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自分は北海道在住で物心ついた3歳後半から中学生まで鉄道ファンだった。


その中でファンとしての内容だけど、大別すると次のようになる。

1期(3歳後半~小学校低学年)…恐らく乗り物としての鉄道という意識。プラレールやスーパーレールなどのキッズ向けのNゲージに夢中になり、「きかんしゃやえもん」などの鉄道の童話や絵本、小学舘や学研などの分厚い表紙の鉄道百科図鑑などがバイブルで
、機関車、電車&気道車、客車&貨車その他鉄道車両の種類やスペックを知り、近くの踏切や駅、機関区や車庫などに鉄道見学をするのが楽しみで、引き込み線での貨物列車の入れ換え作業に狂喜していた。時に東海道・山陽新幹線が博多まで開業し、蒸気機関車が廃止になり、ゴー・サン・トウ(昭和53年10月)ダイヤ改正された頃で1970年代。

2期(小学校高学年~中学生)…プラレールやスーパーレールは卒業して、鉄道模型を作るようになり、交通公社発刊の大時刻表や国語事典サイズでケイブンシャや小学舘などのジュニア向け鉄道百科やマニア向け鉄道雑誌(「鉄道ファン」など)や鉄道ガイドブックなどがバイブルになり、国内の鉄道路線や特急列車の詳細を知るようになる。中学時代からは鉄道写真も撮影するようになり、初めてブルートレインに乗って九州へ行った。国鉄改革や赤字ローカル線問題などについても考えたりした。
ブルートレインやヘッドマーク入りの特急列車に狂喜していた。
時にブルートレインブームで、「いい旅チャレンジ20000キロ」も実施され、石勝線&東北&上越新幹線が開業し、民営化に向けて国鉄改革がなされた頃で1980年代前半。

その後は鉄道への興味はさめてしまい、高校生、大学生、社会人となって話題にすることはほとんど無いまま現在に至る。JR発足、青函トンネル&瀬戸大橋開業、埼京線開業、JR西日本の福知山線脱線事故、長野&九州&山形&北陸&北海道新幹線開業などはニュースで見た程度。

この鉄道ファンとしての流れについてどう思いますか?

質問者からの補足コメント

  • HAPPY

    kumaーgorou様

    回答ありがとうございますm(__)m

    自分の地元はその函館なんです。
    五稜郭機関区と函館運転所は幼い頃の自分の聖地でした(笑)

    卒業した理由は他のもの&事に色々興味を持つようになってからいつの間にか自然に消滅してしまっただけで、特に嫌いになったとかではありません。
    それがたまたま中学3年生の暮れの話なだけです。

    ただ、先述の2期の頃には残念ながら「鉄道ファン、特に自分くらいの10代の鉄道ファンは世間的になんとなく風当たりが強いな」と薄々感じる事もありましたよ(泣)
    個人的にはそれでイヤな思いをしたとかバカにされたりはほとんどありませんでしたが、中学生の頃に一度だけ鉄道ファンを中傷した若い男性(20代後半くらい)と殴り合いの喧嘩をしたこともありますよ。
    当然それも卒業した原因ではありません。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/12/19 22:50

A 回答 (3件)

gldfishさん。



真面目な鉄道ファンを軽蔑視する不適切文言が含まれています。
ただちに、撤回して下さい。
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世の中、あるいは人生において、面白いことなんて他にたくさんありますよ。

他に目を向けようとするきっかけが出来て良かったじゃないですか。
「私は鉄ヲタだ」なんて下手に自覚してると、身動き取れないこともあるでしょうし、全く見えてこないこともあると思います。
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私も同じような経緯の鉄道ファン。


細く長く遣ってます。
SL終焉期は、学割の均一周遊券券で東西奔走。
常紋信号場や抜海にも足を運びましたよ。

帰路、海が時化て半日以上函館で足止め。
年配の方が、内地と呼んでいる意味が理解できました。
まぁ、駅の待合で一夜を明かしたり夜行列車を宿代わりと、若かったから出来たのでしょう。
この回答への補足あり
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