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No.6
- 回答日時:
戦国時代までは武士の心得はまず馬、弓または槍または薙刀
でした。
徳川家康は”海道一の弓取る者”と言われました。
江戸時代になって武士も暇になって武術、技術の工夫、向上が
大きく進歩した。さらに異種技術も取り入れ、若干ですが廃藩
した武士が全国を流れていくうちに技術の拡散が行われた
と思います。
後期になると金で免許を買えたこともあったようです。秘密主義
で論理的な技術指導も少なかったことから古武術としては発展
しにくかった。拳銃が入ってくれば、手裏剣はすたるでしょう。
手裏剣を修行する意味を教えることが広まらなければ習う人が
減る一方でしょう。
No.5
- 回答日時:
これはね、藩によって異なります。
旗本などは、貴族化、官僚化してしまい、
武芸などほとんどやらない、という連中も沢山
いたと言われています。
武芸などやっている暇があったら勉強しろ、
そのほうが出世に役に立つ、ということです。
刀など抜いたことも無い、重くて面倒だから
細身で軽いのが流行したとか。
幕末、これが裏目に出て、鳥羽伏見の戦いのため、
鎧兜を装着使用としても、どうやってよいか判らない。
やっと装着したと思ったら重くて動けない。
立ち上がることすらできない。
仕方が無いので下僕に持たせることにしたが
馬にも乗れない。
これでは薩長に勝てるはずがない。
これに対して、会津藩などは武芸十八般は一応
やったそうです。
弓・馬・槍・剣・水泳・抜刀・短刀・十手 ・銑鋧
・含針・薙刀 ・砲・捕手・柔・棒・鎖鎌 ・錑
・隠 などなど。
薩摩などは肝を練る、と称して、罪人の墓を
掘り起こして、死体を引き釣りだし、斬りつけ
る訓練をしたといいます。
武士というのは文字通り、戦いのプロです。
戦いというのは戦争のことです。
鉄砲、刀槍から始まり、小具足術に到るまで
何でも出来るほうが有利です。
だから、何でも出来なければ武士ではないのです。
武士が武士でなくなったとき、武士は滅びる
のです。
No.4
- 回答日時:
剣術の道場などが出来たのは江戸時代からです。
それ以前は大名なら指南役の武将が指導したのでしょう。家来の子どもも一緒に指導すると、将来家臣団も強くなりますし、武家の結束を高まります。一般の武士であれば親が厳しく指導したのでしょう。そうしなければ子どもの出世はないし、子どもが戦で死ぬことになるわけですから当然のことだと思います。
江戸時代になると、武芸はいわゆるスポーツになります。道場の対抗試合なども行われ、御前試合とかで賞金を貰うこともあります。剣術指南役なんかに採用されれば大成功です。
坂本龍馬や高杉晋作は江戸では有名な剣術家だったそうです。維新で出世したそのバックボーンは剣術で鍛えられた精神力ではないかと私は思います。
「八重の桜」の八重さんの家は鉄砲指南役で、鉄砲なんか武士がすることではないとバカにされていたとドラマの中で言われていましたね。最高の武術は剣、で次は槍、その次に弓だったのだろうと思います。
No.3
- 回答日時:
徳川家の最強の武将と言われる本多平八郎は何の武芸も習得していません。
本人も「戦場では一心不乱に戦うだけ」と言っています。
「武芸」という言葉ができたのは太平の江戸時代になってからです。
それも、薩摩・徴収の西洋軍備に圧倒されました。
No.1
- 回答日時:
江戸時代には「武芸十八般」と呼ばれる各種戦闘術が武士のたしなみとされていたそうです。
剣・槍・弓などの他にも、鎖鎌や手裏剣といった忍者っぽい得物や、鉄砲や火砲の扱い方を
学ぶ「砲術」なども含まれていたので、総合格闘家ではなく職業軍人に近い感じですね。
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