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織田信長の時代から18世紀にかけて、数多くの西洋人が日本を訪れましたが、当時の彼らは日本を恐れて敬っていたように私は思うのですが、実際のところどうだったのでしょうか?

例えばスペインが全盛期の頃、豊臣秀吉や徳川将軍はキリスト教徒を何人も処刑しています。キリスト教徒の処刑など、植民地化のための絶好の口実を与えたようなものですが、スペインはなぜか何もしてきませんでした(抗議くらいはしたかもしれませんが)。これは日本を恐れていた証拠だと思います。

また、島原の乱でオランダは徳川幕府への忠誠を示すためか、幕府によるキリスト教徒の鎮圧に加勢しています。これは日本が海外での仏教・神道弾圧に加担するようなもので、オランダがいかに徳川幕府を恐れ、従うために何でもやったことを示しています。

それから、三浦按針をはじめとして西洋のそれなりの地位のある人で将軍や大名の臣下になった人が何人もおり、中には恭順を示すためにキリスト教を棄教えした人もいます。プライドの高い西洋人が日本の大名に従ったのは、日本人及び日本文化を敬っていた証拠です。勿論高山右近のように逆の例もいますが。

質問者からの補足コメント

  • すぐ近くのフィリピンは植民地にされているのですが。
    戦国時代の世界は、イスラム文明が西洋に対してギリギリ優位に立っていた時代で、西洋人は東洋を蔑視していなかった、少なくとも同等だと思っていたはずです。
    18世紀までは拮抗、差がついたのは19世紀でしょう。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/03/03 01:47
  • 19世紀以降はともかく、その頃の学問、文化水準は中国=イスラム>西欧=日本
    くらいになると思います。
    軍事力も、中国=トルコ=西欧=日本
    くらいでしょうね。当時のトルコとスペインは互角の戦いをしていましたし、明の大軍を島津義弘が打ち破っています。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/03/03 19:39

A 回答 (3件)

別に日本が恐ろしいわけではなく、16~17世紀頃は大航海時代の初期の時代であり、世界にはまだ未開地の地が多かった。

その未開地の地を開拓し植民都市とし始めたのがこの時代です。スペインがフィリピンを植民地としていたといっても、まだルソン島ぐらいなものでここは当時国家もなく、未開地の地に植民都市を築き上げただけです。現にフィリピンの南部はイスラムのスールー国家が存在し、征服できていませんでした。当時の西洋人のやり方は国家のない未開地を開拓し植民都市を築きあげるか、東洋の国家を支援しその国家の敵対する国家をともに撃退することにより恩賞として港等の租借を得それが年を下るにあたり自分の土地としたのです。その後、年が下るにいたり、未開地は開拓しつくすと今度は東洋の国々のうち国力が小さいところから征服しだすのです。よって当時日本や中国は軍事力や基礎学力等国力では西洋には及ばないが、西洋諸国が国を挙げて滅ぼすようなまねはできないです。そのようなことをすれば自分自身の軍事力を弱め、他の西洋諸国を利するだけとなるからです。それよりも、そのような国からは貿易により利潤を得た方がいいため、貿易を得るため東洋の国家の元首に敬うのは当然です。
この回答への補足あり
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当時、来日してたのは、商人や宣教師。

本国から遠く離れた孤立無援の地。
戦闘のプロである武士を恐れ、自分たちより身分が上の将軍や大名を敬うのは当然でしょう。
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他の東南アジアなどよりは文明が発達していたと思う程度。



>スペインはなぜか何もしてきませんでした(抗議くらいはしたかもしれませんが)。これは日本を恐れていた証拠だと思います。
殺された大多数は日本人です、東洋人同士の殺しあいなどスペインにとっては取るに足らないこと、宣教師は異教徒に殺されることを覚悟してきているのですからこれも問題無い。
戦争したり、植民地化するよりも貿易を続けた方が利益が大きいと言うこと。

>オランダがいかに徳川幕府を恐れ、従うために何でもやったことを示しています。
これも上と全く同じ。

>三浦按針をはじめとして西洋のそれなりの地位のある人で将軍や大名の臣下になった人が何人もおり、
士官ですがそれほど高位でもない、漂着してそれなりの地位と収入が確保できたからそのまま住み着いただけ。
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