アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

ソクラテス側にも、豚の快楽なんてろくでもないよね、と対抗している時点で、少し嫉妬交じりの感情が混ざっているわけですし
豚からしたら、ソクラテスが何を言おうと「それでも別に良いや俺幸せだし」と開き直られたら、ソクラテス側は負けてしまう気がするんです
「はいはい頑張って他人にも良いような行いしてね、俺はそれをどんどん消費するからね」と言われたら、なんかとてっても悔しいですし、それでも続ける気になれないのではないかとおもうのです、よっぽどの人で無いと

屁理屈に負けてしまいそうなんです・・・

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8641327.html
(回答番号15への質問者のコメント)

*** *** *** *** ***

教えて!gooで数数の名言を読んできましたが、これはベスト5に入る内容だと私は判断します。ちなみに私は回答番号17,23で参加してゐます。また私なら回答番号21をベストアンサーにします。

「不満足なソクラテス」による生産的議論、「満足した豚」の消費的理論、どちらを支持するか見解が大きくわかれるのはなぜですか。

質問者からの補足コメント

  • つらい・・・

    匿名の通報は困る、と書いたばかりなのですが、さつそく削除通知が届きました。ほんとうに困つたものです。特に今回は率直なご意見をうかがひたいと願つてをります。さきほど回答番号15として投稿してくださつた方には、お詫び申し上げます。

    No.9の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/10/09 22:49
  • うれしい

    豚の屁理屈が成立する要点は「豚には責任がない」といふことです。怠惰であつても、言ひたい放題、やりたい放題であつても、自分自身何も困ることがないのです。必然的に満足します。ところがソクラテスには責任や使命感があります。だれかが成し遂げなければならないときに、豚とソクラテスが存在した場合、豚は動きませんから、豚の分までソクラテスが働きます。

    生産的議論は消費的理論にはかなひません。ただのきれいごとに見えます。私がQ&Aサイトにおいてアホであることを正直に認めるのは、この「満足した豚理論」の応用です。賢い人にはさまざまな要求がなされますが、アホは何もできなくて当然です。何の負担もありません。何を言はれやうとも気楽です。

    No.24の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/10/10 18:41
  • どう思う?

    回答番号50のコメントは、共産主義の欠陥でもあります。といふより、共産主義ではさらに大規模な問題となります。富は、働いて働かなくても分配される、極端な表現ではさういふことです。資本主義だからこそ、今の状態で済んでゐる、といふだけのことです。共産主義とはまさに「人間とはどうあるべきか」に立脚したきれいごとに見えてしまひます。

    No.50の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/10/14 17:39
  • うれしい

    質問文の中に公約いたしましたとほり、このたびは回答番号21をベストアンサーといたします。

      補足日時:2015/10/14 23:06

A 回答 (58件中11~20件)

★ (№48お礼欄) 〔満足した豚さんのその状態は〕よくないことだと意見する人がゐますが


 ☆ この見方がマチガイです。良し悪しの問題には 力点はありません。

 人間どうしとして場を同じくしているといった共生感から始まって 特にはその職場の取り決めにしたがって処理すればよいだけのことです。

 《よくないことだと意見する不満足なソクラテス》は いるかも知れませんが 問題にはなりません。そもそも 満足した豚と対立する概念ではないからです。満足した豚は ほかの人間の話を途絶しているかぎりで すでに話が完結しているのです。そのソクラテスさんは 考えも浅く単に処理の仕方が間違ったというだけのことです。

 ★ さまざまな状況をひとまとめにして悪いことだと決めつけてゐる現状にこそ問題があると思ひます。
 ☆ 要するに あなたこそが 人間を豚だと決めつけてひとを裁いているというだけのことです。そうではなく 情況に応じて対処し相手に応じて処理するだけの話なのです。そこが分かっていない。


 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
   >豚を甘やかせてはダメである。

 だれもがわかつてゐますし、実行してゐることです。問題は効き目がないことです。糠に釘。豚には豚で応じるしかないと思つてゐます。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 自分の考えにだけ閉じ籠ってそう思っているだけです。
 
 国鉄の労組の事例では 《効き目》があったぢゃないですか。それは いかに豚だと言っても 人間として――取り決めに従って行動し いわゆるコモンセンスでものごとを判断し互いに理解を行ない合うという方向を思いその志向性もある人間として――相い対することが 肝要です。
 
 そうしても《糠に釘》なら そのときもやはり就業規定などに照らして処理すればよろしい。

 ここでのマチガイは あくまで《情況や相手の人間について 良し悪しの観点に力点を置いて処理しようとする――つまり 人間を裁こうとする――その思い上がりに問題がある》ということです。

 ★ 私にかぎらず職場ではよくある状況です。
 ☆ よくはありません。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

このたびは大いに議論をすることがひとつの目的です。議論をしたいとおつしやつてゐた方は気づいてゐないのかもしれません。残念です。この事例は反対派が多くなるはずなので、最適の質問だと思つたのですけれど。いづれにしても、ぶらげろさんが三枚おろしで泳いでゐたのでは存在価値がなくなります。

>〔満足した豚さんのその状態は〕よくないことだと意見する人がゐます

これは引用の誤りです。職場の実態も知らないで、サービス残業させる(実際にはさせてゐるわけではありません)のは悪いことだと、このサイトで投稿するのを見かけるといふ内容です。

>その職場の取り決めにしたがって処理すればよいだけのことです。

そのとほりです。それが挙げていただいた国鉄の例です。別段変つたことをしてゐるわけではなく、ごくごく普通に人事の仕事をこなしたといふだけのものです。もし労働組合の言ひなりになつたら、単なる職務怠慢で、多くの人に迷惑をかけます。それこそが豚です。もしこの話に感動できるなら、それこそがミルと同じ世間知らずでせう。

>そうしても《糠に釘》なら そのときもやはり就業規定などに照らして処理すればよろしい。

私は世の中の仕組みそのものが、豚に有利にできてゐるのではないかと考へてゐます。もしさうであるなら、そこから学びたいと思ひます。

腕のわるい医者だと知つてゐて診てもらひますか。医療現場で悲鳴をあげるのは、責任感があつて高度な技術をもつ医師です。金を払つて仕事を依頼するとき、わざわざ仕事のできない人に頼みますか。これが人間社会です。豚は期待されませんし、頼られません。仕事が減ることはあつても増えることはありません。就業規則や労働組合によつて立場は保障されます。その分のツケをだれが払ふのか、といふことです。

Q&Aサイトでも、社会・職場カテゴリでそのやうな相談質問を見かけます。なぜ自分がひとの分まで仕事をしなければならないのだ、といふ疑問です。状況の詳細がわかりませんので回答しないのですが、大なり小なり、しばしば起こる問題です。

お礼日時:2015/10/14 17:27

お礼ありがとうございます。



>単に生産側と消費側ではどちらが有利なのか、といふ質問です。

どちらにも有利ですよ。

消費、つまり利用する側は生産されないと利用できません。
生産は消費されるから生産されるのです。

生産、つまり提供側は消費されないものには金だ出ません。
研究であれば、自己満足だけのために資金を出してくれる
出資者は居ないと言う事です。


で、本題ですが
対抗したり嫉妬したり悔しがるのは豚さんだと思います。
豚さんでいるとした豚さんと、アリストテレスに成りたがっている
豚さんは、ぶつかり合います。

アリストテレスは、基本相手にしません。
それは、分かりやすい所で言えばノーベル賞を受賞された方々です。
好きなことをやって、穏やかで感謝されています。

世の中は好きなことをやると言えば、好き勝手なことをやっていいと
受け取られがちですが、好き勝手は傲慢で尊大です。

好きなことをやるのは、制限があり壁が付きものです。
そこで切磋琢磨するから、自身が磨かれます。
そうやって行くうち、謙虚で穏やかで感謝が理解できます。

自分のやりたい方向と人が支持してくれる方向が合致してるからです。
つまり、生産と消費のどちらにもお得な訳です。

豚さんでいることを甘受している豚さんvs豚さんから抜け出そうと
もがいてる豚さんでしたら、相手の中に自分の姿を見てしまうので
引かないでしょ?と考える訳です。

アリストテレスに成りたいと努力している者は
アリストテレスではありません。
自分がアリストテレスで、アリストテレスに成りたいなど
そんなことを考えませんから。

私は私であることを甘受し、私でやれることを行動で積み重ねて行くなら
それが生産に向かう事象の時も消費に向かい事象の時も
常に私でいるから、真の満足を得られる。

どちらが有利などという理論は成り立たない世界に住むことになります。

私見ですけどね。
そういう世界に住む方が、楽しいと思います。


長くなりましたが、もう一つ。

人は最初は誰でも豚さんです。
赤ん坊は、すべて頼り求めるものです。

アリストテレスに成りたいと努力する期間があり
抜け出した時、もし完全に抜け出したとしたら
豚さんを許せます。

豚さんは過去の自分ですから、自身を完全に認め受け入れたら
全然許せてしまうのです。
故に対抗や嫉妬や悔しさは、自身の中の現象ですからポイポイですよ。

それを手にしないか、即座に手放します。
そこまで行くのが大変では有りますけどね。
マズローの提唱する「完全なる人間」かも?

先日、手に入れたものに良いものがありました。

このことをよく覚えておきたまえ。
もし他人が君を憎んだとしても、
君が相手を憎み返さないかぎり、
彼らが君に打ち勝つことはないんだよ。
~アメリカ37代大統領 リチャード・M・ニクソン
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この回答へのお礼

御回答ありがたうございます。

>消費、つまり利用する側は生産されないと利用できません。生産は消費されるから生産されるのです。

事例がよくわからないのですが、おつしやるとほりと存じます。問題は消費する側のために、無償で永続的に生産をつづけることができるのか、といふことです。

>好き勝手は傲慢で尊大です。

これが通用するのが豚の世界です。

>豚さんを許せます。

これがソクラテス派の感覚です。卑しい豚は単にありがたがるだけです。上位に立つソクラテスには許す、許さない、の選択があります。これがgaituさんのいふ「でも豚は豚です!上も下も無いんです!」(回答番号17へのコメント)といふ言葉の意味です。私にはgaituさんの言葉がどれも実感として胸に響きます。

最後のニクソンの言葉は出典がわかりませんでした。すみません。

お礼日時:2015/10/14 16:52

▼ (葛西敬之:私の履歴書 日経 2015・10・12朝刊 32文化面) ~~~~~~~~


 ・静岡で総務部長

  静岡鉄道管理局の総務部長に就任したのは1977年2月。局のナンバー2で 人事や労務の責任者である。これ以降 国鉄の終焉まで 私は 労務問題に深くかかわることになる。
 当時 国鉄には国鉄労働組合(国労) 国鉄動力車労働組合(動労) 鉄道労働組合(鉄労)の3つの主要な組合があった。最大の組織は組合員が25万人を擁する国労で 戦闘的な動労と穏健な鉄労がそれぞれ5万人と6万人といったところだった。

 《葛西君 一つだけお願いがある》。着任早々 本社の運転局にいる旧知の課長補佐から電話があった。一度内命された新人一人の配属先を替えるよう 動労が求めているという。
 初めて労務を担当する私にとって 最初の試練であった。人事は経営権の根幹であり 筋の通らない話には応じられない。《それは無理だ》と拒んだ。

 本社としては 運転職場の7割を組織する動労ともめたくないのだ。《動労が怒ってストライキをやったらどうする。あなたは自分のメンツのために何十万人のお客さんに迷惑をかけてもいいのか》と重ねて発令替えを求める。
 私は《いま人事を曲げれば これから10年 20年にわたって組合の人事介入を許すことになる。その結果 もっと多くのお客さんに迷惑をかける》と突っぱねた。《そうか。どんなことがあっても知らないぞ》と 電話は切れた。

 1時間もしないうちに 今度は東京の動労本部の副委員長から電話が入った。同じ用件である。私が改めて断ると 穏やかだった口調が一変した。《おまえとは話してもダメらしいな。後は戦場でまみえよう》。
 しばらくして翌日の列車に乗務する予定の動労の組合員30人ほどが 《頭が痛い》《腹が痛い》と 次々に医者の診断書を持って休みを申請してきた。このままでは列車の運行に影響が出る。しかし 丸く収めようとして譲れば 際限のない連鎖反応が起こる。筋論では押すしかない。

 動労の職員が出勤できないなら 非番の国労職員に乗務させればいいのだが これが難題だった。国労も《動労が仕掛けたストライキのスト破りをした》とは言われたくないからだ。
 非番の国労職員に乗務させるよう部下に指示すると 案の定 みな驚いた顔で尻込みする。だが下がるわけにはいかない。乗務指示を出す直前 国労の運転系統の実力者と電話で話をした。《不当な要求を退け かつ安定した運行を損なわないためには非番の国労職員に乗務してもらうしかない》と話した。

 彼は《わかった。しかし2時間待ってくれ》と言う。1時間後に電話があり 《いつでも指示していただいて結構》とのことだった。結局 国労の職員たちが代わりにの乗務することが決まった。
 すると今度は 動労の職員から《頭痛が治った》《腹痛も治った》と連絡が相次ぐ。《あしたは出勤できる》と口々に言うので 《要員は確保した。安心して養生するように》と休ませた。

 私は自らの職を賭するつもりでこの問題い対処したが 国労の指導者のその立場を賭けての判断をしたはずである。立場は違っても自らの信念に忠実であるという一点で 不思議な信頼関係が芽生えた。立場を超えた付き合いは 彼が亡くなるまで続いた。


 ・ 激戦地の仙台 (2015・10・14)

 人事や管理権への介入は許さない。静岡鉄道管理局の総務部長として 私は一切の妥協をせず 労働組合と向き合った。ただそのころの静岡が 国鉄の中で特に荒れた職場だったわけではない。
 《激戦地》は仙台だった。全国的には国鉄労働組合(国労)が組合員全体の7割程度を占める中 仙台鉄道管理局では鉄道労働組合(鉄労)と国労の勢力が拮抗していた。このため仙台の国労は 組織を全国並みに拡大しようとやっきになっていたのだ。一方の鉄労は協調的な労使関係を目指す穏健な組合である。

 そこで国労は鉄労に圧力をかけるとともに 列車の運行を人質にとって 現場で業務の妨害を繰り返す。何とか事態を収めたい駅の助役らは 国労側の理不尽な要求をのんでしまう。そうやって国労は管理者を自分たちの言いなりにし 鉄労つぶしに加担させようとしていた。
 加えて3年後には東北新幹線が開業する。要員合理化など 労組と協議すべきことは山のようにあった。

 1979年3月。私はその仙台局総務部長の発令を受けた。《タカ派の部長が来たら 目にものを見せてやる》。赴任が決まると 仙台の国労委員長が息巻いているという話が伝わってきた。《武運を祈る》と本社の先輩に送られ 降り立った仙台駅にはみぞれが舞っていた。
 仙台の現場はどうなっていたか――。たとえば 21人の要員がいた会津若松線区内の支区では 1年間に行われた業務は21本の枕木の交換だけだった。ほかに何をしていたかというと 一日中点呼を繰り返していたのだ。

 朝の点呼で 助役がある地点の線路の保守を指示する。すると組合員が《指示は具体的に行なう》という取り決めを盾に取って 《そこの地形はどうなっているのか》《待避するときはどこへ逃げるのか》《逃げる際にはどちらの足から逃げるのか》などと問い詰める。助役が口ごもると 《おまえは労働組合が列車にひかれてもいいと思っているのか》と糾弾が始まる。

 支区では風呂を焚くために 専従の職員1名が配置されていた。以前はアルバイトを雇っていたのだが あるとき作業が終わって風呂に入ろうとしたら 熱くて入れない。《外部の人間は労働者への共感が足りない》ので それ以来職員を充てることになったのだという。
 現場だけによるこうした悪慣行は 現場長や助役を大勢で取り囲んで威嚇し 強引に認めさせたものだ。法的な効果などない。そこで私はその一つ一つを数え上げ 《あしたからないものとする》と通告した。組合側は《労使が話し合って決めたものを一方的に破棄するつもりか》と激しく反発した。

 今まで通り強い態度で押せば 会社側は折れる。組合はそう思っていたのかも知れない。だが私は妥協するつもりなどない。《破棄ではない。はじめから無効なんだ》と蹴飛ばした。
 それから あちこちで起きる反乱を鎮圧して回る日々が始まった。《正当に働くように》と指示すると 組合員が《そのような命令には従わない》と無断欠勤したり 仕事をさぼったりする。これに対して私は 《働いていない分は支払わない》と 片っ端から賃金をカットしていった。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ 豚を甘やかせてはダメである。
 質問は成り立たないのだと はっきり言ってやるのが 人間の自然でふつうの心である。
 労働環境や労使関係の問題であれば 質問をあらためればよいはずだ。

 満足した豚に対して 人間的にその状態以下の不満足なソクラテスという人間類型を持ち出して来て どうだ 面白い話だろうとうそぶき悦に入っている。これは 愉快犯なる犯罪である。
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この回答へのお礼

挙げていただいた国鉄の事例は、当然の対応です。労働組合にもいろいろありますが、その多くは一部の不満者を優遇するだけで、全体の労働条件を悪化させるものだと私は感じてゐます。人間自分の都合のいいやうにどんなものでも利用します。

>豚を甘やかせてはダメである。

だれもがわかつてゐますし、実行してゐることです。問題は効き目がないことです。糠に釘。豚には豚で応じるしかないと思つてゐます。

私の場合は新規事業の立ち上げで、世界までは視野に入れてゐませんでしたが、日本一はめざしてゐました。軌道に乗つて拡大してゆくと人員もふやし、いろいろなタイプがまじります。なかには豚タイプもゐます。仕事をふりわけても、官庁や取引先から、豚さんではダメなのでと泣きつかれます。向こうも必死です。日本一の目標があればなほさら自分でやらざるを得ない状態になつてしまひます。満足状態の豚さんを怒鳴りつけやうが、襟首つかんで威嚇しやうが、何の効果もありません。

私にかぎらず職場ではよくある状況です。サービス残業とかブラック企業とか現場の実態も知らずに、よくないことだと意見する人がゐますが、当事者は迷惑してゐるのではないでせうか。たいていは金銭など度外視して自分のために仕事をしてゐるだけです。長時間働いてより多く稼ぎたい人もゐます。それが知らず知らず深みにはまつてゆく場合があります。さまざまな状況をひとまとめにして悪いことだと決めつけてゐる現状にこそ問題があると思ひます。

今ではさういふことも人間の営みとしておもしろいと感じます。私はボランティアが嫌ひです。ボランティアの名目でたいていのことが許され、きれいごとが通用してしまひます。そしてどれほど多くの犠牲のもとにボランティア活動が成立してゐるかに感謝することもなく、みづからの実績を誇らしげに語ります。一生豚とは縁のない人です。

お礼日時:2015/10/14 15:37

価値観。



生産的議論と消費的理論、と言う表現の“議論と理論”の使い分けがよく分かりませんが、当初からの思いを述べればやはり価値観の違いが不満足なソクラテス派と満足した豚派に別けさせるのだと思います。

Plapoti さんは純粋なソクラテスでは無かったということです。
不満足なソクラテスの立場に「損」を感じてますね。
そして満足した豚には「得」を。

肉欲、我欲との距離を取れば“羨望”は薄まるはず。

御自身の「与え心」にもっと価値を認めても良いと思います。
価値観の転換はして欲しく有りません。
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この回答へのお礼

>“議論と理論”の使い分けがよく分かりません

特に意味はありません。cyototuさんがときどきお使ひになる言葉「生産的な議論」と私の「満足した豚理論」を竝べただけです。

>価値観の違いが不満足なソクラテス派と満足した豚派に別けさせるのだと思います。

おつしやるとほりと存じます。あへて付けくはへれば、豚には価値観がなく、なりゆきまかせです。ですから

>満足した豚には「得」を。

といふよりも、それがあたりまへであるとみなします。ささやかで平凡な日常に感謝する姿勢です。冷静に見つめれば、むしろ豚の生き方こそが平和で心やすらかなものに思へます。

>御自身の「与え心」にもっと価値を認めても良いと思います。

これも御指摘のとほりです。回答番号42のk_jinenさんが良い例を出してくださつてゐますが、赤ちゃんへの親の態度は無限に近いものがあります。また宗教上の殉教者なども同じでせう。御回答ありがたうございました。

お礼日時:2015/10/14 14:35

★ (№36お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 民間企業に勤めてゐると、ほとんど仕事でいつぱいになります。豚の意味がわかるやうな仕事をしてゐる人は、Q&Aサイトに投稿する時間などありません。このサイトの利用者の多くは、企業内の職場の実態がわからない人が多いのではないかと思ひます。

  >《満足した豚は 無敵なり》という命題ですでに完結している

 豚は最強だ。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ この《満足した豚》について それはどういう人間類型であるかを定義し 問題点をさぐりさらには処方箋を打ち出すように そのまま素直に質問し問い求めればよいのでは?

 注意するところとしては:
 (あ) 純粋な(?)《満足した豚》は おそらくいない。ただし それを想定して問題をさぐることはあり得る。

 (い) 言いかえると いわゆる《満足した豚と不満足なソクラテスとの対立》なる問題は 問題の立て方が 適切ではないと考えられる。《満足した豚》論は 《不満足なソクラテス》に限らず 人びと一般にとっての問題であると見られる。つまり 社会にとっての問題である。

 (う) モンスター・ペアレントが その事例であるかもと ふと思った。満足ではなく――独り善がりとしては唯我独尊的に自己満足しているけれど―― 消費者の立ち場から教育サービスについてほとんど勝手な要求を押し出して来るゆえ。

 (え) このモンスター・ペアレントの場合にも 誰もがそれに成る可能性があるという見方が出されている。だから やはり(あ)の想定は 議論のために成り立つかどうか 微妙である。

 (お) その意味では 広くゆるやかに捉えた《豚とソクラテス》といったふたつの側面は 同じひとりの人間にそのまま現われ得る特徴だと――すでにこの点では共通の了解がおおよそ得られているように――考えたほうがよいのかも知れない。

 (か) 《職場において〈消費者的理論〉を振り回す従業員》というのは 解雇されうると見れば どうなのか。自分の考え方のみで労働条件の改善を要求するか または自分の仕事ぶりについて改善を要求するなと言い続けるかなのでしょうか。・・・みなさんの議論にゆだねます。
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この回答へのお礼

御回答ならびに気にかけていただきありがたうございます。

>この《満足した豚》について それはどういう人間類型であるかを定義し 問題点をさぐりさらには処方箋を打ち出すように

回答番号42のコメントの最初にも書きましたが、私としては職場の人間関係が念頭にありますが、回答者のかたがたはそれぞれの事例で意見を出してくださればよろしいかと存じます。このサイトのサービス残業だとかブラック企業だとかについての投稿を読むと、現場の実態がわからない単なる「きれいごと」に見えます。

敗戦処理の問題はぶらげろさんが考へやすいかと思つて出してみただけです。回答番号38の方のやうに自由に書いてくだされば充分です。物理学なんぞに才能を浪費するのはもつたいないと感じます。あちらのブログにも書きましたが、ビッグバン宇宙論など、電波の観測の仕事が、きつい、きたない、きけんの3Kであるといふことが論拠だなどといふやうなふざけた学問です。

>モンスター・ペアレントが その事例であるかも

さういふ例もありますね。いづれにしても、人間の現実として考へてゆくものだと思ひます。あまりにも、「悪」だとして排斥しすぎる傾向があるやうに感じられます。事例の程度にもよりますけれど。

>《職場において〈消費者的理論〉を振り回す従業員》というのは 解雇されうると見れば どうなのか。

これがあまがつぱさんのおつしやる「巨大な力」です。この点も回答番号42のコメントに記しました。企業といふのは、対外的な問題を起せば処分をしますが、内的な事情については解雇はむしろ評判をおとしますので(経営危機のリストラ以外は)通常はありません。また労働組合のあるところでは強い反対があります。

お礼日時:2015/10/14 14:13

ニュートラリングさんへ、少し応答を。



実験動物については、いつも可哀想だなと思ってきた。非人道的だなと。そこまでして人間は長生きしたいのか、と。
無論、その恩恵をたっぷり享受している私には、それを止めろなどとは言えない。
しかし、無い方が良いのではと、ちょっとマジに思ってます。

人はよく言う。食べ物に感謝しなさいと。しかし私はこれまでの人生で、食べ物に感謝した事は無い。悪い事をしたなと思う事はあっても、その奪われた命を有難いとは思った事が無かった。しかし、何故、自然界はこの様な、食物という掟を敷いているのか、その仕組み自体が人間にそぐわないのではないか、そう思ってきた。(もし、食事に対して感謝するならば、何一つとして、美味い食事は存在しなくなるだろう。)

豚は感謝しない。ブヒブヒと餌を貰うだけ。食事に感謝するのは人間です。ニュートラリングさんも、豚氏を名乗る人間でしょう。
大抵、豚氏を名乗るのは人間です。一方、人間であることを誇示し、自身が存在しているのが当たり前の様に思っているのが豚だったりします。
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この回答へのお礼

回答者どうしのやりとりは、私の質問ページにおいては自由になさつてください。そのほうが内容が深まりますし、世界が広がります。

自然界でも余分な餌は摂らないことが多いやうに思へます。保存の問題もあるのでせうけれど。化学物質の毒性の調査について質問したことがあるのですが、動物実験はしない方向ではあるやうです。

お礼日時:2015/10/14 13:33

こんばんは、ぷらぽてぃさん。


名前を呼ばれたやうなので
ちょっとだけお邪魔します。



ああ本当にすぐに退席しますから
座布団とかお茶とか出さなくて
いいってば( i love beer)。



リンク先の回答番号21のやうな豚
を見て愉快さうに嗤い転げてくださる人間
がたくさん居ると豚としては喜びます。



___________



☆あ_ほなさんのご回答について。
わたしは学生のとき農学部でした。
実験で使ったラットやマウスやウサギは
血液を数滴抜いただけで生ごみのやうに
捨てられるのが普通なのですが、

センセイは実験に使った
その子たちを捌いて焼いて
わたしたちにも食べさせてくれました。
捨てられるよりは食べてあげた方が
この子たちが【生・き・て・い・た・意・味】
があるだろうというのがその先生の言い分で、
大変うつくしい行為だと思ふのですが、

しかしこれは人間が満足したい
がための行動とも言えます。



それにしても人間は
マウスやラットや鶏やウサギのおかげで
どれだけ豊かで健康になっただろう。
どうして  感・謝 しないのだろう。




___________



もう少し話してよろしいですか。
ある物語です。


neutraling というヤツは、
いつもオレが死んだら川に流してくれ
葬式などというシャラクサイことは
絶対にしてくれるな 墓も要らない!
と友達・家族に懇願していました。

絶対にオレが先に死ぬ に決まってらあ
と思っていましたが、ある日、
teenの親友が交通事故で亡くなりました。


neutraling というヤツは、
その親友のために?(←この?大事)
多額の持ち金を使い盛大な葬式をして
墓にはいつも季節の花たちと
親友が好きだった酒とタバコを
毎日 届けるのでした。


この、己の満足を求めるneutraling 
というヤツの矛盾っぷりを
どう思ひますか?



このやうな我儘で気まぐれな人間
は豚より価値があるのですか?
人間は豚より立派ですか?
人間は何様ですか?


でも さういう人間たちを
わたしは愉快だと思います。


____________



☆雨合羽さんのご回答について


平和だとか恩恵だとか
さういうのは【サーヴィス】
だと思ひ込んでいる豚として
少し反省しました。

税金だけ払っておけば
明日も明後日も10年後も来世紀も
この【サーヴィス】を受けられる
に決まっていると洗脳されている豚
としましては、ソクラテスさん
に感謝するのを忘れていること及び
ソクラテスさんとの話し合い
をときどきサボってしまふことについて



豚もどきとして何度でも謝ります。









___________





人間だって豚だって
満足なときと不満足なときと
両方あります 当たり前です。


ただ人間にできることと
豚にできること が違う
だけなのではないでせうか。




今日は牛さんが不在なので
豚さんの挽肉でボロネーゼもどき
を作りました。

それではパスタにぶっ掛けて








いただきます。

ではでは。
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この回答へのお礼

>こんばんは、ぷらぽてぃさん。

こんにちは。本来は「ぷらぽた」なのですが、犬の名前を考へてください、といふ質問に私が真面目な回答をしたすぐあとに、かならずだれかが「ポチ」といふ投稿をするので、私も「ぽらぽち」にしました。

実験動物のお話は興味深く拝見しました。実際になさる方の心理は微妙なのでせう。

>いつもオレが死んだら川に流してくれ葬式などというシャラクサイことは絶対にしてくれるな 墓も要らない!

私もさうですが、同じ考への人は多いと思ひます。でも実行されることは少ないのではないでせうか。不思議です。「愉快だと思います。」

>雨合羽さんのご回答について

もつともな御意見です。取り仕切る人は必要です。ところが人間といふのはおもしろいもので、取り仕切る人もめちやくちやをすることがあります。だからこそyunikoさんのやうに叫びつづけるのでせう。叫ぶ必要がなくなつたらyunikoさんも生きる気力を失ひさうです。

>豚さんの挽肉でボロネーゼもどきを作りました。

また拝見いたします。御回答ありがたうございました。

お礼日時:2015/10/14 13:23

子ブたん、再回答するけど許してブゥ



最初に念のために言っておくけど、子ブたんは哲学なんてかじったことないから、おなかの中に哲学のかけらも入ってないブゥ

>回答番号27のコメントに書きましたが、私が豚ではないと信じこませようとする陰謀が見てとれます。

子ブたんは、そんなこと信じ込ませようとしていないブゥ

子ブたんが、不思議に思うのは、

なぜ、「不満足なソクラテス」と、「満足した豚」と、を比較するのかということブゥ
これを考えると、ソクラテスが満足できない原因は、、豚の存在であると思うブゥ
すなわち、ソクラテスは、豚の存在によって、「満足したソクラテス」になれず、結果、「不満足なソクラテス」になっているブゥ

逆のことを考えれば、
豚は、ソクラテスの存在によって、「満足した豚」になれず、結果、「不満足な豚」になるはずであるブゥ

でも、ここでは、「不満足なソクラテス」と、「満足した豚」(存在しないはずの「満足した豚」)と、を比較している・・・・
へんだと、思うブゥ

まぁ、「満足したソクラテス」と、「満足した豚」と、を比較するのは、存在しないもの同士を比較することになるので、
比較するなら、「不満足なソクラテス」と、「不満足な豚」とにするべきではないかと・・・・
ここに悪意があると思うブゥ
豚は、不満足であると感じることがなく、ソクラテスは満足であると感じることがないという、勝手な解釈がベースにあるのでは・・・
このベースが、ソクラテスの価値を高めるために、作り上げられた「満足した豚」だと思うブゥ

子ブたんは、plapotiさんは、「満足した豚」ではなく、「不満足な豚」であると判断しているブゥ

そして、「不満足なソクラテス」と、「不満足な豚」とは、いつまでも満足できない状態で試行(思考)錯誤している、同じものではないのだろうかと思うブゥ

あと、自己中については、ソクラテスも豚も同じだと思うブゥ・・・・
だれもが、自分の考えを中心にしなければ、物事を考えることはできないブゥ

自己中は、豚の特権ではないブゥ
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この回答へのお礼

>おなかの中に哲学のかけらも入ってないブゥ

哲学をしただけではおなかは満足しません。哲学書を購入すれば、著者や出版者などのおなかが満足します。

>ソクラテスが満足できない原因は、、豚の存在であると思うブゥ

私の考へる例では、そのとほりです。

>豚は、ソクラテスの存在によって、「満足した豚」になれず、結果、「不満足な豚」になるはずであるブゥ

消費する豚はソクラテスの存在をありがたがります。どれほど非難を受けようとも、(耐へ忍ぶのではなく)ただ明るく感謝するのみです。糠に釘です。私はこの姿勢を学びました。

>子ブたんは、plapotiさんは、「満足した豚」ではなく、「不満足な豚」であると判断しているブゥ

買収されたのではありませんか。おこづかひ10円ではありませんね。何桁ふえたのですか。

>あと、自己中については、ソクラテスも豚も同じだと思うブゥ・・・・

この御意見には同意です。自己中でないふりをしてゐるだけです。最近椅子に坐つて笑つてゐる方の投稿が見られなくなりました。椅子が後方に傾く角度について質問したのですが、特殊作戦が停止したままです。心配してゐます。

お礼日時:2015/10/14 12:32

#19,30,35です



「質問者様がブタという概念に当てはめたい」と思っておられる対象について、良く分かりました。

質問者様の概念での「幸せ(そうに見える)ブタ」では「ブタと呼ばれようが知ったことか」といった「意図的で知恵のあるもの」と幼子・老人という「(一時的に)消費せざるを得ないもの」をも混在させて扱う(扱いたい)ということですね?

===>>>#35お礼欄
>赤ちゃんや一部の高齢者を含め人権を否定された状況にあると見做されかねません。

「赤ちゃん」で連想されるのはルイス・キャロル『不思議の国のアリス』第6章です。赤ちゃんが豚に変身するのをアリスは目撃しました。やはり豚になるのは幸せなやうです。

アリスは、知り合いの子どものなかでブタになったら似合いそうな子のことを思いうかべて、こう言いました。「あの子たちをブタに変えてあげられる方法がちゃんとわかりさえすれば」
(河合祥一郎訳 角川文庫85,86ページ)

いくつか例を挙げていただきましたが、どの場合でも消費側に有利なのではないでせうか。特に赤ちやんの場合には親は自分の命をも投げ出します。
<<<===

残念ながら「質問者様の定義にて消費という概念のみでブタに投影される側」の心情を顧みることなく、さらに「質問者様にてブタに投影された赤ちゃん」の親の心情までも、「消費側に有利」というフィルター・切り口のみで片付けようとなさっておられる。

よろしければ、稚拙ブログ
死の境界の向こう側。。。文月メイ、「ママ」。。。
http://jinen.exblog.jp/21223476
を参照願います。
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この回答へのお礼

おつきあひくださり、ありがたうございます。私個人(おそらくgaituさんも)としましては、職場における人間関係を念頭においてゐるのですが、さまざまな事例で回答してくださることを歓迎します。

一般論として、生産側ではなく消費側に有利なやうに世の中ができてゐるのではないかと思つてゐます。動物愛護協会の反対を押しきつて箱に閉ぢこめた猫が生きてゐるか死んでゐるかにかかはらず、確率論的に豚は生き残ります。回答番号28のamaguappaさんが指摘してくださつた「巨大な力」によつて生産側の不利を是正しようとするのが、政府であり、法律であり、職場では解雇権や労働組合などに相当するわけですが、人間といふのは自分の都合のいいやうにそれらを利用してさらに大きな矛盾をつくります。それが現実であり、そこから目をそむけることがまたさらに大きな不幸をもたらすのではないかと考へてゐます。私は事実を認め、そこから何を学ぶか、その姿勢が素直な生き方なのでないかと思ひます。少なくともそれが出発点です。はじめから「正義」をかかげ、「人間はかうあるべきなのだ」といふ硬直した態度が戦争などを起してきたのではないでせうか。さらには戦争が悪いことなのかどうかすら、哲学的には論じられてしかるべきだと思ひます。これも人間の現実です。

>心情を顧みることなく

これこそが豚が豚であることの要件です。そして賛意は得られません。支持されないこともまた豚の存立要件です。どこまでも豚の都合のいいやうにできてゐます。

お礼日時:2015/10/14 12:04

plapotiさんの質問に回答させていただいたのは


今回が初めてでした。
私としましては、思考があちこちに飛んでしまい、
いまいち消化不良の感はありましたが、質問文で
引用された、始めの七行は、今の社会の空気を実
に明快に表現されていると思いました。そういう
意味で誠に「名言」であり、これを目にしただけ
でも価値があったなと感謝しています。

また、plapotiさんの人間観察の丹念さには、学ぶ
べきところがあると感じました。

現在の世相というか空気は、「あまり頑張らない」
で「効率よく」おいしい思いをしたい、というも
のが、若い世代、女性を中心にもはや常識になって
いて、それに中高年が負けている、というのが現
実であろうと思います。

私の知りたいことの一つが、現代の日本人がどのよ
うに形成されたかということであり、ゆえにこうし
た議論が多いになされることを期待します。

ちなみに、私は本当に豚になろうとする人を軽蔑し
ます。

どうも、ありがとうございました。
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この回答へのお礼

追加回答をありがたうございます。質問を活かすも殺すも回答者次第です。どんな独創的着眼をもつた質問であつても、私のやうなくだらない回答ばかりではおもしろくありません。私のアホ質問でも、みなさんの名回答のおかげで運営に削除されずにすんでゐます。

>質問文で引用された、始めの七行は、今の社会の空気を実に明快に表現されていると思いました。

gaituさんの意見は社会の現実だと思ひます。現実を認めないことが大きな問題を産むのではないかと感じます。

回答番号15だつた(過去形です、合掌)方がニャンポコリンさんの質問ページにも投稿なさつてゐますが、私はあの方を尊敬してゐます。すべての人に対して、馬鹿だ、といふ意見が述べられてゐます。あらゆる人を平等に扱ひます。敵と味方に分類しませんから、集団による闘争が起こることはありません。みづから戦ひを挑んでも、すでに評判を落としてゐますから援軍の期待はありえず、勝ち目はありませんので、争ふことなど論外です。これほどまでに完璧な平和があるでせうか。性格的にウラオモテがまつたくありません。ウラだけだ。これこそまさに、すべての人を歓迎する美しい日本の心「オモテなし」です。

お礼日時:2015/10/14 10:47

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