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タイトルの通りです。電場と磁場とは一体何でしょうか? 
いや、簡単なことは分かるのです。

電荷に影響を及ぼすような「場」が「電場」、
磁気的現象での影響を及ぼすような「場」が「磁場」、
電場と磁場の変化に伴う、形成波動が電磁波で、電場が発生すれば、即ち磁場も発生している・・・。
これは分かるのです。

あるいは、例えば池に石を投げ込んで波紋ができる(波が作られる)のは、そこに水という媒質があるからで、では何もない宇宙空間を伝わってくる電磁波の媒質は? というと、そこに空間的な電場・磁場の媒質が規定されていて、その変位が波として伝わってくるから、電磁波が伝播するのだ。
これも分かります。

それでは池に水(媒質)が無いと、石を放り込んでも波がそもそも立たないという風に、その電場・磁場を満たす規定のフィールド(媒質)を任意で取り除くことはできないのでしょうか? その規定のフィールドとはそもそも何なのでしょうか? 
電場・磁場が規定されていない宇宙空間は存在するのでしょうか? 
それとも、宇宙とは切り離せない法則の一つなのでしょうか? 

例えば任意でそれを取り除くことが可能であれば、例えばSF作品にあるレーザー光装置も無効化できるように思いますが、それは可能なのでしょうか。

ご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教授頂ければ幸いです。
宜しくお願いいたします。

質問者からの補足コメント

  • 私が人間の知体系を疑っているという点について下記にブログを記載していますので、暇で死にそうであればご覧頂ければと思います。
    時間は存在しない --宇宙は時間を数えない
    http://blog.goo.ne.jp/booter/e/daa8e7efacfcb8296 …
    人間の数理的認識限界--宇宙は数を数えない
    http://blog.goo.ne.jp/booter/e/b8772e0262d1c9972 …
    ゲーデルの不完全性定理と学理の外側の定義
    http://blog.goo.ne.jp/booter/e/be038ad6e23e9a92f …

    No.7の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/04/05 01:21
  • これも言葉足らずだったので補足します。
    よく重力場で光が屈折する様を、スポンジの平面に鉄球を置いて場が捻じ曲がったところを光が通過するモデルで説明されますよね? 私はこのモデルでは理解しているのですが、同様に、電場においても同じ理解をしているのです。まずスポンジのような電場が用意され、そこに電荷をプラスでもマイナスでも置くと盛り上がったりへこんだりするイメージでいます。じゃあこのスポンジって何なのか? なぜそこにあるのか? なぜ位置座標と一致しているのか? スポンジが無い世界があるのか? という具合です。ただ、#3さんの回答へのお礼で書いたように、このスポンジそのものがなく、光の超々微細粒子が原子における電子雲のような形で何らかの引張力(?)を生じさせて直進するなら電磁波もあたかも波として捉えられるのも説明できますし、媒質が無いことも納得できます。

    No.8の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/04/12 09:46

A 回答 (9件)

電気エネルギーと磁力エネルギーの接触可能空間。


空間テンソルで表現すれば数学的に扱える。
もちろん相互接触を不可能として間接的接触で表現

する事は可能でしょう。ただ現状で採用されている考え
は単純化を優先する事。それで直接接触可能空間と
しての電磁場が広く用いられているんですね。

質問のどちらも数学的表現、ですからどちらも可能です。
現代物理学は科学的ではあるけれど磁気単極子観測
はまだと思うし・・・電磁場問題は整理のついていない事。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
えーとすみません、また分からなくなってきました・・・。

空間の電場と磁場の変化によって形成される波(波動)である電磁波は、数式上では媒質を不要とするから理論上は波と捉えなくてもいいということでしょうか? 
ただ、私が知りたいのは理論における数式ではなく、この世の物理現象における実態なのです。

#3さんの回答へのお礼で書きましたが、とある超々微細の粒子(中性子レベル同等やそれ以下)を想定して、原子の周りに観測上の電子雲が形成されるように、粒子の周りに何らかの影響を与える微細な場が更にあり、それが光速で進行することによって、我々人間の観察者側からはあたかも光が波であるかのように捉えられる、このモデルなら納得ができます。

以下は私の当て推量ですが、光が横波であることも説明ができますし、電子発射における二重スリット実験で干渉縞が形成されるのも、スリット通過時に粒子モデル自身の運動が影響して軌道が変わるのではないかと。
例えば地球と月があって、月が地球の周りを周回しながら地球自身は「直進」した場合を想定すると、その進行方向に月の公転幅のスリットがあった場合に、そこを通過する際に軌道が若干逸れるような現象が起きるのではないかと想像するのです。
光は粒子であって、更にその粒子の周囲に影響する何かが衛星上に分布する。
これって物理学の基礎知識が無い為に想像している素人考えなのですが、頓珍漢な考えですかね? 

つまり、「電位的変位」などのフィールドの規定(媒質)を規定するのではなく、飽くまで、全くの無の宇宙空間を、大量の微細粒子(光)が飛んで、それがあたかも波動であるかのように振舞う、というのであれば納得できます。

お礼日時:2015/04/11 10:51

科学とよく似た哲学や数学と大きく異なるのは、「実際の世界に当てはめて成り立つか?」の一点だけだと思います。


 代表的な例として、数学の幾何学における5つの公準( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%BC% … )の5番目を変更しても幾何学の体系を作ることが出来ます。数学や哲学では、幾何に限らず最初の出発点を飼えて体系を作ることができます。
 しかし、科学はそうは行きません。元々「自然を説明するために」築き上げられた「手法」なのですから、自然にあてはまらなければ推論・予測でしかない。
・分子の存在はアボガドロの時代(1811)から予測され様々な現象を説明できたけど、証明されたのはアインシュタイン(1905年)やペラン(1909年)によるブラウン運動の研究まで100年もかかっている
・アインシュタインが一般相対性原理(1905)を発表しても、それが証明されたのはエディントンが皆既日食を利用して太陽近傍での光の曲がりを確認した(1919年)

 科学において、延々と理論、観察、証明で築き上げられているものを否定するのは、とても簡単です。現代の物理学で説明不能な現象を発見し、それも今まで観察されて証明されてきたことすべてと共に説明できる理論を提示すればよいだけです。
 世の科学者たるもの、すべての夢は相対性原理や量子論の否定です。それらを否定する実験結果と、それでいて他のすべてと矛盾しない理論。
 巷にたくさんの「相ま」があふれていますが、見向きもされず最初の数行を読んで「ゴミ箱」に直行となるのは、「科学への無知」「相対性原理」の無知が明らかだからなのですよ。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

何かまた齟齬があるようです。
私がやろうとしていることとORUKA1951さんのやろうとしてることは同じ数直線上にあるのですが、着地点が異なるが為に、何か思い違いをされているようです。
ORUKA1951さんが回答しようとしているのは科学であり、私が回答を求めているのは物理学のような気がします。

経験則による哲理的理解と実験の観測値から知体系たる理論を導いてそれを否定しない、というのはいいのですが、本当にそれだけでいいのか? というとその先もあるのではないのでしょうか。
例えば「運動の第1法則」では、「すべての物体は、外部から力を加えられない限り、静止している物体は静止状態を続け、運動している物体は等速直線運動を続ける」とありますが、運動している物体に対しては、これはある種の「摩擦の否定」ですよね? ガリレオやニュートンの生きた時代は、摩擦の無い宇宙空間に行ける筈もなく、現実の世界は摩擦だらけでした。しかし当時の人たちは「等速直線運動」と「摩擦」を切り分けて考えたのです。

デカルトが「困難は分割せよ」と言った通り、この世の事象は「摩擦が無い世界」+「摩擦」で理論的にしっくり来るわけです。
私はマクスウェルが統一した電磁方程式を否定はしていませんよ。地球上ではこの世界が通用すると思っていますし、否定はできません。
ですが、そういう思考ができるのであれば、「電磁場が無い世界」+「電磁場」で分けてもいいのではないのですか? そうすると、そこには思考実験の産物として「電磁場が無い世界」というのが生まれますよね? そうすると「電磁場」を規定するものは何か? フィールドとは果たして何かが見えてきませんか? 

繰り返しになるかもしれませんが、私が疑っているのは人間の既成概念です。本当に我々が科学的真理として信じているのは真理なのか? いや、結局はそうした疑惑を持って検証してもきっと同じ結論へ辿り着くのでしょう。しかし「結局ゴール地点は一緒なんだから信じちゃっていいじゃん」というのは公式を丸暗記する鵜呑みと変わりません。ですから「築きあげられたものの否定」から入っているわけです。ORUKA1951さんの言うことも尤もですが、私のアクセス方法も否定されるものではないと思っています。「電磁場」がいつでもどこでも通用する概念という「世界の公式」を鵜呑みにはできません。

お礼日時:2015/04/05 12:56

No.6です。


少しきつかったかもしれませんが、理科を教えていると悲しくなるのです。科学的考え方を一生懸命教えたのに・・。ちょっと長いけど大事なことなので最後まで読んでね。
 これは科学に携わっている人、ここで回答する人も間違っている人がとっても多いので、しっかりと身につけておいてください。
 場とは、その物理現象を説明するために取り入れられているアイデアに杉なのですよ。ここは絶対に間違わないように・・
 電気力と磁力は、電磁場を取り入れることでその説明ができるようになりました。電磁場における様々な現象は電磁場の性質を調べていくと説明できるようになり、アインシュタインの一般相対性原理で重力場も関連して説明できるようになりました。残る弱い力や強い力はまだ・・

 科学、理科とは観察された現象を迷信などに囚われず、説明することが目的なのですよ。
静電気の観察
ボルタの電池
ライデン瓶と凧-
・・・これで、雷は神の鉄槌ではなく、自然現象で電気だと判った。
それで、避雷針が発明されました。
 神の怒りの表れで「それを防ぐなんてもってのほか」と言っていても、町中で最も高い--避雷針のない教会には落雷するのに、避雷針を取り付けた売春宿には落雷しない。・・とうとう大惨事も起きてしまいます。---雷の落ちないはずの教会に保管されていた火薬が非難していた人と共に・・
 結局、すべての教会に避雷針が立つことになった。
 このような例は、とってもとってもたくさんあります。

 科学とは、迷信や宗教や言い伝えではなく、様々なことを論理的に説明できる方法を探す手段なのです。
 すなわち「観察」⇒「推論」⇒それを証明する「実験や観察」⇒[推論が理論になる]
この繰り返しなのですよ。

★場と言うのは、電磁気力や重力などを説明するための道具に過ぎないのです。
 ここをあなたは間違えている。

 先の回答で、「長さを比べるためのものさし」を引き合いに出しましたが、まさに場は「力を説明するための道具」なのです。

 だから、「場が存在しない宇宙が存在するのか」ということは、現在の物理学の手法以外で、様々な現象を説明する事はできるものが存在するか??という質問になるのです。

 だから、理科を勉強したのに、理科と言う教科の唯一最大の目的である「科学的な考え方」身についていないといったのです。
 これは教師の間でもとても悩む問題なのです。とは言っても先生ですら理解してない人多いし(苦笑)
 小学校の指導要領に書いてあるということは小学生でも身につけていなければならないはず。
・・・厳しい、嫌味に聞こえるかもしれませんが、それはそれを指導できなかった自戒でもあるのです・・・

>例えば任意でそれを取り除くことが可能であれば、
はできないのです。この宇宙には・・
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございます。
経験知や経験理解・記録・哲理的理解を知体系化し、理解・推論して理論化して納得するという手法は私も同意です。
場が、人間が観測して理論系統付けた単なる認識である、というのであれば納得しました。
齟齬があったので補足しますと、自然界の現象を分析した結果理論になっているのに、その理論が無いということを規定すると、自然界の現象がないということになってしまいますよ、それは議論として成立しませんね、ということだと思いますが、私の疑問は、その理論とはそもそも一体何なのでしょう、ということなのですよ。現実世界の物理ではORUKA1951さんの回答で正解だと思っているのですが、私が疑問に思っているのはより哲学の方に近いものです。そこでは「電磁場を規定する場とは何か」という哲理的考察も許されると勝手に思っています。ここをご理解頂ければと思います。

よく先生達は「私達が教えていることを疑え! 」と言いますよね? それの意図するところは、演繹のプロセスを疑った上で、そこで初めて鵜呑みにせずに、その生徒個人が正解に辿り着いて理解するものを促したものです。
しかし私はどちらかというとそのスタート地点である観測そのもの、演繹の前提そのもの、人間の認識そのものを疑っている立場に近いのです。その理論の演繹の前提は本当に正しいのか? その前提は何なのか? 
数学の全ての系統の基礎論は、全て一つの真理の下(もと)へ収斂することができる、と言う運動、「ヒルベルトプログラム」を検証する内に、その矛盾をゲーデルが見つけ「ゲーデルの不完全性定理」という形で発表しました。数学理論自身では数学理論を証明できない、ということです。
こうしたことをやっていた為、やはり私は物理の真理に辿りつけませんでした。というか今思えば理系との相性は最悪だったなと今更ながらにして思うのです。数式を暗記して公式を活用しなければ学校を卒業も出来なかったものですから・・・。

いわば理科自身を物凄く疑っているわけですね。「「科学的な考え方」が身についていない」。全く仰る通りです。人間の認識と知体系化されたそれを検証しようとしているわけですから。その方式を構築している真理を得たいと欲していた私はそれが普通でしたが、数式を与えられたパズルのように解いていくのが当然である世間では異様だったようです。

お礼日時:2015/04/05 00:47

最初の歯車がかみ合っていないから変な疑問になってしまう。


科学的な見方、考え方を小学校から連綿と学んできたはずです。
【引用】____________ここから
第1 目標
 自然に親しみ,見通しをもって観察,実験などを行い,問題解決の能力と自然を愛する心情を育てるとともに,自然の事物・現象についての実感を伴った理解を図り,科学的な見方や考え方を養う。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ここまで[第2章 各教科 第4節 理科:文部科学省( http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youry … )]より
 小中高同じ目標です。

 科学とは、身の回りで観察される様々な事象を矛盾なく説明しようと言う事ですよ。そのために「観察」⇒「推論」⇒「客観的な実験や観察」で証明 ・・これを身につけるのが理科を学ぶ目標です。
 その質問が出るという事は、まったく身についていない。

 場とは、何らかの物理作用を説明するための道具です。場を想定してその場に成り立つ理論を突き詰めると物理現象の説明ができる。--これが科学(理科)における場ですよ。ですから場が存在しない世界は?と考えるとは、最初の目的「その物理現象を説明する」を否定することになる。自己矛盾に陥る。

 あなたと私の「身長を比較するため」に「ものさし」を決めましょう。としておいて、ものさしがない世界はどうなるのだろう・・・なんて最初の「比較する」事自体と矛盾する。
>電場・磁場が規定されていない宇宙空間は存在するのでしょうか?
 存在しますよ。そこではなにも説明できない。磁石がなぜ南北を示すかを説明できない魔法に満ち溢れた宇宙になる。

 意味わかりますか??。小学校でもよい、理科を少しでもかじっていたらわかりますよね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。何かお気を悪くされてしまったようですね。
「小学生でも理科を勉強すれば分かることをなぜ疑問に思うのだ」という主旨において、かなり私に対して侮蔑をされておられるようで、私の質問に落ち度があったようです。大変申し訳ありません。
また、物理の基礎知識が無い状態で質問したこともまずかったようです。これも私の落ち度であります。

ただ、それでも私は疑問に思うのです。「電場/磁場とは何か」「場とは何か」ということを。
そもそもこの質問の説明で言葉足らずだったようです。私が疑問に思っているのは「ものさしとは何か」です。

話は変わりますが、かつてディスカバリーチャンネルで「時間とは何か」が論じられていたのが放送され、物理学者/数学者の間で様々な論が交わされていているのを見ました。そこでは「時間とは何か」という本質を追求するごく単純な問題が、物理学での1・2を争う難題になっているともコメントされていました。ここでは「時間の経過に従って物質はどのように変化する」という単純な問題ではなく、時間そのものとは一体何なのかという概念の本質に迫るテーマを供給していたのです。そこには当然、「時間が無い世界」というのも仮定として言及されていました。これも「ものさしとは何か」の一つだったと思います。
さて、このような世界を構成する現象、あるいはそれは単に人間が認識しているだけかもしれない概念の本質に迫る知的欲求は持ってはいけないのでしょうか? 電場・磁場が無い世界を作業仮説で仮定してはいけないのですか? 
それとも質問する物理学のカテゴリーでは不適切でしたか? 
ご回答から察するに、ものごとが動く世界のからくりを知ろうとする哲理的知的欲求の解決は物理学の対象ではないようですね。失礼しました。

さて、そのような疑問を持っている時に「あるからあるのだ」というトートロジーでは私は納得できません。私が考えているのは「ものさしとは一体何か」に近いものなので、「ものさしで計った結果どうでした」という疑問ではないのですから。

電場・磁場と光(電磁波)を絡めて考えるのであれば、#3さんの回答へのお礼で何となく納得しそうな感じです。

お礼日時:2015/04/04 17:48

それは場です!としかいいようがないのですが、電気磁気学のような、現象を既述する論理からは、イメージがつきませんよね。

ただ、光速(電磁波の伝搬速度)が、この世の最高速度であることや、エネルギーと物質の比例定数が光速であることなどから、電場も、地場も、空間とは切っても切れない、というか空間の性質というか、実態の一部であることが想像できます。

興味があるのであれば、量子場理論を読んでみてはどうでしょう。解説本はたくさん出ています。場、物質、エネルギー、光、電子などの関連が、一定のレベルでは解明しており、なぜ何もない空間を電磁波が伝わるのか?なぜ、物質が消えてエネルギーになったり、エネルギーから物質が生じたりするのか?弱い力、強い力とはなにかなど、イメージが湧くかと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。。
「それが場なのだ」で納得できれば良かったのですが、私は納得できません。
ただ数字や数式に踊らされているような気がして、誰かが唱えた呪文を鵜呑みにするのではなくて、私自身足場を組んで納得したかったのですよね・・・。

基本、この理解や納得というのは、突き詰めれば人間の脳の再帰的認識に過ぎないのですから、人類が持つイマジナリーな部分から逃れられない部分もあるわけですよね。

量子関係の書籍は後ほどやさしいものから読んで行きたいと思います。
(・・・が、その理解が私の人生の終了までにそれが間に合うか)

お礼日時:2015/04/04 13:24

それから、電場と磁場を分けて考えておられるようですが、


その系には どちらかしかなくても、その系に対して、一定速度で運動する系では、
電場と磁場の両方が検知されます(この場合は、静磁場と静電場)
また、その系に対して、加速度運動する系では、電磁波も検知されます。
なので、電場と磁場は、1つのもの(先に掲げたベクトルポテンシャル)の2つの側面を
見ていると思った方がいいです。
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この回答へのお礼

質問文が悪かったようですが、電場と磁場を分けては考えておりません。
同一ではあるが、異なる形で観測される、というように認識しています。

お礼日時:2015/04/04 13:17

>電場・磁場が無い空間


光子が存在しないという意味であれば、0°kの真空がそうです。
(0°kの真空を、エネルギーの基準にとれば)

電磁場の成因は、電子の存在自体は、認めるなら、
電子に局所対称性を導入すれば、光子=電磁場が存在する(しないといけない)
ことが出てきます(のようです。正確な説明ではないです。詳しいことは知りません)
でも、光子だけから、ある条件で、負電子と正電子が対創成しますから、
電磁場と電荷の関係は、ニワトリとタマゴでしょうか。

電磁場に媒質は不要です。
マックスウエルの方程式を整理すると、ベクトルポテンシャルと呼ばれる場が出てきます。
ベクトルポテンシャルをAと書くと、真空中では
(∂x^2+∂y^2+∂z^2 - 1/c^2 ∂t^2)A=0
という式を満たします。
この式は、速度cで伝わる波の方程式を意味します。
具体的には、
Aのy成分やz成分を仮に0とすると、この式は、
(∂x^2- 1/c^2 ∂t^2)A=0
で、この解は、f1、f2を任意の関数とする、
Ax=f1(x-ct)+f2(x+ct)
という波になります。
媒質なんか、どこにも出てきません。
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この回答へのお礼

すみません、、、ちょっと分かりませんでした。確認させてください。
下記が不明点です。
1.例えば、「電場・磁場というものは、実は空間座標を規定していたら、それに伴い必然として規定される座標系の変位的観測である。その正体はまだ分かっていないが、しかしそれは現時点で解析されている数式で証明することはできる。そこには媒質の規定は無い。」ということで良いでしょうか? 

2.私が知りたいのはこの世界の根源的仕組みの解であり、哲理的理解の解です。
媒質の規定は無いが、光子の移動そのものが、あたかも媒質が存在するかのごとく振舞うという理解をしましたが合っていますでしょうか。
例えば二次元平面状にx軸の正方向へ移動する円cがあり、その円周上を等速で動く点pがあったとすれば、そこにはPの平面状の軌跡として、サインカーブが現れます。実際には円cと点pしかありませんが、しかし我々の目にはあたかもそこに波があるかのように映ります。
この円を現実の光子に置き換え、その移動する様を観測すると、そこには光子しかないのにも関わらず、人間の観測観点からすると、あたかも波があるかのごとく観測される。

ということになり、媒質の規定そのものが誤り、というよりは、波であるという観測そのものが誤りという根本的認識の誤認である、ということでいいでしょうか?

お礼日時:2015/04/04 13:15

No.1です。



 読み返してみたら、冒頭に「20世紀初頭には」と書いていました。マイケルソン=モーリイの実験が1887年ですから、「19世紀後半までは」ということですね。訂正します。
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不思議ですよね。


 20世紀初頭には、「電場・磁場を満たす規定のフィールド(媒質)」として、架空の「エーテル」というものが仮定されましたよね。では、エーテルはどのように運動しているか? エーテルが静止しているとみななる座標が「絶対座標」ではないか?

 その「エーテル」の存在を否定したのがマイケルソン=モーリイの光速度測定で、その結果に基づいて相対性理論が生まれましたね。
http://www.px.tsukuba.ac.jp/home/ecm/onoda/butsu …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4% …

 もう、120年以上も、答の出ていない謎なのですよね。この質問サイトに答えるようなレベルでは、「ご存知の方」はあり得ないと思います。(オカルト的な「超仮説」は回答されるかもしれませんが)
 これが分からない以上、「電場・磁場が規定されていない宇宙空間は存在するのでしょうか?」にも
答は出ません。重力場も同じでしょう。

 「波動と粒子の二重性」とか「時間の相対性」というのは、五感や経験的実感では理解できないものだと思います。空間と時間の「4次元」に住む人間が、5次元、6次元・・・といった多次元を理解できないようなものなのでしょうか。
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この回答へのお礼

まだその内容は分かっていないのですね・・・残念です。

というより宇宙と切り離せない法則と考えるのがいいのかもしれませんが・・・うーん。
回答頂きありがとうございました。

お礼日時:2015/04/04 12:26

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