幼稚園時代「何組」でしたか?

英語の授業スタートの学年が早まる方向ですね。
意図は分かりますが、正しい日本語、読める字をかける、なども大切ではないかと。

どちらを優先させるか、乱暴ですが、選んでいただけますか?

あと、ツカエナイ英語教育を、いつまでやらせてんだ、って点でも一言お願いできればありがたいです。

A 回答 (9件)

こんばんは。



うーん…難しい選択ですね。。。

何を目標に教育するかによって違いがでると思うのです。

日本で、日本人・日本文化に対する理解と誇りを持つことに重きを置くのであれば、
正しい日本語を。

世界中で通用するワールドワイドな人を育成することに重きを置くなら英語かな…と。


個人的には、どちらも大切な事だと思いますので、
どちらにも重きを置いて、しっかり教育して欲しいというのが本音です^^;が、
どっちか選べというなら、まずはやはり日本語かな…。

理由は、日本語をしっかり話せるのは、基本的に日本人だけだからです。
英語は、様々な国の人が訛りなどはあるにせよ話していますが、
日本語がメインの国は日本だけ。

だったら、その日本人が、正しい日本語をきちんと言えなきゃ、
後世の日本人で話せる人がいなくなってしまいます。。。

それって、日本人として、
ものすごく情けないし恥ずかしいし残念な事だと思います。
1つの文化を失うのですから…。

時々、TVなどで見るのですが、日本の古典的な芸能や文化を
本当に理解し愛して誇りに思っている外国人の方々を見ると
嬉しいと思う反面、日本人が日本の文化に興味を持たないことを
とってももったいないな…と思います。

それこそ、学校で、教育したら良いのに…とすら思いますね。
道徳などと同じように、日本文化って科目で小さいうちから学ぶ事が出来たら…
それを海外の方に伝えて行くという役割を担える日本人はもっと増えるだろうに…。


なお、英語ですが、
今現在の英語教育がどうかはわかりかねますが、
少なくとも15年前の小・中・高校の英語は
まーーーーーつまらなかったですねぇ…。

なんせ“This is a pen.”ですものね…+×+;

英語の先生ですら、滑舌悪くて何言ってるのかわからない…とか、
英語の先生の英語は、外国人には伝わらないとかザラでしたしね…(涙)


私の幼なじみが今年でオーストラリアに住んで10年目になりますが、
未だにネイティブな発音で英語を話す事は難しいと言っています。

長年、日本に住んでいて日本語ペラペラの外国の方でも
やっぱり訛った日本語であるのと同じことだと思いますが、
私は、それでも十分立派だと思いますので、
英会話を重視し、その後、詳しい文法を学ぶという流れで教えて欲しいと思います。
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この回答へのお礼

大変貴重なご意見ありがとうございます。

本当に、日本の文化を愛して学んで来日してくれる外国人にただただ感謝と脱帽です。
日本語か英語か、の2択は乱暴ですみません。

日本人が自国の言葉と文化を大事にして、そこそこ会話のできる英語を身に付けられたらいいなと思います。
私も、文法は後でよいと思います。

お礼日時:2015/12/02 12:37

No.5です。



> 学問は、生きる力の次かな、と思ったりします。
ご質問の趣旨からは少々外れるかもしれませんが、学校教育を考える上で、ここ割と重要なところです。
生活力が優先なら、そもそも学校は必要ありません。物心ついたら職業訓練所に放り込まれるか、適当な職場で丁稚奉公から始めるような制度にした方が合理的でしょう。
でも単に生活するだけなら動物もやってることですし、これでは人類が育ててきた文化や芸術はいずれすたれてしまうか、ひと握りの人間だけの占有物になってしまいます。日々の生活に追われるようになる前に、人類の叡智(生活の役には立たないが)に少しでも触れてもらいたい。そのための空間が学校です。

古代ギリシアの数学者・エウクレイデスに、こんなエピソードがあります。
学生の一人がエウクレイデスに質問しました。「いま教わったことはなんの役に立つのですか?」
エウクレイデスは従者を呼び、こう言ったそうです。
「彼に小遣いをやって追い出してくれ。学んだことが金にならないと気が済まないらしい。」
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この回答へのお礼

再度ありがとうございます。
質問者様はエウクレイデスの言葉に共感されるのですか?
学問は文化で、文化の交流は言葉も大切であろうと思いました。
示唆に富むご回答ありがとうございます。

お礼日時:2015/12/05 13:02

takoyaki1966さんの質問に沿った回答ではないかもしれませんが、日本人の国語力を低下させる最大の要因は英語ではないと思います。


また、英語の得意な人は その分 国語が苦手な傾向にあるわけでもないし、逆に英語の苦手な人が 国語に滅法強いわけでもなく、むしろ 国語力も弱いことが少なくありません。

それと、英語の勉強って 半分は日本語の勉強でもあるんです。というのは 日本語による英語の文法の説明を理解し、英語を訳すにしても 一番適切な訳語を選び、日本語として辻褄の合う文章に単語を組み立てて訳文を作ります。そして、むしろ 学校で習う国語の方が 文学偏重で 作者に共感するとか 国語の先生に気に入られるような模範的な感想を述べるとか 純粋な日本語力以外の要素が要求されます。
その反面、日本語の文法はあまり詳しく教えませんし、敬語の使い方についても 現在の国語教育では不十分です。

まあ、私も どちらかと言えば 「正しい日本語、読める字をかける」の方が重要だと思うんですが、
現在の英語教育だけでなく、国語教育にも問題があると思います。

あと、#5さんが過激なことを仰っておりますが、半分は同調できるものの、ちょっと極端すぎるような気がします。例えば 学校の音楽の授業でピアノもギターも弾けるようにはなりませんが、かと言って
塾などでレッスンを受けて ピアノやギターを弾ける生徒が 学校の音楽の授業を蔑視することは少ないと思います。
それと、#6さんの意見も私の世代的には頷けるんですが 今は英語教育も随分変わっています。
まあ、もっとも まだまだ理想には程遠いですが。
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この回答へのお礼

私にも分かりやすいご回答をありがとうござました。
私も、現在の学校教育を受けている身ではありませんので…。
前倒しにすれば、より身につくだろうか?の疑問はまだ解けません。
ありがとうございました。

お礼日時:2015/12/05 12:56

義務教育での語学教育について、日本語か、英語かという二者択一で考えるのは、もう過去の事のように思いますが、如何でしょう。



つまり、正しい日本語も、英語も同時に勉強した方が良いという事だと思います。
それは、算数や理科、社会等他の科目を同時に学んでも、混乱することなく学んで行けるのですから、日本語か英語かという必要はないのではないですか。
日本語か英語かではなく、日本語も英吾も。。。ではないのでしょうか。

オーストラリアやイギリス等の英語圏でも、小学校から外国語教育を行っています。
世界の共通語と言われる英語を話す人達も、そうするという事は、グローバル化した現代社会では、ネイティブの言葉を話せるだけでは通用しないという事なのかも知れません。

でも、小学校から、日本語教育を受けたからと言って、日本人並みに日本語が話せるようになるかどうかは、又、別の話ではないかと思います。
オーストラリアに住んでいた時に、隣の中学生がそうでした。

又、日本人として日本に生まれ育った人が、幾ら英語が上手になったと言っても、ネーティブ並みにはなれないでしょう。
それでも、出来るだけ幼少のころから勉強を始められれば、それなりの効果はあるのだと思います。
それは、スポーツや芸術(音楽やバレー等)で、幼稚園に行く前から英才教育を受けて世界レベルに到達する人が居るのを見ても、そうでしょう。

又、イギリスへ行けばイギリス人は皆、正統派の英語を話しているかと言えば、そうでもないようです。
ウェールズ地方からイングランド地方へ出て来た時に、イングランドの話し方を練習したというイギリス人もいます。

その話を聞いた時に、「という事は、クインズ・イングリッシュを話しているはイングランドだけなのか?」と聞いたら、笑いながら「クインズ・イングリッシュを話しているのは、エリザベス女王だけでしょう。」と言っていましたが。。。

そういうのを聞くと。。。
標準語とは何なのかと思って仕舞います。

正しい言葉、標準語が話せなくも、異文化の人達と付き合う時に、ある程度のコミュニケーションが取れるようになれれば、外国語教育の目的は達成されたとみても良いのではないでしょうか。
或は、もっと言えば、小学校で英語を学んで、語学教育としては効果が得られなかったとしても、子供達の異文化に対する見方が広がれば、それだけの効果があったとみても良いのではないでしょうか。

>ツカエナイ英語教育。。。と言っても、
50代、60代になって、海外旅行でホテルのフロントや買い物も、自力で行なってみたいと言って、英語教室に通って来る人でも、学生時代に英語の基礎が出来ている人は、2~3年で英会話が出来るようになります。

これを見ても、「ツカエナイ英語教育」というのも、使い方(How-to)を教えないから、使えないという事のではないでしょうか。
日本語が話せれば、誰でも井戸端会議に参加できる分けではないのと同じ事のように思いますが、如何でしょうか。
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この回答へのお礼

冒頭の一文で、こういうナンセンスな質問はするなとたしなめられたと気が付きました。
本質を論じ合う気はなく、そのような知性もありませんので、気軽にご意見をお聞きしたかっただけなのですが、すみません。

お礼日時:2015/12/05 12:45

>無償の公教育の中で学んでいるのに身につかないことに、もどかしさなどなど感じています



ごめんなさいね、これについても
音声になれるということは教育テレビ、英語ニュース
最近では丁寧に日本語字幕付き、英語字幕付き、音声のみ、と英語を聞くための番組もあったり
それなりの所得層でもネット環境はあったりと
生きた英語に耳をなじませたり会話を学ぶ機会はあります。
自治体や県に国際交流センターやそのイベントもあります。ボランティアもあります。
中高生以上で本人が本気になればできると思いますが。
逆に言えば公教育を受けただけの人で英語が必要な人がどれぐらいいるのか、と
公教育が受けただけの人がつくような仕事や旅行で使う英語程度なら
その場の必要ができれば身につくと思います。高度な語学力、文章力は必要がないので。
洋画をヘビロテして会話や英語を学んだという人もいますし
お金をたくさんかけなくてもなんとかはなります。

ただ、教科書で学ぶ英語にしたら、使えない英語、情報に時差がありすぎる、というのは同意します。
「My name is~」なんて言わない
「I go to school by foot」なんて言わない。
筆記体を必死で覚えさせても意味がない…という。まあ最近はこのあたりについてはかなり
改善されたみたいですね。
ただ、決まった学校の時間数で会話に力を入れても
特定の決まった言い回ししか覚えない、楽しいだけで発展や探求がない、というレベルで終わることも多く。
学校でカリキュラムを組む以上割ける時間が限られるのであれば
低レベルなただ会話したという自信をつける時間のためなら

それから、海外で英語学校に通ったときにちょっとショックだったのは
文法用語がまったくわからなかったのが盲点だったと思いましたw
そんな難しい単語でもないし、すぐ覚えることはできますが
「過去形」「過去完了形」を英語でやったことはなかったので。

もう一つに、日本の英語の弊害だったのが「漢文返り点式指導」もあったと思います。

やったことありませんか?thatのうしろから矢印を引っ張って前にやって…
とか。
確かに文章を分析するとそうなるのは確かなのですが
英語を読むときにも日本語の語順で読もうとする。

そうなると、リスニングや会話という流れていく英語では、全体をつかめないのです。

私は 行く 学校、でいいじゃないですか。
それをきれいな文に直すだけ。
英語を読むときに私は(後ろへ飛んで)学校へ (前に戻って)行きます

会話に力を入れないまでも、文章を読んでいくときにこんなことをしていたら
いざ、聞いたり話したりにツカエルわけがありません。

こういう指導受けたことないですか?


私はこれを、漢文返り点式指導の弊害、と呼んでいます。

文書で資料を持ち帰り読みといていた時代には画期的な方法であったのでしょうが
これをベースに外国語を学んでいてはどうしようもないと思います。
英語を英語の語順で読む、だけでも聞く、話す、は飛躍的に良くなると思います。
製紙した紙面で組み立てられないから悪い。

しかし保険のパンフレットでも、年末調整の書き方でも読めない人も多い
国語の評論問題も数行読んだら脳が止まってしまう人も多い。
まずは日本語だと思いますよ
特に公教育のように誰もがある程度獲得したほうがたほうが良い技術、という場合には。

国語もただ漫然と読んで感想や、読めばわかるという授業が多すぎる
構造的に、どう客観的に読むか、という技術として学ぶところが欠けてるかな。
その辺も近年は昔寄りずいぶんと飛躍して良くなってはいますけど…
むしろ高校以上かな。古いのは
国語も、文学、としての国語と、語学としての国語、技術なのか情緒的なものなのか
全部一緒にこくご、ですからね。そこが問題だと思います
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この回答へのお礼

再度ありがとうございます。

私は感覚で物を言っているだけなので、大変勉強になります。
相当専門的な分析をされていると思います。
中教審に入ってほしいです。
本当に。

お礼日時:2015/12/02 16:23

英語の早期教育などしている暇があったら、日本語の教育を充実させるべきです。

国語の授業と言えば、たいてい教科書を読ませて感想を言わせるだけ。ああいうのは「日本語の文章の構造」や、「わかりやすい文章の書き方」をちゃんと教えてからやることです。

「学校で習った英語は使えない」という話もよく聞きますが、一つ大きな誤解があります。学校で教える英語は、あくまで「学問としての英語」であって、ビジネスの道具ではありません。学問としての英語は、読んで書ければそれでいいのであって、会話能力は学校で教わるようなものではないのです。
これは国語とくらべてみれば、すぐにわかります。国語の授業で、「日本語の聞きとり」や「しゃべり方」を教えますか? ほとんど読み方・書き方しか習わないでしょう。あれも「学問としての日本語」だからです。
学校は、学問やその基礎を学ぶ場所であり、職業訓練の場ではありません。英語教育にヒアリングなどをもちこむのは、学校を「ビジネスマンの養成所」と勘違いしたバカのやることです。

ちなみに日本の政治家は、普通に日本語で演説して、通訳してもらえばいいんですよ。アメリカ大統領が日本に来たからって、日本語でスピーチしないでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
日本語に1票、ですね。

学校の教育目標などを決める学習指導要領を、もうしばらく読んでいませんが、
正直な気持ちは、学問としての英語なんて後でええ、しゃべれるようにさせてくれ、と思います。

学問は、生きる力の次かな、と思ったりします。違うかも。

外国人に密着取材する番組で見ると、
ロシア人もフランス人もモンゴル人も、英語でならインタビューOK。
自国語の次は、まずは英語、だと感じます。しゃべれたらいいなあ、素直にと。

政治家は通訳使ったほうがええ、同感です。上手な人もいるかもしれませんが。

お礼日時:2015/12/02 12:55

正しい日本語、じゃないでしょうか。


セミリンガルの問題などもっと報道してもいいと思いますが。
そもそもインターナショナルな場面で、英語を使いこなすことが必要になるには
それなりに思考、論理、知識が出来上がっていないと行けませんし
それなりの勉強ができないといけないとおもいます。

旅行程度の英会話なら、本気で必要ならそれなりの年齢になってからでもできますし

通じる英語ならいいんです。ネイティブと全く同じ発音である必要はない。
ケントギルバートさんの日本語は十分だが日本人と同じ発音ではない。

そもそも英語、だけを学校で早くに学んだところで
その人の相手をする「世界」がフランスかもしれない、中国かもしれない
アメリカ英語を学んでも、イギリスに行くかもしれない…。

使えない英語を使うのは、逆に使う必要がないからでは。
サッカー、バレエ、テニス、必要なら世界に出る人は使えるようになります。

ただその人たちや、ブルーカラーが使う英語は別として
抽象的、政治的な概念が入るような難しい話を理解するとなると
まず母国語での理解ができないと無理。そのレベルを上げるには早くに日本語を完成してやらないといけない。
政治家クラスだと生半可な英語を使って齟齬が出るぐらいなら
専門の通訳を使うほうが良いです。
簡単な会話程度なら本人のやる気、民間の英会話教室でも必要な時になんとかなるものです。

ケンブリッジだったか、どっかの大学でこんな話を聞いたのは
日本人の留学生は、英語の取得が遅いと。
なぜなら彼らは「英語を勉強しに」来るからだと。
逆に、化学なり物理なり、哲学なり、専門のことを学びに来て
英語がその手段に過ぎない、という場合の人のほうがさっさと英語を獲得する、って

たぶん文科省とか政治家が、英語を一生懸命勉強したのにいざ会話となると苦手で
そのコンプレックスが教育政策にぶち込まれているんでしょう。
でも、それは会話の勉強の仕方が悪かっただけで
早くから「全員」に英語を仕込んだら、それはまた弊害が出ると思いますよ。

「世界で通用する」学問、ビジネス、をやるにはそれをできるだけの思考能力が必要になりますから。

ただ言語体系を確立するという10歳より後に義務教育で導入されるのは
良かったと思います。幼児や低年齢から始められたらたまりません。

読める、書ける、という日本語、じゃなくて
もっとはっきりとはわかりにくい、論理的、抽象的、複雑な文章を操る
というレベルになってくると見えにくいですからね、できる、できないも。
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この回答へのお礼

日本語に1票、ですね。

貴重なご意見ありがとうございます。

英語を自力で身に付けて活躍する方は、
塾に行ったり英会話教室や英語教材を購入したり留学したり、お金に余裕がある人ですよね。

私は、無償の公教育の中で学んでいるのに身につかないことに、もどかしさなどなど感じています。

日本語の基礎をしっかり身に付けるお話、政治家などが下手な英語を披露せずに通訳を、など、
大変共感いたします。
コンプレックスが教育政策に、は笑ってしましました。
全員に英語を仕込んだら弊害、はイメージがわきません。ダメですかね。

お礼日時:2015/12/02 12:45

明治の時代の昔から多くの日本人が世界で活躍しております。

英語圏に1年もいれば嫌でも英語は覚えるのです。私の従兄弟など高卒ですが世界中で技術者として仕事しております。日本にいるとネットもテレビも日本だがら英語を覚えないだけです。毎日英語のテレビを見て、ネットを見てると嫌でも覚えるはずです。
 ただし安部さんの英語の演説はいただけませんね。あれで留学経験があるそうですから恥ずかしい話だと思います。
 言葉って授業で覚えるモノではないと思います。大阪に引っ越した子など、授業で大阪弁を習うことはありませんが、半年後には大阪弁を話しているのだと思います。
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この回答へのお礼

>日本にいるとネットもテレビも日本だがら
違うと困ります。

その語学圏に入れば身につくことは多いと思いますが、
学校の授業で身に付けさせてほしいものだ何年もやるのに、という思いです。

安倍さん留学していたのですか、ふうん。
カタカナ英語過ぎて、潔く日本語でスピーチしてくれといつも思います。
貴重なご意見ありがとうございました。

お礼日時:2015/12/02 12:32

何よりも日本語が大切です。

例えば小学校の活動にHPで情報を調べる活動があります。その時に子どもがよく漢字の読み方を聞きに来ましすが、漢字が読めないと言うことはそのサイトはその子の知的レベルよりも遙かに難しい事が書いてあると言うことです。その子にどんなに漢字の読み方をその時に教えても何にもなりません。ですから教師はあらかじめ子どもにも分かりやすいサイトをいくつか探しておいてそれを見るようにさせています。それでも漢字が読めないで質問して来るもいるのが現実です。
 日本は使えない英語なんか教えていません。大学を出たような人なら、外国からのメールが来てもだいたいの内容は分かるはずです。国立大学のレベルになると英文のレポートを読んでその感想を英文で書くぐらいの学習はしているはずです。英会話を勉強したければ、留学生もいますし、ネイティブの教師もいるでしょうからいくらでも勉強することが出来ます。
 そうやって日本人の多くが世界の国で活躍しているのです。
 高校を卒業していると言うことはトルストイや夏目漱石ぐらいは読める程度の国語力があると言うことです。それがなければ何の仕事も出来ません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
日本語教育に1票、ですね。

ツカエナイ英語、と感じているのは、
自分自身 & 友人知人 & 自分の出会った教員 & 見聞きしている政治家、
などからの、
確固たる“ツカエナイ”印象です。ほぼ、国立大学卒業です。

英語をマスターした人は、塾にも行っていたのではないでしょうか。
学校の授業だけでマスターした人はどれくらいいるのか。

しかし、これはもちろん私見であります。

お礼日時:2015/12/01 18:18

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