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人が「いいことをする」「悪いことをする」と言いますが、人の何がいいことや悪いことをするのでしょう。

A 回答 (5件)

他人の何がいいことや悪いことをするのかはその人に聞かないと分りません。


自分の何がいいことや悪いことをしているのかは、自分のことだから分りますよね。
それです。

他の人に聞いても表現のしようがないだろうし、聞いたとしてもピンとこないものです。
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この回答へのお礼

すみません。自分の何がいいことや悪いことをするのかが分からないんです。申し訳ありません。ありがとうございました。

お礼日時:2016/01/04 09:29

基本的にその人の宿命(無意識)がそうさせるのですが・・・


人間の行動の殆どは無意識に行われますから。
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この回答へのお礼

宿命なんですか。かつ無意識。っということは、いいことも悪いことも、自分が意識的にしたということではないので、価値も責任もないということなんですね。はてさて、そうなると「私とは?」となってしまうんでしょうか?ありがとうございました。

お礼日時:2016/01/03 19:22

これは刑法学でも古くから争われてきた


問題です。

かつては、人の自由な意思がするのだ、という
説と、
遺伝や環境で決まるんだ、という説が対立
していました。

現代では、遺伝や環境に制約されながらも
自由な意思で行うのだ、ということになって
います。

女性八人をレイプ殺害した大久保清の父も祖父も
同じたぐいの犯罪を犯していました。

米国ですが、常習犯罪者の95%には染色体異常が
発見された、という研究があります。
近年でも、刑務所収監者の半数以上に脳の欠陥が認め
られた、という研究が出ています。

無知の涙で有名な永山則夫死刑囚は、育った環境が
悪かったから、こうなったのだ。俺に責任はない、と
裁判で抗弁しましたが、
同じ境遇で育ったほかの兄弟はまともだ、として
死刑になりました。

一卵性双生児の研究があります。
これによると、片方が常習的犯罪者になっていると
もう片方も例外なく常習的犯罪者になっているそうです。
ただ、この関係は大人になると薄くなります。

こうした研究が積み重なって、上述したように
遺伝と環境と自由な意思だ、ということになりました。
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この回答へのお礼

怖い話ですね。うちはどうなんだろう?ちょっと心配になりました。でもありがとうございました。

お礼日時:2016/01/03 17:52

それら全てが十界の生命に収まっています。


地獄界から仏界までの十界は、どこか他処(よそ)の世界にあるのではなく、私達の生命の中にある、というのです。
その十界のそれぞれにつき、ごく簡単に述べてみます。

①地獄界(じごくかい)

 地は低下(ていげ)を意味し、獄は拘束(こうそく)されて不自由なこと。
 苦しみの余り、瞋(いか)りすら感ずる苦悶(くもん)の状態。

②餓鬼界(がきかい)

 不足感からくる貪欲(どんよく)にとらわれている状態。

③畜生界(ちくしょうかい)

  理性や道理ではなく、目先のことにとらわれ、本能のおもむくままに行動する状態。

以上の三界を三悪道(さんなくどう・さんあくどう)と総称する。

④修羅界(しゅらかい)

 ひねくれ曲がって、勝他(しょうた)の念に駆(か)られている状態。

ここまでの四界を四悪道とか、四悪趣(しあくしゅ)と総称する。

⑤人界(にんかい)

 人間らしく、平常で穏(おだ)やかな状態。

⑥天界(てんかい)

 思うとおりになって、喜びを感じている状態。

以上の六界を六道(ろくどう)といい、残る四界を四聖(ししょう)という。

⑦声聞界(しょうもんかい)

 先人の教えを学ぶ中から、無常観(むじょうかん)など、分々の真理を会得(えとく)していく状態。

⑧縁覚界(えんがくかい)

 独覚(どっかく)ともいい、声聞(しょうもん)が先人の教えを求めるのに対し、自然現象等を通じて自ら分々の悟りを得る状態。

声縁・縁覚の二界を合わせて、二乗(にじょう)ともいう。

⑨菩薩界(ぼさつかい)

 自身のことよりも、他人の幸せを願い、そのために尽(つ)くす状態。

声聞から菩薩までの三界を三乗ともいう。
また、地獄から菩薩までを束(つか)ねて九界ともいう。

⑩仏界(ぶっかい)

  崩(くず)れることのない自由自在の生命活動(常)、
  生きていくこと自体を楽しむ絶対の幸福感(楽)、
  何物にも粉動(ふんどう)されない円満かつ強靱(きょうじん)な主体性(我)、
  何物にも汚染されない清浄(しょうじょう)な生命(浄)、
  以上の四つに象徴される最高の境界(きょうがい)。

仏法では、私達の生命が内より実感する状態を、こうした十種類の境界に分析しているというわけです。
そして事実、我々の生活を委細(いさい)に観察してみますと、様々な縁に触れて悩んだり喜んだり・・・と、瞬間瞬間、十種の境界のいずれかを感じて生きていることがわかるのであります。
ただし、三悪道・四悪趣といった低い境界の方が、比較的たやすく現れやすく、四聖等の勝(すぐ)れた境界(なかんずく最高の仏界)は、なかなか現じがたいのが実際です。

十界互具(じっかいごぐ)

分かりやすく説明するため、引き続き、我々の人生・生活を例に述べてまいりましょう。
前述のように我々の生命は、瞬間瞬間、縁に触れることによって十界のいずれかを感じています。
ある時は地獄界(苦しみ)を感じ、ある時は餓鬼界(不足感や欲求)を感じ、ある時は天界(喜び)を感じ・・・という具合にです。
では、それは誰でも全く同じなのか、誰でも同じように、ただ縁に触れて十界のそれぞれを感ずるだけなのか、といいますと、それは違います。
よく観察するとわかりますが、瞬間瞬間、縁に触れて表面に現れてくる十界の実感――そのさらに奥に、また十界が存しているのです。
それは瞬間瞬間に簡単に移り変わっていくようなものではなく、いわば人格の基調にあたる部分に、十種類の境界があるということです。
たとえば、根性がひねくれており、常に、自分が他人よりも上位に立つことや、面子・プライドにばかり捉(とら)われている者、――この人間は、ある瞬間に喜び(天界)や平穏(人界)を感じていたとしても、基調としては修羅界の人間といえるでしょう。
また、弱肉強食のような世界に身を置いて、強い者に媚(こ)びを売り弱い者は虐(しいた)げるといった、動物的本能のままに生きている人間――これは畜生界の人です。
あるいは、道理・筋道を重んじ、恩や信義を弁(わきま)えて生活する平常な人、これは人界の人でありましょう。
この他にも、何事につけ楽天的な人、学者、芸術家――等、いろいろ例を挙げたらキリがありませんが、要は、その人その人により、異なる境界を基調として生きている、ということが理解できると思います。
したがって、私たちの生命には、まず基調となる十界が具(そな)わり、さらに、瞬間瞬間、縁に触れて表面に現れてくる十界が具わるのであります。
この十界にさらに十界が具わることを十界互具(じっかいごぐ)といい、十界×十界で百界という数量になります。
日蓮大聖人は、「一念三千は十界互具よりことはじまれり」
と仰せですが、この十界互具こそ、凡夫が仏になるという一念三千の法門の骨格にあたるのであります。

http://www.geocities.jp/kokoronoshikumi/hokekyo. …
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この回答へのお礼

ご丁寧にたくさん詳細にありがとうございまいした。自分の境界の基調というのは知ることはできるんですか?ありがとうございました。

お礼日時:2016/01/03 17:52

それはとても難しいことですね。


科学的に言えば脳ですね。
道徳的に言えば心ですね。
しかしながら、どちらも貴方がこれを
「人の脳が」、「人の心が」いいことや悪いことをするとは感じないでしょう。
何がいいことや悪いことをするかをか感じるには、まず貴方がいいこと、或いは悪いことをしてみては如何ですか?何か見つけられるかもしれませんよ。
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この回答へのお礼

いままでいいことも悪いこともしてきたように思うのですが、脳なのか心なのか。。。。う〜ん。難しいですね。ありがとうございました。

お礼日時:2016/01/03 17:52

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