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「する」「させる」は、本来まったく意味が異なるはずなのに、なぜ、
ア、「歌が彼女の気持ちを明るくした。」
イ、「歌が彼女の気持ちを明るくさせた。」
が、両方ともほぼ同じ内容をあらわすのでしょうか。それとも、後者は間違いなのでしょうか。

質問者からの補足コメント

  • 強調の「させる」とは?初耳です。くわしくご教示ください。よろしくお願いします。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/04/25 16:55
  • 一人で自分に酔ってる先生って感じですかね、生徒はおいてけぼりで。

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/04/25 19:32
  • ニ格というのは、笑福亭のことですか!?を

    No.20の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/05/01 17:39

A 回答 (27件中1~10件)

後者の「させた」は意味の強調です。

この回答への補足あり
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「する」には、大辞林の【 ③ (形容詞・形容動詞の連用形に付いて)その状態にならせる。

その状態を出現させる。 「髪を長くする」 「これまでの経緯を明らかにする」】という用法もあり、「させる」と同じような意味で使うことができます。
http://www.excite.co.jp/dictionary/japanese/?sea …
その意味で、アとイが、ほぼ同じ内容であるのはたしかですが、ニュアンスは微妙に異なるように思います。

ア、「歌が彼女の気持ちを明るくした。」

歌が彼女の心を明るい状態にならせた。
歌が彼女の心に直接働きかけて明るくした、というニュアンス。

イ、「歌が彼女の気持ちを明るくさせた。」

「させる」は、大辞林の【 ① ア 誰かに対して動作をしかけるように他にしむける。 「老人が若者に少女を助けさせた」】という用法です。
http://www.excite.co.jp/dictionary/japanese/?sea …
歌が(彼女に)彼女自身の気持ちを明るくさせるように仕向けた。
歌が、彼女に働きかけて、「彼女自身の気持ち」を明るくするように仕向けた、というニュアンス。
彼女が明るくなった過程を、良くも悪くも、理屈っぽく表現しているように感じます。
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「する」は自・他同形です。

「彼女の気持ちを明るくする」は他動詞としての用法で「彼女の気持ちを明るく変えた」ということです。
「させる」は「する+せる」で使役の助動詞「せる」がついて「彼女の気持ちを明るくさせる」で結果は同じように、「彼女の気持ちが明るくなった」と言うことになります。

 「彼女が泊まる」の「泊まる」は自動詞です。これに「せる」を付けると「泊まらせる」(使役形)となります。
一方、「彼女を泊める」と他動詞を使うと、結果は同じになって「彼女が泊まる」ことになります。

 文法の上では、<自動詞の使役形は他動詞と同じ結果になる>ことが、しばしばあります。(多分、常にではないと思いますが)
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右手を上にあげた。


右手を上に差し出した。
人によって若干異なる意味になるかもしれませんが。
表現している内容は同じですが、使っいる言葉は異なりますね。
>両方ともほぼ同じ内容をあらわすのでしょうか
日本語に対する感性不足。
明るくした、誰が?、何が?・・・歌が、ただし、物理的?には歌にそんな力はありません。
明るくさせた、させるのは彼女自身、歌によって彼女自身の何かが(例 精神状態)変わり、それに伴い気持ちも明るくなった。
風が吹けば木葉は舞う、風が吹けば帆を張って船は進む(帆を張らなければ進みません)。
表面的な結果は、気持ちが明るくなった、で同じです、表面的または結果だけを求めれば・・・
この回答への補足あり
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自動詞と他動詞の違いだと思います。



表現方法の違いは、視点の違い。
「どこに切り口を持ってくるか」や「どの視点から表現するか」で
変わってきますよね。
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自動詞と他動詞の違い、確かに文法的には、でもそれだけでは何の説明にもなりません。


自動詞と他動詞では何がどう違うのかですね。
歌が、する=何をどうする?、何を、は必ずしも必要ではありません、これが自動詞です。
歌が、させる=何をして、どうする、何をしては省略できません、これが他動詞です、この場合は「彼女をして」です。
これが、意味を強めるといえば、言えるのかもしれません。
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#2ですが、ちょっと補足を。



「明るくなった」なら自動詞ですが、
「明るくする」も「明るくさせる」も、「~を明るくする」「~を明るくさせる」と目的語を取ることができますから、どちらも他動詞です。
そこは論点になりません。
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No.3です。


「する」の自動詞、他動詞論議は質問者ご自身だけでなく、他の回答者にも理解してもらえなかったようです。
この「教えて!goo」のサイトで過去に次のような質問がありました。事の起こりは、ある食品工場で毒物が製品に混入していたという事件がありました。この事件の報道について質問がありました。いくつかの新聞・テレビで「毒物を混入した」という言い方と「毒物を混入させた」という言い方の二つに分かれてしまったのです。この事実に気づいた人の質問がありました。この質問者の鋭さにも感心したのですが、報道機関は「言葉遣い」にはかなり注意しているはずなのに、どうしてこんなに見事に分かれたのかと言うことにも驚きました。
 結局、二つの言い方はどちらもあり得ると言うことで収まりました。ある人が「混入+する」という漢語とサ変との複合動詞は自動詞でもあり、他動詞でもある(自他同形)と言い出したのがきっかけでした。
 自動詞の場合 毒物が混入する  他動詞の場合 (誰かが)毒物を混入する
ということになります。
 しかし、この工場のラインには毒物が勝手に入り込める状態ではなく、誰か犯人が混入させない限り入りません。したがって「混入する(自動詞)+せる」(混入させる)という使役形にして始めて自動詞としての意味が成り立ちます。
 一方、他動詞の「混入する」はそのまま(誰か=犯人)が毒物を混入するで意味が成立しています。
こうして自他どちらの意味でも言い方が間違っていないという結論になりました。報道機関のどちらかがまちがっていれば恥をかいた場面ですが、無事収まったようでした。(このサイトの結論とは無関係でした)
 <自動詞の使役形はしばしば他動詞と同じ結論になる>という判断はこういう過去があったからです。

ただし、ご質問の「する」についてはまだ分かりにくいので、「を明るくする」(他動詞)と「を明るくさせる」(自動詞の使役形)とを対比させてお考えください。自動詞でも使役形にすると「気持ちを」という目的格を取ることができるようになります。
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イは使役形なので形式上は3人称が必要ですが、


不明のままで隠れております。

完全に書くと、
「歌が<*に>彼女の気持ちを明るくさせ」
です。*は普通は人ですが、形式上は生物全般もあり得ます。

しかし、あくまで形式上であって、
現実にはあり得ませんので誤りです。

*を兄にすると「兄に*を明るくさせ」となり、
だれが歌った歌かがさらに問題になります
「私」とすると、必要になってくる動詞も補って完全文を作ると
「私が歌った歌が兄に彼女の気持ちを明るくさせた」
(ここで私と兄は通常の状況を想定すると別人ですよね)
となり、状況としてあり得ませんので
意味不明文であることがわかります。

まとめ:
近年、使役形の運用能力が極端に落ちてきております。
1-3人称のすべてを考えてから作文せぬからそうなります。
元来日本語では使役形は人が第3者=3人称の人に「させる」形で使うのであって
「歌が」との無生物の動作主体を使う表現は英語の影響による疑似日本文です。

これと同じ現象が近年同様に爆発的に使われる無生物主語の受動態です。
NHKのnews原稿を書く奴は英語国民かと思うくらい
「れるられる」の大爆発です。

この現象は民族性に帰着させることができ、
断言嫌いであいまいに言いたいので
無意味文字列を可能な限り長く続けてぼかす態度に属します。
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#2、#7ですが、もういちど補足させてください。



くどいようですが、今回の例は、自動詞・他動詞という要素とは関係ないと思うのですが、これはわたしの勘違いなんでしょうかね。
#8さんのご見解ですと、「明るくさせる」が自動詞の使役形なので他動詞と同様の用法になる、とおっしゃっているのだと思うのですが、では、「明るくする」は自動詞なのでしょうか。
#2で述べましたように、「する」には、【 ③ その状態にならせる。その状態を出現させる。(大辞泉)】という使役の意味が、元々含まれているわけですが、これは他動詞でしょう。
ア、「歌が彼女の気持ちを明るくした。」は、この用法だと考えることができると思います。
つまり、歌が直接的に彼女の心に作用して明るくした、という構図。
「遠くで汽笛の音がする」などの場合は自動詞ですが、今回の例で、わざわざ自動詞を持ち出す意図が良くわかりませんね。

イ、「歌が彼女の気持ちを明るくさせた。」の場合は、その使役形です。
つまり、使役の使役で、「歌が、彼女をして、彼女の気持ちを明るくさせた」という構図。
この点に関してですが、#9さんは、
「歌が<*に>彼女の気持ちを明るくさせ」という表現は、「現実にはあり得ませんので誤りです。」とおっしゃっていますね。
しかし、そんなことはないと思います。
これも#2で述べたことの繰り返しで恐縮ですが、「彼女」と「彼女の気持ち」を分けて考えているわけです。
「歌が<彼女に>彼女の気持ちを明るくさせ」という構図は特に問題ないでしょう。
「わたしは自分自身を奮い立たせた」などと似たような構図であり、言ってみれば、「もうひとりの自分」といったものを想定した表現方法になると思います。
こうした表現は、わたしたちが無意識的に使っているものであり、間違いではないでしょう。

ただ、以上は、あくまで個人的な感覚にもとづく私見ですので、もし私が勘違いしているようなら、ご指摘いただけると助かります。
典拠は不要です(あっても差し支えはありませんが)が、ただ、論理的に解説していただければ、それでで十分です。
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