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http://suitaweb.net/articles/保育所定員を2000人増員/

吹田市に住む90歳のお婆さんの卒寿=誕生日会にたまたま参加することになり、直接このお婆さんと話す機会があり、このニュースのことを話題としたところ、お婆さんが言ったことには…

「保育所って何、そんなもんなかったなぁ、七人の子供に恵まれて一所懸命育てたなぁ、産んだら自分で育てにぁ、そりゃかわいいんもん、何で他の人様に預けるの、三歳くらいまでは特に大事やで、ずっと一緒にいたらんとあかんのや、何で一緒にいてあげたらんの、育てられへんって、そんなんなら産まんでなぁ、貧しかったけど、自分ら飯喰わんでも、子供らには飯喰わすよう何とかして何とかなっとったなぁ、毎日毎日が腹一杯とはいかんかったかもしれんけど、まぁ必死やった、けど、今から思たら、幸せとは言えんかもしれんけど、苦痛なんかとは思わなんだで、そんなもん腹なんか立たへんかった、ワシらの時代と比べたら今の方がよっぽど恵まれてるんとちゃうかぁ、まぁそんなことが子供を産んで育てるっちゅうことなんとちゃう、保育所、そんなもん要らんでなぁ…」

概ね、こんな話でした。

この明るいお婆ちゃんに、何か、感動してしまいました、心に響きました。

「保育所落ちた、日本死ね」こんなお母さん方々、ご意見なり感想なり、是非ともお聞かせくださいませんか。

A 回答 (4件)

ま~90歳なら昭和2年くらいでしょ?



当時は関東大震災で東京は大変だっらし、関西はま~被害はなかったろうけど、東京がそんなだから、いろいろ大阪まで避難している人も多かったでしょう。
まだ子供がそんなに入れば、育てた時期は戦後の混乱期。
大変だったと思います。

保育所なんて当然ありません。

そんな日本死ねとか言ってるから、その熊本が大地震に襲われたとは思いませんが、悔い改めてほしいですね。

近くにあって良かった自衛隊基地。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2016/04/17 13:19

人の言葉に影響されすぎです。

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この回答へのお礼

そうですか、ありがとうございました。

お礼日時:2016/04/17 13:19

私の母はそのおばあちゃんより少しだけ若い80代です。


出産まで企業で働き、仕事に誇りも持っていたようですが、育児休業などないばかりか産後休暇もろくにとれない時代、退職せざるを得なかったとのこと。
一度だけ「私は職場復帰し損ねたのよ」とボソッと言ったのが印象に残っています。
保育園というものが普及していたら、母の人生は少し違ったものになったかもしれません。

姑さんも母と同年代。
しかし姑さんは外で働いたことがなく、子供を持ちながら勤める意義がどうしてもわからないようです。
子供が生まれてからもフルタイムで働いていた私に対して時折ぶつぶつ言っており、私が退職した時は文字通りもろ手を挙げて喜んでいたほどです。(本音を言うとかなりムッとしました)
質問にあるおばあちゃんと同じ立場の考え方ですね。

昔の世代でも今と同じ、両方の立場の人がいるんですよね。

昔は家事労働が大変で時間的な余裕がなかったこと、主婦であっても地域のコミュニティが確立していて社会との接点がおのずとでき母親が孤立することがまずなかったであろうこと、近所に子供が多く友達も作りやすかったことが、女性が外で働く意義が比較的少なかった要素だろうと私は考えています。

自分も女性ですが、女性の場合は自分の経験していないことへの理解がなかなか進まないという面はあると思います。
そのおばあちゃんは自分の人生に自信と誇りを持っているのでしょう。なのでその人生が最善で、他の選択肢を取る人は間違っているくらいに思ってしまっているのかもしれません。
悪く言えば価値観の押しつけでしょうか。

今、外で働かないとやっていけない家は少なくありません。
職場に子供を連れていけない以上、どこかに預けないといけません。
(おばあちゃんの世代なら三世代同居は普通だったかもしれませんが、今は少なくなっています)
そんな「保育園がないとやっていけない」家がとても多いこと、おばあちゃんはわかってくださるでしょうか。
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この回答へのお礼

さぁ、なかなか難しいですね、ありがとうございました。

お礼日時:2016/04/17 13:22

そのお婆ちゃんと、もし生きていれば私の祖母は同世代です



赤貧で生まれ
保育園はありませんが親は働かないと暮らしていけません
ちょっとでもいろいろできるようになれば、長子は弟妹の世話をさせられます 
小さい子の傍にいられる、なんていうのは、そこそこ暮らせる家です
煮炊きも洗濯も重労働の時代、母親も小銭を稼ぎ、家事をして
子供と向かい合ったりゆっくり過ごす時間なんてほとんどありません
子供も叱られ、怒られ、労働力として働くのです
もう少し大きくなれば他家の子守に出されたり、学校にもほとんど行かせてもらえず
祖母は文盲でした。
結婚しないで女性が一人で生きるのは難しい時代でしたから結婚、出産
夫すぐ死別、一人で乳飲み子を抱えて暮らせる仕事も預け先もなく
実家も赤貧で帰れない。
再婚しますがDV、酒乱。その中でも働いたり家事に追われ必死で子育て
忙しければ赤ちゃんは寝かせっぱなし。泣いたら抱いてもらえる今の子育てよりも
集団保育の保育園よりも放置という状態でしょう
その後夫が亡くなり、さらに貧乏に
今ほど母子家庭への支援は充実していません。
夫が死んでも姑の介護は残ったので
早朝に病院でオムツをかえ、手洗いし、仕事へ行き、低賃金の労働をして帰宅
親子の会話をする暇はありません
祖母が夕飯を作る間、立て付けの悪い借家の中は砂だらけなので子供たちは拭き掃除
子供の一人は、養いきれず、親類の家業にとやってしまいます

そんな祖母が孫の私には、頭が良くなりますように、といつも祈っていました
私が子供時代には地方で、結婚出産してもキャリアを続けている女性というと
看護士や教師でした。
看護士を見ると拝む勢いでした。偉い、勉強して自分の仕事を持ってる、働ける女性、って。
お前も勉強しなさい、仕事を持ちなさいといいました
神様にも仏さまにも何か御利益のある泉にも、私の頭を良くすることを祈っていました

昔は農家でも商売人でも、働かないといけない女性は
子供は柱にくくったり、かごにくるみこんででも働きました。保育園などないですから。

布オムツが濡れたらすぐに変えてもらえるなんて幻想というか、恵まれた環境の子の話
家事や家業の合間に定期的に様子を見に来て交換、という程度のもの。
今みたいに一人一人の安全をそこまで目を離さずみていませんから
昔はたくさん生まれても一人二人は病気や事故で死んだなんて話はザラです

その時代を生きた祖母が次世代を見て羨んだのは働ける女性たちでした

もちろん、過剰に保育園を求め、それも公的な福祉であるのに
過剰に個々の幸福追求のために安価で利用しよう、という姿勢は良いとは思いません。
必要に迫られた人は別ですが、よりよい生活、既得権益のため、を
無限に公に求めるのは無理があると思います

ただ、女性が働く手段が限られた時代や
保育園がなくても働かなくていけない時代が
必ずしも子供が幸福だったとは思えません。
朝ドラみたいな幸せな環境ばかりじゃないのです
(あ、でもおしん、も朝ドラですね)
レ・ミゼラブルのアロエッテみたいなことは日本にもあったと思います

早朝に水を汲み、土間で火を起こし、奉公なり畑を打ちに行き
…という暮らしで
そんなに親子が関わっている時間があったかしらと思います。

あなたは、親が自宅隣接の作業場で働いている間に
近所の子と親類の子が自宅に寝かせている赤ちゃんを包丁で刺し、殴り、庭に引きずり出し、吊るし
殺してしまった事件、知っていますか?
ちなみにその子は生後18日。つまり産後その時期でもお母さんは仕事をしていた。
預けられないから寝かせて1時間おきに見に帰るのが精いっぱい。

今なら柱に子どもをくくって仕事に行けば
たとえ定期的に様子をみたところで
親がそばにいるといっても虐待といわれるでしょう。
ちなみに現代中国でも、小さい子を、親が畑に行く間にロープで繋ぐなどして
社会問題になっています

また、かごにくるめ混んで入れて自宅に置いたまま農作業をしていた東北などでは
日照不足となった子供たちは「くる病」を発症したりしていました。

たくさんの命や健康が今は当たり前に守られますが
それがなかった時代をただ情緒的に振り返って「昔は良かった」というのも
何か違うと思います
保育園は子どもを守るためのものだし、なかった時代に子供たちが
親がそばにずっといたわけではないです
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この回答へのお礼

そうなんですか、ありがとうございました。

お礼日時:2016/04/17 13:26

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