敗北して当然です。
そして、それまでの軍事作戦の枠を破り勝利するために新たに、実際に実施されたのが、真珠湾攻撃です。
「総力戦研究所」のシミュレーションと、実際の戦争で行われた作戦は水と油ほども違います。結果的には同じく敗戦になりましたが、結果をもって同一視するべきものではありません。

○なお、日本が保有していた輸送船ですが、これは文献によって違いもありますが、「戦史叢書 海軍軍戦備2」によると638万トン、船舶運営会によると634万トンです。このうち日本国内で必要とされる物資を運ぶのに必要とされるのは300万トンでした。

○石油についても文献によってばらつきがありますが、海軍の燃料で言えば重油は650万klあり、1942年までで消費した量が483万klでした。

>太平洋戦争は本当に「無謀」な戦争だったのか?

回答・・・いいえ。
戦争ですから絶対勝てるとは言いませんが、それなりに勝算はあり無謀とまでは言えないと思います。

>最初から無謀だと思っており、勝てないけど、アメリカのやり方(ABCD包囲陣等)に我慢ができず、やむなく戦争になったと僕は認識していたのですが、実は違うのではないか、十分勝ちに行く予定で戦争したのではないかと考えております。

回答・・・十分勝つとは言えませんが、少なくとも日本の上層部には優位に講和に持ち込もうという目算が...続きを読む

Q太平洋戦争を映像で学びたい

太平洋戦争のことを家族で映像で学びたいと考えています。そこで次のDVDのどちらかを購入しようとしています。「NHKスペシャル 太平洋戦争 BOXセット」、「秘蔵・太平洋戦争全史 前編、後編」。はなはだ稚拙な質問ですがどちらがおすすめでしょうか?

Aベストアンサー

私は両方持っています。他に「太平洋戦争史(上)、(下)」や「ドキュメント第二次世界大戦の記録(全巻)」も買いましたが、「NHKスペシャル太平洋戦争」が映像の質の良さ、量の多さ、解説の分かりやすさ等で圧倒的に良いと思いました。特に日米双方からの映像が取り入れられ、画像も補正されているようで画質も良いです。

「太平洋史」「ドキュメント・・・」は米国防総省の撮影フイルムを監修しただけの映像が多く、事態を短く淡々と述べるだけのものでした。画質も相当悪いです。でもNHK(日本)では放送しないような戦場の悲惨な状況の映像が入っていたりします。

どれが良いかは個人の見方、受け止め方によると思いますが、家族で学ばれるのでしたら先ずは「NHK・・」をお勧めします。更に個人的に勉強されるのでしたら、他のものも有用と思います。

Q太平洋戦争での本当の戦力はどういうものだったのでしょうか?

空母を調べていたら日本は戦争中に数多くの空母を完成させていましたが、すぐに撃沈され、戦力としては機能していなかったようですが、実際、戦艦の数や空母の数などを考えると、日本とアメリカの海軍力の差というのはどんなものだったのでしょうか?

Aベストアンサー

太平洋戦争開戦までは、ワシントン海軍軍縮会議によって
日米の主力艦(戦艦)は対米6割に抑えられました。
(実際は日本が陸奥の完成を主張して、対米比は6割弱です)
その後、条約が失効して建艦競争が再開され、
開戦時の戦力は戦艦では日本10隻アメリカ17隻でした。
開戦後の完成を含むと、日本12隻、アメリカ25隻でした。
(戦艦級の船体に重巡級の砲を搭載したアラスカ級2隻は含みません)

よく、日本は大鑑巨砲主義に固執したと言われますが、
建艦実績では、ミッドウェー戦時にほぼ完成していた「武蔵」以後、
大型艦の建造は空母と軽巡洋艦だけです。



空母については、ワシントンやロンドンの軍縮会議で
制限されましたが、隻数より合計排水量が重視されました。
開戦時で比較すると、日本が「鳳翔」「龍驤」「赤城」
「加賀」「蒼龍」「飛龍」「瑞鶴」「翔鶴」「瑞鳳」
「春日丸(大鷹)」の10隻で、アメリカは「レンジャー」
「レキシントン」「サラトガ」「ヨークタウン」「ホーネット」
「エンタープライズ」「ワスプ」の7隻でした。

これが、大戦中の建造だと「エセックス」級だけで17隻、
「インディペンデンス」級軽空母9隻、護衛空母に到っては
100隻以上も作られ、月刊正規空母とか、週刊護衛空母と
揶揄されています。
日本は、正規空母と言えるのが他艦種からの変更を含めて
「大鳳」「信濃」「雲龍」「天城」「葛城」の5隻、
商船や他艦種改造の軽空母・護衛空母と言えるもので
「飛鷹」「隼鷹」「千歳」「千代田」「龍鳳」「祥鳳」
「雲鷹」「冲鷹」「海鷹」「神鷹」の10隻しかありませんでした。

戦艦等に航空機が積めるよう改造したのが「伊勢」「日向」「最上」
(これらは飛行甲板はあるけど事実上は水上機母艦)
艦種がタンカーで飛行甲板を持つ「しまね丸」「山汐丸」
現在の自衛隊にある「いずも」級のような強襲揚陸艦の走りで
陸軍が運用していたのが「あきつ丸」「熊野丸」
などもありましたが、日米の空母はこれだけの開きがあり、
工業力の差は圧倒的でした。



殆どの場合、日本はミッドウェー戦後は没落の一途を辿ったことに
なっていますが、1942年10月26日の南太平洋海戦の結果、
アメリカは事実上太平洋での稼働空母が1隻もいませんでした。
(新規空母は未就役、7隻中「レキシントン」「ヨークタウン」
「ワスプ」「ホーネット」の4隻が戦没、「エンタープライズ」
「サラトガ」が修理中、「レンジャー」は大西洋配備)
しかし、日本側は空母はいても搭載機が不足していて
その時の攻勢は困難でした。

空母の戦力は、搭載機に依存します。(中には「赤城」や
「レキシントン」のように重巡級の砲を搭載した艦もいます)
空母があっても、搭載機が無ければ大きな的です。
航空機の運用でも、戦前は日本が圧倒していましたが、
補充が追いつきませんでした。
アメリカは一定期間の兵役に就くと前線から退きます。
エースと言われる方々の数を見ると、人材の枯渇によって
前線で酷使された日独が人数も撃墜数も多いのですが、
アメリカはエースパイロットでも前線に縛りつけない
余裕がありました。

日米の海軍力の差では、戦艦や空母の数だけではなく、
航空機の性能、VT信管やレーダーの開発、輪形陣の戦術運用など
多くの点でどんどん差ができていました。
最後の機動部隊による決戦であるマリアナ沖海戦を見ても、
搭載機数で2倍、戦闘機数だけでも米軍が400機以上も
上回るのですから、どんなに頑張っても勝てなかったでしょう。

太平洋戦争開戦までは、ワシントン海軍軍縮会議によって
日米の主力艦(戦艦)は対米6割に抑えられました。
(実際は日本が陸奥の完成を主張して、対米比は6割弱です)
その後、条約が失効して建艦競争が再開され、
開戦時の戦力は戦艦では日本10隻アメリカ17隻でした。
開戦後の完成を含むと、日本12隻、アメリカ25隻でした。
(戦艦級の船体に重巡級の砲を搭載したアラスカ級2隻は含みません)

よく、日本は大鑑巨砲主義に固執したと言われますが、
建艦実績では、ミッドウェー戦時にほぼ完成していた「武蔵...続きを読む

Q「アジア太平洋戦争」という名称について

先日、歴史の資料集を眺めていると、太平洋戦争について「太平洋戦争という名称が一般的だが、戦域が曖昧であることから、アジア太平洋戦争という名称が普及しつつある」という記述があったのですが、はっきり言って、聞いた事がありません。
この名前は本当に普及しているのですか?

Aベストアンサー

先の戦争の呼称についてはそれぞれの歴史観、イデオロギーと結びついている面があるので一概には言えないのですが、一般的に最も普及しているのは「太平洋戦争」だと思います。戦後、GHQの指示によってこの呼称を使うようになったためだと思うのですが、戦時中に日本は太平洋だけでなく、中国などとも戦っていた事実から保守派は戦時中に日本政府が使っていた「大東亜戦争」という呼称を用いる傾向があります。

そうした中で、ご指摘の「アジア太平洋戦争」という呼称がもっともふさわしいのではないかという意見が出てきているのですが、一般的な認知度は低いと言わざるをえず、また、日本がソ連と戦った事実を想起しにくいなど、必ずしも適切とは言えないため、今後普及していくかは疑問です。

Q太平洋戦争中、陸軍軍人だった祖父(既に故人)が、太平洋上のインタービー

太平洋戦争中、陸軍軍人だった祖父(既に故人)が、太平洋上のインタービーと言う小島に配置されていたそうです。島内には旧日本軍の陸海軍基地があり、食料不足でもう戦争も無いので、海軍から爆雷を貰い、海に投げて魚を採ったり、芋虫を食べたりして飢餓を凌いだそうです。戦争の話は嫌がり、余り家族にしない祖父でしたが、食料を盗み処刑された部下がいた事、わざと靴を隠し「無いぞ!」と言って部下を暴行しいじめる将校、収容所ではイギリス軍に良くして貰った事、英語がぺらぺらだったのに熱射病で頭をやられ英語を忘れてしまった事だけは話してくれました。地図や資料で幾ら探しても、インタービーと言う島は見付かりません。本当にインタービーと言う島はあるのでしょうか?亡き祖父の記憶違いでしょうか?ご回答よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

インタービー島 ではなく エンダービー(諸)島 のことではないでしょうか?

私も祖父の戦死地についていろいろ調べた経験があり、他人事とは思えず、調べてみましたところ、以下におじい様の仰っていた体験をうかがわせる「エンダービー島では補給途絶のため飢餓と熱帯病に苦しみ」の記載がありました。

▼第8師団(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC8%E5%B8%AB%E5%9B%A3_(%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%BB%8D)

また、以下の手記「南洋エンダービー守備隊」に島の位置情報がありました。
http://www.heiwakinen.org/shiryokan/heiwa/12onketsu/O_12_473_1.pdf

フィリピンとトラック諸島(現在はチューク諸島)の間にありますが、ただGoogleMap上には島の名前は見えません。
太平洋の島々は戦時中は日本名で呼ばれていたり、あるいは変更されているものも少なくないので、少々やっかいですが、体験記と照合する限りではまちがいないように思えます。

▼GoogleMap
http://maps.google.co.jp/maps?f=q&source=s_q&hl=ja&q=%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E8%AB%B8%E5%B3%B6,+%E3%83%9F%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%8D%E3%82%B7%E3%82%A2&sll=36.5626,136.362305&sspn=48.871875,68.027344&brcurrent=3,0x0:0x0,0&ie=UTF8&cd=2&geocode=FVsrcQAdpQcMCQ&split=0&hq=&hnear=%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E8%AB%B8%E5%B3%B6&ll=7.358721,149.190559&spn=0.063502,0.087719&z=14

もし、おじい様の所属なさっていた部隊が上「第8師団」内にみつかればほぼ間違いないのですが。
(分からなければ、厚生省の援護担当課などで調べられます。)

インタービー島 ではなく エンダービー(諸)島 のことではないでしょうか?

私も祖父の戦死地についていろいろ調べた経験があり、他人事とは思えず、調べてみましたところ、以下におじい様の仰っていた体験をうかがわせる「エンダービー島では補給途絶のため飢餓と熱帯病に苦しみ」の記載がありました。

▼第8師団(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC8%E5%B8%AB%E5%9B%A3_(%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%BB%8D)

また、以下の手記「南洋エンダービー守備隊」に島の位置情報がありました。
http://www.hei...続きを読む


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