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宗教で言う啓示と、芸術に言う啓示とは、何か違いがあるのでしょうか?
宜しくお願いします。

A 回答 (4件)

「人智にて計り知れないところ」から来るものという意味では同じなのかもしれない。


しかしながら、「人智にて計り知れないもの・ところ」が「存在し、かつ、共通認識可能」だと信じる場合に宗教となるだろう。
一方「存在するか存在しないかは問わない、ないし、共通認識しうるかどうかも問わない」、すなわち「どこから来るのか?」を問わず、他者との共有も行う意図がない場合には、「宗教的とは言えない啓示」と言えるのでは?

端的に言い換えるなら(いや、同じことを繰り返しているだけなのだが

「啓示」する実体を信じ共有することが宗教という概念になり、
「啓示」という概念の向こう側(発信してくるであろう側)に実体の有無を想定せず、かつ共有しなくても何ら問題ない場合(たとえば「個々の感性による」という意味の場合)に宗教という概念では扱わないのかもしれない。
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この回答へのお礼

共有するかしないか、が違いのポイントということですね。
詩の女神に愛されるなどと言ったりすることも有りますが、何かしら自分ならざるところにその発想やアイデアの源を見るという点では同じなのかもしれません。
聖書などを読んでみると、宗教的解釈を除いては、歴史書としての価値の他にも、詩集としての価値などあるのではないかと思った次第です。
そこからこの質問にあるようなことを疑問に思いました。

ご回答有り難うございます。

お礼日時:2015/10/29 01:37

宗教の啓示は「発見」へのきっかけ


芸術の啓示は「創造」へのきっかけ
前者は内向きの結果へ
後者は外向きの結果へ

みたいな違いだと思います。
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この回答へのお礼

なるほどー、表現者かそうでないかの違いですね。シンプルで分かりやすいです。

お礼日時:2015/10/30 22:31

1. 《啓示》とは ヒラメキのことです。

霊感(インスピレーション)・直感(イメージ)・直観(理論的な観想)。

 2. ヒラメキについては 中にはそれが得られるまでの人間の側の人間の思考の積み重ねの結果であるという見方もあるようですが おそらくそのような努力の成果であるという一面もあったとしても それがどこから得られるかと言えば 決して人間としての自分のオリジナルなものではない。と考えられるのではないでしょうか。

 3. 言いかえると 一般に考える・感じるのほかに人間がおこなう信じるというコトの結果であると考えられます。つまり お化け(霊)のほうから人間にやって来るものと思われます。

 4. そういう事情を商売道具として――つまりは 信仰の領域におけるめぐみをあたかも解説するかのような評論家気取りで――さまざまに説くのが シュウキョウです。

 5. ヒラメキには したがって 信仰としてのそれとそして芸術としてのそれとがある。と考えられます。

 6. 芸術作品となって現われるヒラメキも 元はと言えば 《思考に非ざる庭 つまり信仰》から得られるものと考えますが もしふたつに分けるとすれば どういう違いがあるか?

 7. 信仰そのものとして得られるヒラメキには――パウロによると―― 《異言》と《預言》とがあると言います。芸術としてのヒラメキは 霊感でありイメージとしての直感がピッタリなのではないか。

 8. 異言(シャリバリ)とは ワケの分からない言葉のことです。しばしば信仰にかかわったものであるときには いわゆる神秘的な意味合いがふくまれる かも知れないと見なされて この異言も 或る種 霊感にむすびつけられます。

 9. 預言とは 異言なる神秘の謎解きであり 一般にも難解・簡単を問わず何らかの表現についての解釈のことを言います。分かりやすく説明するということです。

 10. 芸術としてのヒラメキは 音楽や美術における実際の例のごとく 何らかの音やかたちのイメージがあるなら 言葉による表現をともなっていなくてもよいわけです。

 11. 音楽や絵画といった非言語的な表現に接してひとは そこから言葉をとおしての概念におけるヒラメキを得ることがあります。これは けっきょく実際問題として 信仰としてのヒラメキからも すでに或る種の仕方で理論的な内容をふくんだ直観が得られる場合があるのと同じようなことだと見られます。

 12. すなわち ふたつに分けた・信仰のヒラメキと芸術のヒラメキとからは 最終的には 一般に思想哲学として展開される直観が得られるものと考えられます。

 13. 違いがあると言えば ある。無いと言えば――つまり 音楽や絵からも 神秘的な直観が得られるとすれば―― 無い。ということなんですかね。どうでしょう。
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この回答へのお礼

詳しく述べていただきありがとうございます。
1.2は概ね同意できました。3も一種の霊感ということで、一般的に理解できそうです。4も、そういう一面はあるだろうなという感想を持ちます。
5、いよいよ本題ですね。
6、ふむ。
7,異言と預言、、ほう。
8,わけのわからない言葉ですか。シャーマニズムのそれと似ているのかな?少しウィキを読んでみますと、どうやら神秘主義的な雰囲気のものであるようです。
9、ふむ。預言のほうが一般的ということですね。
10,ふむ。
11、それはあるでしょうね。
12,ヒラメキとして得られたものから、得られる直観があると。
13,うーむ。結局違いはないのではないか。呼び名やシーンが違うだけで。あるとするなら異言の箇所ですよね。解釈を必要とするという点では前衛芸術などと同じですが、前衛芸術は意図があるものです。異言には意図が感じられませんので、その点異なるでしょうか。

お礼日時:2015/10/29 18:53

聖書に関していえば、巻末の黙示録は啓示の書ともいわれますが、この場合は「隠されていたものが明らかにされる」の意味で、聖書の他の書で予言され謎だった内容が啓示の書の中で明らかにされているためです。


そこから考えていて思いついたのですが、神からの啓示なんていう場合、聖書自体はそのことについて、「聖書全体は神の霊感を受けたもので・・・・・・・有益です」(テモテへの手紙第二3:16)といっていて、「霊感を受けた」のところが英語ではinspiredとなっているので、日本語でも芸術に関してインスパイヤーされたなんていうので、やっぱり共通点があるかななんて思いました。違いに関してではなくてごめんなさい。
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この回答へのお礼

なるほど。インスパイアーですか。やっぱり同じ所はありますよね。
黙示録の話など興味深いです。あれは何か夢とか象徴とかがないまぜになって読み解くのは難しいと思ってましたが、黙示録の中でそれ以前の内容が明らかにされているのですね。ほうほう。
ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2015/10/29 18:05

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