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自然界の科学的解釈に欠かせないのが『電荷』概念です。電子の負電荷や陽子の正電荷などで原子構造の解釈の基本を成しているようです。しかし素粒子の質量に付随した付加的概念でしか論理的な意味付けは無いようです。『電荷』その物の空間的実在性はどのように定義されているのでしょうか。単独に『電荷』の存在を論じる事例がありましたら教えてください。

質問者からの補足コメント

  • どう思う?

    お答有難うございます。
    一つお尋ねします。電気素量として11桁もの数をどのように信じたらよいでしょうか。誰が何処で確定し、現在どのように確認されるのでしょうか。余り桁数が多い数値は眉唾ものに思えます。クーロンの法則も電荷で検証できないと思います。概念的な法則でしかないと思います。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/08/07 12:50
  • どう思う?

    御回答有難うございます。
    一つお尋ねいたします。
    電荷とは単なる電気量を表す粒子でしかないと言われます。空間に実在するから粒子と言われるのだと思います。仮想的な粒子では粒子には成らないと思います。空間を占めない物は世界に存在しません。光も空間に存在するから実在する物・粒子です。電荷が世界に存在するなら、それは空間内で何らかの体積を占有し、その電荷の存在範囲を確定できる筈ではないでしょうか。空間に電荷が影響を及ぼすならその範囲が全て電荷の存在空間と看做したいのですが。粒子と言う範囲と電荷の及ぼす範囲との関係を科学論として説明できないでしょうか。よろしくお願いします。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/08/07 13:03
  • うーん・・・

    折角の御回答を理解できずに、何度もお尋ねして誠にすみません。
    御説明は、結局『電荷』と言う物理量は存在しないという事でしょうか。存在しない物理的概念を使って物理学や化学の基礎理論を構築しているということなのでしょうか。要するに説明の為の仮想的概念であって、そんな事柄で『電荷』が存在するか存在しないかを論じる事自体が科学論でないということなのでしょうか。正孔が電子が欠けた粒子と言う意味は自由電子と言う素粒子はマイナスの『電荷』を持った実在物理量と解釈しているのじゃないですか。その実在電子が欠けたからプラスの穴と仮想的に解釈するという意味に取られます。自由電子はマイナスの『電荷』を持った物理量じゃないのですか。しかも質量も備えた素粒子と。もう一度よろしく願います。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/08/07 15:09
  • うーん・・・

    済みませんがまたお話を聞かせてください。
    素粒子論から離れられなくて困っています。世界に存在する根源を論じるのが素粒子論と思います。電気磁気学も全ての科学理論の基は同じくなければならないと思います。マックスウエル電磁場方程式の意味も良く理解している心算で話をお聞きしているのです。電磁気エネルギーは独立の実在物理量とお考えですか。あるいは何かに、質量等に付帯したものとお考えでしょうか。雷の正体も電荷では説明できないかもしれません。どうしても『電荷』を定義しなければ自然科学の論理性が主張出来ないものですから困ったいるのです。

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/08/07 18:28
  • うーん・・・

    御面倒をお掛けしてすみません。科学論の根源を確認しているものですから、科学常識論から外れているかも知れません。
    もう一度お答え頂ければ嬉しいのです。何を確認したいのかお解り頂けないのは残念です。電気量は存在すると言われてもその論理的な説得力ある解説が世界には無いのです。所謂専門家の常識論として、初心者に電気量は存在すると頭から覚えなさいと強制しているだけではないかとさえ思うのです。化学理論は市民が納得できるように論理的に説明できなければ、専門家としての説得力には成らないのじゃないかと思うのです。失礼をご勘弁ください。

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/08/07 18:40
  • どう思う?

    ありがとうございます。ご指摘の通りの質問であるかも知れません。一つ例を挙げて見ます。原子結合で、共有結合と言う結合が分子構成力に挙げられています。その結合は電子同士の間の特殊な結合方式と見做しているようです。クーロンの法則による力でもないのに、分子構成力として解釈されています。質量同士が結合に寄与しているとは解釈されていないように見受けられます。
    上の例はあまり適切ではないかもしれません。済みません。例えば電子加速を例に挙げれば、加速するのは質量mへの加速と言うF=mαとなり、電荷を加速している訳ではないように見えます。クーロンの法則も、電荷同士間の力で、質量の意味は不要ですので、単独の『電荷』の存在が定義されなければ、クーロンの法則の意味も成り立たないのではと思います。
    誠に常識離れの根源的な質問で申し訳ありません。科学論はどこまでも論理的矛盾の無いものでなければとの思いでの質問です。

    No.6の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/08/07 22:21
  • どう思う?

    ご回答、ご指摘有難うございます。
    大体のご指摘内容は、物理学会誌を毎月見ていると解ります。物理学の基礎概念の常識論を批判している者で、元々電気技術・電力技術から観る視点から「理科教育」に関わる教科書の内容の矛盾を基本に考えているものです。科学理論が市民の理解を得る為には、先ず基礎の共通理解を得る社会的合意が必要であると考えます。その為には例えば、ヒッグス粒子が質量の存在を理論付けるに必要だなどと言われますが、その論理を市民が理解できるような日常用語で説明することが専門家に求められている時代になったと痛感します。その合意を得る為には科学基礎概念が相互に理解し合わなければならないと考えます。専門家には、少しその辺でのご努力をお願いいたしたいのです。

    No.9の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/08/08 20:43
  • うーん・・・

    生兵法とのご指摘誠に恐れ入ります。
    元もと大怪我の連続で、その覚悟がなければ『電荷』の否定など唱える筈もないと思います。電荷否定にクーロンの法則が元もと矛盾であれば、原子結合に『電荷』概念は論理性が無い立場・視点で論じています。

    No.7の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/08/08 21:01
  • どう思う?

    ご回答有難うございました。
    少し付け加えさせてください。
    ・「質量」同士の相互作用で説明できない「電気的な」ものでしょう。
    というくだりについて、私が疑問に思う基本があるのです。何故「電気的な」ものと歴史的に科学論の基礎概念となって来たのかという点です。元々ニュートン力学での質量加速は、あなたがおっしゃる通り、質量そのものに対する力であってこその方程式の筈です。その解釈が上手く行かないから、「電気的な」ものを追加して解釈しようとする、理論構築にこそ疑問を持つ訳です。それこそ現代物理学としては、そんな曖昧な御都合だけの概念では、未来を切り開く学問には成らないと危惧するものです。「電気的な」ものを必要とするなら、それこそその「電気的な」ものとは何かを厳密に定義できなければ、それは学問としての物理学・科学理論には成らないのではと考えるのです。失礼を顧みず済みません。
    ありがとうございました。

    No.12の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/08/17 10:10

A 回答 (14件中1~10件)

追加を。



電荷、というものを直接認識することは難しくつかみどころがないです。我々は、人間であるがゆえ、押される/引かれるという、「質量的な」力としてしか電荷を認識するすべがない。その意味で、質量に付属する、というのは、確かにそうかもしれませんね。

だけれども、質量というものとは違う要素がすでに、自然にある。

ちなみに、1クーロンという量は人間が考え出したものなので、定義されております。
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この回答へのお礼

お考えいただきありがとうございます。
その1クーロンを人間が定義した訳です。それではその量が何の役にどのように立つかです。クーロンの法則と言うもので結合力等の解釈に便利だと言うだけで、それは確認できないものです。一つ考えて見てください。プラスとマイナスの電荷が同量で存在したとします。その電荷は合体してら電荷は消えてしまうのですか。消えるとしたらその物は何だったのでしょうか。消滅しないとしたら何に成るのですか。

お礼日時:2015/08/17 21:43

ずっと引っかかっておるのですが、定義というと、あたかも、電荷というものを人間が作り出し、電荷に起きる/が及ぼされる現象を人間が設定し、人間が自然を決めたようです。



では、逆に問いますが、質量を人間はどう定義したのでしょうか。その実体がエネルギーと等価であることはわかったことですが、では、エネルギーはどう定義したのでしょうか。

定義とかそういうことじゃないと思います。質量や電荷はあったのです。人間が決めたのではない。まあ、言葉は人間が後付けしたのでしょうが。

質量や電荷といったものが、より根本的な、統一的な何かに集約されないのか、ということを問われているのでしたら、それは、長い時間をかけて突き止めようとしているところ、となるのでしょうが。
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この回答へのお礼

何度もお答を頂きありがとうございます。
定義と言うのはおっしゃる通り自然界を解釈する共通理解の為に、人が決めたものでしかありません。電荷や質量と言う概念が、それこそ人間が決めた自然解釈の概念でしょう。質量も原子量も常にその存在環境で、量的変化をしていると観るべきでしょう。光になったり熱として放射されたり。厳密と言ってもその決めた条件での量の評価でしかなかろうと思います。当然全ての統一的な何かを突き止めようとする訳です。その行き着く先がただ一つの『エネルギー』であろうと言うことです。光も熱に成り、また原子質量となります。互いに変換している「エネルギー」の姿であろうと言うことです。
ありがとうございました。

お礼日時:2015/08/17 21:28

>例えば電子加速を例に挙げれば、加速するのは質量mへの加速と言うF=mαとなり、電荷を加速している訳ではないように見えます。



電子が「加速する」のは「質量に対して力を及ぼした」結果ですが、その「力」は「質量」同士の相互作用で説明できない「電気的な」ものでしょう。「質量」とは直接相互作用を及ぼさない「電気」という要素があると考えなければ説明できないような。あくまで古典的な話ではありますが。

質量をまず見つけてしまったから、それ以外の要素を、質量に付随するものとしてしかとらえられないのではないでしょうか。
この回答への補足あり
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No9 です。

コメントにいくつか感想を。そういう目的であれば、技術としての工学と、理論としての物理学を、TPOに応じて分けて論議する必要がありますね。そうしないと返って混同してしまうかと。例えば、ヒッグスの例が出ていますが、質量の存在を理論づけるのに必要・・・というのは、新聞も大きく書いてありますが、大きな誤解です。ヒッグス場は、本来質量を持たない素粒子が質量を持つようになった理屈ではありますが、それは物質の質量ほんの一部です。物質の質量のほとんどは、強い力によって閉じ込められたエネルギーに起因するので、ヒッグスは関係ありません。つまり、何をいいたいかといいますと、適当な解釈で、素人向けに説明をするのは、相当な苦難があるということです。やはりどんな状況にせよ、説明をするには、その対象のもっている知識の前提条件なしには語れません。そういう意味では、質問者の今回の質問は、電荷の概念を誤解されている時点で、質問自体がナンセンスとなってしまうため、回答も、どこまで掘り下げてその誤解を解くべきか、悩む次第です。
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この回答へのお礼

何度もご説明いただきまして有難うございます。
現代物理学理論のおおよその姿わ理解しているつもりです。しかしその範囲は教科書の内容で、自然科学を認識するに基礎となるべきと学校教育で取上げられている範囲でしかありません。ところが重力理論の研究のように、一般相対性理論の延長とも言うべき高度な数学的素養を要求されることになると、市民の理解の範囲を超えている訳で、それではその科学研究の意義を理解すべき社会的基盤があやふやとなり、研究者自身にも不都合となるのではと危惧します。社会的安全性を未来に勧めるには、市民の理解が必要不可欠の筈ではないでしょうか。決して説明が難しいと言うことでは済まないと考えます。御面倒でも日常用語で説明できない筈は無いと思いますので、よろしくお願いいたします。
ありがとうございました。

お礼日時:2015/08/17 09:43

古典的に考えれば、物理学は、力学・光学・熱学・電磁気学の各分野に別れていたわけです。


それぞれに遠隔力が作用する現象があるので、アナロジーとして、それぞれの現象を測定する時の作用素が仮定されました。
力学であれば質量、光学であれば光線・波動・光子、熱学では熱素、電磁気学では電荷、磁荷です。
このうち、熱素、磁荷に関しては、理論的に不要になったので使用されていません。
質問文では、単純に質量を実体として捉えられているようですが、これ自体も重力もしくは、慣性力から間接的に測定されるものです。
そういう意味では、電荷と同等の概念なんですよ。(我々が直接重さを認識できるから、それが実体を表すとおもっているだけで、実際は物質が持つ性質の一種です)
電荷に関しても、電流や電界強度などを測定する事により、間接的に測定されるものです。
質量は、普通はほとんど変化しませんが、電荷は移動する事が可能です。(質量に関しても、エネルギーに変換されれば、質量欠損と言う形で変化します)
ここらへんが、理解を難しくしているのは確かでしょう。
熱素に関しては、熱の移動現象が温度差によるエネルギーの移動である事がわかってからは、理論的に不要になりました。
磁荷は、磁力や磁界の理解の為に導入されましたが、現在は電磁現象として、電荷の運動による磁界の磁束を利用するので、概念としては不要となりました。(単位としては、Wbとして磁荷、磁束共通です)
磁荷は、必ずN・Sがペアになるので、単独に存在する事は出来ません。
物理現象に関しては、基本的には力を測定する事でしか、認識する事は不可能です。
遠隔力(重力・電磁力)に関しては、古典的には何らかの媒介物により作用が行われると想定されていましたが、現在は空間の性質がその力を伝達すると考えられています。
素粒子の質量の測定にしても、速度と運動量から間接的に計算して求めているわけです。
それを実体として認識できるのであれば、電荷も認識可能ではないでしょうか?(あくまで我々が重さ(質量)として認識している範囲とミクロな領域が一致すると考えるのも、類推でしかないわけです)
現在の理科教育や物理教育に関して、一家言お持ちのようですから、電荷の存在をどのように認識すべきかを専門家にゆだねるより、このように説明したら理解しやすいと思われる事があるのなら、それを発表されるのが良いとは思います。
物理学者が一般に啓蒙する事も必要だとは思いますが、本質的に誰でも理解出来る事ならば、無理に研究する必要がないわけです。
最終的な到達点としては、統一理論に近づく事でしょうが、まだその段階まで進んではいません。
電荷と言うものを想定すれば、理論が構成できて、電磁現象の記述が出来るのであれば、それは必要な存在と言えるでしょう。
まだ、電荷の場合は、電子や陽子などがあるから、実体として認識しやすいと思いますよ。
重力は実際に地球上にいるから、自然に認識できるだけで、それの作用素が何かもわかりません。(重力子と考えるか、空間が重力(引力)勾配を持つかは認識不能でしょう)
単純に考えれば、近距離ならば、物体は相互に近づく性質を持つとしか言えないわけです。
原子構造に関しても、陽子のまわりを電子が回転運動をしていると考えるか、陽子のまわりに一定の軌道で電子が確率的に存在し、その運動量が一定であると考えるかで実体の認識は違ってきます。
どちらも正しいと考えるしかないです。(不確定原理により、どちらの可能性もあるとしか測定できないです)
物理学を実在論で捉えるか、現象の認識論で捉えるかの違いでしか無いと思いますよ。
どちらにしろ、量子力学では、確率でしか現象を説明できません。(原子や素粒子が安定して存在しているのは、確率分布が一定の範囲におさまっているのは確かだと思います)
物理定数の多くが、複雑な数値となっているのは、原単位を任意に決めたからです。
1s、1mや、1kgは当初の数値決定が地球の自転時間、地球の直径や、水の質量から決められました。
それを元に、測定したら、物理定数が単純な数値になる方が不思議だと思いますよ。
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この回答へのお礼

ご丁寧なお話、解説を頂きまして恐縮いたします。有難うございました。
すべて仰る事は理解できます。結論のような事を言えば、最終的にはすべて『エネルギー』に集約される筈と考えます。質量も変化する事は周辺環境の影響を受けます。光は何かとなれば、熱と区別できるものでもないでしょう。その状況・環境で相互変換します。質量・熱・光に特別根本的に差がある訳ではないでしょう。学校教育の『教科書』の範囲の基礎的な概念で余りにも無駄な内容を詰め込み過ぎていると、その弊害が大き過ぎると心配です。不要な法則が多すぎます。子供達が『電荷』とは何かと思い、考えてくれる機会になればと思います。
重ねてご回答感謝いたします。有難うございました。

お礼日時:2015/08/09 09:19

場の量子論を勉強されてはどうでしょう。

電荷とは、素粒子が電磁場と相互作用するときの大きさを示す値です。電荷という実態があるわけではありません。電子は-1。陽子は+1という値を取る、という意味なのです。

現在の物理学で、一定の完成している標準モデルで言えば、

・電子は素粒子で、-1、いまのところ、内部に構造はないと言われています。ですから、電磁場での加速でいえば、加速されている実態は電子です。
・陽子は、アップクオーク(+2/3) 2つと、ダウンクォーク(-1/3) で出来ているので、全部足すと、+1。ですから、クオークが実態と言えば実態ですが、強い力によって、陽子の中に閉じ込められているため、クオークを単独で見ることはありません。

ただ疑問はわかりす。標準模型は、世の中の実態がこうなってますよ。こう考えると矛盾なく、現象が説明できますよ・・ってことのなので、なぜ、20種類ぐらいある素粒子の電荷が、ぴったり電子の整数倍や、分数だとしてもきれいな値になるのかは、実は不明です。このあたりは、超弦理論等、標準モデルより根源的な理論による解明を待つしかありませんね。

また場の量子論を理解すれば、質量(物質)も、力も、全てはエネルギーであり、ゆえに現象に応じて、波に見えたり、物に見えたりする、イメージが湧いてきます。また、量子論を勉強すれば、原子モデルとエネルギーなどの関係もわかるので、結合云々の疑問は晴れると思いますが、そのあたりは、ちゃんと体型だてられているので、知識の前提なしに、古典論のイメージだけで、自分の思いをぶつけても、議論はかみ合わない気がします。

なお、電気素量は、今の単位系をもとに、実験で得られた数字なので、上記の理屈とは無関係です。11桁云々といいますが、もっと精度が高い物理系測量はたくさんあるので、それを持って実態が???云々を言うのは、少し的外れに感じます。
この回答への補足あり
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どう回答すれば納得してもらえるか、悩みますが、とりあえず、なんらかの回答っぽいもの、および、補足情報へのツッコミ等




>『電荷』その物の空間的実在性

「空間的」という形容の意味がよくわかりませんが、
磁気モノポールを認めると電荷が量子化できるという話があったような・・・
http://maldoror-ducasse.cocolog-nifty.com/blog/2 …

さらに、以下のような話もあります。
http://asuka.phys.nara-wu.ac.jp/terms/gut.html
大統一理論は、標準理論の対称性を拡大して、クォークとレプトンを統一的に扱う理論です。そのため、クォークとレプトンの電荷の関係、即ち電荷の量子化が対称性のみから数学的に導かれてしまうのです。



>単独に『電荷』の存在を論じる事例がありましたら教えてください。

例えば、質量0粒子が電荷を持てるか?みたいなことですか?
massless charged particleで検索すると、いろいろ出てくるっぽいですが、
英語は苦手なので、真剣に調べたことはないです。


>電気素量として11桁もの数をどのように信じたらよいでしょうか。誰が何処で確定し、現在どのように確認されるのでしょうか。余り桁数が多い数値は眉唾ものに思えます。クーロンの法則も電荷で検証できないと思います。概念的な法則でしかないと思います。

電荷素量は古典的にはミリカンの実験で測定しますけど
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%AA …
現代ではどうやってるんでしょうね?

現代の測定方法はいろいろあるようですが、そういえばジョセフソン素子を使った実験は聞いたことがある気がします。
もっとも、現代では単一の実験から出しているわけではなくて、
プランク定数、微細構造定数・・・などを精度良く求めて、そこから算出しているっぽいですね。
https://en.wikipedia.org/wiki/Elementary_charge# …

クーロンの法則については、逆自乗則からずれると、光子が非0質量を持つということになり、
非常に精度よく計測されていると思います。

以下、引用
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E5%AD%90 …
質量を持つ光子には、他の影響もある。クーロンの法則が修正され、電磁場は余分な物理学的自由度を持つことになる。この効果は、周波数に依存する光速よりも感度の高い光子の質量の実験装置を可能とする。クーロンの法則が完全な真でなければ、外部電磁場に晒される中空導体の内部に電磁場が発生することになる[22]。これにより、クーロンの法則は非常に高い確度を持つことが確認されており、光子の質量の上限はm ≲ 10^−14 eV/c2の範囲であることになる[23]。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
しかし殆ど残念ながら賛同しかねるご指摘ばかりです。すべて私が批判している対象です。

お礼日時:2015/08/08 20:48

>クーロンの法則による力でもないのに、


>分子構成力として解釈されています。

生兵法は大怪我の元 の典型ですね。
この回答への補足あり
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古典力学で扱う「電荷」とは、あくまで物体に付随する「属性」のようなものであって、「あるのは電荷だけ、ほかの要素なし!」ってなものは存在しないのでは? そういうことが言いたいのかな?と思うのですが、どうですか? 質問に対する回答を質問で返してすいません。

この回答への補足あり
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何を確認したいのか分かりませんが、電気量は存在する。


それが粒子に付属するかどうかは、古典的電気理論の中では重要なことではないのでは?
素粒子の世界に電荷と言う概念が不要なら使わなければよい。
有るかないかの論議は意味がない。
この回答への補足あり
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