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「自己中心的」という言葉がありますよね。プラスかマイナスかというとマイナスよりのイメージがあります。旺文社の国語辞典によると「自分と自分以外の周りの世界とを区別できない性質。また、自分本位にものを考えるさま」とありました。赤ん坊や酔っぱらいなどが典型的な例として思い浮かびます。しかしもっと日常的にこの言葉を聞くことがあります。「あいつは自分勝手だ、自己中心的だ」とか。加えて「利己的」なんて似たような言葉もあるし、「自分中心になることを恐れないと人生楽になる!」なんて本が店頭に並んでいるし、いやそもそも人間は皆自己中心的なのではないか、とか考えるともう混乱してしまってこの言葉を使うことができなくなって困ってしまいます。そうするとやはりケースバイケースでしかこの言葉を使うことはできないのでしょうか?具体的な経験に基づいた認識のある方、アドバイスをお願いします。

A 回答 (9件)

Naitoです。


補足がありましたので、再度回答します。
「マザーテレサや、マハトマガンジーを、自己中心的という人はいないでしょう。」という言葉はすこし語弊があったかもしれませんね。彼らも人間ですから、聖人とよばれていても神ではありませんから、自己中心性がすこしでもあるかないかといえば、それはあるでしょう。
しかし、「ガンジーの思想は帝国主義に対する怒りを基本としているわけですから」という意見がありましたが、それは共産主義のような、もてる者に対する、幾分嫉妬心を含んだ、それとは一線を画するものなんですよ。
確かにガンジーがそのテーマにとりくみだしたころは、私憤によるものだったかもしれません。
しかし、ガンジーのとった方法を見ればわかるように、自分が英国に留学し、弁護士でもある特権階級にもかかわらず、それを自ら投げ捨て、自ら最大限の質素な生活をし、中央政界からのお誘いも断って、暴力に対して暴力で返していたら、憎しみが憎しみを生んでいくから、自分が一方的にぶたれながら、相手の良心に訴えかけていくという手法をとったのですよ。
自己中心的な人だったなら、そういう手法はとらないし、途中で化けの皮がはがれてしまうわけです。
だから、ガンジーは、自己中心性がすこしでもあったかといえばあったでしょうが、自己中心的な人ではなかったのです。
個人主義と利己主義と自己中心的という言葉がでてきました。
個人主義と利己主義の解釈においては、私もcivilさんに賛成です。
自己中心的の定義づけをどうするか考えておられますが、私はほぼ利己主義と同義語だと思います。
有名な著述家がどういっているとかは関係ありません。
言葉そのものをとれば、自己を中心に物事を考えているだけであって、利己主義とはちがうともとれますが、言葉というのは生き物ですから、実際どのように使われているかというのが大事なわけです。
竹田青嗣の話がでましたが、確かに自己中心性は残るでしょうね。
最後に『「自己中心的」という言葉は人格を対象として使うのではなく、人の行為に対して使うべき言葉なのかもしれませんね。』と結んでおられますが、「自己中心的」という言葉は、人の個々の行為に対してだけでなく、その人の全体の傾向性として使うのもありだと思いますよ。人格とまでいくかどうかはわかりませんが、その時点のその人の全体の傾向性としては使えると思います。
明らかに、周りの人がどうなろうとも、自分の得を優先させる度合いが強い人はいるからです。
そういう傾向の人がいると、いざという時、裏切られる可能性が高いわけです。だから、人は批判を込めて、自己中心的な人だというわけです。
「誰かが「あいつは自己中心的だ」と言います。それに対して違和感を感じる私としては「おいおい、じゃあアンタは自己中心的じゃないのかい」とつっこみたくなってしまうのです」という意見がありましたが、確かに、自己中心的な人同士が、そう言いあうのは愚かなことです。
しかし、自己中心性がすこしでもあるからといって、その人を自己中心的な人とは呼ばないのです。
ガンジーまではいかなくても、周りのこともちゃんと考えている、自己中心性が低い、自己中心的でない人がいるわけです。
そうとはいえ、誰にも、人を裁くような言い方をする権利はありません。
しかし、心の中で、「ちょっとあの人は、自己中心的なところがあるな」と全体の傾向として感じることはあり、そういう使い方は表現としてありうることなのです。
ということで、自己中心的の定義を行う上で、また参考にしてください。

この回答への補足

皆さん回答ありがとうございました。締め切るにあたってポイントですが、ojaさん、Naitoさんにそれぞれ独断に基づいて付与することにします。全員に等しく与えたい、と正直思いますが。また何かお尋ねすることがあるかもしれません。どうぞ、よろしくお願いします。

補足日時:2001/06/26 18:19
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この回答へのお礼

丁寧な回答どうもありがとうございました。
仰ることはだいたいのところ理解したつもりでいますが、やはり私は当面のところ「自己中心的」を「人」を対象としては使わない立場に立ちたいと思います。まだまだ世の中の暗部について無知なのかもしれませんが。

お礼日時:2001/06/24 00:17

自己中を学問でどう定義するかは知りませんが


人間がみな持っている、自己防衛本能じゃないでしょうか?
誰かが言ってましたが、自我の概念は人によってちがいますし
自分のいる世界、自分の国という概念から自分の彼氏彼女から自分の子供まで
人には自分の領域と自分の中心の軸がそれぞれあるのだと思います。
テリトリィー意識の強い人は3m以内に他人が入り込むと
領海侵犯として本能的に身構えるとかいう話も聞いたことがありますが
都会の人が田舎に土地を買うと、まず塀をつくりたがるといって田舎のジイサマ
が笑っていましたが。自己中とはそのよな個体差のテリトリィー意識じゃないでしょうかね。親分になる人はきっと、身内子分の意識範囲が広いんでしょうね。
そうした意味で、創業者と違って、平和な時代のリーダーは隣人蹴落としてリーダーになった人だから、自己中でまずい方向へ行くのかも知れませんね。
リーダーがそうした器で、世間一般が貝のように閉ざして、自己防衛的な社会になってもそれは個人を攻めるよりシステムの問題なんだと思いますね。
オリコウサンに考えれば、個人でもできることはあるわけですが
そこまでゆとりのある時代でなければ、個人を攻めても解決しない場合が
多いですよね。 残念ながら、今のシステム(しくみづくり)では
すべてコントロールできないというケースが多いですし。
最終的にモノいうのは後継者への教育なんですかね???

この回答への補足

 皆さん回答どうもありがとうございます。
 一括してしまって申し訳ないのですが、お礼と共に訂正・補足をいくつか。以下は駄文です。

 まず「自分中心になることを恐れないと人生楽になる!」というそのままタイトルの本が実際に存在するかのような表現をしてしまいましたが、これはそういう趣旨の自己啓発本があるということを言いたかっただけで、実際に存在するのかどうか…いやないでしょう。語弊がありました。
 次に個人主義と利己主義の違いについて。この二つの言葉を同義と捉える見方もあるようですが、私はこの見方には違和感を覚えます。吉野源三郎が著書の中で個人主義について「個人の自由を尊重することを基軸に物事を判断、処理すること」と定義し、他人という「個人」を尊重していない利己主義と区別しているのですが、私は今のところこの考えに沿ってこの二つの言葉を理解しています。
 では「自己中心的」はどうなのか。これが自分の中でどうも曖昧だったんです。誰かが「あいつは自己中心的だ」と言います。それに対して違和感を感じる私としては「おいおい、じゃあアンタは自己中心的じゃないのかい」とつっこみたくなってしまうのです。
 哲学者の竹田青嗣なんかは、人間のは誰でも自己中心的なものの考え方をしているのだけれども、人との関係の中で、徐々にその考えを修正していくことを覚えていく、なんてことを言っています。赤ん坊が母親に褒められることを覚えて泣くことをやめるように。そうするとどんな人間にも程度の差こそあれ自己中心性は残るものと考えられます。そうではない聖人がどこかにひっそりといるのかも知れませんが。Naitoさんはマザーテレサやガンジーを自己中心的だという人はいないだろう、と仰いますがガンジーの思想は帝国主義に対する怒りを基本としているわけですからそこには自己中心性があると言ってもいいのではないかと思います。
 家庭裁判所の裁判官は「自己中心的」という言葉をよく使います。「夫の行為は妻に対する誠実さを欠き極めて自己中心的であったと言わざるを得ない」なんて表現がざらです。(ああ、これも実際にその通りそのままの判旨があったわけではないです)
 「自己中心的」という言葉は人格を対象として使うのではなく、人の行為に対して使うべき言葉なのかもしれませんね。

補足日時:2001/06/20 20:49
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自己中心的についてですか~


一般的に使われているのもそうだけど、自分の損得ばかり考えて、たとえそれが他人とか全体にとって悪いことになっても、自分の得をとっちゃうとき、それを自己中心的と呼べばいいのではないですかね。
難しく考えずに。
人間は皆自己中心的という見方もありますけど、マザーテレサや、マハトマガンジーを、自己中心的という人はいないでしょう。
また、人間はそういった、黒か白かというものでもなく、自己中心的という部分と、利他的な部分の複合体と見るののが自然であって、完全に利他的となればそれは神だし、またどんな悪人でも、時間軸でみれば、いつまでも、自己中心的であるわけでもないと思います。
その度合いが濃いほうで、人を判断し、自己中心的とよんだり、また個別の行為とか思いをどちらかによんだりするのではないでしょうか。
実際、自己中心的ばかりではない、自分を捨てて、より高次な思いをもったり、行動したりするところは人間はもっているので、やはり、人間皆自己中心的というのはちょっと当てはまらないかもしれませんね。
「自分中心になることを恐れないと人生楽になる!」という本があったということですが、ひとつはそういう逆説的なことをいってひきつける自己啓発本というものはあるということです。
それは間違った考えということもあるし、一理あるということもあります。
仏教でも、対機説法というのがあるように、見せかけで自分を見失って、会社に振り回されている人とかに対しては、上のような本で、幾分バランスを取り戻したりすることができるのではないでしょうか。
とりあえず、自己中心的という言葉は上に示したような使い方でいいと思いますよ。
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よく、「人の立場になって考えてみろ」といいますが、自己中心的な人はそれが出来ません。

というか、理解できないようです。
「その状況で、その人ならどう感じるか、どうするか」とは考えず、「その状況なら私はこう思う、こうする」と考えます。

つまりは絶対に自分の価値観からはずれないわけで、他人の価値観を受け入れてその中に身を置いてみる、ということが出来ないのです。
こういう人の「思いやり」や「親切」は「ありがた迷惑」だったりする事になります。

人の痛みがわかる人、思いやりのある人、などと言われる人は無意識的に人の立場を自分に置き換えてシミュレートして相手を理解しますが、自己中心的な人はそれをしません。
常に自分の価値観(判断基準)が根底にあり、主観的な判断が全てです。
だから、親切でやってあげたのに誤解される、などという事が多くなります。価値観がずれていると、親切も押し付けがましい行為になり、相手に気を使わせてしまうわけです。
わがままを「自分の気持ちに正直に」などという耳触りのよい言葉に置き換えてやりすごし、自分が「自己中心的」である事を自覚していない人も少なくないようです。

以前、そのような彼女とつきあっていた事があり、この事はいくら話しても理解してもらえませんでした。気持ちは優しく、人を気づかう気持ちもある子でしたが、自己中心的なものの考え方がそのベースにある、と思った次第でした。

とはいえ、伝わらない言葉では意味がありませんので、確信犯的な意味で他人の意向を無視して我をとおす、自分の利益中心でものを考える、という限定で使わなければいけない言葉なのかもしれませんね。確信犯であればマイナスイメージも許容せざるを得ないでしょうが、自覚のないものに対して使っても反発を買うだけの事で、たぶん理解は得られないと思いますので・・。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
非常に参考になりました。我が身を振り返ると耳が痛いのですが。

他の補足・お礼でも言っていることなのですが「自己中心的な人」という表現に違和感を覚えます。「自己中心的なものの考え方」という表現は受け入れられるのですが。

ああ、なんか「ですが」ばかりですね。デスガ、デスガ、デスガ。

男と女ということになると話はさらにややこしくなりそうですね。脳の構造がそもそも違うということですから。「男と女は理解しあえるのか」というテーマにまで発展してしまいます。むう。

お礼日時:2001/06/23 00:52

 civilさん、こんばんは。


 「自己中心的」という言葉は「自分を中心に考えて行動する人」でしょうね。俗っぽく言ってしまうと、「地球は自分を中心に廻っている」と考えられる人ではないでしょうか。中には自分のしていることが他人の迷惑になっているなんて夢にも思っていない人もいるでしょうね。それが愛嬌と映れば「あいつはマイペースな奴だから」あたりのソフトなイメージでとられるかも知れませんが。しかし、ただ単に周りをかえりみず自分勝手となれば、やはりこの言葉から受けるイメージはマイナスですね。もとからマイナスのイメージを持っていた言葉なのかは分かりませんが、少なくとも現在では大多数の人がマイナスのイメージで受け取ると思います。
 また、「利己的」あるいは「利己主義」という言葉も「自己中心的」に重なるイメージもありますが、やはりこちらには自分にとっての利益の有無が関わってくるでしょうね。こちらもあまりいい意味ではとられない言葉だと思います。
 「個人主義」という言葉はどうでしょうか。こちらは人それぞれに受け取り方が異なるのではないでしょうか。よく「フランス人は個人主義だから」なんていう言葉をききますが、人によっては「個人主義=自己中心的、わがまま、冷たい」というイメージもあるでしょうし、「個人主義=自立した大人の考え方を持っている」と肯定的にとらえる人もいるのではないでしょうか。私は「個人主義は自分を第一に考えるが、それは自己中心という意味ではなく、同時に個人としての他人も尊重している」と考えているのですが。
 答えにはなっていませんね。
 では、失礼いたします。
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この回答へのお礼

polnareffさん、こんばんは。
回答ありがとうございます。
参考になりました。
「利己主義」と「個人主義」の使い方は大体のところにおいて賛成です。
「自己中心的」=「自分を中心に考えて行動する人」と仰いますが対象は必ず「人」だとお考えですか?私は「自己中心的」という言葉が「人」にではなく「思考」と「行為」に対して使われている場合のほうが好きなんです。つまり多面性を持つ存在であると私が信じているところの「人」に「自己中心的」のレッテルを貼ってしまうことに抵抗があるのです。
では失礼いたします。

お礼日時:2001/06/23 00:36

 厳密にいえば人からの批判や評価に左右されない人の事だと思います。

良い意味にも取れますが通常は悪い意味で使われる事が多いでしょう。

 自己確立していて生き方に迷いが無い人ととも取れますが、行き過ぎると独善的となるでしょう。逆に足らなければ優柔不断で、何事も人の意見を聞かないと決められない決断力の無い人となるでしょう。

 たとえ悪意や利己心が無くても本人が良いと思ってやった事でも、他人には迷惑な事って有るでしょう。ですから利己的(損得)とは少し違うでしょう。

 只言葉の使い方としてはやはりあまり良い意味で使われる事がありませんから、普段は「人の事を考えない(やな)人]ぐらいの意味で使ってれば良いのでは。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
「バランスが大事」と理解していいのでしょうか。
しかし私にとっては「言うは易し行うは難し」です。

お礼日時:2001/06/23 00:01

今一質問の意味がわからないのですが・・・



「自己中心的」というのは自分を中心に物事を考えて、他人や周囲への配慮をしないという意味も含んでいるように思われます。「自分がよければ他人がどう思おうと、どういう影響が及ぼうと知ったことではない」というのが自己中心的だと思います。そういう意味で、私はこの言葉にプラスのイメージは全く持っていませんし、批判をするときに使う言葉だと思います。(そもそもプラスのイメージってあるんでしょうか??)

比較に出てきている「利己的」とは、自分の利益を中心にした考え方ですよね。「自己中心的」と重なる部分があると思いますが、そこに必ず「利益」が存在する点が異なっています。これも嫌われる対照ですよね。

「自分中心になることを・・」の本についてですが、私はこの本を知らないのですが、社会では「こんなことをしたら他人がどう思うか」「自分がこうしたら誰々が困るんじゃないか」などの気遣いを必要とする時があります。しかし、過度に気を使いすぎる人もたくさんいます。それが元で人間関係に悩みが生じたり鬱になる人もいます。そういう悩みを持つ人へのアドバイス本ではないでしょうか?人間は本来みな自己中心的な考えをもっているのかもしれませんが、それをそのまま表に出してしまう人と、節度を守って社会生活をしている人といます。悩みすぎてドツボにはまっている人には「もう少し自己中心になっては?」というアドバイスもアリと思いますが、基本的には「自己中心的」を肯定するのはおかしいと思うのです。

この回答への補足

>今一質問の意味がわからないのですが・・・

わかりにくい問いの立て方で申し訳ありません。
要するに「自己中心的」を定義したいのです。
こんな抽象的な議論は無意味だという考え方も当然あるとは思っていますが、今の私にとってこれは避けて通れない命題のように感じているのです。

補足日時:2001/06/22 23:31
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記憶はさだかでは無いんですが、中学の国語の教科書にのっていた文によれば、


「利己的」=「自己中心的」と思っている人が多いようだがそれは間違いで、利己的っていうのは、自分の損得しか考えない自分勝手な人の事で、「自己中心的」って言うのは物事を考えるときまず自分の視点から考える事で、例えば「こんな時自分だったらどうするだろう」とかって事で、決して悪いことではないって書いてあった様に記憶しています。
でも、その国語の教科書以外で、「自己中心的」をいい意味で使った文章や発言に接した事は一度もありません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

>でも、その国語の教科書以外で、「自己中心的」をいい意味で使った文章や発言に接した事は一度もありません。

そうですね。私もありません。「良い」「悪い」の二元論ではくくれないような微妙な言葉だと思っています。それだけに自分なりの定義を確立しておきたいのです。

お礼日時:2001/06/22 23:28

良いアドバイスになるかわかりませんが、「自己中心」という言葉を「得ばかりする人」という言葉に置き換えてみます。

だれだって「損」をするより「得」した方がいいですよね。でもどんな時も「得」をしようとすると少々の「損」しなくてはいけないこととか出てくることありますよね。ギャンブルのパチンコで例えると勝った時は得したと思うけど、トータルで見ると負けの方が(損)多いと思います。
(あまり良い例えではないかもしれないけど)極端に言えば自己中心な人、得ばかり考えている人は他の出ているパチンコの台も乗っ取ってしまうような人。
「自分中心になることを恐れないと人生楽になる!」を「得になることを恐れないと人生楽になる」と言葉を変えると何となくですが、分かり易くなりませんか?
水戸黄門さまの歌ではないけど、「人生楽ありゃ、苦もあるさ~」なんですけどね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。損得感情で考えると「自己中心的な態度」はその時には「得」なのかもしれないけれども長い目で見ると「損」になってしまうのかな、などと思いました。

お礼日時:2001/06/22 23:24

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