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江戸時代末に、”尊王攘夷”という言葉が活躍しました。
この四字熟語は、直接関係のない”尊王”と”攘夷”とが、結び付いたものですね。
ところで、この両者を結び付けた接着物は、何でしょうか?
(討幕ですか)

A 回答 (4件)

> ”尊王攘夷”という四字熟語は、直接関係のない”尊王”と”攘夷”とが、結び付いたものです。

この両者を結び付けた接着物は、何でしょうか?

四字熟語にも色々ありますが、寡聞浅学、有名無実、無芸大食、会者定離、勧善懲悪、栄枯盛衰、質疑応答、遠交近攻なども、直接関係ないと言えばそうも言えるものを結びつけているようにも思えます。
言い出しっぺ、あるいは聞いてそれを真似た者にとっては、セットにすることで、一つのイメージを訴えられる、スローガンあるいはコピー(キャッチフレーズ)として効果的だという感覚があるのでしょう。
ただ尊王、ただ攘夷と言うだけよりは、一つにまとめて尊王攘夷と言い出した方が、なにか目新しく一つの主張を強く訴えているように(本人も思い、聞いた方も感じる)ということなのでしょう。
造語の効果、新しいキャッチコピーの効果は、(そうした単純なフレーズで新しさを感じさせる)ことにあるのだと思います。
また、尊王だけ、攘夷だけ、倒幕/佐幕だけ、勤王だけ、大政奉還だけ、富国だけ、強兵だけのように一つの主張しかないような言葉だと糾合する対象者で対立も起きやすくなります。 その言葉の具体的な中身に入り込んで考え主張し合うようになったら、セクト化が始まり、内部闘争に発展しかねません。
二つ三つが混在したようなものを一語(一熟語)にしてしまうと、糾合している対象者間での力点の置き方、評価や志向の差、行動面の具体的な差が覆われぼやっとして「スローガンだけの一致」に気分を酔わせることも可能になります。 
政治、軍事、社会政策などで、味方を増やし、分裂させず、それでもって高揚感や連帯、同調感を得るには、こうした複数のイメージを接合させたキャッチが都合良いのだと思います。

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このURLのベストアンサーに選ばれているaminouchiさんの回答に「周王室の力が衰えたことから諸侯は尊王攘夷を唱えて」とあります。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/865355.html
残念ながらその事実を私は今確認出来ません。
下の解説は、事実を踏まえているのか疑問に感じます。
"尊王攘夷 中国の春秋時代、周王を尊び、夷狄を撃つこと。 周王を尊び、夷狄(犬戎など、周辺の異民族)を討ち払う、という意味で、春秋時代の前半の有力諸侯が唱えたことば。"
http://www.y-history.net/appendix/wh0203-034_1.h …
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宋の時代には"尊王攘夷"を"文字列"にして言い出した人がいるようです。(ココでも政治的アピール効果ですね)
"宋では王安石が「断爛朝報(切れ切れの官報)」と『春秋』をけなしたが、北方異民族の侵入もあって、士大夫(官僚層)の間では尊王攘夷、復讐是認の春秋学が盛行した。 "
https://kotobank.jp/word/%E6%98%A5%E7%A7%8B%E5%A …
確かに、随分と後代になってから「尊王攘夷」の言葉は出てくるようです。(元は漢文ですが、、、、)
"平心にて論ずれば,胡氏の春秋の大義は孟子に本づき,一字褒貶は公穀に本づき,皆其の非を謂うを得ず。而るも之を求むること深きに過ぎ,勤めて公穀両家の外に出で,鍛錬すること太だ刻にして,多く諷を時事に託するの心を存す。其の書,経筵に奏御せらるれば,原と藉りて以て約を納むべし。但だ尊王攘夷,春秋の大義と雖も,王ならば唯諾趨伏の尊ぶべきに非ず,夷ならば一身両臂の攘すべきに非ず。胡が『伝』は首めに権臣を戒め,芸祖の黄袍を懲艾するの非を習い,高宗の諸将を猜疑するの意を啓けり。王夫子の岳侯の死を謂うに,其の説は庸主の心に中るを先にすと。此れ其の立言の大失,経を解するの明らかならざるに由るなり。"   大修館の「広漢和辞典」にはこの一節が、漢文で掲載されています。この経学歴史・経学変古時代の筆者にとっては、「尊王攘夷」は政治的主張を表すスローガンとして周知のものというイメージだったのでしょう。 この筆者が懸念する通り、主題を限定すれば異論がでて対立が際立つのだと思います。
http://awata.blog102.fc2.com/blog-entry-89.html
http://awatasan.web.fc2.com/chunqiu/howto/sankou …
春秋時代には「尊王攘夷」という言葉や熟語はなかったのじゃないかと、浅学厚顔の私は思います。
http://coolrip.b.ribbon.to/ueno.cool.ne.jp/soury …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
今までとは、別な視点から切り込んで頂きました。
<一つの主張しかないような言葉だと糾合する対象者で対立も起きやすくなります。>
<複数のイメージを接合させたキャッチが都合良い>
特に<政治、軍事、社会政策>の分野では、役に立つのですね。
ここで。“ずいずいずっころばしごまみそずい”を思いだしました。この童謡の表の意味は分りません(ただし、いろいろな解釈がある、ことは知っていますが)。心の深層では、何かのイメージが働き、歌詞が統一的に有機的に働いているのですね。だから、子供でも、私でも容易に覚えたのですね。
そして、幕末では
<「尊王攘夷」は政治的主張を表すスローガンとして周知のものというイメージだったのでしょう。>
なのですね。

お礼日時:2016/08/02 19:47

何言ってるんだ、歴史を学ぶ人とも思えない。


「反幕府」の一点で、関係のない二派が接合した、に決まっているじゃないですか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
幕末の尊王派(思想)と攘夷派(思想)が
<「反幕府」の一点で、>
接着したのですね。

お礼日時:2016/08/03 17:34

別に佐幕派に尊王思想がなかったわけではありません。


幕権を朝廷から預かっている幕府の力によって尊王攘夷を達成しようとしていたのが佐幕派といわれる人々であって、討幕論や佐幕論は尊王思想に包括されます。
ついでに開国論といわれるものも、外国から知識、技術を取り入れて最終的に日本の独立(攘夷)を達成しようという思想であって、攘夷思想に包括されると思います。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<討幕論や佐幕論は尊王思想に包括されます。>
であり、開国論は
<攘夷思想に包括されると思います。>
のですね。
当時の考え方は、単に文字の上だけでは理解できない、複雑で含蓄に富んだものだったのですね。

お礼日時:2016/08/02 08:46

> 直接関係のない”尊王”と”攘夷”とが、結び付いたものですね。


いいえ。「尊王攘夷」は中国の春秋戦国時代に登場した言葉ですが、最初から「王を尊び夷を攘う」という一つの熟語です。

また、政治的に考えても、尊王と攘夷は、本来的に不可分のものだと思います。
「攘夷」というのは、文字通り読めば「外国人を追い出せ」ということですが、
外国人を追い出すには、外国人でない我々(例えば日本人)はまとめる必要があるわけで、
つまり、「攘夷」というのは、「我々は(内部抗争をやめて)まとまって外国に対抗すべき」、という思想なわけです。
で、実際まとまるには、我々と外国人とを「区別」する何らかの名分が必須でしょう。それが「尊王」です。

中国で「尊王攘夷」という言葉が登場した春秋戦国時代、それが日本で盛んに使われた幕末、いずれも、国が諸侯によって(半)分裂していた状態です。
そういうときに、「尊王という名分のもとにまとまって外国に対抗しろ」という思想が生まれるのは、自然なことといえば自然ですかね。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
古来より
<尊王と攘夷は、本来的に不可分のもの>
なのですね。時代の状況によって、尊王攘夷と言う思想が生まれるのは、<自然なことといえば自然です>
なのですね。

お礼日時:2016/08/02 08:34

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