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明治維新やその後の一連の改革によってそれまで日本が築き上げてきた文化に様々な影響が及ぼされたと思います。
私はいままで悪い影響ばかりだと思っていました。
例えば、神仏分離による神仏習合といった調和文化の否定、武士階級の廃止による武士道精神の崩壊、欧米文化の導入による江戸しぐさやわびさびといったような奥ゆかしい精神文化の崩壊等々。
一方で、廃藩置県や鉄道などの普及による人々の往来でそれまで各藩で独自に形成されていた藩としての文化が日本としての文化に拡大していったともいえ、悪影響ばかりではないのかなと思います。
ここまでが私の意見なのですが皆さんは明治維新によって日本の文化は

A 回答 (4件)

1番変った点をひとつ。



それは税制です。

江戸時代までの税制は、生産者と販売業者の手数料で賄われており、国の運営は、国が商売して儲けたお金で賄われていました。
借金も国(藩)の裁量です。

一般の町人や侍は非課税でした。
それが、全国民が税負担するようになったのです。

つまり日本は世界でも成功していた社会主義を捨て、資本主義に移行したということですね。
世界的にこれほど成功していた社会主義国はありません。
勿体無い。
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文化というのは、権力者が『変えろ』といって変わるような、そんなものではないと思います。

もちろん、社会制度などが変われば持てはやされるものも変わってくるのでしょうが。

文化はともかく、神仏習合への批判は江戸中期には出ていました。出雲大社などもこの頃に、国学がどうたらというような感じで、地味ーな藁葺のものに建て替えられてたと思います。まぁそれを今では先駆的で正しかったなどと言っているのを聞くと、ちょっと違うというか全く違うだろうと思ってしまうのは質問者と同じでしょうか。

少し話がそれますが、宗教のなかで仏教というのは、他と比べて頭1つ飛び抜けているほど、知の大成であると思っています。日本では今の葬式仏教が仏教だと多くの人に思われているのは、非常に残念なことです。
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ご質問が途中で途切れていますが、タイトルの文章が続いていると勝手に解釈して、説明させていただきます。


>神仏分離による神仏習合といった調和文化の否定、武士階級の廃止による武士道精神の崩壊、欧米文化の導入による江戸しぐさやわびさびといったような奥ゆかしい精神文化の崩壊等々。
この前提は、第二次世界大戦後の復興が終わった後の高度成長期の時代につくられたイメージが基となっています。
武士道精神などという考え方は明治になってから勝手に作り上げられたものです。
「葉隠れ」などという書物は、江戸時代には奇書の類とされ、内容が不穏当であるとして禁書扱いでした。
わび、さびも室町時代に生活に困らない閑人が作ったものです。
えどじぐさなどというものは江戸時代にはありませんでした。
単なる江戸という都市の習慣を、読み本黄表紙などという、今でいえば大衆雑誌の記事を鵜呑みにして喧伝しただけのものです。
江戸という街は、中期までは上方文化が主流でした。
元禄文化というのは、京、大阪の文化です。
明治維新までは、京のものは常に高級なものとして取り扱われていました。
当時の江戸は単なる新興都市でした。
江戸の街特有のものが認められるようになったのは後期から末期にかけてです。
あくまでも、江戸という都市の文化であって日本全国のもではありません。
神仏習合と調和とは何の関係もない思想です。
各々思想の基盤が異なります。

文化の伝承を考える際には、1000年単位で継承される底流とその時代に即応して変化していく、表層流と、その中間に分けて考える必要があります。
いずれにしても、現在の価値観で評価をしないということが鉄則です。
現在の価値観では否定されても、当時は文化として認められ発展していたものもあるということです。

明治維新によって、伝承が途切れたものもあれば、継承されたものも、新たに加わったものもあります。
第二次世界大戦後に途切れたものも、継承されたものもあります。

日本は常に外来のものを貪欲に取り入れて、すべて日本化した上で継承するという特徴があります。
結果として、発祥地では途絶えてしまったものでも、原型は未だに継承されているものが多数あります。
雅楽などというのがその典型です。
このように、最新のものであれ、古代のものであれ、同じ時空に併存させ続けるというのが日本文化の特徴です。
645年に創建され、都内最古の寺である、金龍山浅草寺の前でサンバカーニバルのパレードを開くというのもこの例です。
よさこいソーランなどという若者主体のイベントも全国に広がっています。
よさこい祭りなる形式は徳島の阿波踊りに対抗して昭和になってから作られたイベントです。
青森のねぶた祭りも、第二次世界大戦後に発達したものです。
そもそも青森というのは江戸時代には北辺のさびれた小さな漁村でした。
ねぶた、は津軽で伝承されていたものです。

このたびの東北の地震の際にも、いかんなく日本の深層文化が発露しました。
援助にきた米軍の司令官が撤収時にお礼を言われたさいに、
「お礼をいいたいのは、こちらの方だ、自分が被災者であるにもかかわらず、多くの日本人が我々の手助けをしてくれた。おかげで我々は任務を全うできた」と言っていました。
わびだのさびだのえどしぐさなどどこにも出てきません。
これが日本の深層文化です。

現時点での懐古趣味に基づいた表層的な現象を議論してみても、何の意味もないものと考えます。
文化というのをもう一度お考え願います。
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>>神仏分離による神仏習合といった調和文化の否定



これは、よく言いすぎです。
そもそも、仏教と神とは別な物です。これが大前提。

蘇我氏が日本に仏教をぶっ込みます。
→そして、多くの人は〝仏〟に惹かれたのではなく、その作り物としての、〝仏〟と、建築様式に惹かれる。

これが、日本の地方地方に散々した各地の神への考えに染めらます。
つまりは、仏であるにもかかわらず、神として存在することになった。
ですので、本来の仏教徒にはいい迷惑です。
死んでも、いつまでも神としてあがめられるわけですから……。
生きてるうちに、修行をつみ、お経を読む。
死んだら、仏(仏陀)になるので、もう、どこにもいません。墓を建てても、そこにもいません。
何周忌といって、いろいろやってますが、意味がありません。
先祖というものは神道です。
ご先祖様……と、言っているなら神道です。
しかし、仏壇にそれを言っているならちゃんちゃら笑えます。

ですので、これはよくないことではなく、当たり前のことです。
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