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干支の順番は、お釈迦様へ動物たちが新年のあいさつに行き、
たどり着いた順番になっていると聴いたことがあります。

でも、干支が日本に入ってきたのは600年前後、
その前は中国などで数字、歴、等で使われていた物ですよね。
また、その前はバビロニアとか・・・。
と、思われます。

そこで・・・、
どこから、こんな昔話的な話ができあがったのでしょうか?
日本に入ってきてから、仏教が栄えるのに従って出来た話でしょうか?

しかし、もともと神様へ挨拶に行くという初詣という行事は、明治以降に普及した行事ですよね。
それまでは、自宅にいて年神様をお迎えしていたはずです。
伊勢神宮などへの参拝は、時期を特定せずいつでもお参りしていたはずです。

以前から、干支の動物の通り、お釈迦様へ挨拶をするという習わしがあり、
普及していたとしたら、明治以前から初詣でとしてお寺参りをしていたはずなんですが。
そのあたり、どうなっていたのでしょうか?

※神仏合体を踏まえ、神社とお寺をイコールとした前提で、質問をしています。

カテ違いの場合は、ご指摘下さい。

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A 回答 (5件)

十二支と初詣は全く関係ないです。

元々は天帝に挨拶に行くというものでした。
理由も、天帝から大切な話しがあると呼び出されたというものから、天帝の誕生祝、天帝がやがてシャカに替わったりもしていますし、さらに正月の挨拶まで様々です。
私が子供の頃、約半世紀ほど前では「年を割り振るために呼び出した」としていました。

実際の所も諸説有りますけど、私が持っている資料では木星がキーパースンです。
古来星のめぐりを暦の基準にしており、肉眼でもわかりやすい水星・金星・火星・木星・土星を五惑星と読んでいました。中でも強い光を放つ木星が基準とされ、歳星と呼ばれたそうです。
そして毎年冬至と組み合わせて12年を一区切りとしたわけです。
さらに周の時代になると、北斗七星が毎夕ある方角から一年を12に分けるようになり、毎月初めにしました。
このとき北に位置する所から順に「子(し)丑(ちゅう)寅(いん)卯(ぼう)辰(しん)巳(し)午(ご)未(だ)申(しん)酉(ゆう)戌(じゅう)亥(がい)」としました。
これを覚えやすくするために当時の家畜や音の似た動物に当て嵌めるようになりました。つまり
「子(鼠)丑(牛)寅(虎)卯(兎)辰(竜)巳(蛇)午(馬)未(羊)申(猿)酉(鶏)戌(狗)亥(豚)です。古代中国において猪は豚と同じです。
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この回答へのお礼

中国での話をして下さったようです。ありがとうございました。

ところで、本題の昔話はいつ、どこで出来たものでしょうか。

お礼日時:2014/01/08 20:21

たしか、猫はネズミに騙されて、遅れたために十二支に入れなかった、その猫の名前はトム・・



詳しくは調べていませんが、話というのは似たような流れのものが、それぞれの身近な代名詞に置き換えられて伝わるというのが当然のようなものですよね。

今年の干支の午はもともとは「忤」、これに馬が当てられ、後に漢字が略され、多くの人が牛と間違うようになったものです。


あとバビロニアとは関係ないんじゃないかな。
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干支は元々年月の月を表すものでした。


順番はその使われている漢字本来の意味から、農耕に関わる植物の生育状態を表していたのではないかとされています。
古代中国の太陰暦では、立春が1年の始めとされていました。
現在でも中国のお正月=春節は旧暦でやられています。

子:草木が芽生え始める状態
丑:草木の芽が固く結んだ状態
寅:草木が成長の時期を待っている状態
卯:草木が地上に芽生える状態
辰:草木が活力を持って伸びる状態
巳:草木が繁った状態
午:草木の成長が終わった状態
未:草木が成熟した状態
申:草木が充分に伸び切った状態
酉:実を壺へ入れてしぼる時期
戍:草木が刈り取られ状態
亥:草木が地中に潜った状態
と考えられています。

これに獣の名前と関連付けたのは、中国の戦国時代(前403年~前222)ごろだろうと言われています。
後漢の王充と言う人が書き残した文献が最も古い文献とされています。
なぜ、獣を配したのかということは、色々な考え方があるようです。
親しみやすい家畜や身近な動物を当てはめることで、庶民にも暦を普及させたという説が有力なようです。
ご指摘のように、オリエント文明の星座の名前からきたのではないのかという考え方もあるようです

日本の説話では、お釈迦様となっていますが、中国では天帝となっています。
天帝が年月の月の順番を1年の最初の日に決めると、動物たちに言ったことになっています。
日本では天帝という考え方が普及しなかったことから、仏教で一番偉い人すなわちお釈迦様と言い替えられたのでしょう。

ということで、初詣とは直接的な関係は薄いようです。
お話として、初詣とした方が子供には判り易いでしょう。

蛇足
>明治以前から初詣でとしてお寺参りをしていたはずなんですが
明治以前はお寺と神社は同じ境内にありました。
神社はお寺の守り神とされて、場所によっては、僧侶が神官を兼ねていました。
関西地方には、現在でも近くのお寺の和尚さんが神主さんを兼ねておられるところがあるようです。
千葉県の市川市にある葛飾八幡宮には、拝殿の斜め前に梵鐘があり、初詣の帰りに突いています。
鳥居の内側に仁王門の建物が残っています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

天帝は日本の一部にしか広まりませんでしたね。
家康は天子になりたかったようですね。

それはさておき、

お話として、初詣とした方が子供には判り易いでしょう。

これはある意味納得です。
昔、地震は「ナマズ」が起こしていると触れ回った学者がいましたよね。
名前忘れました^^;

ご意見を踏まえると、この昔話は日本に干支が入ってきてから、できあがったものと推測できますね。
もしかしたら、戦後かもしれませんね。

お礼日時:2014/01/08 02:13

干支のある国や干支に類する文化を持つ国には


件の説話に似た話がほぼあるようです。
但しこの類話が初詣と直接結びつくかは疑問です。
この話の重要な部分は干支の順番であり、干支が集うのは主が呼んだ事に起因します。
集う日が年始なのはあくまでも時の守護役を担う基点である為です。
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えとなどの昔話は、


記録が残っているわけではないので
確かな情報はありません。
ですが、京都の近くにあったのではないですかね
神道とかかわっていますので
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