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キリスト教の自然観について

旧約聖書では、森林や大地や海などの自然は神が創ったものだと書かれています。
ところがキリスト教社会である西欧では森林伐採などの環境破壊が歴史上かなり大胆に行われてきました。
私は、どうして西欧で神の創造物を破壊することが許容されてきたのかを疑問に持ちました。
聖書には、このような自然破壊的行為を正当化するような明確な、もしくはそう解釈可能な記述があるのでしょうか?

A 回答 (11件中11~11件)

アダムとイブのくだりで、「どの木の実でも好きなだけ食べてよい」との許可が出てています。

これに宗教的な解釈をするなら、「食べる」というのは象徴的な言葉であって、「切り倒して使ってよい」「処分してよい」と読み取れます。つまり主は人間がこの世を独占して、他の生き物を滅ぼすことがあったとしても、それすら主の計画の範囲なのだとの解釈まで辿りつきます。

旧約聖書を信じるユダヤ教、キリスト教、イスラム教が、他の宗教との争いから逃れられないのは、正に聖書を自分達の都合と欲望に合うように、勝手な解釈をしたからです。

※上のような勝手な解釈をしたのは一部の権力者であり、敬虔な信徒が正しい教えを守り通した一面を忘れてはいけません。
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