限定しりとり

1. 神などはいるもんかと言う。
 ――けれども いると言ってもいないと言っても何と言っても そのことによって神が決まるなどということはあり得ない。《絶対》なのだから。

 2. 人間がこしらえたものに過ぎないと言う。
 ――けれども こしらえることが出来たなら 神は人間のあやつり人形になる。《絶対》ということを知らないから そんなお遊びをしている。

 3. 神は 精神だと言う。
 ――けれども 精神は 人間のもの。自然本性としてそなわったもの。《絶対》がどうして この有限で相対的でうつろいゆかざるを得ない経験事象であるのか。




 人びとはどうして神のことが分からないのか?

質問者からの補足コメント

  • №44お礼欄からの続き。
     (し)★ この部分なのですが、#43でも冒頭触れましたように、私の感覚とは少し違いますね。
     ☆ 違うと感じるから 人びとは対話する。批判する。この前提を出さなければ語れないのは おかしい。

     (す)★ 「神はいる」と言っても「神はいない」と言っても、どちらも正しいとは言えない、ということ。
     ☆ 誰も《正しい》とは言っていない。有る神にしろ無い神にしろ どちらでも自由にえらんで非思考の庭がわが心に成ることを自由に享受しうる。そういう自然本性として人は生まれて来ている。というに過ぎません。

     (せ) それをあなたが嫌だと言ってもよっしゃその与件を崩壊させてやると言っても 自由ですが 絶対をどうにかすることは出来っこなし。

     (そ) 《象徴》は よほど但し書きをしない限り 経験事象であるゆえ 《超越的》という概念とは相い容れない。再問。

    省エネ投法にて。

    No.44の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/08/18 17:52
  • いくら説明しても・納得したようであっても みとめない。延々と同じ問題をいじくるか あるいは 別筋の問題へと逸れて行く。それについて説明しても 同じパタンがつづく。


     ★ 宇宙の摂理
     ☆ とは何か? この問い一点にしぼっても こちらとしては よいです。

     いかにあなたは哲学に向いていないかを みづから確認することができるように説明して差し上げましょう。

     この一点をなぜ持ち出したかと言えば かんたんです。それは そちらから出して来た定義の中の鍵語のようだからです。
     こちらが出した命題はすべていくら説明しても のらりくらりと躱すことしかしないからです。

    No.45の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/08/18 21:13

A 回答 (49件中11~20件)

#34です。



> ☆ どうして そう(つまり 《違うはず》)と思うのですか? 
 少なくともまだあなたは 神の定義をしていません。わたしのツッコミにまだ答えていません。

 それに 《元気づける》のが《永遠に》というのなら すべての個別の元気づけ方を総論としてふくみます。
 そのときからすでに《うつろいゆかない状態・ゆるぎない状態》になるのだから 具体的にその方式が違っていても まづはこの定義が総括しています。――こんなことをどうして いちいち書かなければならないのか。

#25で
『 わたしは、
【 ① -(イ) 哲学で,世界や人間の在り方を支配する超越的・究極的な最高存在。】
という辞書語釈に近い考えです。
http://www.excite.co.jp/dictionary/japanese/?sea
「近い」というのは、「としての象徴」という文言が付加されるため。
この意味で「神の存在を信じている」のような表現は可能だという立場。
つまり、あくまで「事象」であって、「存在」ではない、ということ。
「存在」としての神を信じる向きも多そうですが、この意味での神に対しては無神論者だ、というわけです。』
と述べました。
これに対する質問【事象は 多少なりとも何かモノ・コトが存在するかたちで起きるのではないのですか?】に対して、
#31では、
『この「存在」は、「意志を持った存在」という意味です。
たとえば、雷が鳴ると神が怒っている と捉えるような場合。
「事象」は、宇宙の摂理といった意味。』
とも申し上げたはずです。
これだけでは通じない、ということですね?
それなら、まとめてみますが、
「世界や人間の在り方を支配する超越的・究極的な最高存在としての象徴足り得る宇宙(自然)の摂理」
とでもなるでしょう。

この神は別に元気づけたりはしませんよ。
ただ、「ある(比喩なら いる)」だけです。
しかし、人格神の存在を信じる人もいるでしょうし、念ずればその声が心に感じられて、たしかに元気づけられるという人だっているでしょう。
ですから、《ひとを永遠に元気づけるもの》と言う時点で、すでに、神の定義が異なっていることになるはずで、人格神について言っているのか?となる。
しかし、それを確認する意味で、「どのように元気づけるのか?」と問うたわけです。ご
ブラジュさんは、質問しておきながら、《ひとを永遠に元気づけるもの》と一方的に決め付けているから、こんな応答になるのではありませんか?
それは、質問者の姿勢ではないと思いますね。

《違うはず》と「はず」を付けざるを得ないのは、ご自身が神の定義をしていないからではありませんか?
#31でも申し上げたとおり、
【他人に対して「人びとはなぜ神のことが分からないのか」と問う以上、文中の神は何を指していると考えているのか、ぐらいは明らかにするのが当然でしょう。】
と思うのですが、あろうことか、【少なくともまだあなたは 神の定義をしていません。】と難癖を付ける。この神経がわたしには理解できません。しかも、先述したように、一応、わたしは述べていますよね?
『こんなことをどうして いちいち書かなければならないのか。』
こっちのセリフですよ。

> ★ おっしゃるところの「神」は、ひとを永遠に どのような方法で 元気づけるのですか? について教えてください。
 ☆ ひとはすでに誰もが元気づけられている。その状態にある。そのように生まれて来る。このことに気づくこと。また それを心に受け容れること。そこから 信仰が現実となります。
 どうしたら気づくのか? それは 人間の側の思惟や行動の問題ではありません。いつ・どのようにその瞬間が来るか? 人間には分かりません。

「(神は)どのような方法で 元気づけるのですか?」と聞いているのに、『ひとはすでに誰もが元気づけられている。その状態にある。そのように生まれて来る。このことに気づくこと。また それを心に受け容れること。』ですか・・・。
「このような方法で 元気づける」という構造の文で、なぜ答えられないのですかねえ。ほんと不思議です。
もう一度お願いできませんか?

>☆ 《非思考》と《無思考》とをごっちゃにしています。

思考を放棄している、という点で、少なくともこの論点では(結果的に)大差ありません。

> ☆ 一般に哲学としては 認識や行為の対象が問われます。ただし こと信仰にとっては いちおう言葉で持ち出すからには議論に関する限りで《対象》ですが ほんとうには認識がし得るかし得ないかが分からないのだから 《非対象》ということになる。という説明をしているのみです。《捉えきれない》のは 自明。無理に《要件》へとつなげて行く必要はないでしょう。

『ただし こと信仰にとっては いちおう言葉で持ち出すからには議論に関する限りで《対象》ですが ほんとうには認識がし得るかし得ないかが分からないのだから 《非対象》ということになる。』
神とはそういうものだ、と定義している、ということですか。
適否は別にして、これなら、多少はわかりやすい。
最初から、こう言ってくれれば、もっと早く本題に入れたと思いますね。
#25では、「元気づける」と組み合わせたり、わけわからない《非思考の庭》が成るなんて言葉が出てきて、理解に苦しみましたよ。
要するに、いるかいないかわからないのだから、いるとかいないとか言うのはおかしいんじゃないの?
とおっしゃっりたいんですよね?
ほんとわかりづらい文ですね。
項を変えて本題についても応じさせていただきます。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

 新定義:
 ★ 「世界や人間の在り方を支配する超越的・究極的な最高存在としての象徴足り得る宇宙(自然)の摂理」
 ☆ についてのツッコミは 《世界や人間の在り方を支配する》という見方を許容するとしても なお次の三点です。

 ☆☆(№25お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~
 (あ) 事象は 多少なりとも何かモノ・コトが存在するかたちで起きるのではないのですか?
  ・(№34お礼欄) 《事象と存在》とをあなたは分けている。つまり 互いに互いを独立させている。そんなことがあるのですか? 

 (い) 《象徴》というのは 観念であるとしても認識の対象となる経験事象ですよ。つまりそれなら 《超越的》ではありませんよ。

 ☆☆(№34お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~
 (う) あと 《宇宙の摂理》とは何か? と問う。つまり 概念で説明されうる経験事象であるなら それは神ではないはずだ。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 答えてもらっていません。

 ★ 「(神は)どのような方法で 元気づけるのですか?」
 ☆ 《人がそれぞれおのれがすでに自然本性として元気づけられていることを心で受け容れるようにそのヒラメキをあたえるといった方法で》。

 非思考は
 ★ 思考を放棄してい
 ☆ ません。非思考の庭は 思考(その有無)や感性とは次元がちがうという仮説です。

   ○ 自然本性(身と心) + α(霊我=アートマン)
     信じる(霊我):非思考の庭:ヒラメキ(直観および直感) 
     ----------------------
     考える(精神):思考の緑野:コギト
     感じる(身体):感性の原野:コモン・センス(共通感覚)


 ★ 要するに、いるかいないかわからないのだから、いるとかいないとか言うのはおかしいんじゃないの?
 ☆ ではなく いるかいないか分からないのだから《神とわれとの関係》としては 人が自由に《いる神》か《いない神》かをえらぶことができる。です。
 信仰は――非思考の庭にあって しかもそこから思考や感性の分野に自己表出するときには―― 有神論か無神論かという具体的なかたちを採る。
 それは 《非知》は 経験事象としての《有る・無し》を超えているからです。

お礼日時:2015/08/18 04:50

余談ですけど、アメリカでは神様を訴えた裁判があるそうです。



「神様があらせられるのに、何故に戦はなくならないのでしょうか?何とか仰って下さい!!」的に。

ちなみに神様は出廷なさらなかったので、未だに開廷できないんだとか(((^^;)
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この回答へのお礼

そうですね。まづは ご回答をありがとうございます。

 そうですね。
 くそまじめに受け取るなら
 ★ 「神様があらせられるのに
 ☆ が どうしても主観の問題になる。かと思います。

 ★ 神様は出廷なさらなかった
 ☆ のお話の前にでしょうね。

 うまくシャレで返せなかったなぁ。

お礼日時:2015/08/17 21:52

No20です


お礼欄に質問があったので回答します

>《神 = 非科学的なもの》という理解と《神 = 超経験の領域》という説明とは いっしょなんでしょうか?

bragelloneさんの考えに則れば一緒になってしまいます
と言うのも世の中にはXとYがあるとおっしゃってますね
即ちXであるならばYでない、YでないならばXであると論理的に導けます
Yは主に科学的な知見を意味してますから非科学的な事柄はYでない、つまりXであることになります
なので神を非科学的と考えるのであればbragelloneさんの言葉で言えば神はXであるということになり
一般人の認識とbragelloneさんの考えはその点において接点を持つのです

>だとしたら 趣旨説明欄に取り上げた三つの疑問 これは どうなりますか?

いずれの疑問も神は非科学的な事柄であるということの婉曲な表現に見えます
ただ疑問3にあえて補足しておくならばこの疑問は神は経験事象であるということを言いたいのではなく
神という超自然的なものは存在しないということを神を信じる人に暗に言いたいのであると思います
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

 《3》からまいります。
 ★ ただ疑問3にあえて補足しておくならばこの疑問は神は経験事象であるということを言いたいのではなく / 神という超自然的なものは存在しないということを神を信じる人に暗に言いたいのであると思います
 ☆ ん? いえ つまり 《神は 精神である》と言えば 
 ★ 神は経験事象であるということを言いたいのではなく
 ☆ とも 《神は経験事象であるということを》言っていますよね。そして 神は そうではあり得ません。そうであったとしたら すべての世界のものごとは――その事象の認識においてなら それは精神のハタラキですから――神であるとなります。

 すでにそのように破綻しているのですから
 ★ 神という超自然的なものは存在しないということを〔* 誰に対してであっても〕暗に言いたい
 ☆ こととは 話がちがいます。

 ☆☆ 1. 神などはいるもんかと言う。 / 2. 人間がこしらえたものに過ぎないと言う。
 ★ いずれの疑問も神は非科学的な事柄であるということの婉曲な表現に見えます
 ☆ いいえ。 《いない》という認識は 経験事象です。科学的な事柄です。

 《人間がこしらえたもの》も 経験事象であり 科学的な事柄です。

お礼日時:2015/08/17 21:27

神の定義は、時代、国、宗教によってまちまちです。


人間の精神や科学も発展途上なのに、絶対的であるとされる神を知ることができるはずがありません。
絶対であるといわれるが、人種・時代によって解釈の異なる抽象的な代物です。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

 ★ 絶対的であるとされる神
 ☆ この《絶対的であるとされる》ことについては みとめておられますか?

 ならば 誰にとっても 《神は絶対である》ことについては 共通であるようです。
 その点だけでも 
 ★ 時代、国、宗教によってまちまちで
 ☆ はないはずですよ。

 ★ 絶対であるといわれるが、人種・時代によって解釈の異なる抽象的な代物です。
 ☆ いえ。《絶対》は いつも絶対です。

 解釈の異なるというのは おそらくその中に間違いがあるということだと考えます。そのマチガイの事例を 趣旨説明欄に三つわたしは挙げました。

 ★ 人間の精神や科学も発展途上なのに
 ☆ かかわらず 神は――普遍神としては―― つねにひとつであり 不可変性をもつと捉えられます。よ。

 おしまいまで 一方的なおしゃべりに成りましたが。

お礼日時:2015/08/17 20:48

33です。

回答ありがとうございます。
ひとり満ち足りているもの というものではやはり難しいかなと。

満ち足りているという一言だけで理解するには宗教的なものが必要となります。
そして満ち足りている内容を説明するためには、
物質なのか精神なのか、両方なのかそれを超越するのか、
超越するならそれは何か、とにかく理解するには哲学的なものが必要だと思うのです。

私の認識では証明できない、肌で触ることの出来ない問題を理解するのが哲学なので、
神の説明には哲学が必要となります。

もちろん、お答えになった言葉は一例に過ぎないことはわかっております
ただ、どのような答えでも哲学的になってしまうのではないでしょうか。

「証明できないもの、かつ将来にわたって証明されそうにないもの」は
信じようとしないというのが私の考えです。それ故に神を信じないということです。

証明された科学的な数々のものによって現代のテクノロジーは作られているので、神を信じる者がなお減ってしまう
といったところでしょうか。

哲学的な回答でないものにも丁寧にお答えいただいてありがとうございました。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

 ★ ひとり満ち足りているもの というものではやはり難しいかなと。
 ☆ この定義については ひとつに《ひとり〔のみで〕》ともうひとつに《満ち足りていないところがない》とが 大事だと思います。よ。
 《誰にも・ほかの何ものにも依存していないこと》ですね。

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 「証明できないもの、かつ将来にわたって証明されそうにないもの」は
 信じようとしないというのが私の考えです。それ故に神を信じないということです。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ №8お礼欄の《非知》と《非思考の庭》 これらについて参考にしていただきたいのですが。
 また
 ☆☆(№8お礼欄) 《信じないと信じている》[・・・]《神は無いと信じる / 無い神があると信じる》というかたち
 ☆ という捉え方をしています。どうでしょうか。


 ★ 哲学的な回答でないものにも丁寧にお答えいただいてありがとうございました。
 ☆ いえいえ そんなことはありませんでした。わたしは 化けの皮を剥ぐと べらんめえ口調ですのですみません。

 あと 前回おっしゃっていたように ここでの《回答者と質問者とのやり取りにおける行き違い》について それらがどうして生じて来るのかなどをさらに考えてみておこうとは 思っています。

お礼日時:2015/08/17 20:41

神という存在は一人一人にとって違うと思います。



なので質問者様の中の神と他の方々にとっての神が違うから分からないと思うのではないでしょうか?

あとは単純に目に見えないし感じれないということもありますよねきっと。こういうジャンルの話を嫌悪する方もいますし(^_^;)



確かに神はいない!
と断言するのはなんか浅すぎると私も感じます。

ただ私も神を信じているか、
と言われたらなんとも言えないです。


しかし自分の中にある、今は仮に「神」という言葉で普及していますが。救いだったり、戒め、希望の存在に気づいている人もいるんではないでしょうか。


その存在は自分が生み出しているものだと思います。
ここで人々にとって神の存在に違いがうまれる。

質問者様にとっては大変おこがましい考えに聞こえてしまうかもしれないのですが、私は人々の精神そのものが神になるのでは、と思っている節があります。



ただ
まだまだ現代の世中は宇宙と繋がる精神性までに到達していないような気がします。

人間の生活が人工的な物に囲まれ過ぎているせいかなとも感じます。



確かに精神は有限に感じるかも知れませんが、生命がある限り存在し続けるものにも思えます。下手をしたら肉体や形が無くなっても見えないだけで精神は生き続けているかもしれません!


生命(命や宇宙などの分子的な世界も含め)が無くなればまた神も無くなりなりませんか?

なんかオカルトちっくな説明になってしまっていますが( 'ω' ;)

私は何か特定の宗教であったり信仰はしていない一般市民なのですがそう感じます。


なんか逆にどうして神はいるのか、存在していると言えるのかを質問者様の考えを伺ってみたいです(*^_^*)!
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

 ★ 神という存在は一人一人にとって違うと思います。
 ☆ それはですね。《神とわれとの関係》のあり方の違いでしょうね。

 言いかえると 相手の神は 変わらない。変わり様がない。

 あるいは 人によって 神との出会い方 これが違うということだと思うのです。
 でも 信仰であることには変わりない。それは わが心なる《非思考の庭》としての動態というくくりで捉えることが出来る。はずです。


 たとえば
 ★ しかし自分の中にある、今は仮に「神」という言葉で普及していますが。救いだったり、戒め、希望の存在に気づいている人もいるんではないでしょうか。
 ☆ という場合にも 信仰の具体的なあり方として人によって(あるいは 時には同じ人が年齢を重ねるにつれて)違うと言えそうです。

 すくいをどう表わすかでも違うかも知れません。
 たとえば 《世間との和解 さらにはおのれ自身との和解》というふうに説明する場合。
 《単純にすべての苦しみと悩みが癒された》。
 《身の周りの人びととの関係について 過去のいろんないきさつが 特には互いの諍いが すべて手に取るように分かるようになる。あの時その人はわれに これこれこういう思いで相対していたんだなぁと分かるようになる》。――これは ただし世間との和解のその具体的な内容ではあります。

 と考えて来ると
 ★ その存在は自分が生み出しているものだと思います。 / ここで人々にとって神の存在に違いがうまれる。
 ☆ という捉え方には 微妙なニュアンスがこまかく問題になるかも分かりません。神すなわち《和解の心をあたえてくれるチカラ》は けっきょく変化しないはずだ。人のほうが違うのだと思うのです。

 ★ 私は人々の精神そのものが神になるのでは、と思っている節があります。
 ☆ これはけっきょく《ひとにブッダター(仏性)がやどる》ということを言っているのではないでしょうか。そして じつはげんみつには 神がやどるのは 身(感性の原野)にではなく心(思考の緑野)にでもなく どこかナゾの場所としての《非思考の庭》にではないか。その意味では 精神(心)ですらないのだと。アートマン(霊我)という言い方がよいと思います。
 
 ★ 生命
 ☆ なら――精神より――よいと思います。

 神は天与で与件ですよ。

お礼日時:2015/08/17 20:27

#31です。



>★ どのように元気づけるのか、を言わないと
 ☆ それは 考え違いをしています。《永遠に》という条件がすべてを物語ります。
 こんな分かり切った説明をどうして書かなければならないのでしょう。

分かりきった説明なら、もったいぶらないで書いてくださいよ。
おそらく、勘違いなさっておられるのでしょう。
『神とは 《ひとを永遠に元気づけるもの》です。』は、わかりましたが、「神」のタイプによって「元気づけ方」は違うはずですから、それを教えてください、と申し上げました。
これは、一番最初に述べましたように、【ご自身では、「神」をどのように定義されていますか。】という質問に関連して述べたものです。
端的に申し上げると、『神とは 《ひとを永遠に元気づけるもの》です。』だけでは、答えになってないんじゃないの?
ということ。
文脈から、そのように捉えるのが普通だと思いますが、わかりづらい説明だったとしたら申し訳ありません。
部分だけ切り取らずに、前後の文脈も含めて解釈していただければ紛れも少なくなると思います。
というわけですので、改めてよろしくお願いします。
おっしゃるところの「神」は、ひとを永遠に どのような方法で 元気づけるのですか?
について教えてください。

>わたしの主観は 《こだわらない》です。

わかりました。
《元気づけること》はするが 《禍福や賞罰をあたえる》かどうかについてはこだわらない神、ということですね。
個人的には元気づけることにも拘らないような気がしますが、まあ、そういった点はいずれ。

>★ バカにならなきゃ信仰などできないよ、と言っているとしか思われません。
 ☆ とわめくほどにはバカにならなくてもよいです。

非思考の場=バカの場 ということですね。
これならわかります。

>★ 『人間の理性や感性によって捉えきれない』のが神の要件ということでしょう?
 ☆ 《要件》の問題ではなく 《非対象》と言ったのでその内容を説明したまでです。文脈をちゃんと捉えてください。

???????????????????
『《信仰の対象》であり しかも《元気づけるのが 気休めではなく 永遠にである》からには じつは《非対象》です。人間の理性や感性によっては捉えきれません。』と言っているじゃありませんか。
「信仰の対象」であり、
の主語は神なのですから、
「神は、じつは《非対象》であり、人間の理性や感性によっては捉えきれません。」と言っていることになる。
『人間の理性や感性によって捉えきれない』のが神の要件じゃありませんか。
何を言ってるんですか?????
しっかりしてくださいよ。

>☆ 文脈を勝手に動かしてどうするの?
 くるっているとしか考えられません。

勝手に動かして?
では、
「神は、じつは《非対象》であり、人間の理性や感性によっては捉えきれません。」と言っているわけではない、ということですか?
はっきりさせてください。
そんなに難しいこと聞いてますかね?
『人間の理性や感性によって捉えきれない○○』の○○には何が当てはまるとお考えですか?
これだけですよ?
因みに○○は2文字という意味ではありませんので念のため。
私なら、宇宙(または自然)の摂理、ぐらいの語を入れるかもしれませんが、ブラジュさんの場合は何ですか、教えてください。
と申し上げているだけです。
簡単ですよね?

> ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 この「存在」は、「意志を持った存在」という意味です。
 たとえば、雷が鳴ると神が怒っている と捉えるような場合。
 「事象」は、宇宙の摂理といった意味。
 つまりですね、何が言いたいかというと、単に「なぜ神のことが分からないのか」とぼやかれても、「神」には色々な解釈が可能でしょう。
 ですから、どのような解釈の神についての質問なのか、をはっきりさせていただきたい、ということです。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 《宇宙》は 《存在》ではないの?
 お相手不可能です。

これも、そんなに難しいこと言ってますか?
『どのような解釈の神についての質問なのか、をはっきりさせていただきたい』
これだけなんですけどねえ・・・。
『《宇宙》は 《存在》ではないの?』というご質問ですね。
同じことを繰り返して言うようで恐縮ですが、
【この「存在」は、「意志を持った存在」という意味です。】
まあ、宇宙も意志を持った存在だと捉えるのも面白いですが、それは比喩としての文学的表現でしょう。
そこは区別しないと話が見えなくなると思いますが。

くるってる でも 落ちぶれた でも構いませんが、論点には答えるようにしていただけませんかね。
たしか、対話尊重がポリシーだったんじゃありませんか?
答えられないならそう言ってください。
捨て台詞だけなんて、いまどきの小学生でもやらないんじゃないかな?
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

 ★ 「神」のタイプによって「元気づけ方」は違うはずですから、それを教えてください、
 ☆ どうして そう(つまり 《違うはず》)と思うのですか? 
 少なくともまだあなたは 神の定義をしていません。わたしのツッコミにまだ答えていません。

 それに 《元気づける》のが《永遠に》というのなら すべての個別の元気づけ方を総論としてふくみます。
 そのときからすでに《うつろいゆかない状態・ゆるぎない状態》になるのだから 具体的にその方式が違っていても まづはこの定義が総括しています。――こんなことをどうして いちいち書かなければならないのか。

 ★ おっしゃるところの「神」は、ひとを永遠に どのような方法で 元気づけるのですか? について教えてください。
 ☆ ひとはすでに誰もが元気づけられている。その状態にある。そのように生まれて来る。このことに気づくこと。また それを心に受け容れること。そこから 信仰が現実となります。

 どうしたら気づくのか? それは 人間の側の思惟や行動の問題ではありません。いつ・どのようにその瞬間が来るか? 人間には分かりません。

 ★ 非思考の場=バカの場 ということですね。
 ☆ 《非思考》と《無思考》とをごっちゃにしています。

 ☆☆ 非対象
 ☆ 一般に哲学としては 認識や行為の対象が問われます。ただし こと信仰にとっては いちおう言葉で持ち出すからには議論に関する限りで《対象》ですが ほんとうには認識がし得るかし得ないかが分からないのだから 《非対象》ということになる。という説明をしているのみです。《捉えきれない》のは 自明。無理に《要件》へとつなげて行く必要はないでしょう。

 ★ 事象と存在
 ☆ とをあなたは分けている。つまり 互いに互いを独立させている。そんなことがあるのですか? という問いです。

 あと
 ★ 宇宙の摂理
 ☆ とは何か? と問うておきましょうか。つまり そのキモは 概念で説明されうる経験事象であるなら それは神ではないはずだという含みを持っているところにあります。

お礼日時:2015/08/17 17:59

「唯一絶対」というものがわからないから、という答えではだめでしょうか?



哲学は勉強したことがないのですが、
「神は絶対である、ゆえに感じられなくてもそれは神の存在証明に影響を与えない」

この一文だけで、じゃあ、いるかいないかっていうのは本人の考え方次第ってことね。
と私などは考えてしまいます。

哲学カテの質問であり、かつ回答の内容もそうなっていますが、私自身も含め多くの人間は哲学的に物事を考えないのではないでしょうか?

神の理解のために仮に哲学的な何かがいるのであれば、その時点で神の存在を考える余地を失います。
私の知る限り、経済も医療も宇宙物理学も一般的な中学生が知っている言葉だけで多くの事象を説明できます。

「唯一絶対が存在する」ことを直感的に信じられない人がいたとして、
その説明に哲学が混ざってしまった瞬間に信じられなくなることが確定してしまう、というものが
いままでの質問者様と回答者様の文面を読んで感じたことです。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

 ★ 「唯一絶対」というものがわからないから、という答えではだめでしょうか?
 ☆ そうなのでしょうけど では――ほかの参加者や閲覧者のみなさんからも―― 《唯一絶対》とは何だ? という催促を受けると思うのです。

 ★ 哲学カテの質問であり、かつ回答の内容もそうなっていますが、私自身も含め多くの人間は哲学的に物事を考えないのではないでしょうか?
 ☆ むかしの日本では 通用したかも知れないのですが。これからは ヤハヱーだのアッラーフだのという言葉を聞く機会が多くなっている現在では 哲学する必要がどうしてもあると考えるのですが。

 ★ 神の理解のために仮に哲学的な何かがいるのであれば、その時点で神の存在を考える余地を失います。
 ☆ どうでしょう。これは ちょっと違うと思います。わたしは 答えを要請されて《ひとを永遠に元気づけるチカラ》だと定義づけました。
 
 ★ 私の知る限り、経済も医療も宇宙物理学も一般的な中学生が知っている言葉だけで多くの事象を説明できます。
 ☆ 《ひとり満ち足りているもの》では どうですか?
 
 
 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~
 「唯一絶対が存在する」ことを直感的に信じられない人がいたとして、
 その説明に哲学が混ざってしまった瞬間に信じられなくなることが確定してしまう、というものが
 いままでの質問者様と回答者様の文面を読んで感じたことです。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ これは 何だかむつかしいですね。むつかしい問題なようですね。

 さしづめですが 一般に日本人は慣れていないから という理由だけの問題ではないでしょうか?

 字数制限で横着して端折っていますが ひとつの突破口ではあるように思いました。
 《信じている》と《その中身を言葉で説明する》のとは 言わば次元が違うので むつかしいようですが 思ったより糸は結ぼれていないように思いました。見落としがあったら おしえてください。

お礼日時:2015/08/17 17:36

人間は、概ね「神」の存在を感じて育ってゆくと思います。



1. しかし、不幸を感じている人は、裏切られた気がして、「神も仏もあるものか」
となるのでしょう。拗ねている状態。

2. 科学を勉強していると、「神」を説明できない「科学」を最高のものとしてしまう
のだと思います。なぜなら、それが、楽だから。
従って、「神」はしょせん人間の作ったもの、となるのだと思います。
怠惰の状態。

3. 考えることの大好きな人たちが、考え抜いた結果、人間の不可思議な心と「神」を
結びつけざるを得なかったのではなかろうか、と思います。
人間が最高だという慢心の状態。

人間は、素直でなかったり、怠惰であったり、慢心であったりするので、「神」(真理)
というものが分からないのだと思います。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

 ★ 人間は、概ね「神」の存在を感じて育ってゆくと思います。
 ☆ これは あり得ると思います。

 ただし だから神の定義が出来るかと言うと 何とも定まりません。言いかえると 育って行ったあと どのように《神とわれとの関係》を切り結ぶのか?
 そのときの自分にとっての《神》についての説明を――哲学カテのこたえとしては――用意できるとよいのだと思います。

  《 1. 2. 3.》についてのご説明は なぜそうなるかを解説していると思いますが――ですから 質問の《なぜ》についてまさに答えてもらっているかと思うのですが―― ひるがえって問題は 神とは何かにあるとは言わないまでも どうすれば 神の間違った捉え方からまぬかれるかにあるとは言えると思います。

 《拗ねている》のでなければ 神をただしく受け留められるのか?
 《怠惰》でなければ よいか?
 《科学に秀でた頭脳の慢心》でなければ もうそれでよいか?

 つまりやはりまだ ねらいを最後までは追究してもらっていない。ようには思います。申し訳ないですが。

 つまり:
 ★ 人間は、素直でなかったり、怠惰であったり、慢心であったりするので、「神」(真理)というものが分からないのだと思います。
 ☆ というところまでたどり着いてくれた。

 ですから ひどいことを心を鬼にして言うならば ぢゃあ もう慢心を卒業したら 神が分かるか? と言えばおそらく 初めに提示された《神の存在を感じて育った状態》を素直に反映した地点を確保出来た。というところだと思われます。

 問い求めは つづくと考えるのですが どうでしょう。

 質問者のこたえは これまでに触れる機会がありましたので いまの段階では こういう高飛車な発言もゆるされるのではないか。と思うのですが。

お礼日時:2015/08/17 17:23

#25です。



>神とは 《ひとを永遠に元気づけるもの》です。

ひとを永遠に元気づけるもの、は神だけだ、という意味でしょうか。
また、どのように元気づけるのか、を言わないと全く意味を為さないのではありませんか。つまり、話が始まらない。
こんなことをいちいち書かなくてはならないというのも情けない話です。

>《元気づけること》はしますが 《禍福や賞罰をあたえる》かどうかは 主観の問題だと考えます。

えっとですね、ですから、あなたの主観ではどうなんですか?
と伺っているつもりなんですけど、意味が通じませんか?

>だから 考えるではなく 信じるという言葉を用います。わが心に《非思考の庭》が成ることです。

バカにならなきゃ信仰などできないよ、と言っているとしか思われません。
それならよくわかりますが、そうでないなら、《非思考の庭》が成る、という現象に、どういう意味があるのか、教えてください。
成るからどうだ、とおっしゃっりたいわけですか?

誤魔化さないでよく聞いてもらいたいのですが、
> 《信仰の対象》であり しかも《元気づけるのが 気休めではなく 永遠にである》からには じつは《非対象》です。人間の理性や感性によっては捉えきれません。

なのですね。
であれば、『人間の理性や感性によって捉えきれない』のが神の要件ということでしょう?
そういうものだ、と神を規定していることになりませんか?
「捉えきれません」と言うと同時に、《非対象》で人間の理性や感性によっては捉えきれない、それが神だ。
と捉えているわけです。
そうですよね?違いますか?
ですから、こうした言葉遊びというか詭弁はもう十分なんですよ。
『人間の理性や感性によって捉えきれない○○』の○○には何が当てはまるとお考えですか?
と尋ねているのですから、端的に答えてもらえませんかね。
他人に対して「人びとはなぜ神のことが分からないのか」と問う以上、文中の神は何を指していると考えているのか、ぐらいは明らかにするのが当然でしょう。

> 
★ つまり、あくまで「事象」であって、「存在」ではない、ということ。
☆ 事象は 多少なりとも何かモノ・コトが存在するかたちで起きるのではないのですか?

この「存在」は、「意志を持った存在」という意味です。
たとえば、雷が鳴ると神が怒っている と捉えるような場合。
「事象」は、宇宙の摂理といった意味。
つまりですね、何が言いたいかというと、単に「なぜ神のことが分からないのか」とぼやかれても、「神」には色々な解釈が可能でしょう。
ですから、どのような解釈の神についての質問なのか、をはっきりさせていただきたい、ということです。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

 ★ どのように元気づけるのか、を言わないと
 ☆ それは 考え違いをしています。《永遠に》という条件がすべてを物語ります。
 こんな分かり切った説明をどうして書かなければならないのでしょう。

 子どもの話なら まだ情けないと言って通りますが いったいどういう問題があってこんなことになっているのでしょう。

 ★ ですから、あなたの主観ではどうなんですか?
 ☆ ここは そちらが持ち出した辞書に沿って こちらの考えを明らかにした事例です。
 わたしの主観は 《こだわらない》です。

 ★ バカにならなきゃ信仰などできないよ、と言っているとしか思われません。
 ☆ とわめくほどにはバカにならなくてもよいです。

 ★ 『人間の理性や感性によって捉えきれない』のが神の要件ということでしょう?
 ☆ 《要件》の問題ではなく 《非対象》と言ったのでその内容を説明したまでです。文脈をちゃんと捉えてください。

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~
 「捉えきれません」と言うと同時に、《非対象》で人間の理性や感性によっては捉えきれない、それが神だ。
 と捉えているわけです。
 そうですよね?違いますか?
 ですから、こうした言葉遊びというか詭弁はもう十分なんですよ。
 『人間の理性や感性によって捉えきれない○○』の○○には何が当てはまるとお考えですか?
 と尋ねているのですから、端的に答えてもらえませんかね。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 
 ☆ 文脈を勝手に動かしてどうするの?
 くるっているとしか考えられません。

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 この「存在」は、「意志を持った存在」という意味です。
 たとえば、雷が鳴ると神が怒っている と捉えるような場合。
 「事象」は、宇宙の摂理といった意味。
 つまりですね、何が言いたいかというと、単に「なぜ神のことが分からないのか」とぼやかれても、「神」には色々な解釈が可能でしょう。
 ですから、どのような解釈の神についての質問なのか、をはっきりさせていただきたい、ということです。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 《宇宙》は 《存在》ではないの?
 お相手不可能です。

 ここまで落ちぶれたとは。

お礼日時:2015/08/17 14:24

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