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「助長」には、手をくはへて、
[1] 悪くする
[2] 良くする
のふたつの使用法があります。私は語感としては、何かをのさばらせるやうなイメージがあつて、[1]なのですが、[2]のほうがふさはしい用法に思へます。しかし、ときをり[2]は、本来は誤用だといふ意見を耳にします。

「之を助けて長ぜしむ者は、苗を揠く者なり。」
(『孟子』巻第三 公孫丑章句上 小林勝人訳注 岩波文庫(上)123ページ)
宋の国の百姓が、苗の成長が遅れてゐるのを心配して、試しに引きのばしてみた、といふ故事に由来するさうです。科学の世界は試行錯誤の連続です。失敗から学ぶことも多くあります。せつかくの善意の行為なのに、孟子は、馬鹿げた奴だと非難してゐます。私は、孟子の感覚に問題があるのであつて、[2]が誤用だとするのは、無理だと考へます。そもそも、漢字「助」「長」は、どちらも良い意味です。いかがですか。

質問者からの補足コメント

  • このたびの質問は1311tobiさんとの会話がきつかけで、2度の的確な回答もいただいてゐますので、ベストアンサーといたします。OKATさんからは、肉付けすれば論文になりさうな実証的回答を毎回いただくのですが、長らくベストアンサーにしてゐません。次回あたり考慮します。keirimasさんからは、過去の故事だけではなく、未来の用法まで推論していただきました。akinohotaruさんには、言葉の由来の大切さをあらためて教はりました。みなさま、ありがたうございました。

      補足日時:2015/04/15 22:08

A 回答 (6件)

No.4でコメントした者です。



 コーパスの「少納言」で見ると、「助長」の使用例は全ジャンルだと450件見つかります。
http://www.kotonoha.gr.jp/shonagon/search_form

「Yahoo!知恵袋」「ブログ」「韻文」を外すと420件見つかります。
 つまり、最近の使用例はきわめて少ないのではないかと。これはもはや「死語」に近いのかもしれません。
 使われ方の方向性は……なんとも言えません。

「教授」に関しては下記をご参照ください。
【ネットが広めた誤用……etc.──「教授する」か「教示する」か 】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-869.h …
「ご教授ください」は誤用で「ご教示ください」が正しい、と主張する人がいます。当方はそこまで主張する気にはなれません。


 さらに本題を離れます。
「無知は罪なり」の質問は早々と締め切られたのですね。コメントが間に合わなくて残念です。
〈ネットの名言集などでは、ソクラテスのことばとされてゐることが多いのですが、こんな表現をソクラテスがするはずがありません〉
 は同感です。「するはずがありません」とまで書く勇気はありませんが。
 このテの話はうといのですが、「無知の知」と「無知は罪なり〜」の間には相当大きな隔たりがあるような。
 ネット情報は、どんなに同様の意見が多数あっても信用できません。しかも、もっともらしいものほど眉唾という恐ろしい世界です。原典を示しているものがあれば別ですが……。逆に言えば、これほど流布していて原典が見当たらないのは怪しすぎます。
 大元は1つのデマ(もしくは誤り)で、無数のコピペで主流派になっている……と思われる実例をいくつか知っています。
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この回答へのお礼

追加回答をありがたうございます。「助長」の用例をたくさんお示しくださり、ざつと眺めてみました。「少納言」がどういふサイトなのか存じませんが、ジャンルにいくらか偏りがあるのかもしれまんせん。公文書が多いせいか、『孟子』の意味での使用法が多いやうに感じられます。

>最近の使用例はきわめて少ないのではないかと。これはもはや「死語」に近いのかもしれません。

さういふ傾向には気づきませんでした。今後どうなるか注目です。

>「教授」に関しては下記をご参照ください。

拝見いたしました。誤用とする側の見解はときどき目にしますが、Q&Aサイトのやうに同一状況ですべてに「教示」を使用すると、そのほうがみつともないので、表現の幅を広げるために、「教授」も使ひます。回答番号5の文学者たちが「助長」を良い意味に使ふのも、いろいろ理由があるのだと思ひます。誤用をいちいち気にしてゐたら、文章が痩せてしまひます。

>「無知は罪なり」の質問は早々と締め切られたのですね。コメントが間に合わなくて残念です。

投稿をいただけるのでしたら、待つてゐたのですけれど。ギリシャ・ローマ関連のデマ名言は、調べるまでもなく、感覚的に違和感があります。これなども、ヘレニズムとヘブライズムを混同したやうな言葉で、ソクラテスの発言だと思へるのが不思議です。ギリシャ語にしてほしいといふ依頼で、自動翻訳希望とのことでしたので、グーグル翻訳風のギリシャ語に訳しました。
http://okwave.jp/qa/q8947859.html

>大元は1つのデマ(もしくは誤り)で、無数のコピペで主流派になっている……と思われる実例をいくつか知っています。

この大元のデマが何であるかを知りたくて、質問しました。単なる勘違ひか、偉人の名で権威付けしたいのか、デマを流したいのか、もし事情がお判りでしたら、ぜひ教へてください。

お礼日時:2015/04/13 22:12

いつもながら、考えさせられるご質問ですね。


わたしの回答は、誤用かどうかに答を出すものではなく、近代以後の文筆家が「助長」という語をどのように使用してきたかの用例を、「青空文庫」の中から拾い出したものです。(外国人の筆者名が出てきますが、勿論それは翻訳者の使用した用例です)これらを見た結果、善悪・適、不適・あるいはそのどちらにも分類できない(言わばニュートラルな)用法の3種類が存在していると考えられます。特に自然科学者の書くものには「ニュートラルなもの」が多いとみます。
(なお、この検索プログラムは、「検索語」(<助長>)を含めて100文字を抜き出すように設定したため、引用文のはじめと終わりが変な語句になっていることをご承知ください。

            「助長」の検索結果(青空文庫より)

いるかのごとくであった。 聴いている人も、悦んで聴いてやらなくては選手に済まないと思って、それを<助長>させる傾向がないでもなかった。 久野は冷たい酒を呑み乾しては、その場の光景を冷観しようと骨を折った。  久米正雄「競漕」

に向って外部より福を齎す物体を総称してこれを富といわんと欲す。……人間の体及び心の健全なる発達を<助長>し、依って以て、直接間接に人間をば道徳的に向上せしむるの作用を為す者は、凡てこれを富という。この意味  与謝野晶子「平塚・山川・山田三女史に答う」

まで斜めに渡したコンクリートの細長い建造物も何の目的とも私には分らないだけにさらにそういう感じを<助長>した。 ずっと裏の松林の斜面を登って行くと、思いがけなく道路に出た。そこに名高い花月園というものの入  寺田寅彦「雑記(1)」

来したように思われます。私たち一般婦人はそれらの先駆者たちに指導されながら、この女子新興の機運を<助長>すると共に、それを各自の生活に善用しなければなりません。 平塚さんを首唱者として新婦人協会が成立した  与謝野晶子「新婦人協会の請願運動」

観すなわち主感の方はと申すと、真を発揮するに対して、美、善、壮に対する情操を維持するか涵養するか<助長>するのが目的であります。この三者の解釈は詳しく述べる事ができません。美と云う事を大きく解すると、善も  夏目漱石「創作家の態度」

在り。大久保内閣及び其継続者は政府の一面に於てこそ保守の政策を取り、言論の自由を抑へ、貴族政治を<助長>せしと雖も経済の一面に於ては猶進取の政略を取り、政府万能主義の実行者にして、頻りに勧業の事に心を用ひ  山路愛山「明治文学史」

なり。而して衣食住の生産は農業を待ち、これを為すより外にその道あるべからず。政治は即ちこの生産を<助長>するの道にして、商工は即ちこの生産を融通するの道也。根幹を侮りて、枝葉のみを繁茂せしむる国は危し。さ  中里介山「大菩薩峠 41 椰子林の巻」

で教へられない種々なことを私は老人から稽古した。 併し、此老人にも増して、私の自然に対する趣味を<助長>してくれたのは家主のマダム・ルクリユであつた。夏の夕暮には、何時も庭前の大木アカシヤ・ド・ジヤポンの  石川三四郎「馬鈴薯からトマト迄」

噬い髄を啜るとも飽かないような深怨を結ばせて、ますます陰険、醜陋、残忍を以て終始する政界の私闘を<助長>する危険があると思います。 また私の厭わしく思うことは、寺内内閣に反対する党人たちの言論が理性を基礎  与謝野晶子「選挙に対する婦人の希望」

、間違のないことらしい。そして上流人に許される一夫多妻が、下層階級における乱交の罪悪の風を大いに<助長>し加重する傾向があるに違いないことは、明かである。 1) Cook's Third Voy. vol. i. p. 401. Vol. iii  トマス・ロバート・マルサス「人口論 01 第一篇 世界の未開国及び過去の時代における人口に対する妨げについて」

しい後ろ姿を見るにつけ、思い起すは宇津木兵馬のこと。 武術は人に敢為の気象を教えるが、抗争の念を<助長>させたくないものだ、との優しい心づくし。    二十五 根岸に引移った神尾主膳と、お絹とは  中里介山「大菩薩峠 23 他生の巻」

で、威信ということもあれば、また別の観方もある。そんなことをされては降参も同然で、まるで犯罪を<助長>するようなものだ。こういって極力ロス氏の腰弱の態度を排撃したから、この警察の干渉が邪魔をして、子供を  牧逸馬「チャアリイは何処にいる」

に対して常に懐疑的であるのは尊敬すべきであるが「反対にそうした信念を尊重しつつ彼らの芸術の発展を<助長>することは、文明国の古代からの伝統でもあったが、現在に於てもその原則は破られない」という、今日の日本  宮本百合子「矛盾の一形態としての諸文化組織」

方と思ふが、一年を二つに分ける風が出来た。此は帰化外人・先住漢人などの信仰伝承が、さうした傾向を<助長>させたらしい。つまり中元の時期を界にして、年を二つに分ける考へである。第一に「大祓へ」が、六月と十二  折口信夫「若水の話」

の写像の、客観的には不安全な写実能力が、いかに多く観客の頭の中に誘発される連想の補足作用によって<助長>されているかを示す実例として注意さるべきものかと思われるのである。       「世界の終わり」と  寺田寅彦「映画雑感(4)」

な花形、「ひとで」形等になる。このほうが普通だとも考えられる。そうして、ある週期のものだけが特に<助長>されるような条件が加われば規則正しい放射像となるというふうに考えられる。こう考えると、不規則な放射形  寺田寅彦「自然界の縞模様」

事と看做す原始人以來の客觀主義は、死を魂ひと身體との分離として理解せしめることにより、この傾向を<助長>した。プラトン以後魂ひは極めて豐富なる理解の歴史を經たが、それの基本的意義は大體かれに至るまでの發展  波多野精一「時と永遠」

なり、また学問科学も国家と国家との軍事的施設に悪用せられ、学者までも国家の奴隷として戦争を弁護し<助長>するような倒錯的陋態を誘致し、芸術も仏蘭西や白耳義の名高い大寺の建物のように、国家と国家の狂暴な戦争 与謝野晶子「三面一体の生活へ」

の一つである。両親が昔安政の地震に遭難した実話を、子供の時から聞かされていたこともこの畏怖の念を<助長>する効果はあったかもしれないのであるが、しかしそれにはかかわらず、おそらく地震に対するこの恐怖は本能  寺田寅彦「家庭の人へ」

良三は、父の勘当を蒙って、抽斎の家の食客となった。我子の乱行のために譴を受けた抽斎が、その乱行を<助長>した良三の身の上を引き受けて、家におらせたのは、余りに寛大に過ぎるようであるが、これは才を愛する情が  森鴎外「渋江抽斎」

事にはそのころの東京市民はもう大地震の事などはきれいに忘れてしまっていて、大地震が来た時の災害を<助長>するようなあらゆる危険な施設を累積していることであろう。それを監督して非常に備えるのが地震国日本の為  寺田寅彦「銀座アルプス」

同視したる結果と見るを得べし。又団長バード・ストーン氏は××資本団の手先となりて各国の反乱革命を<助長>する暗黒公使の名あり。目下進行中の××協商に対し、何等かの暴力的手段に依り障害を与うる目的を以て、曲  夢野久作「暗黒公使」

りも、一週に一回ほど徹底的に飲酒する方が、まだ無害であり、殊に精神的にはそうである。 この晩酌を<助長>するようなものが、ラジオの演芸放送に果してあるのであろうか。罪は勿論、晩酌をする本人にあるであろうし  豊島与志雄「風俗時評」

かなるものたり。信心薄らぎ民に恒心なきに至らば、神社に基本金多く積むとも、いたずらに姦人の悪計を<助長>するのみ。要するに人民の好まぬことを押しつけて事の末たる金銭のみを標準に立て、千百年来地方人心の中点  南方熊楠「神社合祀に関する意見」

齒が残酷に渡つて少しでも餘裕を與へられないのである。それで彼等の間には自然に只恐怖する性質のみが<助長>されたのであるかも知れない。それだから既に薪に伐るべき時期を過して、大木の相を具へて團栗が其の淺い皿  長塚節「土」

対照的な取り合わせが、こんな空想を生む機縁になったのかもしれない。丸の内の夜霧がさらにその空想を<助長>したのでもあろう。 それにしても、あれはやはり電車切符ぐらいをやったほうがよかったような気がする。も  寺田寅彦「蒸発皿」

あるものであります。もっとも偉大なる理想をもっともよく実現するものは我々生存の目的をもっともよく<助長>する功蹟のあるものであります。文芸の士はこの意味においてけっして閑人ではありません。芭蕉のごとく消極  夏目漱石「文芸の哲学的基礎」

解釋と創意を求める批評家の存在する事は、やがて才人芥川氏のいたづらつ子らしい傾向を、いやが上にも<助長>するものに外ならない。芥川氏の惡戲の興味の爲めに本間氏の如き批評家の存在は祝すべきであるが、同時に芥  水上滝太郎「貝殻追放 012 向不見の強味」

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この回答へのお礼

いつもアホ質問におつきあひいただき、感謝してをります。先日1311tobiさんと「助長」についての話をしましたので、いろいろな人の見解も知りたくて質問しました。言葉は辞書や教科書にしばられず、自分で考へるべきものだと思ひます。少し前に、戦国策の現代語訳の質問があつたのですが、宿題ではペケにされる回答を書きました。私は先生を説得する自信がありますけれど。

用例を調査していただいて助かります。マルサス『人口論』、森鴎外『渋江抽斎』以外読んだことがありません。不勉強をあらためて感じます。いくつか青空文庫でお示しの文章を読んでみました。森鴎外をはじめとする文学者はやはり『孟子』の故事が頭にあるやうです、と書くつもりでしたが、与謝野晶子や夏目漱石は発展的な意味でも使用してゐます。驚きました。Q&Aに登録して、この質問に回答してもらひたいものです。いろいろな用例を読むと全体として、善悪の区別を意識して使用してゐるわけではなささうです。1311tobiさんの指摘どほり、微妙です。誤用と判定するのは、無理がありさうです。

貴重な情報をありがたうございます。

哲学カテゴリでは、いはゆる「差別用語」について論じられることもあるのですが、国語カテゴリでもそのうち質問してみたいと思つてゐます。私としては、腫れ物にさはるやうな態度こそが、いちばんの問題だと考へてゐます。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8739166.html

お礼日時:2015/04/12 20:57

ウーン。

なぜこの質問を……。
 改めて考えてみましたが、当方の感じ方はかわりません。
 まず、下記に書いたことをひきます。
【よくある誤用13──かなり微妙な線 破天荒 助長 鳥肌が立つ】
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n119583
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
「誤用」なのか「誤用でない」のか微妙すぎて、何がなんだかわからなくなっている言葉もあります。新しい意味で使われることが多いのに、辞書はそんな意味を認めていない……こうなると使い方がわからず、結局使えない言葉になってしまいます。

助長
 これも誤用の例としてあげられることが多い言葉です。どんな意味で使われるのか不明になり、結局使えない言葉になっているような……。
 誤用のしかたは2パターンあるようです。
 まず、本来の意味は下記の辞書の[2] です。手助けしようとして裏目に出る、くらいの意味です。この意味で使っている例はほとんど見ません。いまは、[1]の意味で使われているようです。しかし、よく見ると[1]の意味は2通りあります。どちらも力を添えることですが、方向性が2つあります。
「発言力を助長する」だと「善い方向」です。「不良性向を助長する」だと「悪い方向」です。元々の意味からかわってきた当初は、「悪い方向」限定だったはずです。いまでは「善い方向」にも使えるような……。
 こんな訳のわからない言葉を正確に使う自信がないので、自分では使いません。
 
■Web辞書『大辞林』から
https://kotobank.jp/word/%E5%8A%A9%E9%95%B7-2960 …
==============引用開始
大辞林 第三版の解説
じょちょう【助長】

( 名 ) スル
①力を添えて,成長・発展を助けること。ある傾向をさらに著しくすること。 「発言力を-する」 「不良性向を-する」
②〔苗の生長を助けようとして無理に引き伸ばし,根を抜いてしまったという「孟子公孫丑上」の故事から〕 不要な助力をして,かえってそこなうこと。
==============引用終了

〈元々の意味からかわってきた当初は、「悪い方向」限定だったはず〉は当方の主観でしかないので、典拠を示すことはできません(泣)。
『大辞林』の記述を信じるなら、[1] 悪くする[2] 良くする の両方の解釈ができます。
 これは元々の話が両方の解釈ができるからでしょう。
〈苗の生長を助けようと〉するなら「善い方向」です。
 しかし、〈根を抜いてしまった〉に着目するなら「悪い方向」です。

 個人的には、どう使っても「その使い方は誤用……」と言われそうな言葉は使えません。
 こういう言葉はほかにもあります。
 詳しくは下記をご参照ください。
【「故事ことわざ」の寿命】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2392. …
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この回答へのお礼

こちらのほうへの御回答ありがたうございます。先日のつづきです。

>こんな訳のわからない言葉を正確に使う自信がないので、自分では使いません。

「助長」はおつしやるとほり、微妙なところだと思ひます。「破天荒」「鳥肌が立つ」もいかにもありさうな使用法です。私はいい加減なので、一般に誤用とされるものでも、状況次第でどんどん使ひます。知らずに使ふこともあれば、誤用の批判があるとわかつてゐても使ひます。1311tobiさんの姿勢が適切と存じます。

>〈元々の意味からかわってきた当初は、「悪い方向」限定だったはず〉

私をふくめ、これまでの回答者の方も、語感として「悪い方向」の印象を抱きますので、おつしやるとほりかと思ひます。若い人の感じ方はまた違つてくるかもしれません。儒教的に厳しく判断すれば、悪くても、道教的に、いいではないかと見れば、そんなこともないやうに思はれます。私はQ&Aサイトに参加しはじめて1年になるのですが、質問回答の過程で、論語孟子老子荘子列子などを読み直すと、儒教と道教のあひだにはそれほど大きな差はないのではないかと感じはじめてゐます。先日も哲学カテゴリで『論語』の言葉の解釈について回答したのですが、荘子の思想みたいでした。若いときとでは、本を読んでも受け止め方が違ひます。

>「先生の教えを他山の石として、肝に銘じます」

ジョークとしては、いいかもしれません。(笑)いちいち怒る人がゐるのが、むしろ問題でせう。

>「人の噂も七十五日」

たしかにさうですね。今はそんなに続きません。

>「子はカスがいい」

これまた(笑)。以下(笑、笑)。回答番号3の方の領域です。

1311tobiさんの文章は、高圧的なところがなく、辞書を参照しながらも権威主義に陥らず、言葉への愛着が感じられて、いつも楽しく拝見してをります。今後とも御教授くださいませ。(これも、誤用だとする人がゐますが、私は変化をつけるために使ひます。)

お礼日時:2015/04/12 15:35

助長とは、


[3]部長や課長や係長を補佐する(助ける)役職の総称
・・・・・・・・・・・

と将来はなるかは別として、’本来’という意味では[1]だけだったかもしれません。それに[2]が加わったのかもしれません。今では両方の意味があるようですが、私も悪くするイメージだけだと思っていました。

辞書には
1) 急速に成長させようとして無理に力を添えてかえって悪くしてしますこと。結果として、よくないことをさらに著しくしてしますこと
2) 物事の成長・発展のために外から力を添えること

 とあります。1)2)共に、よい方向に持っていこうとする意志があるのですね。
1) はその結果、現在悪い状態をさらに悪くする
2) は今の状態や結果については触れていません

ですから、とちらが誤用と考えるのではなくて その時の状況に応じて使えばよろしいと思います。

長所・短所 という言葉のように、よくするのは助長、悪くするのは助短なら分りやすいですね。
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この回答へのお礼

いつも柔軟な思考にもとづく回答に感謝してをります。

>[3]部長や課長や係長を補佐する(助ける)役職の総称

部長や課長のセクハラなどの悪事をのさばらせる、といふのが本来の意味である、といふ説明がなされることになるのでせう。100年後の辞書を見てみたいものです。

>私も悪くするイメージだけだと思っていました。

keirimasさんのお歳を存じあげませんが、ある程度の年齢がいつてゐれば、さうなりますよね。

>とちらが誤用と考えるのではなくて その時の状況に応じて使えばよろしいと思います。

私もさう思ひます。

>長所・短所 という言葉のように、よくするのは助長、悪くするのは助短なら分りやすいですね。

はい、「助」「長」ともに、良いイメージですから。たしかに「助短」なら雰囲気がでます。

お礼日時:2015/04/12 09:57

再びNo.1です。



農夫の行動は、自然の摂理を無視し、無理に外から力を加え、その結果、苗を枯らして

しまいました。「善良の行為」と書いてらっしゃいますが、とどのつまり、早く苗を伸ばして、

手間を省くことにより、自分が楽をしようとしたのですから、善行とは言い難いと思います。

したがって、 [1] が本来の意味であると考えます。
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この回答へのお礼

追加回答、感謝してをります。いろいろな人から素直な御意見をうかがひたいと思つてゐます。教科書に書いてある、辞書に載つてゐる、故事はかうだ、教授先生の見解だ、などといつた権威主義があまりにも幅をきかせてゐるやうに感じます。辞書や教科書もそれを作つた人の考へが書いてあるだけなのに、唯一の正解であるかのやうに語る場面をしばしば見かけます。言葉のもとになつた由来でさへ、その内容に疑問を抱いてしかるべきではないかと考へて質問しました。

>手間を省くことにより、自分が楽をしようとしたのですから

そのやうに解釈なさるわけですね。私はこのQ&Aサイトでも、怠け者と称され、顰蹙をかつてゐます。自分にあてはめてみれば、納得がいきます。といふことで、[1]が本来の意味なのですね。

御回答ありがたうございました。これからもよろしくお願ひいたします。

お礼日時:2015/04/12 09:25

〈語感としては、何かをのさばらせるやうなイメージがあつて、[1]なのですが



それなのに[2]を取るのですか? よく分からない理屈ですね。
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この回答へのお礼

さつそくの御回答ありがたうございます。

>それなのに[2]を取るのですか? 

『孟子』の記述を考慮すると、[2]が妥当に思へるからです。ほかの人の善意の行動を、わざわざ悪く受け止めるのは、心が病んでゐるのではないでせうか。私としては、孔子や孟子よりも、老子や荘子の思想のほうに魅力を感じます。

お礼日時:2015/04/12 00:35

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