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必修の出席が足りなくて2留しました。

大学の授業で出席とる意味ってなんなのでしょうか。
大学から遠い人だけが一方的に努力と時間の浪費を強いられるゴミシステムだと思うのですが。

一応毎年教員に聞きに行くんですが、自分の印象を悪くしたくないので反論できずにいます。

みなさんは出席システムにどのような考えをお持ちですか?

A 回答 (22件中1~10件)

件の必修授業の単位を取るには、出席とテスト/レポートなどと、双方が求められている、ということですよね?


で、出席が足りなくて2回も留年を食らって憤慨している、と。


僕は真逆で、出席がほぼゼロに近かったのに、テストの成績が良かったので単位をもらえた経験があります。
ほとんど出席していないけどテストを受ける意味があるか、一応、授業を担当する講師に確認をとり、点数次第では成績を考慮してくれる、とのことだったので、テストを受けたのですが、いや、ほんとに助かりました。考慮してくれて。
僕の場合は、家と大学が遠かったというより、怠惰すぎて授業にほとんど出ていなかった、僕自身がゴミ学生だったのですが。


先の回答者さんとのやりとりで、プロセス/結果、という考えを持ち出していますが、
この質問の背景として求められている「結果」は、単位が取れるか否か、ですよね。

テストの点数、レポートの成績が取れること、授業に欠かさず出席することは、「結果」ではありません。
テストやレポートも出席システムも、どちらも等しく、単位を取る、という「結果」のためのプロセスです。

テスト/レポート=理解度
出席=やる気

…まあ、分かっていると思いますが、上記のような感じですよね。

出席システムだけで判断するのは、授業の理解度を計るには危うい。だからテスト/レポートを行うのであり、しかしテストだけで判定を行えば、テスト/レポートでは不正行為なども考えられるので、出席システムと総じて判定するのが妥当、ということでしょう。
これらは悪いシステム、プロセスではないと思います。
ただ、テスト/レポートがパーフェクトであるのに、出席が足りていないからといって足切り的な判定をされた、または毎回授業に欠かさず出席したのにテスト/レポートが少し悪かったから落とされたとなれば、そりゃあ腹も立つし、非情すぎるってもんです。たまたまテストの日にお腹が痛くなっちゃったのかもしれませんしね。

さて、仮に、出席というプロセスを重視するのであれば、これは家が遠くて「努力と時間の浪費を強いられる」のではなく、「時間ばかり浪費してしまう努力」をした学生に報いるシステム、と思えます。
毎回欠かさず出席してくれたら、そりゃあ、ずいぶんやる気があるなぁ、と誰もが思いますし、そういうのを努力と言うはずです。
特に家が遠いなんて事実を知り、それでも毎回出席してくれているとしたら、そりゃあ、その努力に満点をあげたいと思っちゃいます。
逆に家が遠いことを言い訳にしたら、むしろやる気を感じられないでしょうし、嫌々、浪費だと思ってたまに出席するようでは、誰も努力として認めてくれません。


また、単位を取るという「結果」への2つの複合的なプロセスとして、質問者さんはどちらのプロセスもパーフェクトかどうか分かりません。
出席が足りていない、というのは明白ですが、テストの点数、レポートの成績などはどうだったのでしょうか。
テスト/レポートがパーフェクトであるなら、出席システムを「ゴミシステム」と言えると思いますし、その授業の教員の方も、単位を与える「結果」判定の上で、いくらかは考慮してくれるでしょう。
質問者さんのテスト/レポートの成績は、例外として考慮すべきレベルにはまだ至っていない、ということではないですか?
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成績とは全く関係ないけど


落ちこぼれていくやつが出てこないかどうか見張る
という意味もないわけではありません. つまり
欠席する→分からなくなる→やる気をなくす→退学
というフローの上流で監視しておこう, ということ.
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なぜ、出席を重視するとわかっている講義に出席しなかったのかが不思議です。

一年目にそれはわかったでしょうが・・・

あなたには、学生の成績をつける権限はないのですから、きめられた条件のなかで条件をみたして卒業することを考えるべきです。

どうしても出席をとられるのがいやなら、東大とか一橋とかにいけば、まず出席はとられませんよ。極端なはなし、2回でただけでも試験にとおれば単位はとれます。むろん、自己責任ですから試験ができなければおちます。

この回答への補足

>なぜ、出席を重視するとわかっている講義に出席しなかったのかが不思議です。一年目にそれはわかったでしょうが・・・
 「脅すだけ脅してなんだかんだで最後は救済するくせに」と言う甘えです。

>東大とか一橋とかにいけば
 自分のレベルでは無理ですね。やっぱりレベルの高い大学は出席ないのですね。では、なぜ出席がないのでしょうか。大学のレベルと出席の有無の関係とはなんでしょうか。

補足日時:2014/04/03 14:31
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 逆に一つの提案ですが、なぜ一般教養が設定されているのかを考えてみる必要もあるかと存じます。


確かに大学の趣旨は専門的知見を得る場所ではあるものの、その専門的知見を得るには方法論も必要です。
 でその方法論を知るには遡及と領域の広がりを知る以外にはないはずです。そうした枠組をどう構築させるかとの意義を理解するなら、一般教養なんて必要ないじゃんと高をくくる大学生とはいえない単なる実験オタクを粗製濫造させる機関に堕落してもしまいます。
 よくある「必要なものと必要でないもの」とを分別してとらえようとする「ゴミの分別的な思考」をそのまま適用するには無理があるかとも存じます。
 ゴミを分別することの意味は、ゴミの種類によって処理の仕方が異なるとの前提があり同じ処理方法では処理できないとの理由もあります。けれども最終目的は「ゴミを如何に処理するか」であって、底に至る過程の違いだけの問題ともいえます。

この回答への補足

>「必要なものと必要でないもの」とを分別してとらえようとする「ゴミの分別的な思考」をそのまま適用するには無理があるかとも存じます。
 確かに、自分は「必要or不必要」「損or得」など表面的な2択でしか物事を考えていないような気がします。それが簡単で分かりやすいからです。

 自分のとは違った価値観、物の見方、考え方って理解するのが難しいです。2留するような人間ですので。よろしければもう少しかみ砕いて説いてくれないでしょうか。おねがいします。

補足日時:2014/04/03 14:25
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No.8gouzigです。


taomonさんの補足コメントを読みました。
「ですが過程はどうであれ、少なくとも結果を出せただけ他の人間よりも優秀な人間ではないですか?」や
「処世術に長ける人間は過程が適当でもしっかり結果をだして評価されていますよね。社会で成功するのは、やはりそう言った世渡りのうまい一握りの人間で、その他大勢の凡人は過程と結果両方をしっかり積み上げるしかないのでしょうか」
とう考え方に競争社会の中での焦りが感じられますね。
要領がいい人間になって勝ち組になりたいというような焦りですね。
勝ち負けや損得という考え方が強過ぎるようです。
まだお若いからしょうがないのかもしれませんが、長い人生を勝ち負けだけの考えで生きたら多くの人達から嫌われる人間になってしまいます。そして周囲の人たちを恨むような人生になってしまいます。
私はおじさんですが、taomonさんには損得だけで人生を考えない人格ある人間になってほしいと切に願います。
今は人間の基礎を作る大切な時期ですから。

この回答への補足

何度もお相手してくださり感謝します。

>要領がいい人間になって勝ち組になりたいというような焦りですね。
 よく分かりましたね!自分は要領がいい人間に強く憧れています。無駄な努力はしたくないです。自分より楽しているのに、いい思いをしている人間が憎いです。

>周囲の人たちを恨むような人生になってしまいます。
 確かに大学生になってから、自分の心が醜くなったと感じることが多いです。

>私はおじさんですが、taomonさんには損得だけで人生を考えない人格ある人間になってほしいと切に願います。
 なんかありがとうございます。頑張りたいと思いますが、損得重視の考え方が染み付いてしまっており、なかなか抜け出せそうにありません。

補足日時:2014/04/03 14:16
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質問内容に限定して回答するなら、教員からすれば出席を取るのは、一つには弱者救済でしょう。

つまり出来の悪い学生に下駄を履かせて単位を出すための手段です。そしてもう一つは逆に出来の悪い学生に不可をつける際の安心材料です。成績の悪い学生が授業に出ていなければ、「授業に出ていないから成績が悪いんだね。単位を落としても仕方ないね。」と思うことによって、単位を落とす際の精神的な負担が軽減されます。

なお、あなたの質問にある「努力と時間の浪費」とは何のことでしょうか。通学時間のことであれば、あなたの個人的な問題なので自己解決すべきです。授業を受けることが無駄というのであれば、そんな大学さっさとやめればいいんです。そもそも、授業を受けなければ単位を取れないのであれば、「無駄」などと言ってしまうのはとんでもない思い上がりじゃないですか。


以下、いささか脱線しますが、質問に関して思ったことや補足的なことを書きます。
まず、教養科目が重要かどうかという点に関しては、価値観の問題なので不毛な議論です。ただし、「一般教養」なるものの重要性を評価しようと言う流れはありますし、より役に立つものに変えようと言う努力を行っている大学や教員は多いです。

これまでの回答でも指摘されているように、授業に出なくても単位が取れるのであれば、その授業に問題があるはずです。教科書もないのであればいったい何で勉強するのでしょうか。また、授業を担当する側からすれば、授業に出ない学生で期末試験で良い点をとる学生は皆無に近いという現実もあります。

大学からの距離などはあなたの個人的な問題であり、それが嫌なら近くに転居するなり、近くの大学を選ぶなりすれば良いことです。経済的な理由でそれが出来ないというのであれば気の毒とも言えますが、そういう言い訳をするのであれば、留年することは経済的にも時間的にも無駄なことです。それを2回も繰り返した人が言っても、怠け者の言い訳にしか聞こえません。

それと、高校で出席を取る意味、あるいは会社に定時に出席しなければならない意味に関しては疑問をもっていないようですが、それならばなぜ、大学で出席を取ることが気に入らないのでしょうか。それはあなたが大学生になれば勉強をせずに過ごしたいという勝手な願望を持っていたからではないですか。その結果が留年につながったことを認識すべきです。出席点なるもので単位をもらった学生を批判するのは結構ですが、そういうあなたも試験が出来なかったから単位がもらえなかったんでしょ?試験が出来なかったのは授業に出なかった、あるいは勉強しなかったからでしょ?

そもそも、高校で出席を取るのは文部科学省の規定に従っているからです。大学に関しても出席に関する規定があり、近年それに従うことが求められています。そのために出席を取ることが好ましいとされ、3分の1以上出席しないものには単位を出さないことになっています。あなたが試験を受けられたというのであればまだましというか、本来は受験資格を認められなくても仕方がない状況です。世の中、さまざまな規則があり、特別な理由がない限りそれに従うのが普通です。

この回答への補足

>「授業に出ていないから成績が悪いんだね。単位を落としても仕方ないね。」と思うことによって、単位を落とす際の精神的な負担が軽減されます。
 確かに考えてもみれば教員も人間ですからね。精神的負担の軽減のためという考え方は思いつきませんでした。(ですが、所詮教養科目なのでみんなに単位くれてもいいと思います。)

>あなたの質問にある「努力と時間の浪費」とは何のことでしょうか。
 通学時間です。例えば、60分かけて通学する学生もいれば5分で通学する学生もいます。彼ら二人の出席が同じ重みっておかしいですよね。出席点に通学距離加点とかしてほしいなって感じです。

>通学時間のことであれば、あなたの個人的な問題なので自己解決すべきです。
 選挙の時に「1票の格差」が違憲だと騒いでいる方がいますが、その人達も自己解決するべきですよね。田舎から都会へ引っ越してくれば解決ですよ。ですが、彼らは自己解決せずにルールがおかしいと思っています。自分も彼らと同じでルールがおかしいと思っています。

>教養科目が重要かどうかという点に関しては、価値観の問題なので不毛な議論です。
 確かにそうですよね。自分は教養科目に価値を見出せそうにないです。

>授業に出なくても単位が取れる
 むしろ自分がおかしいと思っているのは、授業に出て「さえ」いれば単位が取れることです。だからこそ、「出席することってそんなに大切なの?」って疑問に思ったのです。

>近くの大学を選ぶなりすれば良いことです
 一番近い大学選びました。

>留年することは経済的にも時間的にも無駄なことです。
 ほんとにこれに尽きます。自分でもバカバカしいです。親が一人暮らしを許可してくれないのでどうしようもないです。最初から一人暮らしさせてくれればこんな無駄金かかりませんでした。

>高校で出席を取る意味、あるいは会社に定時に出席しなければならない意味に関しては疑問をもっていないようですが、
 高校の出席もアホだとは思います。内申書に欠席日数を記載し、それが入試に影響するとか意味が分かりません。あえて言及していないだけです。社会人は、自分の時間の対価としてお金を頂くので無遅刻無欠勤は当然だと思います。

>大学生になれば勉強をせずに過ごしたいという勝手な願望を持っていたからではないですか。その結果が留年につながったことを認識すべきです。
 専門科目は取れているのに教養科目で留年とか意味分かりません。自分は学びたいことを学びに大学へきました。いつまで高校の延長みたいな事やらされるのですか。学びたいことを学べるという勝手な願望でした。

>出席点なるもので単位をもらった学生を批判するのは結構ですが、そういうあなたも試験が出来なかったから単位がもらえなかったんでしょ?
 その学生を批判というか、そういう学生が出てくるような評価システムは正しいのかと思いまして、みなさんの考えを聞こうと思っただけです。ちなみに自分は試験落としてます。

>世の中、さまざまな規則があり、特別な理由がない限りそれに従うのが普通です。
 間違った規則も多くあるとおもいます。規則だから、と盲目的に従うのは思考停止ではないですか。

補足日時:2014/04/03 14:08
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>自分は就職に有利だからという理由だけで大学に行っています。


クズな考えですが、高卒での就職が厳しい現在の就活事情ではしょうがないと思います。

高卒でも目的意識をちゃんと持ってれば採用されますよ。大学いって勉強してない人よりも、より貪欲に吸収しようとしています。

>>決められた授業に出席できないなんて、社会に出たら許されないことです。
確かに学生としての甘えはあります。しかし、なぜ「学生で授業に出られない」=「社会に出てもダメ」になるのでしょうか。
社会人になったら甘えずに出勤します。現に大学よりも早く始まる時があるアルバイトも無遅刻無欠勤です。

「ダイエットは明日から」と同じです。口に出すのは簡単でも実行するのは難しいです。
アルバイトで無遅刻無欠勤できるなら、その心で大学で無遅刻無欠席を実行すれば問題はすべて解決です。
それができていないから社会人として失格なのです。

>>出席を取ることがゴミシステムだと本気で考えているなら~
恥ずかしくないです。逆に聞きますが、あなた様は不満があったら全てに異議申し立てするのですか?

自分に問題がないと言い切れる場合は異議申し立てしますよ。

>権力を持たない者は権力を持つ者に蹂躙されるしかないことなんて身にしみて分かっているんです。

身に染みて分かっているなら、盲目的にしたがって授業に出ればいい話です。

>ただ、自分より成績悪いやつが授業に出てただけという理由で進級していく現実をみて、「進級はこれこれこういう理由でとっても重要だから、出席しない君はゴミなんだよ。」といわれて納得できる理由がほしいだけなのです。

「出席すること」と決められていることを守れないのは問題外です。決まりがおかしいと思うなら、正面切っておかしな点を指摘し、決まりを変えるべきです。

>>自分の主義主張を他人にちゃんと説明することすらできないなんて、大学に行く意味あるのでしょうか?
大学に行く目的は自分の主義主張を他人にちゃんと説明するようになるためではないどおもいますが。多少飛躍しすぎではないでしょうか。

大学は社会に出るための勉強をするところです。学問の知識を身につけるだけでなく社会規範を学ぶところでもあるんです。
社会に出れば、自分自身の意見をちゃんと表明し、時には対立し、議論し、結論を得なければなりません。その準備をしているのです。
なので理不尽に思うことがあれば、徹底的に調べ、議論すべきなのです。

>>嘆かわしいばかりです。
ごめんなさい。こんな自分に手厳しいコメント感謝します。

前回の回答の冒頭にも書きましたが、日本一の大学と呼ばれる東京大学でも、質問者さんのように出席日数が足りず単位が取れない学生がいます。
それでも大学の体面を守るため単位不足による退学を行っていませんでした。
が、あまりの学生の甘えに堪忍袋の緒が切れたようです。

大学は学生が自発的に学ぶ場であり、大学はその環境を提供するという本来のあるべき姿に戻る時期に来ているようです。

この回答への補足

何度もお相手ありがとうございます。

>高卒でも目的意識をちゃんと持ってれば採用されますよ。大学いって勉強してない人よりも、より貪欲に吸収しようとしています。
 結局、目的意識ある人は高卒でも大卒でも関係ないんですよね。しかし、自分が言うのも変なのですが、今の若者の大多数はハッキリとしたビジョンもなく、大学に行っているように思えます。大学に行った方がよりリスクの少ない安定した将来に繋がるって程度の認識で進学しているような気がします。

>アルバイトで無遅刻無欠勤できるなら、その心で大学で無遅刻無欠席を実行すれば問題はすべて解決です。それができていないから社会人として失格なのです。
 まあそうなんですけどね。社会人やアルバイトは、自分の時間を捧げる対価としてお金を頂いているので、無遅刻無欠勤は当然だと思うのですが、学生となるとどうも「甘え」が出てしまいます。(なんだかんだで最終的に誰かが助けてくれるだろう、と言う甘えです)この「甘え」こそが社会人失格とお叱りを受ける理由ですか。

>自分に問題がないと言い切れる場合は異議申し立てしますよ。
 自分も将来はそれくらいの大物になりたいものです。

>「出席すること」と決められていることを守れないのは問題外です。決まりがおかしいと思うなら、正面切っておかしな点を指摘し、決まりを変えるべきです。
 決められたルールに盲目的に従うのは思考停止です。世の中って間違ったルールで溢れていると思います。出席システムも間違っていると思っています。しかし、間違っているいないは自分一人では決められることではないので、こうして色々な人に考えを教えて頂いているのです。今回のテーマは「自分は出席システムは間違ったルールだと思う。それは平等に評価されないクソシステムだからだ。他の経験豊富な人たちは出席システムについてどう思うのか。」です。

>社会規範を学ぶところでもあるんです。
 確かにそうですよね。忘れてました。自分が間違っていました。

>なので理不尽に思うことがあれば、徹底的に調べ、議論すべきなのです。
 出席システムは不条理です。しかし独り善がりに陥りたくはないので、色々な人の考えが知りたかったです。

>あまりの学生の甘えに堪忍袋の緒が切れたようです。
 (今回のテーマから脱線してしまうのですが)毎回思うのですが、なぜ甘えるようになったのでしょうかね。一世代や二世代で人類としてのポテンシャルに変化なんて起きませんよね。結局は、社会や環境(つまり大人達)のせいではないのでしょうか。

補足日時:2014/04/03 13:33
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必須というから専門科目かと思ってましたよ。

教養科目?こんなものは高校の延長科目なんでシステムも高校と同じでしょ。つまり出ることに意義があるわけです。大学の授業なんてものでは無いですから。つまり基本の基本。ここを通らないと専門なんか学ばせねえよって事ですよね。だったら出席すべきですよ。
あなたのやってる事は行き成り社長の椅子に座らせろ、エグゼクティブ会議に出させろという新人と同じですよ。つまり社会でもやっていけません。

この回答への補足

>必須というから専門科目かと思ってましたよ。
 専門科目の方はなんとか落とさずに済んでおります。(出席<試験ですので)

>つまり出ることに意義があるわけです。
 出ることの意義ってなんなんですかね。高校の頃もでしたが、結局のところ、この魔法の言葉に誤魔化されっぱなしです。

補足日時:2014/04/03 12:58
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 他の方とは少し異なるかもしれませんが、学士編入した時の経験と現在その時の経験から採用しているシステムの話をします。


 経済を卒業した僕が、畑違いと言っては専門の方に失礼かもしれませんが、日本史学科に編入した時、基礎史料演習との講座を担当する教員が採用していたのは、とある漢文史料の書き下し文を毎時に提出させ、それと引き替えに出席カードを渡すとの形でした。
 これは専門科目でしたから可能なシステムと言えるかもしれません。もしこれが一般教養や専攻科全ての共通必修ならばどうなるか。大部屋で、しかも理系学部の学生ならば殆どは文系科目の必要を意識することがあるでしょうか。もし持っているならばそれは今時珍しい奇特な学生ともいえるでしょう。専門でのレポート提出などを理由としてこじつけるだけの姑息な逃げ方をするが、一二年次のそれらがさほど忙しさを求めているともいえません。勉強の手法がそれまでと変わった形であることを殊更に強調する必然性もないでしょう。
 そして実際に「出席を点数化する」との形を反映する教員もおりませんね、僕の仕事場には。出欠を点数化するならば、大部屋でそれを行えば、クラシックな方法として代返や代筆が横行もします。更には「出席=平常点」と勘違いする高校生並みの愚か者を増やすためだけの根拠としかなりもしません。
 でもね、僕は「出席を取ること」が決してゴミシステムであるなどとも言いません。出席していなければ、前回の内容を踏まえての続きに追いついて行くことすらできないことも考えてみる必要がありませんか?
 大部屋での一般教養といっても、教員によっては明らかにそうした部分を重視する者もいます。講座の内容が直接に試験とリンクする形ですから、出席してなければ試験での成績もC以下となり落第もありとの形になります。当てずっぽうで回答できるほどのレベルを出題する教員しかいない大学ならば、それは大学自体の質にも関わる問題ともいえます。
 語学の単位と同じです。出欠を重視しないといっても、一段落毎を解釈していく割り当てならば、そこに使われている代名詞の具体的内容を訳出せねば訳にはなりもしません。ですから受講者側もそれを前提して踏まえもしますから、自然に出席を余儀なくされもし、それを受け容れています。

 >大学から遠い人だけが一方的に努力と時間の浪費を強いられるゴミシステム
これは質問者が単に自己弁護のために用いる便法ではないでしょうか。

この回答への補足

>しかも理系学部の学生ならば殆どは文系科目の必要を意識することがあるでしょうか。
 まさにこの状態です。大学は学びたいことを学ぶ場所、と謳っておきながらなぜ高校の延長のようなことをするのでしょうか。

>出席していなければ、前回の内容を踏まえての続きに追いついて行くことすらできないことも考えてみる必要がありませんか?
 講義について行けず、試験ができないのは休んだ本人がいけないのであって、出席を強制し、出席している事自体を評価する必要ってなくないですか。

>これは質問者が単に自己弁護のために用いる便法ではないでしょうか。
 事実、出席することが評価に影響するのなら、60分通学の学生と10分通学の学生でどちらが苦もなく評価を良くできるのかは明かだと思うのですが。

補足日時:2014/04/03 12:24
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> 自分の大学は、必修の教養科目が出席重視で、なかなか取れません。



いや。出席するのは当たり前で、その上で落ちる人が結構いたということ。出席しない人が落ちるのは当然です。
私の場合、理系だったんで、実験講義なんてその典型ですよ。

ご質問者さんの大学は分かりませんが、私が経験した大学だと、教養課程(1・2年次)の講義は、専門課程での基礎になる部分。点が取れるかなんてより、如何に専門で役立つスキルを身につけるかでした。安全指針なんて、出席していないと意味ないですし、本で理解しても、専攻に入ったら基本的な動作が分からないなんてことになります。専攻を前提にした語学なんてのも同じかな。
教科書、専門書だけ分かってても、危なっかしくてひとりで実験なんてさせられないでしょうから。低学年なんて、そのための知識・作法を身につける感じでした。

この回答への補足

>いや。出席するのは当たり前で、~
 だからなぜそれほど出席が大切なのでしょうか。

>私の場合、理系だったんで、実験講義なんてその典型ですよ。
 自分も理系です。実験をはじめとする実習系は休みなく出ています。落とした教養科目は文系の科目です。

補足日時:2014/04/03 12:09
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