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 日本語を勉強中の中国人です。青山七恵の「ひとり日和」を読んでおります。ずっと疑問に思っている「ている」、「てある」、受身表現三者の違いの問題がまたわいてきて、ご意見をお伺いします。

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「そういうことは、考えてるほどよくもなければ悪くもないんじゃないかしらねえ」 
「でも、どうせだめなんだろうなって考えると、だいたいその通りになるよ。考えないようにしようと思ってても、どうしても考えちゃうよ」
「型からはみ出たところが人間。はみ出たところが本当の自分」
 吟子さんは、余った生地をまとめてのばし、抜き、まとめてのばし、抜き、を繰り返している。天板にはクッキーの星がぎっしり並んでいる。
「それって、あたしが暗い人間だってこと?」
「暗いことは悪いことじゃないよ」
「死んでも誰も泣かない」
「そんなことないわよ」
「誰からも好かれるのは、明るさ。器量の良さ。優しさ」
「よし、できた」
 吟子さんは天板をオーブンに入れて、後片付けを始めた。鼻歌まじりに洗い物をしている。テーブルの端には、ラッピング用のピンクの小袋と金のひもが用意してあった。
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1.「天板にはクッキーの星がぎっしり並んでいる。」

 上記の文と「天板にはクッキーの星がぎっしり並べてある」と、「天板にはクッキーの星がぎっしり並べられている」とそれぞれどのように違うのでしょうか。「並んでいる」と「並べてある」の私の理解では、前者はただ客観的な場面描写に対して、後者は吟子さんという動作主が並べたということをかすかに暗示しているような気がします。あっているのでしょうか。でも、「天板にはクッキーの星がぎっしり並べられている」はどんなときに使うのかこれもまだよく理解できていません。


2.「テーブルの端には、ラッピング用のピンクの小袋と金のひもが用意してあった。」

 上記の文と「テーブルの端には、ラッピング用のピンクの小袋と金のひもが用意されていた」との違いは何でしょうか。私の理解では、前者は吟子さんという動作主が用意したというニュアンスをかすかに暗示しているような気がします。あっているのでしょうか。でも、「テーブルの端には、ラッピング用のピンクの小袋と金のひもが用意されていた」はどんなときに使うのか、まだよく理解できておりません。また、他動詞の「用意する」の場合、「テーブルの端には、ラッピング用のピンクの小袋と金のひもが用意していた」という日本語の文も存在するでしょうか。あるかどうか自信がありません。口語で使う「このことは聞いている」のなかの「聞いている」も他動詞なので、たぶんあるだろうと思われます。

 質問文に不自然な表現がございましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

A 回答 (10件)

#7です。



1、
>「窓は一時間前から開けてあります!」→尋ねた人は、「わたしが窓を開けるという動作をしたのか?」と聞いたわけではありません。あくまで、「窓の状態はどうなっているのか?」と聞いています。

この文は「窓は一時間前から開けられています!」も成立しますか。これなら、どういうニュアンスになるのでしょうか。「窓は一時間前から開けてあります!」との違いは何でしょうか。

「窓は一時間前から開けられています!」も成立します。
厳密な区別は難しいですが、どちらかというと、
「(誰が開けたか知りませんが)窓は一時間前から開けられています!」
というニュアンスでしょうか。
「窓は一時間前から開けてある」のほうは、
「窓は一時間前から(「私が」または、「特定できる人間が」)開けてある」
というニュアンスになる場合が多いと思います。
以下は、すべて窓の状態に関する文ですが、
「窓は一時間前から開けてある」≦「窓は一時間前から開けられている」<「窓は一時間前から開けている」
の順で、開けた人を暗示する度合いが高くなります。

2、
ある殺人現場で、警察と第一目撃者の間での会話だとします。

警察:あなたが来た時に、窓はどういう状態ですか。
目撃者:私が来た時に、
A.窓は開けられています。
B.窓は開けてあります。

AとBのどちらが正しいのでしょうか。両方成立しているような気もします。ニュアンスは違いますか。

まず、過去形で表現する必要があるので書き直します。
警察:あなたが来た時に、窓はどういう状態でしたか。
目撃者:私が来た時に、
A.窓は開けられていました。
B.窓は開けてありました。

おっしゃるように、どちらでも正しいです。
もう少し前後の状況がわからないと詳しいニュアンスはわかりません。
たとえば、次のような違いも想定できます。
A.窓は開けられていました。→「誰かによって開けられていました」のようなニュアンス。
B.窓は開けてありました。→「元々開いた状態になっていたようです」というニュアンス。
「てある」と「られている」の区別はかなり微妙です。
開けた人の暗示は、「てある」≦「られている」という感じで強くなるとお考えになるのが良いでしょう。

3、
A.
>No.5で、
『受身表現は、「受身の対象=行為者の行為の影響を受ける物」が主格になる文ですから、行為者(実行者)が暗示される度合いは低くなります。逆に言うと、行為の対象物に着目したい場合には、それを受身にすると効果的です』
とおっしゃっていますが、
No.7で、
「高架のブロックに落書きがされている。誰が書いたんだろう?」と挙げられました。
No.5のご説明でいくと、
「行為の対象物」、つまり、「落書き」に着目したいことになるのではないでしょうか。なぜ「高架のブロックに落書きがされている。字は上手だね」にならないのでしょうか。

a.
「受身にすると効果的」というのは、「ている」と「されている」を比較したものです。
「高架のブロックに落書きをしている」の受身形が「高架のブロックに落書きがされている」で、こちらのほうが「落書き」に重点を置いていることになる、という意味です。
「受身形」に特化して書いたのですが、却ってややこしくなってしまったかもしれません。

b.
「高架のブロックに落書きがされている。誰が書いたんだろう?」は、
「高架のブロックに落書きがされている。【この落書きは】誰が書いたんだろう?」という内容です。
その意味で落書きに重点を置いていることになります。
しかし、受身形ですから、書いた人間も多少は暗示していることになる。
ということです。
むろん「字は上手だね」でも構いません。
ただ、書いた人間を暗示していることをわかりやすく表現するために「誰が書いたんだろう?」を選択しました。

B.
>No.5の1cによりますと、
「並べられる」は「並べてある」より「吟子さん」が暗示される度合いは低くなるそうですが、
No.7で、
『「高架のブロックに落書きがされている。誰が書いたんだろう?」となっております。
なぜ「高架のブロックに落書きがされている。字は上手だね」にならないのでしょうか。

大変失礼いたしました。
『「並べてある」よりは低くなります』ではなく、
『「並べている」よりは低くなります』ですね。
お詫びして訂正いたします。

4、
さて、2でも触れましたが、「てある」と「られている」の区別がかなり微妙である理由についても、若干私見を述べてみます。
「窓は開けてある(在る)」の場合、
「開けて」に着目すると「(わたしが)開けて」のような意味になるため、多少、開けた人間を暗示した表現になります。
しかし、「在る」に着目すると「窓が(開いた状態で)在る」という解釈になるため、窓の状態に重点を置いた表現になります。

「窓は開けられている(居る)」の場合、
「開けられて」に着目すると「(誰かによって)開けられて」のような意味になるため、開けた人間を暗示した表現になります。
しかし、「居る」に着目すると「窓が(開けられた状態で)居る」という擬人化した解釈になるため、窓の状態に重点を置いていることになります。

どちらの部分に着目するかによってニュアンスが若干異なってくるため、その違いが微妙になるのでしょう。
ただ、個人的には、受身形のほうが行為者を暗示する要素が強いと思うので、「てある」≦「(ら)れている」という場合が多いと考えています。
この意味で、「(ら)れている」を使うのは、「意志のある者によって何らかの動作が為され、その結果として対象物が何らかの状態で存在している」というニュアンスを出したいときである。
と言えるかもしれません。
「店先に、りんごがきれいに並べてある」
「店先に、りんごがきれいに並べられている」
どちらが、店の主人の手や顔が浮かんで来るか、微妙でしょう。
後者のほうが、りんごを並べている主人の手を思い浮かべやすいのではないか、と私は思います。
ただ、人によって感覚は異なるかもしれません。
   
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この回答へのお礼

何度もご親切に教えていただき誠にありがとうございました。日本語に対する理解が深まりました。こころから厚くお礼申し上げます。

お礼日時:2014/01/25 14:00

訂正。

会話文と会話文の間でしたね。陸上ハードルですね。会話文の間に挿入されても、前後の会話文のスピード感を落とさずにつなげるためです。空中給油みたいなものです。
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この回答へのお礼

再びありがとうございます。

お礼日時:2014/01/23 23:58

質問者はh氏に信頼を置いているからね。



他の回答者からヘミングウェイの話も出てきているがこれはそういう観点ですよ。小説なんだから。天板の字面も含めて文法事ではなく、文芸事です。つまり単文の分析に終始するのはまさに本末転倒。前後関係であり端的にはリズムです。それは文芸の基本だと思いますが。要するに本件に関しては日本の小説のリズムを読者がどう受けとめるかなのです。黒人音楽のリズムをイエローモンキーが分かるかみたいな話になってきます。ラップじゃないが、~いる♪~いる♪です。本文引用の最後のあるはそこでリズムが切れます。原文の続きは知りませんがね。並べてある、ではリズムが途切れます。のばし、抜き、のところは汚い不自然な日本語です。しかしリズムを演出したつもりなんでしょ。その前衛リスクを冒してリズムをつけたのに、あるでは台無しです。乱暴に分析するとそこは、今から会話文で盛り上がるぞの前振りなのです。走り幅跳びの助走です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。ご意見は参考になりました。ちなみに、その文の次は別の話になります。載せたのは一応一段落の話です。

お礼日時:2014/01/23 23:57

#5です。



1.
『「用意されていた」という受身の動作主は「ラッピング用のピンクの小袋と金のひも」』という言い方は少し理解できておりません。
「テーブルの端には、(吟子さんによって)ラッピング用のピンクの小袋と金のひもが用意されていた」という受身文のなかで、おっしゃりたいのは「吟子さんによって」という部分より、「ラッピング用のピンクの小袋と金のひもが」という部分のほうに焦点をあてたということなのでしょうか。

そのとおりです。
動作主という表現は、「文中の動詞の主格」のように捉えていただければ良いと思います。
わたしが言いたいのは、『「ている」は、「文中の動詞の主格」の動作に重点を置いている』ということです。
たとえば、「窓が開いている」は自動詞ですが、実際に窓を開けた行為者は人間でしょう。
しかし、この文は、窓を開けた人間に重点を置いていない表現、つまり、窓を擬人化して、窓が自分で(自動詞的に)開いた、というニュアンスになっている文です。
このため、自動詞の場合に「窓」を動作主と呼ぶわけです。
この点を理解していただければ、呼び方はどちらでも構いません。

2.
申し訳ありませんが、「動作の主体(文中の動詞の作用主体)」という部分の意味はよくわかりません。
「猫が鳴いている」、「手紙を書いている」、「枝が枯れている」、「窓を開けている」、「わたしは3回パリに行っている」、「わたしは先ほど朝食を食べているので、お腹がいっぱいです」のなかでそれぞれどの部分にあたるのか(すなわち、どれが「動作の主体(文中の動詞の作用主体)」になるのか)、教えていただけないでしょうか。

1の説明で大体ご理解いただけたと思いますが、腑に落ちない点は、さらに補足なさってみてください。
「動作の主体(文中の動詞の作用主体)」は次のようになります。
「猫が鳴いている」→自動詞なので猫。
「手紙を書いている」→他動詞なので「書いている人」
「枝が枯れている」→自動詞なので「枝」
「窓を開けている」→他動詞なので「開けた人」
「わたしは3回パリに行っている」「わたしは先ほど朝食を食べているので、お腹がいっぱいです」→「わたし」。

3.
「窓を開けている」と「窓を開けてある」でそれぞれ短い段落の例文を見せていただけないでしょうか。

「窓は開けている」と「窓は開けてある」で比較したほうがわかりやすいかもしれません。

a.
「ガスのにおいがしたら、窓を開けて、すぐに外に出るように決められているだろう。君は、そのどちらの行動もしていないね?」
「いや、窓は開けている」→「わたしは窓を開けるという動作はした」というニュアンスです。

b.
「ガスのにおいがする!ガスの元栓はどうした?」
「ガスの元栓は止めました!」
「じゃあ、窓はどうなっている?」
「窓は一時間前から開けてあります!」→尋ねた人は、「わたしが窓を開けるという動作をしたのか?」と聞いたわけではありません。あくまで、「窓の状態はどうなっているのか?」と聞いています。
それで、「わたしの動作」よりも「窓の現在の状態」に重点を置くために「開けてある(在る)」と表現します。

4.
「窓【を】開けてある」、「コーヒー【が】用意してある」は両方できるようですが、どんなときに「を」を使い、どんなときに「が」を使うのでしょうか。

「を」は動作などの対象を表わす格助詞です。
「窓を開けてある」は、「誰かが開けた」というニュアンスを含んだ表現です。開けた人を暗示しているわけですが、「窓を開けている」のほうが暗示の度合いは高くなります。
「が」は動作などの主体を表わす格助詞です。
「窓が開けてある」は、開けた人を暗示するニュアンスはかなり小さくなります。
あくまで「窓」が主体になっている(窓に重点を置いた表現だ)からです。
「窓が開けてある」<「窓を開けてある」<「窓を開けている」の順で、窓を開けた人を暗示する度合いは高くなります。

「お疲れさま~。外は寒かったでしょう。コーヒーが用意してあるから、どうぞ」<
「お疲れさま~。外は寒かったでしょう。(わたしが)コーヒーを用意してあるから、どうぞ」<
「お疲れさま~。(社長が)コーヒーを用意しているようです。社長室に行ってください」

5.
(1)
「高架のブロックに落書きがしてある。字は上手だね」→落書きの状態に重点が置かれています。
「高架のブロックに落書きがされている。誰が書いたんだろう?」→落書きをした人を多少、暗示しています。
「高架のブロックに落書きをしている。また、あいつらだよ」→落書きをした人を、かなり暗示しています。

(2)
「元気よく締めくくってあった」→「締めくくったという状態」に重点が置かれています。
「元気よく締めくくられていた」→誰かによって締めくくられていたことを多少暗示しています。
「元気よく締めくくっていた」→誰かが締めくくっていたことをかなり暗示しています。

腑に落ちない点は、さらに補足なさってみてください。
ただ、厳密な線引きはありませんので、本当に微妙な違いです。
大体のことだけ頭に入れていただき、最終的には慣れて感覚として覚えるしかないと思います。
  

この回答への補足

いまの疑問点は「てある」と「(他動詞)されている」の両者の違いになりました。

1、
>「窓は一時間前から開けてあります!」→尋ねた人は、「わたしが窓を開けるという動作をしたのか?」と聞いたわけではありません。あくまで、「窓の状態はどうなっているのか?」と聞いています。

この文は「窓は一時間前から開けられています!」も成立しますか。これなら、どういうニュアンスになるのでしょうか。「窓は一時間前から開けてあります!」との違いは何でしょうか。

2、
ある殺人現場で、警察と第一目撃者の間での会話だとします。

警察:あなたが来た時に、窓はどういう状態ですか。
目撃者:私が来た時に、
A.窓は開けられています。
B.窓は開けてあります。

AとBのどちらが正しいのでしょうか。両方成立しているような気もします。ニュアンスは違いますか。

3、
No.5で、
『受身表現は、「受身の対象=行為者の行為の影響を受ける物」が主格になる文ですから、行為者(実行者)が暗示される度合いは低くなります。逆に言うと、行為の対象物に着目したい場合には、それを受身にすると効果的です』
とおっしゃっていますが、
No.7で、
「高架のブロックに落書きがされている。誰が書いたんだろう?」と挙げられました。
No.5のご説明でいくと、
「行為の対象物」、つまり、「落書き」に着目したいことになるのではないでしょうか。なぜ「高架のブロックに落書きがされている。字は上手だね」にならないのでしょうか。
No.5の1cによりますと、
「並べられる」は「並べてある」より「吟子さん」が暗示される度合いは低くなるそうですが、
No.7で、
『「高架のブロックに落書きがされている。誰が書いたんだろう?」となっております。
なぜ「高架のブロックに落書きがされている。字は上手だね」にならないのでしょうか。
このへんはNo.5とNo.7に少し矛盾を感じており、混乱中です。

補足日時:2014/01/21 23:03
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この回答へのお礼

 再びありがとうございます。だいぶわかるようになりました。まだよくわからないところを補足させていただきましたが、もう少しご意見をいただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。

お礼日時:2014/01/21 23:09

>「アスペクト」は文法という意味でしょうか。



この言葉をご存じないようなので驚きました。あなたがどういう方法で日本語を勉強されているのでしょうか。まさか独学というわけではないでしょうね。外国人の多くの人は、「日本語文法」というテキストを用いて学んでいるものと理解していました。アスペクト(英語 aspect)は文法の中で「相(継続・完了・起動・終止・反復などの区別を表す動詞の形式)」であり、「「~ている」や「~てある」などは、動詞の継続・完了を表すわけです。
 この言葉は金田一春彦氏などが使い始めました。日本語文法でも、わたしがネットで見た範囲内では、ほとんどこの語を使っています。アスペクトの外に、「ボイス」(voice)=「態」・「テンス」(tense)=「時制」などがよく使われます。前にもいいましたが、あなたはどのようなテキストや参考書を使っているのか、それを知りたいです。

>不明なのは三者はどのように使い分けるのかということです。作者はあるイメージを伝えるのにたとえば、三つか二つの構文の方法があるとします。A123とB12のように。日本の方はどのように三つや二つのうちに自分のイメージに一番ふさわしい表現方法を選ぶのか興味を持っているところです。

 そうでしょうね。わたしも学生時代にかなりの時間をかけて英語の学習をしましたが、英語で話せとか書けとか言われたら、どういう構文を使うのか、考え込んでしまいます。幸い英語を使う環境にいないので、恥をかかずに済んいます。
それに比べたら、あなたの文章は日本の高校生を超えているかなと思います。
 あなたが中国語を使うように、日本人は考えないでも言葉が出てくるのです。(時々間違えて笑われたりしますが)まあ、早く慣れるように頑張ってください。
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この回答へのお礼

 ありがとうございました。

お礼日時:2014/01/21 00:27

端的に申し上げると、受身表現は、「受身の対象=行為者の行為の影響を受ける物」が主格になる文ですから、行為者(実行者)が暗示される度合いは低くなります。


逆に言うと、行為の対象物に着目したい場合には、それを受身にすると効果的です。

1.
a.
「天板にはクッキーの星がぎっしり並んでいる」→並ぶという動作が続いている、というニュアンスで現在進行形です。「クッキーの星」が主語になっている点に留意してください。擬人化されています。
この文の場合「動作主=クッキーの星」です。【動作主=文中の動詞の主格】という意味です。
「客観的な場面描写」というご意見は当たっているでしょう。

b.
「天板にはクッキーの星がぎっしり並べてある」→並べたという動作の結果が続いて、現在もその状態にある、という結果残存の用法です。並べるという他動詞なので、「並んでいる」という自動詞と比べた場合、動作主(吟子さん)を暗示している度合いは高いと言うこともできます。

c.
「天板にはクッキーの星がぎっしり並べられている」→並べられたという動作の結果が続いて、現在もその状態でいる、という結果残存の用法です。並べるという他動詞(の受身)なので、「並んでいる」より吟子さん(動作主ではありません。この文の場合、動詞は「並べられている」という受身形なので、動作主=クッキーの星です)が暗示される度合いは高くなるでしょう。
しかし、「並べてある」よりは低くなります。
このあたりのことも含め、後ほどもう少し整理して述べます。

2.
a.
「テーブルの端には、ラッピング用のピンクの小袋と金のひもが用意してあった」
「テーブルの端には、ラッピング用のピンクの小袋と金のひもが用意されていた」
前者は、「吟子さんが用意して」→「(その結果として品物が)在った」という構図なので、その意味では動作主(吟子さん)が暗示されている度合いは後者に比べると高くなります。
後者の場合、「用意されていた」という受身の動作主は「ラッピング用のピンクの小袋と金のひも」ですから、動作主の暗示は前者ほどされていないことになります。

b.
「テーブルの端には、ラッピング用のピンクの小袋と金のひもが用意していた」という表現はできません。
「用意する」は他動詞で、「ラッピング用のピンクの小袋と金のひも」は、あくまで誰かが用意する対象(目的語)です。
「が用意されていた」「が用意された」のように受身の文で主格になることはできますが、「用意していた」「用意した」のように、能動文の主格になることはできません。

c.
「このことは聞いている」の場合は、「このことに関しては聞いている」という意味。
「このこと」が主題提示されているので正しい文です。
「テーブルの端には、ラッピング用のピンクの小袋と金のひもは用意していた(用意している)」であれば問題ありません。


「ている」「てある」について少し整理しておきます。

3.
まず、基本線を押さえてください。
A.
「ている」は、自動詞・他動詞両方に使います。【動作の主体(文中の動詞の作用主体)に着目した表現】です。
よく使われる用法として大きく分けると、現在進行形・結果残存形・経験の3つがあると思います。
a.
現在進行形→動作・状態が続いて、現在に至ることを表す。「猫が鳴いている(自動詞)」「手紙を書いている(他動詞)」
b.
結果残存形→動作・作用の結果が続いていて、現在もその状態でいることを表す。「枝が枯れている(自動詞)」「窓を開けている(他動詞)」
「枯れた結果が続いていて、現在もその状態にある」というのが結果残存の用法です。
「現在も枯れ続けている」という意味ではないことが a と違う点です。
続いているのは、あくまで「枯れた結果」です。
c.
経験を表す→「わたしは3回パリに行っている(自動詞)」「わたしは先ほど朝食を食べているので、お腹がいっぱいです(他動詞)」

B.
「てある」は、他動詞だけに使います。【動作の対象(文中の動詞の目的語)に着目した表現】です。自動詞には使いません。
口語文の場合、これは結果残存の意味だけとお考えになって良いと思います。「窓を開けてある」「コーヒーが用意してある」

4.
<「ている」と「てある」に共通する意味である結果残存形についての比較>
「ている」の本質は「て居る」です。
「居る」は「あるものが、自らの意志でそこに存在している」という意味。
「てある」の本質は「て在る」です。
「在る」は「あるものが、他の意志によってそこに存在している」という意味。

<自動詞ー開く>
a.
窓が開いている。
→窓が自分の力(意志)で開き、その開いた結果が続いていて、現在もそこに(自分の意志で)居る状態。
窓が擬人化されています。
b.
窓が開いてある。(×)
→「開く」は自ら動作するという意味の自動詞なので、「他の意志によってそこに存在している」という意味の「在る」と一緒に使うことはできません。

<他動詞ー開ける>
c.窓を開けている。
→誰かが窓を開けるという動作をして、その動作の影響が現在まで続いている。
d.窓を開けてある。
→誰かが窓を開けるという動作をして、その結果として窓が現在も開いた状態である。

「窓が開いている」は、窓を擬人化した表現。「開く」という自動詞の動作主(=窓)に着目しています。
「窓を開けている(居る)」は、窓を開けた人(の行為)に重点を置いた表現。
「窓を開けてある(在る)」は、他動詞ですから、窓を開けた人の暗示が「窓が開いている」よりは強い表現です。ただ、「誰かが開けた結果として、窓が開いた状態が続いて在る」というニュアンスなので、「開けている」に比べると、開けるという動作の対象である「窓」に重点を置いた表現になります。

これらの表現は、無意識的に使い分けされていますが、その構造をいざ説明しようとすると、ネイティブにとっても、なかなか難しい問題です。
  

この回答への補足

1、
>「テーブルの端には、ラッピング用のピンクの小袋と金のひもが用意してあった」
「テーブルの端には、ラッピング用のピンクの小袋と金のひもが用意されていた」
前者は、「吟子さんが用意して」→「(その結果として品物が)在った」という構図なので、その意味では動作主(吟子さん)が暗示されている度合いは後者に比べると高くなります。
後者の場合、「用意されていた」という受身の動作主は「ラッピング用のピンクの小袋と金のひも」ですから、動作主の暗示は前者ほどされていないことになります。

申し訳ありませんが、私の「動作主」は自分で作った言葉で、それは「その動作をする人」という意味だと思います。
『「用意されていた」という受身の動作主は「ラッピング用のピンクの小袋と金のひも」』という言い方は少し理解できておりません。
「テーブルの端には、(吟子さんによって)ラッピング用のピンクの小袋と金のひもが用意されていた」という受身文のなかで、おっしゃりたいのは「吟子さんによって」という部分より、「ラッピング用のピンクの小袋と金のひもが」という部分のほうに焦点をあてたということなのでしょうか。

2、
>「ている」は、自動詞・他動詞両方に使います。【動作の主体(文中の動詞の作用主体)に着目した表現】です。

申し訳ありませんが、「動作の主体(文中の動詞の作用主体)」という部分の意味はよくわかりません。
「猫が鳴いている」、「手紙を書いている」、「枝が枯れている」、「窓を開けている」、「わたしは3回パリに行っている」、「わたしは先ほど朝食を食べているので、お腹がいっぱいです」のなかでそれぞれどの部分にあたるのか(すなわち、どれが「動作の主体(文中の動詞の作用主体)」になるのか)、教えていただけないでしょうか。

3、
>c.窓を開けている。
→誰かが窓を開けるという動作をして、その動作の影響が現在まで続いている。
d.窓を開けてある。
→誰かが窓を開けるという動作をして、その結果として窓が現在も開いた状態である。

「その動作の影響が現在まで続いている」と「その結果として窓が現在も開いた状態である」でしょうか。
難しいですね。
同じように聞こえます。
結果残存形の「している」(他動詞)と「てある」の違いはよく理解できておりません。
「窓を開けている」と「窓を開けてある」でそれぞれ短い段落の例文を見せていただけないでしょうか。

4、
もうひとつ混乱しているところがあります。
「窓【を】開けてある」、「コーヒー【が】用意してある」は両方できるようですが、どんなときに「を」を使い、どんなときに「が」を使うのでしょうか。

5、
また新しい例文を見かけました。言い方の違いを教えていただけないでしょうか。

_________
やることがないので、隣の駅の図書館に行こうと歩いていたら、高架のブロックに落書きがしてある。青いスプレーの漢字が連なった最後は、「生きていられると思うなよ」と、元気よく締めくくってあった。
_________

(1)「高架のブロックに落書きがしてある」と「高架のブロックに落書きがされている」の違い。
(2)「元気よく締めくくってあった」と「元気よく締めくくられていた」の違い。

補足日時:2014/01/21 00:19
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この回答へのお礼

 ご親切に教えていただきありがとうございます。いろいろとても参考になりました。申し訳ありませんが、まだいくつかの疑問点が残っております。補足させていただいたのですが、もう少し教えていただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。

お礼日時:2014/01/21 00:25

余計なことかもしれませんが、「天板」と書かれると机やテーブルのフラットな「天板(てんばん/てんいた)」を想起させられます。

「天火(てんぴ=オーブン)の平鍋(パン)なら「天パン」なんだけど…。作家も辞書に当って欲しいなどとぼやいたりします。
「「天板」のなぞ」
http://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/kotob …

1.「天板にはクッキーの星がぎっしり並んでいる。」
 :
これは、「並ぶ」という自動詞が完了した「並んでいる」という結果の状態を表す形容なので、いわば「(お互いが)重ならないよう」に「均(なら)されてある」という意味に変容されています。ですから、この場合に用いられて過不足ない、ごく自然な表現です。

一方、「天板にはクッキーの星がぎっしり並べてある」の方は、わざわざ神経質に整列させているという表現となります。吟子さんの性格描写に神経質や細かく律儀などを容れたいのであればまだしも、その意図がなければ余計な「煩い」言い回しになります。

また、、「天板にはクッキーの星がぎっしり並べられている」の方は、だからどうだと聞き返したくなります。これがショーケース内やテーブル上での客向けのデコレーションを記述する場面であればよろしいでしょうが、ただ重ならないよう均してあるだけの天パンでの状態を語るには「力み過ぎ」で読みづらいものがあります。

けっして達筆の作家とは思えませんが、それでも一字一句にブレや無駄がない筆勢力は持ち合わせているというところでしょうか。

2.「テーブルの端には、ラッピング用のピンクの小袋と金のひもが用意してあった。」
 :
これも、吟子さんの発言はそのまま投げ出しとし、一方、彼女の行動も最小限の切り詰めた描写に留めようとするこの場面の構成上、彼女に纏(まつ)わる客観記述もまた端的な記述に切り詰める、いわゆるヘミングウェイ風のバードボイルド手法のような狙いがあるものと感じます。
その場合は俳句などと同様、一字一句とも弛(たる)みの無いように、文章を吟味していますから、間延びのする「~用意されていた」や、語りとしての語調の揃(そろ)わない「用意していた」などはオミットされるでしょう。これらは文法上の如何ではなく、文体手法の選択上での好みの問題でもあるでしょうから。
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この回答へのお礼

ご親切に教えていただきありがとうございます。いろいろとても参考になりました。「天パン」のお話も大変参考になりました。

お礼日時:2014/01/19 22:58

 No.2です。

質問を見落としていました。
 
>他動詞の「用意する」の場合、「テーブルの端には、ラッピング用のピンクの小袋と金のひもが用意していた」という日本語の文も存在するでしょうか。あるかどうか自信がありません。口語で使う「このことは聞いている」のなかの「聞いている」も他動詞なので、たぶんあるだろうと思われます。

 
 他動詞の場合、普通は「何をどうする」の形で使うのが普通です。
 「テーブルの端には、ラッピング用のピンクの小袋と金のひもが用意していた」とは言いません。あなたがあると思ったのは、「テーブルの端には、ラッピング用のピンクの小袋と金のひもが用意されていた」「テーブルの端には、ラッピング用のピンクの小袋と金のひもが用意してあった」を見つづけてきたための錯覚です。
「テーブルの端には、ラッピング用のピンクの小袋と金のひも《を》用意していた」と言うべきです。
  
「テーブルの端には、ラッピング用のピンクの小袋と金のひもが用意してあった」の「が」用意する対象を「が」を用いて表したものです。「花が置いてある」「鍵がかけてある」も置く対象、かける対象を表します。 

「このことは聞いている」というのは正しいでしょう。だからといって「このことが聞いている」とは言えません。「は」と「が」とは別の助詞です。
 長くなるので、これで終わりますが、「ている」と「てある」との違いは多いのですね。日本語ネイティブの人は、何も気づかず使っていますが。また疑問があれば質問してください。



他動詞の「用意する」の場合、「テーブルの端には、ラッピング用のピンクの小袋と金のひもが用意していた」という日本語の文も存在するでしょうか。あるかどうか自信がありません。口語で使う「このことは聞いている」のなかの「聞いている」も他動詞なので、たぶんあるだろうと思われます。





という日本語の文も存在するでしょうか。あるかどうか自信がありません。口語で使う「このことは聞いている」のなかの「聞いている」も他動詞なので、たぶんあるだろうと思われます。
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この回答へのお礼

再びありがとうございます。「が用意していた」はないことに納得できました。「を用意していた」をB3としてさきほどのB12に追加させていただきます。A123もB123も使い分けはいまひとつまだよくわからないので、もし心当たりがございましたら、またご意見いただければありがたく思います。

お礼日時:2014/01/19 22:36

 この前、同様の質問で回答数が16も続いていたことがありました。


   http://oshiete.goo.ne.jp/category/626
その質問をされた方ですね。前のベストアンサーの方が、書かれていたサイトは、他動詞を「処理動詞」と「設置動詞」とに分け、自動詞は特に区別しないという内容だったので、そんなことに心当たりがないのなら見なくてもいいでしょう。かえって分かりにくくなりますから。日本語文法にも色々あると思い知らされました。
 あなたが習っている文法のテキストには、「アスペクト」のことがどう説明されているのか、知ってから回答した方が良いのかも知れません。それが出来なければ、こちらが適当に推測して書かねばなりません。

A
 1. 「クッキーの星がぎっしり並んでいる。」
 「並ぶ」というのは自動詞で、人が並ぶ、鳥が並ぶ、お星様が並ぶ、クッキーが並ぶと言うように言います。人が並ぶのは人の意思で、小鳥は習性で並びますが、星は自然の力で並びます。(並んでいるように見える)クッキーは誰かが並べてるのでしょう。これらの場合すべてを、日本語では「並ぶ」と言います。
 その「並ぶ」に「ている」がついた形が「並んでいる」で、「並ぶ」という動作が完了した状態が残っているのです。

 2.「クッキーの星がぎっしり並べてある。」
 「並べる」という他動詞を使っています。(並ぶという自動詞とは違っています。)そして、誰かが「クッキーの星」を「並べた」のです。そしてそのあとに「てある」をつけて「並べてある」となります。意味は「並べる」という動作の完了した状態が残っているという意味です。そして、あなたが言うとおり「吟子さん」らしい動作主を暗示しています。

 3.「クッキーの星がぎっしり並べられている。」
「られる」という受け身を表す表現が使われています。つまり、「クッキーの星が(誰かの手によって)並べられている」のです。この誰かは「クッキーを作っている吟子さんである」ことははっきりしています。(これは暗示ではなくはっきりした推理です)「ている」は最初の場合と同じで「並べられる」という受け身の動作が完了した状態が残っていることを表します。

B
 1.「テーブルの端には、ラッピング用のピンクの小袋と金のひもが用意してあった。」
「用意する」という他動詞に「てあった」がついて「用意してあった」となり、「用意する」という動作が完了した状態が残っていることを表します。これも当然動作主(吟子さん)を暗示します。

 2.「テーブルの端には、ラッピング用のピンクの小袋と金のひもが用意されていた」
 「用意されて」の「れ」が受け身を表します。「……小袋と……ひもが(誰かによって)用意されていたのです。誰かはAの3.と同じ吟子さんですね。

 Aの方が、「ている」「てある」であるのに対して、Bが「てあった」「ていた」となっているのは、クッキーを作ってならべるより以前に用意がしてあり、それが過去であったことを表すのでしょう。

 「ひとり日和」の引用文の終わりの方に「鼻歌まじりに洗い物をしている」という文がありますが、ここで「している」の「し(する)」は継続動作動詞なので、「動作が続いている状態」を表します。
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この回答へのお礼

ご丁寧に教えていただきありがとうございます。前回の質問でも大変お世話になりました。pdfファイルはとても参考になりました。「アスペクト」は文法という意味でしょうか。自動詞と他動詞の概念はよくわかります。今回教えて下さった内容も全部理解できました。不明なのは三者はどのように使い分けるのかということです。作者はあるイメージを伝えるのにたとえば、三つか二つの構文の方法があるとします。A123とB12のように。日本の方はどのように三つや二つのうちに自分のイメージに一番ふさわしい表現方法を選ぶのか興味を持っているところです。

お礼日時:2014/01/19 22:25

今回のご質問はかなり細かいところ迄お読みなられていると感心しました。


日本人でも読み流すと、その差異を見過ごしてしまいます。
今回の場合は、その程度の差です。(差がないわけではありませんが、大きな差があるという程でもないのです)

(1)は微妙すぎて鳥渡説明がし難いです。
(2)についてのみ説明します。
「~用意してあった」---誰が用意したとか、何時用意したとかを考えずに、そのとき見ると「用意」がされていたとのみ云っているようにも読めます。英語の時制で云うと「単純過去」になります。
「~用意されていた」---その時より前に用意をした、場合によっては誰か他の人が用意して呉れたのかもしれない。英語の時制で云うと「過去完了形」になります。

「テーブルの端には、ラッピング用のピンクの小袋と金のひもが用意していた」という日本文は少しく妙です。
「~ひもを用意していた」ならば良いです。「ひもが」の「が」が妙です。「ひもが」とするならば「用意されて居た」等となります。

ご質問の地の文ですが、
「日本語の文も存在するでしょうか。あるかどうか自信がありません。口語で使う「このことは聞いている」のなかの「聞いている」も他動詞なので、たぶんあるだろうと思われます。」
ここが不自然の箇所があります。
「日本語の文」 ⇒ 「日本語の文章」又は「日本文」 (前者の方が良いだろうと思う)
「あるかどうか」 ⇒ 「これで正しいのか」
「たぶんあるだろうと思われます」 ⇒ 「多分、これも正しいのだろうと考えています」又は「多分これも正しい語法だと考えています」

ご参考にならば幸甚です。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。大変参考になりました。質問文までも貴重なご意見をくださり心から感謝いたします。これから気をつけます。

お礼日時:2014/01/19 22:02

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