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人は皆、大なり小なり発達障害の傾向を持っているという話を聞いた事があるのですが、自分が好きな事・興味を持ってる事に関しては、知識も豊富で記憶力も高くて、それ以外の事になると、 知識も記憶力もさっぱりって人は沢山居ると思いますが、そうした人達も、実は発達障害同様の脳機能の偏りから、その様になっているのでしょうか?

A 回答 (8件)

 障害って何?と調べてみて、実は明確な定義はない。

「○○に障害がある者」とはかかれているが、何を障害とするかは実は定義がないのだ。
 発達障害は可能性で言えば、「みんなある」。その時代の常識によって、発達障害の診察は左右される。
 例えば、ヒトを思いやり助けるのを美徳としない、つまり最近のデジタル世代の特徴である「悪いことをするヤツはさらせ」「自分が今楽しければいい」が過半数なら、アスペルガーは一般人になって、ヒトにいつまでも関わって共に悩んでなかなか進めないヒトが発達障害となる。だからといって、アスペルガーはヒトを助けない人種ではない。
 極端な例で言うと眼鏡もそう。眼球が歪んでいたり、視点がずれているから先天性的に障害があるために眼鏡という矯正道具をつける。義手義足と同じじゃないか。
 色覚異常もそう。色覚異常と言われるヒトの見える色が過半数なら、我々が今見ている色は異常となる。赤と言われている色が、あなたと私の色が同じ色に見えていることを証明する手立てはない。
 苦手なモノが生活に支障をきたせば障害と言えるし、得意なモノでも極めればサヴァン症候群となる。その程度のモノ。ここでも、ニートや弁護士にこだわるヒトは完璧な自閉的傾向だし、文にもそれが表れている人は多い。クラスや電車の車内に1割は居るよ。育てててるから、すごく見分けられる。仕事をちゃんとしているヒトの中でも、変なところにこだわって進まないヒト居るでしょ。全部そうだよ。机の上や人当たり、すべてヒットするから。
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この回答へのお礼

眼鏡や色覚異常もそうですね、明確な障害の基準って無いですよね。

>苦手なモノが生活に支障をきたせば障害と言えるし、得意なモノでも極めればサヴァン症候群となる。

僕も発達障害当事者ですが、それならば「発達凹凸症候群」にした方が良いと以前から思いますし、その方が環境やその人の立場によって「障害」にも「才能」にもなるという考え方がふさわしい様な気がします。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/07/17 12:28

発達障害当事者の家族です。


>人は皆、大なり小なり発達障害の傾向を持っているという話を聞いた事があるのですが

定型発達者(発達障害の診断に必要な様々な検査を受けても、能力のアンバランスが認められない人)まで範疇に入れてしまうとかなり無理があると思います。

しかし、『グレーゾーン』に該当する人はかなりいると思います。
つまり、“「発達障害」とまでは言い切れないけれど、かなり疑わしい特徴を持つ人から、通学先や就職先の環境・家庭環境に細心の注意を払うことで社会に適合できている人”ということなら、
『大なり小なり発達障害の傾向を持っている人はざらにいる』と。


>そうした人達も、実は発達障害同様の脳機能の偏りから、その様になっているのでしょうか?

定義しなおして、グレーゾーンについて言及した場合であっても、「発達障害同様の脳機能の偏り」とまではなかなか言い切れないと思います。
「同様」とすると程度がほとんど変わらないということになりますから、せいぜいが「類似」に留まるのではないかと。

発達障害が、かなり疑われる特徴を持つ人は、仰る通りなのかもしれません。当人が生きづらさを常に感じていて自覚があるようなケースや、家族から見ても、その方面の知識がある人から見ても、相当に疑わしい人のケースは、専門医に診てもらえば発達障害の診断が下りることはあると思います。

しかし、環境上の配慮が功を奏して社会に適応できている人のケースに至っては、まさにグレーゾーンで、「発達障害同様の脳機能の偏り」と断言するのは難しいように思えます。
周囲がどれだけ配慮しても、当人がどれだけ努力しても、なかなか成果が得られない、そういう状況がなければ「発達障害同様の脳機能の偏りがある」とは言えないのだと。


発達障害とは、常人が想像できるレベルの障害ではないんです。
例としては、絵を描くのが上手で、とてもきれいな描線を書くことができるのに、文字はと言えばミミズが這ったように汚く、大きさもバラバラで、罫線や升目に上手く収められなかったり、暗算が得意で解を一瞬にして出せるのに、その計算式を書くのが全く駄目で、数字の位置がずれてしまって正解を書くことが出来なかったり、人の話の内容をよく理解できていて、頭が悪いとは決して思えないのに、なかなか文章が書けなかったり、歴史もののドキュメンタリーの難しい内容をよく理解できて、人に説明も出来るのに、簡単な数詞や、自宅の住所や電話番号が、いつまで経っても覚えられなかったり、教科書の文章や漢字の書き取りや板書などを、ノートに書き写して行くそばから間違ってしまったりといったようなことがあります。

「“こちらのほうがよっぽど難しいじゃない” と思えることをさらりとやってのけたかと思えば、“こんなの誰でもできること”と思えるようなことが何度やっても身につかない」
「これが出来るなら、これが出来て当たり前が通用しない」
「無関心だから出来ないんじゃない」
それが、『発達障害』なんです。

発達障害の人が上手にできないことは、決して練習不足でも努力不足でもないんです。本人はとても真剣だし、覚えたいという意欲があるし、出来ないと困るということも、すごくよくわかっているんです。
子どもの場合は特に、当人は真剣でとても真面目にやっているから、「あれ、ここ違っているよ」と指摘を受けると、「どうして? ちゃんとやっているよ」と悲しい顔をします。
何度やっても出来ないときは、悔しくて泣きながら練習しているんです。
なのに、できないんです。

定型発達の人なら、日常生活を送るだけですんなり覚えられることが、何度やっても出来ない。出来るようになるんだと、チャレンジしても通常のやり方では決してと言って良いほどに覚えられない。
覚えたと思っていても、記憶が定着している期間がものすごく短いから、何度も何度も反復して、おさらいしないと覚えられない。
それが発達障害なんです。


ですから、引っ越しをしても自宅の住所や電話番号を難なく覚えることができ、2~3ヶ月掛ければ支障のないレベルで仕事を覚えることができ、社会生活を送る上で必要最低限のマナーや社会常識が身に着いているのなら、発達障害とは言えないし、発達障害同様の脳機能の偏りも全くないということになると思います。
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この回答へのお礼

必要最低限のマナーや社会常識があれば発達障害とは言えないし、脳機能の偏りとも呼べないんですね。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/07/17 12:21

〇〇障害、というのはですねえ。


その特徴が強いと日常生活に困るので、医学的研究と法的支援を求められるため、現代引かれている線なんです。
ですから、そんな特徴は、大なり小なり誰でもあります。
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この回答へのお礼

医学的研究と法的支援のための線引きなんですね。

やはり大なり小なり皆持ってるんですね。

日常生活に支障を来すかどうかは大きな問題ですね。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/07/13 21:12

心理士です。



ご質問の内容には、いくつかの点が含まれていますので、区別して考えると分かりやすくなります。

まず、“発達障害”について。
医学的な意味での発達障害には、自閉症スペクトラム障害、ADHD、LD等が含まれます(診断基準や、その変更など、詳しい議論は、ここでは割愛します)。
これら発達障害のある方では、認知能力に偏りがあることが知られています。

最近、とくに、自閉症については、そのとらえ方が変わってきて、上述のように“自閉症スペクトラム障害”といって、自閉傾向は、その程度が異なるだけで誰にでも、多少ともあるという風に変わってきています。
これが、質問者様が、「人は皆、大なり小なり発達障害の傾向を持っているという話を聞いた事がある」ということになります。
“スペクトラム”は、「連続体・分布範囲」を意味しますが、虹の七色の変化のように、協会がはっきりせず、徐々に移り変わっていく様子をさしています。

自閉症スペクトラム障害の診断については、たとえば次のところをご覧ください。
実際には、いくつかの心理・行動上の特徴が認められるかどうかで診断が下されますし、自閉症傾向を調べる尺度(質問紙)があり、それで測定した結果、ある一定程度以上の点数を取った場合に、自閉症スペクトラム障害であるとみなされます。

次に、いわゆる発達障害ではない(スペクトラムのとらえ方に従えば、その傾向が弱い)人でも、質問に書いていらっしゃるように、「自分が好きな事・興味を持ってる事に関しては、知識も豊富で記憶力も高くて、それ以外の事になると、 知識も記憶力もさっぱりって人は沢山居」ます。
こういう、ある意味の“偏り”も、極端でなかったり、それに対してのこだわりもさほど強くなかったりすれば、「異常」とは考えません。

こういった、興味や関心、記憶の“偏り”については、その程度や、こだわりの強さなどとともに、その偏りが日常生活、学業、仕事などに支障があるかないかをも勘案して判断することになります。

人間の知的な能力、、認知能力における個人差や、偏りは、もちろん脳機能にベースがあると考えるのが普通ですが、今回はそこまでは考えません。
ご質問には、以上のような形で理解していただければよろしいかと思います。
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この回答へのお礼

詳しい解説ありがとうございました。

>“自閉症スペクトラム障害”といって、自閉傾向は、その程度 が異なるだけで誰にでも、多少ともあるという風に変わってき ています。

やはり自閉症スペクトラムの傾向持ってる人は多いみたいですね。


>人間の知的な能力、、認知能力における個人差や、偏りは、も ちろん脳機能にベースがあると考えるのが普通

その脳機能によって、性格や人生が大きく異なるんだから、面白い所でもあるし、難しい所でもありますね。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/07/13 21:16

発達障害


http://www.mhlw.go.jp/kokoro/know/disease_develo …

『発達障害は、生まれつき脳の発達が通常と違っているために、幼児のうちから症状が現れ、通常の育児ではうまくいかないことがあります。』

『自閉症スペクトラム障害の人は、最近では約100人に1~2人存在すると報告されています。』


珍しくはないものの「みんな持ってる特性?」と問われれば「違います」となります。
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この回答へのお礼

「みんな持ってる特性」とは違うんですか。

自閉症スペクトラム障害は100人~1~2人ですか。

結構居ますね。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/07/10 15:03

支援学校教員です。



まず「障がい」の定義がなければ、話はできないかと…

「障がい」とは「日常生活を送る上で、非常に困ってしまう特徴」のことだと言えないでしょうか?

「発達障がい」は「その特徴」が、軽微であれば、日常生活に何も困ったことが起きません。まぁ、ちょっと変わった人扱いを受けるぐらいです。ですので「障がい」とは言えないのです。

>実は発達障害同様の脳機能の偏りから、その様になっているのでしょうか?

そういう場合もありますし、元からの趣味嗜好から、そうなった場合もあると思います。

人の能力は、発生の段階で「遺伝子」によって規定されていますが、どのシナプスを残し、どの部分を廃頽させるかは、その人の生活環境や行動だと思います。

私見です。
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この回答へのお礼

特徴が軽微であっても、周りから変わった人扱いされ、それが原因で日常生活に支障を来す事や、二次障害を持つ事だってありますから、難しい問題かも知れませんね。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/07/10 15:02

言葉による差別化というのは実態がない場合も多いのではないかと思いますが、正常異常の境だって同じく実にあいまいなものです。

しかし現場で実害が生じるかどうかという観点は決して無視してはいけないと思います。いわゆる学者といわれる人たちは大なり小なりおかしい人が多いと思いますと、ある学者が言っていました。おかしい人がおかしいと言っている場合おかしくないこともあり得ますから最終的には力関係で決められているのかもしれないと思います。この力というものがいったい何なのかも問題ですが・・・・
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この回答へのお礼

おかしい人達が多いって言うのは、妙に納得です(笑)

そうした人達も、実は発達障害の特性が強いのかも知れませんね。

ただ実害が生じているかの判断は、重要な事ですよね。


回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/07/10 15:00

別に、日常生活を一人でこなすのに不具合がなければ、「障害」かどうかを気にする必要もないのです。



不具合があって困っている・自覚していないけど社会生活を営むのが困難だ、という方々は周囲がサポートしながら生活する必要があるよね、

というためだけに、その人への適切なサポートとはなにか、を知るためにも適正な診断が必要というだけです。

「人は皆、大なり小なり発達障害の傾向を持っている」としても、それが日常生活で困らないなら、「そういうものだ」と流せばいいことです。
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この回答へのお礼

そうですね、日常生活で困らなければ、障害にはなりませんね。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/07/10 14:57

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