【日本語の名言】「義を見てせざるは勇なきなり」

この名言は誰の言葉ですか?

義とは何ですか?

勇とは?

義とは目標、目的の意味っぽいです。

勇は行動かな?

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (4件)

孔子の言葉で、『論語・為政』に以下のようにある。


「其の鬼に非ずして之を祭るは諂うなり。義を見て為さざるは勇無きなり(自分の祖先ではない霊を祭るのは諂うことである。人としてなすべきものだと知りながら、それをしないことは勇気が無いからだ)」
「義」は儒教の五常(義・仁・礼・智・信)の一つで、筋道の通った正しい行いのこと。勇は勇気のこと。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

みなさん回答ありがとうございます

お礼日時:2016/08/07 17:19

出典や本来の訳については


他の方が回答されている通りです。

超意訳になりますが、私はこの言葉を
「すべきことがわかっているのにやらないのは
人として心が弱いからである」
と解釈しています。
    • good
    • 1

この名言、日本人にはなじみ深いですね。



お年寄りを見たら、すっくと立って席を譲ろう、と言ってるんですね。

こないだ、それやったら、年寄り扱いするな、と睨まれました。

孔子は、こんな経験なかったのかな?
    • good
    • 0

日本じゃないです。

孔子の言葉です。

義は人としてなすべき正義として理解していることがら
勇はそのまま勇気です
    • good
    • 1

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q■「見ざる、聞かざる、言わざる」の順番■

「(1)見ざる、(2)聞かざる、(3)言わざる」の順番で覚えたと思っていたのですが、最近(2)と(3)が入れ替わった文章を見ました。音読してみたのですが、違和感はあまり感じませんでした。

このことわざには正式な順番があるのでしょうか?
それとも順番が変ってもいいものなのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

>それとも順番が変ってもいいものなのでしょうか?

良いと思います。言葉は生きていて進化します。皆が使うのですから、皆がそうしようと決めたらそれで良いのです。

貴方の言い方では、「み、き、い」の音の順序となっていますが、生理的には「み、い、き」の順序の音の順序の方が言いやすく聞きやすいと感じている方が沢山おります。

私の友人で「幸博(ユキヒロ)」と言う方がおりますが、「きひ」と続く音を本人がケチを付けておりました。「何故親は『博幸』と、『ひ』の後に『き』が来るような名前にしてくれなかったのか、言いにくくてしょうがない」とぼやいていました。い行のあとの「き」は確かに言いにくいです。

他の例では、漢字の元の順序がどうであろうと、言いやすい方に言い換えてしまうのがあります。「山茶花」は漢字の読みとしては「サンザカ」が正しいはずですが、今では「サザンカ」と呼ばなくては笑われてしまいます。「お数珠」も正しい読みのはずの「オズジュ」ではなくて「オジュズ」が正しいとされています。

最近の例では「シミュレーション」を「シュミレーション」と言う方を多く見かけます。私の友人で、ある研究所の「シミュレーションセンター」というところで働いている方がいらっしゃいますが、私はその友人の名刺やウェッブサイトには是非「シュミレーションセンター」と書くことを勧めています。「研究者という特殊な職業についている方が、皆と同じ、その他大勢というわけには行かんでしょう、何かユーモアのあるところで、自己主張してみたらどうですか」という、屁理屈を捏ねている訳です。

別の例では、北アルプスの「苗代馬」から「白馬(シロウマ)」となった山の名前が、たまたま、最寄りの駅名を「ハクバ」と名付けてしまったために、今では「白馬(ハクバ)」を正解と思っている方が多数派を占めていると思います。その結果、「サンザカ」が間違いであるように「シロウマ」もそのうち間違いであるとされるはずです。

どんなに合理的な理屈を付けようが、また、どんなにおかしな用法であろうが、皆が使っている方が正しいのです。

また、その変遷を探ると、その民族の属する文化の特有な個性が見えて来て、自分たちが何であるかの認識を深めてくれる場合もあるのです。ですから、何が正しいか間違いかと言う視点で物を考えるばかりではなくて、その正否を問わず「昔はああ言っていたが、今ではこう言うようになった」という変遷を探って行く物の見方もあり得る訳です。

>それとも順番が変ってもいいものなのでしょうか?

良いと思います。言葉は生きていて進化します。皆が使うのですから、皆がそうしようと決めたらそれで良いのです。

貴方の言い方では、「み、き、い」の音の順序となっていますが、生理的には「み、い、き」の順序の音の順序の方が言いやすく聞きやすいと感じている方が沢山おります。

私の友人で「幸博(ユキヒロ)」と言う方がおりますが、「きひ」と続く音を本人がケチを付けておりました。「何故親は『博幸』と、『ひ』の後に『き』が来るような名前...続きを読む

Q往きて返らざる者は豎子なり の解釈

史記の荊軻についての質問です。
細かい質問で申し訳ないのですが、
『壮士一たび去りて復た還らず』の部分の中ので、荊軻の旅立ちを急かす太子丹に、荊軻が怒る場面があり、そこで荊軻が言う、「何ぞ太子の遣はすや。往きて返らざる者は、豎子なり。」という言葉があるのですが、これはどのような意味で、豎子とは誰をさしているのでしょうか。荊軻本人のことなのか、秦舞陽(付き添いの者)のことなのか、どちらなのでしょうか。
分かる方いらっしゃいましたらお答えいただきたいです。

Aベストアンサー

【壯士一去兮不復還】勇壮な男子は、ひとたび去れば、二度と再び還ってこない.......

質問文中の"前後"を振り返りましょう...
....乃復請曰、
「日已尽矣。荊卿豈有意哉。
丹請、得先遣秦舞陽。」
荊軻怒叱太子曰、
「何太子之遣。
往而不返者【豎子】也。
且提一匕首入不測之彊秦。
【僕】所以留者、待吾客与俱。
今太子遅之。
請辞決矣。」

■豎子(じゅし):1子供・童子、2年若い者や未熟な者を蔑(さげす)んでいう語で若造・青二才
■僕:日本語でも中国語(含古代)でも男子の自己謙称

歌中での豎子と僕は、見事に【使い分けられて】居ますね、
決して豎子=僕では在りません。

従って、上記の歌の場合、
豎子の 2 の意で使われてますので【秦舞陽(付き添い、補佐)】を指し、当~然、僕が荊軻を指すのは分明。

参考に成るであろう...サイトを最後に紹介して措きます。
http://chinese.art.coocan.jp/liutou.html
真ん中より下1/3位の辺り、
三「詠荊軻(荊軻を詠ず)」について
07 微言激幽憤
08 怒目辭燕都
解説中の第七句後半~第八句に掛けての部分。
........この句は、太子丹がいつまでも動き出そうとしない荊軻に業を煮やしているのを表現したもの。伝に「之れを頃(しばら)くするに未だ発せず、太子之れを遅しとし、其の改め悔いしかと疑い、乃ち復た請いて曰わく、日は已に尽きたり、荊卿豈に意有らんや?丹は先ず秦舞陽を遣(や)るを得んことを請う」とある。これを聞いた荊軻は怒る。それが次の第八句「怒目辭燕都」である。伝に「荊軻怒り、太子を叱りて曰わく、何ぞ太子の遣るならん、往きて返らざる者は、豎子(こわっぱ、秦舞陽を指す)なり。且つ一匕首を提(ひっさ)げて不測の彊秦に入る、僕の留まりし所以の者は、吾が客の与に倶なるを待つのみ。今太子之れを遅しとす、請う辞して決せんと。遂に発す」とある。荊軻は、太子が、自分を信用せず、まったく頼りにならない秦舞陽を送りだそうといったことに激怒して、ただちに燕の都を発ったのである.......。

因みにサイトの作者は下定雅弘岡山大学名誉教授、現在岡山大学北京事務所長..

※確かに各サイトの訳文(Chiebu....等)等が氾濫して居ますが御注意を。

【壯士一去兮不復還】勇壮な男子は、ひとたび去れば、二度と再び還ってこない.......

質問文中の"前後"を振り返りましょう...
....乃復請曰、
「日已尽矣。荊卿豈有意哉。
丹請、得先遣秦舞陽。」
荊軻怒叱太子曰、
「何太子之遣。
往而不返者【豎子】也。
且提一匕首入不測之彊秦。
【僕】所以留者、待吾客与俱。
今太子遅之。
請辞決矣。」

■豎子(じゅし):1子供・童子、2年若い者や未熟な者を蔑(さげす)んでいう語で若造・青二才
■僕:日本語でも中国語(含古代)でも男子の自己謙称

歌中での豎子と...続きを読む

Q「おもしろき こともなき世を おもしろく すみなしものは 心なりけり」の意味

おもしろき こともなき世を おもしろく すみなしものは 心なりけり

これは高杉晋作の言葉です。名言集を見ていて、
興味がわきました。

「心の持ちようで世界は面白くもつまらなくもなる」
という意味なのでしょうか?
もしお分かりの方がいらっしゃいましたらご回答お願いいたします。

Aベストアンサー

こんにちは。
ちょっとニュアンスは違うかも知れません。

私達の周囲の世界はただの現象世界であり、そこにはどんな意味や価値判断、意図もない。あるのはただの無為自然でしかない。それにひとつひとつ意味付けをしていくのは、私達一人一人の感覚であり、解釈である、ということを詠んでいるのだと私は思います。
彼はだから、自分のしていることもしてきたことも、世の中が変わろうとしていることも全て、所詮はその程度のものなのだ、と達観したのではないでしょうか。

例えば、出かけようとした時に雨が降ったからと言って、それで私達は不幸になるわけではありませんよね。雨は何も考えてもいないで、ただ降っているだけです。それをどう受け止めるかは私達次第です。自分だけに降っているように感じて、こんな時に限って・・と、不運な自分を惨めに思うか(本当は個人に雨が降ることなどあり得ないのですが)、何気なしに今日は家でのんびりせよ、という天の思し召しだなあ~と思って、のんびりするか。

自分の人生を後世の人がどう語ろうと、それは私の心の、私だけがわかっている私の人生ではない・・。
そんな意味が込められているように思いました。

こんにちは。
ちょっとニュアンスは違うかも知れません。

私達の周囲の世界はただの現象世界であり、そこにはどんな意味や価値判断、意図もない。あるのはただの無為自然でしかない。それにひとつひとつ意味付けをしていくのは、私達一人一人の感覚であり、解釈である、ということを詠んでいるのだと私は思います。
彼はだから、自分のしていることもしてきたことも、世の中が変わろうとしていることも全て、所詮はその程度のものなのだ、と達観したのではないでしょうか。

例えば、出かけようとした時に...続きを読む

Q漢文 「ざるなり」について

漢文の比較で 「如かず」 という語の後ろに「也。」がついたとき、ひらがなで書き下せ。とありました。(表現しづらいので多く省いています。)

答=しかざるなりと

とありました。でも、古文では「ず」に「なり」がつくと本活用につくと習いました。古文と漢文では接続は多少違うのでしょうか?

Aベストアンサー

塾で高校国語を担当している者です。

>古文と漢文では接続は多少違うのでしょうか?
そんなことはありません。
古文も漢文も同じです。

>古文では「ず」に「なり」がつくと本活用につくと習いました。
その場合の「なり」は「断定のなり」ではなくて、「伝聞推量のなり」になります。
「断定のなり」には体言(名詞)・活用する語の連体形などが接続します。
なので、漢文で習った「しかざるなり」の「なり」は「~に及ばないのだ」と訳す「断定の助動詞」であるということになります。
もし、「伝聞推量」であれば「~に及ばないようだ」と訳せますが、
基本的に漢文では推量表現もきちんと句法が決まっているため、
今回の「如かず」の場合は、推量表現は不適切である、と言えるということです。

Q【日本語】「徳なき者仏性に生きることならず」 どういうことですか? 徳なきってどういうこと? 誰の言

【日本語】「徳なき者仏性に生きることならず」


どういうことですか?

徳なきってどういうこと?

誰の言葉?

Aベストアンサー

そんな経典 聞いたことありません
何処かの宗派が勝手に いったのでしょう
何か かっこう付けた 言い回しみたいで
いやな感じします

得って 三得の事でしょう
三得にも 経典により違います
法身・般若・解脱か主・師・親か仏・法・僧 その他か
かなり勉強しないと 三得の説明を聞いただけでは
迷ってしまいますよ 

又 仏性って 皆んな 持っているんですよ
生きる事ならず」なんて おかしい

もっと分かり易い 経典から学ぶ事をおすすめします


参考になるかな 
九識論  http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage8.html

 十界論  http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage17.htm


人気Q&Aランキング

おすすめ情報