家・車以外で、人生で一番奮発した買い物

NHK教育TV(一遍上人絵伝)をみていると、次のような一説が耳に入りました。
「摂津国の四天王寺は阿弥陀仏の浄土の入り口とされる霊場で…」

なぜ聖徳太子が開祖である四天王寺が阿弥陀仏の浄土の入り口となっているのでしょうか?

A 回答 (4件)

平安前期編纂の『上宮聖徳太子伝補闕記』には、太子を出産する時、西方から光が宮中を照らしたとあります。

また、やはり『聖徳太子伝暦』という10世紀頃の本に、太子が幼少の頃、「家は西方にあり」と言ったと書いてあり、極楽浄土からのお使いであるという設定が示されます。
なお、この二つの書では、委曲の違いはあるものの、殺害された太子の皇子達は蘇我氏に滅ぼされたのではなく、西方へ飛翔したことになっています。

こうして、極楽と太子を結ぶ線が出来ました。その後、この説は発展して太子を観音菩薩の化身と見なす信仰が平安時代後期に定着します。いうまでもなく、観音菩薩は、阿弥陀如来の脇士ですね。その後、太子と阿弥陀三尊を結びつける説は、さまざまな肉付けをもって広がります。

観音菩薩と聖徳太子の繋がりはご存じかもしれませんね。親鸞聖人なども、この説に従って、観音菩薩のお告げを待たれたわけですし、太子の廟にお参りされたわけです。


そして、四天王寺と極楽との繋がりですが・・。
13世紀の法隆寺の僧・顕真『聖徳太子伝私記』には、極楽の東門が四天王寺の西門にあたるというような記述が出てきます。ただこの本では、法隆寺も同様に極楽の東門になっています。

この説(四天王寺西門が極楽の東門)は『善光寺如来縁起』にも引き継がれていて、ここでは明確に太子が意図的に極楽に対応させて作ったことになります(ただし『善光寺如来縁起』は成立が複雑で平安時代から増補をかさねて出来たものすので、いつ頃入り込んだのかなどは私は知りません。)。

なお、顕真は、聖徳太子の舎人・調使丸の子孫だと自称しており、法隆寺の権威を高めると共に自らの地位の確定の意図があったと言われています。

また、太子信仰は観音菩薩と結びつきましたが、太子夫人などは勢至菩薩、母上の穴穂部皇女は阿弥陀の化身と親子での化身ということになっています。父上の用明帝は薬師如来の化身です。その他、物部守也も地蔵菩薩の化身(別の書)であるなど、細かい伝承に至っては枚挙に暇がないです。

聖徳太子伝説は、このように節操もなく?、いろいろなものを吸収して膨らんできましたので、宗派では割ることはできません。下の方の解答に、四天王寺は昔は天台宗の影響が強かったとありましたが、それはそうなのですが、真言宗の影響も強かったのです。理由は、弘法大師信仰と聖徳太子信仰が融合している部分があって、前の『聖徳太子伝私記』では、弘法大師は聖徳太子の生まれ変わりとなっていますし、別書におさめる『弘法大師御記文』には、弘法大師が、阿弥陀三尊(太子、妃、穴穂部)のお告げを受けます。天台宗の僧侶もそうですが、真言宗の僧侶も代々、四天王寺の別当をしていたはずです(少し曖昧です)。

天台宗と太子信仰の結びつきが強いのは、もともと中国の天台宗の祖師(慧思)が生まれ変わって、太子になったと日本天台宗が信じていたからです。

極楽の話しも、天台宗や真言宗との関係の深さも、生まれ変わりによる信仰が、背景にはあるわけです。作為には違いありませんが、またその時代の宗教観や生死観(輪廻観)、庶民感情にあっていたというわけですね。
    • good
    • 0

それと、今は海が遠のきましたが、昔はもっと寺と海が近かったそうで、夕日と極楽が連想しやすかったようです。

    • good
    • 0

こんにちは。



#1さんの回答でも良いかと思いますが、少々補足させていただきます。

四天王寺が阿弥陀浄土の入り口とされているのは、西門から見える夕日の美しさが西方浄土を連想させることからのようです。寺が勝手に主張していると言うより、民間信仰でしょうか。

>一番古いのですから,和宗という単立の宗派です
平安時代に天台化されてからは、戦後に和宗として独立するまでは天台宗でした。既存の教団に属してないと言うより、和宗という宗派です。

http://www.kitamido.or.jp/ybaosaka/houwa/houwa00 …

参考URL:http://www.kitamido.or.jp/ybaosaka/houwa/houwa00 …
    • good
    • 0

四天王寺は,ご存知のとおり聖徳太子が建立した日本最古の寺院のひとつとされています.



一番古いのですから,和宗という単立の宗派ですし,どこかの既存の教団に属してもいません.よって,教義も独自の解釈です.

「摂津国の四天王寺は阿弥陀仏の浄土の入り口とされる霊場で…」
というのも,四天王寺が勝手に(?)言っているだけで,阿弥陀仏を本尊とする浄土宗や浄土真宗の教義とは別のものです.

四天王寺の境内には日本の各宗派(天台,曹洞,真言,真宗・・・)の各宗祖や本尊が奉られています.だからといって,日本の仏教の総本山という位置づけとは少し異なります.
(勢力から言えば,明治期以前は天台宗の天下ですし,現在は信徒数では真宗が圧倒的です)
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

「和宗という単立の宗派」とは知りませんでした。
親鸞もお篭りをしたことから、浄土宗と関係があるのかと思っていました。

お礼日時:2004/07/19 14:20

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!


おすすめ情報