【大喜利】【投稿~9/18】 おとぎ話『桃太郎』の知られざるエピソード

1. 神などはいるもんかと言う。
 ――けれども いると言ってもいないと言っても何と言っても そのことによって神が決まるなどということはあり得ない。《絶対》なのだから。

 2. 人間がこしらえたものに過ぎないと言う。
 ――けれども こしらえることが出来たなら 神は人間のあやつり人形になる。《絶対》ということを知らないから そんなお遊びをしている。

 3. 神は 精神だと言う。
 ――けれども 精神は 人間のもの。自然本性としてそなわったもの。《絶対》がどうして この有限で相対的でうつろいゆかざるを得ない経験事象であるのか。




 人びとはどうして神のことが分からないのか?

質問者からの補足コメント

  • №44お礼欄からの続き。
     (し)★ この部分なのですが、#43でも冒頭触れましたように、私の感覚とは少し違いますね。
     ☆ 違うと感じるから 人びとは対話する。批判する。この前提を出さなければ語れないのは おかしい。

     (す)★ 「神はいる」と言っても「神はいない」と言っても、どちらも正しいとは言えない、ということ。
     ☆ 誰も《正しい》とは言っていない。有る神にしろ無い神にしろ どちらでも自由にえらんで非思考の庭がわが心に成ることを自由に享受しうる。そういう自然本性として人は生まれて来ている。というに過ぎません。

     (せ) それをあなたが嫌だと言ってもよっしゃその与件を崩壊させてやると言っても 自由ですが 絶対をどうにかすることは出来っこなし。

     (そ) 《象徴》は よほど但し書きをしない限り 経験事象であるゆえ 《超越的》という概念とは相い容れない。再問。

    省エネ投法にて。

    No.44の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/08/18 17:52
  • いくら説明しても・納得したようであっても みとめない。延々と同じ問題をいじくるか あるいは 別筋の問題へと逸れて行く。それについて説明しても 同じパタンがつづく。


     ★ 宇宙の摂理
     ☆ とは何か? この問い一点にしぼっても こちらとしては よいです。

     いかにあなたは哲学に向いていないかを みづから確認することができるように説明して差し上げましょう。

     この一点をなぜ持ち出したかと言えば かんたんです。それは そちらから出して来た定義の中の鍵語のようだからです。
     こちらが出した命題はすべていくら説明しても のらりくらりと躱すことしかしないからです。

    No.45の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/08/18 21:13

A 回答 (49件中21~30件)

No.22です。


お礼に書かれたbragelloneさんのコメントを読み、とても安心しました。
そういうことだと、私も思っております。
どの宗教も、当初は人々の心のオアシスだったはずです。
それが時を重ねる毎に権力志向の人々によって、祭り上げられ権威づけられきましたね。
そういう権威づけられた宗教には興味がありません。
神社も、山で食材を採りに行く、木を切りにいく、海に魚を獲りに行く、そして食材を与えてくれた自然の仕組みに感謝し、事故がないようにと祈る、そういう素朴な願いをするために作られました。
ハイテク機器に埋もれた現代においても、山や海の食材は自然の恵みです。
自然に対する畏敬の念をもち、感謝するために神社があると考えております。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

それはよかったです。

 長くなるので 一たん応答は控えましょうか。

 むろん 回答にかんしては その限りではありません。

 いろんな見方からも ご見解をお寄せください。

 ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2015/08/17 13:32

No 24です


日本には神である天皇陛下がいるじゃないですか。
それで十分でしょう?

キリスト教·イスラム教·ユダヤ教などの神は過酷な自然環境で生活をする民族が空想(幻想)して自然発生したものですよね。

神の定義にしても、民族や環境で様々だと思いますがそれで十分じゃないですか?。
それはそれで皆それぞれ好きに信仰すれば良いのではないでしょうか?。

真理なんてこの世の何処にも無いのだから。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

▲ (新年ニ當リ誓ヲ新ニシテ國運ヲ開カント欲ス國民ハ朕ト心ヲ一ニシテ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ) ~~~~
 https://ja.wikisource.org/wiki/%E6%96%B0%E5%B9%B …

 朕ト爾等國民トノ間ノ紐帶ハ、終始相互ノ信賴ト敬愛トニ依リテ結バレ、單ナル神話ト傳說トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。
 天皇ヲ以テ現(アキツ)御(ミ)神(カミ)トシ、且日本國民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延(ヒイ)テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル觀念ニ基クモノニモ非ズ。

  昭和二十一年一月一日
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 現代語訳もついています。

 ▲ 惟フニ長キニ亘レル戰爭ノ敗北ニ終リタル結果、我國民ハ動モスレバ焦躁ニ流レ、失意ノ淵ニ沈淪セントスルノ傾キアリ。詭激ノ風漸ク長ジテ道義ノ念頗ル衰へ、爲ニ思想混亂ノ兆アルハ洵ニ深憂ニ堪ヘズ。
 ☆ すなわち
 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 それはそれで皆それぞれ好きに信仰すれば良いのではないでしょうか?。

 真理なんてこの世の何処にも無いのだから。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ というのは 《ややもすれば焦燥に流れ[・・・]思想混乱の兆しある》のではないですか?
 どうでしょう。ヤケにならないで。


 ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2015/08/17 13:09

今、今日を必死に汗かき、労働している我らに、このようなこと考える暇も余裕もまたお金もありませんから。

考えられる方がうらやましいですよ!
    • good
    • 2
この回答へのお礼

そうですか。

 でも そのような・いまは暑さの中でのお仕事の合間を捉えて このように投稿してくれるということは 哲学することに意義を見出しておられるのだと思います。

 いろんな見解が寄せられています。

 見守って行ってみてください。

 何かご意見が出て来ましたら 書き込んでください。

 わたしの持てるチカラをぜんぶつかってお応えしてまいります。


 ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2015/08/17 11:39

それで、貴方の言う


神とは、なんなんですか?
    • good
    • 4
この回答へのお礼

あなたに きよらかな畏れの何たるかを いつか しめしてくれるチカラです。


 ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2015/08/17 11:19

ご質問の意図がわかりづらいようにも思うので教えていただきたいのですが、ご自身では、「神」をどのように定義されていますか。


わかりやすい言葉で『端的に』答えてもらうと助かります。
わたしは、
【 ① -(イ) 哲学で,世界や人間の在り方を支配する超越的・究極的な最高存在。】
という辞書語釈に近い考えです。
http://www.excite.co.jp/dictionary/japanese/?sea …
「近い」というのは、「としての象徴」という文言が付加されるため。
この意味で「神の存在を信じている」のような表現は可能だという立場。
つまり、あくまで「事象」であって、「存在」ではない、ということ。
「存在」としての神を信じる向きも多そうですが、この意味での神に対しては無神論者だ、というわけです。
とっかかりとして立場をお示ししました。
ブラジュさんの考え方をまず教えてください。
端的にわかりやすい言葉で。
難しければ誤魔化そうとしていると判断します。
    • good
    • 3
この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

 神とは 《ひとを永遠に元気づけるもの》です。

 ▲ 人間を超えた存在で,人間に対し禍福や賞罰を与え,信仰・崇拝の対象となるもの。
 ☆ 《元気づけること》はしますが 《禍福や賞罰をあたえる》かどうかは 主観の問題だと考えます。
 《崇拝》は 自由ですが なじみません。
 《信仰の対象》であり しかも《元気づけるのが 気休めではなく 永遠にである》からには じつは《非対象》です。人間の理性や感性によっては捉えきれません。(捉え得たと主観が発言することは そこまでのこととして自由にありえます)。だから 考えるではなく 信じるという言葉を用います。わが心に《非思考の庭》が成ることです。

 ▲ (1)(ア) 宗教・習俗において,信仰・崇拝・儀礼・神話・教義などの中心となる位格・存在。日本の神道や民俗の祭りでまつられる対象,またはユダヤ教・キリスト教・イスラム教などの超越的絶対者。仏教では,仏や菩薩の権現・守護者などとされ,仏とは区別される。
 ☆ 回答№15お礼欄の《信仰の類型》をごらんください。

 ▲(イ) 哲学で,世界や人間の在り方を支配する超越的・究極的な最高存在。
 ☆ 《人間のあり方を支配する》というのは その哲学だけの言い分でしょうね。質問者の立ち場は そういう見方が出来るかどうかが決まっていないというものです。

 ▲(2)(ア) 日本の神話で,神武天皇より前に登場する人格神。
 ☆ この人格神というのは 人間などの神格化によるものでしょう。

 ▲(イ) 天皇。 「大君は-にしませば/万葉集 235」
 ☆ 《世間では 神だと言う。だから 雷山の上に仮庵を編んでいるのか。ふむ そうかもね》とうたっていると見ます。つまり アマテラシテ(象徴)が 神だというのは 前項と同じ人為です。

 ★ つまり、あくまで「事象」であって、「存在」ではない、ということ。
 ☆ 事象は 多少なりとも何かモノ・コトが存在するかたちで起きるのではないのですか?

 (1)(イ)の《超越的》という意味をはっきりさせる必要があります。
 ★ 「近い」というのは、「としての象徴」という文言が付加されるため。
 ☆ 《象徴》というのは 観念であるとしても認識の対象となる経験事象ですよ。つまりそれなら 《超越的》ではありませんよ。

お礼日時:2015/08/17 11:18

実在するしあなたを含めて国民全員知ってるはずですよ。


この国には代々脈々と神によって治められているのだから。

あなた自身も忘れているんじゃないですか?
    • good
    • 3
この回答へのお礼

おっしゃるところは №22などの回答者・ごうじぐさんとのやり取りで 触れて来ております。

 そして 生活の基盤に成っているいわゆる神道の問題とそして 権力の側からかぶせるような国家の神道とは 別だというお話をもして来ています。

 忘れていません。

 ただし それを すでに生活の実態が現実にあるのだから もうじゅうぶんと言っていてよいわけでもない。と考えます。

 では その神とはどういう内容なのか? そして 普遍神とどういう関係になるか? 同じかどうか。

 こういったことは 世界の中では じゅうぶん問題になります。それでなくても 哲学はすすんで経験合理性によって理解することができるようにと理論づけたりして内容を説明することに努めます。

 この問いは いま そういう言葉によって表現し得ないかという問い求めになっています。哲学カテなのですから。どうでしょう。



 ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2015/08/17 10:01

1. 神などはいるもんかと言う。


 ――けれども いると言ってもいないと言っても何と言っても そのことによって神が決まるなどということはあり得ない。
《絶対》なのだから。
   ↑
絶対、というのはどうい意味なのでしょう。
全知全能の存在という意味でしょうか。

なら、神は自分が持ち上げられないバーベルを
創れるはずです。
創れなければ絶対ではありません。
創れれば、神はそのバーベルを持ち上げることが
出来ませんから、やはり絶対ではないことになります。

つまり、神というのは人間の頭の中にだけ存在する
ということです。
だから、かかる矛盾が出てくるのです。
要するに、言葉に踊らされているだけなのです。


2. 人間がこしらえたものに過ぎないと言う。
 ――けれども こしらえることが出来たなら 神は人間のあやつり人形になる。《絶対》ということを知らないから 
そんなお遊びをしている。
    ↑
事実、神は人間の操り人形になっているでは
ないですか。
有るときは戦争の口実にされ、あるときは
金儲けの道具として利用されています。


3. 神は 精神だと言う。
 ――けれども 精神は 人間のもの。自然本性としてそなわったもの。《絶対》がどうして この有限で相対的でうつろいゆかざるを得ない経験事象であるのか。
    ↑
有限だから、相対的存在だから、絶対概念に
憧れるのです。
人間は死にます。
だから子孫を残そうとします。
家を遺そう、国家を遺そうとあがくのです。
有限で不安定だから、絶対神を求めたりする
のです。
    • good
    • 3
この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

 ★ 絶対、というのはどうい意味なのでしょう。
 ☆ 絶対とは ひとり満ち足りているものです。
 相対的な関係性を超えています。
 具体的には 経験思考で捉える《ものごとの 有る無しを超えており 因果関係からまったく自由な場ないしチカラ》だと見ます。

 以下 しっかりとお応えしたいのですが なにぶん字数制限があります。省エネ投法になります。その点あしからず。

 ★ バーベル
 ☆ これはですね。《絶対》が 擬人化して《絶対者》と見なされさらにその属性として《全知全能》が付与されたところから出て来る話(批判)ですね。

 ひと言で批判への批判を述べれば 《絶対》は そこに矛盾をふくむかも知れないが 矛盾をつくるということではない。はずだ。となりましょうか どうでしょう?
 ★ つまり、〔* 矛盾をみづからつくる〕神というのは人間の頭の中にだけ存在する ということです。

 ☆ その意味では 人間のあたまの中で
 ★ 事実、神は人間の操り人形になっているではないですか。

 ★ 絶対概念に憧れる 〔また〕 絶対神を求めたりする
 ☆ ところの人間の精神 これは 神ではありません。つまり 《精神が 神だ》という証明にはなっていないと思います。どうでしょう。

お礼日時:2015/08/17 09:53

No.19です。


そうですね。
「縄文時代とそして弥生時代をも――さらには古墳時代の初期をも 古神道とよぶ場合もあるようですね。
 ・・・その前の――四世紀の――崇神ミマキイリヒコイニヱのミコトの時代は まだなお自然の息づいた神道だと思います」
→そういうものだと思います。
ご存知だと思いますが、神道を権力志向に利用する類の人達はどんどん昔に遡って神道があったという説を作り出すものです。
国家神道はその最たるものでしょうね。
神社イコール神道という理解も、神社はもともと神道だと勘違いしていることもあります。
また、神道と神社がイコールと考えている人達にとっては、神道・神社は宗教という理解になりますね。
私はそもそも神社を宗教とは考えていませんので。
    • good
    • 3
この回答へのお礼

★ 私はそもそも神社を宗教とは考えていませんので。
 ☆ なるほど。三輪山や二上山をながめるだけで あたかも神との交流を持ち得たかに感じていたでしょうね その昔のひとたちは。

 神社すらが無かった。鳥居も拝殿もあとからつくった。
 拝殿と言っても 建物の中に神の像などはいっさい無いのですからね。
 うしろの山が神である。いや そのシルシである。依り代である。
 神本体は 果たしてどこにあるのだろうと言っているのが 正解なのでしょうね。

 ですから ムラのまつりは 平屋建ての社会における鎮守の森などを中心としたもの。
 すべては 生活そのもの。穫り入れの感謝が 中軸なのでしょう。

 そこへマツリゴトという別様の共同自治のかたちがつくられた。
 すなわち 社会が あたかも神棚を設けてのように お二階がつくられ 二階建ての構造となった。

 こうなると もはや神々の世界も 人間の作為的な権力の世界と化す。そこへ組み入れられてしまう。組み入れられてしまった。


 見て来たような講釈で すみません。

 ムラのふるい神ながらの道は 普遍的な信仰のかたちをしているとわたしは 思っています。
 実地におこなっておられるわけですが 末永くまもって行ってくださいませ。



 ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2015/08/17 09:37

もし神が実際に存在して人間がそれに気がついていないとしたら


それは神が人間に自由にもがかせてくれているからだと思います。
    • good
    • 4
この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

 細かくなりますが
 ★ 神が実際に存在して
 ☆ の《実際に存在する》とは どういうことか? が知りたいところです。

 人間と同じようにこの経験世界に存在するということなのか?

 もしくは そうではなく 《非経験の場》として《知り得るか知り得ないかが知り得ないナゾ つまり 非知なるナゾ》だとすれば その非知は 経験言葉では《存在する》と《存在しない》とのどちらかで表わすものと思います。

 言いかえると 《神は有る》と《神は無い(これは 無い神は有ると言いかえ得る)》とのふたつです。二つに一つです。


 《存在に気づかないようにさせて そのためその存在たる神をもとめて 人びとは自由にもがくことをおこなう》という解釈でしょうか。

 これは すでに《神は有る》派の信仰の具体的なあり方の例だと思われます。それは 現実にあり得ると思います。

 というとき では その神とは何ぞいな? という問いが立てられるのではないでしょうか?
 哲学として定義せよといった課題ですね。
 
 このように感じました。

お礼日時:2015/08/16 23:18

【Q:フルボッコのご批判をどうぞ。

――神とは何か?】を読みました
bragelonneさんの認識に則れば

神=超経験の領域

ということですね
そして今回の質問である「人びとはどうして神のことが分からないのか?」で問うてることは
神が超経験の領域の事柄であることがなぜわからないのかということだと理解しました

だとすればbragelonneさんの認識に則た上で人々は神=超経験の領域であると分かっていると思いますよ
というのも世の中には考えて分かることと考えてもわからないことがあると言ってますね
そして考えて分かることとは科学的に分かり得ると考えられる事柄と科学的に分かった事柄だと

多くの日本人は宗教ないし神は非科学的なものであると考えていると思います
つまりbragelonneさんの言葉で言えば神を考えて分かる事柄ではないと考えていることになり
それはすなわち 神=超経験の領域 であることを意味します

なので一般人は神のことを分かっていると思います
    • good
    • 3
この回答へのお礼

そうですか。
 ★ 多くの日本人は宗教ないし神は非科学的なものであると考えていると思います
 ☆ だとしたら 趣旨説明欄に取り上げた三つの疑問 これは どうなりますか?

 三つとも しばしば聞かれる話です。

 聞かれるかぎりで 人びとは分かっていないと思わざるを得ないのですが?

 《神 = 非科学的なもの》という理解と《神 = 超経験の領域》という説明とは いっしょなんでしょうか?
 いっしょであれば 三つの疑問の話は起きないはずなんですが?


 ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2015/08/16 23:02

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す